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チャガタイ語 - Wikipedia

チャガタイ

テュルクけい言語げんご使つかわれた地域ちいき中央ちゅうおうアジア。絶滅ぜつめつした言語げんご

チャガタイ(チャガタイご)は、中央ちゅうおうアジアテュルクけい言語げんご基礎きそとし、それにペルシアアラビア語彙ごい語法ごほうくわえた言語げんごチャガタイ・トルコともばれる。現在げんざい死語しごである。

チャガタイ
جغتای Jağatāy
はなされるくに だいホラーサーン (中央ちゅうおうアジア)
消滅しょうめつ時期じき 20世紀せいき初頭しょとう
言語げんご系統けいとう
言語げんごコード
ISO 639-2 chg
ISO 639-3 chg
Linguist List chg
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15世紀せいきティムールあさ時代じだい中心ちゅうしん中央ちゅうおうアジアイラン東部とうぶ発達はったつした文語ぶんごで、20世紀せいきまで中央ちゅうおうアジア、みなみロシアなどの地域ちいき使用しようされた[1]13世紀せいきから17世紀せいきにかけて中央ちゅうおうアジアに存在そんざいしたチャガタイ・ハンこく(チャガタイ・ウルス)に遊牧民ゆうぼくみん総称そうしょうである「チャガタイ」に由来ゆらいする[2][3]

特徴とくちょう

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過去かこ中央ちゅうおうアジアで使用しようされていたカラハンちょうトルコホラズム・テュルク(ホラズム・トルコ英語えいごばんがチャガタイ前身ぜんしんであるとかんがえられているが[3]、ホラズム・テュルクがチャガタイ成立せいりつにどのように関連かんれんしたかは不明ふめいてんおお[4]

チャガタイはペルシアしきアラビア文字もじ表記ひょうきされる[5]語彙ごいシンタックスはペルシア影響えいきょうつよけている[1]。チャガタイテュルクけい民族みんぞく伝統でんとうてき音節おんせつ単位たんいとする韻律いんりつではなくペルシア韻律いんりつもとづいており、ペルシア、アラビア語彙ごいおおふくむためにペルシア伝統でんとう継承けいしょうする文学ぶんがくえる[6]

15世紀せいき以降いこうのチャガタイ変遷へんせんは15世紀せいき前半ぜんはんぜん古典こてん時代じだい、15世紀せいき後半こうはんから16世紀せいき古典こてん時代じだい17世紀せいきから20世紀せいき初頭しょとうのち古典こてん時代じだい分類ぶんるいできる[4]。15世紀せいき前半ぜんはんのティムールあさではサッカーキー、ルトゥフィー、ハイダルらの文人ぶんじん保護ほごけ、韻文いんぶんなどのチャガタイ文学ぶんがく作品さくひん執筆しっぴつした。ぜん古典こてん時代じだいぞくする文人ぶんじん作品さくひんはナヴァーイー、バーブル次世代じせだい著述ちょじゅつにもよくられ、古典こてん時代じだいのチャガタイ文学ぶんがく直結ちょっけつするものとなすことができる[4]

15世紀せいきのティムールあさ時代じだいヘラートサマルカンドなどの都市とし文化ぶんか発展はってんによって、チャガタイ、チャガタイ文学ぶんがく確立かくりつ促進そくしんされたとかんがえられている[4]。チャガタイ文学ぶんがく確立かくりつにおいてはティムールあさ以前いぜんのテュルク文学ぶんがく伝統でんとう影響えいきょうりょくつよいものとはがたく、ティムールあさ宮廷きゅうてい使用しようされていたウイグル文字もじ伝統でんとうとのつながりもられない[7]分野ぶんや形式けいしき文体ぶんたい古典こてんペルシア、ペルシア文学ぶんがく影響えいきょうつよく、文人ぶんじんたちの関心かんしんはペルシア文学ぶんがく規範きはんのっとった作品さくひん著述ちょじゅつあつまっていた[4]古典こてん時代じだい作家さっかのうち、ナヴァーイー、バーブルがのこした作品さくひん規模きぼ内容ないようにおいてぜん古典こてん時代じだい作品さくひんおおきく上回うわまわり、かれらの作品さくひんはチャガタイ文学ぶんがく頂点ちょうてん位置付いちづけられる[4]。ティムールあさ活躍かつやくしたナヴァーイー、ジャーミーらのチャガタイ文学ぶんがくオスマン帝国ていこく文学ぶんがく作品さくひんにも影響えいきょうあたえている[3]

ティムールあさ末期まっき詩人しじん政治せいじであるナヴァーイーはチャガタイがペルシア、アラビア比肩ひけんする文語ぶんごであると主張しゅちょうし、『ハムサ(さく)』などのおおくの韻文いんぶんのこし、文語ぶんごとしてのチャガタイ確立かくりつ貢献こうけんした[1]。ティムールあさ王子おうじであるバーブルはインドムガル帝国ていこくてたのち日記にっきとメモをもと年代ねんだい形式けいしき回想かいそうろくバーブル・ナーマ』を執筆しっぴつした[8]。ペルシアにも堪能かんのうだったバーブルが回想かいそうろく執筆しっぴつにチャガタイ選択せんたくした理由りゆうについてバーブル自身じしんなにべていないが、当時とうじのペルシア歴史れきししょ文体ぶんたい大仰おおぎょう修辞しゅうじはしっていたため、簡潔かんけつ明確めいかく文章ぶんしょうこのむバーブルの嗜好しこうわなかったためだとかんがえられている[9]。ナヴァーイー、バーブルは詩文しぶんだけでなく理論りろんかんする著作ちょさくのこしており、バーブルは『韻律いんりつろん』のなかでナヴァーイーが『しょ韻律いんりつ天秤てんびん』でべた理論りろん批判ひはんげかけている[10]

16世紀せいき初頭しょとうにティムールちょうウズベク国家こっかシャイバーニーあさブハラ・ハンこく)によってほろぼされたのち、チャガタイとチャガタイ文学ぶんがく伝統でんとうはウズベクじん支配しはいしゃがれ、ティムールあさほろぼしたムハンマド・シャイバーニー・ハン自身じしんもチャガタイ著作ちょさくのこしている[4]。17世紀せいき以降いこうのち古典こてん時代じだいはチャガタイ文学ぶんがく衰退すいたいとされ、おおくの文人ぶんじん詩人しじん作品さくひん発表はっぴょうしたものの、ナヴァーイー、バーブルにならぶものはあらわれなかった[4]こう古典こてん時代じだいのチャガタイ文学ぶんがく中心ちゅうしんヒヴァコーカンドであり、ヒヴァ・ハンこく君主くんしゅアブル=ガーズィーコーカンド・ハンこく君主くんしゅウマル・ハンとそのナーディラらが重要じゅうよう著作ちょさくとしてげられている[4]

16世紀せいき以降いこうチャガタイひがしトルキスタン、きたインド、クリミア半島くりみあはんとう、ヴォルガ・ウラル地方ちほうにも普及ふきゅうし、使用しよう範囲はんい拡大かくだいともなってチャガタイ西方せいほうのテュルク、チャガタイとペルシア対訳たいやく辞書じしょ編纂へんさんされる[4]18世紀せいき以降いこうきよし王朝おうちょう統制とうせいにあったひがしトルキスタンのムスリム貴族きぞくしょう宮廷きゅうていでは、おおくのペルシア歴史れきししょ文学ぶんがく作品さくひんがチャガタイ翻訳ほんやくされた[11]ひがしトルキスタンで活躍かつやくした宮廷きゅうてい詩人しじんとしては、18世紀せいき前半ぜんはんスーフィー詩人しじんザリーリー、カシュガル詩人しじんニザーリーらが注目ちゅうもくされている[11]ホラズム地方ちほうひがしトルキスタンではチャガタイ行政ぎょうせい公用こうようとしても使用しようされたが[12]、チャガタイ普及ふきゅうには文学ぶんがく作品さくひんたした役割やくわりおおきく、公用こうようとしての役割やくわり広域こういきてき機能きのうしていたかは意見いけんかれる[4]。テュルクけんではそれぞれの地域ちいき使用しようされている口語こうご影響えいきょうけたチャガタイ地域ちいきてき変種へんしゅあらわはじめ、これらの変種へんしゅは「トゥルキー」とばれることがある[4]1918ねんころブハラ作家さっか思想家しそうかであるアブドゥラウフ・フィトラトチャガタイ談話だんわかいという文芸ぶんげいサークルを創設そうせつし、その活動かつどうなかでチャガタイ見直みなおしにんだ[13]。フィトラトはチャガタイ口語こうご語彙ごい文体ぶんたいれた簡明かんめい言葉ことばえ、テュルクけい民族みんぞくの「トルキスタンじん」としての民族みんぞく意識いしき高揚こうようはかった[13]。チャガタイ談話だんわかい創設そうせつ前後ぜんごには中央ちゅうおうアジアの伝統でんとうてき口承こうしょう文学ぶんがく採集さいしゅう結果けっか文章ぶんしょうしようとするこころみもなされ、アルタイ山脈さんみゃく地方ちほう起源きげんつとされる民族みんぞく叙情詩じょじょうし『アルパミシュ』のチャガタイやくが1901ねん、1923ねんことなる著述ちょじゅつによって刊行かんこうされた[13]。1924ねんウズベク・ソビエト社会しゃかい主義しゅぎ共和きょうわこく建国けんこく準備じゅんび一環いっかんとして、チャガタイ公式こうしき名称めいしょうは「ウズベク」にあらためられた[14]。「ウズベク」は15世紀せいき著述ちょじゅつであるミール・アリー・シール・ナヴァーイーらの文人ぶんじんにウズベクじんとしてのアイデンティティを付与ふよするために使用しようされたが、エドワード.A.オールワースは「ウズベク」の名称めいしょうは「地域ちいき文学ぶんがくゆがめたもの」だと批判ひはんした [15]

20世紀せいきはいると、チャガタイあたらしく成立せいりつしたウズベクしんウイグルってわられるが、中央ちゅうおうアジアではチャガタイ・チャガタイ文学ぶんがく価値かちはなおもたもたれている[4]カザフ[5]カラカルパク[16]でもかつてはチャガタイ文章ぶんしょうとして使用しようされていた。チャガタイはウズベク文語ぶんごしんウイグル文語ぶんご基礎きそとなり、ウズベク口語こうごなかもっともチャガタイ特徴とくちょういでいる言語げんごわれている[12]新疆しんきょうウイグル自治じちウルムチでは過去かこのチャガタイ文学ぶんがく発掘はっくつ紹介しょうかいさかんにおこなわれ、しんウイグルあらためられた作品さくひんおお刊行かんこうされている[11]

おも文学ぶんがく作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 間野まの「チャガタイ」『しんイスラム事典じてん』、336ぺーじ
  2. ^ V.V.バルトリド『トルキスタン文化ぶんか』1かん小松こまつ久男ひさお監訳かんやく, 東洋文庫とうようぶんこ, 平凡社へいぼんしゃ, 2011ねん2がつ)、216ぺーじ
  3. ^ a b c 濱田はまだ「チャガタイ」『岩波いわなみイスラーム辞典じてん』、633ぺーじ
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 菅原すがわら「チャガタイ文学ぶんがく」『中央ちゅうおうユーラシアを事典じてん収録しゅうろく平凡社へいぼんしゃ, 2005ねん4がつ)、335-336ぺーじ
  5. ^ a b しょう垣内かきうち正弘まさひろ「カザフ」『言語げんごがくだい辞典じてんだい1かん収録しゅうろく三省堂さんせいどう, 1988ねん3がつ)、1148ぺーじ
  6. ^ 島田しまだ「タジク・ウズベク民族みんぞく文学ぶんがく創成そうせい」『中央ちゅうおうアジアをるための60しょうだい2はん、113-114ぺーじ
  7. ^ 菅原すがわらあつし「チャガタイ・トルコ成立せいりつ文学ぶんがくてき伝統でんとう」『神戸市外国語大学こうべしがいこくごだいがく外国がいこくがく研究けんきゅう』39ごう収録しゅうろく神戸市外国語大学こうべしがいこくごだいがく外国がいこくがく研究所けんきゅうじょ, 1998ねん3がつ)、129-130ぺーじ
  8. ^ 間野まの『バーブル』、54ぺーじ
  9. ^ 間野まの『バーブル』、64ぺーじ
  10. ^ 間野まの『バーブル』、67-68ぺーじ
  11. ^ a b c 濱田はまだ正美まさみ中央ちゅうおうアジアときよし王朝おうちょう」『中央ちゅうおうアジア収録しゅうろく(竺沙まさあきら監修かんしゅう間野まの英二えいじ責任せきにん編集へんしゅう, アジアの歴史れきし文化ぶんか8, 同朋どうほうしゃ, 1999ねん4がつ)、175-176ぺーじ
  12. ^ a b しょう垣内かきうち「チュルク諸語しょご」『言語げんごがくだい辞典じてんだい2かん、942ぺーじ
  13. ^ a b c 坂本さかもとつとむ『トルコ民族みんぞく世界せかい』、93-94ぺーじ
  14. ^ Schiffman, Harold (2011). Language Policy and Language Conflict in Afghanistan and Its Neighbors: The Changing Politics of Language Choice. Brill Academic. pp. 178–179. ISBN 978-9004201453. https://books.google.com/books?id=tdEyAQAAQBAJ&pg=PA179&dq=Chagatai+%22Old+Uzbek%22+official&hl=en&sa=X&ei=FaFjUrfrAtGS0QXpq4CICg&ved=0CE0Q6AEwBA#v=onepage&q=Chagatai%20%22Old%20Uzbek%22%20official&f=false 
  15. ^ Allworth, Edward A. (1990). The Modern Uzbeks: From the Fourteenth Century to the Present: A Cultural History. Hoover Institution Press. pp. 229–230. ISBN 978-0817987329. https://books.google.com/books?id=beCoAAAAQBAJ&pg=PT202&dq=Chagatai+%22Old+Uzbek%22+official&hl=en&sa=X&ei=FaFjUrfrAtGS0QXpq4CICg&ved=0CFcQ6AEwBg#v=onepage&q=Chagatai%20%22Old%20Uzbek%22%20official&f=false 
  16. ^ しょう垣内かきうち正弘まさひろ「カラカルパク」『言語げんごがくだい辞典じてんだい1かん収録しゅうろく三省堂さんせいどう, 1988ねん3がつ)、1148ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 坂本さかもとつとむ『トルコ民族みんぞく世界せかい』(慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい, 2006ねん5がつ
  • 島田しまだ志津しづおっと「タジク・ウズベク民族みんぞく文学ぶんがく創成そうせい」『中央ちゅうおうアジアをるための60しょうだい2はん収録しゅうろく宇山うやま智彦ともひこ編著へんちょ, エリア・スタディーズ, 明石書店あかししょてん, 2010ねん2がつ
  • しょう垣内かきうち正弘まさひろ「チュルク諸語しょご」『言語げんごがくだい辞典じてんだい2かん収録しゅうろく三省堂さんせいどう, 1989ねん9がつ
  • 菅原すがわらあつし「チャガタイ文学ぶんがく」『中央ちゅうおうユーラシアを事典じてん収録しゅうろく平凡社へいぼんしゃ, 2005ねん4がつ
  • 濱田はまだ正美まさみ「チャガタイ」『岩波いわなみイスラーム辞典じてん収録しゅうろく岩波書店いわなみしょてん, 2002ねん2がつ
  • 間野まの英二えいじ「チャガタイ」『しんイスラム事典じてん収録しゅうろく平凡社へいぼんしゃ, 2002ねん3がつ
  • 間野まの英二えいじ『バーブル』(世界せかいリブレットじん, 山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ, 2013ねん4がつ

関連かんれん項目こうもく

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