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八九式重擲弾筒 - Wikipedia

はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう

はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう(はちきゅうしきじゅうてきだんとう)は、1920年代ねんだいから30年代ねんだい初期しょきにかけて開発かいはつ採用さいようされた大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん小隊しょうたいもちいかる迫撃はくげきほう擲弾発射はっしゃ

はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう
はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとうつつくつがえ装備そうびひん各種かくしゅ弾薬だんやく
はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう
種類しゅるい かる迫撃はくげきほう擲弾発射はっしゃ
製造せいぞうこく 大日本帝国の旗 大日本帝国だいにっぽんていこく
仕様しよう
種別しゅべつ じゅう擲弾筒てきだんとう
口径こうけい 50mm
銃身じゅうしんちょう 254mm
全長ぜんちょう 610mm
重量じゅうりょう 4.7kg
最大さいだい射程しゃてい はちきゅうしき榴弾りゅうだん:670m
じゅうねんしき手榴弾しゅりゅうだんきゅう一式いっしき手榴弾しゅりゅうだん:200m
有効ゆうこう射程しゃてい はちきゅうしき榴弾りゅうだん:120m
歴史れきし 
製造せいぞう期間きかん 1932ねん1945ねん
配備はいびさき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
関連かんれん戦争せんそう紛争ふんそう にちちゅう戦争せんそう
だい世界せかい大戦たいせん
国共こっきょう内戦ないせん
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概要がいよう

編集へんしゅう
 
浙贛作戦さくせんはちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう使用しようするだい13ぐん兵士へいし、1942ねん5がつ

開発かいはつじゅうねんしき擲弾筒てきだんとうかり制式せいしきとなって1ねん1922ねん大正たいしょう11ねん)からはじまった。じゅうねんしき擲弾筒てきだんとう欠点けってんおお使つかいにくい兵器へいきであることは陸軍りくぐんとしても充分じゅうぶん承知しょうちしており、とく射程しゃてい不足ふそく命中めいちゅうりつひくさを改善かいぜんすることがもとめられていた。同年どうねん4がつにははやくも試製しせいひん完成かんせい試験しけんおこなわれた。しかし、1923ねん大正たいしょう12ねん)9がつ関東大震災かんとうだいしんさい焼失しょうしつしたため、いったん開発かいはつ頓挫とんざしたが、11月にはみつさんだい262ごう兵器へいき研究けんきゅう方針ほうしんにより正式せいしき開発かいはつ審査しんさ決定けっていした。1925ねん大正たいしょう14ねんまつには陸軍りくぐん技術ぎじゅつ本部ほんぶでの試験しけん終了しゅうりょうし、1926ねん大正たいしょう15ねん)から1930ねん昭和しょうわ5ねん)にかけて陸軍りくぐん歩兵ほへい学校がっこう委託いたくして実用じつよう試験しけんおこなった。時間じかんがかかっているのは支柱しちゅう桿とんだ)部分ぶぶん強度きょうど不足ふそく指摘してきされ、重量じゅうりょう増加ぞうかとのギリギリのせんさがしこれの修正しゅうせい手間取てまどったためである。制式せいしき名称めいしょうはちきゅうしきとなっているのは修正しゅうせいばん試製しせいひん完成かんせい1929ねん昭和しょうわ4ねん)、つまり皇紀こうき2589ねんであったためで、実際じっさいは1930ねん4がつかり制式せいしき制定せいていとなり、1932ねん昭和しょうわ7ねん)に制式せいしき制定せいていとなっている。生産せいさんは1932ねんから1945ねん昭和しょうわ20ねん)までおこなわれ、やく12まんてい生産せいさんされた。

はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとうは、ふとつつほそ槓(支柱しちゅう)、そのさきちゅういた台座だいざ)からなる。全体ぜんたい構成こうせいじゅうねんしき擲弾筒てきだんとう同様どうようだが、分解ぶんかいしない状態じょうたい運搬うんぱんされるてんことなる。湾曲わんきょくしたちゅういた地面じめんててて、つつ水平すいへいからの仰角ぎょうかく目分量めぶんりょうで45調整ちょうせいしたのちつつ後部こうぶせい調整ちょうせいつまみ)をまわして射距離しゃきょり設定せっていし、槓に沿った引鉄ひきがね使つかって擲弾を発射はっしゃする。このさい射撃しゃげき姿勢しせいによってはひざあし地面じめんにあるちゅういたみ、衝撃しょうげきでずれないようにした。発射はっしゃ角度かくどつねに45とする前提ぜんていで、射程しゃてい増減ぞうげんせいまわして、槓内のげきくきしつ引鉄ひきがねふくげきはつ機構きこう内蔵ないぞう)の位置いち前後ぜんごさせることで、弾薬だんやくつつ挿入そうにゅうされるふかさを調節ちょうせつし、相対そうたいてきつつ身長しんちょう増減ぞうげんして腔内容積ようせき変化へんかさせ、初速しょそく調整ちょうせいすることでおこなうという方式ほうしきであった。この方式ほうしき一見いっけん複雑ふくざつだが、同一どういつ弾薬だんやくかつ固定こてい発射はっしゃ角度かくどでも射程しゃてい変化へんかさせることができるという利点りてんがある。なお、墜発しきでないため必要ひつようおうじて水平すいへいなど45ではない角度かくど発射はっしゃすることも可能かのうであったが、反面はんめんじゅう装填そうてんによる事故じこ多発たはつした。つつ側面そくめんには、射撃しゃげき体勢たいせいったさい照準しょうじゅんじくせん目安めやすとする方向ほうこう照準しょうじゅんせんえがかれていた。

弾薬だんやく専用せんようはちきゅうしき榴弾りゅうだんで、じゅういちねんしき曲射きょくしゃ歩兵ほへいほうようじゅういちねんしき榴弾りゅうだんをほぼそのままスケールダウンしたものである。つつ身内みうちめんのライフリングに噛うよう、発射はっしゃ火薬かやくガスで内側うちがわからふくらむどうせいたまたいち、弾頭だんとうには瞬発しゅんぱつ信管しんかんそなえる。また、じゅうねんしき手榴弾しゅりゅうだんおよびきゅう一式いっしき手榴弾しゅりゅうだん発射はっしゃすることもできるが、最大さいだい射程しゃていは200mとはちきゅうしき榴弾りゅうだん使用しようの3ぶんの1以下いかとなる。このほか、ヘキサクロルエタンと酸化さんか亜鉛あえん発煙はつえんざいとしたきゅうさんしき発煙はつえんだんはちきゅうしき榴弾りゅうだんたまから鋳鉄ちゅうてつとし危害きがい半径はんけいちいさくした演習えんしゅうだんであるきゅうよんしき代用だいようだん供給きょうきゅう使用しようされた。

べいぐん兵士へいしあいだでは、鹵獲ろかくした擲弾筒てきだんとうニー・モーターひざ迫撃はくげきほう)とんだ[1]。これは湾曲わんきょくした台座だいざ太腿ふとももにぴったりったことから、かたひざてた姿勢しせいももうえせて発射はっしゃするもの勘違かんちがいし、実際じっさいったもの反動はんどう怪我けがをしたという逸話いつわのこっていることに由来ゆらいする[1][2]。このあやまった姿勢しせい擲弾筒てきだんとうかまえるべいぐん兵士へいし記念きねん写真しゃしん実在じつざい[1]、また鹵獲ろかくした擲弾筒てきだんとう解説かいせつした1944ねん後期こうきかれたマニュアルには、「ほん兵器へいきけっして大腿だいたいにあてがって使用しようしてはならない」と明記めいきされていた。

編制へんせい

編集へんしゅう

1個いっこ小隊しょうたいは4分隊ぶんたい編成へんせいされ、分隊ぶんたいにはけい機関きかんじゅう1ちょう装備そうびする機関きかんじゅう分隊ぶんたい擲弾筒てきだんとう3もん装備そうびする擲弾筒てきだんとう分隊ぶんたい小銃しょうじゅう分隊ぶんたいがあった。 擲弾筒てきだんとう1もんは3めいはん運用うんようし、1人ひとり18はつけい54はつ)の弾薬だんやく定数ていすうっていた。擲弾筒てきだんとう分隊ぶんたいはこのはんが3分隊ぶんたいちょう合計ごうけい10めいから編成へんせいされていた。 理想りそうてき小隊しょうたい編成へんせい機関きかんじゅう分隊ぶんたい3擲弾筒てきだんとう分隊ぶんたい1個いっこからなる編成へんせいであったが、機関きかんじゅう不足ふそくしていたため、機関きかんじゅう分隊ぶんたい2擲弾筒てきだんとう分隊ぶんたい2小隊しょうたい編成へんせいされることもおおかった。さら小銃しょうじゅう分隊ぶんたい2擲弾筒てきだんとう分隊ぶんたい2編成へんせいしたり、小銃しょうじゅう分隊ぶんたい3擲弾筒てきだんとう分隊ぶんたい1個いっこ編成へんせいされることもあった。

運用うんよう

編集へんしゅう
 
はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとうかまえる兵士へいし支柱しちゅうはしちゅういた地面じめんえ、ささえとして使用しようする

どう兵器へいきは45角度かくどてた場合ばあいに800gの榴弾りゅうだん最大さいだいで670m、のち開発かいはつされたゆうつばさだんでは800mばすことができる。この運用うんようせいたかさと威力いりょくおおきさ(有効ゆうこう半径はんけい10m)もあって、そのうえ破裂はれつおん野砲やほうみにおおきいのでべいぐんおおいにおそれられた。はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう歩兵ほへい小隊しょうたいに1~3ほん配備はいびされ、発射はっしゃには2人ふたり1くみ各々おのおの装填そうてん調節ちょうせつ発射はっしゃ担当たんとう運搬うんぱんでは3にん1くみ各々おのおの弾薬だんやくを8~18はつやく6.4~14.4kg)ずつ専用せんよう布製ぬのせいぶくろれ、かついで運搬うんぱんした。効率こうりつちるものの一人ひとりでも運搬うんぱん発射はっしゃ可能かのうであった。

評価ひょうか

編集へんしゅう

沖縄おきなわせんにおけるシュガーローフのたたかでは、擲弾筒てきだんとう効果こうかてき運用うんようされたことが記録きろくされている。とくべいぐん突撃とつげき小隊しょうたい支援しえんする機関きかんじゅう分隊ぶんたいたい正確せいかくまれ、頻繁ひんぱん射撃しゃげき移動いどうおこなわなかった機関きかんじゅう分隊ぶんたいのこれなかったという。一方いっぽう斜面しゃめん着弾ちゃくだんした擲弾に不発ふはつおおられたことも記録きろくされている。また信管しんかん打撃だげき瞬発しゅんぱつしきのため、擲弾の弾道だんどうじょう電線でんせん枝葉えだはとう障害しょうがいぶつがあると、飛翔ひしょうちゅう信管しんかん作動さどうして炸裂さくれつしてしまうおそれがあった。

小銃しょうじゅう擲弾(ライフルグレネード)と迫撃はくげきほうなかあいだてきなコンセプトが評価ひょうかされ、前述ぜんじゅつのように戦術せんじゅつてき成果せいかたかかったため、その威力いりょく経験けいけんした米国べいこく中心ちゅうしん各国かっこく小銃しょうじゅう擲弾以外いがい擲弾筒てきだんとう開発かいはつされる動機どうきとなったとされる。ほん擲弾筒てきだんとう意識いしきして開発かいはつ製造せいぞうされたのが確実かくじつなものとしては、中華民国ちゅうかみんこく国民こくみん革命かくめいぐん装備そうびしていたみんこくななねんしき擲弾筒てきだんとうがある。みんこくななねんしき擲弾筒てきだんとう中国ちゅうごく人民じんみん解放かいほうぐんでもななしき擲弾筒てきだんとう名称めいしょうで1960年代ねんだい初期しょきまで使つかわれており、朝鮮ちょうせん戦争せんそうでも使用しようされた。

携行けいこう可能かのう擲弾筒てきだんとうのコンセプトは日本にっぽん以外いがいでも研究けんきゅうされ、イギリスのSBML 2インチ迫撃はくげきほうなどが存在そんざいする。アメリカぐんM19 60mm 迫撃はくげきほうは、当初とうしょはちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう同様どうよう砲身ほうしん台座だいざのみから構成こうせいされる形式けいしき採用さいようしていたが、あまりの命中めいちゅう精度せいどひくさから、前任ぜんにんM2 60mm 迫撃はくげきほう同様どうよう支持しじあし装着そうちゃくするにいたったという経緯けいいがある。また、アメリカ海兵かいへいたいでは、現代げんだいでも60mm迫撃はくげきほうから支持しじあしはずして小型こがたのベースプレートをけて擲弾筒てきだんとうのようなかたちにしたものを小隊しょうたい迫撃はくげきほうはん運用うんようしている。 なお歩兵ほへい個人こじん装備そうびけい迫撃はくげきほうとしては口径こうけいの50mmは一般いっぱんてきであり、だい世界せかい大戦たいせん当時とうじ各国かっこく使用しようされたけい迫撃はくげきほうはアメリカの60mmをのぞき50mmとなっている。

擲弾筒てきだんとうという名称めいしょうであるが、はちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとうたんじゅうねんしき擲弾筒てきだんとうおもくしたものではない。口径こうけいつつ身長しんちょうじゅうねんしき大差たいさはなく、全長ぜんちょう射距離しゃきょり調整ちょうせいねじの追加ついか必要ひつようとなったぶんのスペースである。増大ぞうだいした重量じゅうりょうはほぼすべてが射撃しゃげき精度せいど向上こうじょうのためにけられているとってく、手榴弾しゅりゅうだん兼用けんよう弾薬だんやく使用しようできるというてん以外いがいは、各国かっこく小隊しょうたいようけい迫撃はくげきほう運用うんようめんことなるところはない。さらに、実際じっさいには手榴弾しゅりゅうだん発射はっしゃする場面ばめんはほとんどなく、もっぱら専用せんよう榴弾りゅうだん使用しようするものであり、はちきゅうしき榴弾りゅうだん威力いりょくじゅうねんしき手榴弾しゅりゅうだんきゅうきゅうしき手榴弾しゅりゅうだんやく3ばいきゅう一式いっしき手榴弾しゅりゅうだんきゅうななしき手榴弾しゅりゅうだんやく2ばいであった。これはグレネードランチャーが一般いっぱん手榴弾しゅりゅうだん同等どうとう程度ていどであるのにたいしてかなりおおきいものであり、むしろけい迫撃はくげきほう弾薬だんやく同等どうとうかそれにちかいものである。かた迫撃はくげきほう軽量けいりょう簡素かんそかた擲弾筒てきだんとう重厚じゅうこう精密せいみつという出自しゅつじちがいはあれども、小隊しょうたいようけい迫撃はくげきほうじゅう擲弾筒てきだんとうのニッチは結果けっかとしてほぼ一致いっちしている。

むしろ、戦後せんご各国かっこく開発かいはつされたグレネードランチャーは、小銃しょうじゅう擲弾と同様どうよう、その大半たいはんはちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとうよりも最小さいしょう射程しゃてい最大さいだい射程しゃていともにちいさく、弾頭だんとう威力いりょくもよりしょうであり、運用うんようはより簡便かんべんなものであり、ライフルグレネードの延長えんちょうにある装備そうびである。

だい世界せかい大戦たいせんのアメリカぐん使用しようしたM7ライフルグレネード有効ゆうこう射程しゃてい150m程度ていど手榴弾しゅりゅうだんどう程度ていど威力いりょくだったのと比較ひかくすると射程しゃてい威力いりょくともばい高性能こうせいのうであり、カタログスペックの比較ひかくではソビエトの50mm迫撃はくげきほうなどと同等どうとう性能せいのうっていながら重量じゅうりょう半分はんぶん以下いかという利便りべんせいたかさをほこっていた。当時とうじ連合れんごう国軍こくぐんもっとおそれられた日本にっぽんぐん兵器へいきひとつであり、小隊しょうたいようけい迫撃はくげきほうとしてれば他国たこく射程しゃてい威力いりょく命中めいちゅうりつでは互角ごかくほこりながら重量じゅうりょう半分はんぶん以下いかという高性能こうせいのうだった。日本にっぽんぐんから鹵獲ろかくしたはちぐんにおいては、水平すいへいげきちを多用たようしてライフルグレネードのようにもちいた。またしょう改良かいりょううえななしき擲弾筒てきだんとうとして制式せいしきしている。[3]

登場とうじょう作品さくひん 

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  • 独立どくりつ愚連隊ぐれんたい - 1959ねん製作せいさく日本にっぽん映画えいが独立どくりつだいきゅうしょう哨の隊員たいいんたちが装備そうびしており、はちぐんたいして使用しようされる。
  • すな - 1965ねん製作せいさく日本にっぽん映画えいが小杉こすぎ曹長そうちょうひきいる軍楽隊ぐんがくたい陣地じんち攻撃こうげきするさい擲弾筒てきだんとうあやまって垂直すいちょく発射はっしゃしてしまう場面ばめんがある。
  • ウインドトーカーズ - 2002ねん製作せいさくのアメリカ映画えいが海兵かいへいたい日本にっぽんぐん陣地じんち攻撃こうげきする場面ばめん擲弾筒てきだんとう登場とうじょうする。
  • ハクソー・リッジ - 2016ねん製作せいさくのアメリカ映画えいが日本にっぽんぐん陣地じんち攻撃こうげきちゅうのアメリカ陸軍りくぐんたいして日本にっぽんへい使用しようする。

テレビドラマ

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  • ザ・パシフィック - 2010ねん放送ほうそうのアメリカテレビドラマシリーズ。ペリリューへんにおいて日本にっぽんへい司令しれい防衛ぼうえいせん使用しようする。
  • Rising Storm - 日本にっぽんぐん陣営じんえい帝国ていこく陸軍りくぐん海軍かいぐん陸戦りくせんたい)ではちきゅうしきじゅう擲弾筒てきだんとう使用しよう可能かのう携行けいこうだんすうは7はつ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 擲弾筒てきだんとう 松代まつだい守弘もりひろ 歴史れきしぐんぞう 2007ねん10がつごう P87 学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ
  2. ^ "ミリタリー・ブラザース". エピソード#01 冷戦れいせん戦車せんしゃなぞだい世界せかい大戦たいせん武器ぶき. ヒストリーチャンネル
  3. ^ ほろうえとう (2015ねん8がつ15にち). “八路軍如何製造擲彈筒” (中国ちゅうごく). 今日きょうあたまじょう(今日きょうのヘッドライン). 2018ねん9がつ16にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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