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深浦康市 - Wikipedia

深浦ふかうらやすし

日本にっぽん将棋しょうぎ棋士きし

深浦ふかうら やすし(ふかうら こういち、1972ねん2がつ14にち - )は、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい所属しょぞく将棋しょうぎ棋士きしである。棋士きし番号ばんごう201。長崎ながさきけん佐世保させぼ出身しゅっしんはな村元むらもとつかさきゅうだん門下もんか愛称あいしょうは「地球ちきゅう代表だいひょう」。

 深浦ふかうらやすし きゅうだん
名前なまえ 深浦ふかうらやすし
生年月日せいねんがっぴ (1972-02-14) 1972ねん2がつ14にち(52さい
プロ年月日ねんがっぴ 1991ねん10がつ1にち(19さい
棋士きし番号ばんごう 201
出身しゅっしん 長崎ながさきけん佐世保させぼ
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう はな村元むらもとつかさきゅうだん
弟子でし 佐々木ささき大地だいち
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB 深浦ふかうらやすし
戦績せんせき
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 3
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 10かい
2020ねん3がつ22にち現在げんざい
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プロまえ

編集へんしゅう

1984ねん奨励しょうれいかい入会にゅうかい。5きゅう昇級しょうきゅうに1ねんかかったがその順調じゅんちょう昇級しょうきゅう昇段しょうだんし、1991ねん10月1にちに19さいでプロデビュー(よんだん昇段しょうだん)をたす。

プロ

編集へんしゅう

デビュー直後ちょくごから頭角とうかくあらわし、1993ねん(1992年度ねんど)の全日本ぜんにほんプロ将棋しょうぎトーナメントにおいて、決勝けっしょうばん勝負しょうぶ米長よねなが邦雄くにおを3-2でやぶって優勝ゆうしょう

1993年度ねんど新鋭しんえいせん優勝ゆうしょう。これにより、どう年度ねんど将棋しょうぎ選手権せんしゅけんへの出場しゅつじょう資格しかくたが、こちらでも優勝ゆうしょう決勝けっしょう相手あいて羽生はぶ善治よしはる)。ひとつの年度ねんどテレビ東京てれびとうきょうりょう棋戦きせんとおしの優勝ゆうしょうげたのは深浦ふかうらだけである。

以上いじょうのように、よんだんでありながらの年間ねんかん優勝ゆうしょう3かいという成績せいせきにより、この年度ねんど将棋しょうぎ大賞たいしょう新人しんじんしょう敢闘かんとうしょう同時どうじ受賞じゅしょうだん昇段しょうだんまえにこうした実績じっせきげていたため、当時とうじ棋士きし仲間なかまから「深浦ふかうらくんは、まだよんだんなの?」と、からかいじりにめられていた[1][ちゅう 1]

タイトルはつ挑戦ちょうせんは、羽生はぶ善治よしはる挑戦ちょうせんした 1996ねんだい37王位おういせんである。しかし、1しょう4はいでタイトル獲得かくとくはならなかった。このシリーズのだいいちきょくでは、初手しょて端歩はしふとっき(▲9ろく)、位取くらいどちゅう飛車ひしゃかまえるきわめてめずらしい作戦さくせん5りゅうちゅう飛車ひしゃ)を採用さいようして話題わだいとなった。また、婚約こんやくしゃとその両親りょうしん対局たいきょくじょう招待しょうたいするという、いきなところをせた。

また、通算つうさん勝率しょうりつ7わり以上いじょうながたもっていた深浦ふかうらであるが、順位じゅんいせんではデビュー以来いらいCきゅう2くみのままで停滞ていたいしていた。しかし、結婚けっこん直後ちょくごの1997年度ねんどから2連続れんぞく昇級しょうきゅうでBきゅう2くみ昇級しょうきゅうする。しかし、Bきゅう2くみの1ねんでは9しょう1はい成績せいせきげながら、不運ふうんにも3ねん連続れんぞく昇級しょうきゅういっする。

1999ねんから2001ねんにかけて、新鋭しんえいせんで3連覇れんぱたす。

2003ねん(2002年度ねんど)、じゅんタイトルせんだい21かい朝日あさひオープン将棋しょうぎ選手権せんしゅけんにおいて、初代しょだい朝日あさひ選手権せんしゅけんしゃ堀口ほりぐち一史かずし挑戦ちょうせんし3-1で奪取だっしゅして、2代目だいめ朝日あさひ選手権せんしゅけんしゃとなる(翌年よくねん羽生はぶ善治よしはる奪取だっしゅされる)。

