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クノッソス - Wikipedia

クノッソスまれ: Κνωσός、Knossos、Knossus、Cnossus、Gnossus、クノーソス)は、ギリシアクレタとうにある青銅器せいどうき時代じだい最大さいだい遺跡いせきミノア文明ぶんめいしたで、儀式ぎしき政治せいじ中心ちゅうしんであったとかんがえられている。宮殿きゅうでんいちへんは160m以上いじょうあり、部屋へやは1200以上いじょう部分ぶぶんてきには4かいての建造けんぞうぶつすらもあったとされる。ミケーネ文明ぶんめいのものをはるかにしの規模きぼつこの宮殿きゅうでん最大さいだい特徴とくちょうなによりも中央ちゅうおう広場ひろばで、この広場ひろばとそれをかこむようにして重要じゅうよう施設しせつ配置はいちされている宮殿きゅうでん構造こうぞうは、高度こうど官僚かんりょう機構きこうつよ王権おうけん存在そんざいしめしている。また、巨大きょだい倉庫そうこそなえていたのも重要じゅうようてんで、ここから宮殿きゅうでん支配しはい領域りょういきない物資ぶっし集積しゅうせきしてさい分配ぶんぱいする機能きのうっていたとかんがえられている。

クノッソス
Κνωσός
うしフレスコ特徴とくちょうてき北側きたがわくち
古代こだいクノッソスの場所ばしょ
別名べつめい Cnossus
所在地しょざいち クレタとうイラクリオンけんイラクリオン
地域ちいき イラクリオンの南端なんたん
座標ざひょう 北緯ほくい3517ふん53びょう 東経とうけい259ふん47びょう / 北緯ほくい35.29806 東経とうけい25.16306 / 35.29806; 25.16306座標ざひょう: 北緯ほくい3517ふん53びょう 東経とうけい259ふん47びょう / 北緯ほくい35.29806 東経とうけい25.16306 / 35.29806; 25.16306
種類しゅるい 複雑ふくざつ宮殿きゅうでん行政ぎょうせい中心ちゅうしん古代こだいクレタの首都しゅと司法しほうけんそなえた地域ちいき
全長ぜんちょう 居住きょじゅうながさ(きたみなみ)は5km。
はば 居住きょじゅうはば東西とうざい)は最大さいだいで3km。
面積めんせき ぜん居住きょじゅうは10km2宮殿きゅうでんそのものは14,000m2
たか 不明ふめい
歴史れきし
建設けんせつしゃ 不明ふめいギリシア神話しんわうえではダイダロス
資材しざい 石灰石せっかいせき石膏せっこう木材もくざいどろレンガ漆喰しっくい
完成かんせい この人類じんるい居住きょじゅうはじめたのは紀元前きげんぜん7000ねんごろ最初さいしょ宮殿きゅうでん紀元前きげんぜん1900ねんごろてられた。
放棄ほうき 紀元前きげんぜん1380ねん~1100ねんごろ滅亡めつぼう
支配しはいしゃ ミノア中期ちゅうきでは、ミノアじんたち。ミノア後期こうきでは、ミケーネひとたち。

宮殿きゅうでんまえ

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農耕のうこう牧畜ぼくちく発展はってんともない、紀元前きげんぜん7000ねんごろからクノッソスに人々ひとびとはじめた。当時とうじ1000 - 2000にんほどの人口じんこうがあったとされる。粘土ねんどいしほね材料ざいりょうとした工芸こうげいひん発掘はっくつされている。紀元前きげんぜん3300ねんごろには金属きんぞく青銅せいどう)の使用しよう普及ふきゅうはじめ、技術ぎじゅつりょく向上こうじょうし、工芸こうげいひん建造けんぞうぶつがより高度こうど発達はったつはじめた。同時どうじゲ海げかい媒介ばいかいとした輸入ゆにゅうぎょうさかんになり、きむぎんどうなど、クレタとう発掘はっくつしにくい金属きんぞく資源しげんおお周辺しゅうへんこくから輸入ゆにゅうしていた。キクラデス文明ぶんめいとも交流こうりゅうがあり、彫刻ちょうこくにその影響えいきょう顕著けんちょられる。クノッソス以外いがいにもクレタ各地かくち集落しゅうらくがあったが、そのなかでもクノッソスは優位ゆういせいがあった。紀元前きげんぜん2000ねんごろにはインド=ヨーロッパ語族ごぞくがギリシア本土ほんどやキクラデス諸島しょとうせ、そのためにそれらの国々くにぐに弱体じゃくたいし、クノッソスのゲ海げかいへの影響えいきょうりょく増大ぞうだいしていった。

古宮こみや殿どの時代じだい

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とみ蓄積ちくせきによって富裕ふゆうそうまれ、紀元前きげんぜん2000ねんごろ、クノッソスをふくむクレタ各地かくち宮殿きゅうでんはじめた。これらの宮殿きゅうでん計画けいかくてき建設けんせつされており、また、規格きかくもなされている。そのため、クノッソス、マリア、フェストス、ザクロスで発見はっけんされたそれぞれの宮殿きゅうでん基本きほんてき同一どういつ構造こうぞうである。これらの宮殿きゅうでん規格きかく構造こうぞう同一どういつであることはなんらかの人物じんぶつ主導しゅどうしたと想像そうぞうされており、この宮殿きゅうでん成立せいりつによってミノア文化ぶんか人々ひとびと支配しはいするがわ支配しはいされるがわ分化ぶんかはじまっていたとおもわれる。また、宮殿きゅうでん中央ちゅうおう長方形ちょうほうけい広場ひろば形成けいせいされ、その周囲しゅうい各種かくしゅ機能きのうになうブロックが配置はいちされているが、この西側にしがわにはさらに広場ひろば構築こうちくされている。この西側にしがわ広場ひろばから宮殿きゅうでんとき宮殿きゅうでんもっと威容いようつようにされており、ここにも分化ぶんか傾向けいこう暗示あんじされている。

この古宮こみや殿どのは、内装ないそうにフレスコえがかれていたり、複雑ふくざつつくりの貯蔵庫ちょぞうこがあったり、その豪勢ごうせいさと壮大そうだいさはしん宮殿きゅうでんおとらぬ規模きぼであったが、紀元前きげんぜん1700ねんごろこっただい地震じしんによって崩壊ほうかいしてしまった。いままでは地震じしんきるたびこわれた部分ぶぶん修復しゅうふくしていたが、想像そうぞうぜっするだい地震じしんに、修復しゅうふくかないほどのだい損害そんがいこうむってしまったのである。そのため古宮こみや殿どのこわし、そのうえあたらしい宮殿きゅうでんつく計画けいかくまれた。

しん宮殿きゅうでん時代じだい

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クノッソスのしん宮殿きゅうでんは、古宮こみや殿どのよりもより壮大そうだい巨大きょだい建造けんぞうぶつになった。石膏せっこうなど、より高価こうか原材料げんざいりょう多用たようするようになり、かべはフレスコによってさら装飾そうしょくされることになった。宮殿きゅうでんへの正式せいしきくち西側にしがわつくられ、ひとつの巨大きょだいはしら特徴とくちょうてきプロピュライアもん)が存在そんざいした。高架こうかきょうつながった北西ほくせいくち廃止はいしされ、そのわりに南東なんとうくち使用しようされた。その宮殿きゅうでんへのくちきたひがしにもつくられた。しん宮殿きゅうでん西にしひがしあたらしい建造けんぞうぶつ追加ついかされ、その中央ちゅうおうには中庭なかにわがあった。クノッソスには劇場げきじょう公文書こうぶんしょ保管ほかんしょ作業場さぎょうば両頭りょうとうおのラブリュス)のあいだ壮大そうだい階段かいだんやレセプションルームなど、様々さまざま施設しせつがあった。

