(Translated by https://www.hiragana.jp/)
フォッケウルフ Ta152 - Wikipedia

Ta 152

Ta 152H-0 2083号機(1945年撮影)


Ta 152H-0 2083号機ごうき(1945ねん撮影さつえい)

Ta 152Focke-Wulf Ta 152)は、だい世界せかい大戦たいせん末期まっきドイツ航空機こうくうきメーカー・フォッケウルフによって製造せいぞうされた戦闘せんとう主任しゅにん設計せっけいしゃであるクルト・タンクのから「Ta」とつけられた。

概要がいよう

編集へんしゅう

だい世界せかい大戦たいせんメッサーシュミットしゃBf109ともにドイツ空軍くうぐん主力しゅりょく戦闘せんとうとして活躍かつやくした空冷くうれい戦闘せんとうフォッケウルフ Fw190Aがたえきひやエンジンにかわそうだか性能せいのう改善かいぜんさせたFw190Dがた、それをさらに発展はってんさせた戦闘せんとう全幅ぜんはば14.44 mとたかアスペクトった主翼しゅよくあずかあつキャビンを装備そうびするこう戦闘せんとうがたのH-0がた、H-1がたほかに、11.0 mと従来じゅうらいのFw190とほぼおなつばさはばをもったじゅう武装ぶそうのCがたなどが開発かいはつされた。「究極きゅうきょくのレシプロ戦闘せんとう」と紹介しょうかいされることもある(くわしくは後述こうじゅつ)。ただしすでに戦争せんそう末期まっきとなっていたため生産せいさんすう少数しょうすうにとどまり、戦局せんきょくには寄与きよしなかった。

クルト・タンク設計せっけいによる空冷くうれいエンジン搭載とうさい戦闘せんとうFw190当初とうしょ、ドイツ空軍くうぐん主力しゅりょく戦闘せんとうであったえきひやエンジン搭載とうさいBf109補助ほじょという位置いちづけで開発かいはつされたものであった。(はつ飛行ひこう1939ねん6月1にち[1]実戦じっせんデビューが1941ねん8がつ[2])だが、当時とうじのBf109Eがた搭載とうさいしていたDB601Aはなれのぼり出力しゅつりょく1,075馬力ばりきにすぎなかったところ、Fw190の初期しょき量産りょうさんがたであるA-3がたはなれのぼり出力しゅつりょく1,700馬力ばりきBMW 801Dを搭載とうさいしており、Bf109をしのぐじゅう武装ぶそう搭載とうさいすることができ、一時期いちじき連合れんごうぐん圧倒あっとうすることができた[3][4]余裕よゆうのある馬力ばりき頑丈がんじょう機体きたい頑丈がんじょうでスパンのひろ降着こうちゃく装置そうち戦闘せんとう爆撃ばくげきかた突撃とつげきがたなど様々さまざま発展はってんがたみ、前線ぜんせん飛行場ひこうじょうでの運用うんよう整備せいび容易よういであり、補助ほじょ戦闘せんとうとしてのわくえ、ドイツ空軍くうぐんだい主力しゅりょく戦闘せんとうとしておおいに活躍かつやくした[4]

だがFw190の搭載とうさいするエンジンBMW801は、一段いちだんそく遠心えんしんしききゅうそなえ、高度こうど 5,600 - 5,700 mで1,440馬力ばりき発揮はっきしたものの[5][6]高度こうど6,000 - 7,000 mをえると出力しゅつりょく急激きゅうげき低下ていかした[7][8][6]。これらはデビュー当時とうじには問題もんだいにならなかったが、将来しょうらいてき連合れんごうぐんこう高度こうどじゅう爆撃ばくげき迎撃げいげきやその護衛ごえい戦闘せんとうとのこう高度こうど戦闘せんとうかんがえると憂慮ゆうりょすべき問題もんだいであった[9]こう高度こうど飛行ひこうがFw190よりすぐれていたBf109は、徹底てっていした小型こがたがメインコンセプトであったため、じゅう武装ぶそうがしがたいという問題もんだいかかえていたからである。

以上いじょうのことからタンクはFw190のこう性能せいのう改善かいぜん必要ひつようせいうった[8]、3つの改善かいぜんのプランがられた。ひとつは空冷くうれいBMW 801のままその性能せいのう強化きょうかはかったFw190Bであったが、これは液体えきたい酸化さんか窒素ちっそ使用しようする出力しゅつりょく強化きょうか装置そうちGM-1導入どうにゅうこころみたもののまった要求ようきゅう性能せいのうられず、廃案はいあん[10]つぎに、えきひや倒立とうりつVがた12気筒きとうDB603エンジンにかわそうし、排気はいきタービンきゅう導入どうにゅうしたFw190Cは、排気はいきタービンきゅう耐久たいきゅうせい信頼しんらいせいなんがあり、さらに操縦そうじゅうせいもよくないとうことでやはり廃案はいあん[11]最終さいしゅうてきえきひや倒立とうりつVがた12気筒きとうJumo213A-1エンジン(はなれのぼり出力しゅつりょく1,776馬力ばりき高度こうど5,800 mで1,600馬力ばりき)を搭載とうさいし、胴体どうたい若干じゃっかん延長えんちょうしたFw190D-9愛称あいしょう:ドーラ Dora)が採用さいようされ、1944ねん8がつより量産りょうさんされることとなった[12]。しかしこのかたこう高度こうど性能せいのう向上こうじょうたし、操縦そうじゅうせい運動うんどうせいともわるくなかったものの、えきひやエンジンへのかわそうによる重量じゅうりょうぞうもあり、武装ぶそう空冷くうれいFw190Aより後退こうたいしていた。