王位おうい獲得かくとくさん連覇れんぱ

編集へんしゅう

2007ねんだい48王位おういせん羽生はぶ善治よしはる挑戦ちょうせん。11ねんまえおなじタイトルせんおな顔合かおあわせとなった[2]ななばん勝負しょうぶはフルセットの熱戦ねっせんとなったが、4しょう3はいせいし、35さいにしてはつタイトルとなる王位おうい奪取だっしゅ成功せいこう[3]して、「九州きゅうしゅうにタイトルをってかえる」という対局たいきょくまえ言葉ことば[2]現実げんじつのものとした。九州きゅうしゅう出身しゅっしん棋士きしのタイトル獲得かくとくは、1984ねん加藤かとう一二三ひふみ福岡ふくおかけん出身しゅっしん以来いらい23ねんりで、しくもおなじタイトル(王位おうい)であった。ななばん勝負しょうぶなかで、とく最終さいしゅうきょくだい7きょくだしは後手ごて羽生はぶちゅう飛車ひしゃ)は、中盤ちゅうばんから終盤しゅうばんにかけての攻防こうぼう非常ひじょう難解なんかいで、NHK BS2囲碁いご将棋しょうぎジャーナル解説かいせつをした佐藤さとう康光やすみつは「歴史れきしてき終盤しゅうばんきょく」と絶賛ぜっさん[ちゅう 2]。この対局たいきょく将棋しょうぎ世界せかい2008ねん3がつごうの「プレイバック2007(プロ棋士きしえらぶ2007ねんめいきょくしゅうベスト10)」でだい1かがやき、だい35かい将棋しょうぎ大賞たいしょうきょくしょう羽生はぶとともに受賞じゅしょうした。

2008ねんはつのタイトル防衛ぼうえいせん[ちゅう 3]となるだい49王位おういせんななばん勝負しょうぶで、リターンマッチを仕掛しかけてきた羽生はぶをフルセットのすえやぶ[4][5]、2連覇れんぱ同時どうじじゅんタイトルせん朝日あさひオープンをふくめタイトル獲得かくとく3あつかいとなり、規定きていによりきゅうだん昇段しょうだんたす[4][6]

同年どうねんだい2かい朝日あさひはい将棋しょうぎオープンせん史上しじょう39にんとなる通算つうさん600しょう将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)を達成たっせい600しょう到達とうたつ勝率しょうりつ6わり8ふん1りん(281はい)は、羽生はぶ善治よしはる大山おおやま康晴やすはる中原なかはらまことの3にんだい棋士きし歴代れきだい4記録きろく[7]で、谷川たにがわ浩司こうじ佐藤さとう康光やすみつ森内もりうち俊之としゆき渡辺わたなべあきらといった永世えいせい称号しょうごう資格しかく取得しゅとくしゃすら上回うわまわこう勝率しょうりつであった。だい29かい将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズでは同門どうもん兄弟子あにでし森下もりしたたく決勝けっしょうせんやぶれてじゅん優勝ゆうしょう

2009ねん(2008年度ねんど)、羽生はぶ挑戦ちょうせんしただい58王将おうしょうせんななばん勝負しょうぶでは、だい5きょく終了しゅうりょう時点じてんで3しょう2はいとしはつかん王手おうてをかけるとともに、羽生はぶとの対戦たいせん成績せいせきを26しょう26はいのタイとした。しかし、だい6きょくだい7きょく連敗れんぱいし、タイトル奪取だっしゅはならなかった。

2009ねんだい22竜王りゅうおうせん羽生はぶやぶり、はじめて1くみ優勝ゆうしょうだい50王位おういせんななばん勝負しょうぶでは木村きむら一基いっき挑戦ちょうせんける。最初さいしょの3きょくで3連敗れんぱいして防衛ぼうえい失敗しっぱい瀬戸際せとぎわまれ、けられない状況じょうきょうとなった。しかし、出身しゅっしん長崎ながさきけん佐世保させぼおこなわれただい4きょく勝利しょうりしたのをきっかけに4連勝れんしょうかえし、史上しじょう2度目どめ[ちゅう 4]となる3連敗れんぱい4連勝れんしょうでの逆転ぎゃくてん防衛ぼうえいで、3連覇れんぱたした。深浦ふかうら防衛ぼうえい成功せいこうのインタビュー[8]では、「内容ないようはひどかった。いかに地元じもとでの対局たいきょくたたかうかということで、そのあたりから集中しゅうちゅうできた。」とかたった。だい30かい将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズでは昨年さくねんつづ決勝けっしょうせん進出しんしゅつしたが、谷川たにがわ浩司こうじやぶれて2度目どめじゅん優勝ゆうしょう

2010年代ねんだい現在げんざい

編集へんしゅう

2010ねんだい81棋聖きせいせん羽生はぶへの挑戦ちょうせんけんたものの、年度ねんど前半ぜんはん勝率しょうりつは4わりだい不調ふちょう棋聖きせいせんでは(はじめてのばん勝負しょうぶ・1にちせいのタイトルせん)、3連敗れんぱいのストレートけ。また、その直後ちょくごだい51王位おういせん広瀬ひろせ章人あきひとに2しょう4はい(2千日手せんにちて)でやぶれ、3ねんぶりに無冠むかんとなった。なお、この王位おういせんだい6きょく最終さいしゅうきょく)は、だい38かい将棋しょうぎ大賞たいしょうきょくしょうえらばれた[9]

