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月刊OUT - Wikipedia

月刊げっかんOUT

日本にっぽん雑誌ざっし

月刊げっかんOUT』(げっかんアウト)は、1977ねんから1995ねんにかけて毎月まいつき27にち発行はっこうされていたみのり書房しょぼうかん月刊げっかん雑誌ざっし日本にっぽんはつアニメ雑誌ざっしとされる。はんがたはB5ばん

概要がいよう

編集へんしゅう

創刊そうかんごうは1977ねん3がつ発売はつばいの5がつごう。みのり書房しょぼうの『オカルト時代じだい』が休刊きゅうかんとなり、その後釜あとがまとして『つやらくしょかん』とともに創刊そうかんされた。創刊そうかんテーマはアウトサイダーてき若者わかもの文化ぶんかようというもの(実質じっしつサブカルチャーけい)であり、「かたにとらわれない」という姿勢しせいから、創刊そうかんしばらくのあいだはんがた毎月まいつきことなっていた。

創刊そうかんごうかんばしいきではなかったが、つづ創刊そうかん2ごうで『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト』を巻頭かんとう特集とくしゅう当時とうじはまだアニメはマイナーな存在そんざいであり、創刊そうかんテーマにもあうということでアニメをげた。4代目だいめ編集へんしゅうちょう大徳だいとくいわく「それ以外いがい全部ぜんぶ失敗しっぱいした」ことから、その徐々じょじょにアニメ路線ろせんにシフトをくようになる。だい5ごうにて『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト』劇場げきじょうばん公開こうかいわせた特集とくしゅう大当おおあたりしたことで、方向ほうこうせい決定けっていけられることになった。

ただし、企画きかく感覚かんかく勝負しょうぶするという編集へんしゅう方針ほうしんがあったため、当時とうじ流行りゅうこうきざしをせていたアニメ情報じょうほうには転向てんこうせず、あくまでもサブカルチャーけい雑誌ざっしという位置いちくずさなかった。

特徴とくちょう

編集へんしゅう

読者どくしゃ投稿とうこうページがおおかったこと、またオリジナルの企画きかくぶつ特徴とくちょうてきだった。投稿とうこう主体しゅたいのアニメ雑誌ざっしとして「ファンロード」とならしょうされていたが、イラスト主体しゅたいの「ファンロード」にたいしOUTは文章ぶんしょうネタの投稿とうこう主体しゅたいであり、読者どくしゃ年齢ねんれいそうたかいとされていた。また、アニメをもとネタにしたパロディ「アニパロ」はこの雑誌ざっしからひろまった。カルトQ出題しゅつだいされた「日本にっぽん最初さいしょ発行はっこうされたアニメ雑誌ざっしは?」の正答せいとうが、1975ねん創刊そうかん自費じひ出版しゅっぱん季刊きかんファントーシュ』ではなくとうだったことかんがわせても、アニメ雑誌ざっしとしてイメージはつよかったものと推測すいそくされる。

一方いっぽう、1981ねんすぐれたムックである『ガンダムセンチュリー』を刊行かんこうしたようにアニメにたいして真摯しんしいちめんもあり、評論ひょうろん記事きじ新作しんさくアニメ映画えいが評価ひょうかする定期ていきてき座談ざだんかい(1984ねんごろまで)なども掲載けいさいされていた。『アニメージュ』をのぞくアニメ雑誌ざっし5連携れんけいして日本にっぽんアニメ大賞たいしょう主催しゅさいしていた1985ねんには、この5編集へんしゅうちょう座談ざだんかいという記事きじ掲載けいさいしている。さらに1986ねんには宮崎駿みやざきはやおがおこなったアニメ業界ぎょうかいたいする苦言くげんふく会見かいけんを、抄録しょうろくとはいえアニメ雑誌ざっし唯一ゆいいつ掲載けいさいしたこともある。なお、掲載けいさい漫画まんが評論ひょうろんの『コミックボックス』のみだった。もっとも、その会見かいけん宮崎みやざきが『プロジェクトA』のよう作品さくひん非難ひなんした発言はつげんを、半年はんとしほど記事きじでは、アニメキャラクターによる「新春しんしゅんスターかくげい大会たいかい」で、宮崎みやざき監督かんとく作品さくひんのヒロインが『A』の寸劇すんげきをするというネタにして使つかうなど、硬軟こうなん一方いっぽうかたよらないはばひろさもっていた。