クノッソス周辺しゅうへん市街しがいは750,000平方へいほうメートルほどもひろがっており、宮殿きゅうでんちかかった家々いえいえには見事みごとなフレスコかざってあった。市街地しがいちには「おうみち」とばれる舗装ほそうされた道路どうろ横切よこぎっており、その「おうみち」は宮殿きゅうでんから複数ふくすう郊外こうがいにまでつうじている。粘土ねんどつくられたパイプによるみず供給きょうきゅう排水はいすいシステムも充実じゅうじつしており、郊外こうがいいずみから生活せいかつ用水ようすい市街地しがいち宮殿きゅうでんにもたらしていた。とく排水はいすいシステムはだい規模きぼ建築けんちく様式ようしき採用さいようしていた。

クノッソスはクレタとうにおいてもっとちからのあったであり、最大さいだい規模きぼ豪華ごうかさで、その文化ぶんかてき影響えいきょうぜんクレタに波及はきゅうしていた。クノッソスをリーダーとするミノア文明ぶんめい影響えいきょう海外かいがいにまでおよび、キクラデス諸島しょとうドデカニサ諸島しょとうキプロスとう、ギリシア本土ほんどシリアパレスチナエジプトすらもその影響えいきょうにあった。各地かくちにミノア文明ぶんめい別荘べっそうまでつくられ、その構造こうぞう宮殿きゅうでん模倣もほうしたものであった。クノッソスには城壁じょうへきいが、そのわりに世界せかい最強さいきょう海軍かいぐんゆうしており、サントリーニとうから出土しゅつどしたフレスコには、強大きょうだいなミノア艦隊かんたい交戦こうせん場面ばめんえがされている。ミノア文明ぶんめいひがしゲ海げかい支配しはいし、当時とうじ世界せかい最高さいこう水準すいじゅん文明ぶんめいであった。

しかし、巨大きょだい災害さいがいにより、ミノア文明ぶんめい全盛期ぜんせいきにもわりがおとずれる。巨大きょだい地震じしん、もしくは内戦ないせんやサントリーニとう噴火ふんか近年きんねんでは噴火ふんかせつ否定ひていされつつある)により、クレタとう繁栄はんえいした大半たいはん宮殿きゅうでん消滅しょうめつしてしまう。クノッソス宮殿きゅうでんびるものの、もはや全盛期ぜんせいきちからのこされていなかった。

クレタ=ミケーネ時代じだい

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クノッソス宮殿きゅうでん平面へいめん

クノッソス宮殿きゅうでん災害さいがい傷跡きずあとから迅速じんそく復興ふっこうするものの、もはや以前いぜん宮殿きゅうでんではなくなっていた。災害さいがいにより弱体じゃくたいしたクノッソス宮殿きゅうでん支配しはいしゃは、ミケーネじんへと交代こうたいしていた。もはやクノッソスにミケーネ文明ぶんめいからの侵略しんりゃくえるちからかった。クノッソス宮殿きゅうでんいたところにミケーネ文明ぶんめい影響えいきょうおよび、墓地ぼちには武具ぶぐとも戦士せんし埋葬まいそうされる慣習かんしゅうおおられるようになり、王座おうざあいだ両頭りょうとうおのあいだ構造こうぞうもミケーネふう変化へんかした。ミノアの芸術げいじゅつも、ミケーネ文明ぶんめい様式ようしきちかくなっていき、戦士せんし主題しゅだいとした作品さくひんこのまれるようになった。また、ミノア文明ぶんめい文字もじであるせん文字もじAから、ミケーネ文明ぶんめい文字もじであるせん文字もじBへと言葉ことばわり、ぜん1450ねんごろのクノッソス宮殿きゅうでんかれたとされるせん文字もじBが出土しゅつどしている。行政ぎょうせいシステムもミケーネ文明ぶんめいのものとなり、ミケーネ文明ぶんめいはクノッソスを拠点きょてんとしてぜんクレタを支配しはいし、ゲ海げかい制海権せいかいけんすらもつつあった。しかし、ミケーネ文明ぶんめい支配しはいにあってもなお、ミノアじんたちは商業しょうぎょう活動かつどう活発かっぱつっており、工芸こうげいひんおお海外かいがい輸出ゆしゅつしていた。

