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クールス - Wikipedia

クールス(COOLS)は、日本にっぽんロックバンドである。1975ねん結成けっせい現在げんざい活動かつどうちゅう

クールス(COOLS)
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう渋谷しぶや原宿はらじゅく
ジャンル ロックンロール
活動かつどう期間きかん 1975ねん - 現在げんざい
レーベル キングレコード
トリオレコード
ポリスターほか
公式こうしきサイト 公式こうしきファンクラブ
メンバー 佐藤さとう秀光ひでみつドラムス
ジェームス藤木ふじきリードギターボーカル
村山むらやまいちうみボーカル
濱野はまの和男かずおサイドギター
大久保おおくぼ喜市きいちベースギター
後藤ごとう直樹なおき(サポートメンバー・ギター)
和田わだジョージ(サポートメンバー・ギター)
きゅうメンバー たてひろし
水口みずぐちはれみゆき
横山よこやまけん
萩野はぎの知明ともあき
山崎やまざき廣明ひろあき
岩城いわき滉一こういち・バイクチーム時代じだい
シャ・ナ・ナen:Sha Na Na

概説がいせつ

編集へんしゅう

結成けっせいからすでに40ねん以上いじょうっているが、音楽おんがくせいやファッションなど一貫いっかんしてわらず活動かつどうつづけている。もとメンバーにたてひろし岩城いわき滉一こういち水口みずぐちはれみゆき(ピッピ、PITPI)、横山よこやまけんなど有名ゆうめい芸能人げいのうじん輩出はいしゅつしている。BUCK-TICK藤井ふじいフミヤ[1]など、その影響えいきょうけたミュージシャンは数多かずおおい。

当初とうしょは、そのファッションやちから「不良ふりょう」をものにした。またジェームス藤木ふじきすうおおくのミュージシャンに楽曲がっきょく提供ていきょうしている。

バンド結成けっせい当初とうしょはコンサート会場かいじょうにファンの暴走ぼうそうぞく集結しゅうけつしたり、そののファンそう不良ふりょう少年しょうねんおおかった。

六本木ろっぽんぎロアビル建設けんせつちゅう1972ねんころ、そのとなりにあったジーンズ・ショップのかいにダイナー形式けいしきハンバーガーがあり、バイカーまりになっていた[2]。ジーンズ・ショップではたらいていた水口みずぐちはれみゆきのちにクールスを結成けっせいするメンバーたちとそこで[2]

たてひろしと岩城いわき滉一こういち出会であ

編集へんしゅう

水口みずぐち事業じぎょうさそわれて[2]乃木坂のぎざかアメリカ大使館あめりかたいしかん家族かぞくんでいた庭付にわつきの洋館ようかん洋服ようふくメーカー設立せつりつ[2]。そこにビリヤードだいいたら、不良ふりょうがたくさんあつまるようになり、そのなかたてひろし岩城いわき滉一こういちらもいた[2]飲食いんしょくてん食事しょくじをしていた岩城いわき滉一こういちたてひろしあゆり、身構みがまえた岩城いわきに「あのバイク、きみの?」とはなしかけ、バイクの話題わだい意気投合いきとうごうする。当時とうじたてはバイクの免許めんきょっておらず、岩城いわきすすめられ、岩城いわきのバイクに二人ふたりりして教習所きょうしゅうじょとおった[3]

結成けっせい(バイクチーム「クールス」)

編集へんしゅう

たてひろしが「バイクチームをつくろう」と水口みずぐちたちをなんさそ[2]東京とうきょう原宿はらじゅくにおいて1974ねん12月13にち金曜日きんようび縁起えんぎわるをわざとえら[2]たてひろしをリーダー(チームないでの呼称こしょうは「ボス」。ただし水口みずぐちはれみゆき(ピッピ、PITPI)のみ「大将たいしょう」とんでいた)、岩城いわき滉一こういちおなじく、チームないでの呼称こしょうは「コーちゃん」)をサブリーダーに、および岩城いわき学生がくせい時代じだいからの友人ゆうじんであった佐藤さとう秀光ひでみつらで結成けっせいされたモーターサイクルグループ、クールスを結成けっせい[2]

結成けっせいさいしてたて自分じぶんで「このチームはリーダー(たて)の独裁どくさいにより運営うんえいされる」とあたまいた血判けっぱんじょう規約きやくしょ)を作成さくせいして[2]、メンバーはノリで血判けっぱんした[2]。このため水口みずぐちは「だからいまでもだてから電話でんわがあったら、んでかないといけないんだ(笑)」とはなしてる[2]当時とうじたてカワサキZIIっていた。

