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高野山 - Wikipedia

高野山こうのやま

日本にっぽん和歌山わかやまけん北部ほくぶにある山々やまやま総称そうしょう、または伊都いとぐん高野たかのまち中心ちゅうしん地域ちいきめい

高野山こうのやま(こうやさん)は、和歌山わかやまけん北部ほくぶ和歌山わかやまけん伊都いとぐん高野たかのまちにある地域ちいき名称めいしょうである[1]周囲しゅういを1,000mきゅう山々やまやまかこまれた標高ひょうこうやく800mの山上さんじょう盆地ぼんち町並まちなみがひろがる。

壇上だんじょう伽藍がらん
壇上だんじょう伽藍がらん 不動堂ふどうどう国宝こくほう
高野山の位置(日本内)
高野山
高野山こうのやま

高野たかの"さん"」というではあるものの、地理ちりがくかみやまではない。高野たかの山内やまうちは「一山ひとやま境内けいだい」といわれ高野山こうのやま全域ぜんいきてら境内けいだいとされ、境内けいだいなか発展はってんしたまちであり、元来がんらい高野山こうのやま全体ぜんたい金剛峯寺こんごうぶじ同義どうぎである[2]。そのため高野たかの山内やまうち歴史れきし伽藍がらん文化財ぶんかざい関連かんれんについては、金剛峯寺こんごうぶじ詳述しょうじゅつしている。

平安へいあん時代じだいひろしひとし7ねん816ねん)に嵯峨天皇さがてんのうから空海くうかい弘法大師こうぼうだいし)が下賜かしされ、おさむぜん道場どうじょうとしてひらいた日本にっぽん仏教ぶっきょうにおける聖地せいちひとつである。

現在げんざいは「壇上だんじょう伽藍がらん」とばれる根本こんぽん道場どうじょう中心ちゅうしんとする宗教しゅうきょう都市とし形成けいせいしている。山内やまうち寺院じいんかず高野山こうのやま真言宗しんごんしゅう総本山そうほんざん金剛峯寺こんごうぶじ山号さんごう高野たかのさん)、大本山だいほんざんたから寿ひさしいんのほか、いんが117かてらおよび、そのやく半数はんすう宿坊しゅくぼうねている[3]

2004ねん平成へいせい16ねん7がつ7にち高野山こうのやままち石道いしみち金剛峯寺こんごうぶじ境内けいだい(6地区ちく)、建造けんぞうぶつ12けん熊野くまの吉野よしの大峯おおみねともに『紀伊きい山地さんち霊場れいじょう参詣さんけいどう』としてユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろくされた[4]。さらに2016ねん平成へいせい28ねん)10がつ24にち高野たかの参詣さんけいどうまち石道いしみちふく登録とうろく名称めいしょう変更へんこう)として黒河くろかわどう女人にょにんどう京大きょうだい坂道さかみち不動ふどうざか三谷みたにざか丹生たんじょう酒殿さかど神社じんじゃふくむ)が世界せかい遺産いさん追加ついか登録とうろくされた。

高野山こうのやま
あめゆたか説明せつめい
123456789101112
 
 
83
 
3
-4
 
 
95
 
4
-4
 
 
144
 
9
-1
 
 
137
 
15
4
 
 
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19
9
 
 
265
 
23
14
 
 
223
 
26
18
 
 
173
 
27
18
 
 
213
 
24
15
 
 
158
 
17
8
 
 
105
 
12
3
 
 
74
 
6
-2
気温きおん°C
そう降水こうすいりょう(mm)
出典しゅってん日本国にっぽんこく気象庁きしょうちょう1981-2010ねん平年へいねん
インペリアル換算かんさん
123456789101112
 
 
3.3
 
38
24
 
 
3.8
 
40
25
 
 
5.7
 
47
30
 
 
5.4
 
59
38
 
 
7
 
67
47
 
 
10
 
73
56
 
 
8.8
 
79
65
 
 
6.8
 
81
65
 
 
8.4
 
74
59
 
 
6.2
 
63
47
 
 
4.1
 
53
37
 
 
2.9
 
43
28
気温きおん°F
そう降水こうすいりょう(in)

高野山こうのやまという名称めいしょう単独たんどくみねはない。地名ちめいとしての「高野たかのさん」とは、はちようみね今来こんらいほう宝珠ほうしゅほう鉢伏山はちふせやま弁天岳べんてんだけしゅうとしゃやまてんじくやま楊柳山ようりゅうさんあまさん)とばれる峰々みねみねかこまれた盆地ぼんちじょう平地ひらち地域ちいきす(行政ぎょうせいじょうめいとしての「高野たかのさん」(郵便ゆうびん番号ばんごうは648-0211)もおおよそこれとおな地域ちいきである)。8つの峰々みねみねかこまれているその地形ちけいは「はちすはなひらいたような」と形容けいようされており、仏教ぶっきょう聖地せいちとしてはりょうさかい曼荼羅まんだらのうちの胎蔵曼荼羅まんだらの「中台ちゅうたいはちよういん」にせられている[5]てんじくやま楊柳山ようりゅうさんあまやまさんやま高野たかの三山さんざんという。

金剛峯寺こんごうぶじ境内けいだいにあるアメダス観測かんそくとし平均へいきん降水こうすいりょう2003.1mm。とし平均へいきん気温きおんは11.1℃と大阪管区気象台おおさかかんくきしょうだいより6℃ひくい。一般いっぱんてき温暖おんだん地域ちいきおお和歌山わかやまけんとしては異例いれいで、ふゆさむさがきびしく、1がつ平均へいきん気温きおんは−0.3℃と氷点下ひょうてんかになる。きょく最高さいこう33.7℃(2014ねん7がつ26にち)、最低さいてい−13.4℃(1981ねん2がつ28にち[6]

