九鬼くき 隆たかし季き(くき たかすえ、旧きゅう字体じたい:九鬼くき隆たかし季き)は、江戸えど時代じだい前期ぜんきの大名だいみょう。丹波たんば国こく綾部あやべ藩はん初代しょだい藩主はんしゅ。
慶長けいちょう13年ねん(1608年ねん)、初代しょだい志摩しま鳥羽とば藩はん主おも・九鬼くき守まもる隆たかしの三男さんなんとして生うまれる。九鬼くき水軍すいぐんで知しられる九鬼くき嘉隆よしたかの孫まごにあたる。
父ちち・守まもり隆たかしの死後しご、弟おとうと・久隆ひさたかとの間あいだで家督かとく争あらそいが生しょうじ、藩はん内ないを二分にぶんする騒さわぎとなったが、江戸えど幕府ばくふは遺言ゆいごん書しょに基もとづき久隆くりゅうがこれを相続そうぞくするものと裁可さいかを下くだした。ただし、隆りゅう季きにも新あらたに丹波たんば綾部あやべに2万まん石せきを与あたえ、寛永かんえい10年ねん3月5日にち(1633年ねん4月がつ13日にち)に丹波たんば綾部あやべへ転てん封ふうとし綾部あやべ藩はんを立だて藩はんした。寛永かんえい19年ねん12月30日にち(1643年ねん2月がつ18日にち)、式部しきぶ少しょう輔に叙任じょにん。寛文ひろふみ元年がんねん3月28日にち(1661年ねん4月がつ27日にち)、弟おとうと・隆重たかしげに500石せきを分与ぶんよ、1万まん9500石せきとなった。隆りゅう季きは藩政はんせいにおいては、城下町じょうかまちの建設けんせつなどに尽力じんりょくしている。
延のべ宝たから2年ねん11月16日にち(1674年ねん12月13日にち)、家督かとくを長男ちょうなんの隆りゅう常つねへ譲ゆずり隠居いんきょ。
延のべ宝たから6年ねん5月25日にち(1678年ねん7月がつ13日にち)に死去しきょした。享年きょうねん72。葬儀そうぎは遺言ゆいごんにより、鳥羽とばの常安寺じょうあんじで行おこなわれた[1]。