この項目 こうもく では、1952年 ねん から2009年 ねん まで存在 そんざい した3つの欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の集団 しゅうだん 的 てき 性質 せいしつ (1993年 ねん 以降 いこう の欧州 おうしゅう 連合 れんごう の柱 はしら としての運営 うんえい を含 ふく む)について説明 せつめい しています。これら3つのうちの主要 しゅよう な組織 そしき については「欧州 おうしゅう 経済 けいざい 共同 きょうどう 体 たい 」をご覧 らん ください。
欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい (どうたい、英 えい : European Communities )とは、同 おな じ制度 せいど を持 も つ3つの国際 こくさい 機関 きかん のことである。欧州 おうしゅう 石炭 せきたん 鉄鋼 てっこう 共同 きょうどう 体 たい (ECSC)、欧州 おうしゅう 原子力 げんしりょく 共同 きょうどう 体 たい (EAECまたはEuratom)、欧州 おうしゅう 経済 けいざい 共同 きょうどう 体 たい (EEC)であったが、1993年 ねん のマーストリヒト条約 じょうやく により欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい (EC)に改称 かいしょう され、欧州 おうしゅう 連合 れんごう (EU)が発足 ほっそく した。
1993年 ねん に欧州 おうしゅう 連合 れんごう に編入 へんにゅう されたとき、共同 きょうどう 体 たい は欧州 おうしゅう 連合 れんごう の最初 さいしょ の柱 はしら となった。欧州 おうしゅう 石炭 せきたん 鉄鋼 てっこう 共同 きょうどう 体 たい は、2002年 ねん に設立 せつりつ 条約 じょうやく が失効 しっこう し、消滅 しょうめつ した。2009年 ねん のリスボン条約 じょうやく により、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい は欧州 おうしゅう 連合 れんごう に統合 とうごう され、EUは共同 きょうどう 体 たい の法的 ほうてき 後継 こうけい 者 しゃ となった。EuratomはEUとは別 べつ の組織 そしき として存続 そんぞく しているが、同 おな じ制度 せいど によって管理 かんり されている。
ECSCが先 さき に作 つく られた。1950年 ねん にシューマン宣言 せんげん で提案 ていあん された後 のち 、ベルギー 、フランス 、イタリア 、ルクセンブルグ 、オランダ 、西 にし ドイツ が集 あつ まり、1951年 ねん にパリ条約 じょうやく に調印 ちょういん し、共同 きょうどう 体 たい が設立 せつりつ された。この共同 きょうどう 体 たい の成功 せいこう により、さらなる共同 きょうどう 体 たい の創設 そうせつ が望 のぞ まれたが、欧州 おうしゅう 防衛 ぼうえい 共同 きょうどう 体 たい と欧州 おうしゅう 政治 せいじ 共同 きょうどう 体 たい の創設 そうせつ を試 こころ みたが失敗 しっぱい し、経済 けいざい 的 てき な問題 もんだい に回帰 かいき することになった。1957年 ねん 、ローマ条約 じょうやく により、EAECとEECが設立 せつりつ された。EAECとEECは、ECSCのいくつかの制度 せいど を共有 きょうゆう することになったが、執行 しっこう 機構 きこう は別個 べっこ のものであった[1] 。
ECSCの目的 もくてき は、加盟 かめい 国 こく の石炭 せきたん と鉄鋼 てっこう の産業 さんぎょう を統合 とうごう し、それらの資源 しげん の単一 たんいつ 市場 いちば を作 つく ることで、欧州 おうしゅう の繁栄 はんえい を図 はか り、欧州統合 おうしゅうとうごう の過程 かてい でこれらの国 くに が戦争 せんそう に巻 ま き込 こ まれる危険 きけん 性 せい を減 へ らすことだった。EAECは、加盟 かめい 国 こく 間 あいだ の原子力 げんしりょく 協力 きょうりょく に取 と り組 く んでいた。EECは、関税 かんぜい 同盟 どうめい と一般 いっぱん 的 てき な経済 けいざい 協力 きょうりょく の構築 こうちく を目指 めざ すものであった。その後 ご 、欧州 おうしゅう 単一 たんいつ 市場 いちば の創設 そうせつ につながった[2] 。
EECはEUの欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の柱 はしら となり、ECSCとEAECは、法的 ほうてき には別々 べつべつ に存在 そんざい しながら、あたかもEUの制度 せいど によって統治 とうち される、同様 どうよう の従属 じゅうぞく 的 てき な位置 いち づけを続 つづ けていた。ECSCの条約 じょうやく は50年 ねん の期限 きげん 付 つ きであったため、2002年 ねん に失効 しっこう し、その活動 かつどう はすべて欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい に吸収 きゅうしゅう された[3] 。EAECにはそのような期限 きげん がないため、現在 げんざい も存続 そんぞく している。欧州 おうしゅう の有権者 ゆうけんしゃ にとって原子力 げんしりょく はデリケートな問題 もんだい であるため、この条約 じょうやく は調印 ちょういん 以来 いらい 改正 かいせい されることなく、欧州 おうしゅう 憲法 けんぽう が他 た のすべての条約 じょうやく を廃止 はいし することを意図 いと していたため、改正 かいせい されることさえなかった(憲法 けんぽう の後継 こうけい であるリスボン条約 じょうやく も同様 どうよう に、改正 かいせい を試 こころ みないままである)[4] [5] 。
EAECの知名度 ちめいど は低 ひく く、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の知名度 ちめいど もEUのそれに比 くら べて低 ひく いため、「欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい 」という言葉 ことば はあまり使 つか われない。しかし、EU設立 せつりつ 当初 とうしょ 、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい のみを扱 あつか う機関 きかん 、あるいは主 おも に欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい を扱 あつか う機関 きかん (3本 ほん 柱 ばしら すべてではなく)は元 もと の名称 めいしょう を残 のこ しており、例 たと えば、欧州 おうしゅう 司法 しほう 裁判所 さいばんしょ の正式 せいしき 名称 めいしょう は2009年 ねん まで「欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい 司法 しほう 裁判所 さいばんしょ 」であった[6] 。
1967年 ねん 、合併 がっぺい 条約 じょうやく により、これらの別個 べっこ の執行 しっこう 機関 きかん が統合 とうごう された。EECの委員 いいん 会 かい と理事 りじ 会 かい は、他 た の組織 そしき の対応 たいおう する責任 せきにん を引 ひ き継 つ ぐことになったのである。それ以降 いこう 、これらの組織 そしき は「欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい 」と総称 そうしょう されるようになり、例 たと えば欧州 おうしゅう 委員 いいん 会 かい は「欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい 委員 いいん 会 かい 」と呼 よ ばれるようになったが、法的 ほうてき には共同 きょうどう 体 たい そのものは別個 べっこ のままであった[7] 。
欧州 おうしゅう 連合 れんごう 条約 じょうやく は、欧州 おうしゅう 連合 れんごう の創設 そうせつ について単一 たんいつ 欧州 おうしゅう 議定 ぎてい 書 しょ と欧州 おうしゅう の統合 とうごう に関 かん する宣言 せんげん を土台 どだい に起草 きそう されている。欧州 おうしゅう 連合 れんごう 条約 じょうやく は1992年 ねん 2月 がつ 7日 にち に調印 ちょういん され、1993年 ねん 11月1日 にち に発効 はっこう した。欧州 おうしゅう 連合 れんごう とは従来 じゅうらい の欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい に替 か わるものであり、また欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい は政策 せいさく 分野 ぶんや の欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい として3つの柱 はしら 構造 こうぞう に組 く み入 い れられた。このとき欧州 おうしゅう 経済 けいざい 共同 きょうどう 体 たい は欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい に改称 かいしょう され、欧州 おうしゅう 連合 れんごう としての初代 しょだい 欧州 おうしゅう 委員 いいん 会 かい 委員 いいん 長 ちょう には、欧州 おうしゅう 経済 けいざい 共同 きょうどう 体 たい の委員 いいん 長 ちょう であったジャック・ドロール が、1994年 ねん にジャック・サンテール に交替 こうたい するまで務 つと めた。
アムステルダム条約 じょうやく では査証 さしょう 、不法 ふほう 移民 いみん 、難民 なんみん といった人 ひと の移動 いどう の自由 じゆう についての政策 せいさく を司法 しほう ・内務 ないむ 協力 きょうりょく の柱 はしら から欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の柱 はしら の対象 たいしょう 分野 ぶんや に変更 へんこう した(なおこれにより司法 しほう ・内務 ないむ 協力 きょうりょく は警察 けいさつ ・刑事 けいじ 司法 しほう 協力 きょうりょく に改称 かいしょう された)[8] 。またアムステルダム条約 じょうやく とニース条約 じょうやく では共同 きょうどう 決定 けってい 手続 てつづき を用 もち いる案件 あんけん を拡張 かくちょう し、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の対象 たいしょう とするほぼすべての政策 せいさく 分野 ぶんや において欧州 おうしゅう 議会 ぎかい は欧州 おうしゅう 連合 れんごう 理事 りじ 会 かい と対等 たいとう の権限 けんげん を有 ゆう することになった。
2002年 ねん 、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい を構成 こうせい する3共同 きょうどう 体 たい の1つである欧州 おうしゅう 石炭 せきたん 鉄鋼 てっこう 共同 きょうどう 体 たい の根拠 こんきょ 条約 じょうやく であるパリ条約 じょうやく が、ほかの基本 きほん 条約 じょうやく にはない50年 ねん という有効 ゆうこう 期限 きげん を持 も っていたために、その効力 こうりょく が消滅 しょうめつ した。ほかの基本 きほん 条約 じょうやく と重複 じゅうふく するものと考 かんが えられていたためパリ条約 じょうやく は更新 こうしん されることがなく、かわりにニース条約 じょうやく においてパリ条約 じょうやく の要素 ようそ は欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい 設立 せつりつ 条約 じょうやく に継承 けいしょう され、欧州 おうしゅう 石炭 せきたん 鉄鋼 てっこう 共同 きょうどう 体 たい の機能 きのう は欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の機構 きこう により欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の政策 せいさく 分野 ぶんや の一部 いちぶ として引 ひ き継 つ がれた。2009年 ねん に発効 はっこう したリスボン条約 じょうやく では3本 ほん 柱 ばしら 構造 こうぞう が廃止 はいし され、これにより欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい はその法人 ほうじん 格 かく を欧州 おうしゅう 連合 れんごう が継承 けいしょう したことで消滅 しょうめつ し、欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい 設立 せつりつ 条約 じょうやく も「欧州 おうしゅう 連合 れんごう の機能 きのう に関 かん する条約 じょうやく 」に改称 かいしょう された。いっぽうで欧州 おうしゅう 原子力 げんしりょく 共同 きょうどう 体 たい については欧州 おうしゅう 連合 れんごう と完全 かんぜん に統合 とうごう せず、欧州 おうしゅう 連合 れんごう の内部 ないぶ で独立 どくりつ した主体 しゅたい として存続 そんぞく している。
合併 がっぺい 条約 じょうやく により、3つの共同 きょうどう 体 たい はすべて同 おな じ制度 せいど 的 てき 枠組 わくぐ みによって統治 とうち されることになった。1967年 ねん 以前 いぜん は、ECSCによって設立 せつりつ された共通 きょうつう 会議 かいぎ /欧州 おうしゅう 議会 ぎかい と司法 しほう 裁判所 さいばんしょ はすでにEECとEAECに共有 きょうゆう されていたが、それぞれ異 こと なる役員 やくいん を擁 よう していた。1967年 ねん の条約 じょうやく により、ECSCとEAECの事務 じむ はEECの理事 りじ 会 かい と委員 いいん 会 かい が担当 たんとう することになり、ECSCとEAECの理事 りじ 会 かい 、EAECの委員 いいん 会 かい 、ECSCの最高 さいこう 機関 きかん は廃止 はいし された。1993年 ねん に欧州 おうしゅう 連合 れんごう が設立 せつりつ されるまで、この3つの共同 きょうどう 体 たい が統治 とうち していた。
欧州共同体 おうしゅうきょうどうたい の柱 はしら は以下 いか の分野 ぶんや を対象 たいしょう としている[8] 。