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チベット民族 - Wikipedia

チベット民族みんぞく(チベットみんぞく、英語えいご: Tibetan peopleまたはTibetans)は、ユーラシア大陸たいりく中央ちゅうおうチベット高原こうげんうえ分布ぶんぷする民族みんぞくチベットはなし、人種じんしゅてきにはモンゴロイドぞくする。

チベット民族みんぞく
བོད་པ་
そう人口じんこう
やく670まんにん
居住きょじゅう地域ちいき
中華人民共和国の旗 中国ちゅうごく(おもチベット自治じち)
ネパールの旗 ネパール
インドの旗 インド
ブータンの旗 ブータン
言語げんご
チベットゾンカ普通ふつうばなしネパールなど
宗教しゅうきょう
おもチベット仏教ぶっきょう
チベットじん少女しょうじょアバしゅう-四川しせんしょう

概要がいよう

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チベット民族みんぞくチベット高原こうげん一体いったい分布ぶんぷし、シナ・チベット語族ごぞくチベット・ビルマチベットもちいる。7世紀せいき国王こくおうソンツェンガムポいのちによってインド派遣はけんされたトンミ・サムボータによってつくられたという伝承でんしょう独自どくじ表音ひょうおん文字もじチベット文字もじ)をつ。中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくブータンインドネパールなどに分布ぶんぷする。

チベットでは「プーリー」 (bod rigs) と自称じしょうする。 「プー」はチベット、「リー」は種族しゅぞく民族みんぞく

現在げんざい「チベット民族みんぞく=プーリー(བོད་རིགས,bod rigs)」は、包含ほうがんする内実ないじつ相違そういするふたつの用法ようほうもちいられている。

  1. ぜん近代きんだい以来いらいもちいられている伝統でんとうてき用法ようほうは、チベット本土ほんど人々ひとびと「プーパ」と、ブータンラダックシッキムなどの諸国しょこく人々ひとびとなどをあわせた、チベットけい人々ひとびとたいする総称そうしょう
  2. 中国ちゅうごく統治とうち近年きんねんもちいられはじめた用法ようほうは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく国民こくみん構成こうせいする少数しょうすう民族みんぞくひとつ「なか: ぞうぞく(ぞうぞく)=チベットぞく」ととうおけされるチベット呼称こしょう。これは、中国ちゅうごく国民こくみん民族みんぞく識別しきべつ工作こうさくによって民族みんぞくべつ区分くぶんするさい、チベット民族みんぞく複数ふくすう集団しゅうだんに「識別しきべつ」することによって成立せいりつした概念がいねんで、羌族メンパぞくかどともみぞく)やロッパぞくらくともえぞく)などに「識別しきべつ」された人々ひとびとは、「ぞうぞく」とは別個べっこの「民族みんぞく」と位置付いちづけられ、それぞれが個別こべつ中国ちゅうごくの55の少数しょうすう民族みんぞくひとつとしての法的ほうてき地位ちいゆうするとされている。またブータン、ラダック、シッキムなど中国ちゅうごく国民こくみんではない人々ひとびとも、この「プーリー(ぞうぞく)」にはふくまれない。

この民族みんぞくおもブータンネパールインド中国ちゅうごくの4かこく分布ぶんぷする。ブータンはこの民族みんぞく自身じしん樹立じゅりつした唯一ゆいいつ国際こくさい連合れんごう加盟かめいこくで、の3かこくにおいては「少数しょうすう民族みんぞく」として分布ぶんぷしているが、伝統でんとうてき分布ぶんぷ地域ちいきだい部分ぶぶんにおいて、人口じんこう多数たすうめている。この民族みんぞく分布ぶんぷ地域ちいき面積めんせき人口じんこうとも、だい部分ぶぶん中国ちゅうごく統治とうちにおかれている。この民族みんぞく唯一ゆいいつ独立どくりつ国家こっかブータンは、歴史れきしてきにはチベット辺境へんきょう地方ちほう位置いちし、政治せいじ文化ぶんか中心ちゅうしんヤルンツァンポかわ流域りゅういきは、現在げんざい中国ちゅうごく設置せっちした行政ぎょうせい単位たんい西蔵とりぞう地方ちほう中枢ちゅうすうめる。人口じんこうは、ブータンやく60まんにん中国ちゅうごくで5,416,021にん[1]亡命ぼうめいチベットじんやく15まんにんなど、4かこくやく600まんにん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく弾圧だんあつ政策せいさくによりやく1/5の人口じんこううしなったとされる[2]

中国ちゅうごくにおける分布ぶんぷ

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中国ちゅうごくにおける民族みんぞく識別しきべつ工作こうさくでは、この民族みんぞくを「ぞうぞく(ツァンズー)」のほか、ロッパぞくメンパぞく羌族(きょう-ぞく,チャンぞく)などの「民族みんぞく」に区分くぶんかく民族みんぞく」は民族みんぞく区域くいき自治じち政策せいさくもとづき、あつまりじゅう地域ちいきには自治じち行政ぎょうせい単位たんい設定せっていみとめられている。

