(Translated by https://www.hiragana.jp/)
宝石 (雑誌) - Wikipedia

宝石ほうせき (雑誌ざっし)

日本にっぽん推理すいり小説しょうせつ雑誌ざっし

宝石ほうせき』(ほうせき)は、日本にっぽん推理すいり小説しょうせつ雑誌ざっし男性だんせい月刊げっかん総合そうごう雑誌ざっし推理すいり小説しょうせつ雑誌ざっしとして1946ねん創刊そうかん1964ねんまで発行はっこうされた。出版しゅっぱんしゃは、創刊そうかん岩谷いわたに書店しょてん1956ねんからは独立どくりつした宝石ほうせきしゃとなった。この期間きかん日本にっぽん推理すいり小説しょうせつかい代表だいひょうする雑誌ざっし

宝石ほうせき』1966ねん新春しんしゅん2がつごう新聞しんぶん広告こうこく

宝石ほうせきしゃ倒産とうさん[1]光文社こうぶんしゃ版権はんけんって[2]、1965ねん10がつ男性だんせい月刊げっかん総合そうごう雑誌ざっしとして再刊さいかん[3]、1999ねんまで発行はっこうされた[4]光文社こうぶんしゃほかにも『宝石ほうせき』をかんする姉妹しまいとして、『週刊宝石しゅうかんほうせき』『小説しょうせつ宝石ほうせき』『SF宝石ほうせき』を刊行かんこう。この光文社こうぶんしゃばん区別くべつして推理すいり小説しょうせつ時代じだいきゅう宝石ほうせき』とぶこともある[5]

創刊そうかん

編集へんしゅう

岩谷いわたに松平まつへいおとうとまごきょうじょう商事しょうじ社長しゃちょうなどをつとめた岩谷いわたに二郎じろう岩谷いわたにみつるが、戦後せんごソウルからげ、ほんきから探偵たんてい小説しょうせつ雑誌ざっしはじめる。じょう昌幸まさゆき本名ほんみょういねなみ昌幸まさゆき名義めいぎ編集へんしゅう主幹しゅかんとなって、1946ねん4がつ創刊そうかんめいしろ考案こうあんで、「秘密ひみつ物語ものがたりせい」を宝石ほうせきは「探偵たんてい小説しょうせつ雰囲気ふんいきおな性質せいしつ」があるということによる。創刊そうかんごうは64ページ、2えん80せん題字だいじは「寶石ほうせき」。当初とうしょは「探偵たんてい小説しょうせつ」の雑誌ざっし標榜ひょうぼうしていたが、その推理すいり小説しょうせつせんもん移行いこうする。創刊そうかんごうでは江戸川えどがわ乱歩らんぽ旧作きゅうさく人間にんげん椅子いす』の今村いまむら恒美つねみによる物語ものがたりや、海野うみの十三じゅうざ変名へんめいおかおか十郎じゅうろう名義めいぎの『密林みつりんそう事件じけん』などが掲載けいさいされ、横溝よこみぞ正史せいし本陣ほんじん殺人さつじん事件じけん』を連載れんさい、その金田一きんだいちこうすけシリーズを連載れんさいした。この前後ぜんご探偵たんてい小説しょうせつとして『ロック』『トップ』『ぷろふいる』『探偵たんていよみもの』『しん探偵たんてい小説しょうせつ』『妖奇』などが相次あいついで創刊そうかんされるが、そのなかで『宝石ほうせき』がのこり、探偵たんてい小説しょうせつ中心ちゅうしんてき存在そんざいとなっていく。また、『別冊べっさつ宝石ほうせき』『宝石ほうせき選書せんしょ』も刊行かんこうし、発行はっこう部数ぶすう創刊そうかん5まん最盛さいせいで10まん前後ぜんこうだった。編集へんしゅうちょうは、武田たけだ武彦たけひこ津川つがわ溶々をて、1952ねん8がつごうから永瀬ながせさんわれ

岩谷いわたに書店しょてん捕物とりもの雑誌ざっし天狗てんぐ』や『詩学しがく』『雑誌ざっし研究けんきゅう』などもしたがうまくいかず、1950ねんごろから経営けいえいくるしくなり、1956ねん7がつごうからはしろ社長しゃちょうとなる宝石ほうせきしゃとして独立どくりつ

江戸川えどがわ乱歩らんぽ功績こうせき

編集へんしゅう

しん青年せいねん』が戦時せんじちゅうから探偵たんてい小説しょうせつしょくうすれ、戦後せんご復刊ふっかん現代げんだい小説しょうせつ風俗ふうぞく小説しょうせつあつかっていたのにたいし、江戸川えどがわ乱歩らんぽはこれを探偵たんてい雑誌ざっしもどそうとするがたせず、そこへ『宝石ほうせき創刊そうかんはなしがって、これにおおきく協力きょうりょくした。

1957ねん2がつ経営けいえい悪化あっか日本にっぽん探偵たんてい作家さっかクラブ問題もんだいとなり、てこさくとして8がつごうから乱歩らんぽ編集へんしゅうちょうとなる。このころ赤字あかじ経営けいえい原稿げんこうりょう不払ふばらいも恒常こうじょうしている状況じょうきょうで、乱歩らんぽ私財しざいすうひゃくまんえんんでなおしをはかった(ぶんのち宝石ほうせきしゃより返済へんさいされた)。しん連載れんさいとして横溝よこみぞ正史せいし悪魔あくま手毬てまりうた』、坂口さかぐち安吾あんご復員ふくいん殺人さつじん事件じけん』(「のごときものあるく」に改題かいだい)の復刻ふっこく未完みかん部分ぶぶん高木たかぎあきらこうによる執筆しっぴつなど、かく作品さくひん乱歩らんぽによるルーブリック(序説じょせつ)をすようにし、発行はっこう部数ぶすうは5わりし、1ねんほどで赤字あかじ解消かいしょうにこぎけた。また乱歩らんぽ編集へんしゅう方針ほうしんに、推理すいり作家さっか以外いがい一般いっぱん作家さっかにも探偵たんてい小説しょうせついてもらうというものがあり、執筆しっぴつ作家さっかには火野ひの葦平あしへい有馬ありま頼義よりちか曾野綾子あやこ梅崎うめさき春生はるお三浦みうら朱門しゅもん遠藤えんどう周作しゅうさく吉行よしゆき淳之介じゅんのすけ石原いしはら慎太郎しんたろう谷川たにがわ俊太郎しゅんたろう寺山てらやま修司しゅうじ中村なかむら真一郎しんいちろうなどがいた。1958ねん9がつごうからは、徳川とくがわゆめごえによる、かつて『しん青年せいねん』での「くらがりさんじゅうねん」につづ自伝じでんてき回顧かいこ「あこがれ始末しまつしょ」を連載れんさい、1963ねんまでの長期ちょうき連載れんさいとなった。

表紙ひょうしに「江戸川えどがわ乱歩らんぽ編集へんしゅう」としるされたのは1962ねんまでつづいたが、入院にゅういんなどにより1959ねんまつからは実質じっしつてき編集へんしゅう後任こうにんゆずり、編集へんしゅう後記こうきいていたのは1960ねん10がつごうまでとなる。そのはまた経営けいえい悪化あっかし、1964ねん5がつに「創刊そうかん250ごう記念きねん特集とくしゅうごう」(251ごう)をもって廃刊はいかん

宝石ほうせきしゃ累積るいせき赤字あかじにより倒産とうさん[1]版権はんけん光文社こうぶんしゃにより1500まんえん[6][7]られた[2]

新人しんじん発掘はっくつ

編集へんしゅう

毎年まいとし懸賞けんしょう小説しょうせつ募集ぼしゅうし、1946ねんだい1かいでは香山かやましげる飛鳥ひちょうだか山田やまだかぜ太郎たろう島田しまだ一男かずおがデビュー。1949ねんには創刊そうかん3周年しゅうねん記念きねん事業じぎょうとして賞金しょうきん総額そうがく100まんえんで、長編ちょうへん中編ちゅうへん短編たんぺんけて募集ぼしゅうし、日影ひかげたけきち土屋つちや隆夫たかお中川なかがわとおる鮎川あいかわ哲也てつや)がデビュー。

1948ねんの『宝石ほうせき選書せんしょ』では、乱歩らんぽした新人しんじん高木たかぎあきらこう刺青しせい殺人さつじん事件じけん』を一挙いっきょ掲載けいさい。また、1949ねんには18さい山村やまむら正夫まさお投稿とうこうさくみとめられてデビューした。香山かやま山田やまだ島田しまだ高木たかぎと、佐藤さとう春夫はるおされた大坪おおつぼ砂男すなお宝石ほうせきにんおとこばれた。

1958、59ねんに『週刊しゅうかん朝日あさひ』と共同きょうどうでの短編たんぺんコンクールをおこない、だい1かいせき佐野さのひろし佳作かさく樹下じゅか太郎たろう、59ねんだい2かいいちせき芦川あしかわ澄子すみこせき久能くのう啓二けいじ佳作かさく黒岩くろいわしげるわれ笹沢ささざわひだりがデビューした。

1960ねんから宝石ほうせきしょう名前なまええ、1961ねん草野くさの唯雄ただお、1963ねん斎藤さいとうさかえがデビュー。新人しんじんしょう予選よせん通過つうか25さく掲載けいさいする「新人しんじん25にんしゅう」も毎年まいとし企画きかくされた。1961ねんには、西村にしむら京太郎きょうたろう予選よせん通過つうかしている。

1954ねん懸賞けんしょう小説しょうせつ1入選にゅうせんした高城たかぎだか「Xはし付近ふきん」、同人どうじんから転載てんさいした大藪おおやぶ春彦はるひこ野獣やじゅうすべし』を1958ねん掲載けいさいするなど、ハードボイルド作品さくひん掲載けいさいするようになる。1959ねん日本にほんテレビ共催きょうさい懸賞けんしょう小説しょうせつでは、河野こうの典生のりお「ゴウイング・マイ・ウェイ」がだいいちせき入選にゅうせんSF同人どうじんからも、1957ねんほし新一しんいち「セキストラ」、1960ねん筒井つつい康隆やすたか「おたすけ」を転載てんさいしてプロデビューさせた。

すで演劇えんげき評論ひょうろんとしてしていた戸板といた康二こうじ乱歩らんぽすすめで1958ねんから演劇えんげきかい舞台ぶたいにした推理すいり小説しょうせつ執筆しっぴつし、「だん十郎じゅうろう殺人さつじん事件じけん」で直木賞なおきしょう受賞じゅしょうする。小林こばやし信彦のぶひこは1958ねん江戸川えどがわ乱歩らんぽにより同社どうしゃ顧問こもんとして採用さいようされ、『ヒッチコック・マガジン』を宝石ほうせきしゃから創刊そうかん。1963ねん1がつ退社たいしゃし、のちに作家さっかとなる。

翻訳ほんやく作品さくひん

編集へんしゅう

1949ねんジョージ・トマス・フォルスターGHQ認可にんかけて翻訳ほんやくけん仲介ちゅうかいぎょうはじめたことにより、海外かいがいとの著作ちょさくけん交渉こうしょう出来できるようになり、1950ねんから『宝石ほうせき』『別冊べっさつ宝石ほうせき』で翻訳ほんやく推理すいり小説しょうせつ掲載けいさいはじめる。『別冊べっさつ宝石ほうせき』で「世界せかい探偵たんてい小説しょうせつ名作めいさくせん」を開始かいしだいいちしゅうの1950ねん8がつごうでは、翻訳ほんやく途絶とだえていた期間きかんちゅうえいべい原書げんしょつづけていた乱歩らんぽ激賞げきしょうしていたディクスン・カー戦後せんごはつ邦訳ほうやくとして3長編ちょうへん帽子ぼうし蒐集しゅうしゅうきょう事件じけん」を高木たかぎあきらこう、「くろそう殺人さつじん事件じけん」を岩田いわたさん、「あか後家ごけかい事件じけん」を島田しまだ一男かずお抄訳しょうやくした。この「世界せかい探偵たんてい小説しょうせつ名作めいさくせん世界せかい探偵たんてい小説しょうせつ全集ぜんしゅう)」は終巻しゅうかんまでに30ごうえた。

おも掲載けいさい作品さくひん

編集へんしゅう

小説しょうせつ以外いがい

編集へんしゅう

上記じょうきのほか、に芸能げいのう関係かんけいしゃのエッセイとして、西条さいじょう八十やそ辰巳たつみ柳太郎りゅうたろう高橋たかはし圭三けいぞう丹下たんげキヨ子きよこ若尾わかお文子ふみこ木村きむら義雄よしお大空おおぞら真弓まゆみとどろき夕起子ゆきこ岡本おかもと喜八きはち三橋みつはし達也たつや大島おおしまなぎさらの寄稿きこうがあった。

別冊べっさつ宝石ほうせき

編集へんしゅう

1948ねん1がつから、姉妹しまいとして『別冊べっさつ宝石ほうせき』を発行はっこう。ただし1ごうには「別冊べっさつ宝石ほうせき」のはなく、「宝石ほうせき 編集へんしゅうへん 捕物とりもの新作しんさく長編ちょうへん」となっており、半年はんとしの2ごうから「別冊べっさつ宝石ほうせき」とだいされた。当初とうしょ懸賞けんしょう小説しょうせつ候補こうほさく特集とくしゅう捕物とりものちょう翻訳ほんやく作品さくひんによる「世界せかい探偵たんてい小説しょうせつ全集ぜんしゅう」の3しゅ交互こうご発行はっこうし、に1956ねん文芸ぶんげい作家さっか推理すいり小説しょうせつしゅう」や、江戸川えどがわ乱歩らんぽ横溝よこみぞ正史せいしらの作家さっか特集とくしゅう、「エロティック・ミステリー」などがあった。1963ねん以降いこうは「世界せかいSF傑作けっさくしゅう」「サラリーマン・ミステリー傑作けっさくしゅう」「世界せかい女流じょりゅう作家さっか傑作けっさくしゅう」などをし、1964ねん5がつ異色いしょくミステリー特集とくしゅう」を最後さいごに、通算つうさんでは130ごうで『宝石ほうせき』とともに廃刊はいかん

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ a b 高橋たかはし良平りょうへい出版しゅっぱんじょうきょうから日本にっぽんSFだいいち世代せだい」『S-Fマガジン』2011ねん11がつごう、p.37
  2. ^ a b もり彰英あきひで音羽おとわもり遺伝子いでんしリヨンしゃ、2003ねん、p.108
  3. ^ 日本にっぽんジャーナリスト会議かいぎ出版しゅっぱん支部しぶ編著へんちょでみる出版しゅっぱんジャーナリズム小史しょうし 増補ぞうほばんこうぶんけん、1985ねん初版しょはん、1989ねん増補ぞうほばん、p.76
  4. ^ そう』2008ねん11がつごう、p.30
  5. ^ たつみ孝之たかゆきへん日本にっぽんSF論争ろんそう勁草書房しょぼう、2000ねん、p.100
  6. ^ 山村やまむら正夫まさお続々ぞくぞく推理すいり文壇ぶんだん戦後せんご[ようページ番号ばんごう]
  7. ^ ほん雑誌ざっし』2008ねん2がつごう大坪おおつぼ直行なおゆきロングインタビュー ききて新保しんぼ博久ひろひさ)p.13

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう