(Translated by https://www.hiragana.jp/)
おやつ - Wikipedia

おやつ

手間てまをかけず短時間たんじかんべることが出来でき食事しょくじ

おやつ片仮名かたかなでオヤツとも)とは、午後ごご間食かんしょくのこと[1]。あるいは、間食かんしょく全般ぜんぱん

みなみヨーロッパ典型てんけいてきメリエンダ(merienda)

概要がいよう

編集へんしゅう

むかし時刻じこくかたで「やっ(やつどき)」(つまり現代げんだい午後ごご3ころ)にべたことからこうばれた[1]現代げんだいでは「3のおやつ[2][3][出典しゅってん無効むこう]」などとぶこともある。

明治めいじ以降いこう時刻じこくかぞかた変化へんかしたため、一部いちぶひとが「おさん」とんだようで、広辞苑こうじえんでも「おさん」というかた一応いちおう言及げんきゅうされている[1]が、結局けっきょく定着ていちゃくしなかった。関東かんとうの、ごく一部いちぶ家庭かてい年配ねんぱいしゃ家庭かていないで「おさんじ」とぶことがあるようだが、すくなくとも近年きんねんでは日本にっぽん全国ぜんこくでそんなかたはされていないようである。関東かんとうでも関西かんさいでも名古屋なごやでも、そんなかたいたこともない、というひとがほとんどのようなので使つかえない表現ひょうげんである[4][出典しゅってん無効むこう]。あくまで「おやつ」が標準ひょうじゅん表現ひょうげんである。

おやつでべるものは、大抵たいていあまいものである。たとえば菓子かしるい果物くだものるいケーキるいなどである。つまりおやつでは比較的ひかくてきたかカロリーのものがられる傾向けいこうがある。

とはいえ、おやつというのはあくまで間食かんしょくという位置いちづけであり、通常つうじょう昼食ちゅうしょく夕食ゆうしょくよりはりょうひかえめである。だが子供こどもなかにはついおやつをぎるものもいる。

ちゃにしよう」とこえけ、おちゃともにおやつをべることは、日本にっぽん大人おとなたちではよくある風景ふうけいである。

1930年代ねんだい後半こうはん1940年代ねんだい前半ぜんはん日本にっぽん資料しりょうでは、子供こどものおやつは、午前ごぜん10午後ごご3とされた[5][6]。 あくまで子供こどものおやつはそれらの時間じかんにとられ(語彙ごいすくない子供こどもにもかるように)「おやつ」とばれた、ということである。 農林水産省のうりんすいさんしょうのサイトでは、最近さいきん食品しょくひん消費しょうひをもともとはやっ(14ごろ)にとる間食かんしょくのことをして「おやつ」とんでいたのだが、その午後ごごのそれにかぎらず、間食かんしょく全般ぜんぱんを「おやつ」とぶようになっていった[7]」といているが、広辞苑こうじえんでは今日きょうでもあくまで「午後ごご間食かんしょく」と説明せつめいする。地方ちほうによっては、農作業のうさぎょうなど野外やがい肉体にくたい労働ろうどうをするひと昼食ちゅうしょくあさ夕食ゆうしょくあいだにとるかる食事しょくじのことを「小昼こひる」(こひる、こびる)とぶこともある。

なお、世界せかい各地かくち午後ごご間食かんしょくをとる習慣しゅうかん、いわば「それぞれのくにのおやつ」がある。 その時刻じこくは、夕食ゆうしょくをとる時刻じこく影響えいきょうける、夕食ゆうしょく時刻じこくこくごとに傾向けいこうことなるので、各国かっこくのおやつの時間じかんもそれぞれことなる。→#世界せかいのおやつ、その時刻じこく

日本にっぽんでは食事しょくじ朝夕あさゆうのみの1にち2しょくであったが、農民のうみんたちが体力たいりょく維持いじのため休憩きゅうけい軽食けいしょくをとり、これを中食ちゅうじき(ちゅうじき)、間食かんしょく(かんじき)などとんだ[8]元禄げんろく時代じだいには1にち3しょく一般いっぱんしたが、このころから「おやつ」のかたり出現しゅつげんする。