読者どくしゃ投稿とうこうコーナーにちかられていたのも特徴とくちょうである。その結果けっか読者どくしゃ同士どうしよこ連帯れんたいまれ、読者どくしゃみずからを「アウシタン」と呼称こしょうするようになり、読者どくしゃ集会しゅうかい(アウシタン集会しゅうかい)が全国ぜんこく各地かくち開催かいさいされた。しかし投稿とうこうコーナーの常連じょうれんメンバーが固定こていし、古参こさん読者どくしゃにしかからないような内輪うちわネタが増加ぞうか同時どうじ新規しんき読者どくしゃたいしてハードルがたかくなるという弊害へいがいまねき、読者どくしゃそうこう年齢ねんれい拍車はくしゃをかけた。

  • 1977ねん5がつごう - 創刊そうかん
  • 1977ねん6がつごう - 『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト特集とくしゅうもりゆきのワープのヌード姿すがたをカラーグラビアにせたこともあって雑誌ざっしとしては異例いれい増刷ぞうさつおこなう。
  • 1977ねん8がつごう - 6がつごう反響はんきょうけ、ふたたびヤマトにページをく。
  • 1977ねん9がつごう - 劇場げきじょうばん宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト』公開こうかい直前ちょくぜん発売はつばい松本まつもとれい参加さんか以前いぜんのヤマトの企画きかくしょ中心ちゅうしんとするだい特集とくしゅうごう。これがOUTの方向ほうこうせい決定けっていけた。
  • 1977ねん12がつごう - はんがた細長ほそなが変形へんけいからB5ばんになる。『超人ちょうじんロック特集とくしゅう
  • 1977ねん12がつごう増刊ぞうかんとしてアニメ、SF、マンガにとくした『ランデヴー』が創刊そうかん。アニメ以外いがいでは『サンダーバード』やNHK少年しょうねんドラマシリーズひとし特集とくしゅうまれ、隔月かくげつペースで1978ねん9がつごうまでつづいた。
  • 1978ねん - 『ランデヴー』増刊ぞうかんごうとして『ランデヴーコミック』が創刊そうかんされるが、3ごう休刊きゅうかんとなる。
  • 1978ねん8がつごう - ニューウェーブ漫画まんがブーム到来とうらい予感よかんした「吾妻あづまひでおのメロウな世界せかい特集とくしゅうまれる。よく9がつから姉妹しまいPeke創刊そうかん
  • 1980ねん3がつごう - 『機動きどう戦士せんしガンダム』のキャラクター、セイラ・マスのヌードピンナップイラスト「なやましのアルテイシア」をつけたこともあり、ふたた空前くうぜんげを記録きろくして増刷ぞうさつされる。
これは企画きかく時点じてんで「日本にっぽんサンライズから抗議こうぎがくる!」「いや、これくらいやらんとダメだ!」と相当そうとう議論ぎろんおこなわれたが、のち編集へんしゅうちょうとなる大徳だいとくの「クビをかけるから決行けっこう!」の一言いちげんによって掲載けいさいされた。後日ごじつOUT誌面しめんには富野とみのゆかりゆう機動きどう戦士せんしガンダム監督かんとく)の「ねえ! どうせすならもっときれいにえがいてくれないの! おじさんきれいじゃないとボッキーしないのよね!」というコメントが掲載けいさいされ「やはり富野とみのさんは只者ただものではない!」とめくくられこの騒動そうどう終了しゅうりょうした。
  • 1980ねん7がつごう - アニメパロディ特集とくしゅうごう以後いご、アニパロのOUTと認知にんちされる。
  • 1981ねん9がつ - OUTはつのアニメムック、OUT増刊ぞうかんGUNDAM CENTURY』を発行はっこう以後いごのガンダムの歴史れきし様々さまざまめん多大ただい影響えいきょうおよぼすいちさつとなる。ただ、一部いちぶはつ版本はんぽん表紙ひょうしにタイトルが印刷いんさつされていないというミスがあり回収かいしゅうさわぎとなる。
  • 1981ねんれ - OUTとバップがスポンサーのラジオ番組ばんぐみ「VAPOUT」開始かいしパーソナリティ三ツ矢みつや雄二ゆうじみぎわ夏子なつこ
  • 1984ねん - 地方ちほう都市とし各地かくちでOUT読者どくしゃつどい「アウシタン集会しゅうかい」がひらかれはじまる。
  • 1985ねん5がつごう - マスコットの「まいどくん誕生たんじょう命名めいめい常連じょうれん投稿とうこうしゃ戸田とだけいすけ。
  • 1994ねん11がつごう - めい表記ひょうきを「月刊げっかんアウト」に変更へんこう
  • 1995ねん5がつごう - このごうをもって休刊きゅうかん。みのり書房しょぼう自体じたい解散かいさん
  • 2008ねん12月 - 『かんなぎ』DVDだい2かん完全かんぜん生産せいさん限定げんていばん特典とくてんとして、「月刊げっかんOUT Limited 『かんなぎ』特集とくしゅうごう」が刊行かんこうされた。
  • 2019ねん2がつ - 『宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト2202 あい戦士せんしたち』とんだ 1ごうかぎりの『OUT 宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト2202 あい戦士せんしたち 特集とくしゅうごう』を刊行かんこう発行はっこうもとKADOKAWA[1]

おも投稿とうこうコーナー

編集へんしゅう
  • FROMおちゃみず→ミックスサンド→投稿とうこう時代じだい投稿とうこう時代じだい→とうこう☆じだい→投稿とうこう時代じだい→おちゃみず研究所けんきゅうじょ
  • よたろうランド
  • OUTこく官報かんぽう月刊げっかんさくま→私立しりつさくま学園がくえんさくまあきら担当たんとう)、(官報かんぽう)→OUT大学だいがく→ゆうぼうのでたとこまかせ(堀井ほりい雄二ゆうじ担当たんとう。「官報かんぽう時代じだいえびなみつる、「大学だいがく時代じだいイトヒロとのともさく
  • 芦田あしだ豊雄とみお人生じんせい冗談じょうだん
    • コーナーないに4コマ漫画まんが忍者にんじゃトットリくん』(サムシング吉松きちまつ)が連載れんさいされた時期じきがある。
  • ヨモスエ(「すえ」から?)警備けいびたい
  • 花小金井はなこがねいかんとりい倶楽部くらぶ担当たんとうライターは読者どくしゃ出身しゅっしん花小金井はなこがねい和典かずのり
  • AOI(あおい)わたしをめないで
  • 常識じょうしき探検たんけんたい納得なっとくいかね~世直よなおだん

OUTオリジナル企画きかく

編集へんしゅう
  • あいはオタクをすくう』
  • 宇宙うちゅう編集へんしゅうしゃOUTシャイダー』
    • 宇宙うちゅう刑事けいじシャイダー』の実写じっしゃパロディ企画きかくで、名称めいしょうは「シャイダー」と「アウトサイダー」の掛詞かけことばである。OUTシャイダーには大徳だいとく編集へんしゅうちょうみずからがふんし、悪人あくにん(ザッシギャランなど)とたたかった。
    • 必殺ひっさつわざ灰皿はいざらブレードのもとネタは「ばか!編集へんしゅうちょう灰皿はいざらつとみんなくつかないでげだすんだぞ!」という編集へんしゅうしゃ発言はつげんであり、実際じっさい大徳だいとくげた灰皿はいざら見事みごと編集へんしゅうしゃ顔面がんめんにヒットするなどの描写びょうしゃられた。
    • さらに、てきのボスが富野とみのゆかりゆう似顔絵にがおえにタコのようあしいたハリボテ「トミライ」で幹部かんぶたちがその姿すがたて「ボスがあんな東映とうえいみたいなキャラなんてもうだめだ!」とすなど東映とうえい特撮とくさつ作品さくひんをもパロディしている。
  • 機動きどう戦士せんしOガンダム
    • 1986ねん3がつごう掲載けいさい。『Ζぜーたガンダム』ののち番組ばんぐみ銘打めいうったパロディ企画きかく
  • 『サンライズ地球ちきゅう』『サンライズ宇宙うちゅう
    • 1986ねん10がつごう地球ちきゅう)、11月ごう宇宙うちゅう掲載けいさい当時とうじ日本にっぽんサンライズ過去かこ制作せいさくしたぜん作品さくひんを、おな時間じかんじくじょう出来事できごととして(オリジナル設定せっていくわえて)ならべる企画きかく
  • 流星りゅうせい皇子おうじTOMMY』
  • Jaja!カルテット
    • 1995ねん3がつごうより連載れんさい開始かいしされるが、直後ちょくご本誌ほんし休刊きゅうかんしたため、後継こうけいの『Magazine MEGU』に移行いこうする。
  • 『ラムネス07』
    • 1995ねん5がつごう最終さいしゅうごう)に掲載けいさい。『NG騎士きしラムネ&40』の続編ぞくへん銘打めいうった『マクロス7』との合同ごうどうパロディ。

連載れんさい漫画まんが

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連載れんさい小説しょうせつ

編集へんしゅう

連載れんさい記事きじ

編集へんしゅう
  • 京本きょうもと政樹まさき『HERO大好だいすき!』 - 1993ねん4がつごうから。
  • 古谷ふるやとおる南風みなみかぜクロスオン10m』 - 1993ねん8がつごうからMEGU休刊きゅうかんまで。
  • 冨永とみながみーな『みんなどうおもう? みーな、こうおもう』 - 1993ねん8がつごうからMEGU休刊きゅうかんまで。MEGU移行いこうは『おねがいしますよ』に改題かいだい
  • あかほりさとる『パソピーな日々ひび』 - MEGU1995ねん9がつごうから1996ねん5がつごうまでのぜん9かい
  • 宮村みやむら優子ゆうこ『かわらばん』 - MEGU1997ねん1がつごうから1997ねん5がつごうまでのぜん5かい
  • 麻宮あさみやちょう道楽どうらく散在さんざい日記にっき』 - MEGU1997ねん1がつごうから1997ねん5がつごうまでのぜん5かい。キクチミチタカ名義めいぎ

読者どくしゃ呼称こしょう

編集へんしゅう

OUT読者どくしゃのことは「アウシタン」(女性じょせいは「アウシターナ」)とばれていた。

アウシタンは1979ねん5がつごうで、重度じゅうどのOUT読者どくしゃすものとして、奈良ならけん読者どくしゃ提唱ていしょうした呼称こしょう。やがて一般いっぱん読者どくしゃもアウシタン、また「かくれアウシタン」などともばれるようになった。一方いっぽうのアウシターナは1985ねん4がつごう男性だんせい読者どくしゃ提唱ていしょう。いずれもOUTファンにれられ、休刊きゅうかん読者どくしゃ言葉ことばとして定着ていちゃくしている。

みのり書房しょぼう解散かいさんによる休刊きゅうかん青磁せいじビブロス(のち「ビブロス」)から発行はっこうされた後継こうけい編集へんしゅうちょうつづ南波なんば健一郎けんいちろう。1995ねん5がつに0ごう準備じゅんびごう)がされ、8月発売はつばいの9がつごう正式せいしき創刊そうかんされた。

その誌面しめん既存きそんのアニメのスタイルと、月刊げっかんOUTの路線ろせんおも読者どくしゃ投稿とうこうコーナー)を折衷せっちゅうしたものだった。結果けっかとしてOUTのばい以上いじょう部数ぶすうげた。しかしその部数ぶすうなやみ、なんのまえれなくOUTから移籍いせきしてきたコーナーがられるなどの混乱こんらんられ、南波なんば1996ねん11月ごうをもって編集へんしゅうちょうり、誌面しめんからOUTしょく一掃いっそうされた。しかしこれはOUT時代じだいからの読者どくしゃそうはなれる一方いっぽうで、新規しんき読者どくしゃそうみにも失敗しっぱいし、部数ぶすう低迷ていめいする結果けっかとなった。結局けっきょくよく1997ねん4がつに5がつごう休刊きゅうかん

関連かんれん人物じんぶつ

編集へんしゅう

配列はいれつ役職やくしょくべついで五十音ごじゅうおんじゅん複数ふくすうふしはい人物じんぶつは、原則げんそくとしてうえから優先ゆうせん分類ぶんるいする。

編集へんしゅうちょう

編集へんしゅう
  1. 本村もとむら行雄ゆきお(1977ねん5がつごう - 11月ごう
  2. 間瀬ませはじめ(1977ねん12がつごう - 1978ねん11がつごう
  3. 南原なんばら四郎しろう(1979ねん4がつごう - 1980ねん8がつごう
  4. 大徳だいとく哲雄てつお(1980ねん9がつごう - 1987ねん6がつごう
  5. 鈴木すずき倫太郎りんたろう(1987ねん6がつごう - 1991ねん9がつごう
  6. 南波なんば健一郎けんいちろう(1991ねん10がつごう - 1995ねん5がつごう

編集へんしゅう部員ぶいん

編集へんしゅう

イラストレーター・漫画まんが

編集へんしゅう

五十音ごじゅうおんじゅん

五十音ごじゅうおんじゅん

  • イトヒロ
  • えびなみつる(「官報かんぽう」)
  • 小笠原おがさわらちあき(「ちあき&たかのにょろにょろトーク」)
  • キーオりん(スタジオHEGE、ヨシザー晃一こういちともに「常識じょうしき探検たんけんたい」~「納得なっとくいかね~世直よなおだん」を担当たんとう
  • 小牧こまきまさしん
  • さくまあきら(「官報かんぽう」「私立しりつさくま学園がくえん」)
  • 三条さんじょうりく(「須田すだとめひん」のペンネームでじんさいと「ヨモスエ警備けいびたい」を担当たんとう
  • 霜月しもづきたかなか(アニメ・ジュン)
  • 鷹見たかみ一幸かずゆきえのき英彦ひでひこ当時とうじのペンネームはえのき彦)
  • つよもも克司かつし
  • 波多野はたのたか(「ちあき&たかのにょろにょろトーク」)
  • 堀井ほりい雄二ゆうじ(「官報かんぽう」「ゆうぼうのでたとこまかせ」)
     
    JR御茶ノ水おちゃのみずえき
    • 1982ねん10がつごうの「ゆうぼうのでたとこまかせ」において、「敬老けいろう記念きねん」として「(読者どくしゃ高齢こうれいしゃとなる)いまから60ねん」をテーマとした投稿とうこう募集ぼしゅうし、掲載けいさいした。このなか堀井ほりいは、掲載けいさいごう発売はつばいから60ねん節目ふしめにした「みんな! もしきていたら2042ねん、8がつ27にち午後ごご3に、東京とうきょうちゃみずえき四ッ谷よつや改札かいさつこうで、おうぞっ! きっと、きっとじゃぞ!」(原文げんぶんママ、ただし原文げんぶんたてき、なな感嘆かんたん)とびかける文章ぶんしょう記事きじむすんだ[3]
  • 南田みなみだみさお
  • 柳沢やなぎさわ健二けんじ (ショートショート「ヤナケンの100ほんランド」など)
  • ヨシザー晃一こういち(スタジオHEGE、キーオりんともに「常識じょうしき探検たんけんたい」~「納得なっとくいかね~世直よなおだん」を担当たんとう
  • 渡部わたなべけん(「わん」のペンネームで活動かつどう。「色彩しきさいとうイラストコーナーを担当たんとう

投稿とうこう経験けいけんしゃ常連じょうれん

編集へんしゅう

五十音ごじゅうおんじゅん

OUT増刊ぞうかんごう兄弟きょうだいほか

編集へんしゅう
ランデヴー
1977ねん発刊はっかんされた増刊ぞうかんごう不定期ふていき発行はっこうのA4ばんアニメ。タイトルはランデブーとしばしば誤記ごきされるが、まさしくはランデヴーである。『超人ちょうじんロック(しん世界せかい戦隊せんたい)』が商業しょうぎょうはじめて連載れんさいされたほんとして有名ゆうめい。6ごうはんがたをB5ばんえて出版しゅっぱんしそれを最後さいご休刊きゅうかん
ランデヴーコミック
ランデヴーの兄弟きょうだいはんがたはB5。『超人ちょうじんロック』『サイレン戦記せんき連載れんさい。3ごう休刊きゅうかん
月刊げっかんPeke(ペケ)
1978ねん9がつ創刊そうかんニューウェーブ漫画まんが翌年よくねん79ねん2がつごう休刊きゅうかん吾妻あづまひでお『どーでもいんなーすぺーす』、日野ひの日出ひのでこころざしあいしのモンスター』、せきあきら『スターシマック』連載れんさい三流さんりゅう劇画げきがブームロリコンブーム仕掛しかじんといわれる川本かわもとこう編集へんしゅうちょうつとめた。
コミックアゲイン
Pekeの復刊ふっかんという体裁ていさい創刊そうかんするもながくはつづかなかった。平田ひらた弘史ひろしの『おのれらにぐ』などが連載れんさいされたほか、休刊きゅうかんごうには大友おおとも克洋かつひろ少女しょうじょ漫画まんがあぶない! 生徒せいと会長かいちょう』が掲載けいさいされている。
カッコいいやつ‼
1979ねん12月増刊ぞうかんごう蒸気じょうき機関きかんしゃ特集とくしゅうごう
アニパロコミックス
OUT増刊ぞうかんのコミックのち独立どくりつ刊行かんこう詳細しょうさいは『アニパロコミックス』を参照さんしょう
ALLAN(アラン。だい3ごうのみ「おもねらん」と表記ひょうき
少女しょうじょのための耽美たんびマガジン」をキャッチコピーにした、『JUNEてき少年しょうねんあい雑誌ざっし。1980ねんにOUT11がつごう増刊ぞうかんとして創刊そうかん。3ごうより隔月かくげつ雑誌ざっしとなり、1983ねん独立どくりつ刊行かんこう。1984ねん通算つうさん22ごう休刊きゅうかん
SFアートギャラリー「クリスタルイマージュ」
1978ねん10がつ増刊ぞうかんごう。SFイラストしゅう掲載けいさい画家がか中西なかにし信行のぶゆき岩淵いわぶちけいづくり加藤かとう直之なおゆき金森かなもりいたる金子かねこ三蔵さんぞう新井あらい苑子そのこはたみのり照雄てるお中島なかじまやすしただしはやしすなおっと野田のだ弘志ひろし光瀬みつせりゅう裏表紙うらびょうし一文いちぶんせている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 『ヤマトOUT』(かり投稿とうこうページ公開こうかい!! 2018ねん11月15にち 宇宙うちゅう戦艦せんかんヤマト2202 公式こうしきサイト
  2. ^ 表記ひょうきは「スター」と「シマック」のあいだに、「・」(ナカグロ)がはいらない同人どうじんばん準拠じゅんきょ余談よだんだが、シマックは同人どうじん予告よこくばかり7年間ねんかん先行せんこうしたため、「遅刻ちこくしてたヒーロー」との別名べつめいち、特集とくしゅうのアオリにも「~西にしにスターシマックあり」ととも使つかわれていた。
  3. ^ この内容ないよう休刊きゅうかん一部いちぶ読者どくしゃには記憶きおくされており、「中間なかまてん」となる30ねん2012ねん8がつには「アウシタン同窓会どうそうかい2012」が新宿しんじゅくのロフトプラスワンで開催かいさいされた[1][2]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 『OUT』(1982ねん5がつごう、みのり書房しょぼう) - 月刊げっかんOUT創刊そうかん5周年しゅうねん記念きねん特別とくべつ企画きかく THAT'S "OUT"!!
  • 『OUT』(1987ねん5がつごう、みのり書房しょぼう) - 不滅ふめつのOUT10ねん
  • アニメ雑学ざつがくおもしろ辞典じてん(1984ねん白泉社はくせんしゃ) p.116-117 大徳だいとく哲夫てつおインタビュー

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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