高野たかのさん(1991ねん - 2020ねん)の気候きこう
つき 1がつ 2がつ 3がつ 4がつ 5月 6がつ 7がつ 8がつ 9月 10月 11月 12月 とし
最高さいこう気温きおん記録きろく °C°F 15.1
(59.2)
17.9
(64.2)
20.2
(68.4)
26.5
(79.7)
29.6
(85.3)
31.1
(88)
33.7
(92.7)
33.2
(91.8)
31.1
(88)
27.2
(81)
22.3
(72.1)
19.7
(67.5)
33.7
(92.7)
平均へいきん最高さいこう気温きおん °C°F 3.4
(38.1)
4.8
(40.6)
9.2
(48.6)
15.1
(59.2)
20.1
(68.2)
22.8
(73)
26.6
(79.9)
27.8
(82)
23.7
(74.7)
17.8
(64)
12.2
(54)
6.3
(43.3)
15.8
(60.4)
にち平均へいきん気温きおん °C°F −0.3
(31.5)
0.4
(32.7)
4.0
(39.2)
9.4
(48.9)
14.4
(57.9)
18.1
(64.6)
22.1
(71.8)
22.8
(73)
19.1
(66.4)
13.2
(55.8)
7.5
(45.5)
2.2
(36)
11.1
(52)
平均へいきん最低さいてい気温きおん °C°F −4.0
(24.8)
−3.8
(25.2)
−1.0
(30.2)
3.7
(38.7)
8.9
(48)
14.0
(57.2)
18.4
(65.1)
18.8
(65.8)
15.3
(59.5)
9.1
(48.4)
3.0
(37.4)
−1.6
(29.1)
6.8
(44.2)
最低さいてい気温きおん記録きろく °C°F −12.8
(9)
−13.4
(7.9)
−9.4
(15.1)
−5.1
(22.8)
−1.4
(29.5)
3.4
(38.1)
9.9
(49.8)
11.8
(53.2)
5.0
(41)
−1.5
(29.3)
−5.0
(23)
−10.0
(14)
−13.4
(7.9)
降水こうすいりょう mm (inch) 87.6
(3.449)
97.4
(3.835)
141.7
(5.579)
141.5
(5.571)
166.6
(6.559)
260.3
(10.248)
256.4
(10.094)
192.5
(7.579)
247.5
(9.744)
203.3
(8.004)
108.4
(4.268)
89.3
(3.516)
2,003.1
(78.862)
平均へいきん降水こうすい日数にっすう (≥1.0 mm) 11.7 11.1 12.6 11.2 10.7 13.7 12.7 10.9 11.7 11.2 8.7 11.4 137.6
平均へいきん月間げっかん日照ひでり時間じかん 82.9 96.7 138.5 176.5 185.5 124.9 146.1 166.8 124.7 130.6 115.6 93.0 1,582.3
出典しゅってん1:Japan Meteorological Agency
出典しゅってん2:気象庁きしょうちょう[7]

おも施設しせつ寺院じいん

編集へんしゅう

山内やまうちは「一山ひとやまいっさん境内けいだい」として総本山そうほんざん金剛峯寺こんごうぶじ境内けいだいとなっている[8]。このうち、大門だいもん地区ちく伽藍がらん地区ちく本山もとやま地区ちくおくいん地区ちく徳川とくがわれいだい地区ちくきむつよし三昧ざんまいいん地区ちくの6地区ちくくに史跡しせき指定していされ、世界せかい遺産いさん構成こうせい要素ようそとなっている[4]多数たすう寺院じいん建築けんちくならぶが、ここでは主要しゅよう一部いちぶ紹介しょうかいする[9]詳細しょうさい金剛峯寺こんごうぶじ参照さんしょうのこと。

壇上だんじょう伽藍がらん
 
壇上だんじょう伽藍がらん 金堂こんどうそう本堂ほんどう
一般いっぱん寺院じいんでいう本堂ほんどうがある伽藍がらん地区ちくである。くに史跡しせき世界せかい遺産いさん空海くうかい弘法大師こうぼうだいし)が曼荼羅まんだら思想しそうもとづいて創建そうけんした密教みっきょう伽藍がらん総称そうしょうであり、おくいんとともに高野たかのさん大聖たいせいである。金堂こんどう高野山こうのやま全体ぜんたいそう本堂ほんどう高野山こうのやまでのおも宗教しゅうきょう行事ぎょうじおこなわれる。ほかに大塔おおとう御影堂ごえどう不動堂ふどうどうなどがならび、不動堂ふどうどう国宝こくほう指定していされている。また、弘法大師こうぼうだいし伝説でんせつのひとつである飛行ひこうさん鈷杵がかかっていたとされる「さん鈷のまつ」や、高野たかの四郎しろう俗称ぞくしょう)とばれるだい鐘楼しゅろう伽藍がらんそんする。金堂こんどう大塔だいとうへのいれどう有料ゆうりょう境内けいだいのみは無料むりょう
おくいん
一般いっぱん寺院じいんでいう墓域ぼいきである。おくいんおくいん表記ひょうきされる場合ばあいもあるが、正確せいかく表記ひょうきおくいんである。くに史跡しせき世界せかい遺産いさん御廟ごびょうきょうさき灯籠とうろうどう、そのうら空海くうかいびょうがある。参道さんどうには、皇室こうしつ公家くげ大名だいみょうなどのはか多数たすうならび、その総数そうすう正確せいかくには把握はあくできないものの、20まん以上いじょうはあるとわれている。戦国せんごく大名だいみょうの6わり以上いじょう墓所はかしょがある。おくいんくちは2箇所かしょある。正式せいしきくちいちはしからであるが、なかはしまえには無料むりょうだい駐車ちゅうしゃじょうバス停ばすていがあるので、参拝さんぱいしゃのほとんどがこちらからはいる。いちはしから御廟ごびょうまではやく2km、なかはしからはそのやく半分はんぶんみちのりとなっている。その途上とじょうには「弥勒みろくせき」などの七不思議ななふしぎばれる場所ばしょがある。
総本山そうほんざん金剛峯寺こんごうぶじ
 
