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大衆 - Wikipedia

大衆たいしゅう

社会しゃかいだい多数たすうめる大勢おおぜい人々ひとびと

大衆たいしゅう(たいしゅう)とは、社会しゃかいめる「だい多数たすうの・大勢おおぜいめる」とされる人々ひとびと、またはそれにぞくする個人こじん言葉ことばである。類義語るいぎごにはおも政治せいじ用語ようごとして使用しようする民衆みんしゅう(みんしゅう)、危機きき管理かんり対象たいしょうとしては群衆ぐんしゅう(ぐんしゅう)などがある。それぞれ傾向けいこうことなる個々ここ集合しゅうごう着目ちゃくもくした場合ばあい特定とくてい多数たすう(ふとくていたすう)としょうされる[1]。また国家こっかという単位たんいいては、国民こくみんどうかたりるいされる。政治せいじがく社会しゃかいがくなどの社会しゃかい科学かがく分野ぶんやにおいては大衆たいしゅう匿名とくめいせいびた無責任むせきにん集団しゅうだんとしての意味合いみあいをち、あらわめいせいをもつ市民しみんとの対比たいひもちいられる。仏教ぶっきょう用語ようごにおける大衆たいしゅうとは、ふつほうによって調和ちょうわのとれた人々ひとびとあつまりの[2]

概要がいよう

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おおくの場合ばあいでは、たんなる「社会しゃかいだい多数たすうめる大勢おおぜい人々ひとびと」といった程度ていど意味いみもちいられる。三省堂さんせいどうのWeb Dictionary[1]によれば、大衆たいしゅうはもと仏教ぶっきょう用語ようご「だいしゅ」からており、仏教ぶっきょう帰依きえしたおおくのそうをいった。天台宗てんだいしゅうでは役職やくしょくにつかない修行しゅぎょうそうを「大衆たいしゅう(だいしゅ)」とぶようになってから、天台座主てんだいざしゅ(ざす)ら高僧こうそう支配しはいされたそう意味合いみあいがしょうじ、現在げんざい大衆たいしゅう語源ごげんとなった、とある。近代きんだい都市とし発達はったつにともない、おなじような生活せいかつスタイルを新中しんなかあいだそうばれた都市とし給与きゅうよ生活せいかつしゃえた大正たいしょう時代じだいからよく使つかわれるようになった[3]

英語えいごではthe general public、the masses、the people、popular(ization)などに相当そうとうする。popularはポピュリズム語源ごげんである。

大衆たいしゅうぞくするとかんがえられる人々ひとびとは、しばしばぼつ個性こせいてきで、同種どうしゅ他人たにん混同こんどうされやすい存在そんざいであるとみなされる。全体ぜんたいとして「突出とっしゅつした能力のうりょく」や「傑出けっしゅつした容姿ようし」または「るいまれなる才能さいのう場合ばあいによっては「不快ふかいきわまりない悪癖あくへき」や「言語道断ごんごどうだんなるがい」をわせていない存在そんざいなどとされる。

なんとうかの存在そんざい際立きわだたせるための対義語たいぎごとして使用しようされ(英雄えいゆう指導しどうしゃ・エリートにたいする大衆たいしゅう、など)おのれ優位ゆういせい喧伝けんでんするために、おとしめる意図いともちいられるケースがられ、しばしばネガティブな意味いみかたり認識にんしきされる場合ばあいがある。

大衆たいしゅう語法ごほう庶民しょみんがあるが、「庶民しょみん」は社会しゃかいてき特権とっけんをもたない諸々もろもろひと一般いっぱん市民しみん三省堂さんせいどう大辞林だいじりん)であり、大衆たいしゅうとは標記ひょうきするものがことなる。たとえば古代こだいローマにおけるまもるみんかん(tribunus plebis)にられるplebis(プレブス:平民へいみん)が社会しゃかい階層かいそうとしての庶民しょみんである。また庶民しょみん登録とうろくされた市民しみん意味いみする場合ばあいにはあらわめいせいがあり、その代表だいひょうたるしゃ存在そんざいしえるが、大衆たいしゅうにはその代弁だいべんするもの登場とうじょうすることはあっても大衆たいしゅう代表だいひょうしゃ存在そんざいない。