江戸えど時代じだい後期こうき戯作げさくしゃ曲亭馬琴きょくていばきん日記にっきには、まんじゅうせんべい団子だんごなどの菓子かし頻繁ひんぱん登場とうじょうする。さんだい歌川うたがわ豊国ほうこく浮世絵うきよえには、さかなをかたどった砂糖さとう菓子かしきむはなとう(きんかとう) 」をどもにあたえる姿すがた[9]られたという。

世界せかいのおやつ、その時刻じこく

編集へんしゅう

世界せかい各地かくち同様どうよう習慣しゅうかん、つまり昼食ちゅうしょく夕食ゆうしょくあいだ間食かんしょくをとる習慣しゅうかんがある。

フランス語ふらんすごけん

編集へんしゅう
 
くさじょうのグテ』(フランス。1892ねん絵画かいが
 
『ご婦人ふじんたちのグテ』。フランスの画家がか Évariste Carpentier(1845ねん-1922ねん)による絵画かいが

フランスには「グテ goûter」という習慣しゅうかんがある。午後ごごわりころの間食かんしょくして「グテ」とぶことはルネサンスごろにははじまっていたようである。そして世界せかいはじめて出版しゅっぱんされた百科ひゃっか事典じてんとなったフランスの『百科全書ひゃっかぜんしょ』(18世紀せいきすえ出版しゅっぱん)にはgoûterという用語ようご掲載けいさいされている。当時とうじはおもにパン(いわゆる「フランスパン」)をスライスしたものにバタージャムったものや、果物くだものなどがべられていたようである。19世紀せいきころには次第しだい裕福ゆうふくひといわゆるブルジョアえ、そのご婦人ふじんたちや子供こども午後ごごテーブルじょうパティスリーるいならカフェみつつたのしんだり、外出がいしゅつして屋外おくがいたのしむ、などということもおこなわれるようになっていた。フランスでは子供こどもたちが学校がっこうえて帰宅きたくしておやつをとることは一般いっぱんてきだった。 フランスのブルジョアたちはもともと紅茶こうちゃまず、むのはもっぱらカフェであったが、19世紀せいきイギリス富裕ふゆうそう流行りゅうこうしはじめた紅茶こうちゃみつつ軽食けいしょくべること(した詳説しょうせつ)をフランスのブルジョアの一部いちぶ真似まねしはじめ、かれらは午後ごご間食かんしょくのことを英語えいごの「tea ティー」をフランス語ふらんすごやくしたかたりの「thé テ」とぶことをこのんだ。そして従来じゅうらい表現ひょうげん「グテ」はどちらかとうと子供こども間食かんしょくすとなすようになったいう。

なお「グテ」の別名べつめいは「quatre heures キャトルール」で、これは「4」という意味いみである。1941ねんに、フランスの学校がっこうでは4のおやつをとることが普及ふきゅうしたという。

現在げんざいのフランスでも午後ごご間食かんしょくはとられており、子供こどもたちは学校がっこうから帰宅きたくすればたがいに交流こうりゅうしていえあまいものをべるし、はたら大人おとなたちも(休憩きゅうけいをとる余裕よゆうがある職種しょくしゅならば)4ころに「グテ」をとる。現代げんだいのフランスじんなにべているかというと、フランスではブーランジュリー(パンパティスリー(ケーキ兼業けんぎょうになっているところもおおいのだが、その店頭てんとうには、午後ごごの「グテ」や「テ」にぴったりのパティスリーやケーキるいならぶ。フランスじんこのむのは、たとえばオーソドックスなスライスしたフランスパンにバターやジャムをったものであったり、ブリオッシュ砂糖さとうがけのクレープパン・オ・ショコラパン・オ・レザンタルト・オ・ポム(英語えいごならアップル・タルト)、ショソン・オ・ポムなどである。えいべいりゅうクッキードーナツマフィンべるひともいる。子供こどもたちはガトー(ケーキ)が大好だいすきである。カフェや紅茶こうちゃとともにべる。

フランスの「グテ」という用語ようごは、もともと「味見あじみ(あじみ)」といった意味いみ表現ひょうげんであり、「グテ」には時刻じこく意味いみがもともとふくまれていないので、午後ごごかぎらず、朝食ちょうしょく昼食ちゅうしょくあいだ間食かんしょくまでひっくるめてすために使つかうフランスじんもいる。

フランスの隣国りんごくベルギーフランス語ふらんすごはなされていて両国りょうこく文化ぶんかてき密接みっせつにつながっているが、ベルギーやフランス北部ほくぶでは16時半じはん~17にとることが一般いっぱんてきだという。一方いっぽうカナダフランス語ふらんすごけんでは午後ごごなかあたり、つまり14~16ころにとることが一般いっぱんてきだとう。

イギリス、きゅうだいえい帝国ていこく圏内けんない

編集へんしゅう
 
イギリスでべるのは、たとえば繊細せんさい仕立したてたキュウリサンドイッチなどのサンドイッチ。

イギリスでは、19世紀せいきなかぎごろに、富裕ふゆうそう人々ひとびとあいだ午後ごご紅茶こうちゃむことが一般いっぱん[注釈ちゅうしゃく 1]紅茶こうちゃみながらパンにバターをったもの(bread and butter)や、うすくスライスしたパンでつくった繊細せんさいキュウリサンドイッチや、たまごコショウソウはさんだサンドイッチや、ケーキペーストリーるいなどをべるということが次第しだいにひろまり、それがやがてちゅうあいだそうまでひろがってゆくことになった。イギリスでは午後ごご紅茶こうちゃみつつ軽食けいしょくをとることを「ハイティー」「アフタヌーン・ティー」あるいはたんに「tea ティー」などとうようになった。

現代げんだいのイギリスの典型てんけいてきな「ティー・タイム」は午後ごご3:30~5:00といったところである。 イギリスの夕食ゆうしょく時刻じこく時代じだいとともに傾向けいこう変化へんかしてきたので、「ティータイム」もすこしづつずれてきた歴史れきしがある。


 
スペインのメリンダのれい。このれいではパンとなまハムべている。おまけにワインまでんでいる。アルコールるいむということは、日本にっぽんのおやつでも、フランスのグテでも、イギリスのティーでもおこなわれていないことであり、つまり世界せかいてきにはめずらしい。

スペインけん

編集へんしゅう

スペインでは、夕食ゆうしょくをとる時刻じこく非常ひじょうおそいので、午後ごご5から6に「メリンダ merienda」という午後ごご軽食けいしょくをとる。スペイン本国ほんごくくわえて南米なんべい中米ちゅうべい各地かくち午後ごご間食かんしょくも「メリンダ」とばれている。

