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直木三十五賞 - Wikipedia

直木なおき三十五さんじゅうごしょう

日本にっぽん文学ぶんがくしょう

直木なおき三十五さんじゅうごしょう(なおきさんじゅうごしょう)は、大衆たいしゅうせい[1]さえた長編ちょうへん小説しょうせつ作品さくひんあるいはたん編集へんしゅうあたえられる文学ぶんがくしょうである。通称つうしょう直木賞なおきしょう上半期かみはんき前年ぜんねん12がつ1にち~5がつ31にちまでに発表はっぴょうされた作品さくひん対象たいしょう候補こうほさく発表はっぴょうは6がつ中旬ちゅうじゅん選考せんこうかいは7がつ中旬ちゅうじゅん贈呈ぞうていしきは8がつ中旬ちゅうじゅん下半期しもはんきは6がつ1にち~11がつ30にちまでに発表はっぴょうされた作品さくひん対象たいしょう候補こうほさく発表はっぴょうは12月中旬ちゅうじゅん選考せんこうかい翌年よくねん1がつ中旬ちゅうじゅん贈呈ぞうていしきは2がつ中旬ちゅうじゅん

直木なおき三十五さんじゅうごしょう
受賞じゅしょう対象たいしょうかく新聞しんぶん雑誌ざっし同人どうじん雑誌ざっしふくむ)・単行本たんこうぼんとして発表はっぴょうされたたん編集へんしゅうあるいは長編ちょうへん大衆たいしゅう文芸ぶんげい作品さくひん作家さっか
会場かいじょう東京とうきょうかいだて帝国ていこくホテル
くに日本の旗 日本にっぽん
主催しゅさい日本文学振興会にほんぶんがくしんこうかい事実じじつじょう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃとの共催きょうさい
初回しょかい1935ねん上半期かみはんき
最新さいしんかい2023ねん下半期しもはんき
最新さいしん受賞じゅしょうしゃかわ﨑秋万城目まんじょうめまなぶ
公式こうしきサイト公式こうしきサイト

概要がいよう

編集へんしゅう

かつては芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょう芥川賞あくたがわしょう)とおなじく無名むめい新人しんじん作家さっかたいするしょうであったといわれているが、1970年代ねんだいあたりから中堅ちゅうけん作家さっか中心ちゅうしん移行いこう近年きんねんでは長老ちょうろうクラスのだいベテランが受賞じゅしょうすることも多々たたある[注釈ちゅうしゃく 1]。(もっとも、直木賞なおきしょう設定せってい当初とうしょ時期じき新人しんじんけのしょうであったとはがためんがある。だい1かい受賞じゅしょう川口かわぐち松太郎まつたろうだい3かい受賞じゅしょう海音寺かいおんじ潮五郎ちょうごろうからしてすで新人しんじんとはうには無理むりがあったし、戦後せんご1かいであるだい21かい受賞じゅしょう富田とみた常雄つねおは『姿すがた三四郎さんしろう発表はっぴょう受賞じゅしょうであり、すで文壇ぶんだん長者ちょうじゃ番付ばんづけ上位じょうい人気にんき作家さっかであった。そのにも、候補者こうほしゃ受賞じゅしょうしゃなかには新人しんじんとはがた人物じんぶつすくなくない[注釈ちゅうしゃく 2]

沿革えんかく

編集へんしゅう

文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ社長しゃちょう菊池きくちひろし友人ゆうじん直木なおき三十五さんじゅうご記念きねんして1935ねん芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょうとともに創設そうせつし、以降いこうねん2かい発表はっぴょうされる。

授賞じゅしょうする作品さくひん選考せんこう委員いいん合議ごうぎによって決定けっていされる。だい6かいから、財団ざいだん法人ほうじん日本文学振興会にほんぶんがくしんこうかいにより運営うんえいされている。だい世界せかい大戦たいせんなか1945ねんかみ不足ふそくによる出版しゅっぱん点数てんすう減少げんしょうから一時いちじ中断ちゅうだんしたが、1949ねん復活ふっかつした。

2023ねん下半期しもはんき時点じてん選考せんこう委員いいんは、同年どうねん11がつ伊集院いじゅういんしず死去しきょしたため浅田あさだ次郎じろう角田つのだ光代みつよ京極きょうごく夏彦なつひこ桐野きりの夏生なつき高村たかむらかおるはやし真理子まりこ三浦みうらしをん宮部みやべみゆきの8めい[2](2020ねん上半期かみはんきから)。選考せんこうかいは、料亭りょうてい新喜楽しんきらくの2かいおこなわれる(芥川賞あくたがわしょう選考せんこうかいは1かい)。芥川賞あくたがわしょう直木賞なおきしょう受賞じゅしょうしゃ記者きしゃ会見かいけんとその翌月よくげつ授賞じゅしょうしきは、ともに東京とうきょうかいだておこなわれてきたが、同館どうかんえにともない現在げんざい帝国ていこくホテルおこなわれている。