滅亡めつぼう

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紀元前きげんぜん1370ねんごろふたただい規模きぼ災害さいがいこり、それによってミケーネ文明ぶんめいによるクノッソス支配しはいにも終止符しゅうしふたれた。この災害さいがい諸説しょせつあり、地震じしん紛争ふんそう・ミノアじんによる蜂起ほうきなど、様々さまざま見解けんかいがある。いずれにせよ、この災害さいがいにもクノッソス宮殿きゅうでんえたが、以降いこう宮殿きゅうでんふたた修復しゅうふくされることはなかった。

災害さいがいは、クノッソスを支配しはいする勢力せいりょく不在ふざいのままであり、宮殿きゅうでん廃墟はいきょしたが、そこにもひとつづけた。最終さいしゅうてき滅亡めつぼう鉄器てっき時代じだい到来とうらいによって決定けっていづけられ、鉄器てっき民族みんぞくであるドーリアじん侵入しんにゅうにより、クノッソスは完全かんぜん滅亡めつぼうしてしまった。以後いご、クレタとうにできた都市とし国家こっか同士どうし内戦ないせん時代じだい突入とつにゅうし、そのために国力こくりょく疲弊ひへいし、クレタとうながらく歴史れきしおもて舞台ぶたいから姿すがたすことになる。ふたたびクレタとう活気かっきちるのは、ローマ時代じだいになってからである。

 
うし二人ふたり女性じょせいえがかれたフレスコ

クノッソス宮殿きゅうでんはギリシア神話しんわ舞台ぶたいとなったことでもよくられている。ギリシア神話しんわにおいてゲ海げかい覇権はけんにぎっていたミノスおうのモデルは強力きょうりょく王政おうせいほこっていたミノア文明ぶんめいであり、テーセウスミノタウロス伝説でんせつ名高なだかいラビリンスも、クノッソス宮殿きゅうでん廃墟はいきょてギリシアじんたちが想像そうぞうしたことである。クノッソスでは男女だんじょさん人組にんぐみおすうしえるスポーツが流行はやっており、その伝承でんしょうポセイドーンおすうしやミノタウロス伝説でんせつへとむすびついたのだろう。

ポセイドーンのおすうし

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クノッソス宮殿きゅうでんにおける王座おうざあいだ

ゼウスエウローペーであるミノスおうは、王位おうい継承けいしょうあかしとして立派りっぱおすうしをくれるようポセイドーンにいのり、そのおすうしにえささげることをちかった。ポセイドーンはこれにこたえてミノスにおすうしおくった。しかし、ミノスはおくられたおすうしがあまりにうつくしかったため、よくしてべつうしをいけにえとした。ポセイドーンはいかり、仕返しかえしに王妃おうひパーシパエーがおすうし恋情れんじょういだくようにした。なやんだパーシパエーはダイダロスに相談そうだんし、木製もくせい雌牛めうしりぼてを製作せいさくしてもらい、これを使つかっておすうしへのおもいをげた。やがてパーシパエーは子供こどもんだが、その子供こども人間にんげんからだうしあたまった怪物かいぶつミノタウロスだった。ミノスはダイダロスにめいじて迷宮めいきゅうラビリントスをつくらせ、ミノタウロスをじこめた。

ヘーラクレースじゅう功業こうぎょう一環いっかんとして、エウリュステウスからそのおすうしティリュンスれてかえるようにめいじられた。ヘラクレスはミノスおう許可きょかをもらい、素手すでおすうしをつかまえてティリュンスへと連行れんこうした。エウリュステウスはおすうしペロポネソス半島はんとうへとはなち、そのおすうしマラトンいて周辺しゅうへんらしてまわった。そのため、最終さいしゅうてきにテーセウスとペイリトオスによってたれることになる。

ミノタウロス退治たいじ

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当時とうじアテーナイはクレータとうのミノスおう勢力せいりょくかれており、アテーナイはミノスおう命令めいれいによって毎年まいとし7にん若者わかものと7にん乙女おとめ怪物かいぶつミノタウロスへのいけにえとしてささげるよう強要きょうようされていた。そのことってつよいきどおりをかんじたテーセウスは、クレータとうんでミノタウロスを退治たいじするため、ちちおうアイゲウス反対はんたいり、みずかすすんでいけにえの一人ひとりとなった。いけにえをはこふねは、国民こくみんたちのかなしみをあらわしるしとしてくろられていた。テーセウスはのいけにえたちとともにそのふねみ、クレタとうかった。

 
黒色こくしょくれつばしら特徴とくちょうてきなクノッソス宮殿きゅうでん

ミノタウロスが幽閉ゆうへいされているラビュリントスは、名工めいこうダイダロスによってきずかれた脱出だっしゅつ不可能ふかのうわれる迷宮めいきゅうであった。しかし、ミノスおうむすめアリアドネーがテーセウスにこいをしてしまい、彼女かのじょはテーセウスをたすけるため、かれあか麻糸あさいとのまりと短剣たんけんをこっそり手渡てわたした。テーセウスはアリアドネーからもらったまりの麻糸あさいとはし入口いりくちとびらむすけ、いとすこしずつばしながら、のいけにえたちととも迷宮めいきゅうおくへとすすんでいった。そしていちぎょうはついにミノタウロスと遭遇そうぐうした。みながそのおそろしい姿すがたふるえるなか、テーセウスはひとり勇敢ゆうかんにミノタウロスと対峙たいじし、アリアドネーからもらった短剣たんけん見事みごとこれをたした。ピンダロスによれば、テーセウスは短剣たんけんではなく、パンクラチオンという格闘技かくとうぎによってミノタウロスを撃破げきはしたのだという。その、テーセウスのいちぎょういとぎゃくにたどって、無事ぶじにラビリントスのそと脱出だっしゅつすることができた。テーセウスはアリアドネーをつまにすると約束やくそくし、ミノスおう追手おってからのがれてアテーナイへもどるために、アリアドネーとともいそいでクレタとうから出港しゅっこうした。

しかし、かれ帰路きろ途中とちゅうナクソスとうったさいに、アリアドネーとわかれてしまった。これは、アリアドネーに一目いちもくぼれしたディオニューソス(バックス/バッカス)が彼女かのじょをレームノスとうにさらってしまったために、行方ゆくえからなくなり、やむをえずふね出港しゅっこうさせたとも、薄情はくじょうなテーセウスがアリアドネーにきたため、彼女かのじょりにしたともわれている。 テーセウスはいけにえの一人ひとりとしてクレタとうかうとき無事ぶじクレタとうから脱出だっしゅつできた場合ばあいにはよろこびをあらわしるしとしてふねしろかかげて帰還きかんするとちちおうアイゲウスに約束やくそくしていた。しかし、テーセウスはこの約束やくそくわすれてしまい、出航しゅっこうくろのまま帰還きかんした。これをたアイゲウスは、テーセウスがミーノータウロスにころされたものと勘違かんちがいし、絶望ぜつぼうのあまりうみげてんだ。その、アイゲウスがげたうみは、かれにちなんでゲ海げかいばれるようになった。

発掘はっくつ

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現在げんざいではクレタとう有数ゆうすう観光かんこうスポットとなっている。

1900ねんイギリス考古こうこ学者がくしゃアーサー・エヴァンズによって発掘はっくつされた。このとき、宮殿きゅうでん遺構いこうともせん文字もじAせん文字もじB両方りょうほうしるした粘土ねんどばん出土しゅつどした。クノッソス宮殿きゅうでんから出土しゅつどしたものは、だい部分ぶぶんイラクリオン市内しないにある考古学こうこがく博物館はくぶつかん保存ほぞんされていて、実際じっさい発掘はっくつされた場所ばしょには、複製ふくせいひんがある。

クノッソス宮殿きゅうでんは、ミーノータウロス伝説でんせつでもられている。実際じっさい、このんだ構造こうぞうをもつ宮殿きゅうでんかべというかべにはラブリュスばれる双頭そうとうおの彫刻ちょうこくされており、まさしくラビリンス語源ごげん相応ふさわしいとえる。

交通こうつう

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  • イラクリオン市内しないから2ばんのブルーバスで所要しょようやく30ふん

参考さんこう文献ぶんけん

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