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光明寺 (横浜市南区) - Wikipedia

光明寺こうみょうじ (横浜よこはまみなみ)

神奈川かながわけん横浜よこはまみなみにある浄土宗じょうどしゅう寺院じいん

光明寺こうみょうじ(こうみょうじ)は、神奈川かながわけん横浜よこはまみなみ庚台かのえだいにある浄土宗じょうどしゅう寺院じいんである。山号さんごうよし上山うえやましょうする。本尊ほんぞん阿弥陀如来あみだにょらい市内しない観世音かんぜおん33しょ霊場れいじょうの10ばん霊場れいじょう

光明寺こうみょうじ
所在地しょざいち 神奈川かながわけん横浜よこはまみなみ庚台かのえだい66ばん
位置いち 北緯ほくい3526ふん34.5びょう 東経とうけい13936ふん35.5びょう / 北緯ほくい35.442917 東経とうけい139.609861 / 35.442917; 139.609861座標ざひょう: 北緯ほくい3526ふん34.5びょう 東経とうけい13936ふん35.5びょう / 北緯ほくい35.442917 東経とうけい139.609861 / 35.442917; 139.609861
山号さんごう よし上山うえやま
院号いんごう 慈眼じげんいん
宗旨しゅうし 浄土宗じょうどしゅう
宗派しゅうは 浄土宗じょうどしゅう鎮西ちんぜい
寺格じかく 末寺まつじ
本尊ほんぞん 阿弥陀如来あみだにょらい
創建そうけんねん 1878ねん明治めいじ11ねん
正式せいしきめい よし上山うえやま慈眼じげんいん光明寺こうみょうじ
法人ほうじん番号ばんごう 3020005000081 ウィキデータを編集
光明寺の位置(神奈川県内)
光明寺
光明寺こうみょうじ
光明寺こうみょうじ (神奈川かながわけん)
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1878ねん明治めいじ11ねん)10がつ鎌倉かまくら光明寺こうみょうじ教会きょうかいしょとして建立こんりゅうされたもので、鎌倉かまくら光明寺こうみょうじの98せい住職じゅうしょくであるかおるほまれげんしん上人しょうにんが、石川いしかわまち7丁目ちょうめ存在そんざいした本尊ほんぞん聖観音しょうかんのん安置あんちする観音堂かんのんどう継承けいしょうし、徒弟とていである尼僧にそう野瀬のせ妙音みょうおん寺務じむをとらせ、観音かんのん講社こうしゃむすび、布教ふきょうつとめたことがはじまりである。

その1885ねん明治めいじ18ねん)、吉田よしだ健三けんぞう所有しょゆうである太田おおた初音はつねまち山手やまて移転いてんしたが、まちいき発展はってんにより、1888ねん明治めいじ21ねん)、吉田よしだ健三けんぞうすすめで、さらに現在地げんざいちである南太田みなみおおたまち1296番地ばんちげん庚台かのえだい66番地ばんち)に間口まぐち9あいだ奥行おくゆき6あいだ本堂ほんどう移転いてんし、同年どうねん11がつ17にちひらけどうしきおこなった。

1899ねん明治めいじ32ねん)3がつ27にち鎌倉かまくら光明寺こうみょうじ執事しつじである宮下みやしたせいほまれしゅんたちは、長谷ながたに観音かんのん別当べっとうであった慈眼じげんいんめいあとうつし、山号さんごうとしては、だい檀那だんなである吉田よしだ健三けんぞううえろうこうはち頭文字かしらもじをあわせて「よし上山うえやま」として、あらためていちてらとし、神奈川かながわ県庁けんちょうから寺号じごう公称こうしょう認可にんかりたという。これにより、しゅんたち開山かいさんだい1せいとされている。

1911ねん明治めいじ44ねん)4がつ25にち本堂ほんどう落慶らっけいし、東京とうきょう増上寺ぞうじょうじはなだけいん所蔵しょぞう阿弥陀如来あみだにょらいならびにりょうわきさむらいほとけ寄贈きぞうされている。

従来じゅうらい庫裡くり民家みんか買収ばいしゅうしたものであり、間取まどりが不十分ふじゅうぶんであったため、書院しょいんとしての体裁ていさいととのえるべく、1916ねん大正たいしょう5ねん)、すべて木曽きそひのきざい建造けんぞうしたかいづくりの15のあいだすうの1家屋かおくを、当時とうじ金額きんがく経費けいひ1まん5,000えんあまりをついやして静岡しずおかけんより移築いちくしている[1]

1921ねん大正たいしょう10ねん)11月15にちには、だいいち世界せかい大戦たいせんにおける死傷ししょうしゃ追悼ついとうするためにひろしかねあらたに鋳造ちゅうぞう[2]墓地ぼち1,500つぼ購入こうにゅうしている。

2ねん関東大震災かんとうだいしんさいでは、書院しょいん庫裡くり鐘楼しゅろう倒壊とうかいし、本堂ほんどう傾斜けいしゃしてしまったため、書院しょいんどう震災しんさい倒壊とうかいした小田原おだわら御用邸ごようてい一部いちぶ払下はらいさげをけて移築いちくされている[1]

  • 本堂ほんどう間口まぐち7あいだ奥行おくゆき10あいだ入母屋いりもやづくりこうはい唐破風からはふづくり木造もくぞう瓦葺かわらぶき。ゆうあいだきちじょうあいだほうくもあいだきむくもあいだの4しつと、執事しつじりょうがくしゅりょうきゃくりょうからなる。
  • 書院しょいん客殿きゃくでん建坪たてつぼ130つぼあま木造もくぞう瓦葺かわらぶき。1900ねん明治めいじ33ねん建築けんちく小田原おだわら御用邸ごようてい常宮じょうぐう御座所ござしょを、1924ねん大正たいしょう13ねん)に移築いちく。2005ねん平成へいせい17ねん)、くに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい登録とうろくされた[3]
  • 鐘楼しゅろう和香わか殿どの鉄筋てっきんコンクリートづくりかいけん
  • 梵鐘ぼんしょう1961ねん昭和しょうわ36ねん)9がつ鋳造ちゅうぞうたくみ山形やまがたじゅう渡辺わたなべいちろう

本尊ほんぞん

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  • 阿弥陀如来あみだにょらい立像りつぞうたかさ81センチメートル、ふねがた光背こうはい
  • わきさむらい勢至せいし観音かんのんかくたかさ46センチメートル、ふねがた光背こうはい
  • 開山かいさんどう木造もくぞう瓦葺かわらぶき平屋ひらや

宝物ほうもつ

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  • せい観世音かんぜおん立像りつぞうたかさ99センチメートル。元石川もといしかわ観音堂かんのんどう本尊ほんぞん
  • 円光えんこう大師だいし坐像ざぞうたかさ65センチメートル。1
  • 木造もくぞう菩薩ぼさつ立像りつぞうたかさ101.5センチメートル。1平安へいあん時代じだい製作せいさく推定すいてい横浜よこはま市内しない現存げんそんする木彫きぼりぞうとしてはもっとふる時代じだいのものの1つ。2010ねん平成へいせい22ねん)に横浜よこはま指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していされた[4]
  • がらすくるるすな明王みょうおう(うすさまみょうおう)-1
  • 十六羅漢じゅうろくらかん画像がぞうでんちょう殿どのひつ。2ぶく
  • タゴール書簡しょかん-1つう

境内けいだい仏堂ぶつどう

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  • 厄除やくよけ地蔵堂じぞうどう間口まぐち2あいだ奥行おくゆき2あいだ木造もくぞう瓦葺かわらぶき平屋ひらや
  • 地蔵じぞう菩薩ぼさつ坐像ざぞうたかさ2.74メートル。ひのきづくり。1かたはり1.70メートル。ひざはり2.46メートル。背面はいめんぐりのまどがある。1932ねん昭和しょうわ7ねん)、埼玉さいたまけん秩父ちちぶより遷座せんざ作者さくしゃしょう室町むろまち時代ときよさくとされ、長野ながのけん善光寺ぜんこうじくに認定にんてい重要じゅうよう美術びじゅつひん銅像どうぞう地蔵じぞう菩薩ぼさつ坐像ざぞう通称つうしょう:ぬれふつ)の鋳造ちゅうぞう使用しようした原型げんけい可能かのうせい指摘してきされている[5]。2018ねん平成へいせい30ねん)に横浜よこはま指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していされた[6]

このほか、境内けいだい太田おおた古墳こふんいしぶみならびに、うしいしぶみ存在そんざいする[2]

歴代れきだい住職じゅうしょく

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  • あきらほまれぜんこう 慈眼じげんいん開山かいさん
  • せいほまれ宮下みやしたしゅんたち きち上山かみのやま中興ちゅうこう開山かいさん1847ねんひろし4ねん)ー1940ねん昭和しょうわ15ねん)6がつ24にち遷化せんげ、94さい大僧正だいそうじょう
長野ながのけんせい1937ねん昭和しょうわ12ねん)、本山ほんざんである鎌倉かまくら光明寺こうみょうじの105せい住職じゅうしょく就任しゅうにん
  • ふるえほまれ白幡しらはた静美しずみ、(1952ねん昭和しょうわ27ねん)2がつ20日はつか遷化せんげ、78さいせい僧正そうじょう
  • えんほまれ白幡しらはたせいけん1963ねん昭和しょうわ38ねん)2がつ19にち遷化せんげ、54さいせい僧正そうじょう
  • 白幡しらはたけんたすく1931ねん2004ねん平成へいせい16ねん)12月21にち遷化せんげ、73さい全日本ぜんにほん仏教ぶっきょうかい理事りじちょう日本にっぽん宗教しゅうきょう連盟れんめい理事りじちょう
横浜よこはま中学ちゅうがく在学ざいがくちゅう外野がいやしゅだったえんで、藤木ふじき幸夫ゆきお神奈川かながわ県立けんりつ工業こうぎょう高校こうこう野球やきゅう捕手ほしゅ)と親交しんこうあつく、そのえん横浜よこはま高等こうとう学校がっこう野球やきゅう監督かんとく渡辺わたなべもとさとし相談そうだん相手あいてにもなった[7]渡辺わたなべ監督かんとく時代じだい愛甲あいこうたけし安西あんざい健二けんじ一時期いちじき自宅じたくったさいには、光明寺こうみょうじ境内けいだい借家しゃくや世話せわしたという[8]。また、吉田よしだ菩提寺ぼだいじとなっていた関係かんけいで、吉田よしだ健一けんいちともしたしく、らいはまおりには藤木ふじきとともに南京なんきんまち歓待かんたいした[9]

交通こうつう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b みなみ歴史れきし』p378 - p379
  2. ^ a b 横濱よこはま稿こう 仏寺ぶつじへん』p708
  3. ^ 光明寺こうみょうじ書院しょいん”. 文化庁ぶんかちょう こく指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース. 2023ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ 平成へいせい22年度ねんど あらたに3けん横浜よこはま指定してい文化財ぶんかざいに」記者きしゃ発表はっぴょう資料しりょう” (PDF). 横浜よこはま教育きょういく委員いいんかい事務じむきょく生涯しょうがい学習がくしゅう文化財ぶんかざい (2010ねん10がつ26にち). 2023ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  5. ^ 木造もくぞう坐像ざぞう文化財ぶんかざい庚台かのえだい光明寺こうみょうじ地蔵じぞう菩薩ぼさつ. タウンニュース みなみばん. (2018ねん11月22にち). https://www.townnews.co.jp/0114/2018/11/22/458556.html 2023ねん2がつ26にち閲覧えつらん 
  6. ^ 平成へいせい30年度ねんどあらたな横浜よこはま指定してい文化財ぶんかざいについて 報道ほうどう記者きしゃ発表はっぴょう” (PDF). 横浜よこはま教育きょういく委員いいんかい事務じむきょく生涯しょうがい学習がくしゅう文化財ぶんかざい (2018ねん11月2にち). 2023ねん2がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ 渡辺わたなべもとさとし人生じんせい勝利しょうりしゃたれ』報知新聞社ほうちしんぶんしゃ、2016ねん3がつ、2-3ぺーじISBN 9784831901477 
  8. ^ 渡辺わたなべもとさとしいつもすべみセーフ神奈川新聞社かながわしんぶんしゃ、2006ねん7がつ、128-129ぺーじISBN 4876453829https://books.google.co.jp/books?id=2GhAKtUCJmMC&lpg=PA89&ots=foD00dZJoW&hl=ja&pg=PA127&q&f=false#v=onepage&q&f=false 
  9. ^ 白幡しらはたけんたすく「ヨコハマの吉田よしだ健一けんいちさん」『吉田よしだ健一けんいち著作ちょさくしゅうだい4かん月報げっぽう』、集英社しゅうえいしゃ、1979ねん2がつ、2-3ぺーじ 
  10. ^ 神奈川かながわけん宗教しゅうきょう法人ほうじん名簿めいぼ 平成へいせい28ねん1がつ』2016ねん3がつ、11ぺーじ 
  11. ^ 宗教しゅうきょう法人ほうじん名簿めいぼれい3ねん1がつ1にち現在げんざい”. 2022ねん5がつ5にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • みなみ歴史れきし編集へんしゅうしゃけん発行はっこうしゃみなみ歴史れきし発刊はっかん実行じっこう委員いいんかい(1976ねん3がつ発行はっこう
  • 横濱よこはま稿こう 仏寺ぶつじへん発行はっこうしゃ中村なかむらあん寿ひさし発行はっこうしょ株式会社かぶしきがいしゃ名著めいちょ出版しゅっぱん(1973ねん10がつ発行はっこうNDLJP:1213532/413昭和しょうわ6ねん11月、堀田ほったあきらひだり刊行かんこうしたものを復刊ふっかん

外部がいぶリンク

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