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檀一雄 - Wikipedia

だん一雄かずお

1912-1976, 小説しょうせつ作詞さくし

だん 一雄かずお(だん かずお、1912ねん明治めいじ45ねん2がつ3にち - 1976ねん昭和しょうわ51ねん1がつ2にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ作詞さくし料理りょうり

だん 一雄かずお
(だん かずお)
1955ねん
誕生たんじょう (1912-02-03) 1912ねん2がつ3にち
山梨やまなしけん南都留みなみつるぐん谷村たにむらまち
げん都留つる
死没しぼつ (1976-01-02) 1976ねん1がつ2にち(63さいぼつ
福岡ふくおかけん福岡ふくおかひがし
九州大学きゅうしゅうだいがく病院びょういん
墓地ぼち 福岡ふくおかけん柳川やないご福厳寺ふくげんじ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく経済学部けいざいがくぶ
活動かつどう期間きかん 1935ねん - 1976ねん
主題しゅだい 放浪ほうろう
古典こてん説話せつわのオマージュ
人間にんげん宿痾しゅくあ
料理りょうり
文学ぶんがく活動かつどう 無頼ぶらいしん戯作げさく
代表だいひょうさくリツ子りつこ・そのあい』(1950ねん
リツ子りつこ・その』(1950ねん
長恨ちょうこん』(1951ねん
しんせつ石川いしかわ五右衛門ごえもん』(1951ねん
火宅かたくひと』(1961ねん - 1975ねん
おも受賞じゅしょうれき 野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう(1944ねん
直木なおき三十五さんじゅうごしょう(1951ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう(1976ねん
日本にっぽん文学ぶんがく大賞たいしょう(1976ねん
デビューさく 「此家の性格せいかく
配偶はいぐうしゃ 高橋たかはし律子りつこ(1941ねん - 1946ねん
山田やまだヨソ(1946ねん -1976ねん
子供こども だん太郎たろう長男ちょうなん
次郎じろう次男じなん
小弥太こやた三男さんなん
だんふみ長女ちょうじょ
さと(次女じじょ
親族しんぞく 高岩たかいわあわ異父いふおとうと
かさたい異父いふいもうと
だん一平いっぺいふとしまご
ウィキポータル 文学ぶんがく
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私小説ししょうせつ歴史れきし小説しょうせつ料理りょうりほんなどでられる。「最後さいご無頼ぶらい作家さっか文士ぶんしともいわれた。また、西遊せいゆう日本語にほんご抄訳しょうやくもある(東京とうきょうそうもとしゃほか)。

代表だいひょうさくは、律子りつこ夫人ふじん没後ぼつごえがいた『リツ子りつこ そのあい』『リツ子りつこ その』、時代じだい娯楽ごらく作品さくひん人気にんきがあり『しんせつ石川いしかわ五右衛門ごえもん』(1950ねんだい24かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょう)、『夕日ゆうひ拳銃けんじゅう』など、また20ねん以上いじょうわたり、がれライフワークとなった遺作いさく火宅かたくひと』(1986ねん東映とうえい異父いふおとうとのプロデューサーの高岩たかいわあわ企画きかく深作ふかさく欣二きんじ監督かんとく緒形おがたけん主演しゅえんにより映画えいが)など。

長女ちょうじょ女優じょゆうだんふみ長男ちょうなんはエッセイストのだん太郎たろう[1]いもうと左翼さよく活動かつどうでイラストレーターのだん寿美としみ作家さっか嵐山あらしやま光三郎こうざぶろうとは嵐山あらしやま編集へんしゅうしゃ時代じだいから親交しんこうあつかった。

