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久保利明 - Wikipedia

久保くぼ利明としあき

日本にっぽん将棋しょうぎ棋士きし

久保くぼ 利明としあき(くぼ としあき、1975ねん8がつ27にち - )は、将棋しょうぎ棋士きし棋士きし番号ばんごうは207。淡路あわじひとししげるきゅうだん門下もんか兵庫ひょうごけん加古川かこがわ出身しゅっしん県立けんりつ加古川南かこがわみなみ高校こうこう中退ちゅうたい[1]日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい棋士きしかいふく会長かいちょう(2015ねん6がつ - )。

 久保くぼ利明としあき きゅうだん
平成28年11月、姫路市で行われた人間将棋にて
名前なまえ 久保くぼ利明としあき
生年月日せいねんがっぴ (1975-08-27) 1975ねん8がつ27にち(48さい
プロ年月日ねんがっぴ 1993ねん4がつ1にち(17さい
棋士きし番号ばんごう 207
出身しゅっしん 兵庫ひょうごけん加古川かこがわ
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい
関東かんとう[-2006ねん3がつ]
関西かんさい[2006ねん4がつ-])
師匠ししょう 淡路あわじひとししげるきゅうだん
弟子でし さかきさいぎん久保くぼ翔子しょうこ
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB 久保くぼ利明としあき
戦績せんせき
タイトル獲得かくとく合計ごうけい 7
一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう 6かい
2022ねん10がつ1にち現在げんざい
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1986ねん小学生しょうがくせい将棋しょうぎ名人めいじんせんでベスト4進出しんしゅつ準決勝じゅんけっしょう優勝ゆうしょうしゃ鈴木すずき大介だいすけやぶれる)。同年どうねん奨励しょうれいかい入会にゅうかい

1993ねん4がつ、17さいよんだん昇段しょうだん(プロり)。その、10ねんをかけて2003ねんAきゅうはちだんとなる。1994ねんには、ぜん棋士きしちゅう1歴代れきだい6当時とうじ)の勝率しょうりつ0.8095(34しょう8はい)をマーク。1997ねんにはオールスターせんで6連勝れんしょうし、棋戦きせんはつ優勝ゆうしょう[注釈ちゅうしゃく 1]

定員ていいん7めい残留ざんりゅう4めいという棋界きかい随一ずいいち難関なんかん王将おうしょうリーグ(王将おうしょうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグ)に、だい49(1999年度ねんど)にはつ参加さんかだい49では陥落かんらくするも、翌年よくねんだい50そく復帰ふっき以降いこうだい59(2009年度ねんど)まで陥落かんらくすることなく連続れんぞく残留ざんりゅうしている[注釈ちゅうしゃく 2]

関西かんさい奨励しょうれいかい出身しゅっしんであるが、プロしばらくは関東かんとう所属しょぞくしていた。2006ねん4がつ関西かんさいもどり、当時とうじ囲碁いご将棋しょうぎジャーナル」に出演しゅつえんしたさい、「もう関東かんとうくことはない」とべた。

羽生はぶかべ

編集へんしゅう

2007ねんまで4タイトル挑戦ちょうせんしゃとなったが、すべて羽生はぶ善治よしはる相手あいてであった。また、羽生はぶにとって節目ふしめとなる対局たいきょく相手あいてが、しくも久保くぼであるというめぐわせもあった。

  • だい262000ねん棋王きおうせん羽生はぶ挑戦ちょうせん(タイトルせんはつ登場とうじょう)するが、1-3でやぶれる。どう年度ねんどだい50かいNHKはいせんでは、決勝けっしょう羽生はぶやぶれてじゅん優勝ゆうしょう。この年度ねんどは46しょう勝率しょうりつ0.7419をげ、将棋しょうぎ大賞たいしょう敢闘かんとうしょう受賞じゅしょう[注釈ちゅうしゃく 3]
  • だい492001ねん王座おうざせん羽生はぶ挑戦ちょうせん(2度目どめ)するが、1しょう3はい退しりぞけられた。
  • だい53かい2003ねん)NHKはいせん決勝けっしょう羽生はぶやぶ優勝ゆうしょう[注釈ちゅうしゃく 4]。3ねんまえのリベンジをたすとともに、ぜん棋士きし参加さんか棋戦きせんでのはつ優勝ゆうしょう達成たっせい羽生はぶはそれまでNHKはいせん決勝けっしょうすすめばかなら優勝ゆうしょうしていたが、そのNHKはい決勝けっしょうせん無敗むはい記録きろく久保くぼが6でストップさせた(この年度ねんどは、将棋しょうぎ大賞たいしょう殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょう)。
  • だい55王座おうざせん2007ねん)で6ねんぶりにタイトル挑戦ちょうせんけんたが、またしても相手あいて羽生はぶ(3度目どめ)で、3連敗れんぱいのストレートけ。
  • 2007ねん12がつ20日はつかだい66順位じゅんいせんAきゅう6回戦かいせん羽生はぶやぶれたが、これが羽生はぶにとって通算つうさん1000しょうとなった。
  • だい572007ねん王将おうしょうせん羽生はぶ挑戦ちょうせん(4度目どめ)。ななばん勝負しょうぶ二日ふつかせいは、久保くぼにとってはじめて。結果けっかは1しょう4はい敗退はいたい。なお、羽生はぶにとってこの王将おうしょう防衛ぼうえいは、タイトル棋戦きせん優勝ゆうしょう回数かいすう通算つうさん100かい記録きろく達成たっせいとなった。2007年度ねんど羽生はぶとの対戦たいせん成績せいせきは、結局けっきょく、1しょう10はいわる。なお、この王将おうしょうせん終了しゅうりょうしてあいだもない3がつ3にちには、5連続れんぞく在籍ざいせきしたAきゅうからのくだきゅうまる。1ねんにタイトル挑戦ちょうせん2かい好成績こうせいせきであったが、つらいちねんとなった。

