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パブ - Wikipedia

パブ

イギリスで発達はったつした酒場さかば

パブPub)とは、イギリス発達はったつした酒場さかばのこと。パブリック・ハウス(Public House)のりゃく[1]類似るいじ呼称こしょうバーがある。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくではどうスタイルの酒場さかばはバーとなる。日本にっぽんでは、洋風ようふう居酒屋いざかやのことを「パブ」や「バー」とんでいるが、最近さいきんでは酒類しゅるい提供ていきょうする風俗ふうぞくてんにも「パブ」のおお使つかわれている。

英国えいこくのパブ

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ホワイトスワン
 
パブ・カムデンタウン(ロンドン)
 
リリイズバー(エディンバラ)

概要がいよう

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イギリス国内こくないに4まん7000けんあるとされ[1]、カウンターせき椅子いすせきもうけ、おもビールやその酒類しゅるい提供ていきょうしている。利用りようきゃく成人せいじん男性だんせい中心ちゅうしんであるが、老若ろうにゃくわずたいへんしたしまれており、キッズルームをそなえたパブも存在そんざいするほどである。

ちいさいパブでは食事しょくじ一切いっさいきょうさず、つまみもクリスプス(crispsポテトチップスこと程度ていどしかいていないのがつねである。一方いっぽうおおきなパブではランチタイム、およよるはや時間じかん食事しょくじきょうするところがある。パブランチとばれるこうした食事しょくじは、基本きほんてきにはすでに調理ちょうりみの食材しょくざい(ローストビーフなど)にあわせの野菜やさいなどをえたものが一般いっぱんてきであるが、チリコンカーンや、イギリスが発祥はっしょうとされる欧風おうふうカレーなど、みせによって様々さまざまなメニューがある。また、イングリッシュ・ブレックファスト提供ていきょうするパブもある[2]

繁華はんかがいにあるパブでは週末しゅうまつよるおそ時間じかんでは、座席ざせきすくないこともあっておおくのきゃくったままでビールを片手かたて時間じかんごすのが普通ふつうで、日本にっぽん居酒屋いざかやなどのように着席ちゃくせきしてむことはすくない。カウンターまできゃくみずからおもむいて直接ちょくせつバーテンダーに注文ちゅうもんし、ものったらその清算せいさんするキャッシュ・オン・デリバリーcash on delivery)という様式ようしき基本きほんである(にちちゅういた時間じかんであり、もしウェイトレスなどをいている中規模ちゅうきぼ以上いじょうのパブであればテーブルで注文ちゅうもんすることも可能かのう)。すうにんでパブにった場合ばあい各人かくじん代金だいきんはらうのではなく、一人ひとり代表だいひょうしゃ全員ぜんいんぶん代金だいきん支払しはら習慣しゅうかんがある。バイイング・ア・ラウンドbuying a round)とばれる習慣しゅうかんで、つぎ機会きかい代金だいきん支払しはらにはべつ人物じんぶつ支払しはらいをおこない、これをかえすことで帳尻ちょうじりわせる。

元々もともとは、さけ提供ていきょうだけではなく、簡易かんい宿泊しゅくはくしょ雑貨ざっか機能きのうそなえた場所ばしょとして18世紀せいきから19世紀せいきごろ発達はったつした。1868ねん文献ぶんけんにパブという言葉ことばあらわれたのが、この言葉ことば使つかわれた最初さいしょであるとされる。この当時とうじは、"public house"(公共こうきょういえ)のとおり、まちなか便利べんり社交しゃこうじょうとして存在そんざいしていた。しかし、現在げんざいのイギリス都市としのパブはいわゆる居酒屋いざかや機能きのうしかっていないのが普通ふつうである。イギリスの地方ちほうまちのパブには、クリケットじょう併設へいせつするなど、「公共こうきょういえ」の名残なごりつものもおおい。また、サッカーなどのスポーツ観戦かんせんのためには高額こうがく衛星えいせい放送ほうそう加入かにゅうしなければいけない現代げんだい英国えいこく(やアイルランド)では、パブにおもむいてパブに設置せっちされた大型おおがたテレビなどで友人ゆうじんともにスポーツ放送ほうそう休日きゅうじつ午後ごごごす風景ふうけい非常ひじょう一般いっぱんてきである。

