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斯波孝四郎 - Wikipedia

斯波しば孝四郎こうしろう

日本にっぽん実業じつぎょう技術ぎじゅつしゃ

斯波しば 孝四郎こうしろう(しば こうしろう、1875ねん明治めいじ8ねん1がつ24にち[1]1971ねん昭和しょうわ46ねん6月13にち[2])は、日本にっぽん実業じつぎょう技術ぎじゅつしゃつまアイ子あいこ白根しらねせんいちむすめ[3]

三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう1934ねん会長かいちょう斯波しば孝四郎こうしろう[注釈ちゅうしゃく 1]

生涯しょうがい

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もと加賀かがはん家老がろう斯波しばしげる次男じなんとして石川いしかわけん金沢かなざわまれる[3]第一高等学校だいちこうとうがっこう[2]1899ねん明治めいじ32ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく工科こうか大学だいがく造船ぞうせん卒業そつぎょう[2]同年どうねん三菱みつびし造船ぞうせん株式会社かぶしきがいしゃ入社にゅうしゃ[2]長崎造船所なかざきぞうせんじょ所長しょちょう三菱みつびし造船ぞうせん常務じょうむつとめ、1934ねん昭和しょうわ9ねん)、三菱みつびし造船ぞうせん三菱みつびし航空機こうくうき統合とうごうして三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう発足ほっそくさせその初代しょだい会長かいちょう就任しゅうにんした[2]1942ねん昭和しょうわ17ねん)に三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう会長かいちょう退任たいにんし、造船ぞうせん統制とうせいかい会長かいちょう就任しゅうにん[1]1945ねん昭和しょうわ20ねん)までつとめた。

だい世界せかい大戦たいせんこうGHQにより公職こうしょく追放ついほう[よう出典しゅってん]解除かいじょ経団連けいだんれん評議ひょうぎかい議長ぎちょう初代しょだい)、どう顧問こもん、および日経連にっけいれん顧問こもんなどをつとめたほか、日本にっぽん海事かいじ協会きょうかい理事りじちょう日本にっぽん工業こうぎょう倶楽部くらぶ評議ひょうぎかいふく会長かいちょう歴任れきにんするなど、造船ぞうせん業界ぎょうかい長老ちょうろうとしておもきをした[1][2]1970ねん昭和しょうわ45ねん)、勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう受章じゅしょう[よう出典しゅってん]墓所はかしょ雑司ヶ谷ぞうしがや霊園れいえん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 当時とうじ常務じょうむは、ごうきよし伊藤いとう達三たつぞう元良もとら信太郎しんたろうの3めい取締役とりしまりやくは、岩崎いわさき小弥太こやた三好みよし重道しげみち川井かわいはじめはち永原ながはら伸雄のぶお伊集院いじゅういん清彦きよひこはら耕三こうぞう千頭ちかみ一生かずお笹本ささもと菊太郎きくたろう玉井たまいたかしすけ松井まつい小三郎こさぶろうの10めい出典しゅってん岩井いわい良太郎りょうたろう日本にっぽんコンツェルン全書ぜんしょ三菱みつびしコンツェルン読本とくほん(1937ねん春秋しゅんじゅうしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん)。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 三菱重工みつびしじゅうこう初代しょだい会長かいちょう斯波しば孝四郎こうしろうの「造船ぞうせん一筋ひとすじ人生じんせい回顧かいこだん”. ダイヤモンド・オンライン (2021ねん3がつ17にち). 2022ねん8がつ19にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f もと会長かいちょう 斯波しば孝四郎こうしろうくん 略歴りゃくれき公益社こうえきしゃだん法人ほうじん 日本にっぽん船舶せんぱく海洋かいようこう学会がっかい、1971ねんdoi:10.14856/zogakusi.505.0_ihttps://doi.org/10.14856/zogakusi.505.0_I2022ねん8がつ19にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 人事じんじ興信録こうしんろく だい25はん じょう』(人事じんじ興信所こうしんじょ、1969ねん)し11ぺーじ
先代せんだい
浜田はまだぴょう
三菱みつびし造船ぞうせん会長かいちょう三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう会長かいちょう
だい4だい:1934ねん - 1942ねん
次代じだい
ごうきよし
先代せんだい
初代しょだい
経済けいざい団体だんたい連合れんごうかい評議ひょうぎいんかい議長ぎちょう
初代しょだい:1946ねん - 1948ねん
次代じだい
高橋たかはし龍太郎りゅうたろう