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インド国定暦 - Wikipedia

インド国定こくていれき(インドこくていれき、英語えいご:Indian national calendar、Saka calendar)とは、様々さまざまこよみ存在そんざいするインドにおいて、西暦せいれき1957ねん以来いらい、「統一とういつれき」として公式こうしき採用さいようされている暦法れきほう紀元きげんサカ紀元きげん(またはサカ、シャカ紀元きげん)とするサカれき(またはシャカれき)をもとにしているが、インドの伝統でんとうてきヒンドゥーれき太陰たいいん太陽暦たいようれきであるのにたいしてインド国定こくていれき太陽暦たいようれきである。インド国定こくていれきやサカれき、インド太陽暦たいようれきのほかにたん国定こくていれき、また国民こくみんれき呼称こしょうされることもある。ここではサカ紀元きげんによる紀年きねんほうとしての側面そくめんについてもべる。

概説がいせつ

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インド政府せいふおよ主要しゅようメディアはグレゴリオれき西暦せいれき)ととも併用へいようすることがおおい。また、地域ちいき民族みんぞくによってはイスラムれきベンガル・カレンダーなどかく地域ちいき民族みんぞく固有こゆうこよみ併用へいようすることもおおい。

このこよみではサカ紀元きげん紀元きげんたる西暦せいれき78ねんを「インド国定こくていれき0ねん」としてかぞえる。インドではかつてより、紀年きねんほうなどにおいても「かぞ」よりも「みつる」で年数ねんすうかぞえることがおおい。この紀元きげんクシャーナあさカニシカおう制定せいていしたなど諸説しょせつあるがはっきりしない。年始ねんしグレゴリオれきの3がつ22にち閏年うるうどし3月21にち)にたる。紀元きげんが「0」からはじまっているため、グレゴリオれき平年へいねんかつ3がつ22にち年始ねんし以降いこうでは西暦せいれきから78ねんき、3月21にち以前いぜんでは79ねんくと国定こくていれきとしになる(閏年うるうどし場合ばあいともに1にちまえにずらしてかんがえる)。たとえば西暦せいれき2000ねん3月21にち国定こくていれき1922ねんたる。閏年うるうどし調しらべるには、国定こくていれきに78ねんしその合計ごうけいすう西暦せいれき閏年うるうどしかどうか確認かくにんする。

インドでは国定こくていれき(サカれき以外いがいにもサカ紀元きげん西暦せいれき77 - 79ねん)を紀元きげんとするこよみ数多かずおお存在そんざいする(おもみなみインドで使用しようされる)。一方いっぽうきたインドではヴィクラマ紀元きげん西暦せいれき紀元前きげんぜん58ねん - 56ねん)を紀元きげんとするこよみおお使用しようされている。上述じょうじゅつとお国定こくていれきまりでは紀元きげんを「0ねん」としてかぞえる(みつる)ことになっているが、こよみ種類しゅるい地方ちほう、さらに使つかひとによって紀元きげんを「1ねん」としてかぞえる(じょすうとしかぞ場合ばあいもままあるので、れき計算けいさんをするときなどは注意ちゅうい必要ひつようである。

つき名称めいしょう

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つき 名称めいしょう 期間きかん グレゴリオれき開始かいし
1 チャイトラ*1Caitra चैत्र 30/31 3月22にち*2
2 ヴァイサカ/ヴァイシャーカ(Vaiśākha वैशाख 31 4がつ21にち
3 ジャイスタ/ジャイシュタ(Jyeṣṭha ज्येष्ठ 31 5月22にち
4 アーサダ/アーシャーダ(Āṣāṛha आषाढ़ 31 6月22にち
5 スラバナ/シュラーヴァナ(Śrāvaṇa श्रावण 31 7がつ23にち
6 バードラ/バードラパダ(Bhādrapada भाद्रपद 31 8がつ23にち
7 アスビナ/アーシュヴィナ(Āśvina आश्विन 30 9月23にち
8 カルディカ/カールッティカ (Kārtika कार्तिक 30 10月23にち
9 アグラハヤナ/マールガシールシャ(Agrahāyaṇa/Mārgaśīrṣa अग्रहायण/मार्गशीर्ष 30 11月22にち
10 パウサ/パウシャ(Pauṣa पौष 30 12月22にち
11 マーガ/マーガ(Māgha माघ 30 1がつ21にち
12 パルグナ/パールグナ(Phālguna फाल्गुन 30 2がつ20日はつか

*1つき日本語にほんごでのかたは『現代げんだいこよみ辞典じてん[1]および『みなみアジアを事典じてん[2]参照さんしょう

*2閏年うるうどし場合ばあい、チャイトラ(だいいちがつ)は31日間にちかん西暦せいれき3がつ21にち開始かいしする。太陽たいよう黄道こうどうもとづき、いちねん前半ぜんはんつきはすべて31日間にちかんとなっている。

なお、つきヒンドゥーきょう太陰たいいん太陽暦たいようれきからされており、発音はつおんつづりがなんとおりも存在そんざいするため、混乱こんらん議論ぎろんもととなっている。

暦法れきほうは、インドでもっとふる学問がくもんひとつであり、ヴェーダ補助ほじょがくとして古代こだい成立せいりつした。太陽たいようつき位置いちからした暦法れきほうは、のち占星術せんせいじゅつとともにつたえられたヘレニズム天文学てんもんがく影響えいきょうされ変化へんかげていったが[2]、さらに、インドのなが歴史れきしなかでそれぞれの地域ちいき固有こゆうこよみ発展はってんしていった経緯けいいがある。このため、独立どくりつしたインド政府せいふ改暦かいれき委員いいんかいもうけ、1957ねんにヒンドゥーれきとう統一とういつするための天文学てんもんがくてき公式こうしき発表はっぴょう。しかし、こうした努力どりょくにもかかわらず依然いぜん古文書こもんじょ根拠こんきょとする地域ちいきもある。

インド国定こくていれきは、サカれき1879ねんチャイトラがつ1にち西暦せいれき1957ねん3月22にち)に正式せいしき開始かいししたが、いまだに(とく新年しんねんかんし)各々おのおのこよみ優先ゆうせんする風潮ふうちょうのこっている[1]

ラーシュトリーヤ・パンチャーンガ

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改暦かいれき委員いいんかいは、おおくの地域ちいきもちいられているこよみ同様どうよう10世紀せいき発行はっこうの『スーリヤ・シッダーンタ』(中世ちゅうせいインドの数学すうがくおよ天文学てんもんがく論文ろんぶん)にもとづく太陰たいいん太陽暦たいようれき定義ていぎした宗教しゅうきょうようこよみ「ラーシュトリーヤ・パンチャーンガ」も発行はっこう

「パンチャーンガ」とはサンスクリットかたりで「5つの要素ようそ」を意味いみし、こよみ構成こうせいする5つの項目こうもく、すなわち太陰たいいん太陰たいいんがつ半日はんにち太陽たいようつき角度かくど太陽たいようし、古来こらいからインドでは様々さまざま団体だんたいにより発行はっこうされてきた。

ラーシュトリーヤ・パンチャーンガでは、つきは、恒久こうきゅう星座せいざたいする太陽たいよう位置いちもとづき、満月まんげつ対蹠たいしょ地点ちてん観測かんそくすることで計算けいさんされる。恒久こうきゅう星座せいざもちいた計算けいさんにより固定こてい閏年うるうどし規則きそくけられるが毎月まいつき日数にっすうが1にちないし2にちずれてしまう。グレゴリオれき日付ひづけ変換へんかんしたり、しゅう曜日ようび計算けいさんには天体てんたいれき精通せいつうしている必要ひつようがある。ゆえに、一般いっぱん市民しみん地域ちいき天文学てんもんがくてき権威けんい発行はっこうするパンチャーンガないし生活せいかつれき参照さんしょうする。

パンチャーンガは様々さまざま団体だんたいから発行はっこうされてきたが、時間じかんつにれ、パンチャーンガの権威けんいとされる団体だんたいすうえ、各々おのおの地理ちりてき差異さい計算けいさん方法ほうほう差異さいあらわはじめ、地域ちいきあいだ数日すうじつへだたりがあるこよみ作成さくせいされるようになった。どういち地域ちいきないでも複数ふくすう団体だんたい存在そんざいすることがあり、まれにではあるが、祭日さいじつ設定せっていにひとがつちかへだたりがしょうじる場合ばあいもある。統一とういつれき「ラーシュトリーヤ・パンチャーンガ」はこのような宗教しゅうきょう祭日さいじつ混乱こんらんける目的もくてきつくられた。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 岡田おかだ 芳朗よしろう, 阿久根あくね まつちゅう現代げんだいこよみ事典じてん柏書房かしわしょぼう、1993ねん
  2. ^ a b 辛島からしま のぼる, 江島えじま めぐみきょう, 小西こにし ただしとし, 前田まえだ せんがく, おう 利明としあき、『みなみアジアを事典じてん平凡社へいぼんしゃしんてい増補ぞうほばん (2002/04)(265ページ)

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 現代げんだいこよみ事典じてん岡田おかだ 芳朗よしろう, 阿久根あくね まつただし柏書房かしわしょぼう、1993ねん
  • みなみアジアを事典じてん辛島からしま のぼる, 江島えじま めぐみきょう, 小西こにし ただしとし, 前田まえだ せんがく, おう 利明としあき平凡社へいぼんしゃしんてい増補ぞうほばん、2002ねん
  • 『アジアのこよみ (あじあブックス) 』岡田おかだ 芳朗よしろう大修館書店たいしゅうかんしょてん、2002ねん発行はっこう
  • 占星術せんせいじゅつたちのインド―こよみうらないの文化ぶんか矢野やの 道雄みちお中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1992ねん発行はっこう

外部がいぶリンク

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関連かんれん項目こうもく

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