金剛峯寺こんごうぶじ ぬし殿どのほんぼうけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい
一般いっぱん寺院じいんでいうほんぼうである。くに史跡しせき世界せかい遺産いさんしゅ殿しんがりとう建物たてもの和歌山わかやまけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい高野山こうのやま真言宗しんごんしゅう総本山そうほんざん座主ざすじゅうてら金剛峯寺こんごうぶじもと高野山こうのやま全体ぜんたいしょうだが、現在げんざい金剛峯寺こんごうぶじばれるのは明治めいじ2ねん1869ねん)にあおいわおてらきょう山寺やまでら (廃寺はいじ)の2つの寺院じいん合併がっぺいしたもの。きゅうあおいわおてら剃髪ていはつてら)はぶんろく2ねん1593ねん)、豊臣とよとみ秀吉ひでよし建立こんりゅう文久ぶんきゅう3ねん1863ねん)、再建さいけん歴代れきだい天皇てんのう位牌いはい高野山こうのやま真言宗しんごんしゅう管長かんちょう位牌いはいをまつっている。だいあるじ殿どの別殿べつでんしん別殿べつでんかれており、別殿べつでんでは観光かんこうきゃく湯茶ゆちゃほどこしがある。ふすまやなぎさぎのあるやなぎあいだ豊臣とよとみ秀次しゅうじ自刃じじんあいだ屋根やねうえかれた防火ぼうかようみずおけは、かつては高野山こうのやま全域ぜんいきられたがいまかれているのはここのみ。また、金剛峯寺こんごうぶじ境内けいだいにある「わだかまりゅうにわ」(2,340m2)は日本にっぽん最大さいだい石庭いしにわ境内けいだい建物たてものがいおよおさめけいしょまでは無料むりょう。それよりさき建物たてものない拝観はいかん有料ゆうりょう
大門だいもんだいもん
高野山こうのやま全体ぜんたい総門そうもん1705ねん再建さいけんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい世界せかい遺産いさん
徳川とくがわれいだい
くに史跡しせきおよび重要じゅうよう文化財ぶんかざい世界せかい遺産いさん寛永かんえい20ねん1643ねん)、徳川とくがわ家光いえみつ建立こんりゅう家康いえやす秀忠ひでただ霊廟れいびょうがある。境内けいだい有料ゆうりょう
大師だいし教会きょうかいだいしきょうかい
 
大師だいし教会きょうかい
大正たいしょう時代じだいてられた講堂こうどう高野山こうのやま真言宗しんごんしゅう布教ふきょう御詠歌ごえいか宗教しゅうきょう舞踊ぶようなどの総本部そうほんぶで、受戒じゅかい体験たいけん阿字あじかん指導しどう講演こうえんかい定例ていれい布教ふきょうなどに使つかわれている。受付うけつけもうめばだれでも菩薩ぼさつ十善じゅうぜんさずかれる。
高野山こうのやま霊宝れいほうかん
高野たかの山上さんじょうにある国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざいとう保存ほぞん展示てんじおこなわれており、定期ていきてきにテーマをしぼった展示てんじかい開催かいさいされる。なお、現在げんざい日本にっぽん国宝こくほうの2%は高野たかの山上さんじょうにある(1083けんちゅう、23けん)。大正たいしょう10ねん1921ねん)、開設かいせつ紫雲しうん殿どの玄関げんかんきたろうちゅうろうみなみろう及西ろうひかりかく宝蔵ほうぞうくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい[10][11][12][13][14]
女人にょにんどう
不動ふどうざかこうにあり、女人にょにん禁制きんせい時代じだい女性じょせいはここまでしかれなかった。ふるくは高野たかのさん街道かいどうななつの入口いりくちにそれぞれあったが、いまひとつしかのこっていない。大日如来だいにちにょらい弁財天べざいてん神変しんぺんだい菩薩ぼさつまつる。
金輪かなわ公園こうえん
一心いっしんいんたににあり、いま公園こうえんになっていて、国宝こくほう不動堂ふどうどうもとはここにあった。あかりさん検校けんぎょうが12世紀せいき創建そうけんし、1834ねん再建さいけんされた金輪かなわとうがある。山側やまがわ影向ようごう明神みょうじんには、丹生たんじょう高野たかの明神みょうじんまつったふたつのしゃならぶ、また、鬼子母神きしもじんまつほこらもある。
たす地蔵じぞうみこと
大門おおもんまえさんから100mみなみひとつだけねがいをかなえてくれる。
しんだか稲荷いなりしゃ
奉納ほうのう鳥居とりいならさかのぼると社殿しゃでんがある。せいいち清高きよたか稲荷いなり大明神だいみょうじんまつり、境内けいだいには大黒天だいこくてん恵比寿えびす弘法大師こうぼうだいしまつる。弘法大師こうぼうだいし京都きょうと伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃより稲荷いなり大明神だいみょうじん勧請かんじょうしたとつたわる。
いんぐん
金剛峯寺こんごうぶじ修行しゅぎょうそう居住きょじゅうのためにつくった草庵そうあんこりとする寺院じいんぐん近畿きんきさんじゅうろく不動尊ふどうそん霊場れいじょうである明王みょうおういんみなみいんしん西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょ観音かんのん霊場れいじょうである宝亀ほうきいん西国さいごく愛染あいぜんじゅうなな霊場れいじょうであるぞうぶくいん福智院ふくちいんきむつよし三昧ざんまいいんなど117かてらかぞえ(総本山そうほんざん金剛峯寺こんごうぶじ大本山だいほんざんたから寿ひさしいんはこれにふくまれない)、そのやく半数はんすう宿坊しゅくぼうねている[15]以下いかいん宿坊しゅくぼうそなえていて、きむつよし三昧ざんまいいん有料ゆうりょうだが境内けいだい散策さんさくでき、いんだれでも無料むりょう自由じゆう参拝さんぱいできるどうがある。これ以外いがい宿坊しゅくぼうのあるいんにも、宿泊しゅくはくすることにより本堂ほんどういれどうしたり、庭園ていえんのぞんだり、護摩ごま祈祷きとう阿字あじかん写経しゃきょう体験たいけんをできるところがある。
以下いか無料むりょう自由じゆう参拝さんぱいできるいん堂宇どうう

登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい

編集へんしゅう
  • 橋本はしもと警察けいさつしょ高野たかの幹部かんぶ交番こうばん
    1921ねん大正たいしょう10ねん建築けんちくくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい木造もくぞう2かいけん屋根やね切妻きりづまづくりどう板葺いたぶき正面しょうめん千鳥ちどり破風はふがあり、またふね肘木ひじきあいだたば蟇股かえるまたつまいのこ扠首などの社寺しゃじいんふう建築けんちく技法ぎほうれ、高野たかのさん歴史れきしてき景観けいかん配慮はいりょした外観がいかんである[16]
  • 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう鋼索こうさくせん高野山こうのやまえき駅舎えきしゃ
    1928ねん昭和しょうわ3ねん建築けんちくくに登録とうろく有形ゆうけい文化財ぶんかざい木造もくぞう2かいけんはがね板葺いたぶきのモルタルぬり駅舎えきしゃまるまどや2かい外壁がいへきまわした水平すいへいたいなどがある昭和しょうわ初期しょき洋風ようふう建築けんちくだが、たからがた屋根やねいただき宝珠ほうしゅだか野山のやま意識いしきした建築けんちくぶつである[17]
  • 816ねん  ひろしひとし7ねん 7がつ8にち 空海くうかい高野山こうのやま下賜かし上奏じょうそうし、このとし勅許ちょっきょくだる。
  • 892ねん  寛平かんぺい4ねん 5がつ19にち 九度山くどさん慈尊院じそんいん弥勒みろくふつ坐像ざぞう」(国宝こくほう)が造立ぞうりゅうされる。こうさき墨書ぼくしょめい:「寛平かんぺい四年歳次壬子五月十九日造仏事己了」。
  • 994ねん  せいこよみ5ねん 7がつ6にち 高野山大こうやさんだい大塔おおとう落雷らくらい伽藍がらん御影堂ごえどうのこして全焼ぜんしょうし、寺院じいんにも類焼るいしょう
  • 1086ねん おうとく3ねん 4がつ7にち 金剛峯寺こんごうぶじふつ涅槃ねはん」(国宝こくほう)がえがかれる。墨書ぼくしょめい:「おうとく三年丙寅四月七日甲午奉写畢」。
  • 1117ねん 永久えいきゅう5ねんてん3ねん 4がつ15にち 金剛峯寺こんごうぶじ金銀きんぎん一切経いっさいきょう」(国宝こくほう)が奥州おうしゅう藤原清衡ふじわらのきよひら発願ほつがんにより書写しょしゃされる。
  • 1145ねん 久安ひさやす1ねん 10がつ23にち 金剛峯寺こんごうぶじ善女ぜんにょ龍王りゅうおうぞう」(国宝こくほう)がていさとしによってえがかれ、開眼かいがん供養くようされる。
  • 1149ねん 久安ひさやす5ねん 5がつ12にち 高野山大こうやさんだい大塔おおとう落雷らくらい伽藍がらん全焼ぜんしょうおおくの仏像ぶつぞう仏画ぶつがるい焼失しょうしつ
  • 1156ねん もと1ねん 4がつ29にち 金剛峯寺こんごうぶじりょうさかい曼荼羅まんだら曼荼羅まんだら)」(重文じゅうぶん)が絵師えし常明つねあき法印ほういんによってえがかれる。平清盛たいらのきよもりあたましてえがかせた。
  • 1223ねん さだおう2ねん 金剛こんごう三昧ざんまいいん多宝塔たほうとう」(国宝こくほう)を建立こんりゅう北条ほうじょう政子まさこみなもと頼朝よりとも源実朝みなもとのさねとも菩提ぼだいのために、安達あだち景盛かげもりめいじて建立こんりゅう
  • 1401ねん おうひさし8ねん 正月しょうがつ19にち 伽藍がらん西にしとう炎上えんじょうしんとう文殊もんじゅろうほん経蔵きょうぞう正智院しょうちいん一切いっさい経蔵きょうぞう類焼るいしょうおおくの聖教せいきょうるいことごと焼失しょうしつ
  • 1464ねん ひろしただし5ねん 7がつ3にち 高野山大こうやさんだい高野山こうのやま衆徒しゅとどうしゅ西院さいいん谷上やがみ南谷みなみだに合戦かっせんし、谷中やなかで11かてらのこしてことごと焼失しょうしつ
  • 1486ねん 文明ぶんめい18ねん 4がつ8にち 金剛峯寺こんごうぶじしょみことふつがん」(国宝こくほう付属ふぞくどうせい厨子ずし」が製作せいさくされる。
  • 1521ねん えいただし18ねんだいひさし1ねん) 2がつ12にち 高野山大こうやさんだい寺院じいんより出火しゅっか大塔おおとう金堂こんどう以下いか伽藍がらん300あまり宇・塔婆とうば19僧坊そうぼうなど3900あまり宇を焼失しょうしつし、ぜんやま壊滅かいめつ状態じょうたいとなる。
  • 1594ねん ぶんろく3ねん 豊臣とよとみ秀吉ひでよしこう野山のやま参詣さんけいし、生母せいぼ大政所おおまんどころさん回忌かいき追善ついぜん法要ほうようおこなう。そのおり、連歌れんがのうかいもよおす。
  • 1599ねん 慶長けいちょう4ねん 3がつ21にち おくいん経蔵きょうぞう」(重文じゅうぶん)を石田いしだ三成みつなりはは菩提ぼだいため建立こんりゅうし、金剛峯寺こんごうぶじ高麗こうらいばん一切経いっさいきょう」(重文じゅうぶん)をどう経蔵きょうぞう奉納ほうのう
  • 1599ねん 慶長けいちょう4ねん 6がつ 正智院しょうちいん高麗こうらいじんてき味方みかた戦死せんししゃ供養くよう」(けん指定してい)が薩摩さつまはんあるじ島津しまつ義弘よしひろ島津しまつただしつね親子おやこって建立こんりゅうされる。朝鮮ちょうせんやくにおけるてき味方みかた戦死せんししゃ供養くよう
  • 1599ねん 慶長けいちょう4ねん 10がつ15にち 清浄せいじょうしんいん佐竹さたけ義重よししげ霊屋たまや」(重文じゅうぶん)が佐竹さたけため義重よししげ逆修ぎゃくしゅ霊屋たまやとして造立ぞうりゅうされる。
  • 1604ねん 慶長けいちょう9ねん・12ねん 蓮花れんげいん松平まつだいら秀康ひでやすおよ同母どうぼ霊屋たまや付属ふぞくたから篋印とう7)」(重文じゅうぶん)が造立ぞうりゅうされる。秀康ひでやすほろびはは家康いえやす側室そくしつ)をまつるため、慶長けいちょうきゅうねん造立ぞうりゅう。また、慶長けいちょうじゅうねんよんがつはちにちには松平まつだいら忠直ただなおによって、松平まつだいら秀康ひでやす家康いえやす)の霊屋たまやとして、そのとなり造立ぞうりゅうされる。
  • 1622ねん 元和がんわ8ねん 天徳てんとくいん天徳てんとくいん庭園ていえん」(くに名勝めいしょう)が小堀こぼりとおしゅうによって造園ぞうえんされる。
  • 1630ねん 寛永かんえい7ねん 10がつ7にち 高野山大こうやさんだい大塔おおとう落雷らくらいしばらくしてとう腰部ようぶより猛火もうかこり炎上えんじょう焼失しょうしつ伽藍がらんしょどうをはじめおおくの寺院じいん類焼るいしょう
  • 1690ねん 元禄げんろく3ねん 落雷らくらいにより大門だいもん炎上えんじょう
  • 1691ねん 元禄げんろく4ねん せんいんまんせいいんより出火しゅっかあんよういんまで延焼えんしょうし89かてら全焼ぜんしょう
  • 1792ねん 寛政かんせい4ねん 2がつ16にち よるはちおくいん護摩堂ごまどうより出火しゅっか焼失しょうしつする。
  • 1809ねん 文化ぶんか6ねん 南谷なんやから出火しゅっかし、中門ちゅうもん勧学かんがくいん一帯いったい類焼るいしょうす。
  • 1843ねん 天保てんぽう14ねん 9がつ1にち 高野山大こうやさんだい壇上だんじょう宝蔵ほうぞう軒先のきさきから出火しゅっかし、大塔おおとうをはじめしょどう14むねことごと焼失しょうしつ
  • 1863ねん 文久ぶんきゅう3ねん 現在げんざい金剛峯寺こんごうぶじあおいわお寺本てらもと殿どの」(けん指定してい)が再建さいけんされる。万延まんえん元年がんねん(1860ねん)に焼失しょうしつしたことによる再建さいけん
  • 1869ねん 明治めいじ2ねん 3がつ29にち あおいわおてらおき山寺やまでら合併がっぺいして金剛峯寺こんごうぶじごうする。 11月3にち だか野山のやま神仏しんぶつ分離ぶんり通達つうたつくだる。
  • 1870ねん 明治めいじ3ねん 西院さいいん如意輪寺にょいりんじをはじめ、南谷なんやみなみいん焼失しょうしつ
  • 1872ねん 明治めいじ5ねん きょう山寺やまでら全焼ぜんしょう
  • 1879ねん 明治めいじ12ねん せんいん寂静じゃくじょういん普賢院ふげんいんきむつよしいただきいんなどが焼失しょうしつ
  • 1882ねん 明治めいじ15ねん 自性じしょういん2かてら谷上やがみはちすきんいんとう全焼ぜんしょう
  • 1884ねん 明治めいじ17ねん だか野山のやまとその周辺しゅうへんの13か合併がっぺいして高野たかのむらとなる。このとし谷上やがみはちすきんいん焼失しょうしつ。2月 西院さいいんめぐみひかりいんから出火しゅっか。50かてら、130類焼るいしょうする大火たいかになった。
  • 1888ねん 明治めいじ21ねん 3がつ23にち 午前ごぜん1230ふんごろ一心いっしんいんたにみなみいん裏山うらやまより出火しゅっか同院どういん火移ひうつり、ただちに高祖こうそいん東室ひがしむろいんへとうつり、つづいてせいとういんろくまちいん幸福こうふくいん康徳やすのりいん福智院ふくちいん蓮花れんげいん宝積ほうしゃくいん正覚しょうがくいん金剛こんごういんきょう山寺やまでら、◆さとしいん定光じょうこういん西にしせいいん無量むりょうこういんほんおういんひろしもんいん一乗院いちじょういん光輪こうりんいん如意輪寺にょいりんじ金蔵きんぞういん愛染あいぜんいん安楽あんらくいんあんよういんともえりょういんさんしついん普賢院ふげんいん報恩ほうおんいんあきらいずみいんぞういん圓満えんまんいん弥勒みろくいん常住じょうじゅういんおういんさとししょういんへと類焼るいしょう。さらにしつ千手せんじゅいん小田原おだわら地区ちく上之段うえのだんげん高野山大学こうやさんだいがく)の町家まちやへも類焼るいしょうし、午後ごご5ごろ鎮火ちんか。そのとき金剛峯寺こんごうぶじ屋根やねへも飛火とびひして、一時いちじ類焼るいしょうするかとおもわれたが、かろうじてめることができた。この火災かさいによって、大寺おおてら21かてら中小ちゅうしょう寺院じいん30かてら民家みんか70焼失しょうしつした。3月24にち午前ごぜん1230ふんごろ蓮花れんげだにめぐみひかりいんまえぞうぶくいんより出火しゅっかただちにだい明王みょうおういん光明院こうみょういんたかしじゅういんつねけいいん千蔵せんぞういん五大ごだいいんまことねがいいんもちたからいん丹生たんじょういん岩本いわもといん東根ひがしねいん萬福ばんぷくいん蓮花れんげ三昧ざんまいいんへと類焼るいしょうことごと焼失しょうしつ。このときはちす花谷はなたに民家みんかのこらず焼失しょうしつ東谷ひがしたにおくぼうのぞいてことごとみな焼亡しょうぼうし、午後ごご5ごろようや鎮火ちんか両日りょうじつ火災かさいで、堂宇どうう仏像ぶつぞう画像がぞう書跡しょせき什宝じゅうほうことごと焼失しょうしつ。この火災かさいによって大力だいりき菩薩ぼさつぞう5ぶくのうち2ぶく焼失しょうしつ焼失しょうしつをまぬがれた3ぶく国宝こくほう)。什宝じゅうほうぶつ焼失しょうしつとどけ有志ゆうし八幡やはたこう)によると、勅額ちょくがく陽成ようぜいみかど宸筆しんぴつ八幡やはただい菩薩ぼさつ」、熊手くまで八幡宮はちまんぐう縁起えんぎさんしゃかみごうなどがだい明王みょうおういんあづけられていたところどうてら類焼るいしょうしたさい焼失しょうしつ両日りょうじつ火災かさいとうにて明治めいじ初期しょきに680あまりてらあった寺院じいん明治めいじ28ねんになると130かてらまで減少げんしょうし、廃絶はいぜつしたどうしゃは40けんかぞえ、現存げんそんするのは30けんたないほどとなった。
  • 1906ねん 明治めいじ39ねん 高野たかのさんひらきそう1100ねん記念きねん大法たいほうかいにむけて、実質じっしつてき公式こうしき女人にょにん禁制きんせい解除かいじょされた。
  • 1910ねん 明治めいじ43ねん 持明院じみょういん全焼ぜんしょう
  • 1911ねん 明治めいじ44ねん 龍泉院りゅうせんいんたいくもいん徳善とくぜんいん全焼ぜんしょう
  • 1915ねん 大正たいしょう4ねん 3がつ1にち 高野たかの登山とざん鉄道てつどう大阪おおさか汐見橋しおみばしから橋本はしもとまで開通かいつうする。
  • 1919ねん 大正たいしょう8ねん 4がつ15にち 高野たかの登山とざん自動車じどうしゃ株式会社かぶしきがいしゃにより、高野口こうやぐちえきより椎出しいでまでのあいだ乗合のりあい自動車じどうしゃ運行うんこうはじまる
  • 1923ねん 大正たいしょう12ねん 3がつ26にち よるはちごろ金剛峯寺こんごうぶじ木屋こや炎上えんじょうす。 4月2にち 正智院しょうちいん全焼ぜんしょうおおくの宝物ほうもつ焼失しょうしつした。脇士わきじ文殊もんじゅけん木像もくぞう舎利しゃりどるおもねなん木像もくぞうよんしゃ明神木みょうじんぎぞういち不動明王ふどうみょうおう木像もくぞういち阿弥陀如来あみだにょらい木像もくぞういちわきさむらい観音かんのん勢至せいし木像もくぞう弁財天べざいてん木像もくぞういち大黒天だいこくてん木像もくぞういち三宝荒神さんぼうこうじん木像もくぞういち達磨だるまいちぶく釈迦しゃかじゅうろく羅漢らかんぞうまきけいひつさんぶくはち大師だいしぞういちぶくりょうさかい曼荼羅まんだらぶく文殊もんじゅぞういちぶく唐金からかねよんめん八面やつおもて仏具ぶつぐ真鍮しんちゅう仏具ぶつぐ護摩ごま灯籠とうろうとう仏具ぶつぐるい多数たすうだい般若はんにゃけいろくひゃくかん弘法大師こうぼうだいし弟子でし紀伊きい名所めいしょ図絵ずえななかんの39てん焼失しょうしつ4がつ16にち 午前ごぜん10ごろたからよしいん焼失しょうしつ放火ほうか事件じけんによるものと記録きろくされている。ひのきがわがトタンきにあらためられるのをねらった、ブリキしょく犯行はんこうという。
  • 1925ねん 大正たいしょう14ねん 7がつ30にち 大阪おおさか高野たかの鉄道てつどう橋本はしもとから椎出しいでまで延長えんちょう九度山くどさんから紀伊神谷きいかみやにかけて、高野たかの登山とざん自動車じどうしゃ会社かいしゃ登山とざんバスの運行うんこう開始かいし
  • 1926ねん 昭和しょうわ元年がんねん 12がつ26にち 午前ごぜん630ふん伽藍がらん金堂こんどう炎上えんじょうどうない本尊ほんぞん秘仏ひぶつをはじめきゅう国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)の金剛こんごう薩た坐像ざぞう不動明王ふどうみょうおう坐像ざぞうひろしけん延命えんめい菩薩ぼさつ坐像ざぞう虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ坐像ざぞうくださんせい明王みょうおう立像りつぞう金剛こんごうおう菩薩ぼさつ坐像ざぞうしょみこと焼失しょうしつ六角ろっかく経蔵きょうぞう孔雀くじゃくどうおさめけいしょ類焼るいしょう午後ごご鎮火ちんかりょう明神みょうじん神体しんたい快慶かいけいさく孔雀くじゃく明王みょうおうぞう金字こんじ一切経いっさいきょう荒川あらかわけい)24はこなんのがれ、霊宝れいほうかんうつりやす
  • 1928ねん 昭和しょうわ3ねん 6がつ18にち 高野たかの鉄道てつどう高野たかの神谷かみや紀伊神谷きいかみやあいだを70ヶ所かしょ以上いじょうきゅうカーブと23ヶ所かしょのトンネルをって開通かいつう
  • 1929ねん 昭和しょうわ4ねん 高野たかの鉄道てつどう神谷かみや紀伊神谷きいかみや)~極楽橋ごくらくばしあいだ開通かいつう
  • 1930ねん 昭和しょうわ5ねん 6がつ29にち 高野たかの鉄道てつどう極楽橋ごくらくばしより山上さんじょうまでケーブルカーが開通かいつうする。
  • 1932ねん 昭和しょうわ7ねん 4がつ28にち 電車でんしゃ大阪おおさかより高野山こうのやままで直通ちょくつうとなる。 5月23にち 一乗院いちじょういん全焼ぜんしょうよん時半じはん火災かさい一乗院いちじょういん全焼ぜんしょうようやもんのこすのみとなる。
  • 1938ねん 昭和しょうわ13ねん 6がつ23にち 午後ごご1130ふん正智院しょうちいんより出火しゅっか庫裡くり全焼ぜんしょう本堂ほんどうおよ会下えげ半焼はんしょうしてれい30ふん鎮火ちんか。7月4にち 降雨こううのため、明王みょうおういん裏山うらやま崩壊ほうかい本堂ほんどうおよ位牌いはいどう大破たいは
  • 1940ねん 昭和しょうわ15ねん 5がつ23にち 午後ごご3ぼう寂静じゃくじょういん出火しゅっか全焼ぜんしょう
  • 1977ねん 昭和しょうわ52ねん 4がつ18にち だい28かい全国ぜんこく植樹しょくじゅさいのためにけんした天皇てんのう皇后こうごう行幸ぎょうこう[18]

女人にょにん高野たかの

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高野たかのさん明治めいじ初年しょねんまで女人にょにん禁制きんせいであったため、これに対応たいおうしてしょうじた女人にょにん禁制きんせいエリアがい寺院じいんは「女人にょにん高野たかの(にょにんこうや)」とばれている。その別名べつめいがあるのは、慈尊院じそんいん室生寺むろうじ河内かわうち金剛寺こんごうじなどである。

女人にょにん高野たかの

女人にょにん禁制きんせい文化ぶんかのロマン

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2020ねん6がつに「女人にょにん高野たかの」が、「女性じょせいとともにいまいきづく女人にょにん高野たかのえ、ときわせて見守みまもつづけるいやしの聖地せいち」というスローガンで、文化庁ぶんかちょうの「日本にっぽん遺産いさん」に認定にんていされた[19]宗教しゅうきょうがく文化ぶんか人類じんるい学者がくしゃ小林こばやし奈央子なおこは、女人にょにん禁制きんせいけがれや戒律かいりつ問題もんだいとうからしょうじ、男性だんせい中心ちゅうしん主義しゅぎてき宗教しゅうきょう思想しそうなか強化きょうか定着ていちゃくしたものであり、このようなスローガンは、女性じょせい聖地せいちから排除はいじょしてきた歴史れきし肯定こうていするかのような表現ひょうげんで、「女人にょにん禁制きんせい参詣さんけいみとめられたてら女人にょにんどういのりをささげるしかなかった女性じょせいたちの歴史れきしがロマンされ、観光かんこうきゃく誘致ゆうち地域ちいき活性かっせいのために利用りようされている。」ときびしい批判ひはんおこなっている[19]

おも名物めいぶつ、みやげ

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高野たかのさんには、周辺しゅうへんではられない生物せいぶつもいくつかられる。基本きほんてきには照葉樹しょうようじゅりん上部じょうぶから落葉らくよう樹林じゅりんたいにわたる生物せいぶつしょうであるが、ツノハシバミ、マンサクなどはさらに北部ほくぶられるもので、和歌山わかやまけんではられていない。

高野たかのさん生物せいぶつもいくつかあり、以下いかのようなれいはその代表だいひょうである。

これらは高野たかのさん利用りようされることにもとづく。
これらはこの地域ちいき特産とくさんであることから。あるいはここで発見はっけんされたことから。

高野たかの六木むつぎ

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高野たかのさんではふるくからヒノキスギモミツガアカマツコウヤマキろくしゅ樹木じゅもくを「高野たかの六木むつぎ(こうやりくぼく)」とんで重視じゅうしした[20]伐採ばっさいおこなった跡地あとちにはこのろくしゅえたという。これは森林しんりん人為じんいてき利用りようしつつ、その森林しんりん自然しぜんりんてき様子ようす多様たようせい維持いじする効果こうかがあったともかんがえられている。

高野たかのななくち

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高野たかの参詣さんけいどうとして、高野山こうのやまへの入口いりくちななつあるとされ、高野たかの山内さんないへの入口いりくちおよびそこにつうじるみち総称そうしょうして高野たかのななくちんだ。

☆は世界せかい文化ぶんか遺産いさん登録とうろく

高野たかのななくちてられた女人にょにんどうめぐみち女人にょにんどう☆とんだ。

周辺しゅうへん関連かんれん寺社じしゃ

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交通こうつうアクセス

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高野たかの山内やまうちとおり(撮影さつえい当時とうじ国道こくどう371ごう
 
高野たかの山内やまうちとおり(撮影さつえい当時とうじ国道こくどう480ごう

鉄道てつどう・バス

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自家用車じかようしゃ

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おくいん英霊えいれい殿どのまえ売店ばいてん
高野たかの参詣さんけいどうへの最寄駅もよりえき

唱歌しょうかにおける高野山こうのやま

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明治めいじ33ねん1900ねん)に大和田おおわだ建樹たけき作詞さくし発表はっぴょうした「鉄道てつどう唱歌しょうかだいしゅう 関西かんさい参宮さんぐう南海なんかいへん」では、高野たかのさんは3ばんいてうたわれている。吉野山よしのやまなどとともに、建樹たけき歴史れきしこのみがつよ影響えいきょうしているものとられている。なお、当時とうじ現在げんざい南海なんかい高野たかのせん開業かいぎょうしておらず、高野山こうのやまへは橋本はしもとえきからやく12kmの山道さんどうあるいてかう必要ひつようがあった。

43.しばたくひまに橋本はしもとさけえきおっとみちとへば かわわたり九度山くどさんを すぎてさん高野たかのまで
44.弘法大師こうぼうだいしこのやまを ひらきしよりはせんねん ひぐらし(ひぐらし)ひびく骨堂こつどうの あたりはなつふうさむし
45.木陰こかげをぐらき不動ふどうざか ゆうつゆしげき女人にょにんどう みればしんもおのづから ちり浮世うきよはなれけり

高野たかのにちなむ名称めいしょう

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  • 〇〇高野たかの
西にし高野たかのさん」の異名いみょうられている大宝寺だいほうじ (五島ごしま)、「西にし高野たかの」とわれるふとしりゅうてら、「四国しこく高野たかの」とわれるくもてら、「九州きゅうしゅう高野たかのさん」とわれるたき光徳みつのりてら、「関東かんとう高野たかのさん」とわれる浄因寺じょういんじなどがある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 真言宗しんごんしゅう聖地せいち高野たかのさんのおすすめ観光かんこうスポット10せん世界せかい遺産いさんにもえらばれている宗教しゅうきょう都市とし魅力みりょく紹介しょうかい”. 2020ねん11月9にち閲覧えつらん
  2. ^ 一山ひとやま境内けいだいとは”. 高野山こうのやま真言宗しんごんしゅう総本山金剛峯寺そうほんざんこんごうぶじ. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  3. ^ 松長まつなが、20ぺーじ
  4. ^ a b 和歌山わかやまけん、3ぺーじ口絵くちえii。
  5. ^ 松長まつなが、5ぺーじ
  6. ^ 日本国にっぽんこく気象庁きしょうちょう - 高野山こうのやま観測かんそくしょ北緯ほくい3413.3ふん東経とうけい13535.4ふん標高ひょうこう801m)1991ねん-2020ねん平年へいねんきょくは1979ねん1がつ-2024ねん3がつ
  7. ^ 高野山こうのやま 過去かこ気象きしょうデータ検索けんさく”. 気象庁きしょうちょう. 2024ねん3がつ18にち閲覧えつらん
  8. ^ 一山ひとやま(いっさん)境内けいだいということ」”. 金剛峯寺こんごうぶじ. 2020ねん6がつ4にち閲覧えつらん
  9. ^ 主要しゅよう施設しせつ選定せんていあわ交社編集へんしゅうきょくへん愛蔵あいぞうばん 御朱印ごしゅいん巡礼じゅんれいあわ交社、2012の高野たかのさんこうる。
  10. ^ 高野山こうのやま霊宝れいほうかん紫雲しうん殿どの”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  11. ^ 高野山こうのやま霊宝れいほうかん玄関げんかんきたろうちゅうろう”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  12. ^ 高野山こうのやま霊宝れいほう館南たてみなみろう及西ろう”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  13. ^ 高野山こうのやま霊宝れいほうかんひかりかく”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  14. ^ 高野山こうのやま霊宝れいほうかん宝蔵ほうぞう”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  15. ^ 松長まつながゆうけい高野たかのさん』、p.20
  16. ^ 橋本はしもと警察けいさつしょ高野たかの幹部かんぶ交番こうばん”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  17. ^ 南海電気鉄道なんかいでんきてつどう鋼索こうさくせん高野山こうのやまえき駅舎えきしゃ”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  18. ^ はら武史たけし昭和しょうわ天皇てんのう御召おめし列車れっしゃぜん記録きろく新潮社しんちょうしゃ、2016ねん9がつ30にち、146ぺーじISBN 978-4-10-320523-4 
  19. ^ a b 小林こばやし 2024, p. 553.
  20. ^ 高野たかのさん林業りんぎょう代表だいひょうする「高野たかの六木むつき」とは”. MORiP!. 2020ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  21. ^ 高野たかのさんかわら屋根やねコンビニ はつの24あいだ営業えいぎょう年中ねんじゅう無休むきゅう 和歌山わかやま. MSN産経さんけいニュース (産経新聞さんけいしんぶんしゃ). (2013ねん7がつ10日とおか). オリジナルの2013ねん7がつ18にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130718004502/http://sankei.jp.msn.com/region/news/130710/wky13071002080002-n1.htm 
  22. ^ 生肉せいにく販売はんばいしないコンビニ”. 読売新聞よみうりしんぶん (読売新聞社よみうりしんぶんしゃ). (2013ねん7がつ12にち) 

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3412ふん45びょう 東経とうけい13535ふん11びょう / 北緯ほくい34.21250 東経とうけい135.58639 / 34.21250; 135.58639 (高野山こうのやま)