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五木寛之 - Wikipedia

五木いつき寛之ひろゆき

作家さっか (1932-)

五木いつき 寛之ひろゆき(いつき ひろゆき、1932ねん昭和しょうわ7ねん9月30にち - )は、日本にっぽん小説しょうせつ随筆ずいひつ福岡ふくおかけん出身しゅっしん旧姓きゅうせい松延まつのぶ(まつのぶ)。日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん

五木いつき 寛之ひろゆき
(いつき ひろゆき)
1967ねん
ペンネーム 五木いつき 寛之ひろゆき
(いつき ひろゆき)
誕生たんじょう 松延まつのぶ 寛之ひろゆき
(まつのぶ ひろゆき)
(1932-09-30) 1932ねん9月30にち(92さい
日本の旗 日本にっぽん
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
随筆ずいひつ
作詞さくし
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん福岡ふくおかけん八女やめぐん
最終さいしゅう学歴がくれき 早稲田大学わせだだいがく文科ぶんか中退ちゅうたい
活動かつどう期間きかん 1966ねん - 1972ねん
1974ねん - 1981ねん
1985ねん -
ジャンル 小説しょうせつ随筆ずいひつ
代表だいひょうさくさらばモスクワ愚連隊ぐれんたい』(1966ねん
あおいざめた』(1967ねん
青春せいしゅんもん』(1970ねん - 2019ねん
戒厳かいげんれいよる』(1976ねん
四季しき奈津子なつこ』(1979ねん
大河たいがいちてき』(1998ねん随筆ずいひつ
親鸞しんらん』(2010ねん
おも受賞じゅしょうれき 小説しょうせつ現代げんだい新人しんじんしょう(1966ねん
直木なおき三十五さんじゅうごしょう(1967ねん
吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう(1976ねん
菊池きくちひろししょう(2002ねん
仏教ぶっきょう伝道でんどう文化ぶんかしょう(2004ねん
NHK放送ほうそう文化ぶんかしょう(2009ねん
毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう特別とくべつしょう(2010ねん
デビューさく 『さらばモスクワ愚連隊ぐれんたい』(1966ねん
配偶はいぐうしゃ 五木いつき玲子れいこ1965ねん - 現在げんざい
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少年しょうねん朝鮮半島ちょうせんはんとうから引揚ひきあげ、早稲田大学わせだだいがく文科ぶんか中退ちゅうたい作詞さくしいえて『さらばモスクワ愚連隊ぐれんたい』でデビュー。『あおいざめた』で直木賞なおきしょう受賞じゅしょうはん体制たいせいてき主人公しゅじんこう放浪ほうろうてきかたデラシネ)や現代げんだいきる青年せいねんニヒリズムえがいて、若者わかもの中心ちゅうしん幅広はばひろそうにブームをこした。そのも『青春せいしゅんもん』をはじめベストセラー多数たすう発表はっぴょう。1990年代ねんだい以降いこうは『大河たいがいちてき』など仏教ぶっきょうとく浄土じょうど思想しそう関心かんしんせた著作ちょさくおおい。

経歴けいれき

編集へんしゅう

編集へんしゅう

1932ねん教員きょういん松延まつのぶしんぞうとカシエの長男ちょうなんとして福岡ふくおかけん八女やめぐんまれる。生後せいごまもなく、日本にっぽん統治とうち時代じだい朝鮮ちょうせんわたり、ちち勤務きんむいて全羅道ぜんらどうきょうしろなど朝鮮ちょうせん各地かくちうつる。少年しょうねん時代じだいは、ちちから古典こてん素読そどく剣道けんどう詩吟しぎんおしえられ、小説しょうせつ物語ものがたりむことをきんじられたが、友人ゆうじんからりた山中やまなか峯太郎みねたろうみなみ洋一郎よういちろう坪田つぼた譲治じょうじ佐々木ささきくに江戸川えどがわ乱歩らんぽなどをかくれて愛読あいどくした[1]だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん平壌ぴょんやんにいたが、ソ連それんぐん進駐しんちゅう混乱こんらんなかはは死去しきょちちとともにおさなおとうといもうとれて38せんえて開城かいじょう脱出だっしゅつし、1947ねん福岡ふくおかけんる。

父方ちちかた祖父そふのいる三潴みずまぐん八女やめぐんなどを転々てんてんとし、行商ぎょうしょうなどのアルバイトで生活せいかつささえた。1948ねん旧制きゅうせい福岡ふくおか県立けんりつはちじょ中学校ちゅうがっこう入学にゅうがくゴーゴリチェーホフし、同人どうじん参加さんかしてユーモア小説しょうせつ掲載けいさい福岡ふくおか県立けんりつ福島ふくしま高等こうとう学校がっこう入学にゅうがくしてからはツルゲーネフドストエフスキーなどをみ、テニス新聞しんぶんはいって創作そうさく小説しょうせつ映画えいが評論ひょうろん掲載けいさいした。1952ねん早稲田大学わせだだいがくだいいち文学部ぶんがくぶ文科ぶんか入学にゅうがく横田よこた瑞穂みずほおしえをけ、ゴーリキーなどをあさり、また音楽おんがくきだった両親りょうしん影響えいきょうで、ジャズ流行りゅうこうにも興味きょうみった。生活せいかつにも苦労くろうし、みでの業界ぎょうかい配達はいたつなど様々さまざまなアルバイトやうれをしてらした。『こおかわ』『現代げんだい芸術げいじゅつ』などの同人どうじん参加さんかし、また詩人しじん三木みきたくともう。1957ねん学費がくひ未納みのう早稲田大学わせだだいがくを抹籍された(後年こうねん作家さっかとして成功せいこう未納みのう学費がくひおさめ、抹籍から中途ちゅうと退学たいがくあつかいとなる)。また、このころちちくす。

作家さっかとして

編集へんしゅう

大学だいがく抹籍以降いこうそうげいプロしゃでラジオのニュース番組ばんぐみづくりなどいくつかの仕事しごとて、業界ぎょうかい交通こうつうジャーナル』編集へんしゅうちょうつとめるかたわら、知人ちじん音楽家おんがくか加藤かとういわおろう紹介しょうかい三木みきトリロー主宰しゅさいするさんげいしゃでジングルのヴァース(CMソングの部分ぶぶん)の仕事しごとはじめる。CM仕事しごといそがしくなって新聞しんぶんほう退社たいしゃし、CM音楽おんがくしょうであるABCしょうなん受賞じゅしょう。PR編集へんしゅうや、『いえひかり』『地上ちじょうなどでのルポルタージュコラムの執筆しっぴつ、テレビ工房こうぼうはい放送ほうそう台本だいほん作家さっかとしてTBS『みんなでうたおう!』などのテレビやラジオ番組ばんぐみ構成こうせいおこなう。また野母のもゆう小川おがわ健一けんいちと3にんで「TVペンクラブ」をげ、NHKテレビ歌謡かよう寄席よせ制作せいさく、『うたのえほん』『いいものつくろ』構成こうせいなどをがける。大阪おおさか労音ろうおん依頼いらい創作そうさくミュージカルをき、クラウンレコード創立そうりつさいして専属せんぞく作詞さくしとしてむかえられ、学校がっこう教育きょういくセクションに所属しょぞくし、童謡どうよう主題歌しゅだいかなどやく80きょく作詞さくしした。

1965ねんには、石川いしかわけん選出せんしゅつ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(のち金沢かなざわ市長しちょうおか良一りょういちむすめで、学生がくせい時代じだいから交際こうさいしていたおか玲子れいこ結婚けっこんおか親類しんるい跡継あとつぎがなかった五木いつきせい名乗なのる。日本にっぽんでの仕事しごと片付かたづけて、1965ねんにかねてからあこがれのであったソビエト連邦れんぽう北欧ほくおうつまとともにたびする。帰国きこく精神せいしんをしていたつま郷里きょうり金沢かなざわで、マスコミから距離きょりいてらし、小説しょうせつ執筆しっぴつりかかる。