こくごとに習慣しゅうかんことなるので「メリンダ」でべられるものも時刻じこくもかなりことなる。


脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ スペイン、ポルトガル、オランダ、フランスなどにおくれをとるかたちで、イギリスも世界せかい各地かくち進出しんしゅつし、それらのくに熾烈しれつ勢力せいりょくあらそいをひろげ、イギリスじんたちはインドでも1600ねんひがしインド会社かいしゃという貿易ぼうえき会社かいしゃ設立せつりつしフランス、オランダなどと権益けんえきあらそいをひろげていたが、ななねん戦争せんそう(1756ねん-1763ねん)というイギリスとフランスとのあいだだい規模きぼ戦争せんそうきると、両国りょうこくはインドのでも激突げきとつしたのだが、1757ねん6がつプラッシーのたたかでイギリスがわ勝利しょうり。それによりイギリスはインドで優勢ゆうせい存在そんざいとなり、おまけに貿易ぼうえき会社かいしゃひがしインド会社かいしゃのインド貿易ぼうえき独占どくせんけんが1813ねん失効しっこうし、ただの政治せいじ組織そしきになっていったこともあって、イギリス本国ほんごくがわはインドの地元じもと諸侯しょこうたいする支配しはい拡大かくだいし、1818ねんには当時とうじインドの最大さいだい勢力せいりょくとなっていたマラーター同盟どうめい解体かいたいしてしまい、1848ねんにはパンジャーブのシク王国おうこく滅亡めつぼうさせた。さらにムガル皇帝こうていまで傀儡かいらいとして支配しはいし、1858ねんにムガル帝国ていこく廃止はいしし、ヴィクトリア女王じょおう皇帝こうていとするインド帝国ていこく樹立じゅりつした。つまりイギリスは皇帝こうていがいたであるインドをすっかりみにじって支配しはいしてしまい、植民しょくみんしてしまったわけであり、イギリスじんはインドの人々ひとびと奴隷どれいにして強制きょうせいてきはたらかせることでとみをつくりだし、そのとみがイギリス本国ほんごくながみ、結果けっかとしてイギリス国内こくない裕福ゆうふくそうえた。そしてインドで奴隷どれい使つかちゃ生産せいさんさせ、紅茶こうちゃ生産せいさんすることや、イギリス本国ほんごくでそれをむことがまずは富裕ふゆうそうから、そして次第しだいちゅうあいだそうまで一般いっぱんした。インドで生産せいさんされたものは帆船はんせんでイギリス本国ほんごくはこばれたが、とくに1840年代ねんだいあたりから、イギリスであらたに登場とうじょうした富裕ふゆうそうたちによる消費しょうひりょうえ、紅茶こうちゃ(やウール)などをイギリスに大量たいりょうはやはこ必要ひつようてきたので、より高速こうそく帆船はんせん開発かいはつされた。それが「クリッパー」とばれるふねである。紅茶こうちゃはこぶものは「ティー・クリッパー」とばれた。つまりイギリスで午後ごご間食かんしょく優雅ゆうがたのしむ習慣しゅうかん根付ねついた背景はいけいには、じつはそうした一連いちれん歴史れきしてき出来事できごと欧州おうしゅう諸国しょこくたいするイギリスがわ追撃ついげき帝国ていこくだいえい帝国ていこく出現しゅつげん、インドの人々ひとびとたいする過酷かこくあつかい、イギリスで富裕ふゆうそう出現しゅつげん紅茶こうちゃむことの習慣しゅうかん、があったわけである。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b c 広辞苑こうじえんだいろくはん
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ [3]
  5. ^ 石森いしもり延男のぶお へんまんしうのどもおさむぶんかん、1939ねん、37ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1168258/28。"日本にっぽんどもは……じゅうさんには きまつたやうに、おくわしのおやつをもらひます。"。 
  6. ^ 文部省もんぶしょう社会しゃかい教育きょういくきょく へん乳幼児にゅうようじ保護ほご問題もんだい文部省もんぶしょう社会しゃかい教育きょういくきょく、1942ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450754/36。"間食かんしょく回数かいすうはどうしたらよいか。やはりむかしからうんはれてゐるとおり「おじゅう」と「おさん」が適当てきとうであらう。"。 
  7. ^ 農林水産省のうりんすいさんしょう おやつの意味いみりましょう
  8. ^ 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん』の「ちゅうじき(中食ちゅうじき)」のかたり
  9. ^ 読売新聞よみうりしんぶん2014ねん8がつ8にち「おやつの習慣しゅうかん 江戸えど時代じだいはじまる」による。この記事きじにもいてあるが、砂糖さとうはもともと舶来はくらい高級こうきゅうひんだったが、8だい将軍しょうぐん徳川とくがわ吉宗よしむね国内こくない生産せいさん奨励しょうれい砂糖さとう入手にゅうしゅしやすくなり、甘味あまみひろまる要因よういんとなったという。

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう
  • ちゃ
  • 軽食けいしょく間食かんしょく)- 夜食やしょく
  • イレブンジズ - 朝食ちょうしょく昼食ちゅうしょくあいだ短時間たんじかん休憩きゅうけいおこな喫茶きっさ軽食けいしょく習慣しゅうかん
  • スナック菓子すなっくがし(しばしば食間しょっかん空腹くうふくかんまぎらわせるために、満腹まんぷくかんられるスナック菓子すなっくがしべられる)

外部がいぶリンク

編集へんしゅう