主役しゅやくとしての大衆たいしゅう

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社会しゃかい変革へんかくにおいて、大衆たいしゅうつねにその圧倒的あっとうてきかずをもって主役しゅやくとなる。古代こだい中国ちゅうごくではちんまさるひろらん史上しじょうはつ大衆たいしゅう反乱はんらんとして登場とうじょうした[4]日本にっぽんでは中世ちゅうせいより強訴ごうそなど群衆ぐんしゅうちからをもとにした政治せいじ活動かつどうられる。西欧せいおうではジャックリーのらんワット・タイラーのらんなどの主役しゅやくとなったが、民衆みんしゅう反乱はんらんには主導しゅどうしゃがおり、かれらの処刑しょけいにより鎮圧ちんあつされることがつねであった。近代きんだい以降いこうフランス革命かくめいより以降いこう大衆たいしゅうによる意思いし形成けいせい人民じんみん集会しゅうかい)が重視じゅうしされる思想しそう民主みんしゅ主義しゅぎ)が進展しんてんした。

現代げんだい社会しゃかいでは、文化ぶんか芸術げいじゅつめんにおいて、商業しょうぎょう芸術げいじゅつ大衆たいしゅう文化ぶんか最大さいだいになパトロン)となっている。

対比たいひする対象たいしょう

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対比たいひさせる対象たいしょうとしては、知識ちしき階級かいきゅう権力けんりょく階級かいきゅう、または生産せいさんしゃたいする消費しょうひしゃった意味合いみあいでどうかたりもちいられる。オルテガによれば『大衆たいしゅうというものは、その本質ほんしつじょう自分じぶん自身じしん存在そんざい指導しどうすることもできなければ、また指導しどうすべきでもなく、ましてや社会しゃかい支配しはい統治とうちするなどおよびもつかないことである』[5]とされる。しかしけっして愚鈍ぐどんではなく、上層じょうそう階層かいそうにも下層かそう階層かいそうにも大衆たいしゅうはおり、その全体ぜんたいとして「無名むめい」であることを特徴とくちょうとする。大衆たいしゅう特権とっけん自分じぶんたなにあげて言動げんどう参加さんかできることであり、いつでもその言動げんどう暗示あんじしてくれた相手あいてをほめくし、またその相手あいてててしまう特権とっけんつ。大衆たいしゅうとは「心理しんりてき事実じじつ」であり、大衆たいしゅうにはどこまでいってもつみはない。ゆえに大衆たいしゅううごきやかんがえがなにかに反映はんえいされ、それが社会しゃかいの「信念しんねん」だと判断はんだんすると重大じゅうだい問題もんだいしょうじる、とする。以下いかオルテガ観点かんてんからの要約ようやくであるが、大衆たいしゅう定義ていぎはかならずしもこれに限定げんていされるものではない。

知識ちしきじん

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知識ちしきじん(もしくはインテリゲンチャ)の対義語たいぎごとしてあつかわれる場合ばあいには、知識ちしき過程かてい参加さんかせず、つまり日常にちじょう生活せいかつ範囲はんいでしか思考しこうしない(とすくなくとも知識ちしきじんがわなす)圧倒的あっとうてき多数たすうす。

大衆たいしゅうは、もともと政治せいじ哲学てつがく文学ぶんがくには関心かんしんがない、とする。しかし生活せいかつ不満ふまんったときのみ爆発ばくはつてきエネルギーしめす。そうして、生活せいかつ不満ふまんがなくなれば、政治せいじり、生活せいかつもどってく。日本にっぽんでは60ねん安保あんぽ闘争とうそうのあと、主役しゅやくになった大衆たいしゅう街頭がいとうからえ、知識ちしきりかざす活動かつどうだけがのこる。活動かつどうは、ときとして「大衆たいしゅうおろかだ」とべる(大衆たいしゅう蔑視べっし)。

権力けんりょく

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権力けんりょく対比たいひさせる対象たいしょうえた場合ばあい大衆たいしゅう権力けんりょく影響えいきょうこうむがわである。この場合ばあいにおいて、個々ここ大衆たいしゅうつね無力むりょく存在そんざいである。

民主みんしゅ主義しゅぎ社会しゃかいにおいては、大衆たいしゅうこそが権力けんりょくっているという建前たてまえだが、実質じっしつてき大衆たいしゅうにはかならずしも適切てきせつ施政しせいしゃ選択せんたくする能力のうりょくもとめられないか、たないということを前提ぜんていにしており、結果けっかてき施政しせいしゃ権力けんりょく集中しゅうちゅうして大衆たいしゅうはその恩恵おんけいこうむるか、しくは不適切ふてきせつ施政しせいしゃによって搾取さくしゅされる可能かのうせいがあるとする(権力けんりょく分立ぶんりつ治者ちしゃ被治者ひちしゃ同時どうじせい)。

大衆たいしゅうはしばしば納税のうぜいしゃ徴兵ちょうへい対象たいしょうしゃ同義どうぎであるが、大衆たいしゅう受動じゅどうてき納税のうぜい徴兵ちょうへい強要きょうようされる存在そんざいであり、これらは社会しゃかい維持いじへの対価たいかというよりも、たんなる搾取さくしゅめられる。他方たほう施政しせいしゃはそのような状況じょうきょうでは、権力けんりょく大衆たいしゅうから社会しゃかい維持いじのためにあずかったものという認識にんしきき、無駄遣むだづかいや私費しひとの混同こんどうまねく。ぎゃく大衆たいしゅう権力けんりょく基盤きばんとする政治せいじ(ポピュリスト)は、大衆たいしゅうへの利益りえき還元かんげん優先ゆうせんするため、国庫こっこ財政ざいせい国家こっか経済けいざい破綻はたんをもたらす。

専制せんせい政治せいじでは、大衆たいしゅう施政しせいしゃえることができない。だが納税のうぜいというかたちとおして間接かんせつてき政治せいじ関与かんよすることができる(くない政治せいじもとでは生活せいかつくるしいためにおおくの納税のうぜい出来できず、政治せいじもとでは活発かっぱつ利益りえきげられるためおおくの納税のうぜいができる)が、場合ばあいによっては施政しせいしゃ無能むのうであるばかりに、大衆たいしゅうがその不利益ふりえきこうむるケースが発生はっせいし、社会しゃかい不満ふまん増大ぞうだいする。

増大ぞうだいした施政しせいしゃへの社会しゃかい不満ふまんはしばしばテロや、暴動ぼうどうというかたち爆発ばくはつするが、もとより権力けんりょくもと個々ここ大衆たいしゅう無力むりょくであるため、主導しゅどうしゃ検挙けんきょされたり施政しせいしゃがわのテロ(恐怖きょうふ政治せいじ)により鎮圧ちんあつされる。あまりに社会しゃかい不満ふまんおおきく普遍ふへんてきぎる場合ばあいは、この暴動ぼうどう権力けんりょくがわあま事態じたい発展はってんする。とく検挙けんきょするがわ警察けいさつ機構きこうや、鎮圧ちんあつすべき軍部ぐんぶ元々もともと大衆たいしゅうであるため、おな社会しゃかい不満ふまんいている場合ばあいには、大衆たいしゅううごきに呼応こおうして、一緒いっしょになって施政しせいしゃ放伐ほうばつする。革命かくめいともなると権力けんりょくしゃ大衆たいしゅうちからまえじゅつもなくたおされるが、大衆たいしゅうあらたな統治とうちしゃもとめる。

主導しゅどうしゃ擁立ようりつし、おな目的もくてき意識いしきって活動かつどうする場合ばあい大衆たいしゅう無力むりょくではない。民主みんしゅ主義しゅぎ社会しゃかいでは、暴動ぼうどう革命かくめいといった暴力ぼうりょくてき行為こういらないでも、選挙せんきょというかたち直接的ちょくせつてきまたは間接かんせつてき施政しせいしゃ選択せんたくすることができ、あるいはみずか施政しせいしゃとなるために立候補りっこうほすることも可能かのうである。