1966ねん、『さらばモスクワ愚連隊ぐれんたい』によりだい6かい小説しょうせつ現代げんだい新人しんじんしょう受賞じゅしょうつづだい55かい直木賞なおきしょう候補こうほとなった。どうさく堀川ほりかわ弘通ひろみち監督かんとくにより映画えいがされるなど、五木いつき出世しゅっせさくとなったが、後述こうじゅつのエッセイ『ふうかれて』によると登場とうじょう人物じんぶつ少年しょうねん(ミーシャ)はソ連それん首都しゅとモスクワ出会であったジャズきの少年しょうねんをモデルとしており、作中さくちゅうには「非行ひこう少年しょうねん」を意味いみするロシアの「スチリャーガ」という言葉ことばてくる。映画えいがさいしてはこうした描写びょうしゃ問題もんだいしたちゅうにちソ連それん大使館たいしかんから「ソ連それん否定ひていてき側面そくめんのみを拡大かくだい誇張こちょうしてかれたはんてき作品さくひん」とつよ圧力あつりょくくわわり、現地げんちロケもみとめられなかった。そして五木いつき自身じしん発表はっぴょうから20ねん以上いじょう、1988ねんまでソ連それん再訪さいほうすることはできなかった[2]

1966ねんには馬淵まぶちげんさんをモデルにした小説しょうせつつや』も発表はっぴょうどうさく舛田ますだ利雄としお監督かんとくにより『わがいのちうた つや』として映画えいがされるなど、音楽おんがくジャンル「演歌えんか」の確立かくりつおおきくかかわる。

1967ねんソ連それん作家さっか小説しょうせつ出版しゅっぱんめぐ陰謀いんぼうげきあおいざめた』でだい56かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょう同年どうねん週刊しゅうかん読売よみうり』に連載れんさいされたエッセイ『ふうかれて』は、刊行かんこうから2001ねんまでの単行本たんこうぼん文庫本ぶんこぼん合計ごうけいで460まんたっした。1967ねんにはわかいジャズ・トランペッターの冒険ぼうけんえがいた『青年せいねん荒野あらのをめざす』を『平凡へいぼんパンチ』に連載れんさいし、同名どうめいきょく自身じしん作詞さくしザ・フォーク・クルセダーズうたってヒットした。1969ねんには雑誌ざっし週刊しゅうかん現代げんだい』で『青春せいしゅんもん掲載けいさい開始かいしした。

1970ねん神奈川かながわけん横浜よこはま移住いじゅう。テレビ番組ばんぐみとおくへきたい』でえい六輔ろくすけ野坂のさかあきら伊丹いたみ十三じゅうざらと制作せいさくくわわった。

きゅうひつ以後いご

編集へんしゅう

1972ねんからいち度目どめきゅうひつはいる。きゅうひつ期間きかんちゅう1973ねん金沢かなざわ出身しゅっしん文豪ぶんごういずみ鏡花きょうかにちなんだいずみ鏡花きょうか文学ぶんがくしょういずみ鏡花きょうか記念きねん金沢かなざわ市民しみん文学ぶんがくしょう設立せつりつかかわり、創設そうせつ以来いらい審査しんさ委員いいんつとめる。また1973ねん7がつごうから12がつごうまで『面白おもしろ半分はんぶん編集へんしゅうちょうつとめる。

1974ねん執筆しっぴつ活動かつどう再開さいかいリチャード・バックかもめのジョナサン』の翻訳ほんやく刊行かんこう、ベストセラーとなる。1975ねん、『日刊にっかんゲンダイ』でエッセイ『ながされゆく日々ひび』の連載れんさい開始かいしした。このエッセイは、2023ねん時点じてんつづ長寿ちょうじゅ連載れんさいとなる(2008ねん連載れんさい8000かい世界せかい最長さいちょうコラムとしてギネス世界せかい記録きろく認定にんてい2016ねんには連載れんさい10000かい達成たっせい[注釈ちゅうしゃく 1]。このころから頸肩うで症候群しょうこうぐんなやまされるようになる。1976ねん、『青春せいしゅんもん筑豊ちくほうへん』により、だい10かい吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう

1980ねん仕事しごと手伝てつだっていた5さいおとうとくした。そのしん痛手いたでから[3]1981ねんからはふたた執筆しっぴつ活動かつどうを3年間ねんかん[3]休止きゅうしし、京都きょうとうつ龍谷大りゅうこくだいがく聴講生ちょうこうせいとなり、仏教ぶっきょう仏教ぶっきょうまなぶ。蓮如れんにょによるこう組織そしきになどに関心かんしんった[4]以後いご蓮如れんにょについては、講演こうえん、エッセイ、戯曲ぎきょくなどでさかんにげており、テレビ『NHK人間にんげん大学だいがく』でかたった内容ないようは『蓮如れんにょ 聖俗せいぞく具有ぐゆう人間像にんげんぞう』として刊行かんこうされた。戯曲ぎきょく蓮如れんにょ われふかふちより』は蓮如れんにょひゃく回忌かいき記念きねん前進ぜんしん公演こうえんで、あらし圭史けいし主演しゅえん上演じょうえんされた。

1984ねん山岳さんがくみん伝説でんせつ題材だいざいにした『ふう王国おうこく』で、執筆しっぴつ活動かつどう再開さいかいした。1985ねん国鉄こくてつのキャンペーン「エキゾチックジャパン」をプロデュース[5]。1987ねんトルコ、1988ねんソ連それんロシア)、東西とうざいベルリン、1990ねんポーランドソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいの1992ねんにロシア再訪さいほうなど、世界せかい各地かくち精力せいりょくてきまわる(『世界せかい漂流ひょうりゅう』による)。ポーランドの民主みんしゅ革命かくめいさいには「ワレサはポーランドの蓮如れんにょである」と発言はつげんして物議ぶつぎをかもした[4]吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう坪田つぼた譲治じょうじ文学ぶんがくしょう小説しょうせつすばる新人しんじんしょう選考せんこう委員いいんなどもつとめ、とく直木賞なおきしょう選考せんこう委員いいんは1978ねんから32年間ねんかんにわたりつとめた。1998ねんには『大河たいがいちてき』がベストセラーとなり、2001ねんどうタイトルが映画えいがされるなど、五木いつきらない世代せだいにもそのらしめた。2002ねん菊池きくちひろししょう受賞じゅしょう。2003ねんから2年間ねんかん全国ぜんこくの100の仏教ぶっきょう寺院じいんめぐり『ひゃくてら巡礼じゅんれい』を執筆しっぴつ2004ねん仏教ぶっきょう伝道でんどう文化ぶんかしょう2009ねんにはNHK放送ほうそう文化ぶんかしょう受賞じゅしょう2010ねんには『親鸞しんらんじょうしたにより、だい64かい毎日まいにち出版しゅっぱん文化ぶんかしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょうした。2022ねん日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいん選出せんしゅつされる。

しょうれき

編集へんしゅう

選考せんこう委員いいん

編集へんしゅう

また『面白おもしろ半分はんぶん編集へんしゅうちょう時代じだいには「日本にっぽん腰巻こしまき文学ぶんがく大賞たいしょう」を創設そうせつしている[9]

作品さくひん

編集へんしゅう

小説しょうせつ

編集へんしゅう

初期しょき作品さくひんには、朝鮮ちょうせんからげて福岡ふくおか東京とうきょう金沢かなざわうつんだ経歴けいれきからくるデラシネ思想しそうにじむ。ジャズをテーマにしたデビューさく『さらばモスクワ愚連隊ぐれんたい』『GIブルース』そして長篇ちょうへんうみていたジョニー』などや、演歌えんか世界せかいえがいた『つや』など音楽おんがく題材だいざいにしたもの、あこがれのであった北欧ほくおう舞台ぶたいにした『きりのカレリヤ』などがある。これらは『小説しょうせつ現代げんだい』『オール読物よみもの』などの中間ちゅうかん小説しょうせつ発表はっぴょうされたが、五木いつき自身じしん作品さくひんしゅう『さらばモスクワ愚連隊ぐれんたい後記こうきで「自分じぶん作品さくひんを、いわゆる中間ちゅうかん小説しょうせつとも大衆たいしゅう文学ぶんがくともおもってはいない。わたし純文学じゅんぶんがく対応たいおうするエンターテインメント、つまり〈読物よみもの〉をいたつもりである。」とべている。『あおいざめたよ』は1966ねんアンドレイ・シニャフスキーユーリ・ダニエル作品さくひん西側にしがわ諸国しょこく出版しゅっぱんして逮捕たいほされた事件じけん着想ちゃくそうて、「伝奇でんき小説しょうせつてきなスケールのおおきさ」「地理ちりてきなスケールをこえて、近来きんらいるいない精神せいしん宇宙うちゅうのサスペンス・ドラマ」「詩的してきねつっぽく潔癖けっぺき文章ぶんしょう」(いま官一かんいち[10])、「人間にんげんの、人間にんげんたいする差別さべつ人間にんげんたいする侮辱ぶじょく残酷ざんこくさ、(りゃく)それをえがこうとするあなたの文学ぶんがくんでいると、ものすごい未来みらいかんじるんだ」(羽仁はに五郎ごろう[11])といった賞賛しょうさんた。

はつ週刊しゅうかん連載れんさい青年せいねん荒野あらのをめざす』は、ゲーテウィルヘルム・マイスターの遍歴へんれき時代じだい』をモデルにしたジャズミュージシャンの海外かいがい遍歴へんれき小説しょうせつで、連載れんさい開始かいしには「現代げんだいのインターナショナルなものと、ナショナルなものの衝突しょうとつこころみよう」とかたっており、また連載れんさい終了しゅうりょう続編ぞくへんくつもりでいたが、ついにかれることはなく、これはインターナショナルなもののかくとしてとらえられていたジャズが、その音楽おんがくシーンの変化へんかにおいてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく国粋こくすい音楽おんがくとして国家こっか権力けんりょく保護ほごかれるようになったという五木いつき見解けんかいによるとも指摘してきされている[12]

金沢かなざわ時代じだいスペイン内戦ないせん関心かんしんち、1967ねんから68ねんにかけて『週刊文春しゅうかんぶんしゅん』に連載れんさいした『はだかまち』から『スペインの墓標ぼひょう』『戒厳かいげんれいよる』へとつづく、現代げんだい題材だいざいにとった系列けいれつがある。また1967ねんに『スポーツニッポン』に連載れんさいした『おおかみのブルース』はいわゆる事件じけん主人公しゅじんこうとする社会しゃかいアクション小説しょうせつで、物語ものがたり終盤しゅうばんでは政治せいじ権力けんりょく利用りようされたことをさとった主人公しゅじんこうが「テロは敗北はいぼくしゃ抵抗ていこうだ。だが――」と自問じもんするなど、五木いつき作品さくひんにしてはめずらしく暴力ぼうりょくてきなものへの志向しこうをうかがわせる異色いしょくさく[注釈ちゅうしゃく 2]。そのためか、ほんさくは1970ねんまで書籍しょせき見送みおくられた。一方いっぽう少年しょうねんから居住きょじゅう転々てんてんえたことから、定住ていじゅう放浪ほうろう生活せいかつへの関心かんしんつよ[14]、1968ねん5月革命かくめいただなかフランス首都しゅとパリ旅行りょこうしたとき体験たいけんまえた『デラシネのはた』などがある。

こうした硬派こうは作品さくひんぐん一方いっぽう、1967ねんから68ねんにかけて地方紙ちほうし7連載れんさいした『恋歌こいうた以後いご恋愛れんあい小説しょうせつ精力せいりょくてき発表はっぴょう。1968ねんから76ねんまで足掛あしかけ8ねんわたって『婦人ふじんほう』に連載れんさいした『朱鷺ときはか』はにち戦争せんそう題材だいざいにとったスケールのおおきな恋愛れんあい小説しょうせつ。また『水中花すいちゅうか』『夜明よあけのタンゴ』『ふゆのひまわり』『かなしみのおんな』はネオ・シティロマンとしょうされた。こうした硬軟こうなんぜたアプローチについて、1度目どめきゅうひつ最初さいしょ作品さくひんとなる『こおかわ[注釈ちゅうしゃく 3]のあとがきでは「革命かくめいだの学問がくもんだのが男子だんし一生いっしょう仕事しごとであるならば、おとこおんなれたはれたもまた人生じんせいだい事業じぎょうだ。」としるしている。

自伝じでんてき作品さくひんおおく、『こがねむしたちのよる』(1969ねん)は学生がくせい時代じだいの、同学どうがく友人ゆうじん高杉たかすぎすすむわれ三木みきたく川崎かわさき彰彦あきひこ野川のがわこうらとの生活せいかつをモデルにしたもの[15]。また代表だいひょうさくでもある『青春せいしゅんもん』は少年しょうねん時代じだいんだ筑豊ちくほう舞台ぶたいに、独特どくとくの「キリクサン」とばれるきびきびした気質きしついだ主人公しゅじんこう成長せいちょうビルドゥングスロマンてき作品さくひんで、だいはちまでがれる大作たいさくとなった。

デラシネ(根無ねなぐさ)を自認じにんする五木いつきではあるが、金沢かなざわへのおもいはことのほかつよいようで、金沢かなざわやその近郊きんこう舞台ぶたいにした作品さくひんには『あさかわ暮色ぼしょく』(主計しゅけいまち舞台ぶたい)、『風花かざばなのひと』(尾山おやままち舞台ぶたい)、『朱鷺ときはか』(卯辰山うたつやま東山ひがしやま茶屋ちゃやがい舞台ぶたい)、『聖者せいじゃまちへやってきた』(香林坊こうりんぼう中央ちゅうおう公園こうえん舞台ぶたい)、『小立野こだちの刑務所けいむしょうら』、『金沢かなざわ望郷ぼうきょう』などがあり、『内灘うちなだ夫人ふじん』ではかつて学生がくせい時代じだい内灘うちなだ闘争とうそう経験けいけんした女性じょせいかたえがいている。『恋歌こいうた』でも内灘うちなだ出身しゅっしん女性じょせいてくる。

また金沢かなざわはかつて尾山おやま御坊ごぼう金沢かなざわ御堂みどう)を拠点きょてんたたかわれた加賀かが一向いっこう一揆いっき震源しんげんでもあり、2度目どめきゅうひつちゅうにその思想しそうてき指導しどうしゃだった蓮如れんにょ興味きょうみち、蓮如れんにょ主人公しゅじんこうとする戯曲ぎきょく蓮如れんにょ われふかふちより』や小説しょうせつ蓮如れんにょ物語ものがたり』をあらわした。さらに近年きんねん浄土真宗じょうどしんしゅう宗祖しゅうそである親鸞しんらん生涯しょうがいつづ大河たいが小説しょうせつ親鸞しんらん』3さくあらわすなど、当初とうしょ現代げんだいてき作風さくふうからは様変さまがわりした創作そうさく活動かつどうひろげている。

  • さらばモスクワ愚連隊ぐれんたい』(作品さくひんしゅう講談社こうだんしゃ 1967ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • あおいざめた』(作品さくひんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1967ねん、のち文庫ぶんこ
  • うみていたジョニー』(作品さくひんしゅう講談社こうだんしゃ 1967ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 青年せいねん荒野あらのをめざす文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1967ねん(『平凡へいぼんパンチ』1967ねん3がつ27にち-10月30にちごう)、のち文庫ぶんこ
  • まぼろしおんな』(作品さくひんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1968ねん、のち文庫ぶんこ
  • はだかまち文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1968ねん、のち文庫ぶんこ
  • おとこだけの世界せかい中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1968ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • 恋歌こいうた講談社こうだんしゃ 1968ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『ソフィアのあき』(海外かいがい小説しょうせつしゅう講談社こうだんしゃ 1969ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 内灘うちなだ夫人ふじん新潮社しんちょうしゃ 1969ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 朱鷺ときはか新潮社しんちょうしゃ 1969-1978ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ(1970ねん、NHK連続れんぞくドラマ。1973ねん松竹しょうちく現代げんだいげき
    • 朱鷺ときはか そらふえあきら』1969ねん
    • 朱鷺ときはか 風花かざばなあきら』1970ねん
    • 朱鷺ときはか あい怨のあきら』1972ねん
    • 朱鷺ときはか 流水りゅうすいあきら』1978ねん
  • 『デラシネのはた文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1969ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 『ヒットラーの遺産いさん』(作品さくひんしゅう光文社こうぶんしゃカッパ・ノベルス 1969ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • なみだかわをふりがえれ』(作品さくひんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1970ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • おおかみのブルース』講談社こうだんしゃ 1970ねん(『スポーツニッポン』1967ねん3がつ1にち-9月30にち)、のち旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『こがねむしたちのよる』(作品さくひんしゅう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1970ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 青春せいしゅんもん講談社こうだんしゃ、1970ねん-2016ねん、のち文庫ぶんこどう新版しんぱん
    • 筑豊ちくほうへん (1970ねん
    • 自立じりつへん (1971ねん-1972ねん
    • 放浪ほうろうへん (1973ねん-1974ねん
    • 堕落だらくへん (1976ねん-1977ねん
    • 望郷ぼうきょうへん (1979ねん
    • 再起さいきへん (1980ねん
    • 挑戦ちょうせんへん (1993ねん
    • 風雲ふううんへん (2016ねん
  • 樹氷じゅひょう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1970ねん のち文庫ぶんこ
  • 白夜はくや物語ものがたり』(北欧ほくおう小説しょうせつしゅう角川書店かどかわしょてん 1970ねん、のち文庫ぶんこ
  • よんがつ海賊かいぞくたち』(作品さくひんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1971ねん、のち文庫ぶんこ旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 『にっぽんさんじゅう』(うえした新潮社しんちょうしゃ 1971ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『ユニコーンのたび』(作品さくひんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1971ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 『わがにくしみのイカロス』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1972ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • ばとつ』新潮社しんちょうしゃ 1972ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 変奏曲へんそうきょく新潮社しんちょうしゃ 1973ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • よるのドンキホーテ』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1973ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 『にっぽん退屈たいくつとう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1973ねん、のち文庫ぶんこ
  • 白夜はくや草紙ぞうし文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1975ねん(『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』1971ねん1-12月ごう)、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 『スペインの墓標ぼひょう実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1976ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、『哀愁あいしゅうのパルティータ 南欧なんおう小説しょうせつしゅう集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 戒厳かいげんれいよる新潮社しんちょうしゃ 1976ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • こおかわ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1976ねん、のち文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ初出しょしゅつ朝日新聞あさひしんぶん連載れんさい
  • 海峡かいきょう物語ものがたり講談社こうだんしゃ 1977ねん、のち文庫ぶんこ双葉ふたば文庫ぶんこ
  • はるかなるカミニト角川書店かどかわしょてん 1977ねん、のち文庫ぶんこ
  • えるあき角川書店かどかわしょてん 1978ねん、のち文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 日ノ影ひのかげむら一族いちぞく文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1978ねん、のち文庫ぶんこ
  • あさかわ暮色ぼしょく文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1978ねん、のち文庫ぶんこ
  • 風花かざばなのひと』講談社こうだんしゃ 1979ねん(『小説しょうせつ現代げんだい』1979ねん1-5がつごう)、のち文庫ぶんこ
  • 水中花すいちゅうか新潮社しんちょうしゃ 1979ねん、のち文庫ぶんこ
  • 四季しき奈津子なつこ集英社しゅうえいしゃ 1979ねん(『MORE』1977ねん7がつ-1979ねん7がつごう)、のち文庫ぶんこ
    • 四季しき波留はる集英社しゅうえいしゃ 1987ねん、のち文庫ぶんこ
    • 四季しきぬの由子ゆうこ集英社しゅうえいしゃ 1992ねん、のち文庫ぶんこ
    • 四季しき亜紀子あきこ集英社しゅうえいしゃ 2000ねん、のち文庫ぶんこ
  • おとこおんなのあいだには』新潮社しんちょうしゃ 1979ねん、のち文庫ぶんこ
  • 夜明よあけのタンゴ』新潮社しんちょうしゃ 1980ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『さかしまに』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1981ねん、のち文庫ぶんこ
  • とりうた講談社こうだんしゃ 1982ねん(『読売新聞よみうりしんぶん』1977ねん10がつ28にち-1978ねん10がつ15にち)、のち文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • ふう王国おうこく新潮社しんちょうしゃ 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • ふゆのひまわり』新潮社しんちょうしゃ 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『ヤヌスのくび文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『メルセデスの伝説でんせつ講談社こうだんしゃ 1985ねん、のち文庫ぶんこ
  • たび幻灯げんとう』(自伝じでん小説しょうせつ講談社こうだんしゃ 1986ねん、のち文庫ぶんこ
  • かなしみのおんな新潮社しんちょうしゃ 1986ねん、のち文庫ぶんこ
  • たびおわりに』サンケイ出版しゅっぱん 1986ねん、のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ双葉ふたば文庫ぶんこ
  • やましれ!ぎゃくハンぐれんたい』part 1-13 講談社こうだんしゃ 1986ねん-1990ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『ガウディのなつ角川書店かどかわしょてん 1987ねん、のち文庫ぶんこ
  • しゅなつおんなたち』文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく 1987ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 大人おとな時間じかん新潮社しんちょうしゃ 1987ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『フランチェスカのかね新潮社しんちょうしゃ 1988ねん、のち文庫ぶんこ
  • あめにはくるまをみがいて角川書店かどかわしょてん 1988ねん、のち文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 奇妙きみょうあじ物語ものがたり集英社しゅうえいしゃ 1988ねん、のち文庫ぶんこ
  • 金沢かなざわ望郷ぼうきょう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1989ねん、のち文庫ぶんこ
  • 野火のび冒険ぼうけん角川書店かどかわしょてん 1990ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『ワルシャワのつばめたち』集英社しゅうえいしゃ 1991ねん、のち文庫ぶんこ
  • れたにはかがみをわすれて』角川書店かどかわしょてん 1992ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『レッスン』光文社こうぶんしゃ 1992ねん、のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『ステッセルのピアノ』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1993ねん、のち文庫ぶんこ
  • 蓮如れんにょ物語ものがたり角川書店かどかわしょてん 1995ねん、のち文庫ぶんこ
  • 物語ものがたりもりぜんちゅう短篇たんぺんベストセレクション』東京書籍とうきょうしょせき 1996ねん
  • 『ハオハオてい忘憂ぼうゆうろく角川書店かどかわしょてん「ハオハオ!」文庫ぶんこ 1998ねん
  • 『サイレント・ラブ』角川書店かどかわしょてん 2002ねん
  • 親鸞しんらん』(うえした講談社こうだんしゃ 2010ねん、のち文庫ぶんこ
  • 親鸞しんらん 激動げきどうへん』(うえした講談社こうだんしゃ 2012ねん、のち文庫ぶんこ
  • 『怨歌の誕生たんじょう』(たん編集へんしゅう双葉ふたば文庫ぶんこ 2013ねん[注釈ちゅうしゃく 4]
  • 親鸞しんらん 完結かんけつへん』(うえした講談社こうだんしゃ 2014ねん、のち文庫ぶんこ
  • 金沢かなざわあかりざか』(たん編集へんしゅう文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 2015ねん


戯曲ぎきょく

編集へんしゅう
  • 蓮如れんにょ われふかふちより』中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1995ねん(『中央公論ちゅうおうこうろん』1995ねん1-4がつごう)のち文庫ぶんこ
  • たびおわりに』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう平成へいせい梁塵りょうじんしょうげきシリーズ) 2002ねん、のち文庫ぶんこ

随筆ずいひつ評論ひょうろん

編集へんしゅう

1979ねんから80ねんにかけて、『GORO誌上しじょう対談たいだん+音楽おんがくかいの「ろんらくかい」を連載れんさいだい1かい渋谷しぶや)では岡本おかもと太郎たろうソンコ・マージュらがゲスト、だい2かい原宿はらじゅく)では平岡ひらおか正明まさあき山崎やまざきハコふじ真利子まりこだい3かい早稲田わせだ)、だい4かい帯広おびひろ)、だい5かい銀座ぎんざ)、だい6かい福岡ふくおか)で開催かいさいされ、『五木いつき寛之ひろゆきろんらくかい うたいながらよるけ』として書籍しょせきされた。

1999ねんに『家庭かていほう』で、塩野しおの七生しちしょうとのローマでの対談たいだん異邦いほうじん対談たいだん」を1年間ねんかん連載れんさいきな俳優はいゆうとして佐分利さぶりしんもり雅之まさゆき久我くが美子よしこルイ・ジューヴェフランソワーズ・アルヌールげている(『おとなにん午後ごご』)。