しかしタンクはさらなる改良かいりょうがた計画けいかくすすめていた。それが、よりすぐれたえきひやエンジンと、みずメタノールによるパワーブースターを搭載とうさいし、かつ30㎜のモーターカノンふくめた武装ぶそう強化きょうか、またこう高度こうどようあずかあつキャビンなどの装備そうびなどをとりいれた計画けいかく名称めいしょうFw190Ra-4[13]こと、Ta-152シリーズである。なお、クルト・タンクはこれまでの功績こうせきみとめられ、機体きたいめい設計せっけいしゃのイニシャルを付与ふよする栄誉えいよている[14][15][16][17][18][* 1][* 2]一説いっせつには、DB603エンジンの使用しよう希望きぼうするタンクに、空軍くうぐんがわがJumo213の使用しようをもちかけるうえでの取引とりひき結果けっかともわれる[20]。いずれにせよこのかた機体きたいめいはTa-であるが、あくまでもFw190の発展形はってんけいである。

開発かいはつ経緯けいい実戦じっせん

編集へんしゅう

フラッペ & ローランによれば、1942ねんあきさきべたFw190の性能せいのう向上こうじょうさく短期たんきプログラム)が検討けんとうされたとき長期ちょうきプログラムとして、現有げんゆう戦闘せんとう改良かいりょうではない、あらたな高々たかだか戦闘せんとう開発かいはつ計画けいかくされていた。このさいメッサーシュミットMe155B提案ていあんしたが、フォッケウルフはFw190Cで採用さいよう見送みおくられたDB603搭載とうさいした、Fw190のさらなる改善かいぜんがた検討けんとうした。計画けいかく名称めいしょうはFw190Ra-4。また、Bf109にDB601、Fw190AにBMW801、Fw190DにJumo213が採用さいようされていたことから、これらと競合きょうごうしないDB603の採用さいようはエンジンの供給きょうきゅうめんでも有利ゆうりかんがえられた。だが空軍くうぐんはJumo213の使用しよう指示しじし、1943ねん5がつまたは8がつ計画けいかく承認しょうにん、Ta152もそれを搭載とうさいして「特殊とくしゅだか戦闘せんとう」の開発かいはつおこなわれることとなった[21][22]

野原のはら (2009) によれば、1942ねんはじごろ、タンクはFw190Dをさらに改良かいりょうした新型しんがた計画けいかく名称めいしょうFw190Ra-4を空軍くうぐん提案ていあんする。またべつ文献ぶんけんによれば、1942ねんまつごろ空軍くうぐんからされた要求ようきゅうは、しん技術ぎじゅつもち全面ぜんめんてき設計せっけいあらためた高性能こうせいのう戦闘せんとう、などとったかんじの、漠然ばくぜんとしたものであったという[23]計画けいかく承認しょうにんされ、Ta-153として、メッサーシュミット Me209との競争きょうそう試作しさくはじまった[13][* 3]。しかし1943ねん5がつ競争きょうそう試作しさく中止ちゅうしされ、戦況せんきょうかんがみ、つまり連合れんごうぐん新型しんがた爆撃ばくげき対抗たいこうするためのこう迎撃げいげき戦闘せんとう必要ひつようであったため、Ta152として、あらためて「特殊とくしゅだか戦闘せんとう」として開発かいはつおこなわれることとなった。

いずれにしても1944ねん7がつごろより既存きそんのFw190を改造かいぞうし、高々たかだか戦闘せんとうがたのHがた優先ゆうせんして[25]試作しさくおよび飛行ひこうテストがはじまったが、2つづけて墜落ついらく。その事故じこ発生はっせいしたが開発かいはつすすみ、1945ねん1がつからはだい301戦闘せんとう航空こうくうだん(JG301〈英語えいごばん〉)にTa152H-1が配備はいびされ、実戦じっせんテストが開始かいしされた[26][27]原型げんけい高度こうど12,000m付近ふきんMW50使用しようして750 km/h、13,800m付近ふきんでも737 km/hの速度そくど発揮はっきした[25]

なお、フラッペ & ローランによれば、Ta152の最初さいしょかたは、AがたではなくBがたである。これはFw190Aがたとの混同こんどうけるためであるとしている。また野原のはら(2006)によれば、Bがた地上ちじょう攻撃こうげきがたとしている[28]。なおDがた、Fがた、GがたもFw190と混同こんどうしてしまうため使用しようされず。さらにCがた将来しょうらいのDB603搭載とうさいために、Eがた戦闘せんとう偵察ていさつかたため予約よやくされていた。このような理由りゆうでTa152のはつ量産りょうさん型式けいしきはHがたとなったのである[29]

また1944ねん8がつ空軍くうぐんはようやくDB603の使用しよう許可きょかくだ[30]、1944ねん12月からよく1がつにかけにはDB603LまたはLAエンジン(はなれのぼり出力しゅつりょく2,100馬力ばりき)を搭載とうさいし、つばさ全幅ぜんはば11 mにめたなか高度こうどがたのC1がたはつ飛行ひこうおこない、また、C11がたまでが計画けいかくされ相当そうとうすう試作しさくされたが、原型げんけいその少数しょうすう一説いっせつには17)が生産せいさんされたにすぎない[31][32][33][* 4]

そう生産せいさんすう文献ぶんけんによりまったことなっており、参考さんこう文献ぶんけんげた文献ぶんけんうちでも、終戦しゅうせんまでにH-0がた20およびH-1がた34[34]、1945ねん2がつまでにかくかた合計ごうけいで67[35]、H-1がたやく60[17]、Hがた160ほど[36]ひゃくすうじゅう[14]、H-0が18、H-1が24[33][25]かつぜんかた合計ごうけいで67[37]すくなくとも150[30]護衛ごえい戦闘せんとうがたH-2をふくめHがたが150[38]、などとされている。

おも改良かいりょうてん

編集へんしゅう

すべてのかたで、主翼しゅよく新規しんき設計せっけいである。B/Cがたでは全幅ぜんはば11.0 mと、Fw190D-9の10.5 mとあまりわらないはばのものを装備そうびしていたが[39]高々たかだかがたのHがたでは主翼しゅよく全幅ぜんはば14.44 m、アスペクト8.87[27]うものを採用さいよう。またこれまでのせんくんれ、フラッペ&ローランによればつばさない増加ぞうか燃料ねんりょうタンクを装備そうびしている(6つ用意よういされており、5つは通常つうじょう燃料ねんりょうようけい400リットル、1つはみずメタノールよう)。300リットルのぞうそう装備そうびすれば、胴体どうたいないの595リットルとわせて航続こうぞく時間じかんは4時間じかん以上いじょう[26]『ドイツ空軍くうぐんぜんによれば、つばさない384リットル、胴体どうたいない592リットルで航続こうぞく距離きょり1,550 kmである[14]フラップ動力どうりょく従来じゅうらい電気でんきしきから、油圧ゆあつしきとされた[39]

Ta152 H-1では、2だん3そくきゅう装備そうびした[40]Jumo213Eはなれのぼり出力しゅつりょく1,730または1,750馬力ばりき、または2,230馬力ばりきMW50[41]装備そうび。これは1だん2そくだったきゅうを2だん3そくあらため、高々たかだか性能せいのう改善かいぜんはかったもので[42]はなれのぼり出力しゅつりょくは1,750馬力ばりきのままだが、高度こうど9,800 mにおいての出力しゅつりょくは1,020馬力ばりきから1,420馬力ばりきへとおおきく向上こうじょうしている[39]

そのさい、エンジン支持しじはFw190D-9より77.2 cm前方ぜんぽう新設しんせつされた。ただしエンジン支持しじ自体じたい短縮たんしゅくしたため、機首きしゅ延長えんちょうは61 cmにとどまっている[43]。この機首きしゅ延長えんちょうしゅとして、機首きしゅMG151およびモーターカノンとしてのMK108などの30 mm機関きかんほう装備そうびのためにられた措置そちである[44]。 これにともな主翼しゅよく位置いちも35 cm(しゅけた位置いちで)[43]前方ぜんぽう移動いどうされている。 またえきひやエンジンはラジエーターようするため、一般いっぱん重量じゅうりょう増加ぞうかする。機体きたい重量じゅうりょうぞう全備ぜんび状態じょうたいでFw190A-8の4,750 kgにたいして5,217 kg)に対応たいおうし、しゅあし強化きょうかがなされ、タイヤの直径ちょっけいも740 mmに増加ぞうか[45]電動でんどうしきだったものが油圧ゆあつしきあらためられ[46]主翼しゅよく設計せっけい変更へんこうともなトレッドも3.5 mから3.954 mに拡大かくだいされた[45]

また、垂直すいちょく尾翼びよくはFw190D-9とほぼおな面積めんせきながら、内部ないぶ設計せっけいあらためている[47]木製もくせいのものも製作せいさくされており、実際じっさい機体きたい装備そうびされていた可能かのうせいもある[19][39][* 5]キャノピー正面しょうめん防弾ぼうだんガラスあつさは50 mmから70 mmに[39]パイロット頭部とうぶ背面はいめん防弾ぼうだん鋼板こうはんも12 mmから20 mmにふえあつされた[48]

Jumo213Eは高度こうど10,600 mにおいても1,260馬力ばりき発揮はっき[49]、その高度こうどでも操縦そうじゅうになんら問題もんだいはなかった。最高さいこう速度そくど高度こうど9,000 mで750 km/h。それも、ドイツせいかならずしも品質ひんしついとはえない87オクタン燃料ねんりょう使用しようしてである[50]。また2しゅ出力しゅつりょく増強ぞうきょう装置そうち装備そうびし、MW50みずメタノール噴射ふんしゃ装置そうちようタンクは70リットル、28ふんぶん用意よういGM-1出力しゅつりょく増加ぞうか装置そうちよう酸化さんか窒素ちっそは60びょうないし150びょうぶん搭載とうさい使用しようにはエンジン出力しゅつりょくは410馬力ばりき向上こうじょうする[51]、または85リットルを搭載とうさいし、高度こうど8,000 - 9,000 mで200馬力ばりき向上こうじょう[52]。MW50を使用しようすれば、高度こうど12,500 mで765 km/hを発揮はっきできた[41]

なお武装ぶそうは、MK108 30 mm モーターカノン (たますう90はつ)と、両翼りょうよくうちつばさMG151 20 mm 機関きかんほうけい2もん(たますうかく150はつ)である[* 6]。なお、Fw190けい戦闘せんとう主翼しゅよくないつばさ武装ぶそう主翼しゅよくのほぼ搭載とうさいされており、プロペラ圏内けんないであるため、プロペラ同調どうちょうしきとなっている[54][55]。また、Hがた野原のはら (2009)などおおくの文献ぶんけんではあずかあつしきキャビンをっており、高度こうど8,000 mであつを0.23に維持いじできる能力のうりょくがあったとされるが[56]フラッペ&ローラン (1999)ではあずかあつしついとされている[49]へんちゅう:これは開発かいはつ途中とちゅう機体きたいことなのかもしれない)。なおあずかあつキャビンの搭載とうさいにより気密きみつ確保かくほする必要ひつようから発射はっしゃあな廃止はいしされたため、従来じゅうらいより活用かつようされていた、専用せんようピストルによる信号しんごうだん照明しょうめいだん発射はっしゃおこなえなくなった[57]。このためほんでは胴体どうたい後部こうぶないにAZA10とう4はつ信号しんごうだん装填そうてんしておける発射はっしゃを、2そなえていた[57]。これはMe262にも搭載とうさいされていたという[57]

実戦じっせん

編集へんしゅう

しゅとしてすで実用じつようされ配備はいびされていたジェット戦闘せんとうメッサーシュミット Me262離着陸りちゃくりく護衛ごえいもちいられたとせつ一般いっぱんてきである[36][58][30]。ただしこのような運用うんようであれば結果けっかてきにはわざわざ高々たかだか戦闘せんとうとしてTa152を開発かいはつせずともFw190Dがた十分じゅうぶんだったのではないかとの指摘してきもある[59]

また、ヨーゼフ・カイル上級じょうきゅう曹長そうちょうは、 1945ねん2がつ21にちB-17撃墜げきつい皮切かわきりに、P-51P-47かく1Yak-9を2撃墜げきついし、Ta152で唯一ゆいいつエースとなった[33][* 7][60]ほかにも、わずかながら実戦じっせん参加さんかしたが、終戦しゅうせんまでに戦果せんか記録きろくしている[60]。また、てき撃墜げきついされたTa152は存在そんざいしないとする文献ぶんけんもあるが[61]、1944ねん7がつにフランスじんエースのピエール・クロステルマン操縦そうじゅうするスピットファイアガーン上空じょうくう撃墜げきついしたともいう[62]

なお有名ゆうめい逸話いつわとして、設計せっけいしゃのクルト・タンク自身じしんによる報告ほうこくだんではあるが、つぎようなものがある。終戦しゅうせん間際まぎわベルリン南部なんぶコットブスでの会議かいぎ出席しゅっせきするため、Ta152を操縦そうじゅうしていたクルト・タンクは、2P-51遭遇そうぐうした。おそいかかられそうになったが、みずメタノール噴射ふんしゃ装置そうち作動さどうさせると、完全かんぜんった[63]田中たなか義夫よしお()はこれはH-0がただったとしている[27]長谷川はせがわ (2007) では、タンクは自身じしんはあくまで民間みんかんじんであるので戦闘せんとうはしない、との信条しんじょうから逃走とうそうえらんだとしているが[18]、『栄光えいこうのドイツ空軍くうぐん』では、タンクが自身じしん民間みんかんじん認識にんしきしていると同時どうじに、そもそもこの機体きたい武装ぶそうはされていたものの実弾じつだん搭載とうさいしていなかったとされている[64]

究極きゅうきょくのレシプロ戦闘せんとうせつ

編集へんしゅう

だい大戦たいせんのドイツ空軍くうぐんにあって、ほぼ最後さいごの、量産りょうさんラインにったレシプロ戦闘せんとうといえるほんは、日本にっぽん出版しゅっぱんぶつにおいて「究極きゅうきょくレシプロ戦闘せんとう」などといった文言もんごんとともに、非常ひじょうこう評価ひょうかあたえられていることがすくなくない[17][65]たしかにレシプロ戦闘せんとうとして限界げんかいちかい750㎞/hちょう速度そくど、30㎜機関きかんほうと20㎜機関きかんほうじゅう武装ぶそう、Hがたにおいては14,000mをえる実用じつよう上昇じょうしょう限度げんどなど、カタログスペックとしてはたかものがあるものの[66]、わずかな部隊ぶたい配備はいびのまま敗戦はいせんむかえており、実戦じっせんにおいてそれらの優秀ゆうしゅうせいしめされた証拠しょうこはなく、ファンてきおもれや出版しゅっぱんぶつ宣伝せんでんコピー以上いじょう意味いみで、そう断言だんげんできる根拠こんきょはないのが実際じっさいである。

歴史れきしぐんぞう編集へんしゅう (2010) では上記じょうき文言もんごんれながらも、唯一ゆいいつ量産りょうさんがたであるHがたでは発動はつどう不調ふちょう多発たはつしておりMW 50使用しようできず、(機械きかい兵器へいきにはつきものの)初期しょき不良ふりょう頻発ひんぱつし、稼働かどうりつ低迷ていめいちゅうてい高度こうどでの飛行ひこう性能せいのう旋回せんかい性能せいのう以外いがいはFw190D-9におとるものであったと言及げんきゅうしている[66]。また同書どうしょではドイツ空軍くうぐんは1945ねん3がつまつ以降いこう特殊とくしゅせいつよこう高度こうどであるHがた生産せいさんり、より量産りょうさん容易よういな、Fw190D-9の機体きたいにモーターカノンとして30㎜機関きかんほう装備そうびした(Ta152とことなり機首きしゅ上部じょうぶの13㎜機関きかんほう2もん弾倉だんそうがバッティングするので廃止はいし)Fw190D-12の量産りょうさん決定けっていしたともしている[66]

ロイヤル・エアクラフト・エスタブリッシュメント(RAE)そらりょくテスト飛行ひこうたい主席しゅせきパイロットであるエリック・ブラウンは20しゅちかいドイツ操縦そうじゅうした経験けいけんつが、かれはその著書ちょしょ『Wings of Luftwaffe』のなかでTa152 H-1を操縦そうじゅうしたときのことを「高度こうど10,700 m以上いじょうでは速度そくど上昇じょうしょうりょく運動うんどうせいにおいてスピットファイアMk.XIXを凌駕りょうがするが、横転おうてん性能せいのうはFw190Aより低下ていかしており、また操縦そうじゅうちから必要ひつよう安定あんていせいもよくないため操縦そうじゅうつかれた。」と述懐じゅっかいしている[67]

戦後せんご、アメリカがイギリス経由けいゆ入手にゅうしゅしたTa 152の1(H-0)が、スミソニアン博物館はくぶつかんのポール・ガーバー施設しせつ倉庫そうこ保管ほかんされている[33]

かくかた特徴とくちょう

編集へんしゅう
Ta152A
野原のはら (2006)によれば、通常つうじょうがた[28]田中たなから (2006)によれば、Jumo213Aを搭載とうさい機首きしゅうちつばさに20 mm機関きかんほうけい4もん搭載とうさいしさらにそとつばさに30 mm機関きかんほう搭載とうさいするA-1、およびそとつばさにも20 mm機関きかんほう装備そうびけい6もんとしたA-2とじゅう武装ぶそうがた[27][24]フラッペ&ローラン(1999)によれば欠番けつばん[15]高々たかだかようのタイプを優先ゆうせんするため、1943ねん7がつ5にち開発かいはつ放棄ほうきされたという[27]野原のはら (2009)によれば、武装ぶそう機首きしゅに20 mm機関きかんほううちつばさに20 mm機関きかんほうを、けい4もんおよび30 mmモーターカノンを装備そうびするが、そもそもFw190D-9と比較ひかくして、性能せいのうじょうのメリットがほとんどなかったため、Cがたえされたとされる。エンジンもFw190D-9と同一どういつである[68]
Ta152B
フラッペ&ローラン (1999)によれば、モーターカノンにMK 10830mmほうを、さらに両翼りょうよくないつばさに1もんずつをそなえたものであったという[15]野原のはら (1999)によれば、30 mmモーターカノンに、両翼りょうよくに30 mm機関きかんほうと20 mm機関きかんほう合計ごうけい4もんと、さらに主翼しゅよくガンポッドじゅう武装ぶそう計画けいかくされていたとある[69]。これは地上ちじょう攻撃こうげきがたであったが、迎撃げいげき戦闘せんとうがた優先ゆうせんする必要ひつようから1944ねん中頃なかごろ開発かいはつ中止ちゅうしされている[70][27]。なお、飯山いいやま (2004)によれば中高なかだか駆逐くちくまたは護衛ごえい戦闘せんとうがたとされている[20]敗戦はいせん直前ちょくぜんにはせるソ連それん陸軍りくぐん対抗たいこうする必要ひつようせいから再度さいど、30 mm機関きかんほう3もん仕様しようでTa152C-3にJumo213E-2とMW50を搭載とうさいするかたちでB-5/R11が試作しさくされ、原型げんけいは1945ねん3がつまたは4がつ完成かんせいしたが、実戦じっせんがた生産せいさんにはいたらなかった[27][71]。Jumo213J(2,240馬力ばりき)と4翅プロペラを装備そうびしたB-7も計画けいかくされていた[72]
Ta152C
主翼しゅよくめたなかてい高度こうどけまたは地上ちじょう攻撃こうげきがたのBシリーズから、エンジンをDB603E(はなれのぼり出力しゅつりょく1,800馬力ばりき[* 8]またはDB603LA(はなれのぼり出力しゅつりょく1,800馬力ばりき[* 9]へと変更へんこうされたタイプ。これにともな空気くうきこう機首きしゅみぎからひだり移設いせつされた[36]あずかあつキャビンは搭載とうさいされていない[36]武装ぶそう機首きしゅうちつばさけい4もんの20 mm機関きかんほう、さらに30 mmモーターカノンも装備そうび[27][74]高度こうど10,000 m付近ふきんで730 km/hを発揮はっきした[72]
長谷川はせがわ (2007)によれば、C-1からC-4までが、野原のはら (2006) / (2009)によればC-1からC-11までが計画けいかくまたは発注はっちゅうされており、1945ねん3がつ以降いこう量産りょうさんおこなわれる予定よていだったが[72]生産せいさん原型げんけい3とC-1がた少数しょうすうのみ(野原のはら (2006) / (2009)によれば17)[33][32]飯山いいやま (2004)によれば、実戦じっせん使用しようされたとせついとせつおお[75]。また、野原のはら (2009)では、JG301にC-1/R11が2のみ配備はいびはされたものの、出撃しゅつげきおこなわれなかったようだとしている[76]
Ta152H-0
Hシリーズはアスペクトたか主翼しゅよくつ、高々たかだか機体きたいさい優先ゆうせん開発かいはつされた[25]。H-0はつばさない燃料ねんりょうタンクを装備そうびしない先行せんこうがた[77][78]
エンジンはJumo213Eを搭載とうさい前述ぜんじゅつしたが、Fw190D-9にも搭載とうさいされたものがJumo213Aで、これは1だん2そくきゅうはなれのぼり1750馬力ばりき高度こうど6,000 mで1,500馬力ばりき高度こうど9,800 mで1,020馬力ばりきうものであった。Jumo213Eがたきゅうを2だん3そくあらため、圧縮あっしゅくを6.5から8.5と大幅おおはばげ、はなれのぼり出力しゅつりょくは1,750馬力ばりき従来じゅうらいのままだが高々たかだか性能せいのうおおきく向上こうじょうし、高度こうど9,800 mで1,420馬力ばりき発揮はっきした[42]。なおJumo213はDB603にくら排気はいきりょうちいさいが、回転かいてんすう馬力ばりきかせいでいる[42]
Ta152H-1
Hシリーズの本格ほんかく量産りょうさんつばさない燃料ねんりょうタンクを装備そうび。エンジンはJumo213EB[79]。Jumo213EにGM-1出力しゅつりょく増加ぞうか装置そうち付加ふかしたもので緊急きんきゅう出力しゅつりょく2,000馬力ばりき[79]または2,170馬力ばりき発揮はっき[27]無線むせん改良かいりょうしたH-2のほか、偵察ていさつかたのH-10/H-11/H-12も計画けいかくされていた[80]
Ta152E
計画けいかくのみ。戦闘せんとう偵察ていさつかたで、Jumo213Eを搭載とうさい。E-0/E-1がたはCがたおなめた主翼しゅよくを、E-2がたはHがたおな主翼しゅよくった[81]偵察ていさつにはかた流用りゅうようすればむとうことで1945ねん2がつ開発かいはつ中止ちゅうしされた[81]
Ta152S
練習れんしゅうで、タンデムじょうふくされている。Cがたベースのもの、Hがたベースのものの2種類しゅるいがあり、1945ねん4がつから生産せいさん予定よていがあったようだが、生産せいさんされたと記録きろくはない[82]

しょもと

編集へんしゅう
性能せいのうしょもと
機体きたい記号きごう Ta152H-1 Ta152C-1/R11
全長ぜんちょう 10.71 m 10.82 m
全幅ぜんぷく 14.44 m 11.00 m
ぜんこう 3.6 m
つばさ面積めんせき 23.50 m2 19.50 m2
自重じちょうりょう 3,920 kg 4,010 kg
全備ぜんび重量じゅうりょう 5,217 kg 4,160 kg[よう検証けんしょう]
速度そくど 751 km/h (9,100 m)
765 km/h (12,500 m、MW50使用しよう)
730 km/h (10,400 m)
巡行じゅんこう速度そくど 500 km/h
航続こうぞく距離きょり 4あいだ[26]または1,550 km[26] 1,100 km
上昇じょうしょう限度げんど 14,800 m 12,300 m
しゅ武装ぶそう 30 mmMK 108 機関きかんほう プロペラじくない × 1、90 はつ
20 mmMG 151/20機関きかんほう 主翼しゅよく × 2、かく 150 - 175 はつ
30 mmMK 108 機関きかんほう プロペラじくない1
20 mm機関きかんほう 機首きしゅ上面うわつら × 2、20 mm機関きかんほう ないつばさ ×2
発動はつどう: Jumo213E-1 はなれのぼり 1,730馬力ばりき
2,230馬力ばりき(MW50みずメタノール噴射ふんしゃ使用しよう)
DB603LA 2,100馬力ばりき
乗員じょういん 1 めい

※ H-1がたしょもと特記とっきかぎり、フラッペ&ローラン (1999) p.451による。数値すうち文献ぶんけんによって若干じゃっかんちがいがられる。C-1/R11については同様どうよう田中たなか文献ぶんけん準拠じゅんきょする。なお田中たなかによればH-1の全長ぜんちょうも10.82 mであり、野原のはら (2006)でも10.810 mであるため、正確せいかく不明ふめい

現存げんそんする機体きたい

編集へんしゅう
型名かためい    番号ばんごう    機体きたい写真しゃしん     国名こくめい 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 状態じょうたい 備考びこう
Ta 152H-0 WkNr.150020 アメリカ 国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん
ポール・E・ガーバー施設しせつ
公開こうかい 静態せいたい展示てんじ [1]

登場とうじょう作品さくひん

編集へんしゅう
【The Cockpit-成層圏せいそうけん気流きりゅう
主人公しゅじんこうのラインダースが上官じょうかんから「汚名おめい返上へんじょうのチャンス」としてTa152-H1をじょうにされる。鹵獲ろかくしたB-17の護衛ごえいをするが1英軍えいぐんにB-17を撃墜げきついされる。のちのその英軍えいぐんはラインダースのTa152-H1に撃墜げきついされ炎上えんじょうする。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ タンクは1943ねん名誉めいよ博士はかせとなっており、それが影響えいきょうしているとする文献ぶんけんもある[19]
  2. ^ ただし航空こうくう情報じょうほうへん「ドイツ軍用ぐんよう全貌ぜんぼう」47ぺーじ(1965ねんたけなわとうしゃ) では、ドイツ航空こうくうしょう (RLM) が「あらたな戦闘せんとうには主任しゅにん設計せっけいしゃ名称めいしょうふくめる」とさだめたとしるされている。
  3. ^ 週刊しゅうかんエアクラフト』No.191によれば、DB603Lシリーズの/DB622/DB623/DB627のいずれかのエンジンを搭載とうさいする計画けいかくであったという[24]
  4. ^ 以下いか正確せいかくにはFw190D-14がた以降いこうでのはなしであるが、突然とつぜんのDB603使用しよう許可きょかは、フラッペ&ローラン(1999) p.414の小野おのよしのりによる訳注やくちゅうによれば、メッサーシュミットしゃ開発かいはつされていたDB603Aエンジンを装備そうび予定よてい新型しんがた軒並のきな開発かいはつ中止ちゅうしとなってしまい、メッサーシュミットしゃジェット戦闘せんとうであるMe 262専念せんねんすることとなったためではないかとおもわれるとされ、飯山いいやま (2004) p.395によれば、メッサーシュミットしゃ以外いがいにも軒並のきな中止ちゅうしになったとされている。
  5. ^ 野原のはらによれば、アメリカの国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん所蔵しょぞうされているTa152-H W.Nr150010を実際じっさい確認かくにんしたところ、この機体きたい垂直すいちょく尾翼びよくまぎれなく木製もくせいであったとしている。
  6. ^ フォッケウルフではモーターカノンははつこころみである[53]
  7. ^ ただしこの文献ぶんけんでは、Ta152にるまでに1、B-17 1、マスタング1機種きしゅ不明ふめい5Yak2ともめる。
  8. ^ 野原のはら (2009) によれば、DB603Aの1だん2そくきゅう大型おおがたのものに強化きょうかしたもので、高度こうど10,000 mで1,060馬力ばりき発揮はっき[73]
  9. ^ 野原のはら (2009) によれば、DB603Lはきゅうを2だん2そくあらただか性能せいのう向上こうじょうさせたもの。高度こうど10,000 mで1,400馬力ばりき発揮はっき[57]。DB603LAはMW50をわせたもので、作動さどうは2,100馬力ばりき発揮はっき[57]

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 23.
  2. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 47.
  3. ^ 長谷川はせがわ 2007, p. 60.
  4. ^ a b 野原のはら 2006, p. 70.
  5. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 190.
  6. ^ a b まる編集へんしゅう 2000, p. 66.
  7. ^ 野原のはら & 塩飽しわく 1993, p. 79.
  8. ^ a b フラッペ & ローラン 1999, p. 399.
  9. ^ 長谷川はせがわ 2007, pp. 63–64.
  10. ^ フラッペ & ローラン 1999, pp. 402–403.
  11. ^ フラッペ & ローラン 1999, pp. 406–407.
  12. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 411.
  13. ^ a b 野原のはら 2009, p. 48.
  14. ^ a b c 飯山いいやま 2007, p. 121.
  15. ^ a b c フラッペ & ローラン 1999, p. 454.
  16. ^ 野原のはら 2006, p. 80.
  17. ^ a b c 矢吹やぶき et al. 2005, p. 37.
  18. ^ a b 長谷川はせがわ 2007, p. 148.
  19. ^ a b 成美せいびどう出版しゅっぱん編集へんしゅう 2000, p. 22.
  20. ^ a b 飯山いいやま 2004, p. 396.
  21. ^ フラッペ & ローラン 1999, pp. 452–454.
  22. ^ 野原のはら 2006, p. 121.
  23. ^ 飯山いいやま 2004, p. 394.
  24. ^ a b 同朋どうほうしゃ 1992, p. 22.
  25. ^ a b c d 野原のはら 2009, p. 62.
  26. ^ a b c d フラッペ & ローラン 1999, p. 459.
  27. ^ a b c d e f g h i 田中たなか, 飯田いいだ & 佐藤さとう 2006, pp. 26–27.
  28. ^ a b 野原のはら 2006, p. 82.
  29. ^ フラッペ & ローラン 1999, pp. 454–455.
  30. ^ a b c 同朋どうほうしゃ 1992, p. 23.
  31. ^ 田中たなか, 飯田いいだ & 佐藤さとう 2006, p. 27.
  32. ^ a b 長谷川はせがわ 2007, p. 76.
  33. ^ a b c d e 野原のはら 2006, p. 83.
  34. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 456.
  35. ^ 田中たなか, 飯田いいだ & 佐藤さとう 2006, p. 29.
  36. ^ a b c d 長谷川はせがわ 2007, p. 75.
  37. ^ 野原のはら 2009, p. 63.
  38. ^ 渡辺わたなべ 1999, p. 31.
  39. ^ a b c d e 野原のはら 2009, p. 94.
  40. ^ 長谷川はせがわ 2007, p. 73.
  41. ^ a b フラッペ & ローラン 1999, p. 451.
  42. ^ a b c 野原のはら 2009, pp. 108–114.
  43. ^ a b 野原のはら 2009, p. 89.
  44. ^ 野原のはら 2009, p. 86.
  45. ^ a b 野原のはら 2009, p. 129.
  46. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 456-457.
  47. ^ 野原のはら 2009, p. 98.
  48. ^ 野原のはら 2009, p. 123.
  49. ^ a b フラッペ & ローラン 1999, p. 457.
  50. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 457-458.
  51. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 458.
  52. ^ 野原のはら 2009, p. 139.
  53. ^ 飯山いいやま 2004, p. 397.
  54. ^ 同朋どうほうしゃ 1991, p. 9.
  55. ^ 青木あおき 2004, p. 234.
  56. ^ 野原のはら 2009, p. 134.
  57. ^ a b c d e 野原のはら 2009, p. 147.
  58. ^ 飯山いいやま 2004, pp. 397–398.
  59. ^ 野原のはら 2009, p. 76.
  60. ^ a b 野原のはら 2009, pp. 74–75.
  61. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 460.
  62. ^ 坂本さかもと 2002, p. 118.
  63. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 9.
  64. ^ 成美せいびどう出版しゅっぱん編集へんしゅう 2000, p. 139.
  65. ^ 河野こうの 2009, p. 67.
  66. ^ a b c 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅう 2010, pp. 206–207.
  67. ^ 手島てじま 1999, p. 89.
  68. ^ 野原のはら 2009, pp. 48–52.
  69. ^ 野原のはら 2009, p. 52.
  70. ^ 野原のはら 2009, pp. 52–53.
  71. ^ 野原のはら 2009, p. 53.
  72. ^ a b c 野原のはら 2009, p. 54.
  73. ^ 野原のはら 2009, p. 104.
  74. ^ 野原のはら 2009, p. 142.
  75. ^ 飯山いいやま 2004, p. 398.
  76. ^ 野原のはら 2009, p. 75.
  77. ^ 野原のはら 2009, p. 97.
  78. ^ フラッペ & ローラン 1999, p. 455.
  79. ^ a b 野原のはら 2009, p. 119.
  80. ^ 野原のはら 2009, p. 64.
  81. ^ a b 野原のはら 2009, p. 61.
  82. ^ 野原のはら 2009, p. 73.

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 青木あおき, けん (2004), 最強さいきょう戦闘せんとう だい世界せかい大戦たいせん, 講談社こうだんしゃ  - デアゴスティーニ・ジャパン、「週刊しゅうかんワールドエアクラフト」をもとさい編集へんしゅうされたもの。
  • 飯山いいやま, 幸信ゆきのぶ (2005), 万能ばんのう列伝れつでん 1939 - 1945 そらのオールラウンダーたち, ミリタリー選書せんしょ, 4, イカロス出版いかろすしゅっぱん 
  • 飯山いいやま, 幸伸ゆきのぶ (2007), “16の視点してんからくドイツ空軍くうぐん実像じつぞう 09 てきよりたかく…成層圏せいそうけんでの戦闘せんとう”, ドイツ空軍くうぐんちょんふみ, 歴史れきしぐんぞう だい大戦たいせん欧州おうしゅう戦史せんしシリーズ, 26, 学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ, ISBN 978-4-05-604789-9 
  • 河野こうの, 嘉之よしゆき (2009), しん紀元きげんしゃ, ISBN 978-4-7753-0529-4  - いわゆるさん資料しりょうであるが、さん資料しりょうで「究極きゅうきょくのレシプロ戦闘せんとう」としょうされているれいとして。
  • 坂本さかもと, あきら (2002), だい図解ずかい 20世紀せいき航空こうくう兵器へいきベスト100, グリーンアロー出版しゅっぱんしゃ, ISBN 4-7663-3341-1  - 軍用ぐんよう100紹介しょうかいだけでなく、軍用ぐんよう基礎きそてきなところもある程度ていど解説かいせつされている。
  • 鈴木すずき, 五郎ごろう (1979), フォッケウルフ戦闘せんとう ドイツ空軍くうぐん最強さいきょうファイター, サンケイ出版しゅっぱん 
    • 鈴木すずき, 五郎ごろう (2006), フォッケウルフ戦闘せんとう ドイツ空軍くうぐん最強さいきょうファイター, 光人みつひとしゃ, ISBN 4-7698-2487-4  - 改訂かいてい文庫ぶんこばん文献ぶんけんとの矛盾むじゅんおおいため現在げんざいはんではほぼ典拠てんきょとして使用しようしていない。くわしくは2013ねん3がつのノートでの議論ぎろん参照さんしょう
  • 成美せいびどう出版しゅっぱん編集へんしゅう, ed. (2000), 栄光えいこうのドイツ空軍くうぐん だい2世界せかい大戦たいせんのドイツ空軍くうぐん戦略せんりゃく最強さいきょう戦闘せんとうぐん, 成美せいびどう 
  • 田中たなか, 義夫よしお; 飯田いいだ, 雅之まさゆき; 佐藤さとう, 幸生こうせい (2006), 田中たなか, 義夫よしお, ed., ドイツ軍用ぐんよう名鑑めいかん 1939-45, ミリタリーイラストレイテッド, 光栄こうえい, ISBN 4-7758-0368-9 
  • 手島てじま, なお (1999), “Fw190にたいする連合れんごうぐんがわ評価ひょうか”, フォッケウルフ Fw190, 世界せかい傑作けっさく, 78, ぶん林堂はやしどう 
  • 同朋どうほうしゃ, ed. (1991), “フォッケ・ウルフFw190 "モズ"”, 週刊しゅうかんAircraft, 123, 同朋どうほうしゃ  - 分冊ぶんさつ百科ひゃっか原著げんちょはイギリスのAerospace Publishing Limitedによる。日本語にほんごばん監修かんしゅう佐貫さぬきまたおとこ久保田くぼた弘敏ひろとし
  • 同朋どうほうしゃ, ed. (1992), “フォッケ・ウルフFw190/Ta152 "ちょうはなたち"”, 週刊しゅうかんAircraft, 191, 同朋どうほうしゃ 
  • 野原のはら, しげる (1990), 図解ずかい 世界せかい軍用ぐんよう 1903‐45, グリーンアロー出版しゅっぱんしゃ, ISBN 978-4766331219 
  • 野原のはら, しげる (2003), ドイツの最強さいきょうレシプロ戦闘せんとう Fw190D&Ta152の全貌ぜんぼう, 光人みつひとしゃ, ISBN 4-7698-1162-4 
  • 野原のはら, しげる (2006), ドイツ空軍くうぐん戦闘せんとう 1935-1945 メッサーシュミットBf109からミサイル迎撃げいげきまで, 世界せかい傑作けっさく 別冊べっさつ, ぶん林堂はやしどう 
  • 野原のはら, しげる (2009), ドイツの最強さいきょうレシプロ戦闘せんとう Fw190D&Ta152の全貌ぜんぼう, 光人みつひとしゃ, ISBN 4-7698-1162-4  - おもにTa152のほう紙幅しふくかれている。巻末かんまつに1945ねん2がつられた、Ta152H-0/H-1操縦そうじゅう技術ぎじゅつようあつかいマニュアルの一部いちぶ掲載けいさいされており、本書ほんしょ掲載けいさいされている図版ずはんおおくはそれからの抜粋ばっすいであるとう。電気でんき系統けいとう整備せいびマニュアル、航空こうくう補給ほきゅうしょうけのマニュアルも紹介しょうかいされている。
  • 野原のはら, しげる; 塩飽しわく, 昌嗣まさし (1990), フォッケウルフFw190D, エアロ・ディテール, 2, だい日本にっぽん絵画かいが, ISBN 4-499-20547-6 
  • 長谷川はせがわ, しのぶ (2007), だい2大戦たいせんのドイツ軍用ぐんよう列伝れつでん, 1, たけなわとうしゃ, ISBN 978-4-87357-265-9 
  • フラッペ, ジャン・ベルナール; ローラン, ジャン・イヴ 小野おのよしのりわけ (1999), フォッケウルフFw190 その開発かいはつ戦歴せんれき, だい日本にっぽん絵画かいが, ISBN 978-4499226981 
  • まる編集へんしゅう (1994), メッサーシュミットBf109/フォッケ・ウルフ Fw190, 軍用ぐんようメカ・シリーズ, 10, 光人みつひとしゃ, ISBN 4-7698-0680-9 
  • まる編集へんしゅう (2000), メッサーシュミットBf109/フォッケ・ウルフ Fw190, 図解ずかい軍用ぐんようシリーズ, 10, 光人みつひとしゃ, ISBN 4-7698-0919-0  - 上記じょうきのハンディ(コンパクト)ばん。これに掲載けいさいされた文書ぶんしょについては特記とっきのないかぎり、より入手にゅうしゅ容易よういおもわれるこちらを参照さんしょうしている。
  • 矢吹やぶき, 明紀あきのり; 伊吹いぶき, 龍太郎りゅうたろう; 市ヶ谷いちがや, ハジメ; 嶋田しまだ, 康弘やすひろ (2005), ドイツ空軍くうぐん LUFTWAFFE 1935-1945, ちょう精密せいみつ「3D CG」シリーズ, 27, ISBN 4-575-47790-7  - さん資料しりょうであるが、ほんときとして「究極きゅうきょくのレシプロ戦闘せんとう」とかんされる場合ばあいのあることや、生産せいさんすうについて参照さんしょうした。
  • 歴史れきしぐんぞう編集へんしゅう (2010), 決定けっていばん だい大戦たいせん 戦闘せんとうガイド, 学研がっけんパブリッシング, ISBN 978-4-05-404647-4 
  • 渡辺わたなべ, 洋二ようじ (1999), “Fw190の開発かいはつかくかた”, フォッケウルフ Fw190, 世界せかい傑作けっさく, 78, ぶん林堂はやしどう 

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう