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九条道実 - Wikipedia

九条くじょうみち

日本にっぽん宮内くないかん政治せいじ華族かぞく

九条くじょう みち(くじょう みちざね、きゅう字体じたい九條くじょう みち󠄁みのる1870ねん1がつ16にち明治めいじ2ねん12月15にち[1])- 1933ねん昭和しょうわ8ねん1がつ19にち[1])は、日本にっぽん宮内みやうちかん政治せいじ華族かぞく貴族きぞくいん公爵こうしゃく議員ぎいん

九条くじょうみち

1896ねん明治めいじ29ねん以降いこう式部しきぶかんてのひらてんてのひらてん次長じちょう侍従じじゅうてのひらてんちょうなどを歴任れきにんした[2]

生涯しょうがい

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左大臣さだいじん九条くじょうみちこう長男ちょうなんとしてまれる[1][3]1889ねん明治めいじ22ねんイギリス留学りゅうがく[2]ちち死去しきょともない、1906ねん明治めいじ39ねん1がつ23にち公爵こうしゃく襲爵しゅうしゃく[1][4]貴族きぞくいん公爵こうしゃく議員ぎいん就任しゅうにん[5]火曜かようかい所属しょぞく死去しきょするまで在任ざいにんした[2]

1908ねん明治めいじ41ねん1がつ1にち式部しきぶかん専任せんにんされ、高等官こうとうかんよんとうそう任官にんかん)にじょされ[6]年俸ねんぽう900えん下賜かしされるとともてのひらてん次長じちょう心得こころえめいじられた[7]

1909ねん明治めいじ42ねん12月25にちてのひらてん次長じちょうにんじられ、高等官こうとうかんさんとう陞叙しょうじょした[8]12月26にちきゅう俸をたまわった[9]

1912ねん大正たいしょう元年がんねん9月21にち侍従じじゅう転任てんにん[10]11月8にちまつりかんちょうにんじられた[11][12]

1913ねん大正たいしょう2ねん7がつ30にち明治天皇めいじてんのういち周年しゅうねんまつりけん殿どのにてまつりかんちょうとしてまつり奏上そうじょうした[13]7がつ31にちいち周年しゅうねんさいわったことによりまつり官職かんしょく廃止はいしされ[14]みち以下いかさい官職かんしょく奉仕ほうししたもの[ちゅう 1]下賜かしがあった[15]8がつ9にちてのひらてん次長じちょうかえまかした[16]

1914ねん大正たいしょう3ねん1がつ17にち神宮じんぐう勅使ちょくしとして大正天皇たいしょうてんのう祭文さいぶんたまわり、「のうもうしてたてまつれ」とみことのりせられた[17]

1915ねん大正たいしょう4ねん12月27にちてのひらてんちょう昇任しょうにんした[18]

1920ねん大正たいしょう9ねん11月1にち明治天皇めいじてんのう昭憲皇太后しょうけんこうたいごう御霊代みたましろ明治めいじ神宮じんぐう奉納ほうのうされ、これに勅使ちょくしとして参向さんこうした[19]12月20にち大正天皇たいしょうてんのうされ午餐ごさんたまわった[20]

1924ねん大正たいしょう13ねん12月14にちおや任官にんかん待遇たいぐうとなった[21]

1929ねん昭和しょうわ4ねん)10がつだい58かい神宮じんぐう式年しきねん遷宮せんぐう勅使ちょくしとして参向さんこうした[ちゅう 2]

1933ねん昭和しょうわ8ねん1がつ16にちいもうと貞明皇后ていめいこうごう道真みちざねてい行啓ぎょうけいした[23]1がつ19にち薨去こうきょした[1][24]1がつ21にち貴族きぞくいんより弔辞ちょうじおくられた[原文げんぶん 1]1がつ24にち葬儀そうぎおこなわれ、勅使ちょくしとして侍従じじゅう甘露かんろてら受長が、皇后こうごうみや使として皇后こうごうみや事務じむかん大金おおかね益次郎えきじろうが、皇太后こうたいごうみや使として皇太后こうたいごうみや事務じむかん清閑寺せいかんじりょうさだがそれぞれ差遣さけんされ、玉串たまぐし奉奠ほうてんした[25]

栄典えいてん

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勲章くんしょう

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出典しゅってんがないかぎり、かすみ会館かいかん 1996a, pp. 537–538を参照さんしょうしている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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原文げんぶん

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  1. ^ 官報かんぽうだい1817ごう昭和しょうわ8ねん1がつ23にち
    貴族きぞくいん議員ぎいんきゅう堂上どうじょう華族かぞく保護ほご資金しきん調査ちょうさ委員いいんかい委員いいん華族かぞく世襲せしゅう財産ざいさん審議しんぎかい會員かいいん華族かぞく世襲せしゅう財産ざいさん審議しんぎかい議長ぎちょう神社じんじゃ制度せいど調査ちょうさかい委員いいんてのひらてんちょうしたがえ一位勲一等公爵九條道實君ノ長逝ちょうせい追悼ついとうきょうシク弔辭ちょうじてい

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e かすみ会館かいかん 1996a, p. 537.
  2. ^ a b c 衆議院しゅうぎいん & 参議院さんぎいん 1990, p. 8.
  3. ^ 人事じんじ興信所こうしんじょ 1925, p. く2.
  4. ^ 官報かんぽうだい6768ごう 1906.
  5. ^ 官報かんぽうだい6769ごう 1906.
  6. ^ 官報かんぽうだい7354ごう 1908, p. 10, 「叙任じょにん及辞れい」.
  7. ^ 官報かんぽうだい7354ごう 1908, p. 12, 「叙任じょにん及辞れい」.
  8. ^ 官報かんぽうだい7954ごう 1909, p. 11, 「叙任じょにん及辞れい」.
  9. ^ 官報かんぽうだい7954ごう 1909, p. 21, 「叙任じょにん及辞れい」.
  10. ^ 官報かんぽうだい45ごう 1912, p. 2, 「叙任じょにん及辞れい」.
  11. ^ 官報かんぽうだい84ごう 1912, p. 5, 「辞令じれい」.
  12. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだいよん, p. 89, 大正たいしょう元年がんねんじゅういちがつはちにちじょう.
  13. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだいよん, p. 155, 大正たいしょうねんなながつさんじゅうにち.
  14. ^ 官報かんぽうだい302ごう 1913, p. 5, 「彙報いほう官庁かんちょう事項じこう):はいしょく」.
  15. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだいよん, p. 156, 大正たいしょうねんなながつさんじゅういちにち.
  16. ^ 官報かんぽうだい310ごう 1913, p. 3, 「叙任じょにん及辞れい」.
  17. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだいよん, p. 213, 大正たいしょうさんねんいちがつじゅうななにち.
  18. ^ 官報かんぽうだい1023ごう 1915, p. 14, 「叙任じょにん及辞れい」.
  19. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだい, p. 387, 大正たいしょうきゅうねんじゅういちがついちにちじょう.
  20. ^ 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだい, p. 392, 大正たいしょうきゅうねん十二月じゅうにがつじゅうにちじょう.
  21. ^ 官報かんぽうだい3701ごう 1924, p. 10, 「叙任じょにん及辞れい」.
  22. ^ 官報かんぽうだい817ごう 1929, p. 4.
  23. ^ 官報かんぽうだい1812ごう 1933, p. 11, 「宮廷きゅうていろくごと皇太后こうたいごうみや行啓ぎょうけい」.
  24. ^ 官報かんぽうだい1818ごう 1933, p. 11, 「彙報いほう官庁かんちょう事項じこう):官吏かんり薨去こうきょ」.
  25. ^ 官報かんぽうだい1819ごう 1933, p. 5, 「宮廷きゅうていろくごと勅使ちょくし皇后こうごうみや使皇太后こうたいごうみや使」.
  26. ^ 官報かんぽうだい3301ごう 1894, p. 25, 「叙任じょにん及辞れい」.
  27. ^ 官報かんぽうだい4201ごう 1897, p. 4, 「叙任じょにん及辞れい」.
  28. ^ 官報かんぽうだい6774ごう 1906, p. 12, 「叙任じょにん及辞れい」.
  29. ^ 官報かんぽうだい8591ごう 1912, p. 2, 「叙任じょにん及辞れい」.
  30. ^ 官報かんぽうだい1964ごう 1919, p. 6, 「叙任じょにん及辞れい」.
  31. ^ 官報かんぽうだい57ごう 1927, p. 3, 「叙任じょにん及辞れい」.
  32. ^ 官報かんぽうだい1815ごう 1933, 「叙任じょにん及辞れい」.
  33. ^ 官報かんぽうだい1310ごう附録ふろく 1916, p. 2, 「辞令じれい」.
  34. ^ 官報かんぽうだい1285ごう 1931, p. 2, 「叙任じょにん及辞れい」.
  35. ^ 官報かんぽうだい1814ごう 1933, 「叙任じょにん及辞れい」.
  36. ^ かすみ会館かいかん 1996a, p. 670.
  37. ^ かすみ会館かいかん 1996b, pp. 251–252.
  38. ^ かすみ会館かいかん 1996a, p. 269.
  39. ^ かすみ会館かいかん 1996a, p. 31.
  40. ^ かすみ会館かいかん 1996a, p. 278.

参考さんこう文献ぶんけん

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書籍しょせき

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  • 人事じんじ興信録こうしんろくだい7はん人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信所こうしんじょ、1925ねん 
  • 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん 
  • 平成へいせいしんおさむきゅう華族かぞく家系かけい大成たいせい上巻じょうかんかすみ会館かいかんへん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1996ねん 
  • 平成へいせいしんおさむきゅう華族かぞく家系かけい大成たいせい下巻げかんかすみ会館かいかんへん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1996ねん 
  • 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだいよんみや内省ないせい図書としょりょう編修へんしゅうゆまに書房しょぼう、2019ねんISBN 978-4-8433-5042-3 
  • 大正天皇たいしょうてんのう実録じつろくていばんだいみや内省ないせい図書としょりょう編修へんしゅう、ゆまに書房しょぼう、2020ねんISBN 978-4-8433-5043-0 

官報かんぽう

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  • 官報かんぽうだい3301ごう、1894ねん7がつ2にち 
  • 官報かんぽうだい4201ごう、1894ねん7がつ5にち 
  • 官報かんぽうだい6768ごう、1906ねん1がつ24にち 
  • 官報かんぽうだい6769ごう、1906ねん1がつ25にち 
  • 官報かんぽうだい6774ごう、1906ねん2がつ1にち 
  • 官報かんぽうだい7354ごう、1908ねん1がつ4にち 
  • 官報かんぽうだい7954ごう、1909ねん12月27にち 
  • 官報かんぽうだい8591ごう、1912ねん2がつ12にち 
  • 官報かんぽうだい45ごう、1912ねん9がつ24にち 
  • 官報かんぽうだい84ごう、1912ねん11月9にち 
  • 官報かんぽうだい302ごう、1913ねん8がつ1にち 
  • 官報かんぽうだい310ごう、1913ねん8がつ11にち 
  • 官報かんぽうだい1023ごう、1915ねん12月28にち 
  • 官報かんぽうだい1023ごう、1915ねん12月28にち 
  • 官報かんぽうだい1310ごう、1916ねん12月13にち 
  • 官報かんぽうだい1964ごう、1919ねん2がつ21にち 
  • 官報かんぽうだい3701ごう、1924ねん12月22にち 
  • 官報かんぽうだい57ごう、1927ねん3がつ11にち 
  • 官報かんぽうだい817ごう、1929ねん9がつ17にち 
  • 官報かんぽうだい1285ごう、1931ねん4がつ15にち 
  • 官報かんぽうだい1815ごう、1933ねん1がつ20日はつか 
  • 官報かんぽうだい1818ごう、1933ねん1がつ24にち 
  • 官報かんぽうだい1819ごう、1933ねん1がつ25にち 
日本にっぽん爵位しゃくい
先代せんだい
九条くじょうみちこう
公爵こうしゃく
きゅうじょうだい2だい
1906ねん - 1933ねん
次代じだい
九条くじょうみちしゅう