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白根専一 - Wikipedia

白根しらね せんいち(しらね せんいち[2][3]) は日本にっぽん明治めいじ時代じだい内務ないむ官僚かんりょう政治せいじ長門ながとこく出身しゅっしん[3]愛媛えひめ愛知あいちけん知事ちじ内務ないむ次官じかん逓信ていしん大臣だいじんだい3だい内蔵ないぞうあたま宮中きゅうちゅう顧問こもんかん貴族きぞくいん議員ぎいんなどを歴任れきにん位階いかいしたがえ[2]勲等くんとうくんとう[2]爵位しゃくい男爵だんしゃく[2]

白根しらね せんいち
白根しらねせんいち
生年月日せいねんがっぴ よしみひさし2ねん12月22にち1850ねん2がつ3にち[1]
出生しゅっしょう 長門ながとこくはぎ
ぼつ年月日ねんがっぴ 明治めいじ31ねん1898ねん6月14にち[2]
出身しゅっしんこう 慶應義塾けいおうぎじゅく
所属しょぞく政党せいとう 国民こくみん協会きょうかい
称号しょうごう したがえ
くんとう
男爵だんしゃく

内閣ないかく だい2伊藤いとう内閣ないかく
だい2松方まつかた内閣ないかく
在任ざいにん期間きかん 1895ねん10月9にち - 1896ねん9月26にち

日本の旗 貴族きぞくいん議員ぎいん
選挙せんきょ 男爵だんしゃく議員ぎいん
在任ざいにん期間きかん 1897ねん7がつ10日とおか - 1898ねん6月14にち
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略歴りゃくれき

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1850ねん2がつ3にちよしみなが2ねん12月22にち)、長州ちょうしゅう藩士はんし白根しらね多助たすけ(のちの埼玉さいたま県令けんれい)の次男じなんまれる。長州ちょうしゅう藩校はんこう明倫めいりんかんまなび、いで上京じょうきょうし、明治めいじ1ねん1868ねん慶應義塾けいおうぎじゅく入学にゅうがく1872ねん明治めいじ5ねん司法省しほうしょう出仕しゅっし以後いご内務省ないむしょうおよ大蔵省おおくらしょう勤務きんむ1888ねん2がつから愛媛えひめ県知事けんちじ。1888ねん12月から愛知あいち県知事けんちじ。1890ねん5がつだい1やま縣内けんないかく内閣ないかく改造かいぞう西郷さいごう従道つぐみち内務ないむ大臣だいじんのもとで内務ないむ次官じかんとなった。同年どうねん11月29にち帝国ていこく議会ぎかい開設かいせつたっては、政府せいふ委員いいん12めい[4]一人ひとりとなった。1892ねん中央ちゅうおう交渉こうしょうかい国民こくみん協会きょうかい成立せいりつにも関与かんよ

1891ねん - 1892ねんだい1松方まつかた内閣ないかくでは、内務ないむ大臣だいじん品川しながわ弥二郎やじろうもとで、つづ内務ないむ次官じかんつとめた。1892ねんだい2かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょにおいて、品川しながわ白根しらねは、つながりのふかい「古参こさん地方ちほうかん」(地方ちほう有力ゆうりょく知事ちじ)や警察けいさつうごかしてだい規模きぼ選挙せんきょ干渉かんしょうおこない、みんとうがわ圧迫あっぱく後日ごじつ品川しながわ選挙せんきょ干渉かんしょう責任せきにん追及ついきゅうされ、これにかんする松方まつかた内閣ないかく対応たいおう辟易へきえきして辞任じにん白根しらね後任こうにん内務ないむ大臣だいじん副島そえじま種臣たねおみ選挙せんきょ干渉かんしょう責任せきにんしゃ処分しょぶん断行だんこうしようとしたことに反発はんぱつして、これを辞任じにんむが、松方まつかた最終さいしゅうてき白根しらね罷免ひめんし、動揺どうようしただい1松方まつかた内閣ないかくかくない意見いけん対立たいりつから8がつ崩壊ほうかいした。

1892ねん10がつから、みや内省ないせい内蔵ないぞうあたま明治めいじ28ねん1895ねん)10がつだい2伊藤いとう内閣ないかく改造かいぞうに、逓信ていしん大臣だいじんとなった(1895ねん10月9にち1896ねん9月26にち)。逓信ていしん大臣だいじん在任ざいにんちゅう1896ねん6月15にち三陸さんりく沿岸えんがん巨大きょだい地震じしん発生はっせいし、被災ひさいした三陸さんりく沿岸えんがん有力ゆうりょくしゃから「三陸さんりく鉄道てつどう株式会社かぶしきがいしゃ創立そうりつ申請しんせいしょ」をけた。1897ねん2がつ7にち男爵だんしゃく叙爵じょしゃく同年どうねん7がつ10日とおか貴族きぞくいん男爵だんしゃく議員ぎいん選出せんしゅつされ[5]歿年ぼつねんまでつとめた[6]1898ねん6月14にち胃癌いがんのため死去しきょした。

人物じんぶつ

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長州ちょうしゅう藩閥はんばつちちをもち、藩閥はんばつだい世代せだいたるが、かれ自身じしん内務ないむ官僚かんりょうとして、長州ちょうしゅうばつよりも内務省ないむしょう立場たちば優先ゆうせんする傾向けいこうがあった[7]職務しょくむ精通せいつうし、内務ないむ次官じかん時代じだいには実質じっしつてきには内務ないむ大臣だいじんをしのぐ影響えいきょうりょく省内しょうないおよぼしていた。品川しながわ弥二郎やじろうは、陸奥むつ宗光むねみつたいして、白根しらねを「壮士そうし次官じかん」をして紹介しょうかいしている[8]おな長州ちょうしゅう出身しゅっしん元老げんろう山縣やまがた有朋ありともともつながりがふかく、山県やまがたけいなされる[9][10]

みんとうがわにあった中江なかえ兆民ちょうみんは「いちねん有半ゆうはん」(1901ねん)のなかで「近時きんじいて真面目まじめなる人物じんぶつ横着おうちゃくならざる人物じんぶつ、ヅウヅウしからざる人物じんぶつ、ただ両人りょうにんたり、いわ井上いのうえあつしいわ白根しらね専一せんいついますなわほろぼし」としんでいる[11]

どう時代じだいのジャーナリストである鳥谷部とやべ春汀しゅんていは、白根しらね松方まつかた内閣ないかくのもとにった選挙せんきょ干渉かんしょう非行ひこうにはちがいないとひょうしつつ、「男子だんしらしき男子だんし長州ちょうしゅう人物じんぶつもとめば、はまずかれげてもっぐんにわとりいちづるなり」と賞賛しょうさんする。

栄典えいてん

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位階いかい
勲章くんしょうとう

親族しんぞく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 明治めいじじん力量りきりょう』203、227ページによる。『平成へいせいしんおさむきゅう華族かぞく家系かけい大成たいせい』には、よしみなが元年がんねん12がつ2にちまれとある。
  2. ^ a b c d e 議会ぎかい制度せいどななじゅうねん だい1』男爵だんしゃく議員ぎいん71ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2021ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 白根しらね せんいちとはコトバンク。2021ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  4. ^ 清風せいふういん12にんおとこ」『山県やまがた有朋ありとも近代きんだい日本にっぽん』79ページ。
  5. ^ 貴族きぞくいん要覧ようらんへい)』昭和しょうわ21ねん12がつぞうてい、8ぺーじ
  6. ^ 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』74ぺーじ
  7. ^ 山県やまがた有朋ありとも近代きんだい日本にっぽん』76ページ
  8. ^ 山県やまがた有朋ありとも近代きんだい日本にっぽん』84ページ
  9. ^ おか義武よしたけ山県やまがた有朋ありとも』47ページ。
  10. ^ 藤村ふじむら道生みちお山県やまがた有朋ありとも』153ページ。
  11. ^ 中江なかえ兆民ちょうみんいちねん有半ゆうはん
  12. ^ 官報かんぽうだい301ごう叙任じょにん及辞れい」1884ねん7がつ1にち
  13. ^ 官報かんぽうだい2086ごう叙任じょにん及辞れい」1890ねん6がつ14にち
  14. ^ 官報かんぽうだい3695ごう叙任じょにん及辞れい」1895ねん10がつ22にち
  15. ^ a b 官報かんぽうだい4079ごう叙任じょにん及辞れい」1897ねん2がつ9にち
  16. ^ 官報かんぽうだい1932ごう叙任じょにん及辞れい」1889ねん12月5にち
  17. ^ 官報かんぽうだい2100ごう叙任じょにん及辞れい」1890ねん7がつ1にち
  18. ^ 官報かんぽうだい2357ごう叙任じょにん及辞れい」1891ねん5がつ12にち
  19. ^ 官報かんぽうだい2853ごう叙任じょにん及辞れい」1893ねん1がつ4にち
  20. ^ 官報かんぽうだい3901ごう叙任じょにん及辞れい」1896ねん7がつ1にち

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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公職こうしょく
先代せんだい
曽我そがゆうじゅん
  土木どぼくかいなが
1895ねん
次代じだい
渡辺わたなべ千秋ちあき
先代せんだい
芳川よしかわ顕正けんせい
  内蔵ないぞうあたま
1892ねん - 1895ねん
次代じだい
渡辺わたなべ千秋ちあき
先代せんだい
芳川よしかわ顕正けんせい
  内務ないむ次官じかん
だい2だい:1890 - 1892
次代じだい
北垣きたがき国道こくどう
先代せんだい
新設しんせつ
  神職しんしょく試験しけん委員いいんちょう
1892ねん
次代じだい
渡辺わたなべ千秋ちあき
先代せんだい
芳川よしかわ顕正けんせい
  中央ちゅうおう衛生えいせいかいなが
1890ねん
次代じだい
長与ながよ専斎せんさい
日本にっぽん爵位しゃくい
先代せんだい
叙爵じょしゃく
男爵だんしゃく
白根しらねせんいち初代しょだい
1897ねん - 1898ねん
次代じだい
白根しらね松介まつすけ