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帝国議会 - Wikipedia

帝国ていこく議会ぎかい

1890ねんから1947ねん日本にっぽん議会ぎかい

帝国ていこく議会ぎかい(ていこくぎかい、きゅう字体じたいみかど󠄁くに議會ぎかい英語えいご: The Imperial Diet)は、1890ねん明治めいじ23ねん)の帝国ていこく憲法けんぽうにより設置せっちされた日本にっぽん議会ぎかいである[1]公選こうせん衆議院しゅうぎいん (しゅうぎいん)(下院かいん)と公選こうせん貴族きぞくいん (きぞくいん)(上院じょういん)から構成こうせいされた[4]。「議会ぎかい」もしくは「国会こっかい」と略称りゃくしょうされた[1]

日本の旗 日本にっぽん議会ぎかい
帝国ていこく議会ぎかいていこくぎかい

みかど󠄁くに議會ぎかい
紋章もしくはロゴ
種類しゅるい
種類しゅるい
議院ぎいん貴族きぞくいん上院じょういん
衆議院しゅうぎいん下院かいん
沿革えんかく
設立せつりつ1890ねん明治めいじ23ねん11月29にち
廃止はいし1947ねん昭和しょうわ22ねん5月3にち
前身ぜんしん元老げんろういん[よう出典しゅってん]
後継こうけい国会こっかい
構成こうせい
定数ていすう貴族きぞくいん:なし
衆議院しゅうぎいん:466(1928ねん[3]
任期にんき
貴族きぞくいん
終身しゅうしん皇族こうぞく議員ぎいんおおやけ侯爵こうしゃく華族かぞく議員ぎいんみことのりせん議員ぎいん[1]
7ねんはく男爵だんしゃく華族かぞく議員ぎいんみことのりせん議員ぎいん以外いがいみことのりにん議員ぎいん[2]
衆議院しゅうぎいん
最長さいちょう4ねん解散かいさんあり)
選挙せんきょ
公選こうせん
自動じどう皇族こうぞく議員ぎいんおおやけ侯爵こうしゃく華族かぞく議員ぎいん[4]
互選ごせんはく男爵だんしゃく華族かぞく議員ぎいん[2]
みことのりにんみことのりにん議員ぎいん[4]
公選こうせん
しょう選挙せんきょせい(1890ねん - 1898ねん、1920ねん - 1924ねん
ちゅう選挙せんきょせい(1928ねん - 1942ねん
だい選挙せんきょせい(1902ねん - 1917ねん、1946ねん
議事堂ぎじどう
東京とうきょう東京とうきょう麹町こうじまち永田町ながたちょう国会こっかい議事堂ぎじどう
昭和しょうわ15ねん12がつ[1]
憲法けんぽう
帝国ていこく憲法けんぽう[1]

1890ねん明治めいじ23ねん11月29にち開会かいかいだい1かい議会ぎかいから、1947ねん昭和しょうわ22ねん)3がつ31にち閉会へいかいだい92かい議会ぎかいまでおこなわれた。同年どうねん5月3にち帝国ていこく憲法けんぽう失効しっこうおよ日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうにより、国会こっかい立法府りっぽうふとし、下院かいんには衆議院しゅうぎいん維持いじされ、上院じょういんには貴族きぞくいんわって参議院さんぎいん設置せっちされた。

沿革えんかく

編集へんしゅう

明治めいじ初期しょき自由じゆう民権みんけん運動うんどう国会こっかい開設かいせつ運動うんどうて、明治天皇めいじてんのうによる詔勅しょうちょく国会こっかい開設かいせつみことのり」が1881ねん明治めいじ14ねん10月12にち表明ひょうめいされた。その8ねん1889ねん明治めいじ22ねん2がつ11にち帝国ていこく憲法けんぽうおよ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん選挙せんきょほう明治めいじ22ねん2がつ11にち法律ほうりつ3ごう)の公布こうふもって、翌年よくねんの1890ねん明治めいじ23ねん)に上院じょういんである貴族きぞくいん互選ごせんみことのりせん下院かいん代議士だいぎし公選こうせんするだい1かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ同年どうねん7がつ)が実施じっしされ、同年どうねん11がつ貴族きぞくいん衆議院しゅうぎいんによる二院にいんせいだい1かい帝国ていこく議会ぎかい開会かいかいされた。

初期しょき議会ぎかいにおいては政府せいふ超然ちょうぜん主義しゅぎ衆議院しゅうぎいん対立たいりつしていたが、にちしん戦争せんそうのちには政府せいふ内閣ないかく行政府ぎょうせいふ)と両院りょういん帝国ていこく議会ぎかい立法府りっぽうふ)の提携ていけいおこなわれるようになった。大正たいしょうはいると大正たいしょうデモクラシー発展はってんにより衆議院しゅうぎいん多数たすうめる政党せいとう政権せいけん担当たんとうし、だいいち党内とうないかくそう辞職じしょくにはだいとう交代こうたいするという憲政けんせい常道じょうどう慣例かんれいまれ[5]衆議院しゅうぎいんおおきなちからった[4]

1932ねん昭和しょうわ7ねん5月15にちきたいち事件じけんいぬやしなえ内閣ないかくたお斎藤さいとう内閣ないかく成立せいりつして以降いこう軍部ぐんぶ政党せいとう超党派ちょうとうはてきささえる挙国一致きょこくいっちないかく形態けいたい内閣ないかく政党せいとう政治せいじ衰退すいたい憲政けんせい常道じょうどう終了しゅうりょうした。[6]とくに、1940ねん昭和しょうわ15ねん)にぜん政党せいとう解散かいさんして大政たいせい翼賛よくさんかい成立せいりつすると、議会ぎかい政府せいふ軍部ぐんぶ提出ていしゅつ追認ついにんするだけの翼賛よくさん議会ぎかいしていった[注釈ちゅうしゃく 1]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)3がつ31にちだい92回議かいぎかい衆議院しゅうぎいん帝国ていこく議会ぎかいとして最後さいご解散かいさんをし、貴族きぞくいん停会ていかいされた。そして、同年どうねん5がつ3にち明治めいじ憲法けんぽう失効しっこう日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうされ、下院かいんである衆議院しゅうぎいんはそのまま維持いじされつつ、上院じょういんであった貴族きぞくいん廃止はいしされるとともに参議院さんぎいん新設しんせつされ、両院りょういんせい帝国ていこく議会ぎかい国会こっかい移行いこうした。

構成こうせいとう

編集へんしゅう

衆議院しゅうぎいん貴族きぞくいん二院にいんせい

衆議院しゅうぎいん選挙せんきょにより代表だいひょう選出せんしゅつした。議会ぎかい開設かいせつ当初とうしょより1925ねん(大正たいしょう14)ねん普通ふつう選挙せんきょほう制定せいていまでは納税のうぜいがくによる制限せいげん選挙せんきょ以後いご普通ふつう選挙せんきょであった(ただし戦前せんぜん一貫いっかんして男子だんしのみ)。

貴族きぞくいん皇族こうぞく男子だんし親王しんのうおよおう)、華族かぞく議員ぎいん[注釈ちゅうしゃく 2]みことのりせん議員ぎいん[注釈ちゅうしゃく 3]多額たがく納税のうぜいしゃ[注釈ちゅうしゃく 4]帝国ていこく学士がくしいん選出せんしゅつ議員ぎいん[注釈ちゅうしゃく 5]ならびに朝鮮ちょうせんおよ台湾たいわん在住ざいじゅうしゃ議員ぎいん[注釈ちゅうしゃく 6]構成こうせいされ、解散かいさんはなかった。ただし、皇族こうぞく議会ぎかい出席しゅっせきしたことはなかった

議院ぎいん相互そうご関係かんけいなどは、議院ぎいんほうによって規律きりつされた。両院りょういんは、衆議院しゅうぎいん予算よさん先議せんぎけんのぞき、対等たいとう権限けんげんゆうする[注釈ちゅうしゃく 7]

貴族きぞくいん衆議院しゅうぎいんあわせて、「しゅう両院りょういん」、「しゅう二院にいん」と略称りゃくしょうされ、議会ぎかいでは国民こくみんから選出せんしゅつされた議員ぎいんを「代議士だいぎし」、両院りょういんもっ議決ぎけつすることから帝国ていこく議会ぎかい制度せいどは「代議だいぎ制度せいど」ともしょうされた。

帝国ていこく議会ぎかい常会じょうかい通常つうじょうかい)は毎年まいとし12がつ召集しょうしゅうされ、会期かいきは3ヶ月かげつであったが、勅命ちょくめいによって延長えんちょうされることもあった。議会ぎかい召集しょうしゅう開会かいかい閉会へいかい停会ていかい衆議院しゅうぎいん解散かいさん天皇てんのう大権たいけんぞくした。召集しょうしゅうかく議員ぎいんたいして一定いってい期日きじつ特定とくてい場所ばしょ集会しゅうかいめいじる行為こういであるが、勅命ちょくめいによってのみなされる。帝国ていこく議会ぎかいはみずから集会しゅうかいするけん、または召集しょうしゅう請求せいきゅうするけんゆうしない。帝国ていこく議会ぎかい毎年まいとし1かい召集しょうしゅうするのをつねのりとされ、これを通常つうじょうかいといい、毎年まいとし11がつ、または12月、東京とうきょう召集しょうしゅうされる。に、臨時りんじ議会ぎかい召集しょうしゅうすることがある(41じょう)。開会かいかいは、議会ぎかい召集しょうしゅうされ、議長ぎちょうふく議長ぎちょうおよび議員ぎいんぞくじょうり、りょう議院ぎいん成立せいりつしたのち詔書しょうしょ期日きじつさだめてなされる。閉会へいかいは、会期かいき終了しゅうりょうし、したがって議会ぎかい職務しょくむ行為こうい終了しゅうりょうしたことをおおやけせんしめせする行為こういであり、閉会へいかいするという勅語ちょくごされる(詔書しょうしょによる公布こうふはない)。議会ぎかい開閉かいへいは、両院りょういんたいして同時どうじおこなわれる。議会ぎかい停会ていかい会期かいきちゅう一時いちじ議会ぎかい職務しょくむ行動こうどう停止ていしめいじる行為こういで、15にち以内いない一定いってい期間きかんさだめ、詔書しょうしょめいじる。衆議院しゅうぎいん解散かいさんされると、貴族きぞくいん停会ていかいあつかいとされ、「解散かいさんから5ヶ月かげつ以内いない衆議院しゅうぎいん選挙せんきょおこなってしん議会ぎかい召集しょうしゅうしなければならない」とされていた。議会ぎかい休会きゅうかいかく議院ぎいんがその会議かいぎ休止きゅうしすることで、会期かいきちゅう休会きゅうかいするのはかくいん随意ずいいであった。

「(公選こうせんの)衆議院しゅうぎいんでは成立せいりつ当初とうしょから、乱闘らんとうさわぎがしばしばきていた」のにたいし、「(公選こうせんの)貴族きぞくいんでは、ほとんどなかった」とされている。

権限けんげん

編集へんしゅう

帝国ていこく議会ぎかい立法りっぽう予算よさん協賛きょうさんし、行政ぎょうせい監督かんとくすることをしゅたる権能けんのうとした[1]形式けいしきてき立法りっぽうけん天皇てんのうにあったが、議会ぎかい協賛きょうさんがなければ天皇てんのう立法りっぽうけん行使こうしできなかった[1]。ただし法律ほうりつ以外いがい命令めいれいみことのりれい省令しょうれい)は議会ぎかい協賛きょうさんしでも政府せいふすことができた[1]。また議会ぎかい立法りっぽうのみではなく、国民こくみんわりに政府せいふ施政しせい監視かんしし、批評ひひょう議論ぎろんして政府せいふ責任せきにんあきらかにする権限けんげんがあった[1]

憲法けんぽう、または法律ほうりつさだめる方式ほうしきしたがって、実質じっしつじょう、いっさいの国務こくむ参与さんよする。議会ぎかい職務しょくむ権限けんげんは、1 協賛きょうさんけんおよび承諾しょうだくけん後述こうじゅつ)、2 その形式けいしきてき権限けんげん、a 上奏じょうそうけん、b 建議けんぎけん、c 請願せいがん受理じゅりけん、d 決議けつぎけん、e 国務こくむ審査しんさけん、f 質問しつもんけん後述こうじゅつ)、g 政府せいふ報告ほうこくけるけん、h 天皇てんのう諮詢しじゅんこたえるけん、i 議員ぎいん逮捕たいほ許諾きょだくするけん(53じょう)、4 その議院ぎいん内部ないぶ事項じこうかんして規則きそくさだめ、これを処置しょちするけん(51じょう)。

協賛きょうさんけん

編集へんしゅう

帝国ていこく議会ぎかい協賛きょうさんけんは、国家こっか行為こういについてその行為こういおこなわれるまえにあらかじめ同意どういあたえてその行為こうい有効ゆうこう、または適法てきほうならしめるけんである。 1 立法りっぽうかんする協賛きょうさん(5じょう)、a 憲法けんぽう改正かいせい協賛きょうさん憲法けんぽうには「議決ぎけつ」と規定きてい)、b 法律ほうりつ協賛きょうさん、c 貴族きぞくいんれいたいする貴族きぞくいん協賛きょうさん。これらはかならず協賛きょうさんて、そうでない場合ばあい無効むこうである。2 行政ぎょうせいかんする協賛きょうさん、a 国家こっか歳入さいにゅう歳出さいしゅつ予算よさん(64じょう)、b 国債こくさいおこすこと(62じょう)、c 予算よさん外国がいこく負担ふたんとなるべき契約けいやくをなすこと(62じょう)。これらの場合ばあい協賛きょうさん有効ゆうこう条件じょうけんではなくて適法てきほう要件ようけんである。

承諾しょうだくけん

編集へんしゅう

帝国ていこく議会ぎかい承諾しょうだくけんは、議会ぎかい協賛きょうさんようする行為こういについて、その協賛きょうさん時間じかんがないままに政府せいふがなした国家こっか行為こういたいして、事後じご、これに同意どういあたえるけんである。1 立法りっぽうかんするものは緊急きんきゅうみことのりれい(8じょう)で、その承諾しょうだくいときは将来しょうらいその効力こうりょくうしなう。2 行政ぎょうせいかんするものは、a 予算よさん超過ちょうか支出ししゅつおよび予算よさんがい支出ししゅつ(64じょう)、b 財政ざいせいじょう必要ひつよう処分しょぶんをなすみことのりれい(70じょう)で、承諾しょうだくいときはすでに発生はっせいした効力こうりょく変化へんかしないが、上述じょうじゅつ a は将来しょうらいにむかってその効力こうりょくうしない、上述じょうじゅつ b は国務大臣こくむだいじん帝国ていこく議会ぎかいたいして違法いほうせめにんずるのみである。

質問しつもんけん

編集へんしゅう

帝国ていこく議会ぎかいにおいて、りょう議院ぎいん議員ぎいんは、30にん以上いじょう賛成さんせい国務大臣こくむだいじん責任せきにんぞくする事項じこうについて国務大臣こくむだいじん質問しつもんをするけんがある(議院ぎいんほう49じょう、50じょう)。これにたいして大臣だいじん答弁とうべんをなすか、またはそれを拒否きょひする理由りゆう明示めいじする。この正式せいしき質問しつもんたいして、質疑しつぎがある。質疑しつぎは、げん議題ぎだいとなっている事項じこうかんして口頭こうとうでなされる質問しつもんで、かく議員ぎいん単独たんどく国務大臣こくむだいじん以外いがいにも政府せいふ委員いいん議長ぎちょう、または発案はつあんしゃたいしてもおこなうことができる。質疑しつぎは、ふつう質問しつもんわれるもので、正式せいしき質問しつもんよりも重大じゅうだいなものであるとされ、帝国ていこく議会ぎかい政府せいふ行為こうい批評ひひょうし、論議ろんぎするもっと有力ゆうりょく手段しゅだんであるとされた。

特徴とくちょう

編集へんしゅう

帝国ていこく議会ぎかいは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう国会こっかい比較ひかくすると、政府せいふ提出ていしゅつする法律ほうりつあんたいする立法りっぽう協賛きょうさんけん明治めいじ憲法けんぽう5じょう、37じょうおよ予算よさんあんたいする予算よさん協賛きょうさんけん64じょう)、政府せいふたいする建議けんぎけん(40じょう)、天皇てんのうたいする上奏じょうそうけん(49じょう)、議会ぎかいまれた請願せいがん審議しんぎする権限けんげん(50じょう)があたえられていた。また、天皇てんのうによる法律ほうりつ裁可さいかけんもとづく裁可さいかるという条件じょうけんきながら法律ほうりつ提案ていあんけん(38じょう)もゆうしていた[注釈ちゅうしゃく 8]

議決ぎけつなければ、法律ほうりつ成立せいりつしないものの)「帝国ていこく議会ぎかいは、天皇てんのう立法りっぽうけん行使こうしたいする協賛きょうさん機関きかん」という位置付いちづけであったてんに、一番いちばん相違そういてんがあり[注釈ちゅうしゃく 9]、「立法りっぽうけん国王こくおう議会ぎかいともち、行使こうしする」というきん現代げんだい欧州おうしゅう立憲りっけん君主くんしゅこくにおける位置いちづけとはややことなる。

しかし両者りょうしゃともに、絶対ぜったい王政おうせいしたのような拒否きょひけんゆうせず、天皇てんのうみずか法案ほうあん作成さくせいしたわけでも、帝国ていこく議会ぎかい議決ぎけつ裁可さいかしなかったわけでもなかったため、事実じじつじょう近代きんだいてき立憲りっけん君主くんしゅこくであったことは断言だんげんできるとされる。

また、明治めいじ憲法けんぽうでは法律ほうりつ事項じこうとされる事項じこうであっても、法律ほうりつはんしないかぎりは帝国ていこく議会ぎかい関与かんよようせず、みことのりれいもっ独立どくりつ命令めいれい制定せいていでき(「立法りっぽう」の対象たいしょうせまかんがえられていた[注釈ちゅうしゃく 10])、皇室こうしつ経費けいひ議会ぎかい協賛きょうさん対象たいしょうがいとされ(憲法けんぽう66じょう)、その天皇てんのう大権たいけんかかわる予算よさん政府せいふ同意どういしないかぎりにおいては、削減さくげん廃除はいじょができないとされるなど、政治せいじかんするほか大半たいはん権限けんげん議会ぎかい統制とうせいけず、議会ぎかい権限けんげん弱小じゃくしょうであった。したがって、帝国ていこく議会ぎかい議決ぎけつ国家こっか最高さいこう意思いしではなく、帝国ていこく議会ぎかい権限けんげんがいにあった。

