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文和 - Wikipedia

文和ふみかず

日本にっぽん元号げんごう

文和ふみかず (ぶんな、ぶんわ、きゅう字体じたいぶん󠄁)は、日本にっぽん南北なんぼくあさ時代じだい元号げんごうひとつ。北朝ほくちょうかたにて使用しようされた。かんおうのちのべぶんまえ西暦せいれきでは1352ねんから1356ねんまでの期間きかんす。この時代じだい天皇てんのうは、きた朝方あさがた後光ごこうげん天皇てんのうみなみ朝方あさがた後村上天皇ごむらかみてんのう室町むろまち幕府ばくふ将軍しょうぐん足利尊氏あしかがたかうじ

改元かいげん

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当時とうじだいはじめ改元かいげん即位そくい翌年よくねんおこなう踰年改元かいげん一般いっぱんてきであったが、正平しょうへい一統いっとうから緊迫きんぱくした政治せいじ状況じょうきょうにおいて、足利尊氏あしかがたかうじ名代なだいであった嫡男ちゃくなん義詮よしあきら北朝ほくちょうなおしのために至急しきゅう改元かいげんもとめる武家ぶけ執奏しっそうおこない、しん天皇てんのう践祚せんそから1かげつあまりで改元かいげん実施じっしされた[1]

出典しゅってん

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きゅうとうしょじゅんそうおさむの「あきらあきらゆたかぶん寛和ひろかず仁恵じんけい」と『三国志さんごくしこころざしまごけんつての「文和ふみかず於内、武信たけのぶ于外」から。

文和ふみかずにおきた出来事できごと

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西暦せいれきとの対照たいしょうひょう

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※はしょうつきしめす。

文和ふみかず元年がんねんみずのえたつ いちがつ がつ うるうがつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
正平しょうへいななねん
ユリウスれき 1352/1/18 2/16 3/17 4/15 5/14 6/13 7/12 8/11 9/9 10/9 11/8 12/8 1353/1/6
文和ふみかずねん癸巳きし いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
正平しょうへいはちねん
ユリウスれき 1353/2/5 3/6 4/5 5/4 6/2 7/2 7/31 8/30 9/28 10/28 11/27 12/27
文和ふみかずさんねんきのえうま いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ うるうじゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
正平しょうへいきゅうねん
ユリウスれき 1354/1/25 2/24 3/25 4/24 5/23 6/21 7/21 8/19 9/17 10/17 11/16 12/15 1355/1/14
文和ふみかずよんねん乙未おとみ いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
正平しょうへいじゅうねん
ユリウスれき 1355/2/13 3/15 4/13 5/13 6/11 7/10 8/9 9/7 10/6 11/5 12/5 1356/1/3
文和ふみかずねんへいさる いちがつ がつ さんがつ よんがつ 五月ごがつ 六月ろくがつ なながつ はちがつ きゅうがつ じゅうがつ 十一月じゅういちがつ 十二月じゅうにがつ
正平しょうへいじゅういちねん
ユリウスれき 1356/2/2 3/3 4/2 5/1 5/31 6/29 7/28 8/27 9/25 10/24 11/23 12/23

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ひさすい俊和としかず室町むろまち時代じだい改元かいげんにおける公武こうぶ関係かんけい」(初出しょしゅつ:『年報ねんぽう中世ちゅうせい研究けんきゅう』34ごう(2009ねん)/改題かいだい所収しょしゅう改元かいげんをめぐる公家くげ武家ぶけひさすい室町むろまち朝廷ちょうてい公事こうじ公武こうぶ関係かんけい』(岩田いわた書院しょいん、2011ねんISBN 978-4-87294-705-2

関連かんれん項目こうもく

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