歴然れきぜんとした階級かいきゅう社会しゃかいであったかつてのイギリスにおいては、パブの内部ないぶふた以上いじょうけられていることがしばしばあり、労働ろうどうしゃ階級かいきゅうよう空間くうかん(パブリック・バー)と中流ちゅうりゅう階級かいきゅう以上いじょうきゃくのための空間くうかん(サルーン・バー)は区切くぎられていてくちべつにつけられていた。現在げんざいではこうした区別くべつ廃止はいしされたが、ふるいパブではその名残なごりであるあいだ仕切じきりなどをにすることができる。イギリスほど階級かいきゅう差別さべつはげしくなかったアイルランドではパブにはあまりそうした区別くべつはないが、かつてイギリスじんおも利用りようしていたビクトリアン・パブなどとばれる形式けいしきふるいパブではそうした区切くぎりがられる。また、男性だんせい女性じょせいよう場所ばしょ区切くぎってあるパブもかつて存在そんざいしていた。

公共こうきょういえ」としてのパブ発達はったつ以前いぜんは、「イン」や「タヴァン」、「エールハウス」という名前なまえをもつ施設しせつが11世紀せいきから13世紀せいきごろにイギリスに誕生たんじょうしていた。また、こうした3種類しゅるい施設しせつ原型げんけいにあたるものは、さらにさかのぼ起源きげん1世紀せいきにローマじんがブリテンを占領せんりょうしたころから存在そんざいしていた。おおざっぱにっていまから1000ねんほどまえ、つまり1066ねんにイギリスがノルマンじん征服せいふくされ、マグナ・カルタ承認しょうにんされた1215ねんにかけて、パブの原型げんけい誕生たんじょうしたとかんがえられる。「イン」「タヴァン」「エールハウス」はそれほどおおきなはないが、起源きげん内容ないようには本来ほんらいちがいがあった。まず一番いちばんふるいとかんがえられるのが「イン」である。もともとは宿泊しゅくはく施設しせつであって、ローマぐんがブリテンを占領せんりょうして道路どうろをつくったときに誕生たんじょうした。インには目印めじるしとして看板かんばんのようなものがあり、そのなか一般いっぱんてきられるのが碁盤ごばんのようなしま模様もようである。これはローマじんきな娯楽ごらくである、チェスをしめすもので、このあたりからもインのローマ起源きげんせつ信憑しんぴょうせいびてくる。したがって本来ほんらい宿泊しゅくはく施設しせつであるインにも、当然とうぜん飲食いんしょくをするスペースが付属ふぞくしていたはずで、これにくわえてチェスのようなあそびもたのしめた。まってみ、かつらい、そしてあそぶところ、それがインにならない。このインの誕生たんじょうからまもなく、タヴァンの原型げんけい誕生たんじょうしたとかんがえられる。「タヴァン」(tavern)という言葉ことばは、語源ごげんてきには古代こだいフランス語ふらんすごの「タベルナ」(taberna)からているもので、もともとの意味いみは「小屋こや」とか「宿やど」だった。ローマ時代じだいのタヴァンは、おも人々ひとびと飲食いんしょくであり、たとえば近隣きんりんまちむら住人じゅうにんあつまって、食事しょくじたのしんだとかんがえられる。しかしときによっては、このタヴァンに旅人たびびとなどが宿泊しゅくはくすることもあって、こうなるとインとの区別くべつがあまりはっきりとしなくなる。つづいてエールハウスだが、エールハウスという名前なまえ自体じたいはアングロサクソンからまれたもので、その機能きのう居酒屋いざかやというのが一番いちばんたっているだろう。つまり、飲食いんしょくの「いん」の部分ぶぶん重点じゅうてんかれた施設しせつであるわけだが、言葉ことばはアングロサクソンであるにしても、たようなはローマ時代じだいにもあったとかんがえられる。そしてエールハウスの場合ばあいにも、きゃくもの提供ていきょうするだけでなく、食事しょくじし、場合ばあいによっては宿泊しゅくはくもさせた可能かのうせいがある。

また、1393ねんとき国王こくおうチャールズ2せい命令めいれいによって、旅宿りょしゅく看板かんばんかかげることがさだめられた。信仰しんこうしんあつかれは、教会きょうかいへの巡礼じゅんれい奨励しょうれいし、その道中どうちゅう安全あんぜんのために宿やど次々つぎつぎにつくらせた。そして旅宿りょしゅくさけすときには、かなら看板かんばんかかげることをめいじた。