チーム結成けっせい当時とうじ人数にんずうは21にんで、メンバー全員ぜんいんリーゼントくろかわジャンパーくろまたはあおジーンズくろオートバイ統一とういつされた[2]。「くろ」というカラーにこだわったのは、たて学生がくせい時代じだいにラグビー主将しゅしょうをしていて、ラグビーNZ代表だいひょうオールブラックス」がきだったからである[2]表参道おもてさんどう神宮前じんぐうまえ交差点こうさてんちかくにあった原宿はらじゅくレオンというおおくのクリエイターが出入でいりするカフェがたまで、みせまえくろいオートバイをすうだいならべているようおおきいな注目ちゅうもくあつめた[2]当時とうじ原宿はらじゅく芸能げいのう関係かんけいしゃやクリエイターなど、時代じだい先端せんたんひとたちがあつまる場所ばしょ[2]、まだカラフルな色合いろあいがおおかった時代じだいいてはくろ一色いっしょくのファッションが目立めだった[2]女性じょせいファッションなどのモデルをつとめたりし、素人しろうとなのに近県きんけんからファンがあつまるようになった[2][4]

1975ねん4がつ13にち矢沢やざわ永吉えいきちひきいる「キャロル」の解散かいさんコンサートで親衛隊しんえいたいつとめる[2]。これはローリング・ストーンズヘルズ・エンジェルス親衛隊しんえいたいにしてコンサートをおこなったことに影響えいきょうされて、矢沢やざわたておなじような演出えんしゅつをしたいとちかけたもの[5]。キャロルの解散かいさんコンサートを収録しゅうろくしたDVD(一部いちぶカット編集へんしゅう)にはバイクチーム時代じだいのクールスの走行そうこう場面ばめんうつっており、また、岩城いわきがキャロルとのおもかたったり、たてがキャロルメンバーにインタビューしたりする場面ばめんなどが収録しゅうろくされている。この活動かつどうによりクールスは一躍いちやく脚光きゃっこうびた(キャロルよりクールスをていたというきゃくがいたほど[6]当時とうじ芸能人げいのうじんではなかったにもかかわらず、注目ちゅうもくされていた)。「クールスはキャロルの親衛隊しんえいたい」であったが、個々ここ交友こうゆうがあり[2]とく水口みずぐちはれみゆきはキャロルのスタッフとなか[2]、ファッション関係かんけいなど、キャロルのヴィジュアルめんでのアドバイザーの一人ひとり[2]両者りょうしゃ対等たいとう友人ゆうじん関係かんけいであり[2]、また当時とうじはあくまでロックバンドとそれを支持しじするバイクチームの関係かんけいであった[2]。よって「クールスはキャロルの弟分おとうとぶんバンド」「矢沢やざわ永吉えいきちたてひろしの兄貴あにきぶん」という認識にんしきあやまりであり、またそののクールスの音楽おんがくせいもキャロルとはことなるものであった。メンバーの佐藤さとう秀光ひでみつ解散かいさんコンサートののち矢沢やざわさそわれ相合傘あいあいがさ日比谷ひびやから国会こっかい議事堂ぎじどうまえまで二人ふたりあるいたとはなしている[4]佐藤さとうはこののちおこなったキャロルの二次会にじかいで、ジョニー大倉おおくらがステージでうたっているときに、 りでジェームス藤木ふじきがギターで、佐藤さとうがドラムスで、たてがボーカルでくわわってライブを披露ひろうし、業界ぎょうかい関係かんけいしゃおどろ[4]キングレコードがプロデビューのはなしけた[4]

バイクチーム クールス

編集へんしゅう
  • たてひろし (ボス、大将たいしょう
  • 岩城いわき滉一こういちひろしちゃん)
  • 水口みずぐちはれみゆき (ピッピ)
  • 佐藤さとう秀光ひでみつ (ヒデぼう、ヒデミツ、ブルース・リー)
  • 村山むらやまいちうみ (ムラ)
  • ジェームス藤木ふじき (ジェームス)
  • 飯田いいだ和男かずお (フランク)
  • 梅村うめむら光男みつお社長しゃちょう
  • 玉村たまむらみやびやめ (マチャミ)
  • 渡部わたなべ和裕かずひろ(ターベ)
  • 郷田ごうだ雅之まさゆき (ハーレー)
  • 久木ひさき好文よしふみ(サム)
  • 坂本さかもとあきら(ショウボウ)
  • 中井なかいとおるこう(ヨーチン)
  • 福田ふくだゲン(ゲン)
  • もりケイスケ(モガ)
  • 市川いちかわもとみち(イチカワ)
  • 成川なりかわ潤一じゅんいち(ナリカワ)

だい1 クールス

編集へんしゅう

当初とうしょたてひろしはバンド結成けっせいについては否定ひていてきであったが、キングレコード熱心ねっしん若手わかて社員しゃいん説得せっとくされ[2]、「チームのメンバーをべさせていくため」として、バンド結成けっせい決意けついする[7]

キャロル解散かいさん1975ねん9月たてがバイクチームのなかから選抜せんばつした楽器がっき経験けいけんしゃの7めいと、チームのなかでベースをはじける人間にんげんがいなかったことからジェームス藤木ふじきだて紹介しょうかいした大久保おおくぼ喜市きいちけい8めいで、ロックンロールバンド「クールス(COOLS)」としてシングル「むらさきのハイウェイ」、アルバム『クールスの世界せかい くろのロックン・ロール』でデビュー[2][8]。そのさい岩城いわき滉一こういち参加さんかしておらず、そのまま俳優はいゆうとなった。岩城いわき参加さんかしなかった理由りゆうは、すでに東映とうえい俳優はいゆうとして契約けいやくわしていたからであった[5][9]

結成けっせいメンバーは以下いかの8めい。()ない担当たんとう楽器がっき/ニックネーム。

キャロルが初期しょきビートルズ手本てほんとした8ビートのブリティッシュ・ロックンロールだとすれば、クールスは4ビートのアメリカン・ロックンロールであり、たて手本てほんかんがえていたのはアメリカン・ロックンロールバンドのシャ・ナ・ナen:Sha Na Na)であった(それはたて水口みずぐち村山むらやまさんにんボーカルにもあらわれている)。 後年こうねん本家ほんけシャ・ナ・ナとは来日らいにち公演こうえん共演きょうえん、その模様もようはライブばん『KINGS OF ROCK'N'ROLL』におさめられている。

キングレコードから『くろのロックンロール』『ロックンロール・エンジェルス』『東京とうきょう直撃ちょくげき』『ハローグッドバイ』の4まいアルバムす。また『暴力ぼうりょく教室きょうしつ』『おとこぐみ少年しょうねん刑務所けいむしょ』などの映画えいがにも出演しゅつえんした(ただし、『暴力ぼうりょく教室きょうしつ』にはメンバー全員ぜんいん出演しゅつえんしているが『おとこぐみ少年しょうねん刑務所けいむしょ』には後述こうじゅつ理由りゆうで、水口みずぐちとジェームスは出演しゅつえん拒否きょひしている)。

その1977ねん4がつリーダーのたて脱退だったいのち大久保おおくぼ出版しゅっぱんした「ストレンジブルー」によると、映画えいが主演しゅえんはあくまでもたてひろしであり、そののメンバーは脇役わきやくという状況じょうきょうに、またリーダーとしてすべてをにぎたてたいほかのメンバーから反感はんかんはじめ、そのほかでも映画えいがやマスコミにたいたてと、純粋じゅんすい音楽おんがくだけをやりたいほかのメンバーとでズレがて、次第しだい結束けっそくほこったクールスでも「たてVSメンバー6にん」で修復しゅうふく不可能ふかのう亀裂きれつしょうじてきたことがたて脱退だったい原因げんいん、および水口みずぐち・ジェームスがたてたいしての反感はんかんから、たて主演しゅえん映画えいが出演しゅつえん拒否きょひした理由りゆうらしい。

たて脱退だったいキングレコードにのこり、「たてひろしとセクシーダイナマイツ」を結成けっせい。そのソロとなり、そのまま俳優はいゆうとして東映とうえい所属しょぞく。その石原いしはら裕次郎ゆうじろう俳優はいゆうとしての才能さいのうされ、石原いしはらプロモーション移籍いせきする。

