(Translated by https://www.hiragana.jp/)
旧暦2033年問題 - Wikipedia

旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだい

西暦せいれき2033ねんから2034ねんにかけて日本にっぽん旧暦きゅうれきつきめいめられなくなる問題もんだい

旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだい(きゅうれき2033ねんもんだい、中国ちゅうごく: 2033ねん問題もんだい; 拼音: 2033nián wèntí)とは、西暦せいれき2033ねんあきから2034ねんはるにかけて、日本にっぽん旧暦きゅうれきつきめいが(天保てんぽうれき本来ほんらい方法ほうほうで)うまくめられなくなる問題もんだいのこと。陰暦いんれき2033ねん問題もんだい2033ねん旧暦きゅうれき閏月じゅんげつ問題もんだいともいう。1844ねん天保てんぽう15ねん)に天保てんぽうれき制定せいていされて以来いらい、このような不都合ふつごうしょうじるのは、2033ねんあき - 2034ねんはる最初さいしょである。

概要がいよう

編集へんしゅう

日本にっぽん公的こうてきカレンダーこよみしょなどでは、1873ねん明治めいじ6ねん1がつ1にちグレゴリオれきへの改暦かいれきおこなわれて運用うんようされているが、この以降いこうであっても、従前じゅうぜん太陰たいいん太陽暦たいようれき天保てんぽうれき、いわゆる旧暦きゅうれき)による日付ひづけ必要ひつようとするさまざまな用途ようと慣習かんしゅうのために、補助ほじょてき収載しゅうさいして使つかわれている。この天保てんぽうれきによるつきめいかたとく閏月じゅんげつかたおけうるうほう)が、将来しょうらい不都合ふつごうしょうじることが明治めいじ改暦かいれき以降いこうあきらかになった。

日本にっぽんこよみにおいては、ていほうじゅうよん節気せっき天保てんぽうれきとともに1844ねん天保てんぽう15ねん)に導入どうにゅうされたが、その結果けっか太陰暦たいいんれきのひとがつあいだ中気ちゅうきが2つはいってしまう事態じたいこりうるようになり、それにともなってつきめいおけうるうかんして特別とくべつ調整ちょうせいおこな必要ひつようしょうじた。そのために、「冬至とうじふくこよみがつは11月、春分しゅんぶんふくこよみがつは2がつ夏至げしふくこよみがつは5月、秋分しゅうぶんふくこよみがつは8がつとなるように調整ちょうせいする」[1]というルールが設定せっていされていた。

1912ねん明治めいじ45ねん)には、天保てんぽうれきおけうるうほうを、平山ひらやま清次せいじつぎのように明文化めいぶんかしている (平山ひらやま規則きそく)[2][3]

  1. 冬至とうじふくこよみがつを11月、春分しゅんぶんふくこよみがつを2がつ夏至げしふくこよみがつを5月、秋分しゅうぶんふくこよみがつを8がつとする。
  2. 閏月じゅんげつ中気ちゅうきふくまないこよみがつくが、中気ちゅうきふくまないこよみがつがすべて閏月じゅんげつとはならない。

天保てんぽうれきでは、実際じっさい太陽たいよう運行うんこう参照さんしょうするていほうによってじゅうよん節気せっき配置はいちめ、そのうちの中気ちゅうきもちいてつきめいめるため、通常つうじょうはこの方法ほうほう問題もんだいしょうじない。上述じょうじゅつ 1. のルールにかんしては、「秋分しゅうぶんふくこよみがつ」(秋分しゅうぶんつき)と「冬至とうじふくこよみがつ」(冬至とうじつき)のあいだなど、いたりふんつきあいだふくまれる陰暦いんれきがつが、通常つうじょう2かげつまたは3かげつあるため(3かげつとなった場合ばあいにはそのうち1つを閏月じゅんげつとする)、つきめい決定けってい問題もんだいきない。しかし、もしこれが1かげつとなってしまった場合ばあいには、上述じょうじゅつつきめい決定けってい方法ほうほうの 1. をたすことができなくなり、つきめい決定けってい不都合ふつごうこる。また、2. のルールにかんしても、いたりぶんがつあいだふくまれる陰暦いんれきがつが3かげつで、そのうちの1れきがつに2つの中気ちゅうきはいった場合ばあいには、適用てきようすべき規定きていがないため、つきめい決定けってい不都合ふつごうがある。実際じっさいケプラーのだい2法則ほうそくにより、近日きんじつてん通過つうかするあきからはるにかけて、中気ちゅうきからつぎ中気ちゅうきまでのながさがこよみがつ朔日さくじつからつぎ朔日さくじつ前日ぜんじつまで)よりみじかくなることがしばしばこる。このとき天保てんぽうれきのようにていほう採用さいようする太陰たいいん太陽暦たいようれきつき運行うんこうによってめ、太陽たいよう運行うんこう参照さんしょうして調整ちょうせいするこよみ)では不都合ふつごうこりうることになる。

なお、この不都合ふつごう(1れきがつに2つの中気ちゅうきはいる)はこよみじょうこりうるものではあるが、2033ねんあき - 2034ねんはる期間きかんでいえば、1さく望月もちづきついたち瞬間しゅんかんからつぎついたち瞬間しゅんかんまで)のあいだに2つの中気ちゅうきはい箇所かしょく、2034ねん2がつ雨水あまみずのち到来とうらいするついたちからつぎついたちあいだ中気ちゅうき春分しゅんぶん)がはいらないということが1かいあるだけである。1ついたち望月もちづきあいだに2つの中気ちゅうきはいっていないにもかかわらず、1れきがつなかに2つの中気ちゅうきはいってしまうことは、中気ちゅうき時刻じこくわずかについたち時刻じこく先行せんこうしているときに、その中気ちゅうきついたちどういちにち、またはをまたいで中気ちゅうきついたち前日ぜんじつ場合ばあいこる。すなわち、実際じっさいにはついたちまえ中気ちゅうき到来とうらいしていても(いいかえると、その中気ちゅうきが1つまえついたち望月もちづきぞくしていても)、中気ちゅうきついたちどういちにちである場合ばあいこよみじょうはその中気ちゅうきは「朔日さくじつ」すなわちつぎこよみがつ最初さいしょついたち)にぞくするようにあつかわれてしまうためである。これが、さく望月もちづき時刻じこくベースでは中気ちゅうきが1つずつふくまれているにもかかわらず、こよみがつ暦日れきじつベースでは中気ちゅうきがなくなったり2つはいったりするこよみがつかえ要因よういんとなる。

1844ねん天保てんぽう15ねん)に天保てんぽうれき制定せいていされて以来いらい厳密げんみつには平山ひらやま規則きそく明文化めいぶんかされて以来いらい)、このような不都合ふつごうしょうじるのは、2033ねんあき - 2034ねんはる最初さいしょである。さらに、これ以降いこう天保てんぽうれき平山ひらやま規則きそく修正しゅうせいなく使つかわれた場合ばあい2147ねんあき - 2148ねんはる(このとき定義ていぎ 2. のみが問題もんだいとなる)、2223ねんあき - 2224ねんはる(このとき定義ていぎ 1. のみが問題もんだいとなる)などにも、同様どうよう不都合ふつごうしょうじてしまう。

詳解しょうかい

編集へんしゅう

グレゴリオれき2033ねんあきから2034ねんはるにかけてのついたち中気ちゅうき日付ひづけ日本にっぽん時間じかんによる)は以下いかのようになる。便宜上べんぎじょう前後ぜんごこよみがつしるしている。

