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山口洋子 - Wikipedia

山口やまぐち洋子ようこ

日本にっぽん女性じょせい作家さっか作詞さくし

山口やまぐち 洋子ようこ(やまぐち ようこ、1937ねん昭和しょうわ12ねん5がつ10日とおか[1] - 2014ねん平成へいせい26ねん9月6にち)は、日本にっぽん著作ちょさく作詞さくし1985ねん昭和しょうわ60ねん)に直木なおき三十五さんじゅうごしょう受賞じゅしょう愛知あいちけん名古屋なごや出身しゅっしん京都きょうと女子じょし高校こうこう中退ちゅうたい。なお、「だれもいないうみ」の作詞さくししゃ山口やまぐち洋子ようこ同姓どうせい同名どうめい別人べつじん

やまぐち ようこ

山口やまぐち 洋子ようこ
生誕せいたん (1937-05-10) 1937ねん5がつ10日とおか
日本の旗 日本にっぽん愛知あいちけん名古屋なごや
死没しぼつ (2014-09-06) 2014ねん9月6にち(77さいぼつ
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう
出身しゅっしんこう 京都女子高等学校きょうとじょしこうとうがっこう中退ちゅうたい
職業しょくぎょう 著作ちょさく作詞さくし
親戚しんせき ハイヒールモモコめいあにむすめ
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経歴けいれき

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料亭りょうてい経営けいえいしていた資産しさんちちと、仲居なかいをしていたははとのあいだ私生児しせいじとしてまれる[2]

16さいのときに高校こうこう中退ちゅうたい、ある男性だんせいうしたて名古屋なごや市内しない喫茶店きっさてん洋子ようこ」をひら[2]みせ繁盛はんじょうしていたというが、やとわれ店長てんちょう嫌気いやけして3ねん経営けいえいからいた[2]

1957ねん昭和しょうわ32ねん)、東映とうえいニューフェイス4期生きせいえらばれる。同期どうきには水木みずきじょう佐久間さくま良子りょうこ室田むろた日出男ひでお曽根そね晴美はるみ花園はなぞのひろみ山城やましろ新伍しんごがいた。しかし女優じょゆうとしてはかずばずで、わずか2ねんほどで芸能げいのうかいからあしあら[2]。このころ安藤あんどうのぼるい、横井よこい英樹ひでき襲撃しゅうげき事件じけん(1958ねん)に関与かんよしたとして安藤あんどう警察けいさつわれると、みずからのんでいたアパートに安藤あんどうかくまっていた[2]本人ほんにんも「安藤あんどうぐみ組員くみいん末席まっせきをけがしている」と自認じにんしており、アパートに出入でいりしていた安藤あんどうぐみ組員くみいんたちから「ひめ」とばれるようになり、のクラブの店名てんめい由来ゆらいにもなっている[3]

その東京とうきょう銀座ぎんざクラブひめ」を開店かいてん各界かくかい著名ちょめいじん顧客こきゃくとしてかかえ、経営けいえい手腕しゅわん発揮はっきした。また、同店どうてんにはホステスとして、もとミス・ユニバース・ジャパン飯野いいの矢住やずみだい女優じょゆう山口やまぐち奈子常連じょうれんきゃくだった俳優はいゆう梅宮うめみや辰夫たつお結婚けっこんしたが半年はんとし離婚りこんした大門だいもん節子せつこらが在籍ざいせきしていた。1960ねんごろ銀座ぎんざのクラブは妙齢みょうれいのインテリホステスが主流しゅりゅうだったが、山口やまぐちぎゃくに「少々しょうしょうバカでもわかくてうつくしいあつめる」方針ほうしんり、それがてん気兼きがねしていたわか顧客こきゃくあつめる結果けっかとなった[4]

1967ねん昭和しょうわ42ねん)から友人ゆうじん歌手かしゅ神楽坂かぐらざか浮子提供ていきょうした[ちゅう 1]銀座ぎんざ化粧けしょう」を皮切かわきりに作詞さくし活動かつどう開始かいし。「うわさおんな」「よこはま・たそがれ」「ふるさと」「夜空よぞら」「うそ」「千曲川ちくまがわ」「ゆめよもういちど」「あめ東京とうきょう」「ブランデーグラス」「きた旅人たびびと」「アメリカきょう」などの多数たすうのヒットさくがあり、とくに1960年代ねんだい後半こうはんから1970年代ねんだい前半ぜんはんにかけて目覚めざましい活躍かつやくをした。読売よみうりテレビ視聴しちょうしゃ参加さんかがた番組ばんぐみ全日本ぜんにほん歌謡かよう選手権せんしゅけん』で山口やまぐちおなじく隔週かくしゅうでゲスト審査しんさいんとして出演しゅつえんしていた作曲さっきょく平尾ひらお昌晃まさあきとはゴールデンコンビとしてられた。

1968ねん9月30にちから立川談志たてかわだんしんでTBSテレビ『0スタジオ おんなのテレビ』の月曜日げつようび司会しかい抜擢ばってきされる。途中とちゅうから金曜日きんようび司会しかい兼任けんにんしたが視聴しちょうりつるわず、ワンクールで番組ばんぐみ終了しゅうりょうした。

1980年代ねんだいからは小説しょうせつ創作そうさく活動かつどうはじめる。小説しょうせつとしては「ひめ」の常連じょうれんきゃくでもあった近藤こんどうあきら太郎たろう師事しじした[5]1985ねん昭和しょうわ60ねん)には『演歌えんかむし』、『ろううめ』で直木賞なおきしょう受賞じゅしょうあわせて、遠藤えんどうみのる設立せつりつした日本にっぽん音楽おんがく作家さっか協会きょうかい会長かいちょう就任しゅうにん協会きょうかいつうじ、松井まついゆかり利夫としお冬樹ふゆきかずみひとし後進こうしん育成いくせいにも尽力じんりょくした。

2014ねん9がつ6にち呼吸こきゅう不全ふぜんのため東京とうきょう都内とない病院びょういん死去しきょ[6]。77さいぼつ没後ぼつごだい56かい日本にっぽんレコード大賞たいしょう功労賞こうろうしょう受賞じゅしょう

人物じんぶつ

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漫才まんざいのハイヒールモモコはめい(あにむすめ)。

西武せいぶライオンズだいファン。みずから「西武せいぶライオンズ私設しせつ応援おうえん団長だんちょう」を名乗なのり、1980年代ねんだい後半こうはんから90年代ねんだいにかけてのライオンズ黄金おうごんには、優勝ゆうしょうめたライオンズの選手せんしゅを「ひめ」にむかえてあさまで祝勝しゅくしょうかいおこなうのが恒例こうれいだった[5]。ただし本人ほんにん下戸げこであったため、さけまずに炭酸たんさんすいでごまかしながらったふりをしていたという[5]

作品さくひん

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小説しょうせつ

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  • はんダースもの情事じょうじ』(光文社こうぶんしゃ 1981ねん、のち文庫ぶんこ
  • おんな主人しゅじん』(光文社こうぶんしゃ 1983ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『プライベート・ライブ』(講談社こうだんしゃ 1983ねん、のち文庫ぶんこ) 1984ねん吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう新人しんじんしょう受賞じゅしょう作品さくひん
  • みつおんな (1983ねんだい89かい直木賞なおきしょう候補こうほ
  • 椿つばきかん』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1984ねん、「ろうつばめ」文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • よるそこきる』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1984ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 弥次郎兵衛やじろべえ (1984ねんだい91かい直木賞なおきしょう候補こうほ
  • 演歌えんかむし』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1985ねん、のち文庫ぶんこだい93かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょう作品さくひん
  • ろううめ (1985ねんだい93かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょう作品さくひん
  • 東京とうきょうこい物語ものがたり』(講談社こうだんしゃ 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『ドント・ディスターブ』(講談社こうだんしゃ 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • はなおんな』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1986ねん、のち文庫ぶんこ
  • 東京とうきょうおんな』(新潮社しんちょうしゃ 1986ねん、のち文庫ぶんこ
  • おとこ極楽ごくらく 千束ちづかけいふとし日記にっき』(光文社こうぶんしゃ 1986ねん、のち文庫ぶんこ
  • 銀座ぎんざはるとう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1987ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『シンシン』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1994ねん、のち文庫ぶんこ
  • つきおと』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1994ねん、のち文庫ぶんこ
  • 軽井沢かるいざわふゆ夫人ふじん』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1995ねん、のち文庫ぶんこ
  • 夜色やしょく』(新潮社しんちょうしゃ 1997ねん
  • 飛行機ひこうき』(光文社こうぶんしゃ 1998ねん
  • 『ひやりとする軽井沢かるいざわ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2002ねん

その著書ちょしょ

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  • 酒場さかばでの上手じょうずあそ上手じょうず』(ベストセラーズ 1971ねん
  • あいするうそってますか いちばんいたくなかった26こう』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1977ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ青春せいしゅん文庫ぶんこ
  • あいされかたってますか 他人たにんわない29こう』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1978ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ青春せいしゅん文庫ぶんこ
  • 『ちょっとえないはなし』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1978ねん
  • こいのイソップ 出会であいとわかれ・あいの86しょう』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこコバルト 1980ねん
  • 『そのひとあいせますか けっして後悔こうかいしないあいせいかた』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1980ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『おんながく30ねん おんならんめぇエッセイ』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1981ねん
  • 魅力みりょくおとこじゅうにん 山口やまぐち洋子ようこ慕情ぼじょう対談たいだん』(サンケイ出版しゅっぱん 1981ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『こんなおとこれてみろ じょらんめぇエッセイ』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1982ねん
  • わるおとこあいされたい 聡明そうめい大人おとなこい方法ほうほう』(文化ぶんか創作そうさく出版しゅっぱん 1984ねん、のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 浮気うわき人間にんげん絵図えず女好おんなずきのおとこ"と“男好おとこずきのおんな"の内緒ないしょばなし』(光文社こうぶんしゃ 1984ねん、「おとこ戸籍こせき文庫ぶんこ
  • ひゃくにんおとこ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • あいがわからなくなったらほん からではとりかえせない62項目こうもく』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ(プレイブックス) 1985ねん のち文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『ところで、もういちはいぜん5さつ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1986ねん-1989ねん
  • 『このひとでいいかしら おとこ結婚けっこんしたくなるおんななにっているか』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1986ねん、のち文庫ぶんこ
  • きなひとができたらほん 知性ちせいっていたらこわくない』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ(プレイブックス) 1986ねん
  • かえみちわすれたおとこたち』(講談社こうだんしゃ 1986ねん、のち文庫ぶんこ、PHP文庫ぶんこ
  • 東京とうきょう望遠鏡ぼうえんきょう』(講談社こうだんしゃ 1987ねん、のち文庫ぶんこ
  • おとこはオイ!おんなはハイ…』1-2 (毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1987ねん-1988ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 殿様とのさまごっこ 酒場さかば「デルタ」物語ものがたり』(光文社こうぶんしゃ 1987ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『あのひとをどこまでってますか "かわいいおんな"だからきになる男心おとこごころ18しょう』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1987ねん、のち文庫ぶんこ
  • 山口やまぐち洋子ようこ愛情あいじょう対談たいだん』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1988ねん
  • 『なにがあいなのかしら はなれられなくなるときいやになるとき』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ(プレイブックス) 1988ねん のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『おとこの事典じてん』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1989ねん
  • かれかたしんじかたあいしかた もう一人ひとりべつわたしとう』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ(プレイブックス) 1990ねん
  • 『ヒットきょく、スゴイばなし うたうまえほん』(対談たいだんしゅう ネスコ 1990ねん
  • あめになりそうなかぜ』(新潮社しんちょうしゃ 1990ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 山口やまぐち洋子ようこのサミング・アップ 作家さっか自身じしん編集へんしゅうするほん』(ナイスディ・ブックス 1990ねん
  • かれかたしんじかたあいしかた もう一人ひとりあたらしいわたしとう』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1991ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『モテるモテないは紙一重かみひとえ』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこオリジナル 1991ねん
  • 『このひとらせたら あいされるおんななに必要ひつようか』(文化ぶんか創作そうさく出版しゅっぱん 1991ねん、のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 『おところん こころとからだとあいされていいじんとは』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1993ねん
  • 『あなたのセックスわたしのセックス いま、あなたをしあわせにする』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1994ねん 「そのあいしんじますか」文庫ぶんこ
  • 折々おりおり感情かんじょう なぜそのひときになるか』(集英社しゅうえいしゃ 1995ねん、のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 履歴りれきしょ(メリット)』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこオリジナル 1995ねん
  • はな理由りゆう 愛情あいじょう販売はんばい本舗ほんぽはつ』(小学館しょうがくかん 1995ねん、「三寒四温さんかんしおん文庫ぶんこ
  • 『おとこの天気てんきおんなの元気げんき おとこの事典じてん』(講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1995ねん
  • 『なんとかせい』(双葉社ふたばしゃ 1995ねん
  • あいをめぐる冒険ぼうけん あのひとがわかる自分じぶんがわかるこいがわかる』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1996ねん、のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • おんながそれをかんじるとき』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1996ねん
  • 『ザ・ラスト・ワルツ 「ひめ」という酒場さかば』(双葉社ふたばしゃ 1996ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 『トライアングル 三角さんかく関係かんけい物語ものがたり ラヴ・ストーリーめい選集せんしゅう』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1997ねん
  • 『バッド・ボーイ ワルだからかれる ラヴ・ストーリーめい選集せんしゅう』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1997ねん
  • あい知性ちせい欲望よくぼうの20しょう このひととどうきるか』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 1997ねん
  • のびして海峡かいきょうを』(猪俣いのまたこうあきらつて) (文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1997ねん
  • 『ビューティフル・ウーマン かげのある美女びじょたち ラヴ・ストーリーめい選集せんしゅう』(集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ 1997ねん
  • せい(レア)』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1999ねん
  • きていてよかった あい孤独こどく不信ふしん絶望ぜつぼうてに』(文化ぶんか創作そうさく出版しゅっぱん 2000ねん
  • 『おとなのあいっていますか』(ドリームクエスト 2001ねん
  • えてよかった』(双葉社ふたばしゃ 2001ねん
  • 『このひととならしあわせになれる 大切たいせつなひとのえらかた見分みわかた』(海竜かいりゅうしゃ 2002ねん
  • 山口やまぐち洋子ようこおとこというもの』(サンガ 2003ねん
  • 『あのかえりたい 昭和しょうわいとしき日々ひびよ』(イースト・プレス 2008ねん
  • あいされりょく 本当ほんとうのあなたはもっとあいされる。』(あおめぐむどう 2009ねん

テレビ番組ばんぐみ

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ほか多数たすう

ラジオ番組ばんぐみ

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  • 山口やまぐち洋子ようこ そのひとあいせますか(TBSラジオ[1]

関連かんれん書籍しょせき

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ もと芸者げいしゃ歌手かしゅであった神楽坂かぐらざか浮子が自分じぶん添削てんさく依頼いらいしたのだが、添削てんさくするうちにほとんど原型げんけいをとどめなくなったため、双方そうほう同意どうい山口やまぐち作詞さくしということにして、「よる銀座ぎんざ」ブームにっかろうとした。このきょくれなかったが「作詞さくしできる銀座ぎんざのママ」「銀座ぎんざのママの作詞さくし」「あの有名ゆうめいなクラブの、あの有名ゆうめいなママの作詞さくし」という肩書かたがきがうけ、みせ常連じょうれんきゃくであった芸能げいのう関係かんけいしゃとおして次々つぎつぎ依頼いらいるようになった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b DJ名鑑めいかん 1987さんさいブックス、1987ねん2がつ15にち、158ぺーじ
  2. ^ a b c d e 山口やまぐち洋子ようこ東映とうえいニューフェイスからヤクザの愛人あいじんに… - 日刊にっかんゲンダイDIGITAL・2021ねん6がつ9にち
  3. ^ クラブ「ひめ」は安藤あんどうのぼる愛人あいじんだったとき愛称あいしょうから名付なづけた - 日刊にっかんゲンダイDIGITAL・2021ねん6がつ10日とおか
  4. ^ 新参しんざん山口やまぐち洋子ようこ旧態きゅうたい依然いぜんとしたよる銀座ぎんざ革命かくめいだった - 日刊にっかんゲンダイDIGITAL・2021ねん6がつ8にち
  5. ^ a b c 銀座ぎんざ高級こうきゅうクラブ「ひめ」のマダム・山口やまぐち洋子ようこの“多面ためん多才たさい - 日刊にっかんゲンダイDIGITAL・2021ねん6がつ5にち
  6. ^ 直木賞なおきしょう作家さっか山口やまぐち洋子ようこさん死去しきょ デイリースポーツ 2014ねん9がつ15にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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