ここでロックバンドとしてのクールスは事実じじつじょう一旦いったん解散かいさんしたといわれる。実際じっさい解散かいさんコンサートもおこなわれ、それを録音ろくおんしたのが前記ぜんきの『ハローグッドバイ』である。そのため、現在げんざいのクールスとはべつだというせつもあるが、たて以外いがいのメンバーでつづけられたのも事実じじつである。たて以外いがいのメンバーはこの時点じてんではすべて解散かいさん反対はんたいし、残留ざんりゅうしてバンド活動かつどうつづけていた(前記ぜんきの「ストレンジブルー」でも、たてが「おれめるけど、おまえたちはつづけるなり、勝手かってにすればいい」というような意味いみ言動げんどうがあったと記述きじゅつされている)。このときクールス(COOLS)という名称めいしょうはキングレコードが権利けんりっていたとおもんでいたため、改称かいしょうせざるをなかった(しかし権利けんりについてはのち誤解ごかい判明はんめい)。水口みずぐちは「たてめるとったとき、まだキングとの契約けいやく半年はんとしのこっていた。それでマネージャーがのこったメンバーに『どうしますか?』ってくから、おれが『このままあたまがいなくなってバンドもめたらカッコわるいだろ』とった。のメンバーは決断けつだん出来できずで、結局けっきょく説得せっとくされてつづけていくことになった。そのわりおれたてをライバルにするという条件じょうけんけた。キングサイドからは『クールス』の名前なまえ使つかわないでくれ、とわれたから『クールス・ロカビリークラブ』に改名かいめいした」などとはなしている[2]

だい2 クールス・ロカビリークラブ~クールスR.C.

編集へんしゅう

そののこりのメンバーでトリオレコード移籍いせき、「クールス・ロカビリークラブ」を結成けっせい村山むらやま水口みずぐちのツインボーカルで人気にんきる。また代目だいめリーダーにドラムの佐藤さとうく(以後いご一貫いっかんして佐藤さとうがリーダーである)。

このだい2からの特筆とくひつすべきは、ジェームス藤木ふじきがグループの音楽おんがくせいおおきく貢献こうけんしたことである。アルバムごとに作曲さっきょくしたナンバーがえてゆき、村山むらやま水口みずぐちのツインボーカル以外いがいかれがリードボーカルをとるきょくえてきた。従来じゅうらいのロックンロール路線ろせんくわえて、ソウルR&Bドゥー・ワップファンクなどの黒人こくじん音楽おんがく裏打うらうちされたかれ音楽おんがくせい近田ちかだ春夫はるお山下やました達郎たつおという筋金入すじがねいりのプロフェッショナルのミュージシャンがたか評価ひょうかしていた。

『クールス・ロカビリークラブ』『BE A GOOD BOY』『THE COOL』『デッドヒート日比谷ひびや』『NEW YORK CITY N.Y.』(山下やました達郎たつおとの共同きょうどうプロデュース)と5まいのアルバムをしたのち1979ねん12月水口みずぐち脱退だったい[2]水口みずぐちはなしだと、「じつは、たてめた時点じてん自分じぶんめたかった」と後年こうねんかたっているが、実際じっさいポリスター移籍いせきすることと、マネジメントへの不満ふまんだったらしい。水口みずぐちは「成功せいこうしてしんゆるみ、金銭きんせんてき疑問ぎもんもあって、おれなかでクールスはわった」などとはなしている[2]

のこったメンバーはさらに、ポリスターレコードに移籍いせき。バンドめいも「クールスR.C.」とした。テレビドラマ『ばくはし!ドーベルマン刑事けいじ』にゲスト出演しゅつえん。アルバム『BIG DEAL』『THE HIT』を発表はっぴょう。そのベースの大久保おおくぼ脱退だったい大久保おおくぼ脱退だったい理由りゆうは、「長年ながねんのバンド活動かつどうから、虚脱きょだつかんかんじたこと」と前記ぜんき「ストレンジブルー」に記述きじゅつされているがたて水口みずぐち場合ばあいとはちがい、脱退だったいもメンバーとは交流こうりゅうがあり、のち復帰ふっきする)。水口みずぐち脱退だったい横山よこやま萩野はぎの加入かにゅうまでの5にん編成へんせい時期じきだい3とするせつもある。

だい3 クールスR.C.