来歴らいれき

編集へんしゅう

山梨やまなしけん南都留みなみつるぐん谷村たにむらまち現在げんざい都留つる下谷しもたに[2]図案ずあん技師ぎしとして、県立けんりつ工業こうぎょう試験場しけんじょうつとめていたちちまいりろうはは・とみの長男ちょうなんとしてまれる。檀家だんか本籍ほんせき福岡ふくおかけん山門やまとぐん沖端おきのはたむらげん柳川やないご)で、柳川やながわはん普請ふしんかたつとめた家柄いえがらであった。ちちまいりろう山梨やまなし県立けんりつ工業こうぎょう学校がっこう図画ずが教員きょういんで、繊維せんい工業こうぎょう試験場しけんじょう嘱託しょくたくねていた。1914ねん大正たいしょう3ねん)、ちち退職たいしょくしたため福岡ふくおかもどる。よく1915ねん大正たいしょう4ねん)、まいりろう画業がぎょう修行しゅぎょうのため上京じょうきょうして谷中たになかむが、生活せいかつ困窮こんきゅう翌年よくねんにはふたた帰郷ききょうし、ははとみの実家じっかである久留米くるめむ。栃木とちぎけん足利あしかが尋常じんじょう高等こうとう小学校しょうがっこうかようが、1924ねん大正たいしょう13ねん)には両親りょうしん離婚りこんする。このとしには栃木とちぎ県立けんりつ足利あしかが中学校ちゅうがっこう進学しんがく

1928ねん昭和しょうわ3ねん)には福岡ふくおか高等こうとう学校がっこう文科ぶんかおつるい入学にゅうがく。このころには同人どうじん製作せいさくして小説しょうせつ発表はっぴょうしており、社会しゃかい主義しゅぎ読書どくしょかいへも参加さんかして停学ていがく処分しょぶんけた。1932ねん昭和しょうわ7ねん)、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく経済学部けいざいがくぶ入学にゅうがく1933ねん昭和しょうわ8ねん)、同人どうじん新人しんじん』を創刊そうかんし、処女しょじょさく「此家の性格せいかく」を発表はっぴょう[3]瀧井たきい孝作こうさくはやし房雄ふさおらの賞賛しょうさんけ、尾崎おざき一雄かずお紹介しょうかいされる。同年どうねん太宰だざいおさむ井伏いぶせ鱒二ますじ知遇ちぐうあおいだ佐藤さとう春夫はるおともる。このとしには11ねんぶりにははとみと再会さいかいしている。1934ねん昭和しょうわ9ねん)、古谷ふるや綱武つなたけ同人どうじんばん』を創刊そうかんするがごう廃刊はいかん太宰だざいおさむ中原なかはら中也ちゅうやもりあつしらと『あおはな』を創刊そうかん翌年よくねん日本にっぽんなみ曼派合流ごうりゅうする。

1936ねん昭和しょうわ11ねん)、「夕張ゆうばりえびすていじゅく景観けいかん」がだい2かい芥川賞あくたがわしょう候補こうほとなる。『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう』に出世しゅっせさく花筐はながたみ」を発表はっぴょう1937ねん昭和しょうわ12ねん)、にちちゅう戦争せんそう勃発ぼっぱつにより召集しょうしゅう久留くるべいどく立山たてやま砲兵ほうへいだい3連隊れんたい入隊にゅうたい大陸たいりく出征しゅっせい1940ねん昭和しょうわ15ねん)に軍務ぐんむ終了しゅうりょうなるも帰国きこくせず、そのまま満州まんしゅうたびする。1941ねん昭和しょうわ16ねん)、ははすすめで福岡ふくおか開業医かいぎょういむすめ高橋たかはし律子りつこ婚約こんやくし、翌年よくねん結婚けっこん1943ねん昭和しょうわ18ねん)に長男ちょうなん太郎たろう誕生たんじょうする。1944ねん昭和しょうわ19ねん)には陸軍りくぐん報道ほうどうはんいんとしてふたた大陸たいりくわたる。このあいだ律子りつこちょう結核けっかく罹患りかん翌年よくねん帰国きこくした一雄かずお献身けんしんてき看病かんびょうおこなったが、律子りつこ1946ねん昭和しょうわ21ねん)に死去しきょ