生産せいさんしゃ

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生産せいさんしゃ消費しょうひしゃもとめるもの生産せいさんすることがもとめられる。生物せいぶつかいでは生産せいさんしゃ消費しょうひしゃよりも多数たすうであるが、人間にんげん社会しゃかいいては生産せいさんしゃ農工のうこう業者ぎょうしゃ企業きぎょう)は消費しょうひしゃたいして少数しょうすうである。この人間にんげん社会しゃかい生産せいさんしゃたいする消費しょうひしゃが、いわゆる大衆たいしゅうである。

大衆たいしゅうつねに、安価あんかもの製品せいひん)をもとめるとされており、メーカーや企業きぎょうつねにそのニーズに呼応こおうするかたち商品しょうひん提供ていきょう、その代価だいかってきた。しかし一部いちぶには、粗悪そあく製品せいひん安価あんか販売はんばいすることで、代価だいか企業きぎょうもある。粗悪そあく製品せいひんであっても、それにもとめられる代価だいか適正てきせいである場合ばあいは、大衆たいしゅう然程さほど問題もんだいとしない。

しかしなかには一見いっけんして粗悪そあく製品せいひんえないものを高値たかねりつけるところもあり、これは粗悪そあくひんまたは良品りょうひんとして問題もんだいされる。往々おうおうにして大衆たいしゅう自分じぶん購入こうにゅうしたいとおも製品せいひんたいして、その仕組しくみやしまでもを熟知じゅくちしていることはまれブラックボックス)である。このため製品せいひん利用りようするまでは、それにふくまれる問題もんだいてん欠陥けっかん消費しょうひしゃである大衆たいしゅう見抜みぬくことはむずかしいが、実際じっさい使用しようしてなかで、支払しはらった対価たいかほど利便りべんせいられない・またはなんとうかの損害そんがいこうむるというケースも発生はっせいする。

大衆たいしゅうは(生産せいさんしゃ比較ひかくすると)無知むちであるために、不適切ふてきせつ製品せいひん製造せいぞう販売はんばいする生産せいさんしゃだまされやすい。しかしだまされると、それに関連かんれんする商品しょうひんにまで不信ふしんかんいだくため、商品しょうひんげにまで風評ふうひょう被害ひがい波及はきゅうすることもある。このためおおくの社会しゃかいでは、消費しょうひしゃである大衆たいしゅう保護ほごするとともに、それに損害そんがいあたえかねない生産せいさんしゃばっせられる。日本にっぽんではこの役割やくわり国民こくみん生活せいかつセンターになっており、地域ちいきでも往々おうおうにして、これにるいする消費しょうひしゃ保護ほご団体だんたい存在そんざいする。

この場合ばあい大衆たいしゅう無知むちであるがゆえ保護ほごされるとともに、その保護ほごけることで生産せいさんしゃ一定いってい発言はつげんけんつといえる。生産せいさんするメーカーや企業きぎょうは、大衆たいしゅうもとめない商品しょうひんつくってもれないだけなので、つね消費しょうひしゃである大衆たいしゅう嗜好しこうりたいとかんがえている。またその一方いっぽう大衆たいしゅう自分じぶんたち言動げんどうやライフスタイルを暗示あんじしてくれるような未知みち商品しょうひんもとめており、革新かくしんてきおもいもよらない新規しんき商品しょうひんをしばしば熱狂ねっきょうてき支持しじするため、商品しょうひん企画きかくしゃはつねにこのあい矛盾むじゅんしている大衆たいしゅうせいのディレンマに直面ちょくめんしている。

メディアと大衆たいしゅう

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かつてまずしい時代じだい地域ちいきいては、つじ々に設置せっちされた街頭がいとうテレビ大衆たいしゅうたいする娯楽ごらく提供ていきょうおこなった。のち一般いっぱん家庭かていにもテレビが普及ふきゅうするようになると、それは教育きょういく一端いったんになうとともに、「大衆たいしゅう生産せいさんおこな装置そうち」となされ、テレビの視聴しちょうって大衆たいしゅう位置付いちづけるものられる。

その一端いったんには活字かつじばなたいする危惧きぐがあるわけだが、近年きんねんではしつたか番組ばんぐみえたことから、文化ぶんかてきメディア位置付いちづけられる場合ばあいもあり、一概いちがいにテレビ視聴しちょう大衆たいしゅう特徴とくちょう位置付いちづけるケースはっている。

しかし猥雑わいざつとされる放送ほうそう内容ないようすくなくないこともり、いまなおテレビ放送ほうそうかたきにする教育きょういく関係かんけいしゃられ、同様どうようかんがえから視聴しちょうするがわ長時間ちょうじかん拘束こうそくしがちなほか娯楽ごらくメディアにたいしても、一定いってい嫌悪けんおかん表明ひょうめいするケースもられる(いちおくそう白痴はくち参照さんしょう)。

近代きんだいでは漫画まんがが、現代げんだいではテレビゲームがその「大衆たいしゅう消費しょうひするメディア」の槍玉やりだまげられている。またこのほかにも、写真しゃしん週刊しゅうかん下世話げせわ好奇心こうきしんあおっているとして敵視てきしされたが、イエロー・ジャーナリズムるいとして社会しゃかいきられるのもはやかったため、一過いっかせい傾向けいこうわっている。

暗示あんじせい

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一方いっぽう大衆たいしゅうはこれらメディアに扇動せんどうされやすいともなされる。これは大衆たいしゅう暗示あんじよわく、また自己じこ判断はんだん能力のうりょく自信じしんがないため、大勢おおぜい同調どうちょうしやすい傾向けいこうがあるためだとされている。他方たほう教育きょういく不足ふそくから迷信めいしんや、判断はんだん材料ざいりょう不足ふそく関係かんけいするとされ、結果けっかてき扇動せんどうされやすいのだと説明せつめいされるケースもられる。

これらはさき活字かつじばなれとならんで理科りかばないても問題もんだい一端いったんとしてげられる傾向けいこうがあり、とく知識ちしき理解りかい不足ふそくすることで、ただしい判断はんだんおこなえないのだとわれている。

メディアスクラム

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メディアそのものが大衆たいしゅうせい群集ぐんしゅうせい示現じげんするものとしてメディアスクラムげられる。報道ほうどう被害ひがい原因げんいんとしてメディアの大衆たいしゅうせい問題もんだいとなる。

群集ぐんしゅう

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大衆たいしゅうでも、とく統制とうせいうしなったまま流動りゅうどうする「群集ぐんしゅう」(→人間にんげん)は、危機きき管理かんり対象たいしょうとしてあつかわれる。

群衆ぐんしゅう警備けいびとなればパニック群衆ぐんしゅう雪崩なだれ将棋倒しょうぎだおによる事故じこ防止ぼうしするという側面そくめんがより強調きょうちょうされる(→群集ぐんしゅう事故じこれい:明石あかし花火はなび大会たいかい歩道橋ほどうきょう事故じこ)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 特定とくてい多数たすう. コトバンクより2021ねん12月25にち閲覧えつらん
  2. ^ 大衆たいしゅう(たいしゅう)東本願寺ひがしほんがんじ公式こうしきサイト
  3. ^ 化粧けしょう文化ぶんか』8ごう大正たいしょうモダン」ポーラ文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、2015
  4. ^ 階級かいきゅう闘争とうそうとしての平民へいみん(庶民しょみん)の反乱はんらんはすでに古代こだいローマにおける聖山ひじりやま事件じけん(B.C.494)があり、ちんまさるひろらん(B.C.210)よりふるい。聖山ひじりやま事件じけんについてはまもるみんかん参照さんしょう
  5. ^ 桑名くわな一博かずひろ やく大衆たいしゅう反逆はんぎゃく』, 白水しろみずしゃ, 1991ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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