(Translated by https://www.hiragana.jp/)
徳 - Wikipedia

とく(とく、まれ: ἀρετή(アレテー)、 : virtūsヴィルトゥス)、えい: virtue(ヴァーチュー)は、社会しゃかい通念つうねんうえよいとされる、人間にんげん気質きしつ能力のうりょくである[1]

とく卓越たくえつせい有能ゆうのうせいで、それを所持しょじするひとがそのことによって特記とっきされる[独自どくじ研究けんきゅう?]ものである。人間にんげんそなわってはじめて、とく特質とくしつとなる。[よう出典しゅってん]とくは、社会しゃかいてき経験けいけん道徳どうとくてき訓練くんれんなどによって獲得かくとくすることができる。とくそなえた人間にんげん人間にんげんからの信頼しんらい尊敬そんけい獲得かくとくしながら、人間にんげん関係かんけい構築こうちく組織そしき運営うんえいすすめることができる。[独自どくじ研究けんきゅう?]とく人間にんげんせい構成こうせいする多様たよう精神せいしん要素ようそからっており、気品きひん意志いし温情おんじょう理性りせい忠誠ちゅうせい勇気ゆうき名誉めいよ誠実せいじつ自信じしん謙虚けんきょ健康けんこう楽天らくてん主義しゅぎなどが個々ここ徳目とくもく位置付いちづけることができる。[よう出典しゅってん]

中華ちゅうか文明ぶんめいにおけるとく

編集へんしゅう

とくとく拼音: dé )は中国ちゅうごく哲学てつがくとく儒教じゅきょうにおいて重要じゅうよう概念がいねんである。

なお、「とく」という漢字かんじは、おとあらわす「徝」と意味いみしめす「しん」からなる形声けいせい文字もじである(『せつぶんかい』では「惪」と「彳」とから構成こうせいされると解釈かいしゃくされているが、これはあやまった分析ぶんせきである)。この文字もじいんだい資料しりょう甲骨文字こうこつもじなど)には存在そんざいせず、西にしあまね時代じだいになってつくられた。[2][3]

儒教じゅきょうとく

編集へんしゅう

儒教じゅきょうてきとく人間にんげん道徳どうとくてき卓越たくえつせいあらわし、具体ぐたいてきにはひとしよしれいさとししん五徳ごとくこうただし実践じっせんとしてあらわされる。そして、とく人間にんげん道徳どうとくせいから発展はってんして統治とうち根本こんぽん原理げんりとされ、治世ちせいしゃすぐれたとくによる教化きょうかによって秩序ちつじょ安定あんていがもたらされるとかんがえられた。前漢ぜんかんにおいて儒教じゅきょうは「儒教じゅきょう」とはばれず、もっぱら法家ほうか思想しそう法治ほうちけい対抗たいこうする意味いみで「とくきょう」とんでいた。儒教じゅきょう思想しそうにおいて重要じゅうよう規範きはんてき価値かちは、まれによってではなくそのひととくあらわれた実際じっさいりょう結果けっかによって社会しゃかいてき地位ちいけつせらるべきであるということである。

道家どうかとく

編集へんしゅう

道家みちやとくは、根本こんぽんてき実在じつざいであるみち万物ばんぶつ自然しぜん生成せいせい化育かいくするはたらあらわす。『老子ろうし』はそのを『道徳どうとくけい』ともわれる。

陰陽いんようとく

編集へんしゅう

陰陽いんよう王朝おうちょう交替こうたいとく木徳きとくきむいさおとくみずとくぎょう循環じゅんかんによるとかんがえた。これを五徳ごとく終始しゅうしせつという。

法家ほうかとく

編集へんしゅう

法家ほうかとくは、「けい」と対照たいしょうさせられる恩賞おんしょう意味いみであり、恩賞おんしょう必罰の「とくけい」として統治とうちのための道具どうぐかんがえられた。

仏教ぶっきょうにおけるとく

編集へんしゅう

仏教ぶっきょうとくには、性質せいしつとしてのとくである(: guṇa)、くだりとしてとくである(: vṛtta)、果報かほうとしてのとくである(: puṇya)などがある[4]。そのいずれもが「とく」または「功徳くどく」と、一義いちぎかんやくされた(ほうはて場合ばあいは「福田ふくだ」というようにべつかんやくもなされることはあった)[4]。なお、ぜん行為こういには宗教しゅうきょうてきなものと世俗せぞくてきなものがあり、世俗せぞくてきなものは真実しんじつ功徳くどくではない不実ふじつ功徳くどくとされる[5]

西洋せいよう哲学てつがくにおけるとく

編集へんしゅう

西洋せいようてきとく目録もくろくすくなくとも、知恵ちえ勇気ゆうき節制せっせい正義まさよしというプラトーンの『国家こっか』(435,また443)のそれにまでさかのぼられる。より包括ほうかつてき目録もくろくアリストテレースの『ニコマコス倫理りんりがく』に見出みいだされる。とく概念がいねん古代こだい哲学てつがくにおいて共通きょうつう話題わだいであったし、それらはキケローによって採用さいようされたのでキリストきょう哲学てつがくしゃひろれられ、カトリック神学しんがく要諦ようたいとなった。

なお、この場合ばあいとくとは、virtue訳語やくごとしててられている。

謙遜けんそん

編集へんしゅう

古代こだいギリシアローマでは謙遜けんそんというとくられていなかった。「新約しんやく聖書せいしょ」の「エペソしょ」や聖典せいてん外典げてんの「じゅう使徒しとおし」、いわゆるディダケーなどにてくる、タペイノプロシューネーなる言葉ことば最初さいしょである。直義ただよし乞食こじき心構こころがまえ。キリスト教きりすときょう成立せいりつまではとくとして謙遜けんそんげられることはなかった。

四元よつもといさお(cardinal virtues)

編集へんしゅう

西洋せいよう古典こてん世界せかい基本きほんてきな (cardinal) とくvirtūtēs cardinālēs )は、

である。これは、ギリシアてき教養きょうよう由来ゆらいするもので、プラトーン著作ちょさくゴルギアース』や主著しゅちょ国家こっか』でこれらのとく議論ぎろんされた。

とく調和ちょうわ

編集へんしゅう

古典こてん哲学てつがくしゃとくアリストテレースは、ひとはこれらのとく完全かんぜん追求ついきゅうするためにすべてを習得しゅうとくせねばならないととなえた。たとえば、まさしくあるためにひとかしこくあらねばならない。とく調和ちょうわという論点ろんてん論争ろんそうぶ。人間にんげんかしこくあることなしに勇敢ゆうかんでありうるし、まさしくあることなしによく節制せっせいされうる、などと議論ぎろんできよう。また、人間にんげん最上さいじょう状態じょうたいは「中庸ちゅうよう」において発揮はっきされるとし、「中庸ちゅうようとく」をいた。

思慮しりょとく

編集へんしゅう

ストアセネカは、完全かんぜん思慮しりょ完全かんぜんとく区別くべつできない、とった。かれ論点ろんてんは、もしひともっととお視野しやってすべての結果けっか考慮こうりょすれば、結局けっきょく完全かんぜん思慮しりょふかひと完全かんぜん高徳こうとく人間にんげんおなじように行為こういするだろう、ということだ。おおくの哲学てつがくしゃは「各々おのおのとくはいかに思慮しりょふかくあるのか」をめることに「各々おのおのとくはいかに調和ちょうわするのか」をめるのと同様どうよう価値かち見出みいだしていた。

キリスト教きりすときょうとく

編集へんしゅう

キリスト教きりすときょうにおいて神学しんがくてきとくは、コリント書とがき13:13に由来ゆらいする信仰しんこう希望きぼうあい (charity) である。これらは、かみ人間にんげんへのあい完全かんぜんにするという特殊とくしゅ慣習かんしゅうてき意味いみっている。これらとく調和ちょうわとこれらへの思慮しりょ相伴しょうばん主張しゅちょうされ、キリストきょう神学しんがく特色とくしょくをなす。

とく悪徳あくとく

編集へんしゅう

とく反対はんたい悪徳あくとくである。悪徳あくとくをなす1つの方法ほうほうは、とく腐敗ふはいさせることである。こうして、四元よつもといさお愚昧ぐまい無節操むせっそう臆病おくびょう貪欲どんよくとなるだろう。キリストきょう神学しんがくてき悪徳あくとくは、偽証ぎしょう強欲ごうよく憎悪ぞうお偽善ぎぜんとなる。[よう出典しゅってん]

しかしながら、アリストテレースとくがいくつか反対はんたいぶつちうることを指摘してきしていた。とくは2つの極端きょくたんなかあいだとしてかんがえられうる(→中庸ちゅうよう)。たとえば、臆病おくびょう蛮勇ばんゆう両方りょうほう勇気ゆうき反対はんたいであり、それらは思慮しりょはんして過度かど慎重しんちょう過小かしょう慎重しんちょう両方りょうほうなのである。より「近代きんだいの」とくである寛容かんよう一方いっぽうにおけるしんせまさと他方たほうにおける愚鈍ぐどんさとの2つの極端きょくたん中間ちゅうかんかんがえられる。したがって悪徳あくとくは、とく反対はんたいとして同定どうていできるが、各々おのおのとくすべほかとはことなるおおくの反対はんたいぶつつことがありうるというとしあなともなうことになる。

関連かんれん

編集へんしゅう
  • とく」の日本にっぽんにおいては人名じんめいよう漢字かんじとしてももちいられる。みは「のり」「とく」などが一般いっぱんてきであるが、これ以外いがいかたをするれいもある。貴人きじん称号しょうごうもちいる場合ばあいには慰撫いぶ意味いみめられる場合ばあいおおい。
  • 日本にっぽんでは当用漢字とうようかんじ字体じたいひょうに「とく」が採用さいようされるまえは、おもに「とく」の字体じたいきゅう字体じたい)をもちいた。戸籍こせきとうではきゅう字体じたいの「とく」であっても日常にちじょうでは「とく」を使用しようしている場合ばあいおおい。(歌手かしゅ德永とくなが英明ひであき途中とちゅうから「とく」を使つかっている。)

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ だいはん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてんない言及げんきゅう, 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん,ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん,デジタル大辞泉だいじせん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん. “とくとは”. コトバンク. 2022ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  2. ^ ちょうちょう; まごしのげやす; かねこくやすし; うま如森 (1996), 金文きんぶんがたどおりかい, 京都きょうと: ちゅうぶん出版しゅっぱんしゃ, pp. 372–375, ISBN 7-300-01759-2 
  3. ^ 煒 (2016), 西にししゅうきん文字もじ関係かんけい研究けんきゅう, 上海しゃんはい: 上海しゃんはいせき出版しゅっぱんしゃ, p. 241–242, ISBN 978-7-5325-7977-8 
  4. ^ a b 中村なかむらはじめちょこうせつ佛教ぶっきょうだい辞典じてん下巻げかんとく」, 上巻じょうかん功徳くどく」。
  5. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)の解説かいせつ功徳くどく

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう