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ロッキード L-1011 トライスター - Wikipedia

ロッキード L-1011 トライスター

ロッキードしゃ(げんロッキードマーティンしゃ)が開発かいはつした.さんはつがたジェット旅客機りょかくき

L-1011 トライスター

デモンストレーション飛行を行うトライスター

デモンストレーション飛行ひこうおこなうトライスター

ロッキード L-1011 トライスター (アメリカ英語えいご: Lockheed L-1011 TriStar) は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくロッキードしゃ現在げんざいロッキード・マーティンしゃ)が開発かいはつ製造せいぞうした同社どうしゃ唯一ゆいいつワイドボディ3はつジェット旅客機りょかくきである。(他社たしゃ存在そんざいする。)

1011はテンイレブンむ。航空こうくう時刻じこくひょうでの略号りゃくごうが、L10だったこともあり、エルテンという通称つうしょうもある(には「TRとう)。トライスター (TriStar) という愛称あいしょうもロッキードしゃ公式こうしきづけたもので、エンジン3オリオンの「三ツ星みつぼし」になぞらえている。これは、ロッキードしゃ伝統でんとうてきほし星座せいざなど天文てんもん由来ゆらいする名称めいしょうをつけることによる。

概要がいよう

編集へんしゅう
 
イギリス・アトランティック航空こうくうのL-188C エレクトラ

ロッキードしゃとしてはつのジェット旅客機りょかくきとして1960年代ねんだい開発かいはつ開始かいしされ、1972ねんイースタン航空こうくうをはじめとする航空こうくう会社かいしゃへの引渡ひきわたしが開始かいしされた。

ロッキード コンステレーションシリーズで、レシプロ時代じだいにはダグラス・エアクラフト開発かいはつ販売はんばい競争きょうそうひろげたロッキードしゃだったが、ターボプロップロッキード L-188 エレクトラ開発かいはつしているあいだにライバルはボーイング707ダグラス DC-8といったジェット旅客機りょかくき開発かいはつ成功せいこうしていたためにロッキードはジェットなみおくれてしまった。さらに、エレクトラ自体じたい設計せっけいミスで空中くうちゅう分解ぶんかい事故じここすなど、1960年代ねんだいはいるとロッキードの旅客機りょかくきメーカーとしての地位ちいおおきく低下ていかしてしまっていた。このため、同社どうしゃ起死回生きしかいせいねらって投入とうにゅうした航空機こうくうきほん機種きしゅ、トライスターである。

トライスターは、回路かいろ表示ひょうじ先進せんしんされわかりやすいと好評こうひょうはくしたコックピットのスイッチぐん、スマートだがたか客室きゃくしつゆうし、ちゅう2かい客室きゃくしつ貨物かもつしつ構造こうぞうにエレベーターを設置せっち乗務じょうむいん運搬うんぱん負荷ふか軽減けいげんにもむなど、挑戦ちょうせんてき設計せっけいがふんだんにほどこされた機体きたいだった。

とりわけ、自動じどう操縦そうじゅう装置そうちについては軍用ぐんようのトップクラスメーカーとしてのノウハウがかされた、当時とうじとしては先進せんしんてきなカテゴリーIII対応たいおうのものが採用さいようされており、現在げんざいのいわゆる「ハイテク」の元祖がんそともいえる存在そんざいである。しかし、後述こうじゅつするようにほん機種きしゅはエンジンの開発かいはつ遅延ちえん生産せいさん不良ふりょうなどで発売はつばいおくれ、トライスターは「はやぎたハイテク」としょうされることもある[1]

その一方いっぽうで、マクドネル・ダグラス DC-10との販売はんばい競争きょうそうはげしくなり、その過程かてい日本にっぽんでは全日本空輸ぜんにほんくうゆ幹部かんぶ販売はんばい代理だいりてん丸紅まるべに幹部かんぶ政界せいかい逮捕たいほしゃ疑獄ぎごく事件じけんロッキード事件じけん」も発生はっせいした。なお、このときロッキード関連かんれん疑惑ぎわく日本にっぽんのみではなく、イギリスなど西側にしがわ諸国しょこくでも政治せいじ辞職じしょく相次あいつぐなど、政治せいじスキャンダルに発展はってんした。この事件じけんでは、L-188の失敗しっぱいをトライスターで挽回ばんかいしようとしたロッキードしゃが、販売はんばい不振ふしん苦悩くのうした経営けいえいじん焦燥しょうそうかんられた結果けっか国際こくさいてき贈収賄ぞうしゅうわい事件じけん発展はってんしたといわれている。

ほん機種きしゅ販売はんばい不振ふしんは、ロッキードが民間みんかん航空機こうくうき事業じぎょうから撤退てったいするきっかけともなった。最終さいしゅうてきに1981ねんぜん250製造せいぞうした時点じてん生産せいさん終了しゅうりょうされ、これをもってロッキードは民間みんかん航空機こうくうき事業じぎょうから撤退てったいした。一方いっぽうマクドネル・ダグラスも、この(値引ねびきをふくみ)競争きょうそうおおきな痛手いたでこうむった。

沿革えんかく

編集へんしゅう

背景はいけい

編集へんしゅう
   
C-5A ギャラクシー
AH-56 シャイアン

ロッキードでは1964ねんボーイングダグラスとの受注じゅちゅう合戦かっせんすえアメリカ空軍くうぐん導入どうにゅうされる輸送ゆそうであるC-5A ギャラクシー開発かいはつおよび生産せいさん受注じゅちゅうすることに成功せいこうした[2]。しかし、主力しゅりょく商品しょうひんであったF-104生産せいさんわりつつあり、ロッキードの経営けいえい状態じょうたいはさほど安定あんていした状態じょうたいではなかった[2]。このため、ロッキードはF-104の後継こうけいとしてCL-1010 スーパースターファイターを提案ていあんしたが、採用さいようするくにはなかった[2]。また、いったんはアメリカ陸軍りくぐんから開発かいはつおよび生産せいさん契約けいやくけたAH-56 シャイアン開発かいはつ失敗しっぱいしたうえ計画けいかく自体じたい大幅おおはば見直みなおしによりキャンセルとなっていた[2]

さらに、受注じゅちゅう合戦かっせんてに契約けいやくったギャラクシーも、アメリカ国防こくぼう予算よさん削減さくげん余波よはけ、空軍くうぐん調達ちょうたつ価格かかく削減さくげんされた[2]。それは開発かいはつにも影響えいきょうおよぼし、機体きたい重量じゅうりょう増加ぞうか対応たいおうするべく要求ようきゅう仕様しよう変更へんこうもうたがれられず、やむを小手先こてさき処置しょちおこなった結果けっか、ギャラクシーは主翼しゅよく強度きょうど問題もんだい発生はっせいし、結局けっきょくさい設計せっけいおこなうことになった[3]。また、コスト見積みつもりのあまさなどもあり、生産せいさんすう当初とうしょ予定よていの115から81らされる始末しまつであった[3]

一方いっぽう旅客機りょかくき市場いちばにおいて、ロッキードは「ジェット旅客機りょかくき開発かいはつ時期じき尚早しょうそう」と判断はんだん[2]、アメリカではそだたないとわれていたエンジンを4搭載とうさい(4はつ)したターボプロップL-188 エレクトラ開発かいはつ着手ちゃくしゅした[2]。しかし、採算さいさん見込みこみがたない状態じょうたいでプログラムのりを余儀よぎなくされていたうえ設計せっけいミスに起因きいんする空中くうちゅう分解ぶんかい事故じこにより速度そくど制限せいげんされたため、燃費ねんぴなどを考慮こうりょしてもコンベア880ボーイング720などの中距離ちゅうきょりようジェット機じぇっとき太刀打たちうちできず[2]ロッキードは社内しゃないのリソースをギャラクシーに集中しゅうちゅうしたこともあり、エレクトラの販売はんばいすうは144[注釈ちゅうしゃく 1]低迷ていめい旅客機りょかくきメーカーとしての地位ちいおおきく低下ていかした。アメリカ政府せいふちょう音速おんそく旅客機りょかくきしゅ開発かいはつ会社かいしゃ一旦いったんロッキードに決定けっていしたにもかかわらず、のちにこれをひるがえして1966ねん12月にボーイングに決定けっていするという出来事できごともあった[2]。なおエレクトラは設計せっけい見直みなおすことで、低速ていそく機内きないひろいという特性とくせいかし哨戒しょうかいP-3としてさい開発かいはつされ、500えるベストセラーとなったこともあり、ロッキードは軍用ぐんようビジネスへ注力ちゅうりょくしていくことになる。

開発かいはつ経緯けいい

編集へんしゅう

このような状況じょうきょうから、ロッキードがふたた旅客機りょかくき市場いちば復帰ふっきするにあたっては、ボーイングやダグラスの旅客機りょかくき比較ひかくしても先進せんしんてき旅客機りょかくき旅客機りょかくき市場いちばおく必要ひつようがあった[4]。そのため、社運しゃうんけ、同社どうしゃ技術ぎじゅつりょくすべてを新型しんがた旅客機りょかくき投入とうにゅうすることになった[4]

1966ねん2がつにロッキードは、エンジンを2搭載とうさい双発そうはつ)する旅客機りょかくき開発かいはつ構想こうそう「CL-1011」を立案りつあんし、同年どうねん3がつにはアメリカ連邦れんぽう航空局こうくうきょく(FAA)にこの構想こうそう説明せつめいおこなった。また、アメリカ空軍くうぐん管理かんりしていたカリフォルニアしゅうパームデールにある航空機こうくうき製造せいぞう施設しせつけ、新型しんがた旅客機りょかくき製造せいぞう設備せつび整備せいびおこなった。

一方いっぽうアメリカン航空こうくうは1966ねん3月25にちあたらしい双発そうはつ大型おおがた旅客機りょかくき開発かいはつするよう要求ようきゅうしていた[5]。これは、アドバンスド・ジャンボ・ツイン中距離ちゅうきょり旅客機りょかくきばれるもので、以下いかのような仕様しようとなっていた[5]

  • 推力すいりょく4まんポンド程度ていどこうバイパスエンジンを搭載とうさい
  • 座席ざせきはシートピッチを36インチで合計ごうけい250せき
  • 乗客じょうきゃく1にんたり250ポンドの手荷物てにもつと、5000ポンドの貨物かもつ
  • 航続こうぞく距離きょりは1850ノーティカルマイル(うみさと(3426キロメートル)

さらに、のち全幅ぜんはば155フィート(47メートル)以内いない全長ぜんちょうは180フィート(55メートル)以内いないあらためられた。

ロッキードでは、アメリカン航空こうくう以外いがい航空こうくう会社かいしゃからも討議とうぎおこなった[4]結果けっか交通こうつうりょうおお都市としあいだルートの平均へいきん距離きょりが400マイルであることから、旅客機りょかくき航続こうぞく距離きょりは1400マイルあれば十分じゅうぶんかんがえ、座席ざせきすうも230せきから250せき程度ていどかんがえた[4]。しかし、双発そうはつではロッキー山脈さんみゃくえるルートや洋上ようじょう飛行ひこうたいする要求ようきゅうたすことはできないと判断はんだんし、計画けいかくをエンジンを3搭載とうさい3はつ)する旅客機りょかくき変更へんこうした[4]

ロッキードは、こうした新型しんがた旅客機りょかくきはアメリカだけにまらず、ヨーロッパでもおおきな需要じゅようがあるとかんがえた[6]。そのため、新型しんがた旅客機りょかくきのエンジンには、ロールス・ロイスRB211エンジン採用さいようすることにした。RB211の燃料ねんりょう消費しょうひりつ他社たしゃのエンジンと比較ひかくしてすぐれていたことから、アメリカン航空こうくう満足まんぞくさせることも可能かのうという判断はんだんであった[6]

1967ねん9がつにロッキードは、「L-1011 トライスターの受注じゅちゅう体制たいせいととのった」と発表はっぴょうした。これは、アメリカン航空こうくうユナイテッド航空こうくうイースタン航空こうくうトランス・ワールド航空こうくうナショナル航空こうくうなどの大手おおて航空こうくう会社かいしゃからの受注じゅちゅう見込みこんでの発表はっぴょうであった[7]。これは、ライバルのマクドネル・ダグラス(本節ほんぶしでは、以下いかたんに「ダグラス」とする)DC-10が開発かいはつ計画けいかく発表はっぴょうするより2かげつほどまえのことである。ダグラスでは、急遽きゅうきょ同年どうねん11がつにDC-10の開発かいはつ計画けいかく発表はっぴょうしたが、その時点じてんではまだDC-10の基本きほん設計せっけい完了かんりょうしていなかった[7]。この時点じてんでは、あきらかにロッキードはダグラスをリードしていた。

当時とうじのロッキードにたいする一般いっぱんてきなイメージは軍用ぐんようメーカーで、アメリカ国民こくみんならだれでもそのっている存在そんざいであった[7]。そのロッキードが、技術ぎじゅつりょく結集けっしゅうしてつくった旅客機りょかくきであれば、それが技術ぎじゅつてきすぐれた旅客機りょかくきであることも、想像そうぞうするのは容易よういであった[6]

しかし、いくら技術ぎじゅつてき先進せんしんてきで、開発かいはつ順調じゅんちょうであるとはいえ、ことジェット旅客機りょかくきかんしてはまった実績じっせきがなかったため、実際じっさい導入どうにゅうする航空こうくう会社かいしゃがわ反応はんのうことなり、トライスターの導入どうにゅう躊躇ちゅうちょする航空こうくう会社かいしゃもあった。現実げんじつ1968ねん2がつ19にち構想こうそう段階だんかいふかかかわっていたアメリカン航空こうくうが、ライバルであるDC-10を合計ごうけい50発注はっちゅうしたことが発表はっぴょうされた[6]。ロッキード社内しゃないではアメリカン航空こうくうからの受注じゅちゅう確実視かくじつししていたため、同社どうしゃにとってはおおきな痛手いたでであった[6]一方いっぽうで、アメリカン航空こうくうやユナイテッド航空こうくうがDC-10導入どうにゅう決定けっていするのであれば、対抗たいこうじょう、ロッキードのしん技術ぎじゅつものにした機材きざい自社じしゃ看板かんばん商品しょうひんにしようとかんがえる航空こうくう会社かいしゃ存在そんざいした[6]

同年どうねん3がつ29にちにはイースタン航空こうくうから50、トランス・ワールド航空こうくうから44、エア・ホールディングスから50受注じゅちゅうし、一挙いっきょ受注じゅちゅうすうは100えた。さらに4がつ3にちにはデルタ航空こうくうから24受注じゅちゅうするにいたり、同日どうじつにローンチ(生産せいさんプログラム開始かいし)を発表はっぴょう、DC-10よりさき製造せいぞう開始かいしされることになった[6]。なお、ユナイテッド航空こうくうは、1985ねんにパンアメリカン航空こうくう太平洋たいへいよう路線ろせんとその運航うんこう機材きざい買収ばいしゅうしたさいに、パンアメリカン航空こうくう運航うんこうしていたトライスターの長距離ちょうきょりがたの-500をゆずけ、その運行うんこうすることとなった。

危機ききてき状況じょうきょう

編集へんしゅう
 
開発かいはつ難航なんこうしたロールス・ロイス RB.211

開発かいはつはRB211がたエンジンのさい設計せっけいなどの影響えいきょうもありややおくれた。ロールアウトは1970ねん9月15にちはつ飛行ひこう同年どうねん11がつ16にちとDC-10より2かげつはんほどおくれたものの、その飛行ひこうテストは順調じゅんちょう推移すいいした[8]

ところが1971ねん2がつになって、RB211がたエンジンのさい設計せっけいなどで負債ふさい増加ぞうかしたロールス・ロイスが破産はさんする事態じたいになった。ロールス・ロイスはイギリスの軍需ぐんじゅ産業さんぎょう一翼いちよくになっていたこともあり、イギリス政府せいふ支援しえんすことになった[9]赤字あかじ元凶げんきょうであるRB211がた生産せいさん継続けいぞくするかは、すぐにめられるような状況じょうきょうではなかった[9]

 
ロールス・ロイスの国有こくゆうすすめたイギリス首相しゅしょうエドワード・ヒース

トライスターはRB211がた使用しようすることを前提ぜんていにして設計せっけいした旅客機りょかくきであり、メーカーのエンジンへの交換こうかん考慮こうりょされていなかった。ゼネラル・エレクトリックCF6がたエンジンプラット・アンド・ホイットニーJT9Dがたエンジンかわそうすることも検討けんとうされたが、だい2エンジンのSダクトはRB211がた搭載とうさい前提ぜんていとして設計せっけいされており、のエンジンも使用しよう可能かのうとするにはだい規模きぼさい設計せっけいおこなうしかなかった[8]

また、ロッキードとしても、すで多額たがく開発かいはつ投入とうにゅうしているトライスターをあきらめることはできなかった。当時とうじのロッキードはギャラクシーの開発かいはつ増大ぞうだいにより、1971ねんには赤字あかじが1おく8,780まんドルにたっしていた[8]。これはギャラクシーとトライスターの順調じゅんちょう納入のうにゅうによって、はじめて回収かいしゅう可能かのうとなる金額きんがくであった[8]。つまり、ロッキードにはトライスターの開発かいはつ中止ちゅうしするという選択肢せんたくしゆるされていなかったのである。

このため、ロッキード社長しゃちょうみずからがイギリス政府せいふ交渉こうしょうおこな[8]、RB211がた生産せいさん続行ぞっこうされることが決定けっていした。また、最終さいしゅうてきにはアメリカ政府せいふがトライスターの製造せいぞう保証ほしょうする条件じょうけんで、イギリス政府せいふからRB211がた生産せいさん休止きゅうしたいする補償ほしょうけられることにもなり[9]、ロッキードの経営けいえい危機きき回避かいひされることとなった。

 
ローンチカスタマー、イースタン航空こうくうのL-1011

1972ねん4がつ15にちにはFAAの型式けいしき証明しょうめい取得しゅとく同月どうげつちゅうにはDC-10より9かげつおくれてイースタン航空こうくうでの運航うんこう開始かいしされた。

販売はんばい不振ふしん

編集へんしゅう

ロッキードがひさしぶりに開発かいはつした旅客機りょかくきで、しかもはつ大型おおがたジェット旅客機りょかくきであり、あたらしい機能きのう多数たすうまれて完成かんせいたかいものであったが、前述ぜんじゅつのエンジン開発かいはつおくれのため販売はんばい開始かいしおくれたこと、標準ひょうじゅんがた航続こうぞく距離きょりみじかさ、そしてボーイングしゃマクドネル・ダグラスしゃ販売はんばいもう太刀打たちうちできなかったことから販売はんばい不振ふしんわった。とくに、南半球みなみはんきゅう航空こうくう会社かいしゃからの新規しんき発注はっちゅうはほとんどなかった。なお、ロッキードしゃ開発かいはつ遅延ちえんによる販売はんばい不振ふしん打開だかいしようと賄賂わいろ工作こうさく売込うりこみをはかった。後述こうじゅつするロッキード事件じけんはそのいちれいである。

マクドネル・ダグラスがさき開発かいはつ販売はんばいしていたDC-10と比較ひかくすると、旅客機りょかくきとしての完成かんせいはトライスターのほうたかかったとわれている[だれによって?]が、トライスターを採用さいようする航空こうくう会社かいしゃすくなかった[注釈ちゅうしゃく 2]。また、DC-10はアメリカ空軍くうぐんから空中くうちゅう給油きゅうゆKC-10としての受注じゅちゅうにも成功せいこうし、生産せいさん規模きぼ確保かくほ成功せいこうした。

発展はってんせいまずしさもトライスターの販売はんばい不振ふしん要因よういんであった。ライバルのDC-10は将来しょうらい航続こうぞく延長えんちょうがた開発かいはつするため最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょう増加ぞうか考慮こうりょしてセンターギアの装備そうび可能かのうなように計画けいかくされていた。そのためDC-10-30、-40といった長距離ちょうきょりがた開発かいはつ容易よういおこなわれ、結局けっきょくこれらの長距離ちょうきょりがた販売はんばいすうおおくをめていた。しかし、トライスターはセンターギアを装備そうびできず、後述こうじゅつするように、そのまま最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょう増加ぞうかさせると空港くうこう施設しせつ許容きょようされる接地せっちめんあつえてしまうという問題もんだい直面ちょくめんした。そこで、胴体どうたい短縮たんしゅくすることで軽量けいりょうおこな航続こうぞく距離きょり延長えんちょうした仕様しよう(-500がた)が開発かいはつされたが、胴体どうたい短縮たんしゅくともなうペイロードの減少げんしょうにより運航うんこうコストめん不利ふりであったうえに、わたしが1979ねん4がつになるなど開発かいはつ就航しゅうこうのタイミングがおそくなってしまった。

また、そのエアバスしゃ当初とうしょ近距離きんきょりがた中心ちゅうしんであったものの、エンジンが2のため燃費ねんぴ効率こうりつく、整備せいび費用ひようおさえられる A300 かた開発かいはつ販売はんばいした[注釈ちゅうしゃく 3]。そのもジェットエンジンの性能せいのう向上こうじょうつづき、中距離ちゅうきょり中型ちゅうがた旅客機りょかくき双発そうはつ主流しゅりゅうとなり、上記じょうきのように航続こうぞく距離きょり大幅おおはばばした-500がた投入とうにゅうされたりしたものの、販売はんばい苦戦くせんつづけた。

日本にっぽんにおけるトライスター

編集へんしゅう
 
全日空ぜんにっくう トライスター (JA8508 大阪国際空港おおさかこくさいくうこう 1993ねん

日本にっぽんでは全日空ぜんにっくう以後いご、ANA)のみが同社どうしゃはつのワイドボディ旅客機りょかくきとして1974ねんから導入どうにゅうし、最盛さいせいには21保有ほゆうした。導入どうにゅうさいしてダグラスDC-10ボーイング747検討けんとうされたが、騒音そうおん問題もんだいかかえていた大阪国際空港おおさかこくさいくうこうでの発着はっちゃくかんがえ、そのしずかおんせい2機種きしゅくらべてすぐれたトライスターがえらばれることとなった。とくにDC-10にかんしてはダグラスが騒音そうおん検査けんさ不正ふせいおこなったことが不信ふしんかんむこととなり、そのANAはマクドネル・ダグラスふくめ、1としてダグラス導入どうにゅうすることはなかった。 この導入どうにゅうさいしてロッキードから当時とうじ首相しゅしょうであった田中たなか角栄かくえい賄賂わいろが、またANAが複数ふくすう政治せいじ贈賄ぞうわいしていたことがわかり(ロッキード事件じけん)、この捜査そうさ過程かていでANAと政財界せいざいかい癒着ゆちゃく疑獄ぎごく事件じけん発覚はっかくした。

トライスターの導入どうにゅう当初とうしょ時刻じこくひょうおおきなマークがれられたり、客室きゃくしつ乗務じょうむいん制服せいふく同機どうき導入どうにゅうとも一新いっしんする[10]など、ANAのフラグシップ幹線かんせん主力しゅりょくとして活躍かつやくするかとかんがえられた。その同社どうしゃ最初さいしょ国際線こくさいせん定期ていき運航うんこうよう機材きざい起用きようされ、グアム香港ほんこんなどの近距離きんきょり路線ろせん投入とうにゅうされたほか現行げんこうのトリトンブルー塗装とそうはじめて採用さいようされる(JA8514)など脚光きゃっこうびることもあった。

しかし、1979ねん納入のうにゅうされたB747SR(スーパージャンボ)くらべて輸送ゆそうりょう座席ざせきすう)と航続こうぞく距離きょり[11]めんで、1983ねん納入のうにゅうされた双発そうはつB767-200くらべて経済けいざいせいおとっているてん見受みうけられるようになった。

さらに運航うんこう設備せつびめんでは、滑走かっそうちょうが2500m以上いじょう必要ひつようになるとう発着はっちゃくできる空港くうこう限定げんていされていた[12]国内こくない幹線かんせんにはスーパージャンボがてられ、1990ねんからは当時とうじ最新さいしんがたB747-400(テクノジャンボ)がフリートとしてくわわることとなった(1992ねんからはB747-400D)。地方ちほう路線ろせんはB767-200がてられ、こちらも座席ざせき増加ぞうかがたB767-300[13]がフリートとしてくわわった。

このようにB747とB767の導入どうにゅうすすんでくにつれ、トライスターの活躍かつやく範囲はんい次第しだいせばまっていった[14]活躍かつやく範囲はんい次第しだいせばまるなか、1995ねんにはB777-200(トリプルセブン)導入どうにゅう決定けっていした。トリプルセブンは双発そうはつでありながら、スーパージャンボやテクノジャンボに輸送ゆそうりょう[15]航続こうぞく距離きょり、そして経済けいざいせい運航うんこう設備せつびめん[16]ひとしのあらゆる性能せいのうめんにおいて、トライスターよりもすぐれていた。このトリプルセブンの導入どうにゅう決定けっていでトライスターは活躍かつやく完全かんぜんうしない、同機どうきされるかたちぜん退役たいえき後述こうじゅつ参照さんしょう:JA8509)となった[注釈ちゅうしゃく 4]。この退役たいえきにより、ANAのフリートからさんはつエンジン旅客機りょかくき完全かんぜん姿すがたすこととなった。

トライスターが退役たいえきして以降いこう、2024ねん現在げんざいまでさんはつエンジン旅客機りょかくき導入どうにゅうされていない。また、大手おおて航空機こうくうきメーカーでもさんはつエンジン旅客機りょかくき開発かいはつ製造せいぞう皆無かいむであり、ANAではトライスターが事実じじつじょう最後さいごさんはつエンジン旅客機りょかくきそして唯一ゆいいつさんはつワイドボディジェットとなっている。

生産せいさん中止ちゅうし

編集へんしゅう

1981ねん12月7にち、ロッキードは250製造せいぞうした時点じてんでトライスターの製造せいぞう終了しゅうりょうし、生産せいさんラインをじると発表はっぴょうした。これにより、採算さいさん部門ぶもんはなしにより経営けいえい状態じょうたい改善かいぜんされるとられたことから、ロッキードの株価かぶか上昇じょうしょうした[17]。250製造せいぞうおこなったにもかかわらず成功せいこうしなかったトライスターを教訓きょうくんに、ロッキードは民間みんかん航空機こうくうき市場いちばから完全かんぜん撤退てったいした[注釈ちゅうしゃく 5]

 
曲面きょくめんガラスで構成こうせいされた操縦そうじゅうせきまど(ウインドシールド)
 
後方こうほうからたイギリス空軍くうぐんのトライスター。だい2エンジンとぜんゆうどうしき尾翼びよく(オールフライングテール)

構造こうぞう

編集へんしゅう

胴体どうたい自体じたい旅客機りょかくきでは一般いっぱんてきなセミモノコック構造こうぞうであるが、トライスターでは、胴体どうたいがいいたどうつばさにホット・ボンディング(ねつあいだ接着せっちゃく)を多用たようしている[17]。これは、重量じゅうりょう軽減けいげん応力おうりょく均一きんいつ主眼しゅがんとして導入どうにゅうしたものである。また、キャビン(客室きゃくしつ)の空間くうかんひろげるためにフレームのあつさを減少げんしょうさせている[17]とく側面そくめん部分ぶぶんそとばんあつみをわりにストリンガーを省略しょうりゃくすることで、フレームを7.6センチメートルにまでうすくした[17]。このため、胴体どうたいがいみちがDC-10より5センチほそいにもかかわらず、キャビンのはばは4センチひろ[17][注釈ちゅうしゃく 6]

機体きたいまどおおきさはたかさ34センチ・はば24センチというおおきさで、51センチ間隔かんかくならんでいる[18]。また、操縦そうじゅうせきまど(ウインドシールド)は曲面きょくめんガラスで構成こうせいされている[19]

主翼しゅよくつばさ面積めんせきはDC-10より11パーセントほどちいさいが、はばはDC-10とほぼおなじで、後退こうたいかくおなじ35となっている[17]主翼しゅよくこう揚力ようりょく装置そうちぜんえんスラットとこうえんフラップを装備そうびし、フラップはだん隙間すきましきとなっている。また、主翼しゅよくのスポイラーは地上ちじょうでの減速げんそく以外いがいにも使用しようされる(後述こうじゅつ)。

水平すいへい尾翼びよく昇降しょうこうかじ連動れんどうして尾翼びよく全体ぜんたい角度かくどえる「ぜんゆうどうしき尾翼びよく(オールフライングテール)」を採用さいようしている[17]。「ぜんゆうどうしき尾翼びよく」は軍用ぐんようではF-15がた戦闘せんとうなどにも採用さいようされている一般いっぱんてき方式ほうしきで、トリム調整ちょうせい目的もくてき水平すいへい尾翼びよく角度かくど調整ちょうせいする機構きこう多数たすう旅客機りょかくきにおいても装備そうびされているが、旅客機りょかくきでの「ぜんゆうどうしき尾翼びよく」の採用さいようホーカー・シドレー トライデントつづく2れいで、ワイドボディでははつ採用さいようとなった[17]

 
Whisperliner”とかれた、イースタン航空こうくうのトライスター

エンジンには、前述ぜんじゅつしたとおりロールス・ロイスRB211がたエンジンを3搭載とうさいしている。歴史れきしてきれば、こうバイパスによる騒音そうおん低減ていげんとなったエンジンであり、その静粛せいしゅくさは計画けいかく段階だんかいからセールスポイントのひとつであり、ローンチカスタマーであるイースタン航空こうくうのトライスターのだい2エンジンには“Whisperliner[注釈ちゅうしゃく 7]かれていた。FAAに認証にんしょうされたトライスターの騒音そうおん性能せいのうは96デシベル[20]で、DC-10の99デシベル[20]たいしても優位ゆういにあった。直接ちょくせつ顧客こきゃく関係かんけいしゃのみならず、発着はっちゃく回数かいすう増加ぞうかによって社会しゃかい問題もんだいとなりつつあった空港くうこう騒音そうおん問題もんだいたいしても、こうバイパスエンジンは(かられば)改善かいぜんのためのおおきなふだひとつであった。

おなじ3はつであるライバルのDC-10と比較ひかくしてもっと目立めだ相違そういてんは、後部こうぶ装着そうちゃくされただい2エンジンの配置はいちである。これは、エンジンへの吸気きゅうきみちびくためのSダクトもうけ、エンジン自体じたい胴体どうたいはし装着そうちゃくするものである。こうバイパスターボファンエンジンでは、エンジンに吸入きゅうにゅうされる気流きりゅうみだれに注意ちゅういする必要ひつようがあるが、トライスターの開発かいはつたっては風洞ふうどう実験じっけん念入ねんいりにおこなうことで最適さいてきなダクト形状けいじょうとし、直線ちょくせんてきなダクトと同様どうよう性能せいのうゆうしている。

これによって、垂直すいちょく尾翼びよく設置せっちされる方向ほうこうかじ面積めんせき確保かくほされたほか、だい2エンジンの推力すいりょく方向ほうこう機体きたい中心ちゅうしんせんちかくなるというメリットをもたらした[21]。また、胴体どうたいおなたかさにエンジンが装着そうちゃくされることになり、胴体どうたいよりたか位置いちにエンジンを装着そうちゃくするDC-10と比較ひかくして保守ほしゅせい悪化あっか軽減けいげんすることが出来できた。だが、ダクトの設計せっけいをRB211がたエンジンにとくしたことでロールス・ロイスの破産はさんゼネラル・エレクトリックCF6がたエンジンプラット・アンド・ホイットニーJT9Dがたエンジンのようなほかのエンジンを搭載とうさいする仕様しようさい設計せっけいなしには不可能ふかのうにしてしまっていた。またエンジンの設計せっけい遅延ちえんがこの機種きしゅ開発かいはつ運航うんこう開始かいしおくれにつながってしまったのはいなめない。

なお、エンジン自体じたい胴体どうたい後方こうほうからびるパイロンからげる方式ほうしきとなっており、主翼しゅよく設置せっちされただい1・だい3エンジンとおな装着そうちゃく方式ほうしきとなっているため、3のエンジンはすべ互換ごかんせいゆうしている。

 
1990年代ねんだい羽田空港はねだくうこう撮影さつえい

操縦そうじゅうシステム

編集へんしゅう
 
L-1011のコックピット

前述ぜんじゅつのように、軍用ぐんよう開発かいはつ宇宙うちゅう開発かいはつつちかったロッキードしゃ技術ぎじゅつりょくすべてをトライスターに投入とうにゅうすべく、当時とうじとしては先進せんしんてき機能きのうおおんだ。とくアビオニクスには、アポロ計画けいかくにも導入どうにゅうされたメカニズムまでまれた[1]

計器けいきのスイッチるいは、トグルスイッチなどを極力きょくりょくはいし、スイッチがはいっているときにはスイッチ自体じたい点灯てんとうするという、視認しにんせい操作性そうさせいわるすぐれるものを採用さいようした。これは「スイッチ・ライト」とばれ、当時とうじ旅客機りょかくきでは目新めあたらしい装備そうびであった。

ダイレクト・リフト・コントロール

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トライスターでは、着陸ちゃくりく進入しんにゅうのシステムとして、「ダイレクト・リフト・コントロール」[注釈ちゅうしゃく 8]ばれる、おも軍用ぐんよう使用しようされているシステムを採用さいようした。これは、本来ほんらい着陸ちゃくりく滑走かっそう減速げんそく使用しようするスポイラーを着陸ちゃくりく進入しんにゅうにもこまかい角度かくど動作どうささせることにより、主翼しゅよく揚力ようりょくをコントロールしたうえで、着陸ちゃくりく進入しんにゅう角度かくど保持ほじするためのものであった。これにより、着陸ちゃくりく進入しんにゅう機首きしゅ上下じょうげおこなわなくても、正確せいかく着陸ちゃくりく進入しんにゅうおこなうことが可能かのうになった。このシステムはたか精度せいどゆうしており、平常へいじょう着陸ちゃくりく進入しんにゅうにおいては、操縦そうじゅう操縦そうじゅう桿にれなくても、機器きき監視かんしするだけでよかった。接地せっち以降いこうDLCはただちに解除かいじょされ、スポイラーは主翼しゅよく揚力ようりょく減殺げんさい効果こうか最大限さいだいげんるべく全開ぜんかいされる[22]

ほんシステムは、ライバルのDC-10でも試験しけん飛行ひこうさいにテストされたが不採用ふさいようとなっており[17]、ボーイングやエアバスの旅客機りょかくきでもまった採用さいようされていない。旅客機りょかくきでの採用さいようれいは、2020ねん現在げんざいにおいてもトライスターのみである。

完全かんぜん自動じどう操縦そうじゅう

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トライスターでは、エリア・ナビゲーション・システムを旅客機りょかくきとしてははじめて採用さいようした。これは慣性かんせい航法こうほう装置そうち(INS)や地上ちじょうにある航空こうくう支援しえん設備せつびVOR/DME)の電波でんぱなどから正確せいかく位置いち情報じょうほう取得しゅとくするもので、これを自動じどう操縦そうじゅう装置そうち接続せつぞくすることで、離陸りりく直後ちょくごから着陸ちゃくりくまでをすべ自動じどう操縦そうじゅうとすることを可能かのうにした[17]

また、自動じどう操縦そうじゅう装置そうち前述ぜんじゅつのDLCの精度せいどから、計器けいき着陸ちゃくりく装置そうち(ILS)のカテゴリーIII A(CAT III A)に対応たいおうしており[23]、CAT III AのILSが整備せいびされている空港くうこうにおいては、滑走かっそう距離きょりゼロでの着陸ちゃくりく可能かのうとなっている[1]

客室きゃくしつ

編集へんしゅう
 
L-1011の客室きゃくしつ(トランス・ワールド航空こうくう

客室きゃくしつ(キャビン)ははば5.77メートル、たかさ2.31メートル、ながさ40.97メートルとなっている。登場とうじょう当時とうじ標準ひょうじゅんてき座席ざせき配置はいちは2れつ-4れつ-2れつ配置はいちであるが、荷物にもつだな(オーバーヘッド・ストウェッジ)は窓側まどがわ座席ざせきうえにしかない[24]。そのわりに、中央ちゅうおうの4れつをさらに2れつずつ区切くぎり、そのあいだ仕切しきりをねた荷物にもつ(ストウェッジ)を設置せっちしていた[24]天井てんじょう圧迫あっぱくかんあたえないような直線ちょくせんてきなデザインとされた[24]。しかし、結果けっかてき機内きない手荷物てにもつ収納しゅうのうするスペースがライバルくらべてずくなくなり、乗客じょうきゃく客室きゃくしつ乗務じょうむいんから悪評あくひょううこととなった。

トライスターの特徴とくちょうてき標準ひょうじゅん装備そうびとして、床下ゆかした設置せっちされたギャレーげられる。これは、床下ゆかした前方ぜんぽう貨物かもつしつ後端こうたんはば5.7メートルで奥行おくゆきが4メートルほどの空間くうかん確保かくほし、ギャレーとして使用しようしたもので、キャビンを乗客じょうきゃくよう有効ゆうこう活用かつようすることと、料理りょうり臭気しゅうきなどがキャビンにながれないようにするため採用さいようされた[18]専用せんようのドアとまど存在そんざいするため、キャビンをとおさなくても食材しょくざいろしが可能かのうである[23]。キャビンとははなされた空間くうかんであったため、食事しょくじなどの用意よういおこないやすく、クルーがそこでいて食事しょくじをとることもでき、また客室きゃくしつ中央ちゅうおう地下ちかりるエレベーターが設置せっちされていたため、客室きゃくしつでのカートのうごきもスムーズにすることができた。夜間やかんのギャレーはくらく、「まどうつ自分じぶんかおおもわずドキッとした」、「よくおけがるとかはなしがあり、まどそとえたとか、りていくとひとっていたとか、こわがっているひともいて、いまとなってはわらばなしでしかないうわさがあった」と、当時とうじスチュワーデス述懐じゅっかいしている[25]

また、側面そくめんまどにはカーテンやブラインドの装備そうびはなく、へんこうガラスを2まいかさね、これを回転かいてんさせることで透過とうか光量ひかりりょう調整ちょうせい可能かのうとなっている[18]。しかし、そのこの機能きのう採用さいようする機種きしゅあらわれなかった[注釈ちゅうしゃく 9]

派生はせいがた

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-1 がた、-100 がたなどの基本きほんがたほかに、長距離ちょうきょり仕様しよう胴体どうたい短縮たんしゅくがたの -500 がた少数しょうすう製作せいさくされ、パンアメリカン航空こうくうやヨルダン航空こうくう納入のうにゅうされている。おも仕様しよう比較ひかくについては主要しゅようしょもとひょう参照さんしょう

トライスターの基本きほんモデルで、なか近距離きんきょり路線ろせんがたモデル。エンジンはRB211-22Bを装備そうびし、燃料ねんりょう搭載とうさいりょうを90,140リットルとし最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうは43まんポンド(195,050キログラム)となった。しゃ有機ゆうきの1号機ごうきふくめて162生産せいさんされた。イースタン航空こうくう、デルタ航空こうくう、トランス・ワールド航空こうくう全日本空輸ぜんにほんくうゆなどが導入どうにゅう。L-1011のなか唯一ゆいいつ全日本空輸ぜんにほんくうゆ機材きざいとして日本にっぽんせき登録とうろくされていたかたである。

製造せいぞう終了しゅうりょうに、ロッキードが既存きそん機体きたいたいして性能せいのう向上こうじょうおこなう改修かいしゅうキットを用意よういしたが、もっと簡単かんたん改修かいしゅう内容ないようおこなったのがこのモデルである。最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうは45まんポンド(204,120キログラム)にたかめたが、エンジンや燃料ねんりょう搭載とうさいりょう変更へんこうされていない。28改造かいぞうされている。

 
キャセイパシフィック航空こうくうのL-1011-100

ベースモデルの-1がた改修かいしゅうした航続こうぞく距離きょり延長えんちょうがた。ロッキードではDC-10の長距離ちょうきょりがた対抗たいこうすべく、L-1011-2がたという長距離ちょうきょりがた計画けいかくしていたが、RB211がた推力すいりょく向上こうじょう仕様しよう開発かいはつおくれや、ロッキードの経営けいえい状態じょうたいから先送さきおくりとなり、そのわりに提案ていあんされたモデルである。中央ちゅうおうつばさ燃料ねんりょうタンクを増設ぞうせつして、燃料ねんりょう搭載とうさいりょうを1まん8000ポンド(100,317リットル)としたうえで、最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうを46まん6000ポンド(211,380キログラム)にげた結果けっか最大さいだいペイロードでの航続こうぞく距離きょりが35%増加ぞうかした。エンジンは、-1がたおなじRB211-22Bか推力すいりょく向上こうじょうがたのRB211-22Fを使用しようサウジアラビア航空こうくうガルフエアキャセイパシフィック航空こうくうひとし採用さいようした。14製造せいぞうされ、-1がたからの改造かいぞうされた機体きたいも20程度ていど存在そんざいする。

-50がた同様どうように-1がた改修かいしゅうしたもので、こちらでは最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうは47まんポンド(213,190キログラム)にたかめたが、エンジンは変更へんこうされていない。6改造かいぞうされている。

-100がたのエンジンをRB211-524Bに変更へんこうしたうえで、燃費ねんぴ改善かいぜんして最大さいだいペイロードでの航続こうぞく距離きょりを-100より5%程度ていど延長えんちょうした仕様しよう。この仕様しようでは、-1がた標準ひょうじゅんだった床下ゆかしたギャレーをキャビンにうつしたうえで、貨物かもつしつ容量ようりょう確保かくほした。新造しんぞうは24で、サウジアラビア航空こうくう導入どうにゅう航空こうくう会社かいしゃは、-1がたおよび-100がたからの改修かいしゅう実施じっしし、やく20改修かいしゅうされている。

 
デルタ航空こうくうのトライスター

-200がた中央ちゅうおうセクションにあらたに燃料ねんりょうタンクをもうけて燃料ねんりょう容量ようりょうを119,774リットルとして最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうを49まん6000ポンド(224,990キログラム)にげた長距離ちょうきょりがたである。機体きたい外見がいけんわらないが重量じゅうりょう増加ぞうか対応たいおうして主翼しゅよく胴体どうたい構造こうぞう強化きょうかした。エンジンは、-200がたおなじRB-211-524Bを使用しよう。この機体きたい興味きょうみしめ航空こうくう会社かいしゃがなく新造しんぞう存在そんざいしない。

後年こうねんデルタ航空こうくうが、後述こうじゅつの-500がた採用さいようした内容ないようのうち、胴体どうたいちょう短縮たんしゅく以外いがい自社じしゃ保有ほゆうする-200がた6改修かいしゅう実施じっしし、-500がたとほぼ同等どうとう航続こうぞく距離きょりたすことに成功せいこうした。このデルタ航空こうくう自社じしゃ改修かいしゅう実施じっしした長距離ちょうきょりがたが-250がたばれているが、ロッキードしゃでの正式せいしき品番ひんばんとしては認知にんちされていない。

胴体どうたいストレッチがたで、-1がたより6.10メートル胴体どうたい延長えんちょうしたモデルである[26]が、興味きょうみしめ航空こうくう会社かいしゃはなかった。初期しょきにはL-1011-3とばれていた[26]

後述こうじゅつの-500がたおな胴体どうたいに-1がたおなじRB211-22Bエンジンを搭載とうさいするたん中距離ちゅうきょり仕様しようである[26]が、興味きょうみしめ航空こうくう会社かいしゃはなかった。

前述ぜんじゅつの-400がた胴体どうたいをさらに2.03メートル短縮たんしゅくした仕様しよう[26]興味きょうみしめ航空こうくう会社かいしゃはなかった。

 
ブリティッシュ・エアウェイズのL-1011-500

標準ひょうじゅんがたトライスターの航続こうぞく距離きょりみじかさは、DC-10との比較ひかくでは致命ちめいてき欠点けってんとなり[27]、ブリティッシュ・エアウェイズへんださいに、そのままではDC-10にてないことが判明はんめいした[28]。このために提案ていあんされた長距離ちょうきょりがたが-500がたである。

トライスターの最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうをDC-10-30ないし-40みにしようとするさいに、もっとも問題もんだいになったのは車輪しゃりん接地せっちあつであった[26]。トライスターでは胴体どうたいしゅあし追加ついかしようとすると胴体どうたい構造こうぞう大幅おおはば変更へんこうすることが必要ひつようになる[26]ため、既存きそんしゅあしを4りんから6りん変更へんこうすることも検討けんとうされた[26]。しかし、これも主翼しゅよく設計せっけい変更へんこう大掛おおがかりになるため、胴体どうたい短縮たんしゅくによって自重じちょう軽減けいげんする方策ほうさくをとったものである。

変更へんこう内容ないようは、トライスターの胴体どうたい主翼しゅよく前方ぜんぽうで2.54m、後方こうほうで1.58mのけい4.12m短縮たんしゅく軽量けいりょうはかったほか、床下ゆかしたギャレイを床上ゆかうえギャレイに変更へんこうして、床下ゆかした貨物かもつしつのペイロードについては基本きほんがたとほぼ同等どうとう確保かくほした。燃料ねんりょう容量ようりょう最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょうと-200がたおなじであるがエンジンを新型しんがたのRB-211-524B4に変更へんこうし、つばさどうフィレットの小型こがたおこなったうえでアクティブエルロンを採用さいようした。アクティブエルロンの採用さいようにより、主翼しゅよく構造こうぞう強化きょうかせずに主翼しゅよくはしを1.37m延長えんちょうすることができた。

これらの変更へんこうおこなった結果けっか、フルペイロード[注釈ちゅうしゃく 10]での航続こうぞく距離きょりは、9,905kmで-200がたより33%改善かいぜん。さらに電子でんししき統合とうごう自動じどう機構きこう性能せいのう管理かんりシステム(PMS)を装備そうびした。ブリティッシュ・エアウェイズ、パンナム、デルタ航空こうくう、エアカナダとう採用さいようした。

ロッキードでは1972ねんごろからトライスターの双発そうはつばん「バイスター」の研究けんきゅうおこなっていた[29]が、1977ねんに-600がたとして航空こうくう会社かいしゃ提案ていあんした。胴体どうたいは-500がたよりもさらに6.48メートルみじかくし、主翼しゅよくはばを-1がたよりも5メートル以上いじょうせまい44.42メートルにする計画けいかくだった。興味きょうみしめ航空こうくう会社かいしゃはなかった。

トライスター K1/KC1/C1/C2/C2A

編集へんしゅう

軍用ぐんようとしてイギリス空軍くうぐんきゅうブリティッシュ・エアウェイズパンアメリカン航空こうくうから トライスター(-500がた)をり、空中くうちゅう給油きゅうゆ軍用ぐんよう輸送ゆそうとして9運用うんようしていた。トライスター K1(2)は空中くうちゅう給油きゅうゆ、トライスター KC1(4)は輸送ゆそうけん給油きゅうゆ、トライスター C2(2)および C2A は輸送ゆそうとしてもちいられている[30]。これらは1991ねん湾岸わんがん戦争せんそうアフガニスタン侵攻しんこう参加さんかしている。さらには2003ねんイラク戦争せんそうでは、空中くうちゅう給油きゅうゆのトライスターがアメリカ海軍かいぐん提供ていきょうされ、輸送ゆそうのトライスターはイギリス陸軍りくぐんイギリス海兵かいへいたいのイラク展開てんかい支援しえんした。

運航うんこうしゃ

編集へんしゅう

製造せいぞうすうすくなかったトライスターだが、機体きたい関係かんけい故障こしょうすくなく、後述こうじゅつするように機体きたいのトラブルや欠陥けっかんによる事故じこ2020ねん時点じてんでは発生はっせいしていない。

旅客りょかく運航うんこうからの退役たいえき売却ばいきゃくされたが、トライスターは航続こうぞく距離きょりみじかさと搭載とうさい重量じゅうりょうすくなさから、さらに客室きゃくしつ下面かめん構造こうぞう関係かんけい貨物かもつ専用せんようへの改修かいしゅうむずかしかったためから、ほとんどが貨物かもつ改修かいしゅうされることなくスクラップにされている。世界せかいてき傾向けいこうとして、経年けいねんとなったトライスターを貨物かもつ専用せんよう改造かいぞうする需要じゅようはほとんどなく、さい就役しゅうえきする機体きたいおおくなかった[注釈ちゅうしゃく 11]

2006ねん現在げんざい日本にっぽん運用うんようされた21のうち2しかのこっていない[31]。これは中古ちゅうことしても使用しようされるかずすくないということを意味いみしている。1994ねんにはもとJA8520モハーヴェ空港くうこう解体かいたい処理しょりされたのが目撃もくげきされたという。機体きたいおおくは解体かいたいされ現存げんそんしていないとみられ、のこされた2カナダのエアトランサットとシエラレオネ登録とうろくされているが、定期ていき運用うんようされていない模様もようである。

シエラレオネで登録とうろくされていたもと全日空ぜんにっくうのJA8522はベナン共和きょうわこくカジェフォウン空港くうこうにしばらく留置りゅうちされていたが、とう空港くうこうちかくの海岸かいがん移送いそうされレストランとして開業かいぎょう準備じゅんびをしている[32]

日本にっぽん国外こくがいおも航空こうくう会社かいしゃでも、キャセイ・パシフィック航空こうくうなど1996ねんにはトライスターの運航うんこう終了しゅうりょうしたものの、西にしアジアやアフリカ路線ろせんでは少数しょうすうながらも強力きょうりょくなエンジン出力しゅつりょく武器ぶき活躍かつやくつづけ、デルタ航空こうくう退役たいえきさせたのは2001ねんのことで、ATA航空こうくういたっては、2008ねん同社どうしゃ経営けいえい破綻はたんによる運航うんこう停止ていしまで現役げんえき就航しゅうこうさせていた。

オービタル・サイエンシズしゃ(2015ねんATKしゃ航空こうくう宇宙うちゅう防衛ぼうえい部門ぶもん対等たいとう合併がっぺいオービタルATKに。さらに2018ねんノースロップ・グラマン傘下さんかノースロップ・グラマン・イノベーション・システムズとなった。)はペガサス・ロケットのげに使用しようしている。2020ねん9がつ現在げんざい同社どうしゃ世界せかいただいちトライスターを現役げんえき運用うんようしているオペレーターである。

カスタマー一覧いちらん

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ペガサスロケットげに使用しようされるオービタル・サイエンシズ現在げんざいノースロップ・グラマン・イノベーション・システムズ)のトライスター

主要しゅようしょもとひょう

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三面さんめん
出典しゅってん:
L1011-1 L1011-200 L1011-500
操縦そうじゅう乗員じょういん 3にん 3にん 3にん
座席ざせきすう 253 (3クラス)せき 263せき 234 (3クラス)せき
全長ぜんちょう 54.2 m (177 ft 8in) 54.2 m (177 ft 8in) 50 m (164 ft 2in)
ぜんこう 16.7 m (55 ft 4in) 16.7 m (55 ft 4in) 16.7 m (55 ft 4in)
つばさはば            155ft 4in (47.35m)    164ft 4in (50.09m)
つばさ面積めんせき 3456 ft² (321.1 m²) 3456 ft² (321.1 m²) 3541 ft² (329.0 m²)
最大さいだい離陸りりく重量じゅうりょう 430,000 lb (195,000 kg) 466,000 lb (209,000 kg) 496,000 lb (225,000 kg)
巡航じゅんこう速度そくど やく954km/h(マッハ0.78) やく954km/h(マッハ0.78) やく954km/h(マッハ0.78)
エンジン ロールス・ロイス RB.211-22 × 3 ロールス・ロイス RB.211-524B × 3

おも事故じこ

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おなだいさん世代せだいのジェット旅客機りょかくきでライバルにあたるDC-10やボーイング747が設計せっけいじょう欠陥けっかんによりだい事故じここしたのにくらべると、トライスターは機体きたいのトラブルや欠陥けっかんによる重大じゅうだい事故じこは2021ねん10がつ現在げんざい発生はっせいしていない[注釈ちゅうしゃく 12]下記かき事故じこも、原因げんいん悪天候あくてんこう乗務じょうむいん不適切ふてきせつ対応たいおうなどである。

特徴とくちょうあるトライスター 

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N301EA

トライスターのローンチカスタマーであったイースタン航空こうくうのデモフライトとして日本にっぽんにも飛来ひらいした機体きたい機体きたい前方ぜんぽう側面そくめん同機どうき発注はっちゅうしたエアラインのロゴがならんでいた。

N140SC「スターゲイザー」

OSC(ノースロップ・グラマン・イノベーション・システムズズ)ペガサス・ロケットのようNASANB-52B借用しゃくようして運用うんようしていた、その置換ちかんよう自社じしゃ保有ほゆうとして、1973ねんエア・カナダ運用うんようされ1990ねん退役たいえきしていたL-1011-100がたC-FTNJ(製造せいぞう番号ばんごう:193E-1067)を購入こうにゅう。1992ねんからイギリスのマーシャル・エアロスペースで改修かいしゅうおこない、1994ねんから『スターゲイザー』の愛称あいしょうをつけて運用うんようしている。同機どうき製造せいぞうからすでに45ねん以上いじょう経過けいかほか同型どうけい機体きたい退役たいえきすすなか黙々もくもくつづけ、2020ねん9がつ現在げんざいぜん世界せかい最後さいご飛行ひこう可能かのうなトライスターに、同社どうしゃ最後さいご現役げんえきトライスター運用うんようしゃとなっている。

JA8501

全日空ぜんにっくうトライスターのはつ納入のうにゅうとして1973ねん12月に導入どうにゅうされた機体きたい当機とうき全日空ぜんにっくうはつのワイドボディである。1981ねんエアランカ(げんスリランカ航空こうくう)に売却ばいきゃくされ4R-ULCとなり運用うんようされたが、2000ねんごろ、A330にえられストアされたようである[33]

JA8509

L-1011がたとして通算つうさん生産せいさんすう100機体きたいとして導入どうにゅうされた機体きたい。1986ねん全日空ぜんにっくうはつ定期ていき国際線こくさいせん開設かいせつ(成田なりたーグアムせん)にともなってJA8508、JA8521、JA8522とともに「ALL NIPPON AIRWAYS 」の英字えいじロゴをペイントされた国際線こくさいせん仕様しよう[34]とされ、同年どうねん3がつ3にち歴史れきしてきはつ便びん担当たんとうした。そして、ラストフライト(鹿児島かごしまはつ東京とうきょうこう・ANA626便びん)となった1995ねん11月30にちにおいても使用しようされた。

JA8511

全日空ぜんにっくうトライスターの11として1975ねん4がつ導入どうにゅうされた機体きたい。1985ねん5がつにボーイングに売却ばいきゃくされ、-50がた改修かいしゅう同年どうねん7がつハワイアン航空こうくう納入のうにゅうされ、N765BEとして1995ねん6がつまで活躍かつやくした。 ちなみに1990ねん公開こうかいされた映画えいがダイ・ハード2緊急きんきゅう着陸ちゃくりく乗客じょうきゃく脱出だっしゅつするシーンの撮影さつえい実際じっさいほん使用しようされた。

VR-HOK

1989ねん7がつにイースタン航空こうくうから中古ちゅうこ購入こうにゅうした機体きたいで、1993ねん8がつから1995ねん6がつまでのやく2年間ねんかん傘下さんかドラゴン航空こうくう移籍いせきしドラゴンフルカラーで北京ぺきん/上海しゃんはいせん専用せんよう機材きざいとして運用うんようされたのちふたたびキャセイパシフィックへリースバックされ、垂直すいちょく尾翼びよくのみグリーンのキャセイパシフィックカラー、胴体どうたいはロゴ以外いがいしろのハイブリッド塗装とそうで1996ねん退役たいえきするまで運航うんこうされた。そのから、日本にっぽん航空こうくうファンのあいだでは「しろトラ」という愛称あいしょうばれていたようである[35]

模型もけい製品せいひんとして 

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前節ぜんせつべたJA8509は2000ねん全日空ぜんにっくう商事しょうじ監修かんしゅう販売はんばい公式こうしきモデルプレーン(1/500スケール、品番ひんばんはモヒカン塗装とそう:NH50005、トリトンブルー塗装とそう:NH50006、かく税別ぜいべつ3200えん)として製品せいひんされている[36]。2020ねん9がつ現在げんざい全日空ぜんにっくう商事しょうじから製品せいひんされたトライスターのモデルプレーンはこの2製品せいひんのみで、さい製品せいひんスケールサイズでの製品せいひん現時点げんじてんではおこなわれていない。同社どうしゃのモデルプレーンとしては最初さいしょ製品せいひんで、ギアがふるいタイプであるにもかかわらずヤフーオークションメルカリひとし中古ちゅうこ市場いちばでの価格かかくいまだにたかく、当時とうじ発売はつばい価格かかくより高値たかね取引とりひきされることもある。

保存ほぞん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ そう生産せいさんすうは167
  2. ^ 飛行機ひこうきくるまおなじで中古ちゅうこ売却ばいきゃくする場合ばあい、よくれた機種きしゅほうたかれる。また、欠陥けっかんがあった場合ばあい航空こうくう会社かいしゃのトラブルでそれが発見はっけんされやすいという危機きき回避かいひじょうのメリットがある。
  3. ^ トライスターのローンチカスタマーであったイースタン航空こうくうがアメリカの航空こうくう会社かいしゃとしてはじめてA300を採用さいようし、それ以来いらいアメリカの航空こうくう会社かいしゃでもA300を導入どうにゅうする航空こうくう会社かいしゃえた。
  4. ^ 全日空ぜんにっくうでのボーイング777は、トライスターが退役たいえきした翌月よくげつはつ就航しゅうこうした。
  5. ^ 軍用ぐんよう部門ぶもんは2014ねん現在げんざいでも世界せかいトップクラスのメーカーである。
  6. ^ 重量じゅうりょう軽減けいげん剛性ごうせい強度きょうどとトレードオフの関係かんけいにもあり、日本にっぽん国内こくない運用うんよう飛行ひこう時間じかんわり離着陸りちゃくりく回数かいすうおお全日空ぜんにっくうのトライスターでは、かくドア(開口かいこうおおきな貨物かもつとびら乗降じょうこうとびらはじめ、あし格納かくのうなども)の四隅よすみ応力おうりょくによる疲労ひろうられ、退役たいえきまでになんじゅうもの補強ほきょうパッチがてられていた。機体きたい表面ひょうめんがわのパッチはちいさいながらもらんりゅうをもたらし、空気くうき抵抗ていこうえる要因よういんともなる。
  7. ^ ウィスパーライナー、“Whisper”は「ささやく」の
  8. ^ Direct Lift Controlりゃくして「DLC」。
  9. ^ 客席きゃくせきまどではく、非常口ひじょうぐちまどのみに回転かいてんへんこうまど装備そうびしたれいMD-11などにある。また、カーテンやブラインドを使用しようせずに透過とうか光量ひかりりょう調整ちょうせいおこな方式ほうしきについては、その電子でんしカーテンによる方式ほうしきボーイング787採用さいようされている。
  10. ^ ファーストクラス24せき・エコノミークラス222せき合計ごうけい246せき
  11. ^ 一方いっぽう、ライバルであるDC-10は、そのおおくが貨物かもつ専用せんよう改修かいしゅうされ、いまおおくの機体きたい飛行ひこうしているてんでも明暗めいあんかれている。
  12. ^ 機体きたいぜんそんといった重大じゅうだい事故じこにつながるトラブルは発生はっせいしていないが、1974ねんにRB211-22Bの設計せっけいミスに起因きいんする潤滑油じゅんかつゆれが連続れんぞくして発生はっせい。うち9けん飛行ひこうちゅうにエンジン停止ていしこし、なかでも9月1にち・9月4にちには全日空ぜんにっくうがエンジン2停止ていしにより羽田空港はねだくうこう緊急きんきゅう着陸ちゃくりくする事態じたい連続れんぞくして発生はっせいしている。

出典しゅってん

編集へんしゅう
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  11. ^ ただし、ANAは初期しょきがた航続こうぞく距離きょりみじかい-1しか購入こうにゅうしていないが、国内線こくないせん、および短距離たんきょり国際線こくさいせんしか運航うんこうしていなかったことがさいわいし、みじか航続こうぞく距離きょり問題もんだいになることはなかった。
  12. ^ トライスターが運航うんこう当時とうじとく地方ちほう空港くうこう滑走かっそうちょうが2500m以上いじょう空港くうこうすくなく、ちゅうじょうなどもトライスターやB747のようなワイドボディ体制たいせい不十分ふじゅうぶん場所ばしょすくなくなかった。
  13. ^ B767-200/300は滑走かっそうちょうが2000mはおろか、1800mでも定期ていき便びん運用うんようとして離着陸りちゃくりくしていた実績じっせきがある(れいきゅう広島空港ひろしまくうこう)。
  14. ^ 機体きたいおおきさもあり、狭小きょうしょう空港くうこうへの発着はっちゃくむずかしかった。そのため、晩年ばんねん伊丹いたみ福岡ふくおかのような伊丹いたみベースの発着はっちゃくである「だい幹線かんせん」にてられることもあった。
  15. ^ B767(-200/-300)は座席ざせきすうめんで、トライスターにおとっていた。トリプルセブンは、スーパージャンボやテクノジャンボにつづいて座席ざせき2クラスせい(スーパーシート/普通ふつうせき)が採用さいようされたが、2クラスせいでありながらもトライスターの座席ざせきすう普通ふつうせきのみ)を上回うわまわっていた。
  16. ^ 滑走かっそうちょうが2000mじゃくでも運用うんよう可能かのうなため、トライスターやB747などのさんはつ以上いじょう発着はっちゃくむずかしいが、トリプルセブンは発着はっちゃくできる空港くうこう一部いちぶだがった(れい富山とやま空港くうこう)。
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 月刊げっかんエアライン臨時りんじ増刊ぞうかん エアライナーハンドブック '86』イカロス出版いかろすしゅっぱん、1986ねん 
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  • かべやぶってすすめ』講談社こうだんしゃ 
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  • 『「ロッキード」とはなにか』すずさわ書店しょてん 
  • 『ロッキード作戦さくせん東京とうきょうの70日間にちかん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 
  • 大河内おおこうち暁男あきお『ロウルズ - ロイス研究けんきゅう 企業きぎょう破綻はたん英国えいこくてき位相いそう東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2001ねんISBN 4130460706 
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  • 坂出さかいでけん救済きゅうさい(Bail Out)か、み(Bail In)か?-ロウルズ‐ロイスしゃ・ロッキードしゃ救済きゅうさいをめぐるべいえい関係かんけいだい45かんだい1ごう、2010ねん6がつ 
  • 『「田中たなか裁判さいばん」もうひとつの視点してん―ロッキード捜査そうさいちしん判決はんけつへの疑問ぎもん時評じひょうしゃ 
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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