  • ふうかれて』読売新聞社よみうりしんぶんしゃ 1968ねん、のち角川かどかわ文庫ぶんこ。のち新潮しんちょう文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこしお文庫ぶんこ旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 『にっぽん漂流ひょうりゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1970ねん、のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 五木いつき寛之ひろゆきほんKKベストセラーズ、1970ねん
  • 『ゴキブリのうた毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1971ねん。のち新潮しんちょう文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 地図ちずのないたび講談社こうだんしゃ、1972ねん。のち文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ新潮しんちょう文庫ぶんこ集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 深夜しんや自画像じがぞうそうじゅしゃ、1974ねん。のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • そうへの旅立たびだち』河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1975ねん。のち文庫ぶんこ
  • 異国いこく街角まちかどで』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1975ねん。のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 深夜しんや草紙ぞうしぜん6かん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1976ねん~1981ねん。のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • おとこおんなをみつめるとき』主婦しゅふ生活社せいかつしゃ、1979ねん。のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 重箱じゅうばこすみ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1979ねん重箱じゅうばこ(『夕刊ゆうかんフジ』1975ねん12がつ10日とおか~1976ねん4がつ11にち)、のち文庫ぶんこ
  • 『なにをみますか? おんなおとこのスクランブル会話かいわじょう主婦しゅふ生活社せいかつしゃ、1980ねん
  • うたいながらよる五木いつき寛之ひろゆきろんらくかい小学館しょうがくかん、1981ねん。のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 『ポケットのなか記憶きおく エッセイしょう主婦しゅふ生活社せいかつしゃ、1982ねん。のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • ながされゆく日々ひびぜん10かんPHP研究所けんきゅうじょ、1983ねん~1985ねん。のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • わすれえぬ女性じょせいたち』集英社しゅうえいしゃ、1985ねん
    のち改題かいだい『ふりむかせるおんなたち』角川かどかわ文庫ぶんこ、1995ねん
  • 『ふりけばタンゴ』ネスコ、1987ねん。のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • ぼくのみつけたもの』集英社しゅうえいしゃ、1988ねん。のち文庫ぶんこ
  • 世界せかい漂流ひょうりゅう集英社しゅうえいしゃ、1992ねん。のち文庫ぶんこ
  • 午後ごご自画像じがぞう角川書店かどかわしょてん、1992ねん。のち文庫ぶんこ
  • 『ちいさなものみつけた』集英社しゅうえいしゃ、1993ねん。のち文庫ぶんこ
  • 日本にっぽんまぼろしろん新潮社しんちょうしゃ、1993ねん講演こうえんしゅう)、のち文庫ぶんこ
  • 『ソフィアのうた新潮社しんちょうしゃ、1994ねん6がつ20日はつか。のち新潮しんちょう文庫ぶんこ、1997ねん7がつ1にち初出しょしゅつは『小説しょうせつ新潮しんちょう』1992ねん5がつごう~7がつごうで、『ソフィアのうた 巡礼じゅんれい』のタイトルで短期たんき集中しゅうちゅう連載れんさいされた。こちらは大黒屋だいこくや光太夫こうだゆうかえったとされる「ソフィアのうた」がテーマで、短編たんぺん小説しょうせつ『ソフィアのあき』(1969)とはまったべつ作品さくひんにつき注意ちゅうい
  • きるヒント』ぜん5かん文化出版局ぶんかしゅっぱんきょく、1993ねん~1997ねん。のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • ふう旅人たびびとへの手紙てがみ旅行りょこう読売よみうり出版しゅっぱんしゃ、1993ねん
    のち改題かいだい旅人たびびとよ!』角川かどかわ文庫ぶんこ、1996ねん
  • 蓮如れんにょ 聖俗せいぞく具有ぐゆう人間像にんげんぞう岩波いわなみ新書しんしょ、1994ねん
  • 『みみずくの散歩さんぽ幻冬舎げんとうしゃ、1994ねん。のち文庫ぶんこ
  • ふうまぼろしきょうぜんエッセイ・ベストセレクション』東京書籍とうきょうしょせき、1994ねん
  • 『みみずくの宙返ちゅうがえり』幻冬舎げんとうしゃ、1994ねん。のち文庫ぶんこ
  • わかともよ。わか友人ゆうじんへの28つう手紙てがみ幻冬舎げんとうしゃ、1995ねん
    のち改題かいだいともよ。』幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ、1998ねん
  • 日記にっき じゅうだいからろくじゅうだいまでのメモリー』岩波いわなみ新書しんしょ、1995ねん
  • あおとりのゆくえ』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1995ねん。のち角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 『デビューのころ』集英社しゅうえいしゃ、1995ねん
    のち改題かいだいぼくはこうして作家さっかになった』幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ、2005ねん
  • 『こころ・と・からだ』集英社しゅうえいしゃ、1996ねん。のち文庫ぶんこ
  • 他力たりき だい乱世らんせいきるいち〇〇のヒント』講談社こうだんしゃ、1998ねん。のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ
  • 夜明よあけをちながら』東京書籍とうきょうしょせき 1998ねん
    のち改題かいだい人生じんせい案内あんない角川かどかわ文庫ぶんこ、2000ねん。のち原題げんだいさい改題かいだい幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ
  • 大河たいがいちてき幻冬舎げんとうしゃ、1998ねん。のち文庫ぶんこ幻冬舎げんとうしゃ新書しんしょゴールド。
  • ふう記憶きおく角川書店かどかわしょてん、1999ねん。のち文庫ぶんこ
  • 人生じんせい目的もくてき幻冬舎げんとうしゃ、1999ねん。のち文庫ぶんこ
  • 休日きゅうじつ 退屈たいくつ時間じかんをどうあそぶか』集英社しゅうえいしゃ新書しんしょ、1999ねん
  • 『こころの天気てんき講談社こうだんしゃ、2000ねん。のち文庫ぶんこ
  • 『よろこびノートかなしみノート』朝日出版社あさひしゅっぱんしゃ、2000ねん
  • ふう言葉ことば 五木いつき寛之ひろゆきベストセレクション』東京書籍とうきょうしょせき、2001ねん
  • 日本人にっぽんじんのこころ』ぜん6かん講談社こうだんしゃ、2001ねん~2002ねん
  • じょうちから 日本人にっぽんじんのこころしょう講談社こうだんしゃ、2002ねん
  • あいかんするじゅうしょう角川書店かどかわしょてん、2002ねん
    のち改題かいだいあいについて:人間にんげんかんする12しょう角川かどかわ文庫ぶんこ、2004ねん
  • 運命うんめい足音あしおと幻冬舎げんとうしゃ、2002ねん。のち文庫ぶんこ
  • 不安ふあんちから集英社しゅうえいしゃ、2003ねん。のち文庫ぶんこ
  • ひゃくてら巡礼じゅんれいぜん10かん講談社こうだんしゃ、2003ねん~2005ねん。のち文庫ぶんこ
  • 『みみずくのよるメール』ぜん2かん 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 2003ねん~2005ねん。のち幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ
  • きる言葉ことば 五木いつき寛之ひろゆきのパワートーク』幻冬舎げんとうしゃ、 2003ねん
  • ひゃくたびせんたび小学館しょうがくかん、2004ねん
  • たびのヒント』東京書籍とうきょうしょせき、2004ねん
  • 元気げんき じんはみな元気げんきまれ元気げんきうみかえる』幻冬舎げんとうしゃ、2004ねん。のち文庫ぶんこ
  • 養生ようじょう実技じつぎ つよいカラダでなく』角川かどかわoneテーマ21、2004ねん
  • 『みみずくの日々ひび好日こうじつ幻冬舎げんとうしゃ、2004ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきこころの新書しんしょぜん11かん講談社こうだんしゃ
  • 天命てんめい東京書籍とうきょうしょせき、2005ねん。のち幻冬舎げんとうしゃ文庫ぶんこ
  • 同行どうこうにんじょう 五木いつき寛之ひろゆきひゃくてら巡礼じゅんれい講談社こうだんしゃ、2006ねん
  • しんふうかれて』講談社こうだんしゃ、2006ねん
  • 『21世紀せいき仏教ぶっきょうへのたび
    • インドへん 講談社こうだんしゃ、2006ねん
    • 朝鮮半島ちょうせんはんとうへん 講談社こうだんしゃ、2007ねん
    • 中国ちゅうごくへん 講談社こうだんしゃ、2007ねん
    • ブータンへん 講談社こうだんしゃ、2007ねん
    • 日本にっぽん・アメリカへん 講談社こうだんしゃ、2007ねん
  • はやしじゅう幻冬舎げんとうしゃ、2007ねん。のち文庫ぶんこ
  • 『わが人生じんせいうたがたり 昭和しょうわ哀歓あいかん角川書店かどかわしょてん、2007ねん。のち文庫ぶんこ
    • 『わが人生じんせいうたがたり 昭和しょうわ青春せいしゅん角川書店かどかわしょてん、2008ねん。のち文庫ぶんこ
  • 人間にんげん関係かんけいポプラ社ぽぷらしゃ、2007ねん。のち文庫ぶんこ
  • ぼく出会であった作家さっか作品さくひん 五木いつき寛之ひろゆき選評せんぴょうしゅう東京書籍とうきょうしょせき、2010ねん
  • かなしみの効用こうよう祥伝社しょうでんしゃ、2011ねん
  • 下山げざん思想しそう幻冬舎げんとうしゃ新書しんしょ、2011ねん
  • 海外かいがいばん ひゃくてら巡礼じゅんれい』(ぜん6かん講談社こうだんしゃ、2011ねん
  • しん老人ろうじん思想しそう幻冬舎げんとうしゃ新書しんしょ、2013ねん
  • かくされた日本にっぽん 中国ちゅうごく関東かんとう サンカのみん差別さべつ世界せかい筑摩書房ちくましょぼう〈ちくま文庫ぶんこ〉、2014ねん
  • 孤独こどくちから東京書籍とうきょうしょせき、2014ねん
  • つえことば ことわざりょくみがくと逆境ぎゃっきょうつよくなる』学研がっけんパブリッシング、2014ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆき金沢かなざわさんぽ』講談社こうだんしゃ、2015ねん
  • 養生ようじょうのヒント』ちゅうけい出版しゅっぱん、2015ねん
  • 余命よめい これからの時間じかんをいかにゆたかにきるか』祥伝社しょうでんしゃ、2015ねん
  • うたたびびと』(うえした潮出版社うしおしゅっぱんしゃ、2015ねん
  • いやろう社会しゃかいえて』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2015ねん
  • 自分じぶんという奇蹟きせき』PHP研究所けんきゅうじょ〈PHP文庫ぶんこ〉、2015ねん
  • 『ただきていく、それだけで素晴すばらしい』PHP研究所けんきゅうじょ、2016ねん
  • 『はじめての親鸞しんらん新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう新書しんしょ〉、2016ねん
  • 無意味むいみ人生じんせいなど、ひとつもない』PHP研究所けんきゅうじょ、2017ねん
  • 孤独こどくのすすめ 人生じんせい後半こうはんかた中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょラクレ〉、2017ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきとめぐる 金沢かなざわ四季しきぬりえ』ワニブックス、2017ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきひゃくてら巡礼じゅんれいぬりえ 京都きょうと 1』集英社しゅうえいしゃ、2017ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきひゃくてら巡礼じゅんれいぬりえ 京都きょうと 2』集英社しゅうえいしゃ、2017ねん
  • ひゃくさい人生じんせいきるヒント』日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ日経にっけいプレミアシリーズ〉、2017ねん
  • 健康けんこうというやまい幻冬舎げんとうしゃ幻冬舎げんとうしゃ新書しんしょ〉、2017ねん
  • 『マサカの時代じだい新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう新書しんしょ〉、2018ねん
  • 人生じんせいひゃくねん時代じだいの「こころ」と「からだ」のととのかた』PHP研究所けんきゅうじょ、2018ねん
  • ななさい年下とししたきみたちへ: こころがくじけそうになったに』新潮社しんちょうしゃ、2018ねん
  • わたし親鸞しんらん - 孤独こどくりそうひと』新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう選書せんしょ〉、2021ねん
  • 一期一会いちごいちえひとびと』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2022ねん
  • しん思想しそう新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう新書しんしょ〉、2022ねん
  • しん地図ちずのないたび』Ⅰ・Ⅱ 平凡社へいぼんしゃ、2023ねん

共著きょうちょ対談たいだん

編集へんしゅう

翻訳ほんやく

編集へんしゅう

外国がいこくやく

編集へんしゅう
  • Tariki: Embracing Despair, Discovering Peace translated by Joseph Robert, Kodansha Ltd, 2001※2002ねん、Foreword Reviewsが選定せんていするForeword INDIES Book of the Year AwardsのSpirituality/Inspirational books部門ぶもん銅賞どうしょう受賞じゅしょう
  • Rennjo přeložila Věra Dudmanová, Baobab, 2008※『蓮如れんにょ物語ものがたり』のチェコやく
  • The Kingdom of the Wind translated by Meredith McKinney, Thames River Press, 2014※『ふう王国おうこく』の英訳えいやく
  • Königreich des Windes aus dem Japanischen von Isolde Kiefer-Ikeda, Angkor Verlag, 2015※『ふう王国おうこく』のドイツ語どいつごやく

作品さくひんしゅう

編集へんしゅう
  • 現代げんだい長編ちょうへん文学ぶんがく全集ぜんしゅうだい53)五木いつき寛之ひろゆき講談社こうだんしゃ、1969ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆき作品さくひんしゅうぜん24かん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1972ねん~1974ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆき小説しょうせつ全集ぜんしゅうぜん35かん講談社こうだんしゃ、1979ねん~1981ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきエッセイ全集ぜんしゅうぜん12かん講談社こうだんしゃ、1979ねん~1980ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきクラシック小説しょうせつしゅうぜん5かん(CD book)小学館しょうがくかん、1996ねん
  • 五木いつき寛之ひろゆきぜん紀行きこうぜん6かん東京書籍とうきょうしょせき、2002ねん~2003ねん
  • 平凡へいぼんパンチ 五木いつき寛之ひろゆき 時代じだいける作家さっか』マガジンハウス、2015ねん(「真夜中まよなかのコーヒーブレイク」(『平凡へいぼんパンチ』1976ねん)、フランシス・コッポラとの対談たいだんなどを収録しゅうろく
  • 五木いつき寛之ひろゆきコレクション』東京書籍とうきょうしょせき、2022ねん

音楽おんがく作品さくひん

編集へんしゅう

作家さっかデビューまえには「のぶひろし」のペンネームでおおくのCMソングを作詞さくしし、清酒せいしゅ富久とみひさむすめ日本にっぽんもり日石にっせき灯油とうゆ花王かおう石鹸せっけん東京とうきょうトヨペットレナウン神戸製鋼こうべせいこうなどをがけ、「日本にっぽんもりはよいおさけ」のなが使つかわれた。テレビ工房こうぼう名義めいぎの「日石にっせき灯油とうゆ」は、社名しゃめいえ(日石にっせき灯油とうゆ日石にっせき三菱みつびし→ENEOS灯油とうゆ)つつ現在げんざい使つかわれている。

CM以外いがいがけたなかには、日本石油にほんせきゆ野球やきゅう応援おうえん、「国産こくさんひん愛用あいよううた」などもある。クラウンレコード時代じだい作品さくひん「そんなあさでした」(高石たかいしかつうた)は「ねむの子守こもり」のBめんとして発売はつばいされてよいげとなった[16]立原たちはらみさきのペンネームで「たびおわりに」(かんむり二郎じろうとう作詞さくしした。また、五木いつき寛之ひろゆきでは「青年せいねん荒野あらのをめざす」(ザ・フォーク・クルセダーズ)、「金沢かなざわ望郷ぼうきょう」(松原まつばら健之けんし)、「あい水中花すいちゅうか」(松坂まつさか慶子けいこ)などの作詞さくしがけている。

かずすくないが作曲さっきょくおこなった作品さくひんがあり、名義めいぎは「作詞さくし五木いつき寛之ひろゆき作曲さっきょく立原たちはらみさき」としている。

作詞さくし作曲さっきょく

編集へんしゅう

メディア出演しゅつえん

編集へんしゅう
  • NHK特集とくしゅう エルミタージュ 華麗かれいなる殿堂でんどう - NHK名作めいさくせん(動画どうが静止せいし) NHKアーカイブス(1988ねん
  • 教育きょういくテレビスペシャル「五木いつき寛之ひろゆきのわがしんのロシア」(NHK教育きょういく)  (1)(2)ともかく45ふん
    • (1)『ペテルブルグ悲歌ひか詩人しじんアフマートワの生涯しょうがい』(1992ねん4がつ9にち) 革命かくめい人民じんみん無縁むえん頽廃たいはいてき詩人しじん」の烙印らくいんされ沈黙ちんもくいられた女流じょりゅう詩人しじんアフマートワ(1889-1966)の生涯しょうがい辿たどる。ペテルブルクロケ。
    • (2)『モスクワはわすれない ~吟遊詩人ぎんゆうしじん・ヴィソツキーのうた』(1992ねん4がつ16にち) その強烈きょうれつ体制たいせい批判ひはんゆえに、生前せいぜんソ連それん国内こくないではレコードをせなかったシンガーソングライターのヴィソツキー(1938-1980)。それでもかれ評判ひょうばんくちコミでぜんソにひろまってった。モスクワロケ。
  • 五木いつき寛之ひろゆきスペシャル『うた国境こっきょうえて』(日本にほんテレビ、1992ねん5がつ4にち) 
ノート:ロイヤルナイツ#新旧しんきゅう「ソフィアのうた』も参照さんしょう

大黒屋だいこくや光太夫こうだゆう日本にっぽんかえったとされる通称つうしょう「ソフィアのうた」(『きた槎聞りゃく』に歌詞かしのみ記録きろく)を辿たどたびだが、五木いつき触発しょくはつされて作詞さくし作曲さっきょくした『ソフィアの子守こもりうた』のロシアばん番組ばんぐみちゅう披露ひろうされている。ペテルブルクロケ[注釈ちゅうしゃく 7]ロイヤルナイツ山下やました健二けんじ同行どうこう共演きょうえんぜん90ふん(CMふくむ)。だい30かい(1992年度ねんど)ギャラクシーしょう奨励しょうれいしょう受賞じゅしょう[22]

人物じんぶつ

編集へんしゅう
  • 小説しょうせつのほか、作詞さくし創作そうさくミュージカル、放送ほうそう番組ばんぐみ構成こうせいなど、マルチな分野ぶんや大量たいりょう仕事しごとをこなす「多作たさく天才てんさいはだ」というパブリックイメージを当人とうにんとしても自覚じかくしていたところがあるようで、はやいうちからつくっていた「年譜ねんぷ」には「なに文字もじいたか」が記録きろくとしてえられている。
  • 1970ねんに『毎日新聞まいにちしんぶん』に連載れんさいしたエッセイ「ゴキブリのうた」でメロンパンきなことをいたところ反響はんきょうび、講演こうえんかい自宅じたくにファンからメロンパンが多量たりょうおくられる経験けいけんをした。これを当人とうにんは「メロンパンひつぶく事件じけん」とんでいる。
  • 女優じょゆう黒木くろきひとみは、五木いつき同郷どうきょうということで、芸名げいめい名付なづおやになった。また、歌手かしゅ五木いつきひろし芸名げいめいは、当時とうじ人気にんき作家さっかであった五木いつき寛之ひろゆきからとって、プロデューサーの山口やまぐち洋子ようこづけたものである。ほかにも五木いつき名付なづおやになったれいおおく、「金沢かなざわ望郷ぼうきょう」の松原まつばら健之けんし五木いつきひろしに紹介しょうかいし、デビューのきっかけをつくったのも五木いつきで、芸名げいめい五木いつき寛之ひろゆきの「これ」のもらっている。また、女優じょゆう裕木ゆうき奈江なえ芸名げいめい五木いつき命名めいめいであることがられている。さらには見城けんじょうとおる社長しゃちょうつとめる出版しゅっぱんしゃである幻冬舎げんとうしゃ名付なづおやだとされる。
  • かもめのジョナサン』1974年版ねんばん翻訳ほんやくしながら、内容ないよう違和感いわかんおぼえたことを、あとがき「ひとつのなぞとして -『かもめのジョナサン』をめぐる感想かんそう-」のなか五木いつき正直しょうじき告白こくはくしている。この「違和感いわかん」は、『サンデさんで毎日まいにち』1974ねん7がつ21にちごうでもげられたが[23]五木いつき批判ひはんてき読者どくしゃ意見いけんせるなど、五木いつきのスタンスは当時とうじかならずしも全面ぜんめんてき支持しじされていたわけではない。が、後年こうねん一連いちれんオウム真理教おうむしんりきょう事件じけんののち1995ねん暗殺あんさつされた村井むらい秀夫ひでお幹部かんぶが、生前せいぜん「『かもめのジョナサン』をんで出家しゅっけ決意けついした」とかたっていたことから、五木いつきの「違和感いわかん」もともさい注目ちゅうもくされることになった。
その、2014ねんの『かもめのジョナサン 完成かんせいばん』(1974年版ねんばんにはかったさい終章しゅうしょうく)の翻訳ほんやく五木いつきがけたが、1974ねんばんおぼえた「違和感いわかん」はまった解決かいけつしていない、と五木いつき森本もりもとあんりとの対談たいだんかたっている[24]
  • 楽曲がっきょくゴーストライター事件じけんこしたむら河内かわうちまもるすキーマンてき役割やくわりたしたとされる[25]。2007ねん正月しょうがつに5連続れんぞくNHKBS2放送ほうそうされた『五木いつき寛之ひろゆき 21世紀せいき仏教ぶっきょうへのたび』では、五木いつき要望ようぼう番組ばんぐみ音楽おんがく制作せいさくむら河内かわち実際じっさいはゴーストライター)が担当たんとうした[25]どう番組ばんぐみ度々たびたびさい放送ほうそうされたが、事件じけん発覚はっかくはNHKの番組ばんぐみウェブページから削除さくじょされ、オンデマンド放送ほうそうでも視聴しちょうできなくなった[26]
  • はん世紀せいき以上いじょうよるがた人間にんげんだったが、2020ねんには、一連いちれん新型しんがたコロナ対策たいさくキャンペーン生活せいかつにより、自然しぜんひるがた人間にんげんになった[29]
  • 2022ねん1がつ刊行かんこうした『てないかた』(マガジンハウス)や同年どうねん4がつの『毎日新聞まいにちしんぶん』インタビュー[31]で、「だん捨離」ブームにたいして、自分じぶんは「モノをてることはめったにしない」とかたっている。自身じしん性格せいかくが「へそまがり」ということにくわえて、修理しゅうりしながらはん世紀せいきけているズボンやジャケットなど様々さまざまものおも他人たにんとのいの記憶きおく宿やどっている「だい」であること、さらに大量たいりょう生産せいさん大量たいりょう消費しょうひ大量たいりょう廃棄はいきから「再生さいせい」への経済けいざい潮流ちょうりゅう変化へんか、さらに自身じしん体験たいけん難民なんみんのように「てられた」人々ひとびと悲劇ひげきてきたこと、鎮護ちんご国家こっかから庶民しょみん個人こじんを「てない」思想しそう転換てんかんした鎌倉かまくら仏教ぶっきょうへのおもいなどをふくめて「てる」「てない」をかんがえているという。

原作げんさく映画えいが

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし、このエッセイは1週間しゅうかんにわたって引用いんようつづくこともあるなど、自著じちょ過去かこ連載れんさい記事きじ引用いんようすることがおおい。
  2. ^ 五木いつきは1976ねんおこなわれた大藪おおやぶ春彦はるひことの対談たいだん両者りょうしゃ共通きょうつうする体験たいけんかたりあいつつ「ぼくなんかも、自分じぶんまもるために、刃物はものまわしたりよくやりましたけど、知力ちりょく自分じぶんまもるなんて、かんがえられなかったですね」「その意味いみでは、暴力ぼうりょくというものにたいして、いまでも一概いちがい否定ひていできないわけです。つまり、暴力ぼうりょくはもたざるものの最後さいご武器ぶきじゃないかと」[13]べるなど、ほんさくつうずる暴力ぼうりょくかんかされている。
  3. ^ タイトルは早稲田大学わせだだいがく文科ぶんか時代じだいのクラス雑誌ざっし由来ゆらいする。
  4. ^ 1960年代ねんだいから70年代ねんだいにかけて発表はっぴょうされた「つや」「なみだかわをふりがえれ」「われはうたへど」「怨歌の誕生たんじょう」の4へん収録しゅうろく表題ひょうだいさくの「怨歌の誕生たんじょう」(『オール読物よみもの』1970ねん10がつごう掲載けいさいのタイトルは「実録じつろく・怨歌の誕生たんじょう」)はふじ圭子けいこをめぐる実録じつろく小説しょうせつで、このとし8がつ急逝きゅうせいしたふじ圭子けいこ追悼ついとう出版しゅっぱんという体裁ていさいになっている。
  5. ^ a b c 1991ねん10がつ19にち[19]鈴鹿すずかろんらくかい(於・鈴鹿すずか文化ぶんか会館かいかん[19])にて初演しょえん[20]鈴鹿すずかろんらくかいF1前夜祭ぜんやさいとして決勝けっしょうレースのぜんばん開催かいさいされていた。
  6. ^ 1991ねん10がつ、『汽車きしゃはちる』などの訳詞やくし作品さくひんとも鈴鹿すずかろんらくかいにて初演しょえんさらよく1992ねん5がつ放映ほうえい五木いつき寛之ひろゆきスペシャル『うた国境こっきょうえて』(日本にほんテレビ)のメインテーマとなった(後述こうじゅつ「メディア出演しゅつえん・テレビ」参照さんしょう)。うたにまつわる全体ぜんたい経緯けいい五木いつき『ソフィアのうた』(新潮社しんちょうしゃ・1994ねん6がつ新潮しんちょう文庫ぶんこ1997ねん7がつ)にくわしい。JASRACのデータベース J-WIDでは作曲さっきょくしゃらんは「ロシア民謡みんよう」となっているが(2023ねん6がつ現在げんざい)、同書どうしょれい(ハードカバー p.109、文庫ぶんこ p.97)では「~ロシアうたいより~ 五木いつき寛之ひろゆき作詞さくし作曲さっきょく」。
  7. ^ 現地げんちロケのうち五木いつき出演しゅつえん場面ばめん大半たいはんはペテルブルクロケだが、モスクワ場面ばめんワガニコフスコエ墓地ぼちでのヴィソツキーエセーニン墓参ぼさん)も若干じゃっかんはいる。また番組ばんぐみではウクライナキエフ民謡みんよう楽団がくだん取材しゅざいされているが、五木いつきはウクライナロケには登場とうじょうしていない。

出典しゅってん

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  1. ^ 高橋たかはし康雄やすお孤立こりつかん共生きょうせいかん」(『海峡かいきょう物語ものがたり講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ、1982ねん
  2. ^ 五木いつき『よみがえるロシア』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1992ねん7がつ)p.113。オクジャワとの対談たいだんくこととうたうことと」。
  3. ^ a b 朝日新聞あさひしんぶん・1993ねん8がつ8にち(朝刊ちょうかん)、総合そうごうだい3めん「ひと 作家さっか 五木いつき寛之ひろゆきさん」。
  4. ^ a b 三浦みうら雅士まさしによるインタビュ「なぜいま戯曲ぎきょくくのか」(『蓮如れんにょ-われふかふちより-』中公ちゅうこう文庫ぶんこ、1998ねん
  5. ^ 『エキゾチックジャパンあたらしいたび感覚かんかくひろずみ出版しゅっぱんしゃ 1985ねん澄田すみた信義のぶよしとの対談たいだん「エキゾチックジャパンとはなにか」)
  6. ^ だい3かい 日本にっぽん作詩さくし大賞たいしょう昭和しょうわ45ねん) - 日本にっぽん作詩さくし協会きょうかい(2020ねん4がつ21にち閲覧えつらん
  7. ^ 『レコだい司会しかい、2ねん連続れんぞく安住あんじゅうアナ&仲間なかま由紀恵ゆきえ クマムシに特別とくべつしょう”. ORICON STYLE (2015ねん11月20にち). 2015ねん11月20にち閲覧えつらん
  8. ^ 日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかいしょう江戸川えどがわ乱歩らんぽしょうデータ”. 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかい. 2022ねん12月26にち閲覧えつらん
  9. ^ ぼく出会であった作家さっか作品さくひん 五木いつき寛之ひろゆき選評せんぴょうしゅう
  10. ^ 北国きたぐに新聞しんぶん」1967ねん1がつ29にちづけ
  11. ^ 五木いつき寛之ひろゆき討論とうろんしゅう ばこふねったあと』
  12. ^ 木本きもといたる(『青年せいねん荒野あらのをめざす』文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 1974ねん
  13. ^ 森村もりむら誠一せいいち船戸ふなと与一よいち へん問題もんだい小説しょうせつ増刊ぞうかんごう 大藪おおやぶ春彦はるひこ世界せかいえる野獣やじゅう徳間書店とくましょてん、1996ねん7がつ、138ぺーじ 
  14. ^ 漂泊ひょうはくしゃ思想しそう」(『日本にっぽんまぼろしろん新潮社しんちょうしゃ 1993ねん
  15. ^ 川崎かわさき彰彦あきひこ解説かいせつ」(『こがねむしたちのよる角川書店かどかわしょてん 1972ねん
  16. ^ ぼくはこうして作家さっかになった デビューのころ』
  17. ^ 五木いつきながされゆく日々ひび 鈴鹿すずかでうたう子守こもりうた」(1)(『日刊にっかんゲンダイ』1991ねん10がつ22にち)および(4)(同紙どうし同年どうねん10がつ25にち)。
  18. ^ 作曲さっきょくしゃJASRACデータベース J-WIDにて確認かくにん作曲さっきょくパブリック・ドメインあつかい(2023ねん6がつ現在げんざい)。
  19. ^ a b 「ことしも19にちに「鈴鹿すずかろんらくかい」 「うた国境こっきょうえ」テーマに 五木いつき寛之ひろゆき阿木あぎ燿子さんら 多彩たさい出演しゅつえんしゃ」(『中日新聞ちゅうにちしんぶん』1991ねん10がつ10日とおか(朝刊ちょうかん)・三重みえばん(三重みえ))。
  20. ^ 五木いつき『ソフィアのうた』(新潮社しんちょうしゃ・1994ねん6がつ新潮しんちょう文庫ぶんこ1997ねん7がつ) Ⅴ「F1レースと鈴鹿すずかの〈ろんらくかい〉」より、ハードカバー p.110、文庫ぶんこ p.98。
  21. ^ a b 五木いつきながされゆく日々ひび 鈴鹿すずかでうたう子守こもりうた」(4)(『日刊にっかんゲンダイ』1991ねん10がつ25にち)。
  22. ^ データベース>ギャラクシーしょう”. NPO法人ほうじん 放送ほうそう批評ひひょう懇談こんだんかい. 2022ねん11月23にち閲覧えつらん
  23. ^ サンデさんで毎日まいにち』1974ねん7がつ21にちごう、pp.25-27「大人おとなのファンタジー 『かもめのジョナサン』のまれかた」。
  24. ^ 中央公論ちゅうおうこうろん』2019ねん1がつごう、pp.22-35、対談たいだん正統せいとうなき異端いたん時代じだいに」五木いつき寛之ひろゆき森本もりもとあんり。「ジョナサン」への違和感いわかんは、pp.26-27で言及げんきゅうされている。
  25. ^ a b むら河内かわうちまもるのゴーストライター騒動そうどう封印ふういんされたしん事実じじつlivedoorニュース(2014ねん12月16にち
  26. ^ 五木いつき寛之ひろゆき 21世紀せいき仏教ぶっきょうへのたび - NHKオンデマンド・ホームページ
  27. ^ 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん朝刊ちょうかんだい1めん春秋しゅんじゅう」2021ねん9がつ19にち
  28. ^ 五木いつき寛之ひろゆきさん「てないかた」をかたる”. NHKウェブサイト. (2022ねん4がつ7にち). https://www3.nhk.or.jp/news/special/sci_cul/2022/04/story/20220407001/ 2022ねん7がつ27にち閲覧えつらん インタビューききてNHK高瀬たかせ耕造こうぞうアナ。
  29. ^ 五木いつき寛之ひろゆき「コロナだい転換てんかんを"他力たりきふう"にえたわたし技法ぎほう”. PRESIDENT Online(プレシデントオンライン) (2020ねん10がつ2にち). 2021ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  30. ^ 五木いつき寛之ひろゆきながされゆく日々ひび連載れんさいだい11,171かい「デジタル難民なんみんごと(2)」”. 日刊にっかんゲンダイDIGITAL (2021ねん7がつ6にち). 2021ねん7がつ9にち閲覧えつらん
  31. ^ 論点ろんてん】「だん捨離」こう 五木いつき寛之ひろゆきてない」かたにこだわり×やましたひでこ「てて」人生じんせいたのしむ毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん2022ねん4がつ20日はつかオピニオンめん(2022ねん6がつ29にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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