認識 にんしき (英 えい : cognition )とほぼ同義 どうぎ の語 かたり であるが、認識 にんしき は基本 きほん 的 てき に哲学 てつがく 用語 ようご であり、知識 ちしき は主 おも に認識 にんしき によって得 え られた「成果 せいか 」を意味 いみ するが、認識 にんしき は成果 せいか のみならず、対象 たいしょう を把握 はあく するに至 いた る「作用 さよう 」を含 ふく む概念 がいねん である[ 1]
なお、英語 えいご の knowledge はオックスフォード英語 えいご 辞典 じてん によれば次 つぎ のように定義 ていぎ されている。
経験 けいけん または教育 きょういく を通 とお して人 ひと が獲得 かくとく した専門 せんもん 的 てき 技能 ぎのう 。ある主題 しゅだい についての理論 りろん 的 てき または実用 じつよう 的 てき な理解 りかい 。
特定 とくてい 分野 ぶんや または一般 いっぱん に知 し られていること。事実 じじつ と情報 じょうほう 。
事実 じじつ または状況 じょうきょう を経験 けいけん することで得 え られた認識 にんしき または知悉 ちしつ 。
知識 ちしき に関 かん して人類 じんるい がどのようなことを述 の べたり考察 こうさつ してきたのかについて解説 かいせつ すると、古 ふる くは旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の創世 そうせい 記 き のアダムとイブのくだりに「善悪 ぜんあく の知識 ちしき の木 き 」が登場 とうじょう しており、各 かく 信仰 しんこう ごとに知識 ちしき について様々 さまざま な考 かんが え方 かた がある。
知識 ちしき について哲学 てつがく 的 てき に論 ろん じられるようになったのは、古代 こだい ギリシアのプラトン が知識 ちしき を「正当 せいとう 化 か された真 しん なる信念 しんねん 」としたのが始 はじ まりであり、現代 げんだい にいたるまで様々 さまざま な哲学 てつがく 的 てき な考察 こうさつ が続 つづ けられている。16~17世紀 せいき のフランシス・ベーコン は知識 ちしき 獲得 かくとく の方法 ほうほう について考察 こうさつ を行 おこな ったが、彼 かれ の考 かんが えは近代 きんだい 科学 かがく の成立 せいりつ に大 おお きな役割 やくわり を果 は たすことになった。(現代 げんだい の心理 しんり 学 がく 的 てき に言 い うと)知識 ちしき 獲得 かくとく には、知覚 ちかく 、記憶 きおく 、経験 けいけん 、コミュニケーション 、連想 れんそう 、推論 すいろん といった複雑 ふくざつ な認識 にんしき 過程 かてい が関係 かんけい する、ということになる。
なお、今 いま でも、万 まん 人 にん が合意 ごうい できるような“知識 ちしき についての唯一 ゆいいつ の定義 ていぎ ”などいうものは存在 そんざい せず、学問 がくもん 領域 りょういき ごとに異 こと なった理論 りろん があり、それらの中 なか には相互 そうご に対立 たいりつ するような理論 りろん も存在 そんざい している。
善悪 ぜんあく の知識 ちしき の木 こ の実 み を食 た べてしまい楽園 らくえん から追放 ついほう されるアダムとイブ
キリスト教 きりすときょう においては、旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の創世 そうせい 記 き に登場 とうじょう するアダムとイブ が神 かみ から善悪 ぜんあく の知識 ちしき の木 き の実 み を食 た べてはいけないといいつけられていたにもかかわらず、蛇 へび にそそのかされイブが、それに続 つづ いてアダムまでそれを食 た べてしまい、その結果 けっか 人間 にんげん は神 かみ から隔 へだ てられてしまった、とされている(創世 そうせい 記 き 3:22)。
カトリシズム や聖 せい 公会 こうかい などのキリスト教 きりすときょう では、知識 ちしき を 《 聖霊 せいれい (Holy Spirit)の7つの贈 おく り物 もの 》の1つとしている[ 2] 。
イスラム教 いすらむきょう においても知識 ちしき (アラビア語 ご : علم , ʿilm )は重要 じゅうよう である。アッラーフの99の美名 びめい の1つに「全知 ぜんち 者 しゃ 」 "The All-Knowing" (アラビア語 ご : العليم , al-ʿAlīm ) がある[ 3] 。クルアーン には「知識 ちしき は神 かみ がもたらす」とあり (2:239 )、ハディース にも知識 ちしき の獲得 かくとく を奨励 しょうれい する言葉 ことば がある。「ゆりかごから墓場 はかば まで知識 ちしき を求 もと めよ」とか「正 まさ に知識 ちしき を持 も つ者 もの は預言 よげん 者 しゃ の相続 そうぞく 人 じん だ」といった言葉 ことば はムハンマド のものと言 い われている。イスラムの聖職 せいしょく 者 しゃ をウラマー と呼 よ ぶが、これは「知 し る者 もの 」を意味 いみ する。
グノーシス主義 しゅぎ はそもそも「グノーシス」という言葉 ことば が「知識 ちしき 」を意味 いみ し、知識 ちしき を獲得 かくとく しデミウルゴス の物質 ぶっしつ 世界 せかい から脱 だっ することを目的 もくてき としている。セレマ においては、知識 ちしき 獲得 かくとく と聖 きよし 守護 しゅご 天使 てんし との会話 かいわ を人生 じんせい の目的 もくてき とする。このような傾向 けいこう は多 おお くの神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 的 てき 宗教 しゅうきょう に見 み られる。
ヒンドゥー教 きょう の聖典 せいてん には Paroksha Gnyana と Aporoksha Gnyana という2種類 しゅるい の知識 ちしき が示 しめ されている。Paroksha Gnyana (Paroksha-Jnana ) とは受 う け売 う りの知識 ちしき を意味 いみ する。本 ほん から得 え た知識 ちしき 、噂 うわさ などである。Aporoksha Gnyana (Aparoksha-Jnana ) は、直接的 ちょくせつてき な経験 けいけん から得 え た知識 ちしき であり、自 みずか ら発見 はっけん した知識 ちしき である[ 4] 。
プラトン の『テアイテトス 』では、「知識 ちしき 」が主題 しゅだい 的 てき に扱 あつか われ、その定義 ていぎ についてソクラテス とテアイテトスが議論 ぎろん している。そこでは、知識 ちしき とは「感覚 かんかく 」「真 しん なる思 おも いなし」「真 しん なる思 おも いなしに言論 げんろん を加 くわ えたもの」であるとする3つの考 かんが えが提示 ていじ され、検討 けんとう されるが、これらのいずれも知識 ちしき ではないと否定 ひてい されることになる。
アリストテレス は『ニコマコス倫理 りんり 学 がく 』のなかで、知識 ちしき を「ソフィア 」(希 まれ : Σ しぐま ο おみくろん φ ふぁい ι いおた α あるふぁ )と「フロネシス 」(希 まれ : φρόνησις )の2種類 しゅるい に区別 くべつ している。
その後 ご 知識 ちしき の定義 ていぎ については、認識 にんしき 論 ろん という分野 ぶんや で哲学 てつがく 者 しゃ らが、今 いま にいたるまで議論 ぎろん を続 つづ けている。
現代 げんだい 英 えい 米 べい の分析 ぶんせき 哲学 てつがく では、知識 ちしき の古典 こてん 的 てき 定義 ていぎ としてプラトンの記述 きじゅつ を考慮 こうりょ して、以下 いか のものが用 もち いられる。
プラトン が『テアイトス』においてソクラテスとテアイトスの対話 たいわ の形 かたち で提示 ていじ した諸 しょ 定義 ていぎ などをふまえつつ、古典 こてん 的 てき な認識 にんしき 論 ろん では長 なが らく知識 ちしき というものを「正当 せいとう 化 か された真 しん なる信念 しんねん 」と分析 ぶんせき した。もう少 すこ し分解 ぶんかい すると「知識 ちしき というのは、真 しん であり、なおかつ、信 しん じられている命題 めいだい の部分 ぶぶん 集合 しゅうごう 」とも表現 ひょうげん される。それをベン図 べんず で表 あらわ すと上記 じょうき のようになる。
ある認知 にんち 者 しゃ Aが「Xである」という知識 ちしき を持 も つのは以下 いか の場合 ばあい 、その場合 ばあい にかぎる。
Aは「Xである」と信 しん じており 、かつ、
Aの「Xである」という信念 しんねん は正当 せいとう 化 か されており、かつ
「Xである」は真 しん である。
これを一言 ひとこと で言 い えば、「知識 ちしき とは正当 せいとう 化 か された真 しん なる信念 しんねん である」ということになり、「客観 きゃっかん 的 てき 知識 ちしき 」と「主観 しゅかん 的 てき 信念 しんねん 」とに単純 たんじゅん に2分類 ぶんるい してしまうような分析 ぶんせき が長 なが らく主流 しゅりゅう であった。
この様 よう な硬直 こうちょく 的 てき な分析 ぶんせき ・決 き めつけに対 たい しては、1950年代 ねんだい にゲティアが強力 きょうりょく な反例 はんれい を出 だ した(ゲティア問題 もんだい )。ゲティア問題 もんだい とは、簡単 かんたん にいえば、正当 せいとう 化 か された真 しん なる信念 しんねん を持 も っているにもかかわらず、どう考 かんが えても知 し っているとはいえないような状況 じょうきょう が想像 そうぞう できる、という問題 もんだい である。これをうけて、その後 ご の分析 ぶんせき 系 けい 認識 にんしき 論 ろん では、ロバート・ノージック やサイモン・ブラックバーン 、Richard Kirkham [ 5] といった哲学 てつがく 者 しゃ が知識 ちしき の古典 こてん 的 てき 定義 ていぎ に様々 さまざま な形 かたち で手 て を加 くわ えて満足 まんぞく のいく分析 ぶんせき を模索 もさく してきた。
それとは対照 たいしょう 的 てき にウィトゲンシュタイン はムーアのパラドックス を発展 はってん させ、「彼 かれ はそれを信 しん じているが、それは真 しん ではない」とは言 い えるが「彼 かれ はそれを知 し っているが、それは真 しん ではない」とは言 い えないと述 の べた[ 6] 。彼 かれ はそれに続 つづ けて、それらは個々 ここ の精神 せいしん 状態 じょうたい に対応 たいおう するのではなく、むしろ信念 しんねん について語 かた る個々 ここ の方法 ほうほう だという主張 しゅちょう を展開 てんかい する。ここで異 こと なるのは、話者 わしゃ の精神 せいしん 状態 じょうたい ではなく、話者 わしゃ の従事 じゅうじ している活動 かつどう である。例 たと えば、やかん が沸騰 ふっとう していることを「知 し る」というのは精神 せいしん が特定 とくてい の状態 じょうたい になることを意味 いみ するのではなく、やかんが沸騰 ふっとう しているという論述 ろんじゅつ に従 したが って何 なん らかの作業 さぎょう を実行 じっこう することを意味 いみ している。ウィトゲンシュタインは「知識 ちしき 」が自然 しぜん 言語 げんご の中 なか で使 つか われる方法 ほうほう に目 め を向 む けることで、その定義 ていぎ の困難 こんなん さを回避 かいひ しようとした。彼 かれ は知識 ちしき を家族 かぞく 的 てき 類似 るいじ の一 いち 例 れい と見 み た。この考 かんが え方 かた に従 したが えば、「知識 ちしき 」は関連 かんれん する特徴 とくちょう を表 あらわ す概念 がいねん の集合 しゅうごう 体 たい として再 さい 構築 こうちく され、定義 ていぎ によって正確 せいかく に捉 とら えられるものではないということになる[ 7] 。
フランシス・ベーコン (1561年 ねん - 1626年 ねん )は知識 ちしき 獲得 かくとく の方法 ほうほう の発展 はってん に重大 じゅうだい な貢献 こうけん をした。
認識 にんしき 論 ろん は知識 ちしき とその獲得 かくとく 方法 ほうほう について考察 こうさつ する。フランシス・ベーコン は知識 ちしき 獲得 かくとく の方法 ほうほう の発展 はってん に重大 じゅうだい な貢献 こうけん をした。著作 ちょさく で帰納的 きのうてき 方法 ほうほう 論 ろん を確立 かくりつ し一般 いっぱん 化 か し、現代 げんだい の科学 かがく 的 てき 探究 たんきゅう の礎 いしずえ となったのである。彼 かれ の金言 きんげん 「知識 ちしき は力 ちから なり (knowledge is power)」はよく知 し られている(この金言 きんげん は 彼 かれ の著書 ちょしょ 『Meditations Sacrae 』(1957) に記 しる されている[ 8] )。
scientiaスキエンティアという言葉 ことば は元々 もともと は単 たん に知識 ちしき という意味 いみ でしかなく、ベーコンの時代 じだい でもそうであった。scientific method(scientific methodは元 もと の意味 いみ では「知識 ちしき に関 かん する方法 ほうほう 論 ろん 」)が徐々 じょじょ に発展 はってん したことは、我々 われわれ の知識 ちしき についての理解 りかい に重要 じゅうよう な寄与 きよ をした。さまざまな経緯 けいい を経 へ て、知識 ちしき の探究 たんきゅう の方法 ほうほう は、観測 かんそく 可能 かのう で再現 さいげん 可能 かのう で測定 そくてい 可能 かのう な証拠 しょうこ を集 あつ め、それらに具体 ぐたい 的 てき な推論 すいろん 規則 きそく をあてはめていく形 かたち で行 おこな われなければならない[ 9] とされるようになった。現在 げんざい では科学 かがく 的 てき 方法 ほうほう (scientific method)は、観測 かんそく や実験 じっけん によるデータ 収集 しゅうしゅう と、仮説 かせつ の定式 ていしき 化 か と、検証 けんしょう から構成 こうせい されている、とされている[ 10] 。科学 かがく とは「計算 けいさん された実験 じっけん によって得 え られた事実 じじつ に基 もと づいて推論 すいろん する際 さい の論理 ろんり 的 てき に完全 かんぜん な思考 しこう 法 ほう 」ともされる。そして、科学 かがく や科学 かがく 的 てき 知識 ちしき の性質 せいしつ というのも哲学 てつがく の主題 しゅだい のひとつとされるようになった(科学 かがく 哲学 てつがく )。
科学 かがく の発達 はったつ と共 とも に、生物 せいぶつ 学 がく や心理 しんり 学 がく から知識 ちしき についての新 あら たな考 かんが え方 かた が生 う まれた。ジャン・ピアジェ の発生 はっせい 的 てき 認識 にんしき 論 ろん である。
フロイト (1914年 ねん )
近年 きんねん まで特 とく に西洋 せいよう では単純 たんじゅん に、知識 ちしき とは人間 にんげん (および神 かみ )が持 も てるもの、特 とく に成人 せいじん だけが持 も てるものだと見 み なされていた(東洋 とうよう では必 かなら ずしもそうではなかった)。西洋 せいよう では時 とき には「コプト 文化 ぶんか の持 も つ知識 ちしき 」といったように社会 しゃかい が知識 ちしき を持 も つ、といったい回 いまわ しが無 な かったわけではないが、それは確立 かくりつ されたものではなかった。そしてまた西洋 せいよう では、「無意識 むいしき の」知識 ちしき を体系 たいけい 的 てき に扱 あつか うことはほとんどなかった。それが行 おこな われるようになったのは、フロイト がその手法 しゅほう を一般 いっぱん 化 か した後 のち である。
上記 じょうき のような知識 ちしき 以外 いがい に「知識 ちしき 」が存在 そんざい するといわれているものに、例 たと えば生物 せいぶつ 学 がく の領域 りょういき では、「免疫 めんえき 系 けい 」と「遺伝 いでん コードのDNA 」がある。(カール・ポパー (1975)[ 11] とTraill(2008)らが指摘 してき している[ 12] )
このような、生体 せいたい システムが持 も つ知識 ちしき までカバーするためには、「知識 ちしき 」という用語 ようご の新 あら たな定義 ていぎ が必要 ひつよう とされるように見 み える。生物 せいぶつ 学者 がくしゃ は、システムは意識 いしき を持 も つ必要 ひつよう はない、と考 かんが えるが、知識 ちしき はシステムにおいて有効 ゆうこう に利用 りよう 可能 かのう でなければならない。すると、次 つぎ のような基準 きじゅん が出 で てくる。
システムは一見 いっけん して動的 どうてき で自己 じこ 組織 そしき 的 てき である(単 たん なる本 ほん のようなものではない)。
知識 ちしき には、「外界 がいかい ※」についての何 なん らかの表現 ひょうげん 、または外界 がいかい を(直接 ちょくせつ または間接 かんせつ に)扱 あつか う方法 ほうほう が含 ふく まれていなければならない。(※ この「外界 がいかい 」には当 とう の有 ゆう 機体 きたい の別 べつ のサブシステムも含 ふく まれる)
システム には有効 ゆうこう に働 はたら く程度 ていど に素早 すばや く情報 じょうほう にアクセスする何 なん らかの手段 しゅだん があるはずである。
ハーバード大学 だいがく 医学部 いがくぶ によると、知識 ちしき は最高 さいこう の薬 くすり であり、その情報 じょうほう 源 げん が違 ちが いを生 う む。 信頼 しんらい できる証拠 しょうこ に基 もと づく健康 けんこう コンテンツに必要 ひつよう な権限 けんげん と必要 ひつよう な影響 えいきょう を提供 ていきょう する情報 じょうほう 源 げん は、間違 まちが いなく健康 けんこう を改善 かいぜん する[ 13] 。2021年 ねん のハーバード大学 だいがく の研究 けんきゅう では、ウィキペディアなどのネット上 じょう の健康 けんこう 情報 じょうほう が正 ただ しい診断 しんだん につながることもあることが示唆 しさ されている。 症状 しょうじょう と重 じゅう 篤 あつし な病気 びょうき との関連 かんれん 付 づ けを誤 あやま ると、多 おお くのストレス につながる可能 かのう 性 せい があるが、情報 じょうほう 源 げん を確認 かくにん し、信頼 しんらい できるものに固執 こしつ すれば、健康 けんこう には役 やく に立 た つ[ 14] 。
知識 ちしき は様々 さまざま な観点 かんてん で分類 ぶんるい される。カテゴリーは時代 じだい によって変化 へんか する。
宣言 せんげん 的 てき 知識 ちしき / 手続 てつづ き的 てき 知識 ちしき
編集 へんしゅう
心理 しんり 学 がく では、知識 ちしき は長期 ちょうき 記憶 きおく として扱 あつか われ、記憶 きおく の分類 ぶんるい そのままに、表象 ひょうしょう 化 か された知識 ちしき を「宣言 せんげん 的 てき 知識 ちしき 」、行動 こうどう 的 てき な知識 ちしき を「手続 てつづ き的 てき 知識 ちしき 」と分類 ぶんるい している。
宣言 せんげん 的 てき 知識 ちしき の例 れい としては、科学 かがく 的 てき 法則 ほうそく についての知見 ちけん (九九 くく 、地球 ちきゅう 上 じょう での重力 じゅうりょく 定数 ていすう など)や、社会 しゃかい 的 てき 規約 きやく についての知見 ちけん (「日本 にっぽん の首都 しゅと は東京 とうきょう である」など)が挙 あ げられる。
手続 てつづ き的 てき 知識 ちしき の例 れい としては、箸 はし の使 つか い方 かた 、ピアノ の弾 ひ き方 かた 、車 くるま の運転 うんてん の仕方 しかた などが挙 あ げられる。
前者 ぜんしゃ を「knowing that 」 、後者 こうしゃ を「knowing how 」と呼 よ ぶこともある。
形式 けいしき 化 か 、伝達 でんたつ 方法 ほうほう の観点 かんてん から、知識 ちしき は「形式 けいしき 知 ち 」と「暗黙 あんもく 知 ち 」に分類 ぶんるい される。ナレッジマネジメント などの世界 せかい で利用 りよう される分類 ぶんるい である。
暗黙 あんもく 知 ち とは、宣言 せんげん 的 てき に記述 きじゅつ することが不可能 ふかのう か、極 きわ めて難 むずか しい知見 ちけん のこと。手続 てつづ き的 てき 知識 ちしき や直観 ちょっかん 的 てき 認識 にんしき 内容 ないよう は暗黙 あんもく 知 ち とされる。例 たと えば「美人 びじん 」についての知識 ちしき は誰 だれ でも持 も っているが、それを明確 めいかく に定義 ていぎ することはできない。
アプリオリな知識 ちしき / アポステリオリな知識 ちしき
編集 へんしゅう
哲学 てつがく や生物 せいぶつ 学 がく 的 てき な立場 たちば から、人間 にんげん に生 う まれながらにして備 そな わっている知識 ちしき を「アプリオリ な知識 ちしき (先天的 せんてんてき 知識 ちしき )」、誕生 たんじょう 後 ご に社会 しゃかい 生活 せいかつ などを通 とお して獲得 かくとく する知識 ちしき を「アポステリオリ な知識 ちしき (後天的 こうてんてき 知識 ちしき )」と分類 ぶんるい することもある。
アプリオリな知識 ちしき が存在 そんざい するかどうかは認識 にんしき 論 ろん において長年 ながねん の問題 もんだい であった。大陸 たいりく 合理 ごうり 論 ろん の系譜 けいふ においてはデカルト をはじめ、なんらかのアプリオリな知識 ちしき を認 みと める立場 たちば が主流 しゅりゅう であった。このような立場 たちば を生得 しょうとく 説 せつ という。
イギリス経験 けいけん 論 ろん においてはアプリオリな知識 ちしき の存在 そんざい を否定 ひてい し、心 しん を白紙 はくし としてみる経験 けいけん 主義 しゅぎ の立場 たちば がロック らによって提唱 ていしょう された(→タブラ・ラサ )。
理論 りろん 的 てき 知識 ちしき / 実践 じっせん 的 てき 知識 ちしき
編集 へんしゅう
理論 りろん 的 てき な知識 ちしき と実践 じっせん 的 てき な知識 ちしき に分 わ けられる。これは、哲学 てつがく 者 しゃ の知識 ちしき と実践 じっせん 者 しゃ の知識 ちしき との区別 くべつ であり、また「科学 かがく 」(scientia)と「技芸 ぎげい 」(ars)との区別 くべつ とも言 い われた。
認識 にんしき 論 ろん の一 いち 分野 ぶんや では不完全 ふかんぜん な知識 ちしき (partial knowledge) に着目 ちゃくもく する。ある分野 ぶんや について徹底的 てっていてき な理解 りかい を達成 たっせい することは現実 げんじつ にはほとんどあり得 え ないため、我々 われわれ は自 みずか らの知識 ちしき が「完全 かんぜん でない」すなわち不完全 ふかんぜん だという事実 じじつ を念頭 ねんとう に置 お いておく必要 ひつよう がある。現実 げんじつ 世界 せかい の問題 もんだい の多 おお くは、その背景 はいけい やデータについての不完全 ふかんぜん な理解 りかい の中 なか で解決 かいけつ しなければならない。それに対 たい して、算数 さんすう や初等 しょとう 数学 すうがく の問題 もんだい は全 すべ てのデータと問題 もんだい を解 と くのに必要 ひつよう な方程式 ほうていしき についての完全 かんぜん な理解 りかい があって初 はじ めて解 と けるという点 てん で大 おお きく異 こと なる。
この考 かんが え方 かた は限定 げんてい 合理 ごうり 性 せい とも関係 かんけい が深 ふか い。
^ 『岩波 いわなみ 哲学 てつがく 小 しょう 事典 じてん 』
^ “Part Three, No. 1831 ”. Catechism of the Catholic Church . 2007年 ねん 4月 がつ 20日 はつか 閲覧 えつらん 。
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^ Swami Krishnananda. “Chapter 7 ”. The Philosophy of the Panchadasi . The Divine Life Society. 2008年 ねん 7月 がつ 5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ Kirkham, Richard L. Does the Gettier Problem Rest on a Mistake?
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粟田 あわた 賢三 けんぞう ・古 こ 在 ざい 由 よし 重 じゅう 編 へん 『岩波 いわなみ 哲学 てつがく 小 しょう 事典 じてん 』岩波書店 いわなみしょてん 、1979
Newton, Isaac (1687, 1713, 1726), Philosophiae Naturalis Principia Mathematica , University of California Press, ISBN 0-520-08817-4 , Third edition. From I. Bernard Cohen and Anne Whitman's 1999 translation, 974 pages.
ピーター・バーク 著 ちょ 、井上 いのうえ 弘幸 ひろゆき , 城戸 きど 淳 あつし 訳 やく 『知識 ちしき の社会 しゃかい 史 し :知 ち と情報 じょうほう はいかにして商品 しょうひん 化 か したか』新 しん 曜社、2004年 ねん 。