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キャバレー (接待飲食店) - Wikipedia

キャバレー (接待せったい飲食いんしょくてん)

日本にっぽんにおけるキャバレーとは、ホステスばれる女性じょせい従業じゅうぎょういんきゃくをもてなす飲食いんしょくてんいち業態ぎょうたいで、ダンスフロアをそなえていた。だい世界せかい大戦たいせんあらわ[1]昭和しょうわ30年代ねんだいから40年代ねんだいもっと流行りゅうこうした[1]。より大衆たいしゅうした1970年代ねんだい以降いこうはおさわりなど、お色気いろけサービスをともなみせ登場とうじょうした。オイルショック影響えいきょうスナックパブディスコキャバクラなどの後発こうはつ業態ぎょうたいされて店舗てんぽすう減少げんしょうし、2010年代ねんだいにはほぼ絶滅ぜつめつ状態じょうたいとなった[1]

キャバレー花園はなぞの 名駅めいえきてん
 
りしのキャバレー・ハリウッド 赤羽あかはねてん

「キャバレー」の名称めいしょう由来ゆらいフランス語ふらんすごの"cabaret"ではあるが、日本にっぽんの「キャバレー」は欧米おうべいの"cabaret"とはおおきくことなる[1]日本にっぽんの「キャバレー」のとお源流げんりゅう明治めいじ時代じだいカフェーることができる。[1]

直接的ちょくせつてき起源きげんは、進駐軍しんちゅうぐんけに設立せつりつされた特殊とくしゅ慰安いあん施設しせつ協会きょうかいキャバレー松屋まつや銀座ぎんざてん地下ちか1945ねん11月開業かいぎょうした「オアシス・オヴ・ザ・ギンザ」[1]特殊とくしゅ慰安いあん施設しせつ協会きょうかいキャバレーは、「キャバレー富士ふじ」(東京とうきょう立川たつかわ)、「ニューキャッスル」(東京とうきょう北多摩きたたまぐん三鷹みたかまち)、「クラブエデン」(東京とうきょう京橋きょうばし木挽こびきまち)など複数ふくすう店舗てんぽもうけ、ダンスホールと洋装ようそうホステスをわせた日本にっぽん独自どくじの「キャバレー」の特徴とくちょう確立かくりつされた[1]

キャバレーのなかでもだい人数にんずう収容しゅうようし、100にんちょうのホステスをようして、なまバンドが演奏えんそうする絢爛けんらん豪華ごうか店舗てんぽは、とくに「グランドキャバレー」としょうした。著名ちょめいなグランドキャバレーとして、日本海にほんかいがわ最大さいだいの「キャバレー香港ほんこん」(新潟にいがたけん新潟にいがたまんだい)、全盛期ぜんせいきにホステス500にん在籍ざいせきした「ミカド」(東京とうきょうみなと赤坂田あかさかだまち)、1000つぼちょうゆか面積めんせきほこった「クラブハイツ」(東京とうきょう新宿しんじゅく歌舞伎町かぶきちょう)などがあった。

「キャバレー・ハリウッド」の創業そうぎょうしゃ福富ふくとみ太郎たろうはボーイ出身しゅっしんでのちに独立どくりつ。1960ねん3がつ東京とうきょうみなとしば新橋しんばしに「おどキャバレー 新橋しんばしハリウッド」を開業かいぎょう。ハリウッドをチェーン展開てんかいしてざいをなし、最盛さいせいに44てんかまえて「キャバレー太郎たろう」とばれた[2]。ところが、1971ねんドルショックつづ1973ねんオイルショックにおいてはネオンサイン自粛じしゅく関連かんれんする諸般しょはん事情じじょうから客足きゃくあし遠退とおの次々つぎつぎとキャバレーは廃業はいぎょうまれていった。その1976ねんころよりディスコ台頭たいとうによってキャバレーの存続そんぞく自体じたいむずかしくなり、さらにちをかけるかのごと1980年代ねんだいなかばからはキャバクラなどのあらたな業態ぎょうたいされ、キャバレーは次第しだい劣勢れっせいになった[3]

キャバレーから、ハワイ・チェーン、グアム・チェーン、ロンドン・チェーンなどのピンクサロン(ピンクキャバレー)とばれる業種ぎょうしゅ派生はせいした。

2010年代ねんだいはいると、「地域ちいき最後さいごのキャバレー」という説明せつめいとともに店舗てんぽ閉店へいてんほうじられるようになった。2013ねん5がつ新聞しんぶん記事きじによると、同年どうねん2がつ北海道ほっかいどう札幌さっぽろ中央ちゅうおうみなみじょう西にしの「札幌さっぽろクラブハイツ」が閉店へいてんしたため、その時点じてん存続そんぞくしていた大型おおがたのキャバレーは日本にっぽん全国ぜんこくでも東京とうきょう大阪おおさかだけになったという[4]。2015ねん12月に閉店へいてんした山形やまがたけん酒田さかた日吉ひよしまちの「しろばら」(そのキャバレーではなくレンタルスペースとして営業えいぎょう再開さいかい[5])は、東北とうほく地方ちほう最後さいごのキャバレーであったとされる[5]。「しろばら」はクラウドファウンディング資金しきん調達ちょうたつ営業えいぎょう再開さいかい契機けいきをつかんだが創業そうぎょう64ねんの2022ねん12月30にち正式せいしき閉店へいてん東京とうきょう大田おおた西蒲田にしかまたの「レディタウン」は創業そうぎょう53ねんの2017ねん8がつ10日とおか閉店へいてんした。

東京とうきょう中央ちゅうおう銀座ぎんざの「しろいばら閉店へいてんつたえる2018ねん2がつ雑誌ざっし記事きじによれば、創業そうぎょう87ねん同店どうてん銀座ぎんざ最後さいごのキャバレーであった[6]。「キャバレー・ハリウッド」の北千住きたせんじゅてん東京とうきょう足立あだち千住せんじゅ)・赤羽あかはねてん東京とうきょうきた赤羽あかはね)が2018ねん12月に閉店へいてんしたさいは、この2店舗てんぽ都内とない営業えいぎょうつづけていた最後さいごのキャバレーだとほうじられた[7]創業そうぎょう53ねんの2020ねん2がつ28にち閉店へいてんした東京とうきょう新宿しんじゅく歌舞伎町かぶきちょうの「ロータリー」は、歌舞伎町かぶきちょう最後さいご都内とない最後さいごのグランドキャバレーであったとほうじられている[8][9]創業そうぎょう57ねんの2020ねん3がつ閉店へいてんした福岡ふくおか博多はかた中洲なかすの「日本一にっぽんいち桃太郎ももたろう 中洲なかすてん」は、中洲なかす最後さいごのキャバレーであったとされる[10]

2023ねん1がつ現在げんざい営業えいぎょうつづけているキャバレーは、

がある。

1969ねん開業かいぎょうした東京とうきょう台東たいとう根岸ねぎしのグランドキャバレー「ワールド」は、平成へいせい初期しょき閉店へいてんし、2000ねんにイベントスペース「東京とうきょうキネマ倶楽部くらぶ」としてキャバレー時代じだい内装ないそうのまま再始動さいしどうした。東京とうきょう新宿しんじゅく歌舞伎町かぶきちょうふうりん会館かいかん「ニュージャパン」も2014ねん閉店へいてん、イベントスペースとなっている。大阪おおさかあじえんビルにあったキャバレー「ユニバース」も、2011ねん閉店へいてんしホールとなった。

法律ほうりつじょう位置いちづけ

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風俗ふうぞく営業えいぎょうとう規制きせいおよ業務ぎょうむ適正てきせいとうかんする法律ほうりつ(風営法ふうえいほう)」により、接待せったい飲食いんしょくとう営業えいぎょう、1ごう営業えいぎょう分類ぶんるいされ、「キヤバレーその設備せつびもうけてきゃくダンスをさせ、かつ、きゃく接待せったいをしてきゃく飲食いんしょくをさせる営業えいぎょう」にたる。

ナイトクラブは「設備せつびもうけてきゃくにダンスをさせ、かつ、きゃく飲食いんしょくをさせる営業えいぎょう」であり、せきいて接待せったいをするかどうかで一応いちおう区別くべつされている)

なお、「ピンクキャバレー」、「しびれるキャバレー」などとしょうして性行為せいこういのサービスをおこなみせがあるが、ほんこうのキャバレーとはことなり、実際じっさい内容ないようピンクサロン同様どうようせい風俗ふうぞくてんである。

本来ほんらいキャバレー(cabaret)はフランスで発達はったつしたダンスホールや舞台ぶたいのある酒場さかばうたおどり、コメディショーなど、パフォーマンスをたのしめる飲食いんしょくてんである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g 都築つづきひびきはじめ (2019ねん2がつ). “東京とうきょうキャバレー文化ぶんか終焉しゅうえん”. 2022ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ グランドキャバレー2002グランドキャバレー参照さんしょう
  3. ^ 参考さんこう文献ぶんけんとして福富ふくとみ太郎たろうちょ昭和しょうわキャバレー秘史ひし』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうISBN 9784167656959
  4. ^ 宇都宮うつのみやそう(2013ねん5がつ6にち)、"えるキャバレー、える「昭和しょうわ」、える“じょう”…きゃく見詰みつつづけたホステスたちは文化ぶんかまもった"(ページ1234)、産経さんけいニュース、2019ねん1がつ19にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 昭和しょうわキャバレー しスペースに/閉店へいてん酒田さかたしろばら」復活ふっかつ同窓会どうそうかいなど利用りよう見込みこむ/東北とうほく最後さいごまで営業えいぎょうつづけたキャバレーで、昨年さくねんまつに57ねん歴史れきしまくろした酒田さかたの「しろばら」が今月こんげつ中旬ちゅうじゅん、レンタルスペース」『河北かほく新報しんぽう』、2016ねん4がつ27にち
  6. ^ なかだえり「"健全けんぜんゆめ世界せかい"の終焉しゅうえん さようなら! 銀座ぎんざキャバレー「しろいばら」」『東京とうきょうじんだい33かん2ごう通巻つうかん392ごう)、都市とし出版しゅっぱん、2018ねん2がつ、126-132ぺーじ 
  7. ^ ““都内とない最後さいご”キャバレーのえる 「ハリウッド」北千住きたせんじゅ赤羽あかはねてんが30にち閉店へいてん. ZAKZAK. 夕刊ゆうかんフジ. (2018ねん12月28にち). http://www-origin.zakzak.co.jp/soc/news/181228/soc1812280020-n1.html 2019ねん1がつ13にち閲覧えつらん 
  8. ^ さよなら、キャバレー”. NHKニュース. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい. 2020ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  9. ^ ザ・キャバレー「栄枯盛衰えいこせいすい回顧かいころく(3)2020ねん2がつ、ついに閉店へいてんときが…”. アサげいbiz. 徳間書店とくましょてん (2020ねん4がつ19にち). 2020ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  10. ^ 井崎いざきけい (2020ねん4がつ2にち). “中洲なかす最後さいごのキャバレー閉店へいてん日本一にっぽんいち桃太郎ももたろう」41ねん歴史れきしまく”. 西日本にしにほん新聞しんぶん. 2022ねん2がつ5にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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