2011ねん佐藤さとうたかしろくだんやぶり、だい82棋聖きせいせん羽生はぶへの挑戦ちょうせんけん獲得かくとくするも、3連敗れんぱいでタイトル奪取だっしゅならず。

2012ねんだい25竜王りゅうおうせん山崎やまざき隆之たかゆきやぶり、2度目どめの1くみ優勝ゆうしょう

2013ねんだい72順位じゅんいせんのAきゅうにて5しょう4はい成績せいせきえ、はじめての残留ざんりゅう成功せいこうした。

2015ねんだい23銀河ぎんがせんでは決勝けっしょう佐藤さとうたかしやぶり、じつに12ねんぶりの一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょうたした。だい36かい将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズでは決勝けっしょうせん三浦みうら弘行ひろゆきやぶれて3度目どめじゅん優勝ゆうしょう将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズせん優勝ゆうしょう経験けいけんがない棋士きしなかで、最多さいたじゅん優勝ゆうしょう回数かいすうとなった。

2016ねんだい75順位じゅんいせんにおける佐藤さとう康光やすみつとのAきゅう順位じゅんいせん対局たいきょくが、深浦ふかうらにとってははいきょくだが、だい44かい将棋しょうぎ大賞たいしょうきょくしょうえらばれた。3度目どめきょくしょうとなる。

2017ねん11月3にちだい67王将おうしょうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグせん斎藤さいとう慎太郎しんたろうち、史上しじょう19にんとなる公式こうしきせん通算つうさん800しょう将棋しょうぎ栄誉えいよ敢闘かんとうしょう)を達成たっせいした[10]

2018ねんだい31竜王りゅうおうせんで2くみ2決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつ挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせんまで進出しんしゅつしたが、広瀬ひろせ章人あきひとに1しょう2はいやぶれ、竜王りゅうおう挑戦ちょうせんのがした。また、だい77Aきゅう順位じゅんいせんは、2しょう7はいでクラス9結果けっかわり、4度目どめのBきゅう1くみくだきゅうとなった。

2019ねんだい69かいNHKはい将棋しょうぎトーナメントにて、稲葉いなばよう増田ますだ康宏やすひろといった若手わかて実力じつりょくしゃ退しりぞけて、どう棋戦きせんはつ優勝ゆうしょうたした。

2020ねんだい79Bきゅう1くみ順位じゅんいせんでは、はじめの3せんを2しょう1はいとしたものの、以降いこうは7連敗れんぱいだい苦戦くせんする。それでも12回戦かいせん丸山まるやま忠久ただひさ勝利しょうりしたことで、最終さいしゅうきょく勝利しょうりすればわずかながら残留ざんりゅうのこ状態じょうたいになったが、木村きむら一基いっき相手あいて敗戦はいせん[ちゅう 5]結果けっかてき最下位さいかいの13わり、だい60(2002年度ねんど以来いらいのBきゅう2くみ陥落かんらくとなった。

2023ねんにはだい82順位じゅんいせんBきゅう2くみ健闘けんとうし、8回戦かいせん終了しゅうりょうで7しょう1はいとBきゅう1くみ復帰ふっきまでこう1しょうせまったが、のこり2せん連敗れんぱいし、復帰ふっきはならなかった。

順位じゅんいせんにおける不運ふうん

編集へんしゅう
9しょう1はい昇級しょうきゅうのがした経験けいけんが2ある棋士きしは、順位じゅんいせんなが歴史れきしなかでも深浦ふかうらだけである。
  • 2003年度ねんどだい62Bきゅう1くみ順位じゅんいせんでは最終さいしゅう成績せいせき11しょう1はいとし、最終さいしゅうきょくまで2きょくのこした状態じょうたいはつのAきゅう昇級しょうきゅうめる。
  • 2004年度ねんどだい63Aきゅう順位じゅんいせんは、最終さいしゅう9回戦かいせん羽生はぶてばしで残留ざんりゅうであったが、やぶれたため谷川たにがわ浩司こうじ丸山まるやま忠久ただひさ三浦みうら弘行ひろゆき鈴木すずき大介だいすけとともに5めいで4しょう5はいならんでえる。深浦ふかうら昇級しょうきゅう直後ちょくご順位じゅんいにおいて下位かい(9)であったため、Bきゅう1くみくだきゅうとなった。
  • 2005年度ねんどだい64Bきゅう1くみ順位じゅんいせんでは最終さいしゅう成績せいせき10しょう2はいとし、最終さいしゅうきょくまで2きょくのこした状態じょうたいで1でのAきゅう復帰ふっきめる。
  • 2006年度ねんど、2度目どめのAきゅうとなっただい65Aきゅう順位じゅんいせんは、佐藤さとう康光やすみつ丸山まるやま忠久ただひさ藤井ふじいたけし久保くぼ利明としあき三浦みうら弘行ひろゆきとともに6めいで4しょう5はいならんでえる。またしても順位じゅんい下位かいふたたび9)であったため、Bきゅう1くみくだきゅう最終さいしゅうきょく勝利しょうりするものの、残留ざんりゅうあらそいでライバルとなっていた久保くぼ利明としあき丸山まるやま忠久ただひさがそれぞれ佐藤さとう康光やすみつ郷田ごうだしんたかし[ちゅう 6]勝利しょうりしたため)。
Aきゅう順位じゅんいせんで4しょうしながらくだきゅうした経験けいけんが2ある棋士きしは、順位じゅんいせんなが歴史れきしなかでも深浦ふかうらだけである。
  • 2007年度ねんどだい66Bきゅう1くみ順位じゅんいせんでは最終さいしゅう成績せいせき9しょう3はいとし、最終さいしゅうきょくまで2きょくのこして鈴木すずき大介だいすけともにAきゅう復帰ふっきめる。
  • 2008年度ねんど、3度目どめのAきゅうとなっただい67Aきゅう順位じゅんいせんでは、三浦みうら弘行ひろゆき鈴木すずき大介だいすけとともに3しょう6はいという最下位さいかい成績せいせきわり、順位じゅんいうえ三浦みうら残留ざんりゅう深浦ふかうら鈴木すずきくだきゅうした。なお、Aきゅう在籍ざいせきのタイトル保持ほじしゃがBきゅう1くみ陥落かんらくするのは史上しじょうはつである(当時とうじ王位おうい[ちゅう 7]。これで、AきゅうとBきゅう1くみとのあいだを6ねん連続れんぞく往来おうらいしたことになる。

なお、4度目どめとなるだい71Aきゅう順位じゅんいせん(2012年度ねんど)では3しょう6はいであったが、2しょう7はいしゃが3めいいたため7となり、自身じしんはつのAきゅう残留ざんりゅうめている。

若手わかて時代じだいから、手厚てあつさ、強靭きょうじんけを特徴とくちょうとする安定あんていした将棋しょうぎ棋風きふうであり、長年ながねん棋界きかい指折ゆびおりの通算つうさん勝率しょうりつやく7わり)を維持いじした。その一方いっぽう数々かずかずだい舞台ぶたい深浦ふかうらたたかっている羽生はぶ善治よしはるは、深浦ふかうら将棋しょうぎを「アグレッシブ」、「積極せっきょくてき」とひょうしている[11]

基本きほんてきにはきょ飛車ひしゃとうであり、矢倉やくらかくわりすことがおおい。2006ねんごろ以降いこう飛車ひしゃ戦法せんぽうす、いわゆるオールラウンドプレーヤーになっており、また、積極せっきょくてきめもわさったはばひろ棋風きふうとなってきている。2007ねんからの羽生はぶとのタイトルせんでもその傾向けいこうられる。

序盤じょばん研究けんきゅうとしての側面そくめんもあり、序盤じょばん作戦さくせん指針ししんとなる『これが最前線さいぜんせんだ!』『最前線さいぜんせん物語ものがたり』『最前線さいぜんせん物語ものがたり2』のさんさくあらわしている。

人物じんぶつ・エピソード

編集へんしゅう
  • 奨励しょうれいかい入会にゅうかい長崎ながさきけんから埼玉さいたまけん親戚しんせきたく居候いそうろう中学ちゅうがく卒業そつぎょう同時どうじにアパートをりて一人ひとりらしをはじめているが、家賃やちん支払しはらいがおくれてきながら大家たいかあやまったこともある。高校こうこう進学しんがくはほとんどかんがえていなかった[12]
  • サッカーきであり、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい のサッカー初代しょだい部長ぶちょうつとめた[13]
  • 1996ねん現在げんざい夫人ふじん結婚けっこん同年どうねん深浦ふかうら風邪かぜをこじらせて入院にゅういんしてしまったさいに、入院にゅういんさき病院びょういん夫人ふじん看護かんごつとめており、出身しゅっしんおな長崎ながさきけんということで意気投合いきとうごうしたのがきっかけ[14]深浦ふかうらによれば、どう病院びょういん院長いんちょう米長よねなが邦雄くにおとゴルフ仲間なかまだったり、夫人ふじん以外いがいにも長崎ながさきけん出身しゅっしんしゃおお採用さいようしていたりと、不思議ふしぎえんがいくつもあったという[15]前述ぜんじゅつとおりこのとし王位おういせん対局たいきょく夫人ふじん当時とうじ婚約こんやくしゃ)と両親りょうしん招待しょうたいしているが、実際じっさいには両親りょうしん将棋しょうぎ棋士きしという職業しょくぎょうらなかったことで結婚けっこん反対はんたいしていたのを説得せっとくする目的もくてきがあった[15]
  • 1999ねん将棋しょうぎ漫画まんが歩武ほぶこま」(週刊しゅうかん少年しょうねんサンデー)の監修かんしゅう
  • 2006ねん7がつ2にちおこなわれたJT将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズたい丸山まるやま忠久ただひさせんにおいて途中とちゅうどういち局面きょくめんが4かいあらわ千日手せんにちてなおしとなるはずが、りょう対局たいきょくしゃ記録きろくがかり大盤おおばん解説かいせつしゃ加藤かとう一二三ひふみ)、ききて中倉なかくら宏美ひろみ)のだれもが気付きづかず対局たいきょくすすめられた(結果けっか深浦ふかうらち)というめずらしい事件じけんこった[ちゅう 8]
  • 2013年度ねんど前述ぜんじゅつどおりAきゅうはつしをめたが、どう年度ねんどだい55王位おういせん予選よせんにおいて、女流じょりゅう棋士きし甲斐かい智美ともみやぶれるというだい金星きんぼし献上けんじょうしてしまった[16]青野あおのあきら以降いこう女流じょりゅうやぶれた2人ふたりのAきゅう棋士きしとなった[16]が、青野あおのはや棋戦きせんであるNHKはいであった[16]ため、長時間ちょうじかん棋戦きせんでは深浦ふかうら敗戦はいせんはつである。
  • NHK-BS2毎年まいとし正月しょうがつ放送ほうそうされる「だい逆転ぎゃくてん将棋しょうぎ」(司会しかいかみ吉宏よしひろたかし)では、ゲストがプロにてる可能かのうせいつく変則へんそくルールの将棋しょうぎおこなわれる。深浦ふかうらは、その変則へんそくルールのアイデアマンをつとめた。
  • 朝食ちょうしょく生粋きっすいのごはんとうで、なまたまごかさないという。また、ねばづよさをすために、対局たいきょくあさにはかなら納豆なっとうなまたまごべることが日常にちじょうしているとのこと。
  • 羽生はぶ善治よしはるたいしては、2007ねんだい48王位おういせん羽生はぶからタイトルをうばい、翌年よくねん羽生はぶ相手あいて自身じしんはつ防衛ぼうえいせん勝利しょうりするなど善戦ぜんせんしている[ちゅう 9]。その一方いっぽうで、兄弟子あにでしである森下もりしたたくとは共同きょうどう研究けんきゅうをするなかだからなのか、だい29かいJT将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズ決勝けっしょう森下もりした対戦たいせんしたさいのインタビューで「羽生はぶさんよりも森下もりしたさんとの対局たいきょくほうがやりにくい」とかたっている[ちゅう 10]。なお、森下もりしたはこれにたいし、「奨励しょうれいかい時代じだい、あるいは若手わかてとき深浦ふかうらくんぐらい努力どりょくした棋士きしおおいかもしれない。しかし、さんじゅうなかばをぎても深浦ふかうらくんほど努力どりょくしている棋士きしすうにんだろう」とひょう[17]、この努力どりょく羽生はぶたいしておくすることなくかう自信じしんみなもとになっているのだろうと指摘してきしている。
  • 一人ひとりのことばかりかんがえるというてんばん勝負しょうぶ恋愛れんあいている」などの発言はつげんから、「恋愛れんあいりゅう」とひょうされることもある[18]
  • ときにメディアで「羽生はぶ世代せだい一人ひとり」とかれることがあるが、一般いっぱんてきに「羽生はぶ世代せだい」とばれている棋士きしたちより学年がくねんで1 - 2ねんわかい。
  • 地球ちきゅう代表だいひょう」という異名いみょうばれることもある[19][20]元々もともとはインターネットじょうまれた「もし将棋しょうぎほしじんめてきて地球ちきゅう運命うんめいけて将棋しょうぎすことになったら、地球ちきゅう代表だいひょうは(当時とうじ王位おうい獲得かくとくするなどいきおいのあった)深浦ふかうらでなく(実績じっせき十分じゅうぶんな)羽生はぶだ」という(深浦ふかうらにとってはネガティブな)ジョークがきっかけだが、これがひろまったのちに深浦ふかうら羽生はぶ藤井ふじいさとしふとしつづけにやぶったことから「(圧倒的あっとうてき成績せいせきほこる)羽生はぶ藤井ふじいさとしふとしこそが将棋しょうぎほしじんで、地球ちきゅう代表だいひょうは(かれらにつよい)深浦ふかうらである」というミーム変化へんかし、深浦ふかうら自身じしん愛称あいしょうとして定着ていちゃくした。本人ほんにんもこの愛称あいしょうばれていることはっているようで、将棋しょうぎフォーカスのインタビューでは「勝負しょうぶつよさをみとめられており、うれしさをかんじている。」と発言はつげんしている[21]、ネット中継ちゅうけい番組ばんぐみ視聴しちょうしゃプレゼントのサイン色紙しきしに「地球ちきゅう代表だいひょう 深浦ふかうらやすし」といたこともある。
  • 息子むすこ将棋しょうぎとサッカーをやっており、「ピラメキーノ」の3ONストライカーに出演しゅつえんしたことがある。
  • 2012ねん6がつ8にち日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい非常勤ひじょうきん理事りじ就任しゅうにん( - 2015ねん[22]
  • 2018ねん6がつまつフットサル右肩みぎかた脱臼だっきゅうする怪我けが[23]だい31竜王りゅうおうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていさんばん勝負しょうぶ最終さいしゅうきょく右手みぎてもどすまでの2ヶ月かげつほどのあいだ左手ひだりてしていた[24]

棋士きしとなった弟子でし

編集へんしゅう
名前なまえ よんだん昇段しょうだん 段位だんいおも活躍かつやく
佐々木ささき大地だいち 2016ねん4がつ1にち ななだん、タイトル挑戦ちょうせん2かい

(2023ねん5がつ18にち現在げんざい

  • 長崎ながさきけん対馬つしま出身しゅっしん佐々木ささきはじ弟子でし九州きゅうしゅう出身しゅっしんしゃおおく、東京とうきょう関東かんとうけん出身しゅっしんしゃはいない。これについて「地元じもとほうからべてもらい、師匠ししょう花村はなむらもとつかさきゅうだん)などにも橋渡はしわたしをしてもらったというおんがありますから。できるだけ、プロ棋士きしとなかなか出会であえない地方ちほう出身しゅっしんしゃから弟子でしろうとおもっています」とかたっている[12]

昇段しょうだん履歴りれき

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  • 1984ねん12がつ10日とおか : 6きゅう = 奨励しょうれいかい入会にゅうかい
  • 1985ねん11月28にち : 5きゅう
  • 1986ねん03がつ20日はつか : 4きゅう
  • 1986ねん05がつ20日はつか : 3きゅう
  • 1986ねん07がつ20日はつか : 2きゅう
  • 1986ねん02がつ10日とおか : 1きゅう
  • 1987ねん07がつ20日はつか : 初段しょだん
  • 1988ねん06がつ10日とおか : だん
  • 1988ねん10がつ10日とおか : さんだん
  • 1991ねん10がつ01にち : よんだん(プロり = だい9かい奨励しょうれいかいさんだんリーグ2
  • 1994ねん08がつ27にち : だんかちすう規定きてい公式こうしきせん100しょう
  • 1997ねん07がつ22にち : ろくだんかちすう規定きていだん昇段しょうだん公式こうしきせん120しょう
  • 2001ねん06月28にち : ななだんかちすう規定きていろくだん昇段しょうだん公式こうしきせん150しょう[25]
  • 2004ねん04がつ01にち : はちだん順位じゅんいせんAきゅう昇級しょうきゅう[26]
  • 2008ねん09月26にち : きゅうだん(タイトル合計ごうけい3 = タイトル2だい21かい朝日あさひオープン選手権せんしゅけん優勝ゆうしょう[27][28]

おも成績せいせき

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獲得かくとくタイトル

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 は2024ねん8がつ現在げんざい在位ざいい登場とうじょう連覇れんぱ 太字ふとじ 歴代れきだい最多さいた記録きろく

棋士きしとの比較ひかくは、タイトル獲得かくとく記録きろく将棋しょうぎのタイトル在位ざいいしゃ一覧いちらん参照さんしょう

タイトル 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 永世えいせい称号しょうごう備考びこう
竜王りゅうおう 0
名人めいじん 0
王位おうい 2007-2009 5かい 3 3連覇れんぱ
あきらおう 0
王座おうざ 0
棋王きおう 0
王将おうしょう 1かい
棋聖きせい 2かい
タイトル獲得かくとく 合計ごうけい 3 / 登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい8かい 

(2011年度ねんど棋聖きせいせんせん終了しゅうりょうまで)

タイトルせん登場とうじょう
  • 王位おうい:5かいだい37=1996年度ねんど、2007年度ねんど-2010年度ねんど
  • 王将おうしょう:1かいだい58=2008年度ねんど
  • 棋聖きせい:2かいだい81=2010年度ねんど-2011年度ねんど
登場とうじょう回数かいすう 合計ごうけい 8かい(2011年度ねんど棋聖きせいせんまで)

一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう

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合計ごうけい 10かい

記録きろく歴代れきだい1または唯一ゆいいつのもの)

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ちん記録きろく

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  • Aきゅう順位じゅんいせんにおける4しょう5はいでの陥落かんらく 通算つうさん2かいだい63、65
  • 順位じゅんいせんで9しょう1はいでのあたまハネ 通算つうさん2かいだい53Cきゅう2くみだい58Bきゅう2くみ
  • 現役げんえきタイトル保持ほじしゃとしてAきゅうから陥落かんらく当時とうじ王位おういだい67(2009ねん3がつ3にち

将棋しょうぎ大賞たいしょう

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  • だい21かい(1993年度ねんど新人しんじんしょう敢闘かんとうしょう
  • だい22かい(1994年度ねんど敢闘かんとうしょう
  • だい23かい(1995年度ねんど最多さいた勝利しょうりしょう最多さいた対局たいきょくしょう
  • だい31かい(2003年度ねんど技能ぎのうしょう勝率しょうりつだいいちしょう
  • だい35かい(2007年度ねんど敢闘かんとうしょうめいきょくしょうだい48王位おういせんななばん勝負しょうぶだい7きょく たい羽生はぶ善治よしはる王位おういせん
  • だい38かい(2010年度ねんどきょくしょうだい51王位おういせんななばん勝負しょうぶだい6きょく たい広瀬ひろせ章人あきひとろくだんせん
  • だい44かい(2016年度ねんどきょくしょうだい75Aきゅう順位じゅんいせんだい8きょく たい佐藤さとう康光やすみつきゅうだんせん

在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[29]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[30]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1991 50 昇段しょうだんまえ 5 6くみ 1-1 5-0
1992 51 C253 7-3 6 5くみ -- 3-2
1993 52 C212 7-3 7 5くみ 0-1 5-0
1994 53 C209 9-1 8 4くみ -- 4-2
1995 54 C204 7-3 9 4くみ -- 2-2
1996 55 C206 7-3 10 4くみ -- 3-2
1997 56 C203 8-2 11 4くみ -- 4-1
1998 57 C121 9-1 12 3くみ -- 3-2
1999 58 B221 9-1 13 3くみ -- 5-1
2000 59 B202 6-4 14 2くみ -- 3-2
2001 60 B205 9-1 15 2くみ -- 2-2
2002 61 B111 7-4 16 2くみ -- 0-3
2003 62 B104 11-1 17 3くみ -- 3-1
2004 63 A 09 4-5 18 2くみ -- 2-2
2005 64 B101 10-2 19 2くみ -- 1-2
2006 65 A 09 4-5 20 2くみ 0-1 4-0
2007 66 B101 9-3 21 1くみ 0-1 3-1
2008 67 A 10 3-6 22 1くみ 2-2 4-0
2009 68 B102 8-4 23 1くみ -- 1-2
2010 69 B103 7-5 24 1くみ 1-1 3-1
2011 70 B103 8-4 25 1くみ 0-1 4-0
2012 71 A 10 3-6 26 1くみ -- 1-2
2013 72 A 07 5-4 27 1くみ 1-1 3-1
2014 73 A 05 5-4 28 1くみ -- 1-2
2015 74 A 05 3-6 29 1くみ 1-1 3-4
2016 75 A 08 4-5 30 1くみ -- 0-2
2017 76 A 07 5-5 31 2くみ 4-2 3-1
2018 77 A 07 2-7 32 1くみ -- 0-2
2019 78 B101 7-5 33 2くみ -- 3-2
2020 79 B104 3-9 34 2くみ -- 1-2
2021 80 B203 3-7 35 2くみ -- 2-2
2022 81 B218 4-6 36 2くみ -- 1-2
2023 82 B219 7-3 37 2くみ --
2024 83 B206 38
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

年度ねんどべつ成績せいせき

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公式こうしき棋戦きせん成績せいせき
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
1991 20 16 4 0.8000 [31]
1992 49 33 16 0.6735 [32]
1993 53 38 15 0.7170 [33]
1994 55 44 11 0.8000 [34]
1995 66 46 20 0.6970 [35]
1996 44 25 19 0.5682 [36]
1997 60 44 16 0.7333 [37]
1998 41 28 13 0.6829 [38]
1999 46 36 13 0.7347 [39]
2000 58 43 15 0.7414 [40]
1991-2000
(小計しょうけい)
492 353 139
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2001 61 43 18 0.7049 [41]
2002 44 28 16 0.6364 [42]
2003 46 35 11 0.7609 [43]
2004 51 28 23 0.5490 [44]
2005 48 31 17 0.6458 [45]
2006 44 28 16 0.6364 [46]
2007 53 32 21 0.6038 [47]
2008 51 27 24 0.5294 [48]
2009 54 34 20 0.6296 [49]
2010 50 24 26 0.4800 [50]
2001-2010
(小計しょうけい)
502 300 202
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2011 47 27 20 0.5745 [51]
2012 42 22 20 0.5238 [52]
2013 30 14 16 0.4667 [53]
2014 41 24 17 0.5854 [54]
2015 40 21 19 0.5250 [55]
2016 42 19 23 0.4524 [56]
2017 37 21 16 0.5676 [57]
2018 39 18 21 0.4615 [58]
2019 39 22 17 0.5641 [59]
2020 31 12 19 0.3871 [60]
2011-2020
(小計しょうけい)
387 200 187
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ (出典しゅってん)
2021 39 19 20 0.4872 [61]
2022 32 13 19 0.4063 [62]
2023 38 25 13 0.6579 [63]
2021-2023
(小計しょうけい)
109 57 52
通算つうさん 1494 920 574 0.6158 [64]
2023年度ねんどまで

その表彰ひょうしょう

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出演しゅつえん

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  • 将棋しょうぎフォーカスNHK Eテレ、2018ねん10がつ - 2019ねん3がつ番組ばんぐみない将棋しょうぎ講座こうざ深浦ふかうらやすし飛車ひしゃなんてこわくない」講師こうし

著書ちょしょ

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単行本たんこうぼん

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  • これが最前線さいぜんせんだ!—最新さいしん定跡じょうせき完全かんぜんガイド(1999ねん4がつ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃISBN 4-309-72182-6
  • 最前線さいぜんせん物語ものがたり(2003ねん9がつ浅川あさがわ書房しょぼうISBN 4-86137-000-0
  • 飛車ひしゃやぶちょう急戦きゅうせんガイド(2004ねん3がつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいISBN 4-8197-0374-9
  • 3・5からの詰将棋つめしょうぎ 初段しょだん・1・2きゅう基本きほん手筋てすじから実戦じっせん問題もんだいまで120だい 実力じつりょく判定はんてい(2004ねん8がつ成美せいびどう出版しゅっぱんISBN 4-415-02837-3
  • フィードバック方式ほうしき定跡じょうせき一手いって初段しょだんへの近道ちかみち(2005ねん12月、日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいISBN 4-8197-0382-X
  • 最前線さいぜんせん物語ものがたり2(2006ねん8がつ浅川あさがわ書房しょぼうISBN 4-86137-014-0
  • 実戦じっせん手筋てすじいち(将棋しょうぎパワーアップシリーズ)(2007ねん11月、つくもとしゃISBN 978-4422751214
  • プロへのみち(2009ねん5がつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいISBN 978-4839932640
  • 最新さいしん飛車ひしゃ対策たいさく(プロ最前線さいぜんせんシリーズ)(2011ねん10がつ日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめいISBN 978-4839939861
  • 将棋しょうぎ終盤しゅうばん教科書きょうかしょ(将棋しょうぎ教科書きょうかしょシリーズ)(2014ねん5がつマイナビISBN 978-4839951917
  • 深浦ふかうらやすし飛車ひしゃなんてこわくない(NHK将棋しょうぎシリーズ) (2019ねん11月、NHK出版しゅっぱんISBN 978-4140162729)
  • いでつ! 深浦ふかうらきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま(マイナビ将棋しょうぎBOOKS)(2021ねん1がつマイナビ出版しゅっぱんISBN 978-4839975241

監修かんしゅう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 2016年度ねんど現在げんざい昇段しょうだん規定きてい当時とうじ施行しこうされていたとすると、ぜん棋士きし出場しゅつじょう棋戦きせんであった全日本ぜんにほんプロ将棋しょうぎトーナメントで優勝ゆうしょう時点じてんだん昇段しょうだんとなっていた。
  2. ^ 佐藤さとうはさらに「こんなにすごい終盤しゅうばん記憶きおくにない。」「(2まいかねを1まいかく交換こうかんし、そのかくを5さん手順てじゅんみは)すごい。なかなかないすじ奇跡きせきてきみとってもよい。」とひょうしている。
  3. ^ ただし、タイトルせん以外いがいでは、朝日あさひオープンで2004ねん(2003年度ねんど)のだい22かい防衛ぼうえいせん経験けいけんあり。
  4. ^ 渡辺わたなべあきらによる史上しじょうはつの3連敗れんぱい4連勝れんしょうでの防衛ぼうえい竜王りゅうおうせん)からわずか9ヶ月かげつのことであった。
  5. ^ 残留ざんりゅう条件じょうけん木村きむら勝利しょうりしたうえで、阿久津あくつ主税ちから行方なみかた尚史ひさし両者りょうしゃ敗戦はいせんする、という非常ひじょうきびしいものだった。しかし結果けっかてきに、阿久津あくつ行方ゆくえ両者りょうしゃとも勝利しょうりしたので、木村きむらっていても深浦ふかうらくだきゅう確定かくていしていた。
  6. ^ 郷田ごうだ最終さいしゅうきょくたずして名人めいじん挑戦ちょうせんめていた。
  7. ^ その、70久保くぼ利明としあき当時とうじ棋王きおう王将おうしょう)、74郷田ごうだしんたかし当時とうじ王将おうしょう)、76渡辺わたなべあきら当時とうじ棋王きおう)らもタイトルを維持いじしたままBきゅう1くみ陥落かんらく。ただし、久保くぼ場合ばあいくだきゅうまってから3がつまつまでのあいだにタイトルをうしな無冠むかんとなっている。
  8. ^ 棋譜きふ公式こうしきサイト) - 54△2(1かい)から▲4はち△4▲2はち△2(2かい)▲7ななきんよせ △6ぎん▲6ななきんよせ△7よんぎん引(3かい)▲7ななきんよせ △6ぎん▲6ななきんよせ△7よんぎん引(4かい)。
  9. ^ 2023ねん11月24にち現在げんざい深浦ふかうらの33しょう49はい
  10. ^ 実際じっさいに、たい森下もりした戦績せんせきは4しょう6はい(2023ねん現在げんざいまで)としており、王位おういせんべにぐみリーグ残留ざんりゅう決定けっていせん、62と66順位じゅんいせん(Bきゅう1くみ)、前述ぜんじゅつ日本にっぽんシリーズ決勝けっしょう棋聖きせいせん予選よせん決勝けっしょうひとし重大じゅうだい対局たいきょくやぶれている。

出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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