同年どうねん児童じどう文学ぶんがくしゃ与田よだ準一じゅんいち紹介しょうかい福岡ふくおかけん山門やまとぐん瀬高せたかまちげんみやま)の酒造しゅぞうむすめ山田やまだヨソ再婚さいこんし、上京じょうきょう石神井しゃくじいきょかまえる。1948ねん昭和しょうわ23ねん)に太宰だざい自殺じさつしたのち坂口さかぐち安吾あんごとも交流こうりゅうをもつ。

 
はやし忠彦ただひこ撮影さつえい (昭和しょうわ24ねん)1949ねん

1950ねん昭和しょうわ25ねん)、先妻せんさいである律子りつこえがいた連作れんさくリツ子りつこ・そのあい」、「リツ子りつこ・その」にて文壇ぶんだん復帰ふっき1951ねん昭和しょうわ26ねん)「長恨ちょうこん」「しんせつ石川いしかわ五右衛門ごえもん」の2さくにて直木賞なおきしょう受賞じゅしょう[4]

まゆみ舞台ぶたい女優じょゆう入江いりえ杏子きょうこ愛人あいじん関係かんけいにあった。入江いりえ石神井しゃくじい自宅じたくにしばしば出入でいりしていたが、1956ねん昭和しょうわ31ねん)、青森あおもりけん東津軽ひがしつがるぐん蟹田かにたまちげんそと浜町はまちょう)の太宰だざいおさむ文学ぶんがく除幕じょまくしき同行どうこうしたさい男女だんじょ関係かんけいとなり、そのままやまうえホテル同棲どうせいをはじめた。入江いりえ杏子きょうことの生活せいかつそして破局はきょくえがいたのが代表だいひょうさく火宅かたくひと』である。1961ねん昭和しょうわ36ねん)、「火宅かたくひと」の最初さいしょいちへんである「微笑びしょう」が文芸ぶんげい新潮しんちょう』に発表はっぴょうされ、その連作れんさくとして各誌かくし発表はっぴょうされた。しかし以後いご執筆しっぴつ遅々ちちとしてすすまず一旦いったん中断ちゅうだんした。

1968ねん1がつより1974ねん3月(20ごう)まで季刊きかん文芸ぶんげいポリタイア」を編集へんしゅう発行はっこうした。この実質じっしつてきなスポンサーは、ともに詩作しさく経験けいけんがあるこう政隆まさたか参議院さんぎいん議員ぎいん近畿大学きんきだいがく総長そうちょう)と麻生あそうりょうかた衆議院しゅうぎいん議員ぎいん)であった。

1970ねん昭和しょうわ45ねん)11月より1972ねん昭和しょうわ47ねん)2がつまでポルトガルのサンタ・クルス(リスボン近郊きんこうTorres Vedrasなかにある漁村ぎょそん)に滞在たいざい1974ねん昭和しょうわ49ねん)、福岡ふくおか西にし能古島のことう自宅じたく購入こうにゅう転居てんきょつきつぼほら(げっこどう)とづけた。1975ねん昭和しょうわ50ねん)にまゆみ悪性あくせいはいガンのため九州大学きゅうしゅうだいがく医学部いがくぶ付属ふぞく病院びょういん入院にゅういん。『火宅かたくひと』を再開さいかいし、病床びょうしょう最終さいしゅうあきら「キリギリス」を、口述こうじゅつ筆記ひっきにて完成かんせいさせ遺作いさくとなった。1976ねん昭和しょうわ51ねん1がつ2にち死去しきょした。享年きょうねん63。死後しご、『火宅かたくひと』で昭和しょうわ51年度ねんど読売よみうり文学ぶんがくしょう追贈ついぞうされた。戒名かいみょうのうだけいん殿どの檀林だんりんげんゆう居士こじ[5]

1977ねん昭和しょうわ52ねん)、おわりじゅうとなった能古島のことう文学ぶんがくてられ、その文面ぶんめんにはまゆみ辞世じせいとなった「モガリふえ 幾夜いくよもがらせ はな逢はん」ときざまれ、毎年まいとし5がつだい3日曜日にちようびにはまゆみしのぶ「はな逢忌」がこのいしぶみまえおこなわれている。また、まゆみはか故郷こきょう柳川やながわ福厳寺ふくげんじてられている。

1991ねん平成へいせい3ねん)から1992ねん平成へいせい4ねん)に、『だん一雄かずお全集ぜんしゅう』(ぜん8かん別巻べっかん沖積舎ちゅうせきしゃ実質じっしつ作品さくひんしゅう)が刊行かんこうされた。

人物じんぶつ

編集へんしゅう
 
中年ちゅうねんまゆみ
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  むすめ女優じょゆうだんふみとのツーショット
  • 太宰だざいおさむとは盟友めいゆうっていいほど関係かんけいであり、とく出会であった1933ねんから召集しょうしゅう交友こうゆう途絶とだえる1937ねんまでのあいだ連日れんじつのようにっての放蕩ほうとう三昧ざんまいであった[6]。おたがいつぶれたあげく太宰だざい自殺じさつちかけられ、ともにガスを使つかって実行じっこうしかけたこともある[7]。また秋沢あきさわ三郎さぶろうからは酒席しゅせきで「太宰だざい腰巾着こしぎんちゃく」と揶揄やゆされ、激怒げきどしたまゆみはその秋沢あきさわなぐった(ただし秋沢あきさわとはその親交しんこうつづいた)。まゆみ当初とうしょより太宰だざい才能さいのうたか評価ひょうかし、2度目どめったときには直接ちょくせつきみは、天才てんさいですよ」とげた[8]太宰だざい没後ぼつご小説しょうせつ 太宰だざいおさむ』(新版しんぱん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ)を執筆しっぴつしている。
  • まゆみが9さいとき実母じつぼ出奔しゅっぽんし、またちち料理りょうりつくれなかったこと、そして小学校しょうがっこうがっていないいもうとが3にんいたことからやむなく料理りょうりはじめた経緯けいいがあるが[9]結果けっかまゆみ文壇ぶんだん屈指くっし料理人りょうりにんとしてとおした。著書ちょしょにも『まゆみりゅうクッキング』、『美味びみ放浪ほうろう』、『わが百味ひゃくみ真髄しんずい』があり、その造詣ぞうけいふかさがうかがえる(新版しんぱん かく中公ちゅうこう文庫ぶんこBIBLIO)。また、まゆみ旅先たびさきでも地元じもと食材しょくざいもとめ、自宅じたく編集へんしゅうしゃ友人ゆうじんらにみずかうでをふるって料理りょうり振舞ふるまっていたという。長男ちょうなんだん太郎たろうとそのつま晴子はるこいで、著書ちょしょ複数ふくすう刊行かんこうしている。
  • だん自身じしん転勤てんきんぞくだったちち影響えいきょうためか「帰巣きそう本能ほんのうとぼしい」とかたっており、世界中せかいじゅうへの放浪ほうろうかえした生涯しょうがいであった。しかし、その放浪ほうろうによってみずからの作品さくひん前述ぜんじゅつ料理りょうり知識ちしきていたともえる。『漂蕩ひょうとう自由じゆう』(中公ちゅうこう文庫ぶんこ)にくわしい。
  • 同郷どうきょう火野ひの葦平あしへいとも親交しんこうがあり、その火野ひの紹介しょうかいったのが柳川やながわきゅう伯爵はくしゃく立花りっかの16だい当主とうしゅ立花たちばな和雄かずおである。まゆみ柳川やながわそだちであったためにたちまち意気投合いきとうごうし、柳川やながわ滞在たいざいには立花りっか経営けいえいする料亭りょうてい旅館りょかん柳川やながわはな』のはなれに宿泊しゅくはくするのがつねであった。また滞在たいざいには『火宅かたくひと』も執筆しっぴつしている。
  • NHK特集とくしゅう いのちもえつきるとき 作家さっかだん一雄かずお最期さいご[10](1987ねん4がつ6にちよる放送ほうそうかた草野くさの大悟たいご)では、入院にゅういんさき口述こうじゅつ筆記ひっきにより「火宅かたくひと完成かんせいけ、苦闘くとうする姿すがた録音ろくおんテープととも紹介しょうかいされた。
  • 作家さっか坂口さかぐち安吾あんごとそのつまさんせんだい自宅じたく居候いそうろうさせたことがある。そのとき坂口さかぐちは「カレーライスひゃく人前にんまえ事件じけん」をおこした。くわしくは坂口さかぐち安吾あんご#巷談こうだん自覚じかくちん騒動そうどう参照さんしょう

おも作品さくひん

編集へんしゅう
  • 夕張ゆうばりえびすていじゅく景観けいかん』(1935ねんだい2かい芥川賞あくたがわしょう候補こうほ
  • 花筐はながたみ』(はながたみ)(1937ねん処女しょじょ作品さくひんしゅう
  • 天明てんめい』(1944ねんだい4かい野間のま文芸ぶんげい奨励しょうれいしょう
  • リツ子りつこ・そのあい』(1950ねん
  • リツ子りつこ・その』(1950ねん
  • しんせつ石川いしかわ五右衛門ごえもん』(1951ねんだい24かい直木賞なおきしょう
  • 長恨ちょうこん』(1951ねんだい24かい直木賞なおきしょう
  • 『ペンギン』(1952ねん
  • 誕生たんじょう』(1955ねん
  • 夕日ゆうひ拳銃けんじゅう』(1956ねん同年どうねん映画えいが
  • 火宅かたくひと』(1961ねん - 1975ねんだい27かい読売よみうり文学ぶんがくしょう小説しょうせつしょうだい8かい日本にっぽん文学ぶんがく大賞たいしょう
  • まゆみりゅうクッキング』(1970ねん)、続編ぞくへんかん

著書ちょしょ

編集へんしゅう
  • 花筐はながたみ赤塚あかつか書房しょぼう 1937ねん
  • 虚空こくう象嵌ぞうがん赤塚あかつか書房しょぼう 1939ねん
  • 小説しょうせつ太宰だざいおさむ六興ろっこう出版しゅっぱんしゃ 1949ねん のち 審美しんびしゃ
  • リツ子りつこ・そのあい』、『リツ子りつこ・その作品社さくひんしゃ 1950ねん のち 新潮しんちょう文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 長恨ちょうこん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1951
  • しんせつ石川いしかわ五右衛門ごえもん』(上下じょうげ新潮社しんちょうしゃ 1951ねん - 1952ねん のち 角川かどかわ文庫ぶんこ春陽しゅんよう文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ徳間とくま文庫ぶんこ
  • 狼煙のろし春陽しゅんよう文庫ぶんこ 1951ねん
  • ひじりマリヤのかね偕成社かいせいしゃ 1954ねん
  • 『ペンギン現代げんだいしゃ 1954ねん
  • にじ少年しょうねん同和どうわ春秋しゅんじゅうしゃ昭和しょうわ少年しょうねん少女しょうじょ文学ぶんがく選集せんしゅう)1954ねん
  • おとこせんおんなこく東方とうほうしゃ 1955ねん
  • 木曽きそ義仲よしなか筑摩書房ちくましょぼう 1955ねん
  • 戦国せんごく名将めいしょうでん河出かわで新書しんしょ 1955ねん のち 徳間とくま文庫ぶんこ
  • あお稲妻いなづま東方とうほう新書しんしょ 1955ねん
  • 夕日ゆうひ拳銃けんじゅう』(上下じょうげ)。新潮社しんちょうしゃ 1955ねん - 1956ねん新版しんぱん1986ねん のち 河出かわで文庫ぶんこ角川かどかわ文庫ぶんこ
  • 地上ちじょう だい一部いちぶ新潮社しんちょうしゃ 1956ねん
  • 天下てんか無法むほうぼう行状ぎょうじょうどうひかりしゃ 1956ねん
  • しんカグヤひめ近代きんだい生活せいかつしゃ 1956ねん
  • うみ竜巻たつまき講談社こうだんしゃロマン・ブックス 1956ねん
  • 青春せいしゅん放浪ほうろう筑摩書房ちくましょぼう 1956ねん のち ちくま文庫ぶんこ
  • 真書しんしょ太閤たいこう 藤吉郎とうきちろうへん河出かわで新書しんしょ 1956ねん
  • 『オレは馬賊ばぞくだ』どうひかりしゃ 1956ねん
  • 最後さいご仇討あだうちどうひかりしゃ 1956ねん
  • にわ現代げんだいしゃ 1956ねん
  • おんな山彦やまびこ角川かどかわ小説しょうせつ新書しんしょ 1956ねん
  • ふうけん雲井くもい書店しょてん 1957ねん
  • 少年しょうねん猿飛佐助さるとびさすけ東京とうきょうそうもとしゃ 1957ねん
  • ひかみち新潮社しんちょうしゃ 1957ねん
  • 『かもめ夫人ふじん現代げんだいしゃ 1958ねん
  • しろ弾丸だんがん光文社こうぶんしゃ 1958ねん
  • ふうなか青春せいしゅん筑摩書房ちくましょぼう 1958ねん
  • あたたかいまち角川書店かどかわしょてん 1958ねん
  • ふう雲雀ひばりおか新潮社しんちょうしゃ 1958ねん
  • 新説しんせつ 国定くにさだ忠治ただはる筑摩書房ちくましょぼう 1961ねん のち かく上下じょうげ)、河出かわで文庫ぶんこ徳間とくま文庫ぶんこ
  • うみのあるまど中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1962ねん
  • 『ひょうたん剣法けんぽう光風こうふうしゃ 1962ねん
  • こい吹雪ふぶき砲弾ほうだん桃源とうげんしゃ 1963ねん
  • 東京とうきょう休日きゅうじつ桃源とうげんしゃ(ポピュラー・ブックス)1964ねん
  • おんな大敵たいてき双葉ふたば小説しょうせつ新書しんしょ 1965ねん
  • 帽子ぼうしいっぱいのなみだ大光おおみつしゃ 1967ねん
  • しん世界せかいせん一夜いちや文理ぶんり書院しょいんドリーム出版しゅっぱん 1967ねん
  • 太宰だざい安吾あんごとら書房しょぼう 1968ねん のち沖積舎ちゅうせきしゃバジリコ
  • 『わが百味ひゃくみ真髄しんずい講談社こうだんしゃ 1969ねん のち中公ちゅうこう文庫ぶんこ改版かいはん
  • 小説しょうせつ坂口さかぐち安吾あんご東洋とうよう出版しゅっぱん 1969ねん
  • ははみなしゃ 1970ねん
  • まゆみりゅうクッキング』サンケイ新聞しんぶん出版しゅっぱんきょく 1970ねん のち ちゅう公文こうぶん改版かいはんISBN 4122040949
  • きたみなしゃ 1972ねん
  • 美味びみ放浪ほうろう日本交通公社にほんこうつうこうしゃ 1973ねん のち ちゅう公文こうぶん改版かいはん
  • 花筐はながたみひかみち よんへん』(表題ひょうだいほかに「元帥げんすい」・「白雲しらくも悠々ゆうゆう」・「ペンギン」・「誕生たんじょう所収しょしゅう旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ 1973ねん
  • 風浪ふうろうたびやま渓谷社けいこくしゃ(「現代げんだいたび」シリーズ、1974ねん
  • 王様おうさま召使めしつかい ユーモア・エッセイ』ばんまち書房しょぼう 1974ねん のち 旺文社おうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • だん一雄かずお詩集ししゅうがつ書房しょぼう 1975ねん
  • 火宅かたくひと』(上下じょうげ新潮社しんちょうしゃ 1975ねん のち 新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『わが青春せいしゅん秘密ひみつ新潮社しんちょうしゃ 1976ねん
  • あしずいから』ばんまち書房しょぼう 1976ねん
  • だん一雄かずお全集ぜんしゅうぜん8かん 新潮社しんちょうしゃ 1977ねん - 1978ねん
  • あおくも作品社さくひんしゃ上下じょうげ)1985ねん
  • えるすな毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1986ねん
以下いか新編しんぺん作品さくひんしゅう

題材だいざいとした作品さくひん

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ドキュメンタリー

関連かんれん人物じんぶつ

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  • 太宰だざいおさむ - 『川端かわばた康成やすなりへ』でだん一雄かずお友人ゆうじんとしててくる。
  • 真鍋まなべおっと - 作家さっか同郷どうきょうであるまゆみとは30ねんちかくにわた兄事けいじ交流こうりゅうした。『評伝ひょうでん火宅かたくひと だん一雄かずお』(沖積舎ちゅうせきしゃ)がある
  • 野原のはら一夫かずお - 筑摩書房ちくましょぼう担当たんとう編集へんしゅうしゃ、『人間にんげん だん一雄かずお』(新潮社しんちょうしゃ、1986ねん/ちくま文庫ぶんこ、1992ねん)がある
  • 小島こじま千加子ちかこ - 新潮社しんちょうしゃ担当たんとう編集へんしゅうしゃ回想かいそう三島みしま由紀夫ゆきおだん一雄かずお』(構想こうそうしゃ/ちくま文庫ぶんこ)がある
  • 嵐山あらしやま光三郎こうざぶろう - 担当たんとう編集へんしゅうしゃ平凡社へいぼんしゃ)の一人ひとり作家さっか・エッセイストになった。
  • 沢木さわきこう太郎たろう - 著書ちょしょまゆみ』(新潮社しんちょうしゃ)は、ヨソ夫人ふじんへの取材しゅざいもとづき、夫人ふじんからだん一雄かずお姿すがた描写びょうしゃ
  • 小森こもり和子かずこ - 愛人あいじん一人ひとり
  • 杉山すぎやま英樹ひでき - 足利あしかが時代じだい中学ちゅうがく高校こうこう同級生どうきゅうせいで、戦前せんぜんに『バルザックの世界せかい』をあらわした
  • 大隈おおくま秀夫ひでお - 交流こうりゅうがあり、『モガリふえいくよる 回想かいそう火宅かたくひと大宅おおたく壮一そういち』をあらわした。

脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  1. ^ だん一雄かずおおしえた料理りょうりたのしさ 男子だんし厨房ちゅうぼうはいった、が”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2020ねん1がつ11にち). 2021ねん5がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ 相馬そうま正一しょういちだん一雄かずお言語げんご芸術げいじゅついのちけたおとこひと文書ぶんしょかん、2008ねん12月15にち、9ぺーじISBN 9784903174204 
  3. ^ 相馬そうま正一しょういちだん一雄かずお言語げんご芸術げいじゅついのちけたおとこにん文書ぶんしょかん、2008ねん12月15にち、71ぺーじISBN 9784903174204 
  4. ^ 直木賞なおきしょう受賞じゅしょうしゃ一覧いちらん”. 日本文学振興会にほんぶんがくしんこうかい. 2019ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  5. ^ 岩井いわいひろし作家さっか臨終りんじゅう墓碑ぼひ事典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1997ねん)206ぺーじ
  6. ^ だん一雄かずお太宰だざい安吾あんご角川書店かどかわしょてん角川かどかわソフィア文庫ぶんこ〉、2016ねん原著げんちょ1968ねん)、100ぺーじ - 103ぺーじ
  7. ^ だん一雄かずお小説しょうせつ 太宰だざいおさむ岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ〉、2000ねん原著げんちょ1949ねん)、163ぺーじ - 166ぺーじ
  8. ^ だん一雄かずお小説しょうせつ 太宰だざいおさむ岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ〉、2000ねん原著げんちょ1949ねん)、15ぺーじ
  9. ^ 『サライ』小学館しょうがくかん、2006ねん11月2にちごう、40ぺーじ
  10. ^ NHK特集とくしゅう いのちもえつきるとき作家さっか だん一雄かずお最期さいご~ - NHK名作めいさくせん動画どうが静止せいし)NHKアーカイブス
  11. ^ いのちもえつきるとき作家さっか だん一雄かずお最期さいご”. NHK. 2021ねん5がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん6がつ5にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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