予算よさんあんかんしては否決ひけつができず、修正しゅうせいのみ可能かのうであった。しかも、予算よさん編成へんせいけん政府せいふのみがゆうしており議会ぎかいにはなかったため、修正しゅうせい予算よさん金額きんがく削減さくげんのみであった。

ただし、追加ついか予算よさんあん否決ひけつできた。緊急きんきゅうには委員いいんかい審議しんぎ省略しょうりゃくほん会議かいぎにかけることが可能かのうであったため、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐんおよ大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐんへの歳出さいしゅつである軍事ぐんじ皇室こうしつ関係かんけいなどの追加ついか予算よさんさいには、しばしば省略しょうりゃくされた[注釈ちゅうしゃく 11][7]

予算よさん議定ぎていけんは、憲法けんぽう64じょう規定きていされた、帝国ていこく議会ぎかい政府せいふ提出ていしゅつ予算よさん協賛きょうさんするけんであるが、その範囲はんいは、皇室こうしつ経費けいひ(66じょう)、継続けいぞく(68じょう)、歳入さいにゅう予算よさんなどにかんして制限せいげんがあった。

1.歳出さいしゅつ予算よさんについては、その原案げんあんたいして廃除はいじょ削減さくげんおこなるのみであった。

2.政府せいふ原案げんあんについては、a 憲法けんぽうじょう大権たいけんもとづく既定きてい歳出さいしゅつ、b 法律ほうりつ結果けっかによる歳出さいしゅつ、c 法律ほうりつじょう政府せいふ義務ぎむぞくする歳出さいしゅつ修正しゅうせいには政府せいふ同意どういようする(67じょう)。

予算よさん協賛きょうさんけん効果こうかはあらかじめ同意どういあたえ、大臣だいじん責任せきにん解除かいじょする。帝国ていこく議会ぎかい予算よさん議定ぎていせず、または予算よさん不成立ふせいりつのときは、政府せいふ前年度ぜんねんど予算よさん施行しこうする(71じょう)。

予算よさんについては衆議院しゅうぎいん先議せんぎけんゆうする(65じょう)。

日本国にっぽんこく憲法けんぽう国会こっかいでは委員いいんかいせいられているが、帝国ていこく議会ぎかいではさん読会どっかいせいられていて、ほん会議かいぎ中心ちゅうしんであった。委員いいんかい種類しゅるいとしては、ぜんいん委員いいんかい常任じょうにん委員いいんかいおよ特別とくべつ委員いいんかい、そして、継続けいぞく委員いいんかれていた。ぜんいん委員いいんすべての議員ぎいん委員いいんとなり、実際じっさいじょうほん会議かいぎことならず、ただし、議長ぎちょうおよび議事ぎじ規則きそくことなった。常任じょうにん委員いいんは、貴族きぞくいんには、資格しかく審査しんさ委員いいん予算よさん委員いいん懲罰ちょうばつ委員いいん請願せいがん委員いいんおよび決算けっさん委員いいんがあった。衆議院しゅうぎいんには資格しかく審査しんさ委員いいんのぞく4つがあった。特別とくべつ委員いいんいちけん事件じけん審査しんさされるために特設とくせつされ、継続けいぞく委員いいんは、議会ぎかい閉会へいかいちゅう議案ぎあん審査しんさ継続けいぞくするために設置せっちされた。

帝国ていこく議会ぎかい会期かいき一覧いちらん

編集へんしゅう

帝国ていこく議会ぎかい下記かきとお開催かいさいされた[8]

かい 召集しょうしゅう開院かいいんしき 会期かいき終了しゅうりょう 種類しゅるい 備考びこう
だい01かい帝国ていこく議会ぎかい 1890ねん明治めいじ23ねん)11月29にち 1891ねん明治めいじ24ねん03がつ07にち 通常つうじょうかい
だい02かい帝国ていこく議会ぎかい 1891ねん明治めいじ24ねん)11月26にち 1891ねん明治めいじ24ねん)12月25にち 通常つうじょうかい 蛮勇ばんゆう演説えんぜつ
1891ねん明治めいじ24ねん)12月25にち解散かいさん
だい03かい帝国ていこく議会ぎかい 1892ねん明治めいじ25ねん05月06にち 1892ねん明治めいじ25ねん06月14にち 特別とくべつかい
だい04かい帝国ていこく議会ぎかい 1892ねん明治めいじ25ねん)11月29にち 1893ねん明治めいじ26ねん02がつ28にち 通常つうじょうかい
だい05かい帝国ていこく議会ぎかい 1893ねん明治めいじ26ねん)11月28にち 1893ねん明治めいじ26ねん)12月30にち 通常つうじょうかい 1893ねん明治めいじ26ねん)12月30にち解散かいさん
だい06かい帝国ていこく議会ぎかい 1894ねん明治めいじ27ねん05月15にち 1894ねん明治めいじ27ねん06がつ02にち 特別とくべつかい 1894ねん明治めいじ27ねん06がつ02にち解散かいさん
だい07かい帝国ていこく議会ぎかい 1894ねん明治めいじ27ねん)10がつ18にち 1894ねん明治めいじ27ねん)10がつ21にち 臨時りんじかい にちしん戦争せんそうにより大本営だいほんえい臨時りんじ設置せっちされていた広島ひろしまけん広島ひろしま召集しょうしゅう開催かいさい
だい08かい帝国ていこく議会ぎかい 1894ねん明治めいじ27ねん)12月24にち 1894ねん明治めいじ28ねん03月23にち 通常つうじょうかい
だい09かい帝国ていこく議会ぎかい 1895ねん明治めいじ28ねん)12月28にち 1896ねん明治めいじ29ねん03月28にち 通常つうじょうかい
だい10かい帝国ていこく議会ぎかい 1896ねん明治めいじ29ねん)12月25にち 1897ねん明治めいじ30ねん03月24にち 通常つうじょうかい
だい11かい帝国ていこく議会ぎかい 1897ねん明治めいじ30ねん)12月24にち 1897ねん明治めいじ30ねん)12月25にち 通常つうじょうかい 1897ねん明治めいじ30ねん)12月25にち解散かいさん
だい12かい帝国ていこく議会ぎかい 1898ねん明治めいじ31ねん05月19にち 1898ねん明治めいじ31ねん06がつ10日とおか 特別とくべつかい 1898ねん明治めいじ31ねん06がつ10日とおか解散かいさん
だい13かい帝国ていこく議会ぎかい 1898ねん明治めいじ31ねん)12月03にち 1899ねん明治めいじ32ねん03がつ09にち 特別とくべつかい

通常つうじょうかい
だい14かい帝国ていこく議会ぎかい 1899ねん明治めいじ32ねん)11月22にち 1900ねん明治めいじ33ねん02がつ23にち 通常つうじょうかい
だい15かい帝国ていこく議会ぎかい 1900ねん明治めいじ33ねん)12月25にち 1901ねん明治めいじ34ねん03月24にち 通常つうじょうかい
だい16かい帝国ていこく議会ぎかい 1901ねん明治めいじ34ねん)12がつ10日とおか 1902ねん明治めいじ35ねん03がつ09にち 通常つうじょうかい
だい17かい帝国ていこく議会ぎかい 1902ねん明治めいじ35ねん)12月09にち 1902ねん明治めいじ35ねん)12月28にち 通常つうじょうかい 1902ねん明治めいじ35ねん)12月28にち解散かいさん
だい18かい帝国ていこく議会ぎかい 1903ねん明治めいじ36ねん05月12にち 1903ねん明治めいじ36ねん06がつ04にち 特別とくべつかい
だい19かい帝国ていこく議会ぎかい 1903ねん明治めいじ36ねん)12がつ10日とおか 1903ねん明治めいじ36ねん)12月11にち 通常つうじょうかい 1903ねん明治めいじ36ねん)12月11にち解散かいさん
だい20かい帝国ていこく議会ぎかい 1904ねん明治めいじ37ねん03がつ20日はつか 1904ねん明治めいじ37ねん03月29にち 臨時りんじかい
だい21かい帝国ていこく議会ぎかい 1904ねん明治めいじ37ねん)11月30にち 1905ねん明治めいじ38ねん02がつ27にち 通常つうじょうかい
だい22かい帝国ていこく議会ぎかい 1905ねん明治めいじ38ねん)12月28にち 1906ねん明治めいじ39ねん03月27にち 通常つうじょうかい
だい23かい帝国ていこく議会ぎかい 1906ねん明治めいじ39ねん)12月28にち 1907ねん明治めいじ40ねん03月27にち 通常つうじょうかい
だい24かい帝国ていこく議会ぎかい 1907ねん明治めいじ40ねん)12月28にち 1908ねん明治めいじ41ねん03月26にち 通常つうじょうかい
だい25かい帝国ていこく議会ぎかい 1908ねん明治めいじ41ねん)12月25にち 1909ねん明治めいじ42ねん03月24にち 通常つうじょうかい
だい26かい帝国ていこく議会ぎかい 1909ねん明治めいじ42ねん)12月24にち 1910ねん明治めいじ43ねん03月23にち 通常つうじょうかい
だい27かい帝国ていこく議会ぎかい 1910ねん明治めいじ43ねん)12月23にち 1911ねん明治めいじ44ねん03月22にち 通常つうじょうかい
だい28かい帝国ていこく議会ぎかい 1911ねん明治めいじ44ねん)12月27にち 1912ねん明治めいじ45ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい29かい帝国ていこく議会ぎかい 1912ねん大正たいしょう元年がんねん08がつ23にち 1912ねん大正たいしょう元年がんねん08がつ25にち 臨時りんじかい 8がつ24にち明治天皇めいじてんのう大喪たいそう追加ついか予算よさんあん可決かけつ
だい30かい帝国ていこく議会ぎかい 1912ねん大正たいしょう元年がんねん)12月27にち 1913ねん大正たいしょう02ねん03月26にち 通常つうじょうかい だいいち護憲ごけん運動うんどう
だい31かい帝国ていこく議会ぎかい 1913ねん大正たいしょう02ねん)12月26にち 1914ねん大正たいしょう03ねん03月25にち 通常つうじょうかい シーメンス事件じけん
だい32かい帝国ていこく議会ぎかい 1914ねん大正たいしょう03ねん05月05にち 1914ねん大正たいしょう03ねん05月07にち 臨時りんじかい
だい33かい帝国ていこく議会ぎかい 1914ねん大正たいしょう03ねん06月22にち 1914ねん大正たいしょう03ねん06月28にち 臨時りんじかい
だい34かい帝国ていこく議会ぎかい 1914ねん大正たいしょう03ねん09月04にち 1914ねん大正たいしょう03ねん09月09にち 臨時りんじかい
だい35かい帝国ていこく議会ぎかい 1914ねん大正たいしょう03ねん)12月07にち 1914ねん大正たいしょう03ねん)12月25にち 通常つうじょうかい 1914ねん大正たいしょう3ねん)12月25にち解散かいさん
だい36かい帝国ていこく議会ぎかい 1915ねん大正たいしょう04ねん05がつ20日はつか 1915ねん大正たいしょう04ねん06がつ09にち 特別とくべつかい
だい37かい帝国ていこく議会ぎかい 1915ねん大正たいしょう04ねん)12月01にち 1916ねん大正たいしょう05ねん02がつ28にち 通常つうじょうかい
だい38かい帝国ていこく議会ぎかい 1916ねん大正たいしょう05ねん)12月27にち 1917ねん大正たいしょう06ねん01がつ25にち 通常つうじょうかい 1917ねん大正たいしょう6ねん01がつ25にち解散かいさん
だい39かい帝国ていこく議会ぎかい 1917ねん大正たいしょう06ねん06月23にち 1917ねん大正たいしょう06ねん07がつ14にち 特別とくべつかい
だい40かい帝国ていこく議会ぎかい 1917ねん大正たいしょう06ねん)12月27にち 1918ねん大正たいしょう07ねん03月26にち 通常つうじょうかい
だい41かい帝国ていこく議会ぎかい 1918ねん大正たいしょう07ねん)12月27にち 1919ねん大正たいしょう08ねん03月26にち 通常つうじょうかい
だい42かい帝国ていこく議会ぎかい 1919ねん大正たいしょう08ねん)12月26にち 1920ねん大正たいしょう09ねん02がつ26にち 通常つうじょうかい 1920ねん大正たいしょう9ねん02がつ26にち解散かいさん
だい43かい帝国ていこく議会ぎかい 1920ねん大正たいしょう09ねん07がつ01にち 1920ねん大正たいしょう09ねん07がつ28にち 特別とくべつかい
だい44かい帝国ていこく議会ぎかい 1920ねん大正たいしょう09ねん)12月27にち 1921ねん大正たいしょう10ねん03月26にち 通常つうじょうかい
だい45かい帝国ていこく議会ぎかい 1921ねん大正たいしょう10ねん)12月26にち 1922ねん大正たいしょう11ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい46かい帝国ていこく議会ぎかい 1922ねん大正たいしょう11ねん)12月27にち 1923ねん大正たいしょう12ねん03月26にち 通常つうじょうかい
だい47かい帝国ていこく議会ぎかい 1923ねん大正たいしょう12ねん)12月11にち - 1923ねん大正たいしょう12ねん)12月23にち 臨時りんじかい
だい48かい帝国ていこく議会ぎかい 1923ねん大正たいしょう12ねん)12月27にち 1924ねん大正たいしょう13ねん01がつ31にち 通常つうじょうかい だい護憲ごけん運動うんどう
1924ねん大正たいしょう13ねん01がつ31にち解散かいさん
だい49かい帝国ていこく議会ぎかい 1924ねん大正たいしょう13ねん06月28にち 1924ねん大正たいしょう13ねん07がつ18にち 特別とくべつかい
だい50かい帝国ていこく議会ぎかい 1924ねん大正たいしょう13ねん)12月26にち 1925ねん大正たいしょう14ねん03月30にち 通常つうじょうかい 普通ふつう選挙せんきょほう治安ちあん維持いじほう
だい51かい帝国ていこく議会ぎかい 1925ねん大正たいしょう14ねん)12月26にち 1926ねん大正たいしょう15ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい52かい帝国ていこく議会ぎかい 1926ねん昭和しょうわ元年がんねん)12月26にち 1927ねん昭和しょうわ02ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい53かい帝国ていこく議会ぎかい 1927ねん昭和しょうわ02ねん05月04にち 1927ねん昭和しょうわ02ねん05月08にち 臨時りんじかい
だい54かい帝国ていこく議会ぎかい 1927ねん昭和しょうわ02ねん)12月26にち 1928ねん昭和しょうわ03ねん01がつ21にち 通常つうじょうかい 1928ねん昭和しょうわ03ねん01がつ21にち解散かいさん
だい55かい帝国ていこく議会ぎかい 1928ねん昭和しょうわ03ねん04がつ23にち 1928ねん昭和しょうわ03ねん05月06にち 特別とくべつかい (25さい以上いじょう男子だんし普通ふつう選挙せんきょはつ議会ぎかい
だい56かい帝国ていこく議会ぎかい 1928ねん昭和しょうわ03ねん)12月26にち 1929ねん昭和しょうわ04ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい57かい帝国ていこく議会ぎかい 1929ねん昭和しょうわ04ねん)12月26にち 1930ねん昭和しょうわ05ねん01がつ21にち 通常つうじょうかい 1930ねん昭和しょうわ05ねん01がつ21にち解散かいさん
だい58かい帝国ていこく議会ぎかい 1930ねん昭和しょうわ05ねん04がつ23にち 1930ねん昭和しょうわ05ねん05月13にち 特別とくべつかい
だい59かい帝国ていこく議会ぎかい 1930ねん昭和しょうわ05ねん)12月26にち 1931ねん昭和しょうわ06ねん03月27にち 通常つうじょうかい
だい60かい帝国ていこく議会ぎかい 1931ねん昭和しょうわ06ねん)12月26にち 1932ねん昭和しょうわ07ねん01がつ21にち 通常つうじょうかい 1932ねん昭和しょうわ07ねん01がつ21にち解散かいさん
だい61かい帝国ていこく議会ぎかい 1932ねん昭和しょうわ07ねん03がつ20日はつか - 1932ねん昭和しょうわ07ねん03月24にち 臨時りんじかい
だい62かい帝国ていこく議会ぎかい 1932ねん昭和しょうわ07ねん06がつ01にち 1932ねん昭和しょうわ07ねん06月14にち 臨時りんじかい
だい63かい帝国ていこく議会ぎかい 1932ねん昭和しょうわ07ねん08がつ23にち 1932ねん昭和しょうわ07ねん09月04にち 臨時りんじかい いわゆる時局じきょくただしすくい議会ぎかい
だい64かい帝国ていこく議会ぎかい 1932ねん昭和しょうわ07ねん)12月26にち 1933ねん昭和しょうわ08ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい65かい帝国ていこく議会ぎかい 1933ねん昭和しょうわ08ねん)12月26にち 1934ねん昭和しょうわ09ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい66かい帝国ていこく議会ぎかい 1934ねん昭和しょうわ09ねん)11月28にち 1934ねん昭和しょうわ09ねん)12がつ10日とおか 臨時りんじかい
だい67かい帝国ていこく議会ぎかい 1934ねん昭和しょうわ09ねん)12月26にち 1935ねん昭和しょうわ10ねん03月25にち 通常つうじょうかい 天皇てんのう機関きかんせつ事件じけん
だい68かい帝国ていこく議会ぎかい 1935ねん昭和しょうわ10ねん)12月26にち 1936ねん昭和しょうわ11ねん01がつ21にち 通常つうじょうかい 1936ねん昭和しょうわ11ねん01がつ21にち解散かいさん
だい69かい帝国ていこく議会ぎかい 1936ねん昭和しょうわ11ねん05月04にち 1936ねん昭和しょうわ11ねん05月26にち 特別とくべつかい 粛軍しゅくぐん演説えんぜつ
だい70かい帝国ていこく議会ぎかい 1936ねん昭和しょうわ11ねん)12月26にち 1937ねん昭和しょうわ12ねん03月31にち 通常つうじょうかい 腹切はらき問答もんどう
1937ねん昭和しょうわ12ねん03月31にち解散かいさん
だい71かい帝国ていこく議会ぎかい 1937ねん昭和しょうわ12ねん07がつ25にち 1937ねん昭和しょうわ12ねん08がつ07にち 特別とくべつかい
だい72かい帝国ていこく議会ぎかい 1937ねん昭和しょうわ12ねん09月04にち 1937ねん昭和しょうわ12ねん09月08にち 臨時りんじかい
だい73かい帝国ていこく議会ぎかい 1937ねん昭和しょうわ12ねん)12月26にち 1938ねん昭和しょうわ13ねん03月26にち 通常つうじょうかい だまれ」事件じけん
だい74かい帝国ていこく議会ぎかい 1938ねん昭和しょうわ13ねん)12月26にち 1939ねん昭和しょうわ14ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい75かい帝国ていこく議会ぎかい 1939ねん昭和しょうわ14ねん)12月26にち 1940ねん昭和しょうわ15ねん03月26にち 通常つうじょうかい 反軍はんぐん演説えんぜつ
だい76かい帝国ていこく議会ぎかい 1940ねん昭和しょうわ15ねん)12月26にち 1941ねん昭和しょうわ16ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい77かい帝国ていこく議会ぎかい 1941ねん昭和しょうわ16ねん)11月16にち 1941ねん昭和しょうわ16ねん)11がつ20日はつか 臨時りんじかい
だい78かい帝国ていこく議会ぎかい 1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月16にち 1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月17にち 臨時りんじかい
だい79かい帝国ていこく議会ぎかい 1941ねん昭和しょうわ16ねん)12月26にち 1942ねん昭和しょうわ17ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい80かい帝国ていこく議会ぎかい 1942ねん昭和しょうわ17ねん05月27にち 1942ねん昭和しょうわ17ねん05月28にち 臨時りんじかい
だい81かい帝国ていこく議会ぎかい 1942ねん昭和しょうわ17ねん)12月26にち - 1943ねん昭和しょうわ18ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい82かい帝国ていこく議会ぎかい 1943ねん昭和しょうわ18ねん06月16にち 1943ねん昭和しょうわ18ねん06月18にち 臨時りんじかい
だい83かい帝国ていこく議会ぎかい 1943ねん昭和しょうわ18ねん)10がつ26にち 1943ねん昭和しょうわ18ねん)10がつ28にち 臨時りんじかい
だい84かい帝国ていこく議会ぎかい 1943ねん昭和しょうわ18ねん)12月26にち 1944ねん昭和しょうわ19ねん03月24にち 通常つうじょうかい
だい85かい帝国ていこく議会ぎかい 1944ねん昭和しょうわ19ねん09月07にち 1944ねん昭和しょうわ19ねん09月11にち 臨時りんじかい
だい86かい帝国ていこく議会ぎかい 1944ねん昭和しょうわ19ねん)12月26にち 1945ねん昭和しょうわ20ねん03月25にち 通常つうじょうかい
だい87かい帝国ていこく議会ぎかい 1945ねん昭和しょうわ20ねん06がつ09にち 1945ねん昭和しょうわ20ねん06月12にち 臨時りんじかい 義勇ぎゆう兵役へいえきほう天罰てんばつ発言はつげん事件じけん
だい88かい帝国ていこく議会ぎかい 1945ねん昭和しょうわ20ねん09月04にち 1945ねん昭和しょうわ20ねん09月05にち 臨時りんじかい
だい89かい帝国ていこく議会ぎかい 1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月27にち 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月18にち 臨時りんじかい 1945ねん昭和しょうわ20ねん)12月18にち解散かいさん
だい90かい帝国ていこく議会ぎかい 1946ねん昭和しょうわ21ねん06がつ20日はつか 1946ねん昭和しょうわ21ねん)10がつ11にち 臨時りんじかい (20さい以上いじょう男女だんじょ普通ふつう選挙せんきょ
女性じょせい参政さんせいけん制定せいていはつ議会ぎかい
だい22かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ当選とうせんした
39めい女性じょせい衆議院しゅうぎいん議員ぎいん参加さんか
日本国にっぽんこく憲法けんぽう大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう改正かいせいあん審議しんぎ
だい91かい帝国ていこく議会ぎかい 1946ねん昭和しょうわ21ねん)11月26にち 1946ねん昭和しょうわ21ねん)12月25にち 臨時りんじかい
だい92かい帝国ていこく議会ぎかい 1946ねん昭和しょうわ21ねん)12月28にち 1947ねん昭和しょうわ22ねん03月31にち 通常つうじょうかい 最後さいご帝国ていこく議会ぎかい
1947ねん昭和しょうわ22ねん03月31にち解散かいさん
同年どうねん5がつ6にち詔書しょうしょ公布こうふ、5がつ20日はつか召集しょうしゅう
6月23にち開会かいかいしきの「だい1かい国会こっかい特別とくべつかい)」に継承けいしょうされる。

議事ぎじろく

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帝国ていこく議会ぎかいほん会議かいぎではだい1かいから速記そっきろくの「衆議院しゅうぎいん議事ぎじ速記そっきろく」と「貴族きぞくいん議事ぎじ速記そっきろく」、要領ようりょう筆記ひっきの「衆議院しゅうぎいん議事ぎじろく」と「貴族きぞくいん議事ぎじろく」が作成さくせいされた[9]公式こうしき記録きろく議長ぎちょう署名しょめいおこな議事ぎじろくとされ速記そっきろく優先ゆうせんしてあつかわれたが、議事ぎじろく議院ぎいん内部ないぶ資料しりょうとされ頒布はんぷされることはなかった[9]だい1ごう帝国ていこく議会ぎかい議事ぎじ速記そっきろく明治めいじ23ねん12月3にち官報かんぽう付録ふろくとして発行はっこうされている[9]

委員いいんかいでも速記そっきろく議事ぎじろく作成さくせいされたが両院りょういんあつかいがことなっていた[9]衆議院しゅうぎいんでは委員いいん会議かいぎろくとして「衆議院しゅうぎいん委員いいん会議かいぎろく」が作成さくせいされ、ほん会議かいぎおなじく速記そっきろく議事ぎじろく作成さくせいされていたが、だい15かい帝国ていこく議会ぎかい速記そっきろく一本いっぽんされこれを「衆議院しゅうぎいん委員いいん会議かいぎろく」とした[9]貴族きぞくいんでは委員いいんかい会議かいぎろくとしてほん会議かいぎおなじく「貴族きぞくいん委員いいん会議かいぎごと速記そっきろく」と「貴族きぞくいん委員いいん会議かいぎごとろく」が作成さくせいされた[9]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ もっとも、政府せいふ軍部ぐんぶがわ国民こくみん敵国てきこくたいして「挙国一致きょこくいっち」の体裁ていさいをみせなければならなかったために、議員ぎいんたちにも政府せいふ役職やくしょく一部いちぶ配分はいぶんし、戦争せんそう遂行すいこう直接ちょくせつ関係かんけいしない分野ぶんやでは議会ぎかい立場たちば配慮はいりょするなどの一定いってい譲歩じょうほがなされはしたが、それがために、その利益りえきけた議会ぎかい指導しどうしゃ主流しゅりゅう積極せっきょくてき翼賛よくさん議会ぎかい確立かくりつつとめ、政府せいふ軍部ぐんぶ方針ほうしん批判ひはんてき一部いちぶ議員ぎいん議会ぎかい内部ないぶからも圧力あつりょくけた。
  2. ^ ただし、伯爵はくしゃく以下いか議員ぎいんについては7ねんに1互選ごせんおこなわれて、その代表だいひょう議員ぎいんとなることになっていた。
  3. ^ まん30さい以上いじょう男子だんしで、貴族きぞくいんれいだい1じょうで「国家こっかくんろうアリまた学識がくしきアルしゃヨリとくみことのりにんセラレタルしゃ」から定員ていいんは125めい以内いないで、みことのりせんされた。終身しゅうしん議員ぎいん
  4. ^ まん30さい以上いじょう男子だんしで、直接ちょくせつ国税こくぜい納税のうぜいがくおおもの任期にんきは7ねん互選ごせん
  5. ^ 貴族きぞくいんれいだい4改正かいせい(だい50かい帝国ていこく議会ぎかい)でもうけられた。帝国ていこく学士がくしいん会員かいいんまん30さい以上いじょう男子だんしなかから4めいを、互選ごせん選出せんしゅつする。任期にんきは7ねんである。
  6. ^ 貴族きぞくいんれいだい5改正かいせい(だい86かい帝国ていこく議会ぎかい)で朝鮮ちょうせんおよ台湾たいわん住民じゅうみん政治せいじてき処遇しょぐう改善かいぜんするため、朝鮮ちょうせんおよ台湾たいわん在住ざいじゅうするまん30さい以上いじょう男子だんし名望めいぼうあるもの10にん以内いないみことのりせんで、任期にんきは7ねん敗戦はいせんともない、だい6改正かいせい(だい90かい帝国ていこく議会ぎかい) で廃止はいしされた。
  7. ^ 1891ねん(明治めいじ24)2がつ20日はつか天野あまのわかえん大成たいせいかい)が提出ていしゅつした、「衆議院しゅうぎいん大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうだい67じょう関連かんれん予算よさん削減さくげん審議しんぎするさいには、事前じぜん政府せいふ了解りょうかいる」という決議けつぎ衆議院しゅうぎいん可決かけつされ、政府せいふもこれを了承りょうしょうした。これは一見いっけん帝国ていこく議会ぎかいにおける予算よさん削減さくげん権限けんげん自主じしゅてき制約せいやくしたようにもみえるが、うらかえせば、予算よさん先議せんぎけんがある衆議院しゅうぎいん政府せいふ合意ごういした予算よさん削減さくげん貴族きぞくいんがさらに修正しゅうせいくわえる余地よちうばうもので、衆議院しゅうぎいん予算よさん審議しんぎにおける貴族きぞくいんたいする優越ゆうえつけんを、議会ぎかい慣習かんしゅうかたち事実じじつじょう確立かくりつしたものであった。
  8. ^ 議会ぎかい成立せいりつした議員ぎいん提案ていあん法律ほうりつあん天皇てんのう裁可さいかられずに成立せいりつしなかったれいはない。
  9. ^ 5じょうにより、「立法りっぽうけん天皇てんのうにあり、帝国ていこく議会ぎかい協賛きょうさん機関きかんぎない」とみるか、「帝国ていこく憲法けんぽう37じょうにより立法りっぽう協賛きょうさんを『ようス』てん着目ちゃくもくして、実質じっしつてき立法りっぽう機関きかんであった」とるかで、帝国ていこく議会ぎかいへの評価ひょうかことなる。前者ぜんしゃ翼賛よくさん政治せいじ体制たいせい象徴しょうちょうてきにみられ、後者こうしゃ大正たいしょうデモクラシーもっとつよあらわれた。
  10. ^ ただし、緊急きんきゅうみことのりれい議会ぎかいつぎ会期かいき承諾しょうだくなければ将来しょうらいかって効力こうりょく消失しょうしつし、非常ひじょう大権たいけん帝国ていこく憲法けんぽうではいち発動はつどうされなかった。
  11. ^ 予算よさん審議しんぎ衆議院しゅうぎいん先議せんぎ(65じょう)であったが決算けっさん政府せいふから両院りょういん提出ていしゅつされ、かくいん別々べつべつ決議けつぎし、決議けつぎしたものはいん送付そうふされない。よって、両院りょういん決議けつぎことなることがあった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i 百瀬ももせたかし 1990, p. 36.
  2. ^ a b 百瀬ももせたかし 1990, p. 38.
  3. ^ 百瀬ももせたかし 1990, p. 40.
  4. ^ a b c d 百瀬ももせたかし 1990, p. 37.
  5. ^ 旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん さんていばん憲政けんせい常道じょうどう』 - コトバンク
  6. ^ 旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん さんていばん挙国一致きょこくいっちないかく』 - コトバンク
  7. ^ 帝国ていこく議会ぎかい運営うんえい会議かいぎろくをめぐって」大山おおやま英久ひでひさ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん調査ちょうさおよ立法りっぽう考査こうさきょく調査ちょうさ企画きかくNo.652)2005ねん(平成へいせい17)5がつ[1]PDF-P.9
  8. ^ 大山おおやま英久ひでひさ帝国ていこく議会ぎかい運営うんえい会議かいぎろくをめぐって」[2](『レファレンス』 No.652、2005ねん5がつ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん
  9. ^ a b c d e f 石倉いしくら賢一けんいち, 「国会こっかい会議かいぎろくについて」『大学だいがく図書館としょかん研究けんきゅう』 1984ねん 25かん p.39-44, doi:10.20722/jcul.769、2021ねん5がつ19にち閲覧えつらん

文献ぶんけん情報じょうほう

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  • 帝国ていこく議会ぎかい運営うんえい会議かいぎろくをめぐって」大山おおやま英久ひでひさ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん調査ちょうさおよ立法りっぽう考査こうさきょく調査ちょうさ企画きかくNo.652(2005ねん5がつ))[3]
  • 百瀬ももせたかし事典じてん 昭和しょうわせん前期ぜんき日本にっぽん制度せいど実態じったい伊藤いとうたかし監修かんしゅう初版しょはん)、吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1990ねんISBN 9784642036191 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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