チベット自治じちには241まんにん青海あおみしょうには113まんにん甘粛かんせいしょうには36まんにん四川しせんしょうには122まんにん雲南うんなんしょうには13まんにんいるとわれている。

自治じち

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自治じちしゅう

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自治じちけん

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民族みんぞくきょう

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ネパールにおける分布ぶんぷ

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ネパールチベットじん行商ぎょうしょう

インドにおける分布ぶんぷ

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ブータンにおける分布ぶんぷ

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ブータンの国土こくどは、標高ひょうこう3500 - 7000mの山地さんちめる北部ほくぶと、中央ちゅうおう、インド平原へいげんつらなる南部なんぶからなるが、チベットけい人々ひとびとは、しゅとして中央ちゅうおう居住きょじゅうし、南部なんぶ地方ちほうではネパールけい住民じゅうみん多数たすうめる。

ブータンにおいてはチベットきんえんゾンカ母語ぼごとするガロン英語えいごばん(Ngalong)が人口じんこう筆頭ひっとうめるが、狭義きょうぎのチベット民族みんぞくぞうぞく)はすうせんにんぎない。

チベットはなす。通常つうじょうチベットウ・ツァンチベットアムド・チベットカム・チベットの3す。ラサ方言ほうげん標準ひょうじゅんチベットわれる。

文化ぶんか宗教しゅうきょう

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宗教しゅうきょうとしてはだい多数たすうが、8世紀せいき国教こっきょうさだめられたチベット仏教ぶっきょう信者しんじゃであるが、近年きんねんでは世俗せぞくすすんでいる。またボンきょうイスラムきょう信者しんじゃもいる。

チベット民族みんぞくつきしつもとづいてにちつきとし計算けいさんする独自どくじのカレンダーを使つかう。なに世紀せいきにもわたる開発かいはつのち、 チベットれき成熟せいじゅくしたシステムになった。

遺伝子いでんし

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父系ふけい遺伝子いでんし

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ハプログループD、C、Fの分布ぶんぷ

チベットでは、D1a1a-M15が16%、D1a1b⁻P99が33%、とD1a1-Z27276系統けいとうだけでやく半数はんすうの49%をめている[3]べつ調査ちょうさでは、ハプログループDが42.9%、ハプログループO2が40.0%、ハプログループNが8.6%、ハプログループR1a1が8.6%である[4]ハプログループD相当そうとう頻度ひんど存在そんざいするのは日本にっぽんチベットおよびアンダマン諸島しょとうのみである(日本にっぽんでは32%前後ぜんご沖縄おきなわでは55%前後ぜんこうアイヌでは88%前後ぜんご、チベットではやく30~50%、アンダマン諸島しょとう南部なんぶでは73%)。ただし、それぞれの地域ちいきでタイプはことなっており(アンダマン諸島しょとう(ジャラワぞくオンゲぞく)はパラグループD1a3、日本にっぽん列島れっとう(大和やまと民族みんぞくアイヌ民族みんぞく琉球りゅうきゅう民族みんぞく)はハプログループD1a2、チベット民族みんぞくはハプログループD1a1)[5]各々おのおの分岐ぶんき年代ねんだいすくなくとも3.5まんねん以上いじょうまえである[6]。またチベットじんからはD系統けいとうとE系統けいとうがたDEから直接ちょくせつ分岐ぶんきしたDE*もわずかに観察かんさつされている[7]

ヒトは、酸素さんそうす環境かんきょうではヘモグロビンりょう増加ぞうかさせる遺伝子いでんしEPAS1英語えいごばんっている。しかし、ヘモグロビンがえすぎると、高血圧こうけつあつしょうや、新生児しんせいじてい体重たいじゅうおよび死亡しぼう原因げんいんとなる。しかし、チベットじんは、ヘモグロビンの生産せいさんりょう抑制よくせいするようにEPAS1が変異へんいしているとされ、これはデニソワじん交配こうはいしたさい獲得かくとくしたとのせつがある。これにより、チベットじん高地こうちでの生活せいかつ適応てきおうしたとされる[8]

5世紀せいきごろからホタン方面ほうめんからはいってきた遊牧民ゆうぼくみん政権せいけん王国おうこく建設けんせつした。テュルク諸語しょごモンゴルなどではトベットとよび、漢文かんぶんでは吐蕃しるされる。7世紀せいきごろもりつよしとなる。その民族みんぞくによる直接ちょくせつ支配しはいけたことがなく、1642ねんにはダライ・ラマ政権せいけん成立せいりつした。

1723-32ねんの「雍正のチベット分割ぶんかつ」により、チベットの東部とうぶアムド全域ぜんいきカム東部とうぶ)の諸侯しょこう分割ぶんかつされて青海あおみおよびチベットに隣接りんせつする甘粛かんせい四川しせん雲南うんなんぶんぞくし、西にしやすしべん事大じだいしん甘粛かんせい雲南うんなんめぐなで四川しせん総督そうとくなどの中国ちゅうごく地方ちほうかんよりろくの「兵部ひょうぶ」をかいし、清朝せいちょう皇帝こうていから所領しょりょう安堵あんどけることとなった。つづきダライ・ラマとチベット政府せいふガンデンポタン管轄かんかつかれたチベットの中央ちゅうおうウーツァン)および西部せいぶ(ガリ)は、中国ちゅうごくがわではまとめて「西蔵とりぞう」としょうされるようになった。

1912ねんからし革命かくめいにより清国きよくに滅亡めつぼうすると、ガンデンポタンはチベット全土ぜんど奪還だっかん目指めざして東征とうせいぐんこしたが、甘粛かんせい青海あおみ掌握しょうあくするうま政権せいけん四川しせん雲南うんなん地方ちほう政権せいけんなどにはばまれた。その中華民国ちゅうかみんこくぜん時期じき(1912-1949)をつうじ、中国ちゅうごく地方ちほう政権せいけんがチベットの東部とうぶ分割ぶんかつ支配しはいし、チベットの西部せいぶ中央ちゅうおうをガンデンポタンが掌握しょうあくするという形勢けいせいわらなかった。

1949ねん建国けんこくした中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくは、まず1949ねんから1950ねんにかけて中華民国ちゅうかみんこくしょ地方ちほう政権せいけん支配しはいしていたチベット東部とうぶ掌握しょうあく、ついで1950ねんにガンデンポタン治下ちかのカム地方ちほう西部せいぶ侵攻しんこうよく1951ねんにはガンデンポタンを屈服くっぷくさせて(じゅうななヶ条かじょう協定きょうてい)チベットの西部せいぶ中央ちゅうおう制圧せいあつした(いわゆる西蔵にしくら和平わへい解放かいほう)。1955ねん、チベットの東部とうぶ勃発ぼっぱつしたこうちゅう蜂起ほうきは1959ねん中央ちゅうおうチベットに波及はきゅう、1959ねん3がつ10日とおかのラサ市民しみん蜂起ほうき中国ちゅうごくぐんによる鎮圧ちんあつをへて[9]、チベットの君主くんしゅダライ・ラマ、チベット政府せいふガンデンポタン、やく10まんにん難民なんみんがチベットを脱出だっしゅつし、チベットの全土ぜんど中国ちゅうごく直接ちょくせつ統治とうちまれた。

2017ねん現在げんざい独立どくりつ国家こっかとしてブータン王国おうこくっているが、地域ちいきでは他国たこく支配しはいけている。とく中国ちゅうごく支配しはいのチベット本土ほんどにおいては自治じち拡大かくだい主張しゅちょうしている。

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 中国ちゅうごく2000ねん国勢調査こくせいちょうさだい5人口じんこうひろし統計とうけいでチベットぞくぞうぞく)として識別しきべつされたかず中国ちゅうごく政府せいふ公認こうにんする56の民族みんぞくなかで10番目ばんめおお
  2. ^ ダライ・ラマ14せいとチベット”. ダライ・ラマ法王ほうおう日本にっぽん代表だいひょう事務所じむしょ. 2012ねん9がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2019ねん4がつ30にち閲覧えつらん
  3. ^ Hammer MF, Karafet TM, Park H et al. (2006). "Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes". J. Hum. Genet. 51 (1): 47–58. doi:10.1007/s10038-005-0322-0. PMID 16328082.
  4. ^ Yali Xue et al 2006, Male demography in East Asia: a north-south contrast in human population expansion times Archived September 6, 2008, at the Wayback Machine.
  5. ^ 崎谷さきやみつる 『DNAがかす日本人にっぽんじん系譜けいふつとむまこと出版しゅっぱん
  6. ^ Shi, Hong; Zhong, Hua; Peng, Yi; Dong, Yong-li; Qi, Xue-bin; Zhang, Feng; Liu, Lu-Fang; Tan, Si-jie et al. (October 29, 2008). “Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations”. BMC Biology (BioMed Central) 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782. http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45 August 4, 2018閲覧えつらん.   
  7. ^ Shi H, Zhong H, Peng Y et al. (2008). "Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations". BMC Biol. 6: 45. doi:10.1186/1741-7007-6-45. PMC 2605740. PMID 18959782.
  8. ^ Richard INGHAM (2014ねん7がつ3にち). “チベットじん高地こうち適応てきおう能力のうりょく絶滅ぜつめつ人類じんるい系統けいとうから獲得かくとく国際こくさい研究けんきゅう. AFPBB News. https://www.afpbb.com/articles/-/3019567 2014ねん7がつ5にち閲覧えつらん 
  9. ^ マッシモ・イントロヴィーニャ (2018ねん12月13にち). “1959ねんのラサのたたかいはどのようにしてきたのか - 今週こんしゅう特集とくしゅう”. Bitter Winter (日本語にほんご). 2019ねん3がつ19にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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