便宜上べんぎじょうつきめい 朔日さくじつ
時分じぶんついたち時刻じこく
中気ちゅうきふく
時分じぶん中気ちゅうき時刻じこく
中気ちゅうき つきめい
Aつき 2033ねん7がつ26にち 17:12 2033ねん8がつ23にち 4:03 処暑しょしょ 7がつ
Bつき 2033ねん8がつ25にち 6:40 なし なし うるう7がつ?
Cつき 2033ねん9月23にち 22:39 2033ねん9がつ23にち 1:52 秋分しゅうぶん 8がつ?
Dつき 2033ねん10月23にち 16:28 2033ねん10がつ23にち 10:27 霜降しもふり ?
Eつき 2033ねん11月22にち 10:39 2033ねん11月22にち 9:14 小雪こゆき 11月?
2033ねん12月21にち 22:45 冬至とうじ
Fつき 2033ねん12月22にち 3:46 なし なし うるう11がつ?
Gつき 2034ねん1がつ20日はつか 19:01 2034ねん1がつ20日はつか 9:28 大寒だいかん ?
2034ねん2がつ18にち 23:31 雨水あまみず
Hつき 2034ねん2がつ19にち 8:10 なし なし うるう1がつ?
Iつき 2034ねん3がつ20日はつか 19:15 2034ねん3がつ20日はつか 22:17 春分しゅんぶん 2がつ
Jつき 2034ねん4がつ19にち 4:26 2034ねん4がつ20日はつか 9:03 穀雨こくう 3がつ

つきめいまらないのはBつき〜Hつきの7かげつで、これらに2033ねん8がつ~2034ねん1がつ正月しょうがつ)の6れきがつと、1つの閏月じゅんげつてるのだが、天保てんぽうれき、とりわけ平山ひらやま規則きそくもとづくつきめいかたおけうるうほうると、閏月じゅんげつまらないばかりか、さらに深刻しんこく問題もんだいこる。

平山ひらやま規則きそくとおり、秋分しゅうぶんふくむCつきを8がつ、そのつぎ冬至とうじふくむEつきを11月とすると、9月と10がつのいずれかがなくなってしまう[注釈ちゅうしゃく 1]。また、中気ちゅうきふくまないこよみがつはBつき・Fつき・Hつきの3つあるが、これらのうち閏月じゅんげつとなるのは1れきがつだけである(そうしないと、さらに2つのつきめいがなくなってしまう)。また、1れき月内げつないに2つの中気ちゅうきふくむEつきを「冬至とうじふくこよみがつ」として単純たんじゅんに11月としてよいのかという問題もんだいもある(これについては1851ねん日本にっぽんにおいて、小雪こゆき冬至とうじの2つの中気ちゅうきふくんだこよみがつを11月とした先例せんれいがある。また1870ねんには冬至とうじ大寒だいかんの2つの中気ちゅうきふくんだこよみがつがやはり11月とされており、グレゴリオれき改暦かいれき1984ねん旧暦きゅうれき同様どうようである。下記かき参照さんしょう)。

旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだいにおけるついたち中気ちゅうき日取ひどりとタイミング(クリックして拡大かくだい

解決かいけつほう

編集へんしゅう

これらを解決かいけつする方法ほうほうはいくつかかんがえられる。

あんその1

編集へんしゅう

そのひとつの方法ほうほうとして、天保てんぽうれきつきめい決定けってい方法ほうほうの1.および2.の内容ないよう優先ゆうせん順位じゅんいけることがかんがえられる。天保てんぽうれき同様どうようていほう採用さいようし、天保てんぽうれき改暦かいれき重要じゅうよう参考さんこう資料しりょう手本てほん)になった中国ちゅうごくきよし)のどきけんれきにおいては閏月じゅんげつ配置はいちふくめて当初とうしょつぎのようなつきめい決定けっていほうった。

  • 1'. 冬至とうじふくこよみがつ11月とする。
  • 2'. つぎ冬至とうじまで13れきがつある場合ばあい中気ちゅうきふくまない最初さいしょこよみがつ閏月じゅんげつとする。

(『清史きよし稿こう』「けんこころざしかんひろし甲子きのえねもとほうより)[4]