受賞じゅしょうしゃには正賞せいしょうとして懐中時計かいちゅうどけい副賞ふくしょうとして100まんえん贈呈ぞうていされ、受賞じゅしょうさくオール讀物よみもの掲載けいさいされる。なお、複数ふくすう受賞じゅしょうしゃがいる場合ばあいでもそれぞれに賞品しょうひんと100まんえん賞金しょうきん贈呈ぞうていされ、分割ぶんかつ授与じゅよにはならない。一方いっぽう受賞じゅしょう該当がいとうさくなしとなった場合ばあい次回じかい受賞じゅしょうぶん賞金しょうきんキャリーオーバーおこなわれない。

傾向けいこう

編集へんしゅう

発足ほっそく当初とうしょ対象たいしょう新人しんじんによる大衆たいしゅう小説しょうせつであり、芥川賞あくたがわしょうとは密接みっせつ不可分ふかぶん関係かんけいにある。また、運営うんえいしゃである日本にっぽん文学ぶんがく振興しんこうかい事務所じむしょ社内しゃないかれている文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうから刊行かんこう、あるいは同社どうしゃ雑誌ざっし掲載けいさいされた小説しょうせつたいしておお授賞じゅしょうしている傾向けいこうがあり、文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうとも事実じじつじょう不可分ふかぶん関係かんけいとなっている。

創設そうせつ選考せんこう対象たいしょうは「無名むめいしくは新進しんしん作家さっか大衆たいしゅう文芸ぶんげい」(直木賞なおきしょう規定きてい)であったが、戦後せんごになりかいかさねるごとに芥川賞あくたがわしょうくらべて若手わかて新人しんじん受賞じゅしょうしにくい傾向けいこうとなった。これは1つには各回かくかい選評せんぴょうにしばしばあるように大衆たいしゅう文学ぶんがく対象たいしょうとするしょう性質せいしつじょう受賞じゅしょう作家さっかとして一本立いっぽんだちするだけの筆力ひつりょくがあるかどうかを選考せんこう委員いいん重視じゅうししたためであり、背景はいけいには「大衆たいしゅう小説しょうせつ作品さくひんることで作家さっかとして生計せいけいててゆく必要ひつようがある」というかんがかたがあったものと推測すいそくされる。また創設そうせつにはまだ新進しんしんのジャンルであった大衆たいしゅう文学ぶんがく分野ぶんやにおける実質じっしつ唯一ゆいいつ新人しんじんしょうであった直木賞なおきしょうが、戦後せんごおおくの出版しゅっぱんしゃによって後発こうはつ大衆たいしゅう文学ぶんがくしょう創設そうせつされていくなかにあって、当該とうがい分野ぶんやなかでもっともなが歴史れきし権威けんいつ、大衆たいしゅう文学ぶんがくすすむべき方向ほうこうあきらかにする重要じゅうようしょうとして位置いちづけられるようになったこととも関係かんけいがあるだろう。

現在げんざいではこのような状態じょうたいながつづいたため選考せんこう基準きじゅん中堅ちゅうけん作家さっかといういちこうあらたにくわえられ、実質じっしつてきにはすで一定いっていのキャリアを人気にんき実力じつりょく作家さっかのためのしょうという設定せっていとなり、直木賞なおきしょう当初とうしょたされていた「文学ぶんがくかい有望ゆうぼう新人しんじん発掘はっくつする」という機能きのうはおのずから新人しんじんしょうられることとなった。結果けっかとしてすでに中堅ちゅうけん・ベテランの著名ちょめい作家さっかとしてしている人物じんぶつたいしていわゆる「おそすぎたノミネート」「おそすぎた受賞じゅしょう」をおこなうケースがおおく、さらにすで人気にんき作家さっかとなっているものにあっては選考せんこう候補こうほ)を辞退じたいする事例じれいきており[注釈ちゅうしゃく 3][3]このてん文芸ぶんげいかい各種かくしゅマスコミの内外ないがいすうおおくの議論ぎろんこってきたことも事実じじつである。

選考せんこう対象たいしょうの「大衆たいしゅう小説しょうせつ」にまつわる問題もんだいとしては、推理すいり小説しょうせつしゅたる活動かつどう分野ぶんやとする作家さっか受賞じゅしょうしにくい傾向けいこうながつづいたてんがある。受賞じゅしょうしたのは多岐川たきがわきょうの『ちる』(だい40かい)、生島いくしま治郎じろういつめる』(だい57かい)、中村なかむらただし元首げんしゅ謀叛ぼうほん』(だい84かい)くらいで、笹沢ささざわひだり真保しんぼ裕一ひろいち貫井ぬくい徳郎よしおみなとかなえは4北方きたがた謙三けんぞう志水しみず辰夫たつお西村にしむら寿ひさしぎょうは3候補こうほとなりながら受賞じゅしょういたらず、赤川あかがわ次郎じろう小杉こすぎ健治けんじ折原おりはらはじめ島田しまだ荘司しょうじ福井ふくい晴敏はるとし推理すいり作家さっかとして大成たいせいした作家さっかとどかず、三好みよしとおるちん舜臣しゅんしん結城ゆうき昌治しょうじれんじょうさん紀彦のりひこ皆川みなかわ博子ひろこらもミステリー分野ぶんや作品さくひん受賞じゅしょうしていた[4]。しかし逢坂おうさかつよしが『カディスのあかほし』で受賞じゅしょうだい96かい)して以後いごみとめられるようになり、笹倉ささくらあきらだい101かい)、はらだい102かい)、髙村かおるだい109かい)、大沢おおさわ在昌ありまさだい110かい)、小池こいけ真理子まりこ藤原ふじわら伊織いおりだい114かい)、乃南アサだい115かい)、宮部みやべみゆきだい120かい)とコンスタントに受賞じゅしょうしゃ1989ねんから1999ねんは「ミステリーの隆盛りゅうせい」ともばれる[5]北方ほっぽう、髙村、宮部みやべ桐野きりの夏生なつきだい121かい)、東野とうの圭吾けいごだい134かい)ととも選考せんこう委員いいんつとめることになり、だい150かい現在げんざい選考せんこう委員いいん9にんのうち5にんがミステリーはたけ出身しゅっしんしゃめられた[6]東野とうの圭吾けいごは161かい最後さいご選考せんこう委員いいん退任たいにん[7]後任こうにんには角田つのだ光代みつよ就任しゅうにんした[8]。まただい169かいから北方きたがた謙三けんぞうわって京極きょうごく夏彦なつひこ委員いいんになっている)。

同様どうよう大衆たいしゅう小説しょうせつないでも発展はってん以降いこう歴史れきし比較的ひかくてきあさSFファンタジーなども選考せんこう段階だんかいではいく候補こうほげられてはいるが、実際じっさい受賞じゅしょうしたのは景山かげやま民夫たみおとおうみからたCOO』(だい99かい)と小川おがわあきら地図ちずこぶし』(だい168かい)の2れいのみである(半村はんむらりょうはSF小説しょうせつで2かい候補こうほになったのち人情にんじょう小説しょうせつ受賞じゅしょうしている)。昭和しょうわ末期まっき勃興ぼっこうしたライトノベルのレーベルから刊行かんこうされた作品さくひんなかにも広義こうぎにいえば若年じゃくねんそうけの大衆たいしゅう文学ぶんがくともいえる要素ようそ内含ないがんしている作品さくひん一部いちぶられるが、日本文学振興会にほんぶんがくしんこうかい密接みっせつ関係かんけいにある文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうがこのジャンルにたいするノウハウをわせていないためか、ほぼけられていないにひとしい(ライトノベル出身しゅっしん受賞じゅしょう作家さっかとしては桜庭さくらば一樹かずきがいるが、受賞じゅしょうさく一般いっぱん文芸ぶんげい掲載けいさいされた作品さくひんであった)。このよう現在げんざいでも空想くうそうせい極端きょくたんたかいSF・ファンタジーとうのジャンルにたいする評価ひょうかそうじてひくいのも直木賞なおきしょう選考せんこう特徴とくちょうである。ふるくより選考せんこう委員いいんせき大半たいはん過去かこほんしょう受賞じゅしょうしゃめていることもあってか、毎回まいかいおこなわれる選評せんぴょうでのこう評価ひょうか伝奇でんき小説しょうせつ時代じだい小説しょうせつ歴史れきし小説しょうせつ人情にんじょう小説しょうせつなどといったおおくの受賞じゅしょうしゃぞくする従来じゅうらいがた大衆たいしゅう文学ぶんがくぞくする作品さくひんかたよりがちで、新規しんき開拓かいたくされた後発こうはつジャンルや選考せんこう委員いいんたちが専門せんもん知識ちしきたないか興味きょうみうすいジャンルにたいしてはジャンルそのものへの理解りかいとぼしい、いいかえれば守旧しゅきゅうてき選考せんこうおこな傾向けいこう根強ねづよいちめんがある。このよう風潮ふうちょうによって受賞じゅしょうのがした作家さっかには小松こまつ左京さきょうほし新一しんいち筒井つつい康隆やすたか広瀬ひろせただしなどがおり、なかでも不利ふりとされるSFを専門せんもん範囲はんいとしさんにわたり落選らくせん筒井つついは、のち別冊べっさつ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうにおいて、直木賞なおきしょうをもじった「ちょく廾賞」の選考せんこう委員いいんたちが皆殺みなごろしにされるという、直木賞なおきしょう選考せんこう批判ひはんてき風刺ふうしした小説しょうせつおおいなる助走じょそう』を発表はっぴょうしている。

近年きんねんでは、大衆たいしゅう文学ぶんがく延長線えんちょうせんじょうされた音楽おんがく小説しょうせつ[9]なるものにも受賞じゅしょうされることがある。 

最年少さいねんしょう最年長さいねんちょう最速さいそく受賞じゅしょう記録きろく

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最年少さいねんしょう受賞じゅしょう記録きろく
順位じゅんい 受賞じゅしょうしゃめい 受賞じゅしょう時期じき 受賞じゅしょう年齢ねんれい
1 つつみ千代ちよ 1940ねん上半期かみはんきだい11かい
22さい10かげつ
2 朝井あさいリョウ 2012ねん下半期しもはんきだい148かい
23さい07かげつ
3 平岩ひらいわ弓枝ゆみえ 1959ねん上半期かみはんきだい41かい
27さい04かげつ
4 山田やまだ詠美えいみ 1987ねん上半期かみはんきだい97かい
28さい05かげつ
5 三浦みうらしをん 2006ねん上半期かみはんきだい135かい
29さい09かげつ
最年長さいねんちょう受賞じゅしょう記録きろく
順位じゅんい 受賞じゅしょうしゃめい 受賞じゅしょうねん 受賞じゅしょう年齢ねんれい
1 星川ほしかわ清司せいじ 1989ねん下半期しもはんきだい102かい0
68さい02かげつ
2 青山あおやま文平ぶんぺい 2015ねん下半期しもはんきだい154かい0
67さい01かげつ
3 古川ふるかわかおる 1990ねん下半期しもはんきだい104かい0
65さい07かげつ
4 黒川くろかわ博行ひろゆき 2014ねん上半期かみはんきだい151かい0
65さい04かげつ
5 佐藤さとう得二とくじ 1963ねん上半期かみはんきだい49かい0
64さい05かげつ
最速さいそく受賞じゅしょう記録きろく
順位じゅんい 受賞じゅしょうしゃめい 受賞じゅしょうねん デビューから
1 中村なかむらただし 1980ねん下半期しもはんきだい84かい0 デビューさく元首げんしゅ謀叛ぼうほん
2 川越かわごえ宗一そういち 2019ねん下半期しもはんきだい162かい0 だい1さく熱源ねつげん
2 藤原ふじわら伊織いおり 1995ねん下半期しもはんきだい114かい0 だい1さくテロリストのパラソル
4 多岐川たきがわきょう 1958ねん下半期しもはんきだい40かい0 だい2さくちる』
まいり 青島あおしま幸男ゆきお 1981ねん上半期かみはんきだい85かい0 はつ小説しょうせつ人間にんげん万事ばんじふさがおう丙午ひのえうま

受賞じゅしょうしゃ一覧いちらん

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上半期かみはんき同年どうねん8がつに、下半期しもはんき翌年よくねん2がつ授賞じゅしょうしきおこなわれる。

だい1 - 10かい

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だい11 - 20かい

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だい21 - 30かい

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だい31 - 40かい

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だい41 - 50かい

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だい51 - 60かい

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だい61 - 70かい

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だい71 - 80かい

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だい81 - 90かい

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だい91 - 100かい

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だい101 - 110かい

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だい111 - 120かい

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だい121 - 130かい

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だい131 - 140かい

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だい141 - 150かい

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だい151 - 160かい

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だい161 - 170かい

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ルポルタージュにっぽん直木賞なおきしょうまるNHK 1980ねん1がつ26にち

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ だい157かい佐藤さとう正午しょうごはデビュー34ねんだい97かい白石しらいし一郎いちろうは32ねんだい142かい佐々木ささきゆずるは30ねんだい122かいのなかにしあやは(小説しょうせつでのデビュー)29ねんだい89かい胡桃沢くるみざわ耕史こうじは28ねんだい148かい安部あべ龍太郎りゅうたろうだい163かいはせほしあまねはともに25ねん受賞じゅしょうである。
  2. ^ いくつかれいげれば、だい17かい受賞じゅしょうまった山本やまもと周五郎しゅうごろうは、ふでれき17ねん著作ちょさくもあり、「新人しんじん新風しんぷうとを紹介しょうかいするてんにこのたねしょう意味いみがあるので、もちろん在来ざいらいもそうであったとはおもいますが、今後こんごもなおそういうものがせんまれてゆくことを希望きぼうしたいとおもいます。」とべて受賞じゅしょう拒絶きょぜつしている。だい26かい受賞じゅしょう久生ひさお十蘭じゅうらんどうかい候補者こうほしゃだった長谷川はせがわ幸延こうえん摂津せっつ茂和しげかずは、すで商業しょうぎょう文芸ぶんげい確固かっこたる地位ちいきずいていた人物じんぶつである。だい36かい受賞じゅしょうこん東光とうこういたっては、35ねん以上いじょうまえ文壇ぶんだん登場とうじょうしていた。また、いまほかにもだい6かい受賞じゅしょう井伏いぶせ鱒二ますじだい24かい受賞じゅしょうだん一雄かずおなどのように、じゅん文芸ぶんげい純文学じゅんぶんがく)ではすでによくられていた人物じんぶつ受賞じゅしょうするケースもあった。そのにも、作品さくひんではなくそれまでの業績ぎょうせきから受賞じゅしょうするということが、当初とうしょからいくとなくおこなわれてきた。むしろ戦後せんご一時期いちじきに、新人しんじん対象たいしょうという当初とうしょ企図きとにたちかえったものの、ながくはつづかなかったというほう実態じったいちかい。
  3. ^ 2002ねん下半期しもはんきだい128かい)で、『はん』で3度目どめ候補こうほがるものの、選考せんこう委員いいんからの「基本きほんてき事実じじつ誤認ごにんがある」という批判ひはんから落選らくせんした横山よこやま秀夫ひでおと、2008ねん下半期しもはんきだい140かい)で、執筆しっぴつ活動かつどう専念せんねんしたいという理由りゆうから『ゴールデンスランバー』が候補こうほになることを辞退じたいした伊坂いさか幸太郎こうたろうげられる。

出典しゅってん

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  1. ^ 直木賞なおきしょう大衆たいしゅう文学ぶんがく人気にんき作家さっかをさらにれる流行りゅうこう作家さっかにする役割やくわりがあります”. asahi.gakujo.ne.jp. asahi.gakujo.ne.jp. 2021ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  2. ^ だい170かい芥川賞あくたがわしょう直木賞なおきしょう候補こうほさく決定けってい NEWS・加藤かとうシゲアキが2度目どめ候補こうほ”. ORIKON (2023ねん12月14にち). 2023ねん12月14にち閲覧えつらん
  3. ^ asahi.com (2008ねん7がつ8にち). “伊坂いさか幸太郎こうたろうさん、直木賞なおきしょう選考せんこう対象たいしょうから辞退じたい”. 2008ねん8がつ4にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ 外部がいぶリンク『直木賞なおきしょうのすべて』の「候補こうほ作家さっかたち」
  5. ^ 川口かわぐちそくひろし直木賞なおきしょう物語ものがたり』339-401ぺーじ
  6. ^ 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう特別とくべつ編集へんしゅう芥川賞あくたがわしょう直木賞なおきしょう150かいぜん記録きろく』331ぺーじ
  7. ^ オール讀物よみもの2019ねん9がつごう34ぺーじ
  8. ^ 日本にっぽん文学ぶんがく振興しんこうかい2019ねん9がつ18にちづけツイッター
  9. ^ 蜜蜂みつばち遠雷えんらい”. movies.yahoo.co.jp. movies.yahoo.co.jp. 2021ねん7がつ13にち閲覧えつらん
  10. ^ a b 芥川賞あくたがわしょう松村まつむら栄子えいこ 直木賞なおきしょう 高橋たかはしよし高橋たかはしかつ”. 朝日新聞あさひしんぶん (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ): p. 朝刊ちょうかん 30. (1992ねん1がつ17にち) 
  11. ^ a b “3よろこかた芥川あくたがわ直木賞なおきしょう授賞じゅしょうしき”. 朝日新聞あさひしんぶん (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ): p. 夕刊ゆうかん 15. (1992ねん2がつ27にち) 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 直木賞なおきしょう物語ものがたり川口かわぐちそくひろしちょ、バジリコ、2014ねん
  • 芥川賞あくたがわしょう直木賞なおきしょう150かいぜん記録きろく文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう特別とくべつ編集へんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2014ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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