これをけて店先みせさき看板かんばんされることになったが、この看板かんばん問題もんだいとなる。まず、識字しきじりつひく時代じだいであったので文字もじいただけではわからない。したがって店屋みせやはどこもそこがあきなうものを絵柄えがらにして、店先みせさきかかげていた。くつくつ鍛冶たんやがハンマーというるいである。ところがパブでは、この目印めじるしになるものがない。ビールのジョッキが候補こうほになるだろうが、どのみせおなじような絵柄えがらでは「差異さい」がはかれない。そこでいろいろな屋号やごうかんがえ、これにあわせて看板かんばん絵柄えがらえがくことにしたらしい。その結果けっか、パブの屋号やごう看板かんばん多種たしゅ多様たようなものとなった[3]

パブの変質へんしつ

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かつての伝統でんとうてきなパブはほとんど、その建物たてもの一般いっぱん民家みんかわらなかった。つまり、インの場合ばあい規模きぼおおきく周囲しゅうい建物たてものとは画然かくぜん見分みわけがついたが、タヴァン、エールハウスは一般いっぱん民家みんか大差たいさない建物たてものだった。つまり、建物たてものかいないしは付属ふぞく部分ぶぶん会合かいごうよう場所ばしょもうけられ、これを「パブリック・ルーム」とか「クラブ・ルーム」とんでいた。ただし、おおきな敷地しきちゆうするパブでは、スポーツやゲーム、ダンスなどをおこなうスペースを、野外やがい中庭なかにわにもつこともあった。 一方いっぽう建物たてものいちかいおも飲食いんしょくであった。そしてこのスペースは通常つうじょうふたつにけられる。だいいちは「タップ・ルーム」。ものたるについているせんを「タップ」ということからついた名前なまえで、粗末そまつなベンチとテーブルがかべにそってならび、おおきな暖炉だんろではみの食材しょくざい調理ちょうりしてべることができた。したがってこちらは、あまりきんのない労働ろうどうしゃたちがたのしむだったとえる。 これにたいして「パブリック・パーラー」とばれる部屋へやは、タップ・ルームより立派りっぱ家具かぐ調度ちょうどるいいて、おも上客じょうきゃくようとされていた。かつてイギリスのパブには、ブルー・カラーとホワイト・カラーそれぞれの部屋へやがあって、くちことなることがあったが、それはこうしたパブの構造こうぞうがもたらしたものとかんがえられる。 いずれにしてもこのようなパブは、したしい友人ゆうじん顔見知かおみしりなどがあつまって、さけみながら談笑だんしょうにふける、あるいはときとしてどんちゃんさわぎをするという、あたたかなホスピタリティにんだ場所ばしょだった。 ところが19世紀せいきふかまるにつれて、パブ内部ないぶがさらに細分さいぶんされていき、ときには「プライヴェート・バー」とばれる個室こしつもつくられたりする。これにあわせて客層きゃくそう分化ぶんかし、上下じょうげ階層かいそうがともにつど場面ばめんってくる。うまでもなく、上流じょうりゅう階級かいきゅうはクラブなどでひそやかな会話かいわにふけり、パブの猥雑わいざつ空間くうかんからあしとおのくことになる。 この変化へんかにつれて、パブ内部ないぶでタップ・ルームやパブリック・パーラーがめていた割合わりあいちいさくなり、わって「バー・ルーム」とばれるスペースがえてくる。これはようするに今日きょうのパブに一般いっぱんてき酒類しゅるいをサーヴィスするカウンター、つまりさけしたり、さけったり、あるいはみをさせる部分ぶぶんが、おおきなスペースをめるということである。 その結果けっか、パブはゆったりとくつろぐというより、むしろただひたすらさけ消費しょうひする変質へんしつし、いわば効率こうりつ一辺倒いっぺんとうとでもいうべき経営けいえい理念りねんみせ支配しはいすることになった。 こうしたみせでは日頃ひごろさをらすためにびるようにさけひと圧倒的あっとうてき多数たすうとなり、ってはだい喧嘩けんかというのとお相場そうばになった[4]

禁酒きんしゅ運動うんどうたかまり

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ヴィクトリア時代じだいには禁酒きんしゅ運動うんどうすすめるひとあらわれ、やがてこれはおおきなたかまりをみせることになる。19世紀せいきなかばのことである。産業さんぎょう革命かくめい実質じっしつじょうになであった中産ちゅうさん階級かいきゅう労働ろうどう神聖しんせいし、勤勉きんべん節約せつやく自助じじょ精神せいしんさかんにいた。そのかれらのに、まずしい労働ろうどうしゃさけおぼれる現状げんじょうねむ棄すべきものとしてうつった。そうしたなかから、禁酒きんしゅ運動うんどうおおきな影響えいきょうりょくをもつにいたる。 1830ねんには禁酒きんしゅ教会きょうかい設立せつりつされ、ほかならぬヴィクトリア女王じょおうがその後援こうえん会長かいちょうとなる。彼女かのじょは「絶対ぜったい禁酒きんしゅ」は不可能ふかのうなこととかんがえ、もっぱら「節酒せっしゅ」をいたのだが、いずれにしてもさけがい非難ひなんするこえおおきくなっていった。 そのような禁酒きんしゅ運動うんどうにおいてとく注目ちゅうもくすべきてんは、さけはいして集会しゅうかいをおこなう禁酒きんしゅ会館かいかん誕生たんじょうや、全国ぜんこく禁酒きんしゅ大会たいかい開催かいさいである。後者こうしゃ禁酒きんしゅ運動うんどう全国ぜんこくてき規模きぼげるために企画きかくされたものである。しかし、こうした禁酒きんしゅ運動うんどうたかまりにもかかわらず、19世紀せいきつうじてさけおぼれるひと姿すがたあとたなかった。また、パブの変質へんしつにもかかわらず、相変あいかわらずここをおとずれる人間にんげん数多かずおおくいた。様々さまざま都市とし施設しせつはできたとはいえ、イギリスの庶民しょみんにとってパブは手軽てがる様々さまざまよろこびをあたえてくれる場所ばしょだった[5]

現況げんきょう

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このように英国えいこく根付ねついた存在そんざいであるパブであるが、1970年代ねんだいから人気にんき下降かこうする危機ききがあった。1970年代ねんだい大手おおてビールメーカーが英国えいこくビール市場いちばの85%を占有せんゆうしていた時代じだいでもあり、パブの3ぶんの2以上いじょう大手おおてビールメーカーの系列けいれつになり、大手おおてビールメーカーは効率こうりつ追求ついきゅうして、あじめんでは従来じゅうらい製法せいほうおとるビールを供給きょうきゅうしていた。また1970年代ねんだいには顧客こきゃく需要じゅよう多様たようという問題もんだいもあった。

1980年代ねんだい以降いこう従来じゅうらい顧客こきゃくのみではなく、ひろ顧客こきゃくをパブのきゃくことにより、危機ききえた。また、大手おおてビールメーカーもビールの従来じゅうらい製法せいほうみをふくあじ改善かいぜんみ、顧客こきゃく需要じゅよう多様たよう対応たいおうするというめんでは、従来じゅうらい形式けいしきにとらわれない多様たようなバーがされ、ふたた顧客こきゃくむことに成功せいこうした。2000年代ねんだい後半こうはんはいり、ビールぜい値上ねあげや世界せかいてき景気けいき後退こうたいすうせん店舗てんぽで、転業てんぎょう廃止はいしこっている。くわえて2007ねんから店内てんない喫煙きつえん禁止きんしれいおおきくきゃく減少げんしょう影響えいきょうしている。

アイルランドのパブ

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アイリッシュ・パブ

アイルランドのパブは、「アイリッシュ・パブ」(Irish Pub)とばれる。これは、家庭かていなどでつくったビールを近隣きんりんひとませていたものが起源きげんであるといわれる。イギリスとくらべ、雑貨ざっかなどと兼業けんぎょうしているパブがおおい。また、植民しょくみん時代じだいからつづふるいパブでは天井てんじょうひくく、まどすくない、またはちいさいパブがおおい。これはイギリス政府せいふによる建物たてものたいする税金ぜいきんけるためであった。アイルランドにある最古さいこのパブは600ねん以上いじょうまえてられたものである。アイルランドにおいては現在げんざい近隣きんりん住民じゅうみん子供こども老人ろうじんふく老若男女ろうにゃくなんにょわずにあつまり歓談かんだんする(未成年みせいねんよる9以降いこうはパブへの滞在たいざい禁止きんしであるが)、地域ちいき交流こうりゅうじょうとしての役割やくわりがあり、どのようなちいさなとおりや寒村かんそんにもかならず生活せいかつ中心ちゅうしんとしてパブが存在そんざいしている。近年きんねんでは経済けいざい成長せいちょう近代きんだいにより、ディスコクラブ要素ようそれた豪華ごうかなスーパー・パブとばれる巨大きょだいパブもおおられるようになってきている。アイルランド国外こくがいにも、移民いみんとして世界せかい各国かっこく移住いじゅうしたアイルランドじんたちがあつまる場所ばしょとしておおくのアイリッシュパブがアメリカを代表だいひょうとして世界中せかいじゅう移民いみんおおくに都市とし存在そんざいしている。また最近さいきんでは世界せかいてきにアイリッシュ・パブの流行りゅうこうがあり、アイルランドけいきゃくのみではなく、各国かっこく地元じもと人間にんげん対象たいしょうとしたアイリッシュ・パブがおお存在そんざいしている。このながれにより、日本にっぽんにも近年きんねんダブリナーズなどおおくのアイリッシュ・パブが開業かいぎょうしている。

オーストラリアのパブ

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オーストラリアはイギリスの植民しょくみんであった経緯けいいから、基本きほんてきにパブも本国ほんごく文化ぶんか継承けいしょうするが差異さい存在そんざいする。たとえば市中しちゅうには「ホテル」の看板かんばんかかげているパブが多数たすう存在そんざいするが、これは入植にゅうしょく当初とうしょ存在そんざいした「飲食いんしょくてんよるおそくまでさけしてはならない」とする法律ほうりつ回避かいひした歴史れきしてき経緯けいいによるものである[6]。そのほか店内てんないには、スロットマシン設置せっちしているみせすくなからず存在そんざいし、手軽てがるギャンブルおこなえる場所ばしょとなっている[7]

日本にっぽんのパブ

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日本にっぽんでは、イングリッシュ・パブアイリッシュ・パブなどとしょうし、上記じょうきのような本場ほんばのパブを志向しこうした店舗てんぽがある。また、日本にっぽんにおける「イギリス料理りょうりてん」においては、そのしめとおりのイギリス料理りょうりきょうするレストランではなく、実際じっさいには上記じょうきのイギリスのパブの様式ようしき踏襲とうしゅうしているみせおおい。

しかしながら、酒類しゅるい提供ていきょうする風俗ふうぞくてんにもおっぱいパブなどとしょうされるみせおおい。 なお、飲食いんしょくぎょうとして登録とうろくする場合ばあいには食品しょくひん衛生えいせい責任せきにんしゃ資格しかくつものがいなければいけない。この場合ばあい保健所ほけんじょ管轄かんかつすることになる。深夜しんや0ぎまで営業えいぎょうおこなう場合ばあいには「深夜しんやにおける飲食いんしょくてん営業えいぎょうとう」の許可きょか必要ひつようになるほか、接待せったいともな場合ばあいには風俗ふうぞく営業えいぎょうとされ、風俗ふうぞく営業えいぎょう許可きょかなければいけない。この場合ばあい公安こうあん委員いいんかい管轄かんかつすることになる。

日本にっぽんでは、本来ほんらいのパブの意味いみからかけはなれた様々さまざま業態ぎょうたいのパブが風俗ふうぞくてん中心ちゅうしんひろがっている。これらは一般いっぱんセクシーパブしょうされ、前述ぜんじゅつのおっぱいパブのほか、業態ぎょうたいによって様々さまざま呼称こしょうがある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b ビジネス特集とくしゅう イギリス伝統でんとうのパブはのこれるか - NHK
  2. ^ これが本場ほんばロンドンであじわうイギリスの伝統でんとうてき朝食ちょうしょく「イングリッシュ・ブレックファスト」 gigazine 2013ねん05がつ02にち
  3. ^ 参考さんこう文献ぶんけん 図説ずせつ ロンドン都市とし物語ものがたり パブとコーヒーハウス  p8〜19 1998ねん8がつ14にち初版しょはん印刷いんさつ 小林こばやし章夫あきお 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ
  4. ^ 同上どうじょう p89 - p91
  5. ^ 同上どうじょう p95 - p98
  6. ^ うまビールを!オーストラリア・パブ入門にゅうもん”. ALL ABOUT. 2020ねん4がつ29にち閲覧えつらん
  7. ^ スロット禁止きんしおもわぬ効果こうか」 コロナ感染かんせん防止ぼうし依存いぞんしょう緩和かんわ―オーストラリア”. 時事通信社じじつうしんしゃ (2020ねん4がつ28にち). 2020ねん4がつ29にち閲覧えつらん

関連かんれん書籍しょせき

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  • 小林こばやし章夫あきお 『パブ・だいえい帝国ていこく社交しゃこうじょう講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ1118 講談社こうだんしゃ ISBN 4061491180

関連かんれん項目こうもく

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