1. が破綻はたんする場合ばあいは、1'. を参考さんこうにしていたりふんのうち冬至とうじふくこよみがつの3つをふくこよみがつよりも優先ゆうせんさせ、の3つをふくこよみがつつきめい調整ちょうせいする。これは古来こらい平気へいきほう時代じだいから一貫いっかんして中国ちゅうごく日本にっぽんいずれでも太陰たいいん太陽暦たいようれきにおいては冬至とうじさくれき基点きてんとされ(天正てんしょう冬至とうじ)、いかなる場合ばあいでも冬至とうじふくこよみがつかならず11月建子けんしがつ)とされてきたことにもよる。具体ぐたいてきべると、冬至とうじふくむEつきを11月に固定こていし、それにともなってそのまえのBつき・Cつき・Dつきつきめい不連続ふれんぞくきないように、それぞれ8がつ・9月・10月とする。秋分しゅうぶんふくむCつきは、1. によれば本来ほんらい8がつになる必要ひつようがあるが、冬至とうじふくむEつきを11月にすることを優先ゆうせんするため、この場合ばあい例外れいがいてきに9月となる(また、Eつきが11月に固定こていされれば、前回ぜんかい冬至とうじふくこよみがつからEつき(=冬至とうじふくむ)のまえまで12れきがつであるため、中気ちゅうきふくまないこよみがつ(Bつき)があってもこのあいだには閏月じゅんげつ存在そんざいしないことになる)。これによって、BつきからEつきまでの問題もんだい解決かいけつする。

つぎに 2. の定義ていぎでは、閏月じゅんげつ候補こうほ複数ふくすうあるFつきからHつきまでの問題もんだいであるが、この 2'. を参考さんこうにすれば、まず、冬至とうじふくむEつきからつぎ冬至とうじふくこよみがつまえまで13れきがつであるため、閏月じゅんげつがこのあいだ存在そんざいすることとなる。また閏月じゅんげつ候補こうほとなる中気ちゅうきふくまないこよみがつ複数ふくすう存在そんざいする場合ばあい(Fつき・Hつき)は(1. の定義ていぎによって冬至とうじふくこよみがつ(Eつき)を11月、春分しゅんぶんふくこよみがつ(Iつき)を2がつさだめてもなおそのあいだ中気ちゅうきふくまないこよみがつ複数ふくすうあるような場合ばあい)、冬至とうじふくこよみがつ(Eつき)からかぞえていって最初さいしょこよみがつすなわちFつき閏月じゅんげつとなる。

以上いじょうによって、BつきからHつきまでじゅんに8がつ・9月・10月・11月・うるう11がつ・12月・正月しょうがつとなり、すべてのこよみがつ問題もんだい解決かいけつすることになる(下記かき1851ねん1852ねん中国ちゅうごくきよし)での問題もんだい処理しょり方法ほうほう先例せんれいとして参考さんこうになる)。

あんその2

編集へんしゅう

1れきがつに2つの中気ちゅうきふくむときは、冬至とうじからとおほう中気ちゅうき前後ぜんごこよみがつにずらし、中気ちゅうきを2つふくこよみがつがなくなるまで順次じゅんじずらしてかんがえていくことがかんがえられる。これによっても上記じょうき方法ほうほうおな結論けつろんになる。

あんその3

編集へんしゅう

1れきがつに2つの中気ちゅうきふくむときは、2つの中気ちゅうきのうち最初さいしょにくる中気ちゅうきまえこよみがつにずらし、中気ちゅうきを2つふくこよみがつがなくなるまで順次じゅんじずらしてかんがえていくこと(その場合ばあい2033ねんには閏月じゅんげつがなく、2034ねん旧暦きゅうれき1がつ20日はつかからはじまり正月しょうがつのち閏月じゅんげつかれる)や、あるいはうしろの中気ちゅうきうしろのこよみがつにずらし中気ちゅうきを2つふくこよみがつがなくなるまで順次じゅんじずらしてかんがえていくこと(その場合ばあい2033ねんにはうるう7がつかれる)もかんがえられる。

あんその4

編集へんしゅう

このような問題もんだいこるそもそもの原因げんいんていほう採用さいようしたことにあるから、旧暦きゅうれき計算けいさん使用しようするじゅうよん節気せっきについては以前いぜん平気へいきほうもどすという解決かいけつほうかんがえられる。

ちなみに、2033ねん - 2034ねん問題もんだい期間きかんについて、じゅうよん節気せっき平気へいきほう配置はいちした場合ばあいは、つぎのようになる。

便宜上べんぎじょうつきめい 朔日さくじつ 中気ちゅうきふく 中気ちゅうき つきめい
Aつき 2033ねん7がつ26にち 2033ねん8がつ22にち 処暑しょしょ 7がつ
Bつき 2033ねん8がつ25にち 2033ねん9月21にち 秋分しゅうぶん 8がつ
Cつき 2033ねん9がつ23にち 2033ねん10月22にち 霜降しもふり 9月
Dつき 2033ねん10がつ23にち 2033ねん11月21にち 小雪こゆき 10月
Eつき 2033ねん11月22にち 2033ねん12月21にち 冬至とうじ 11月
Fつき 2033ねん12月22にち なし なし うるう11がつ
Gつき 2034ねん1がつ20日はつか 2034ねん1がつ21にち 大寒だいかん 12月
Hつき 2034ねん2がつ19にち 2034ねん2がつ20日はつか 雨水あまみず 正月しょうがつ
Iつき 2034ねん3がつ20日はつか 2034ねん3月23にち 春分しゅんぶん 2がつ
Jつき 2034ねん4がつ19にち 2034ねん4がつ22にち 穀雨こくう 3がつ

現状げんじょうとこれから

編集へんしゅう

国立こくりつ天文台てんもんだいのwebサイトでもこの問題もんだいげられている[5]すで廃止はいしされたこよみのため、公的こうてき機関きかん決定けっていすることはないとしている[6]

国立こくりつ天文台てんもんだいもと天文台てんもんだいちょうや「こよみ計算けいさんしついん国立こくりつ民族みんぞくがく博物館はくぶつかん名誉めいよ教授きょうじゅ、カレンダー出版しゅっぱんぶつ業界ぎょうかい団体だんたいちょうなどを理事りじちょう理事りじ学術がくじゅつ顧問こもんなどにむかえている社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんカレンダーれき文化ぶんか振興しんこう協会きょうかいでは、2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ以来いらいこの問題もんだいかんする学術がくじゅつシンポジウム開催かいさい[7]問題もんだい所在しょざいについての啓蒙けいもう周知しゅうち対策たいさくあんについての検討けんとうなどをおこなっている。またどう協会きょうかい2015ねん平成へいせい27ねん)8がつ28にちにこの問題もんだいについての見解けんかい発表はっぴょうし、そのなかうるう11月(Fつきあん推奨すいしょうしたうえで「おけうるうルールについては検討けんとう継続けいぞくする」としている。2033ねんうるう11がつ推奨すいしょうする理由りゆうとしては、以下いかのようなものをげている。

  • 伝統でんとうてき太陰たいいん太陽暦たいようれきでは冬至とうじ重視じゅうしされてきた。ゆえに冬至とうじ尊重そんちょうし、その当月とうげつに11月が配置はいちされることがのぞましい。
  • 出版しゅっぱんまんねんれきのほとんどすべてがうるう11がつ採用さいようしており、それらに訂正ていせい必要ひつようがなく、社会しゃかいてき混乱こんらん回避かいひできる。
  • 議論ぎろん俎上そじょうがった有力ゆうりょくおけうるうルールがすべうるう11がつ支持しじしており、いまここでおけうるうルールを決定けっていせずとも推奨すいしょうできる。

またこれによれば、2033ねんうるう11がつ選択せんたくしただけではおけうるうルールを特定とくていできないとしているが、2034ねんうるう正月しょうがつ採用さいようしないのであれば2147ねんうるう11がつとなり(またこの条件じょうけんだと2242ねんうるう11がつになるとかんがえられる)、2033ねんうるう7がつ採用さいようしないのであれば2223ねんうるう9がつになるとしており、ルールをめないことによる混乱こんらんは、さらにとお将来しょうらいまでこらないとしている[8]

毎年まいとしこよみかんれき民間みんかんれき)は前年ぜんねん頒布はんぷされているため、不都合ふつごうきるとされるとしまで上記じょうき方法ほうほうふくめ、コンピュータで旧暦きゅうれき計算けいさんする各種かくしゅソフトウェアではいろいろな方法ほうほうられている(外部がいぶリンク参照さんしょう)。

理科りか年表ねんぴょう』には時節じせつ話題わだいなどをあつかうページが毎年まいとし各部かくぶすうページ程度ていどあるが、2014ねん平成へいせい26ねんばんでこの問題もんだいげている。

他国たこく状況じょうきょう

編集へんしゅう

中国ちゅうごく台湾たいわん韓国かんこく使つかわれているときけんれきは、このような問題もんだいこらないおけうるうほう上記じょうき 1'. および 2'.)を採用さいようしていた。こちらのほう合理ごうりてきであり破綻はたんしょうじない。しかし、1811ねんよしみけい16ねん)に、宮廷きゅうてい祭祀さいし都合つごうで、冬至とうじふくこよみがつかならず11月、春分しゅんぶんふくこよみがつかならず2がつにするためにおけうるうほうが「修正しゅうせい」されたとかんがえられた。天保てんぽうれきはその「修正しゅうせい」されたときけんれきおけうるうほう参考さんこうにしておけうるうほうさだめたとされている。しかし、1851ねん咸豊元年がんねん) - 1852ねん咸豊2ねん)では冬至とうじふくこよみがつ春分しゅんぶんふくこよみがつあいだに1れきがつしかなかったため、冬至とうじふくこよみがつは11月であったが、春分しゅんぶんふくこよみがつ正月しょうがつとなった(1699ねんかん38ねん) - 1700ねんかん熙39ねん)にも同様どうようのことがあった)。ときけんれきでは1851ねん(咸豊元年がんねん)の冬至とうじから1852ねん(咸豊2ねん)の冬至とうじまでのあいだは12れきがつしかないためこのあいだ閏月じゅんげつはなく、春分しゅんぶんふくこよみがつ正月しょうがつとなってもおけうるうほうには一切いっさい影響えいきょうしない。つまり、冬至とうじからつぎ冬至とうじまでのあいだ13れきがつある場合ばあいかぎ、1'. と2'. を適用てきようするのである。その場合ばあいきよしの欽天かんこよみ管理かんりする役人やくにん)によって1811ねんよしみけい16ねん)から200年間ねんかんにわたっておけうるうほう破綻はたんしないことが確認かくにんされており、最近さいきん研究けんきゅうではおけうるうほうが「修正しゅうせい」されたのではなく、もとのおけうるうほうでも冬至とうじが11月、春分しゅんぶんが2がつになることを「さい確認かくにん」しただけではないかとかんがえられている[4][9]

日本にっぽんでは時間じかんたいちがい(1あいだ時差じさ)のため、このときには2つ中気ちゅうきふくこよみがつ中気ちゅうきのないこよみがつ複数ふくすう発生はっせいしたものの、上記じょうき 1. および 2. の定義ていぎだけでさくれきじょう問題もんだいきなかった。なお、正確せいかくには1873ねん明治めいじ6ねん)の太陽暦たいようれきへの改暦かいれきまでは、現在げんざいの「東経とうけい135明石あかし)における地方ちほう平均へいきん太陽たいよう = 現在げんざい日本にっぽん中央ちゅうおう標準時ひょうじゅんじ」ではなく、京都きょうとにおける太陽たいよう使用しようしていた[10]ため中国ちゅうごくとの時差じさはさらにすうふんながくなるが、そのことを考慮こうりょしてもこのちがいは発生はっせいしうる。

2033ねん問題もんだい同様どうよう問題もんだいは、天保てんぽうれきおけうるうほうほか太陰たいいん太陽暦たいようれきでもこりうる。ただし、それがいつこるかは、ついたち中気ちゅうきがどのぞくするか、つまり、時間じかんたい依存いぞんするので、どう一時期いちじきでもくにによってこのような問題もんだい発生はっせいするくにとしないくにかれる可能かのうせいもある。日本にっぽん中国ちゅうごくには1あいだ時差じさがあるので、日本にっぽんにおいて0だいついたち中気ちゅうき瞬間しゅんかんがあれば、中国ちゅうごくにおいては前日ぜんじつの23だいにこれらがあることになり、1にちのずれをしょうずる(太陰たいいん太陽暦たいようれきにおける時差じさによる暦日れきじつ(まれにはこよみがつ)のずれは、このような問題もんだい発生はっせいするとき以外いがいでも時々ときどき発生はっせいする)。上記じょうき1851ねん - 1852ねん中国ちゅうごく日本にっぽんちがいは、このことによってあらわれた。しかし、2033ねん - 2034ねん問題もんだい関連かんれんする時期じきには、日本にっぽん時間じかん0だいついたち中気ちゅうき瞬間しゅんかんはいることはなく、両国りょうこくともついたち中気ちゅうき日付ひづけまった同一どういつ問題もんだい処理しょりすることとなる。

なお、中国ちゅうごくにおいては現在げんざい公式こうしきこよみ世界せかい共通きょうつうグレゴリオれきであるが、春節しゅんせつ日本にっぽんきゅう正月しょうがつ相当そうとう)が公式こうしき祝日しゅくじつであるため、それの決定けっていのために旧暦きゅうれきけんれき)も公的こうてきなメンテナンスのもとにある。

インド太陰たいいん太陽暦たいようれきでは、このような場合ばあいつきばすかけがつ(けつげつ)をみとめている。たとえば、1982ねんは9番目ばんめつき翌月よくげつが11番目ばんめつきであり、10番目ばんめ相当そうとうするつきばされてかけがつとなった。

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ これは秋分しゅうぶん霜降しもふり小雪こゆきはいずれもついたちどういちにちであるが(ただし時刻じこくついたちまえ)、冬至とうじ直後ちょくごついたちをまたいでしまう(冬至とうじ:12/21 22:45、ついたち:12/22 3:46)ことで、秋分しゅうぶん霜降しもふり小雪こゆき各々おのおの直後ちょくごついたちはじまるこよみがつぞくするのにたいし、冬至とうじ直後ちょくごついたちはじまるこよみがつにはぞくせず直前ちょくぜんの(小雪こゆきぞくすることになった)こよみがつぞくしてしまうためである。秋分しゅうぶんついたちは21あいだ霜降しもふりついたちは6あいだ小雪こゆきついたちは1.5あいだ冬至とうじついたちは5あいだであるが、あいだをまたぐのは冬至とうじついたちあいだである。こののち小寒しょうかんふたたついたちどういちにちになるが(小寒しょうかんついたちは9.5あいだ)、つぎ雨水あまみずふたたをまたいで雨水あまみずついたち前日ぜんじつになり(雨水あまみずついたちは9あいだ)、つぎ春分しゅんぶんふたたついたちどういちにちになる(このとき中気ちゅうきである春分しゅんぶんほうついたちの3あいだになる)。それ以降いこうは、中気ちゅうきほうおくれていくので問題もんだい発生はっせいしない。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ 新法しんぽうれきしょぞくろく まきよん「・・・二至二分必各在其本月・・・」
  2. ^ 湯浅ゆあさ吉美よしみ2033ねん旧暦きゅうれき問題もんだいについて」『埼玉さいたま学園がくえん大学だいがく紀要きよう. 人間にんげん学部がくぶへんだい14かん埼玉さいたま学園がくえん大学だいがく、2014ねん12月、141-148ぺーじCRID 1050282812975008384ISSN 13470515NAID 120005768689 
  3. ^ 平山ひらやま清次せいじ 太陰暦たいいんれき」『暦法れきほう及時ほう 増補ぞうほばん恒星こうせいしゃ、1938ねん8がつ25にち、pp. 45fぺーじ 初出しょしゅつ日本にっぽん百科ひゃっかだい辞典じてん
  4. ^ a b suchowan's Home Page 天保てんぽうれきおけうるうほうなぞ
  5. ^ こよみ計算けいさんしつのトピックス旧暦きゅうれき2033ねん問題もんだいについて」
  6. ^ こよみWiki/太陰たいいん太陽暦たいようれき/2033ねん問題もんだい - 国立こくりつ天文台てんもんだいれき計算けいさんしつ
  7. ^ 活動かつどう報告ほうこく | 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんカレンダーれき文化ぶんか振興しんこう協会きょうかい
  8. ^ 2033ねん旧暦きゅうれき閏月じゅんげつ問題もんだい見解けんかい | 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん日本にっぽんカレンダーれき文化ぶんか振興しんこう協会きょうかい
  9. ^ 暦法れきほう地球ちきゅうまわるか? 須賀すかたかし p5 -
  10. ^ こよみのページ れき天文てんもん雑学ざつがく 旧暦きゅうれきはなし

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう