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十津川 - Wikipedia

十津川とつかわ

奈良ならけん地域ちいきおよ河川かせん

十津川とつかわ(とつかわ)は、奈良ならけん地域ちいきおよ河川かせん名称めいしょう地域ちいきめいとしては現在げんざい吉野よしのぐん十津川とつかわむら一帯いったいをさし、河川かせんめいとしては熊野川くまのがわ本流ほんりゅう十津川とつかわむらないでの呼称こしょうとして使つかわれる。

現在げんざい奈良ならけん南部なんぶのうちかわ吉野川よしのがわ水系すいけい流域りゅういき吉野よしのとよぶのにたいし、新宮しんぐうがわ熊野川くまのがわ水系すいけい流域りゅういきからとおいという意味いみで、十津川とつかわとお津川つがわとお都川つかわ)といった。日本書紀にほんしょきとお津川つがわのことがしるされていることからもそれ以前いぜんから人々ひとびとんでいたとかんがえられ、1142ねん永治えいじ2ねん)の高野山こうのやま文書ぶんしょにもとお津川つがわという地名ちめいがみられる[1]十津川とつかわきょう現在げんざい十津川とつかわむら地域ちいきのみをすようになったのは天領てんりょうとなった江戸えど以降いこうであり、古来こらい十津川とつかわ五條ごじょう大塔だいとうまち地域ちいききゅう大塔だいとうむら)や吉野よしのぐん野迫川のせがわむらふく天辻てんつじとうげ以南いなん地域ちいきしていた[1]。さらに広義こうぎにはそのうえ流域りゅういき天川あまかわむらや、北山川きたやまがわ流域りゅういき上北山かみきたやまむら下北山しもきたやまむらまでもふくまれたともされる[2]

また野迫川のせがわむらには池津川いけつかわ中津なかつがわという地名ちめいがあるが、これは十津川とつかわとお津川つがわ)にたいして高野山こうのやまとの距離きょり関係かんけいからつけられた地名ちめいであるともいう。

 
谷瀬たにぜばし

十津川とつかわは、熊野川くまのがわなか流域りゅういきおも十津川とつかわむらないでの呼称こしょうである。天ノ川あまのがわ五條ごじょう十津川とつかわとなり、おおくの支流しりゅうあつめ、和歌山わかやまけん新宮しんぐう熊野川くまのがわまち宮井みやい北山川きたやまがわ合流ごうりゅう熊野川くまのがわとなる。五條ごじょう大塔だいとうまち阪本さかもと大塔だいとうきょうから北山川きたやまがわ合流ごうりゅう地点ちてんまでのながさはやく98km、流域りゅういき面積めんせきは1,324km2となる[3]

十津川とつかわ呼称こしょうするもの

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フィクション作品さくひん登場とうじょう人物じんぶつめい

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関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 十津川とつかわ探検たんけん - 十津川とつかわむらのあゆみ-総説そうせつ- 十津川とつかわかけはしネット
  2. ^ 川村かわむらたかし『十津川とつかわ出国しゅっこく北海道新聞社ほっかいどうしんぶんしゃ道新どうしん選書せんしょ>1987ねんISBN 4-89363-920-X
  3. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん-奈良ならけん角川書店かどかわしょてん 1990ねんISBN 4-04-001290-9

外部がいぶリンク

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