編集へんしゅう

1981ねん10月、それまでスタッフだった横山よこやまけんと、おなじくスタッフだった萩野はぎの知明ともあき(トニー萩野はぎの)がそれぞれボーカルとベースで加入かにゅう村山むらやまいちうみとともにツインボーカルが復活ふっかつ。アルバム『チェンジリングス』『クールスオールディズスペシャル』『ロックンロールジャンキー』『ロックンロールバイブル』『KINGS OF ROCK'NROLL』を発表はっぴょうしたのち1983ねん横山よこやま脱退だったい作詞さくし作曲さっきょくもこなす横山よこやま加入かにゅうにより音楽おんがくせい向上こうじょうしたが、レコード会社かいしゃから「音楽おんがくせいより、もとの『たてひろし時代じだい』のような、かわジャン・リーゼントの不良ふりょうロックにもどせ」とわれ、「自分じぶんはバイクチーム時代じだいからのオリジナルメンバーではないし、自分じぶん音楽おんがく否定ひていされ、キング時代じだいもどすなら自分じぶんいまのクールスにいる意味いみがなくなった」とかんじたことが脱退だったい原因げんいんだった。しかし横山よこやまはクールスのメンバーを尊敬そんけいしており、現在げんざいでもクールスの節目ふしめ節目ふしめ記念きねんにはゲストとして参加さんかしている。

ここで一旦いったん活動かつどう停止ていし解散かいさんではない)。なお1982ねん7がつ9にち、テレビドラマ『ザ・ハングマンIIだい6「ヨガ秘術ひじゅつ しゃべる水死すいしたい」にメンバー全員ぜんいんでゲスト出演しゅつえんしている。

だい4 Original Cools'90(オリジナル・クールス'90)

編集へんしゅう

そのしばらく休眠きゅうみん状態じょうたいだったが、1990ねんもとメンバーの大久保おおくぼびかけ、村山むらやまいちかい佐藤さとう秀光ひでみつ、ジェームス藤木ふじき大久保おおくぼ喜市きいち濱野はまの和男かずお飯田いいだ和男かずおから改名かいめい)のオリジナルメンバーがさい結集けっしゅうし「Original Cools'90(オリジナル・クールス'90)」を結成けっせいする(このときたてひろし、水口みずぐちはれみゆきさそわれたがりょうともことわった)。

大久保おおくぼ喜市きいちのプロデュースでシングル「ROCK THE WORLD」、アルバム『Original Cools '90』、ライブアルバム『ALIVE』を発表はっぴょう。しかしすぐにふたた大久保おおくぼ濱野はまの脱退だったい

だい5 ザ・クールス(THE COOLS)

編集へんしゅう

1992ねん、それまでサポートメンバーだった後藤ごとう直樹なおきもとシャネルズ山崎やまざき廣明ひろあきが、それぞれギターとベースで正式せいしき加入かにゅうし、「ザ・クールス」として再始動さいしどう。レコード会社かいしゃポリスターレコード移籍いせき

アルバム『GoodFellows』『Dyed-in-the-COOL』の2まい発表はっぴょう。16ねんぶりに、日比ひび谷野たにのおとでのコンサートを成功せいこうさせた(ゲスト:大久保おおくぼ喜市きいち横山よこやまけん井倉いくら光一こういちもとMoon Dogs))。

1997ねん後藤ごとう山崎やまざき脱退だったい後藤ごとうはそのもサポートとして参加さんか)。2000ねんには村山むらやま佐藤さとう、ジェームスに横山よこやま濱野はまの萩野はぎの参加さんかし、一時いちじてきにではあるが「COOLS SPECIAL」としてリユニオンメンバー(だい3メンバー)によるさい結成けっせいツアーも実現じつげんしている。

現在げんざい クールス

編集へんしゅう

(THE COOLSのままで表示ひょうじされる場合ばあいもある)

クールスは35ねんときてなお、村山むらやま佐藤さとう、ジェームスを中心ちゅうしん活動かつどうちゅうである(最近さいきんはフランク(濱野はまの)も復帰ふっきし、活動かつどうしているようである)。一時期いちじき現在げんざい後藤ごとう直樹なおきとワンダラーズを和田わだジョージがギターとして正式せいしき参加さんかしていた。

37ねん以上いじょうなが歴史れきし若干じゃっかんあいまいになったてんもあるが、現在げんざいのクールスの正式せいしきメンバーはあくまでも村山むらやまいちかい佐藤さとう秀光ひでみつ、ジェームス藤木ふじき、フランク(濱野はまの)の4にんであり、後藤ごとう直樹なおき和田わだジョージの2人ふたりがサポートとして参加さんかしているようである。

以前いぜんのような大会たいかいじょうでのライブはなくなったが、現在げんざいライブハウス地方ちほう会場かいじょう積極せっきょくてき活動かつどうちゅうである。現在げんざい千葉ちばけん匝瑳そうさに、クールス専用せんようのライブハウス「 HUNGRY 」がある。

2010ねんは、結成けっせいから35周年しゅうねんむかえ、さらにオオクボキイチ(大久保おおくぼ)も復帰ふっきし、たて水口みずぐち以外いがいのオリジナルメンバーでのツアーもおこなわれた。またその一環いっかんとして15ねんりに9月12にち日比ひび谷野たにのおとでのアニバーサリーライブを成功せいこうさせた(ゲスト:横山よこやまけん井倉いくら光一こういち)。

岩城いわきはロックバンドの「クールス」には参加さんかしていないため、メンバーとの確執かくしつく、また元々もともと学生がくせい時代じだいからげんリーダー佐藤さとう友人ゆうじんだったこともあり、佐藤さとう企画きかくするファンとのツーリングとうかおひとし交流こうりゅうつづいている。

日比ひび谷野たにのおとでは、新曲しんきょく「ROCKNROLLER」「MIDNIGHTSTAR」が発売はつばいされた。

2002ねんにはオリジナルメンバーであるオオクボキイチが、デビューから脱退だったいまでのことと、当時とうじのサブカルチャーを独自どくじ視点してんえがいた小説しょうせつ「ストレンジ・ブルー」(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ)を出版しゅっぱんしている。2006ねんあき当時とうじのアルバムの復刻ふっこくばんがキングレコードからリリースされた。

2007ねん11月、世界文化社せかいぶんかしゃから、だい1だい2のボーカリスト水口みずぐちはれみゆき視点してんでクールスをえがいた「原宿はらじゅくブルースカイヘブン」が出版しゅっぱんされた(一時いちじ映画えいがはなしもあったが、しょ事情じじょうにより中止ちゅうしされた)。

2015ねん、デビュー40周年しゅうねんむかえて、シングル「きながらツイスト」(作詞さくし作曲さっきょく横山よこやまけん)を発表はっぴょう、トリビュート・アルバム『A TRIBUTE TO COOLS “GET HOT COOL BLOOD BROTHERS』にも収録しゅうろく神戸こうべ名古屋なごや大阪おおさか東京とうきょうでライブをおこなった。

歴代れきだいメンバー

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Vocal Vocal Vocal Guitar Drums Bass Guitar Guitar Guitar Piano Sax
クールス (1975 - 1977) たてひろし(※3) 水口みずぐちはれみゆき 村山むらやまいちうみ ジェームス藤木ふじき 佐藤さとう秀光ひでみつ 大久保おおくぼ喜市きいち 飯田いいだ和男かずお 梅村うめむら光男みつお(※1)
クールス・ロカビリークラブ

クールスR.C. (1977 - 1981)

佐藤さとう秀光ひでみつ(※3)
クールスR.C. (1981 - 1983) 横山よこやまけん 萩野はぎの知明ともあき
オリジナルクールス90' (1990 - 1992) 大久保おおくぼ喜市きいち 濱野はまの飯田いいだ和男かずお チキンヘッドざかじょう(※2)  さとタカヒロ(※2)
ザ・クールス (1992 - 1997) 山崎やまざき廣明ひろあき 後藤ごとう直樹なおき クレイジーぎん(※2)  佐藤さとう尚行なおゆき(※2)
クールス (1997 - 現在げんざい) オオクボキイチ(大久保おおくぼ喜市きいち) フランク(濱野はまの和男かずお) 後藤ごとう直樹なおき(※2) 和田わだジョージ(※2※4)  佐藤さとう尚行なおゆき(※2)

※1 結成けっせい直後ちょくご脱退だったい
※2 サポートメンバー
※3 リーダー
※4 山崎やまざき脱退だったい一時いちじ正式せいしきメンバーとして参加さんかしていたが現在げんざいはサポートとして参加さんか                                                

ディスコグラフィー

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発売はつばい レーベル 規格きかく 規格きかく品番ひんばん めん タイトル 作詞さくし 作曲さっきょく 編曲へんきょく
クールス
1975ねん9がつ キングレコード EP BS-1957 A むらさきのハイウェイ たちひろし
五大ごだい洋光ひろみつ
近田ちかだ春夫はるお
B あのむすめはステディ・ガール ジョニー大倉おおくら
1976ねん2がつ EP BS-1989 A あま暴力ぼうりょく ジェームス藤木ふじき
B リメンバー
1976ねん7がつ EP GK-18 A こいのテディー・ボーイ 大木おおきトオル
:たちひろし
大木おおきトオル 大木おおきトオル
B バースデイ たちひろし ジェームス藤木ふじき
クールス・ロカビリィ・クラブ
1977ねん6がつ トリオレコード EP PB-606 A ハイスクールクイーン 高坂こうさかみのる 大浜おおはま和史かずし&MIKI COOLS R.C.
B ロンリー・ベースマン ロビー和田わだ
1977ねん11月 EP 3B-120 A Quty Sue 山本やまもとすな ジェームス藤木ふじき
B Be A Good Boy ジェームス藤木ふじき
1978ねん4がつ EP 3B-137 A こいのゴールデンリング 村山むらやまいちうみ
B Skinny Legs Mama ジェームス藤木ふじき
1978ねん9がつ EP 3B-142 A センチメンタル・ニューヨーク 村山むらやまいちうみ
B ふうがかわるまえ 山川やまかわ啓介けいすけ
1979ねん3がつ EP 3B-150 A クライマックス 飯田いいだ和男かずお
B One Night Love 大久保おおくぼ喜市きいち
クールスR.C.
1980ねん4がつ ポリスター EP 6P-2 A カルフォルニア・ブルースカイ クールスRC ジェームス藤木ふじき COOLS R.C.
B Halloween Ball Swingin
1980ねん7がつ EP 6P-7 A T-Bird Cruisin' ジェームス藤木ふじき
B モノローグ 村山むらやまいちうみ 佐藤さとう秀光ひでみつ
1980ねん12月 EP 6P-13 A ラストダンスはCha,Chaで COOLS R.C. ジェームス藤木ふじき
B Do The Steam Train ジェームス藤木ふじき
1981ねん4がつ EP 7P-22 A スウィンギン・ブロードウェイ
B あいしのCha-Cha 村山むらやまいちうみ ジェームス藤木ふじき
1981ねん10がつ EP 7P-34 A シンデレラ・リバティ 横山よこやまけん
B ピコーズ・ユア・ハニー 飯田いいだ和男かずお
1982ねん6がつ EP 7P-49 A ワンダフル・ワールド B.Campbell、H.Alpert、L.Adler
B なみだのベイビーズコール A.Conley、O-Redding
1983ねん10がつ EP 7P-75 A Movie A Go Go 横山よこやまけん
B シンデレラ 近田ちかだ春夫はるお
オリジナルクールス90'
1990ねん6がつ10日とおか MOON 8cmCD AMDM-6012 A ロック・ザ・ワールド オリジナルクールス90'
B Good-by Angel
ザ・クールス
1993ねん7がつ21にち スターランド 8cmCD SIDN-5 A こいのHurry Up Train ジェームス藤木ふじき ザ・クールス
B Basement Rock'n'Roll Club 佐藤さとう秀光ひでみつ
クールス
2010ねん9がつ22にち SOLID CD CDSOL-1376 A ロックン・ローラー 村山むらやまいちうみ
ジェームス藤木ふじき
ジェームス藤木ふじき クールス
B ミッドナイト スター 村山むらやまいちうみ
  1. クールスの世界せかい~くろのロックン・ロール(1975ねん9がつ21にちキング
  2. ロックン・ロール・エンジェルス(1976ねん7がつ21にち)キング
  3. 東京とうきょう直撃ちょくげき~クールス・ライヴ(1976ねん11月21にち)キング
  4. ハロー・グッドバイ(1977ねん4がつ21にち)キング
  5. クールス・ロカビリー・クラブ(1977ねん6がつ25にちトリオ(プレイボーイ)
  6. ビー・ア・グッド・ボーイ(1977ねん11月10にち)トリオ
  7. ザ・クール(1978ねん4がつ25にち)トリオ
  8. デッド・ヒート・日比谷ひびや(1978ねん10がつ25にち)トリオ
  9. NEW YORK CITY N.Y.(1979ねん3がつ25にち)トリオ
  10. デッドストック 1977~1979(1980ねん2がつ25にち)トリオ
  11. ビッグ・ディール(1980ねん7がつ25にちポリスター
  12. ザ・ヒット(1981ねん4がつ25にち)ポリスター
  13. Changelings~Born Busters Again~(1981ねん10がつ25にち)ポリスター
  14. オールディーズ・スペシャル(1982ねん6がつ25にち)ポリスター
  15. ロックン・ロール・ジャンキー(1983ねん10がつ21にち)ポリスター
  16. ロックン・ロール・バイブル(1983ねん12月1にち)ポリスター
  17. キングス・オブ・ロックン・ロール(1984ねん4がつ21にち)ポリスター
  18. Original Cools '90(1990ねん6がつ25にちMOON
  19. Original Cools '90 ALIVE(1990ねん10がつ25にち)イーストウエスト
  20. Good Fellows(1993ねん8がつ)スターランド
  21. Dyed In The Cool(1995ねん9がつ21にちセンチュリー
  22. Rock'n Roll Explosion in 日比谷ひびや(1995ねん2がつ25にち)ポリスター
  23. Super Live(2000ねん8がつ19にちシルバーレコード
  24. クールス・ライブ!デッドヒート・イン・ヒビヤ 2010.9.12(2010ねん12月25にち)CHOPPER

編集へんしゅうばん・BOX

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  1. Cools History Vol.1~3(1990ねん11月21にち)キング *キング時代じだいぜん音源おんげんをまとめたシリーズ(*Vol.2 に収録しゅうろくされている「東京とうきょう直撃ちょくげき~クールス・ライヴ」は何故なぜか6きょくカットされている)
  2. クールスR.C.~トリオ・イヤーズ(2004ねん8がつ25にち)アブソード・ミュージック *トリオ時代じだいのシングルA・Bめん、アルバム、ライブより編集へんしゅうした2まいぐみCD
  3. ゴールデン☆ベスト(2006ねん3がつ25にち)ウルトラ・ヴァイヴ *ポリスター時代じだいのシングルA・Bめん、アルバム、ライブより編集へんしゅうした2まいぐみCD
  4. GREAT&REALLY ROCKIN'GIANT~35th CD&DVD BOX ポリスター・イヤーズ(2010ねん8がつ28にち)SOLID *10CD+3DVD
  5. コンプリート・コレクションBOX トリオ・イヤーズ 1977-1979 I AIN'T GONNA BE GOOD(2019ねん5がつ29にち)SOLID *6CD+1DVD

映像えいぞう(DVD)

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  1. ROCK'N ROLL EXPLOSION IN 日比谷ひびや(2003ねん6がつ25にち
  2. COOLS R.C LIVE(2003ねん6がつ25にち
  3. 30th HISTORY~EVERYTHING WE SAID WAS COOL(2006ねん2がつ15にち
  4. BIG POWER SHOW 33th 2008.7.20(2008ねん11月6にち
  5. デッドヒート・イン・ヒビヤ 2010(2011ねん7がつ25にち
  6. ライヴ・アット・後楽園こうらくえんホール(2011ねん8がつ10日とおか
  7. クールス40周年しゅうねん記念きねんライブDVD
  8. COOLS 40TH ANNIVERSARY LIVE 2015 LIVE at EX THEATER ROPPONGI 21st Sep.2015

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日本にほんテレビ「ラジかるッ」での発言はつげんより
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 「クールス伝説でんせつ 水口みずぐち"ピッピ"はれみゆきインタビュー」『週刊しゅうかん実話じつわ』2013ねん9がつ26にちごう日本ジャにほんじゃナル出版なるしゅっぱん、119–121ぺーじ 
  3. ^ TBS「ズバリうわよ!」に出演しゅつえんした岩城いわき滉一こういちだん
  4. ^ a b c d ブラック ・マーシー 矢沢やざわ永吉えいきち と COOLS
  5. ^ a b わたし地図ちず 岩城いわき滉一こういち」『週刊しゅうかん現代げんだい』2013ねん3がつ9にちごう講談社こうだんしゃ、82ぺーじ 
  6. ^ 『VIBES』2006ねん7がつごう巻頭かんとう特集とくしゅうより。
  7. ^ 遠藤えんどうなつあきらちょ原宿はらじゅくブルースカイヘブン」より
  8. ^ むらさきのハイウェイ」は矢沢やざわ永吉えいきち五大ごだい洋光ひろみつ名義めいぎ作曲さっきょく、『クールスの世界せかい くろのロックンロール』はジョニー大倉おおくらがプロデュース
  9. ^ 岩城いわき滉一こういちおとこ56さいあそびの美学びがく | プレジデントオンライン内藤ないとうまこと監督かんとくばか』いろどりりゅうしゃ、2014ねん、80、122ぺーじぺーじISBN 9784779170164 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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