はつタイトル

編集へんしゅう
佐藤さとう康光やすみつ棋王きおう 持駒もちごま:なし
987654321 
こうかつら  たまきむぎんかつらこういち
 きむぎん   かく 
  さん
       よん
       
         ろく
 なな
 かく   たま   はち
こうかつらぎんきむ きむぎんかつらこうきゅう

プロ16ねんむかえ、33さいとなる2008ねんは、久保くぼにとって特別とくべつとしとなる。

5月13にち棋聖きせいせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん羽生はぶやぶれる。しかし、3にちの5がつ16にち竜王りゅうおうランキングせん2くみ準決勝じゅんけっしょう屋敷やしき伸之のぶゆき勝利しょうりしてはつの1くみ昇級しょうきゅうめる。

2009ねん2がつ14にちだい2かい朝日あさひはい将棋しょうぎオープンせんでは、決勝けっしょう阿久津あくつ主税ちからやぶれ、2度目どめぜん棋士きし参加さんか棋戦きせん優勝ゆうしょうのがす。

しかし、だい34棋王きおうせんは、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていトーナメントで羽生はぶらをたおし、いち木村きむら一基いっきやぶれるも敗者はいしゃ復活ふっかつがって、佐藤さとう康光やすみつ棋王きおうへの挑戦ちょうせんけんる。これは羽生はぶ以外いがい棋士きしたたかはつのタイトルせんとなった。五番ごばん勝負しょうぶだし2連勝れんしょうのちに2連敗れんぱいしたが、最終さいしゅうだい5きょく2009ねん3月30にち)でち、はつタイトル・棋王きおう獲得かくとく関西かんさい所属しょぞく棋士きしのタイトル在位ざいいは、2004年度ねんど(2005ねん)に谷川たにがわ浩司こうじおな棋王きおううしなって以来いらいである。また、2008年度ねんどの49しょう、73対局たいきょくは、ぜん棋士きしちゅう1成績せいせきであった。これらの活躍かつやくにより、将棋しょうぎ大賞たいしょう敢闘かんとうしょう最多さいた勝利しょうりしょう最多さいた対局たいきょくしょう升田ますだ幸三こうぞうしょう受賞じゅしょう[注釈ちゅうしゃく 5]

升田ますだしょう対象たいしょうとなったのは、棋王きおうせんだい2きょく石田いしだりゅうだしからした新手あらてである(みぎ参照さんしょう、11▲7)。タイトルせん舞台ぶたいはつ披露ひろうしたことでも話題わだいとなった。ちなみに、このいちきょく開始かいしからわずさんじゅうすう終盤しゅうばん突入とつにゅうするという乱戦らんせんで、57久保くぼちとなっている。

かんおう

編集へんしゅう

だい59王将おうしょうせん羽生はぶ挑戦ちょうせん。そのななばん勝負しょうぶだい2きょくだい3きょくあいだに、だい68順位じゅんいせんBきゅう1くみ2010ねん2がつ8にちたい豊川とよかわ孝弘たかひろせん)で9しょうげ、最終さいしゅうきょくたずAきゅう復帰ふっきめた。また、だい3きょくだい4きょくあいだの2010ねん2がつ13にちには、だい3かい朝日あさひはいオープンせん準決勝じゅんけっしょう決勝けっしょうたたかうが、決勝けっしょう羽生はぶやぶれて2ねん連続れんぞくじゅん優勝ゆうしょう。しかし、3月16にち - 17にち王将おうしょうせんだい6きょくせいし、4しょう2はい王将おうしょう奪取だっしゅ。5度目どめ挑戦ちょうせんでついに羽生はぶかべえた。これで、関西かんさい所属しょぞく棋士きしとしては谷川たにがわ浩司こうじ(2004年度ねんど王位おうい棋王きおうかんから王位おういしつかんむり以来いらい5ねんはんぶりとなるかんおうとなり、飛車ひしゃとうかんおうとなるのは大山おおやま康晴やすはる以来いらい、37ねんぶりである。

しかしながら、王将おうしょうせん並行へいこうして、前年ぜんねんおなじく佐藤さとう康光やすみつたたかっていた棋王きおうせん防衛ぼうえいせんだい35棋王きおうせんばん勝負しょうぶ)では、王将おうしょうせん終了しゅうりょう時点じてんで1しょう2はい角番かどばんまれていた。だい4きょく王将おうしょう奪取だっしゅからわずか2にち3月19にち。これにけると、1990年度ねんどみなみ芳一よしかずのケース[注釈ちゅうしゃく 6]よりもさらにみじかい‘2日間にちかんだけのかん’という珍事ちんじになるところであったが、勝利しょうりしてしのぐ。そして2010ねん3月30にち大阪おおさか福島ふくしま関西かんさい将棋しょうぎ会館かいかんにおいておこなわれた棋王きおうせん最終さいしゅうだい5きょくで、終盤しゅうばんせんながい190熱戦ねっせんすえ佐藤さとうち、1ねんまでかん在位ざいいつづけることとなった。タイトルはつ防衛ぼうえいでもある。また、昇段しょうだん規定きていの「タイトル獲得かくとく3」に該当がいとうしたことにより同日どうじつづけきゅうだん昇段しょうだんした。この棋王きおうせんだい5きょくは、翌日よくじつおこなわれた将棋しょうぎ大賞たいしょう選考せんこうきょくしょうえらばれ、また、2009年度ねんど成績せいせきたか評価ひょうかされ、優秀ゆうしゅう棋士きししょうはつ受賞じゅしょうした。

だい4かいネット将棋しょうぎ最強さいきょうせん」の決勝けっしょう2010ねん8がつ22にち)で森内もりうち俊之としゆきやぶり、タイトルせん以外いがいでは6ねんはんぶりの優勝ゆうしょうだい60(2010年度ねんど王将おうしょうせんでは豊島としま将之まさゆきを4しょう2はいで、だい36(2010年度ねんど棋王きおうせんでは渡辺わたなべあきらを3しょう1はい退しりぞかん堅持けんじはつタイトルから3ねんにして通算つうさんタイトル獲得かくとくすうを5とした。また、2ねん連続れんぞく将棋しょうぎ大賞たいしょう優秀ゆうしゅう棋士きししょう受賞じゅしょうした。

しつかんむりからJT日本にっぽんシリーズ連覇れんぱ

編集へんしゅう

2012ねん3がつ2にちだい70順位じゅんいせんにおいて、Aきゅうで2しょう7はいとなり、Bきゅう1くみへのくだきゅうまる。タイトル2かん棋士きしくだきゅうするのは、史上しじょうはつ[2]

3月9にちには角番かどばんまれていただい61王将おうしょうせん佐藤さとう康光やすみつきゅうだんやぶれて1しょう4はいとなり、王将おうしょう佐藤さとううばわれた(これがはつのタイトルしつかんむりでもあった)[3]。さらに、だい37棋王きおうせんだい4きょく2012ねん3月17にち)で郷田ごうだしんたかしきゅうだんやぶれ、1しょう3はいしつかん[4]無冠むかんとなる。2012ねん3がつの1ヶ月かげつだけで、AきゅうからBきゅう1くみへのくだきゅうかんから無冠むかんへの後退こうたい経験けいけんする。

だい33かい将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズでは、決勝けっしょう(2012ねん11月18にち)で羽生はぶ善治よしはるさんかんやぶり、どう大会たいかい3度目どめ決勝けっしょう進出しんしゅつはつ優勝ゆうしょうかざる。翌年よくねんだい34かい将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズでも、決勝けっしょう羽生はぶやぶり、2連覇れんぱ達成たっせいした。

Aきゅう順位じゅんいせんプレーオフからBきゅう1くみへのくだきゅう

編集へんしゅう

2013ねん1がつ10日とおかだい71順位じゅんいせんBきゅう1くみ11回戦かいせん畠山はたけやまななだん勝利しょうりし8しょう2はいとなり2きょくのこして、Aきゅう復帰ふっきするとともに、通算つうさん600しょうとなり将棋しょうぎ栄誉えいよしょう達成たっせいする。だい73順位じゅんいせんAきゅう(2014年度ねんど)では、渡辺わたなべあきら広瀬ひろせ章人あきひと久保くぼ利明としあき行方なみかた尚史ひさしが、ともに6しょう3はいならびプレーオフへ進出しんしゅつし、広瀬ひろせ渡辺わたなべあきら連破れんぱしたが、行方ゆくえやぶれて名人めいじんへの挑戦ちょうせんけんられなかった。 だい74順位じゅんいせんAきゅう(2015年度ねんど)では、2しょう7はいでAきゅうからBきゅう1くみくだきゅうとなった。

将棋しょうぎソフト不正ふせい使用しよう疑惑ぎわく騒動そうどう

編集へんしゅう

2016ねん7がつ26にち竜王りゅうおうせん決勝けっしょうトーナメントで三浦みうら弘行ひろゆきが31分間ふんかんはなれせきしたというあやまった認識にんしきもとに、7がつ29にち関西かんさい月例げつれい報告ほうこくかいにおいて、対局たいきょくちゅう電子でんし機器きき使つか不正ふせい規制きせいすべきと提言ていげん。12やく30分間ふんかんはなれせきしたことから、不審ふしんおもい、会館かいかんないさがしたがつからず、将棋しょうぎソフトがしめ一致いっちしたとひがし常務じょうむ理事りじ報告ほうこくした。谷川たにがわ会長かいちょうにも報告ほうこくした。10月10にちしま常務じょうむ理事りじ自宅じたく会合かいごうで、7がつ26にち対局たいきょくでの疑惑ぎわくについて前記ぜんきあやまった認識にんしきもと説明せつめいした[5]

王将おうしょう奪取だっしゅとAきゅう復帰ふっき

編集へんしゅう

だい662016ねん王将おうしょうせん挑戦ちょうせんしゃ決定けっていリーグせんで1となり、郷田ごうだしんたかし王将おうしょうへの挑戦ちょうせんけん獲得かくとくした。ななばん勝負しょうぶは4しょう2はい久保くぼせいし、6ぶりに王将おうしょうかえいた[6]

2017ねん2がつ16にちだい75順位じゅんいせんBきゅう1くみで8しょう3はいとなり、13回戦かいせんのこしAきゅうへの復帰ふっき決定けっていした。

2017年度ねんどは、だい25銀河ぎんがせん決勝けっしょうで、羽生はぶ善治よしはる勝利しょうり優勝ゆうしょうだい76順位じゅんいせんAきゅうでは、最終さいしゅうきょくぜん時点じてん豊島としま将之まさゆきともに6しょう3はい成績せいせきトップであったが、最終さいしゅうきょく久保くぼ豊島としまがどちらもやぶれたことにより、6しょう4はいならんだ6にん豊島としま将之まさゆき久保くぼ利明としあき佐藤さとう康光やすみつ広瀬ひろせ章人あきひと羽生はぶ善治よしはる稲葉いなばよう)による挑戦ちょうせんしゃ決定けっていプレーオフとなった。プレーオフでは豊島としまやぶれ、名人めいじんへの挑戦ちょうせんけんられなかった。だい67王将おうしょうせんでは、2018ねん3がつ15にちおこなわれたななばん勝負しょうぶだい6きょく挑戦ちょうせんしゃ豊島としま将之まさゆきくだし、4しょう2はい王将おうしょう防衛ぼうえいした(連覇れんぱ通算つうさん4)。

度目どめ王将おうしょうしつかんむり順位じゅんいせんくだきゅう

編集へんしゅう

2018年度ねんどだい68王将おうしょうせんでは渡辺わたなべあきら挑戦ちょうせんけ、0しょう4はいのストレートけでタイトルをしつかんした。

2019年度ねんどだい78順位じゅんいせんAきゅうでは最終さいしゅう成績せいせき2しょう7はいとなり、Bきゅう1くみくだきゅうした。

2020年度ねんどだい68王座おうざせんでは挑戦ちょうせんしゃ決定けっていせん渡辺わたなべあきらやぶり、13ねんぶり3度目どめとなる挑戦ちょうせんけん獲得かくとくした。永瀬ながせたく王座おうざとのばん勝負しょうぶは2しょう3はいのフルセットのすえ敗退はいたい

竜王りゅうおうせんでは、だい29からだい34まで6連続れんぞく決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつした。6連続れんぞくでの進出しんしゅつ歴代れきだいいち記録きろくである。しかし、いち挑戦ちょうせんけん獲得かくとくにはいたらなかった。

2022年度ねんどだい63王位おういせん王位おういリーグに進出しんしゅつしたが、しろぐみで2しょう3はいわり陥落かんらくとなった。だい81順位じゅんいせんBきゅう1くみでは最終さいしゅう成績せいせき4しょう8はいとなり、くだきゅう決定けっていし、来期らいきは23ねんぶりにBきゅう2くみたたかうことになった。

飛車ひしゃとうであり、藤井ふじいたけし鈴木すずき大介だいすけとも飛車ひしゃ御三家ごさんけれいになり飛車ひしゃとう総裁そうさいとも)とばれる。

また、対抗たいこうがたみずからの土俵どひょうとしていることもあり、飛車ひしゃとう相手あいてにはきょ飛車ひしゃがわってたたかうこともおおい(いわゆる大山おおやま康晴やすはる棋風きふうタイプである。かつてはあい飛車ひしゃしていたが、勝率しょうりつがあまりよくなかったため、40だいになってからきょ飛車ひしゃ対抗たいこうがたすようになった)。

さばいて(さばいて)つ」で、こまかるさばきをつね重視じゅうしする棋風きふうであり、「さばきのアーティスト」「カルサバりゅう」「カルサバ日本一にっぽんいち」などの異名いみょうつ。大野おおの源一げんいち飛車ひしゃまなんだ。

きょ飛車ひしゃ穴熊あなぐまたいして後手ごてきょだまさんあいだ飛車ひしゃから△9や7さんはやくに藤井ふじいシステム調しらべかたのほか、一連いちれん先手せんてゴキゲンちゅう飛車ひしゃしん石田いしだりゅうちょう急戦きゅうせんといったかく交換こうかん飛車ひしゃ、また石田いしだりゅうほんみでぼうきん退治たいじの▲7きゅうぎんがたなど、独特どくとく戦術せんじゅつ久保くぼシステムともしょうされ[7]、そしてはや石田いしだよみがえらせた棋士きし一人ひとりでもある。とくたいぼうきんせる、桂馬けいまねるタイミングをおくらせることで飛車ひしゃ自由じゆううごきを確保かくほする戦術せんじゅつ久保くぼりゅうばれ、定跡じょうせきしている。

また、今泉いまいずみ健司けんじ考案こうあんした「2△3」を発展はってんさせるなど、さんあいだ飛車ひしゃへのこだわりがつよい。だい662016ねん王将おうしょうせんななばん勝負しょうぶだい2きょくでは、17はち戦法せんぽう[注釈ちゅうしゃく 7]採用さいよう話題わだいとなった。

メンタルめんでは、タイトルをったころから「たのしむ」、「将棋しょうぎつうじて真剣しんけん勝負しょうぶたのしむ」をモットーとしている。以前いぜんたねばならない、完璧かんぺきさねばならないと自分じぶんんでいたが、プレッシャーをつよかんじたり、けた自分じぶんゆるせなくなったとう。「たのしむ」を実践じっせんしてからは自然体しぜんたい対局たいきょくのぞめるようになり、へんかたちからはいりすぎることもなくなった[8]

「カルサバりゅう」とばれる一方いっぽう形勢けいせい不利ふりになってからの「ねばり」にも定評ていひょうがあり、タイトルせんでの活躍かつやく原動力げんどうりょくとなっている[9]久保くぼは「ねばっているのは形勢けいせいわるいからで、ほめられたものじゃない」と説明せつめいしながらも、泥臭どろくさく、つよひとでもくるわされる将棋しょうぎこのみであるとべている[10]

  • 2006ねん12月6にち未明みめいだい65順位じゅんいせんAきゅう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ主催しゅさい)の郷田ごうだしんたかしきゅうだんとの対局たいきょくで、「1ふん将棋しょうぎ郷田ごうだが、126のこり1ぶん時間じかんないしていなかったのではないか」という久保くぼのクレームによって182局面きょくめん対局たいきょく中断ちゅうだんした。連絡れんらくけた中原なかはらまことふく会長かいちょう当時とうじ)が「をさかのぼってのアピールは無効むこう」と裁定さいていした。これをけて対局たいきょく再開さいかいされたが、すぐに久保くぼ投了とうりょう。182郷田ごうだちとなった[11]
  • 2016ねん7がつ下旬げじゅん以降いこう自身じしん告発こくはつ発端ほったんとなり将棋しょうぎソフト不正ふせい使用しよう疑惑ぎわくこる。
  • 同年どうねん10がつ30にち渋谷しぶや将棋しょうぎ会館かいかんおこなわれるだい2あきらおうせん本戦ほんせん豊島としま将之まさゆきななだん対局たいきょくする予定よていだったが、午後ごご2開始かいし時刻じこく午後ごご7勘違かんちがいし、それに気付きづいたときには大阪おおさか自宅じたくにおり、すでわない状況じょうきょうであったため、既定きてい時間じかん1あいだ経過けいかした午後ごご3不戦敗ふせんぱいとなった。同日どうじつ午後ごご6時半じはんニコニコ生放送なまほうそう放送ほうそうされたべつ対局たいきょく中継ちゅうけい冒頭ぼうとうなま出演しゅつえんし、経緯けいい説明せつめいしたうえで謝罪しゃざいした[12]。また、将棋しょうぎファンけとして12月18にちに「あきらおうせんエキシビションマッチ」とだいし、不戦敗ふせんぱい同一どういつカードの久保くぼ豊島としませんがニコニコ生放送なまほうそう中継ちゅうけいされ[13]、その対局たいきょくでは久保くぼ勝利しょうりした。

人物じんぶつ

編集へんしゅう
  • 加古川かこがわ市立しりつごおりおかみなみ小学校しょうがっこう加古川かこがわ市立しりつごおりおか中学校ちゅうがっこう時代じだい同級生どうきゅうせいNHKアナウンサー高瀬たかせ耕造こうぞうがいる。2017ねん藤井ふじいさとしふとしの29連勝れんしょう達成たっせい翌日よくじつに「NHKニュースおはよう日本にっぽん」で共演きょうえんした[14][15]
  • 高校こうこう入学にゅうがく同時どうじ奨励しょうれいかいさんだんリーグりをはたす。ライバルの矢倉やくらただしひろ立石たていしみち奨励しょうれいかい途中とちゅう退会たいかい)が将棋しょうぎ専念せんねんするために高校こうこう退学たいがくしたため、このままではこの2人ふたりけられてしまうと退学たいがくかんがえるも両親りょうしんには反対はんたいされ、師匠ししょう両親りょうしんに「高校こうこうめさせてやってくれ」と直談判じかだんぱん。1ねん退学たいがくした[16]
  • 左利ひだりきで、前述ぜんじゅつ鈴木すずき大介だいすけ小学生しょうがくせい名人めいじんせん対局たいきょくしたさいはともに飛車ひしゃとう左利ひだりききという対局たいきょくとなった(先手せんて久保くぼよんあいだ飛車ひしゃ後手ごて鈴木すずきさんあいだ飛車ひしゃ)。
  • 若手わかて時代じだいは、五分ごぶりで前髪まえがみだけうえねさせる髪形かみがたにこだわりをっていたが、その長髪ちょうはつにしたり、通常つうじょうながさにしたりしている。
  • 2004ねん10がつから半年はんとしあいだ、NHK将棋しょうぎ講座こうざ久保くぼNHKはいの「さばきの極意ごくいおしえます』の講師こうしつとめた。
  • テレビ棋戦きせん銀河ぎんがせんだい12)でアマチュア選手せんしゅ当時とうじ)の瀬川せかわ晶司しょうじ対局たいきょくして、防戦ぼうせんいちぽう展開てんかいすえやぶれた[注釈ちゅうしゃく 8]。その瀬川せかわのプロ編入へんにゅう試験しけんで、試験しけんかん一人ひとりとして対局たいきょくした。久保くぼ事前じぜんに「瀬川せかわさんはプロになるべきだ」と発言はつげん瀬川せがわのプロ嘆願たんがんしょにも署名しょめいしたが、プロ編入へんにゅう試験しけんでは「Aきゅう棋士きしとして連敗れんぱいするわけにはいかない」と全力ぜんりょくって瀬川せかわ勝利しょうり。リベンジをたした。はや石田いしだもち美濃みのがこから穴熊あなぐまがこえるという、あまりれいのない独特どくとく戦術せんじゅつもちいた。
  • 飛車ひしゃとうでありながら、きながこいは『たまあたま位取くらいど』とべたことがある[注釈ちゅうしゃく 9]実際じっさい奨励しょうれいかい入会にゅうかいしたころまではきょ飛車ひしゃとうで、飛車ひしゃにはたまあたま位取くらいどりをもちいていたという。[17]
  • だい66順位じゅんいせんAきゅう最終さいしゅう一斉いっせい対局たいきょくたい三浦みうら弘行ひろゆきたたかえ(2008ねん3がつ3にち)は、佐藤さとう康光やすみつけ、自身じしんった場合ばあいのみAきゅう残留ざんりゅうという状況じょうきょうむかえた。対局たいきょく千日手せんにちてなおしとなった。なおきょく開始かいしまでのしょう休憩きゅうけいあいだ、モニター映像えいぞうには、はやめに着座ちゃくざして丁寧ていねいばんみが久保くぼ様子ようすうつった。この姿すがた解説かいせつやく深浦ふかうらやすし順位じゅんいせん数々かずかず辛酸しんさんをなめた)は、すこふるえたこえで「ぐっとますね」という言葉ことばらした。
  • 阪神はんしんタイガースのファンである[18][注釈ちゅうしゃく 10]。ファンれきは35ねん。(2020ねん現在げんざい)。[19]
  • 2009ねん4がつ制定せいていされた「加古川かこがわ市民しみん栄誉えいよしょう」の最初さいしょ受賞じゅしょうしゃとなる。表彰ひょうしょうは、だい34棋王きおう就位しゅういしき(2009ねん5がつ20日はつか)にておこなわれ、表彰状ひょうしょうじょう加古川かこがわちょう樽本たるもと庄一しょういちから手渡てわたされた[20][21]樽本たるもと久保くぼ加古川かこがわ地区ちく後援こうえんかい会長かいちょうでもある[22]加古川かこがわ観光かんこう大使たいしつとめている。
  • 2011ねん2がつ18-19にち豊島としま将之まさゆきっただい60王将おうしょうせんだい4きょく対局たいきょくじょうである地元じもと兵庫ひょうごけん加古川かこがわ鶴林寺かくりんじは、久保くぼ小学校しょうがっこう時代じだい写生しゃせい大会たいかいおとずれ、友達ともだちまわっていたところである[23]
  • 2011ねん6がつおこなわれただい60王将おうしょう就位しゅういしきでは、俳優はいゆう水谷みずたにゆたかからとどいた祝電しゅくでんげられ、出席しゅっせきしゃたちから歓声かんせいがった[23]
  • コナミのアーケードゲーム「麻雀まーじゃん格闘かくとう倶楽部くらぶ」と「天下てんかいち将棋しょうぎかい」のコラボ企画きかくで、女流じょりゅうすずめ2めい広瀬ひろせ章人あきひととの麻雀まーじゃん特別とくべつ対局たいきょくで、「ななたい一色いっしょく」であがり、観客かんきゃくやファンをおどろかせた(いままでに「ななたい一色いっしょく」は、プロの麻雀まーじゃん対局たいきょくであがった事例じれいはない)。
  • 関西かんさい移籍いせき再婚さいこんつま子供こども2にんの4にんらし。長女ちょうじょ女流じょりゅう棋士きし久保くぼ翔子しょうこ大阪おおさか在住ざいじゅう
  • 2020ねん7がつ15にちより個人こじんTwitterを開始かいし[19]

女流じょりゅう棋士きしとなった弟子でし

編集へんしゅう
名前なまえ 女流じょりゅう2きゅう昇級しょうきゅう 段位だんいおも活躍かつやく
さかきさいぎん 2022ねん5がつ1にち 女流じょりゅう2きゅう
久保くぼ翔子しょうこ 2022ねん10がつ1にち 女流じょりゅう1きゅう

(2024ねん7がつ8にち現在げんざい

昇段しょうだん履歴りれき

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昇段しょうだん規定きていは、将棋しょうぎだんきゅう参照さんしょう

  • 1986ねん00がつ00にち : 6きゅう = 奨励しょうれいかい入会にゅうかい
  • 1989ねん00がつ00にち : 初段しょだん
  • 1991ねん12月00にち : さんだんだい11かい奨励しょうれいかいさんだんリーグからさんだんリーグ参加さんか
  • 1993ねん04がつ01にち : よんだんだい12かい奨励しょうれいかいさんだんリーグだい2) = プロ
  • 1995ねん04がつ01にち : だん順位じゅんいせんCきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 1998ねん11月25にち : ろくだんかちすう規定きていだん昇段しょうだん120しょう[24]
  • 2001ねん04がつ01にち : ななだん順位じゅんいせんBきゅう1くみ昇級しょうきゅう
  • 2003ねん04がつ01にち : はちだん順位じゅんいせんAきゅう昇級しょうきゅう
  • 2010ねん03月30にち : きゅうだん(タイトル3獲得かくとく

おも成績せいせき

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獲得かくとくタイトル

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棋士きしとの比較ひかくは、タイトル獲得かくとく記録きろく将棋しょうぎのタイトル在位ざいいしゃ一覧いちらん参照さんしょう

タイトル 獲得かくとく年度ねんど 登場とうじょう 獲得かくとくすう 連覇れんぱ 永世えいせい称号しょうごう備考びこう
竜王りゅうおう 0
名人めいじん 0
王位おうい 0
王座おうざ 3かい
棋王きおう 2008-2010 5かい 3 3連覇れんぱ
あきらおう 0
王将おうしょう 2009-2010、2016-2017 7かい 4 2連覇れんぱ
棋聖きせい 0
登場とうじょう回数かいすう15かい獲得かくとく合計ごうけい7歴代れきだい12タイ
登場とうじょうタイトルせん
  • 王座おうざ:3かいだい49=2001年度ねんど・55、68
  • 棋王きおう:5かいだい26=2000年度ねんど・34-37
  • 王将おうしょう:7かいだい57=2007年度ねんど・59-61、66-68
タイトルせん登場とうじょう 合計ごうけい15かい

一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう

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合計ごうけい6かい

将棋しょうぎ大賞たいしょう

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  • だい22かい(1994年度ねんど勝率しょうりついちしょう
  • だい26かい(1998年度ねんど連勝れんしょうしょう
  • だい28かい(2000年度ねんど敢闘かんとうしょう
  • だい31かい(2003年度ねんど殊勲賞しゅくんしょう
  • だい36かい(2008年度ねんど敢闘かんとうしょう最多さいた対局たいきょくしょう最多さいた勝利しょうりしょう升田ますだ幸三こうぞうしょうだい34棋王きおうせんだい2きょくの▲7
  • だい37かい(2009年度ねんど優秀ゆうしゅう棋士きししょうきょくしょうだい35棋王きおうせんだい5きょく)、最多さいた対局たいきょくしょう
  • だい38かい(2010年度ねんど優秀ゆうしゅう棋士きししょう
  • だい41かい(2013年度ねんどきょくしょう特別とくべつしょうだい72Aきゅう順位じゅんいせん9回戦かいせん
  • だい44かい(2016年度ねんど敢闘かんとうしょう

在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん (出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1993 52 C254 6-4 7 6くみ -- 5-1
1994 53 C224 10-0 8 5くみ -- 6-1
1995 54 C120 6-4 9 4くみ -- 3-2
1996 55 C106 6-4 10 4くみ -- 4-2
1997 56 C109 7-3 11 4くみ -- 1-2
1998 57 C104 6-4 12 4くみ 0-1 5-0
1999 58 C110 8-2 13 3くみ -- 2-2
2000 59 B220 9-1 14 3くみ -- 1-2
2001 60 B112 8-4 15 3くみ -- 2-2
2002 61 B104 8-3 16 3くみ 1-1 3-1
2003 62 A 09 3-6 17 2くみ -- 3-2
2004 63 A 08 6-3 18 2くみ -- 1-2
2005 64 A 03 3-6 19 2くみ -- 0-2
2006 65 A 07 4-5 20 3くみ 1-1 4-0
2007 66 A 07 2-7 21 2くみ 0-1 3-1
2008 67 B101 6-6 22 1くみ 1-1 3-1
2009 68 B105 9-3 23 1くみ 2-2 3-1
2010 69 A 10 4-5 24 1くみ 3-2 3-1
2011 70 A 08 2-7 25 1くみ -- 1-2
2012 71 B102 10-2 26 1くみ -- 0-2
2013 72 A 10 4-5 27 2くみ -- 3-1
2014 73 A 08 6-3 28 1くみ -- 1-2
2015 74 A 03 2-7 29 1くみ 1-1 3-1
2016 75 B102 9-3 30 1くみ 1-1 3-1
2017 76 A 09 6-4 31 1くみ 1-1 3-1
2018 77 A 05 4-5 32 1くみ 0-1 3-1
2019 78 A 06 2-7 33 1くみ 1-1 3-1
2020 79 B102 6-6 34 1くみ 0-1 3-1
2021 80 B106 4-8 35 1くみ -- 1-2
2022 81 B110 4-8 36 1くみ -- 1-2
2023 82 B201 4-6 37 1くみ 0-1 3-1
2024 83 B217 38 1くみ --
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

その表彰ひょうしょう記録きろく

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  • 1999ねん - 通算つうさん200しょう達成たっせい(1999ねん7がつ27にち[25]
  • 2013ねん - 通算つうさん600しょう達成たっせい(2013ねん1がつ10日とおか将棋しょうぎ栄誉えいよしょう[26]

記録きろく歴代れきだい1または唯一ゆいいつのもの)

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  • 史上しじょうはつ現役げんえきかん棋士きしのAきゅう陥落かんらく当時とうじ棋王きおう王将おうしょう) 2012ねん3がつ2にち陥落かんらく
  • タイトル保持ほじしゃのぞ竜王りゅうおうせん決勝けっしょうトーナメント連続れんぞく出場しゅつじょう回数かいすう(6かい)※ 2016年度ねんど - 2021年度ねんど

著書ちょしょ

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出演しゅつえん

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配信はいしん

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  • プロ野球やきゅう×将棋しょうぎ特番とくばん・プロ野球やきゅう最強さいきょう将棋しょうぎおう決定けっていせん(2020ねん12がつ20日はつか、ニコニコ生放送なまほうそう)※YouTubeでは2021ねん2がつに2かいけて配信はいしん[27] ‐ MC、解説かいせつ

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ オールスターせんは、5連勝れんしょう以上いじょう優勝ゆうしょうあつかいになる。
  2. ^ この連続れんぞく残留ざんりゅうあいだには、だい55王将おうしょうせんリーグで2しょう4はいしながらも残留ざんりゅうするという谷川たにがわ浩司こうじ以来いらい珍事ちんじ経験けいけんした。
  3. ^ この2000年度ねんどは、棋王きおう挑戦ちょうせん・NHKはいじゅん優勝ゆうしょうくわえて、勝率しょうりつ羽生はぶぐ2(0.7419)、かちすうは3(46しょう)であった。年度ねんど46しょうは、歴代れきだい最多さいたしょう記録きろく比較ひかくすれば1になってもおかしくないかちすうであるが、この年度ねんどは1羽生はぶ史上しじょうはつの68しょう、2谷川たにがわ浩司こうじが51しょうと、最多さいたしょうあらそいのレベルがたかすぎた。
  4. ^ このいちきょく羽生はぶ先手せんてあい飛車ひしゃ将棋しょうぎであった。
  5. ^ 将棋しょうぎ大賞たいしょう記録きろく4部門ぶもん勝率しょうりついち最多さいた勝利しょうり最多さいた対局たいきょく連勝れんしょう)をすべ受賞じゅしょうしたのは、羽生はぶ善治よしはる中原なかはらまこといで3にん
  6. ^ みなみは1990年度ねんど米長よねなが邦雄くにおから王将おうしょう奪取だっしゅしてかんになったが、それから1週間しゅうかんらずで棋王きおう羽生はぶ奪取だっしゅされ、いちかん後退こうたい
  7. ^ 17はち戦法せんぽう久保くぼが2016ねん12月9にちだい10かい朝日あさひはいでも採用さいようしている。また、2018ねん3がつ2にちだい76順位じゅんいせん11回戦かいせん初手しょてでも使つかわれた。
  8. ^ 久保くぼはこの銀河ぎんがせんでの対局たいきょく以降いこう将棋しょうぎ会館かいかんながいことかおさなかった。
  9. ^ 週刊しゅうかん将棋しょうぎ」2003ねん6がつ25にちごう 特集とくしゅうだい7だんよんあいだ飛車ひしゃにはなに有効ゆうこうか」だい3かい しんAきゅう久保くぼ利明としあきはちだん鈴木すずき大介だいすけはちだんく「よんあいだ飛車ひしゃ弱点じゃくてんおしえてください」のインタビューにて、「あんな綺麗きれいかたちにないでしょ。うつくぎます」とコメントしている。
  10. ^ NHKテキスト将棋しょうぎ講座こうざ「さばきはアートだ」に谷川たにがわ浩司こうじ井上いのうえ慶太けいたとの甲子園こうしえん観戦かんせんしたことエピソードなどを記述きじゅつしている。

出典しゅってん

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  1. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん 播磨はりま姫路ひめじばん 2009ねん4がつ7にち
  2. ^ 久保くぼかん丸山まるやまきゅうだんくだきゅうへ 将棋しょうぎきゅう順位じゅんいせん”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2012ねん3がつ2にち). 2012ねん3がつ2にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  3. ^ 将棋しょうぎだい61王将おうしょうせん だいきょく 佐藤さとう10ぶりかえき 4しょうはい久保くぼの3連覇れんぱはば”. 毎日新聞まいにちしんぶん (2012ねん3がつ10日とおか). 2012ねん3がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  4. ^ 将棋しょうぎ棋王きおうせん 挑戦ちょうせんしゃ郷田ごうだしんたかしきゅうだん勝利しょうり 棋王きおう獲得かくとく”. 毎日新聞まいにちしんぶん (2012ねん3がつ17にち). 2012ねん3がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  5. ^ https://www.shogi.or.jp/news/investigative_report_1.pdf
  6. ^ 王将おうしょうせん中継ちゅうけいブログ「久保くぼきゅうだんななばん勝負しょうぶせいす」(2018ねん3がつ15にち)ほか
  7. ^ 久保くぼ利明としあき久保くぼ利明としあき最強さいきょう飛車ひしゃ戦略せんりゃく: かく交換こうかん飛車ひしゃ久保くぼシステム木本きもと書店しょてん、2012ねん1がつISBN 978-4-904808-03-0https://books.google.co.jp/books/about/%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E6%98%8E%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BC%B7%E6%8C%AF%E3%82%8A%E9%A3%9B%E8%BB%8A%E6%88%A6%E7%95%A5.html?id=bIp_tQAACAAJ&source=kp_book_description&redir_esc=y 
  8. ^ 将棋しょうぎ世界せかい』2010ねん5がつごう昇級しょうきゅうしゃよろこびのこえ
  9. ^ 久保くぼ棋王きおうかん防衛ぼうえい ねばりで逆転ぎゃくてん - 将棋しょうぎ”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル (2011ねん3がつ24にち). 2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  10. ^ 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう『Number』2020ねん9がつ11にちごう41ぺーじ
  11. ^ だい65Aきゅう順位じゅんいせん観戦かんせん毎日新聞まいにちしんぶん)ほか
  12. ^ 久保くぼ利明としあききゅうだん異例いれい遅刻ちこく不戦敗ふせんぱい 相手あいて豊島としま将之まさゆきななだんに「ひとすぎる」のこえ将棋しょうぎ”. ハフポスト (2016ねん10がつ31にち). 2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  13. ^ twitter@nico2shogi(2016ねん12月18にち)
  14. ^ ついに共演きょうえん! | おはよう日本にっぽん出演しゅつえんしゃブログ:NHK”. おはよう日本にっぽん出演しゅつえんしゃブログ (2017ねん8がつ8にち). 2017ねん8がつ12にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  15. ^ NHK高瀬たかせアナと久保くぼ王将おうしょう小中こなか同級生どうきゅうせいだった おはよう日本にっぽん共演きょうえん/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  16. ^ 藤井ふじいさとしたいかん高校こうこう中退ちゅうたいおなどうえらんだ先輩せんぱい棋士きしたちの“その” | Smart FLASH/スマフラ[光文社こうぶんしゃ週刊しゅうかん]”. Smart FLASH[光文社こうぶんしゃ週刊しゅうかん]スマフラ/スマートフラッシュ (2021ねん2がつ23にち). 2021ねん2がつ27にち閲覧えつらん
  17. ^ 「NHK将棋しょうぎ講座こうざ」1995ねん9がつごう30ページ
  18. ^ JT将棋しょうぎ日本にっぽんシリーズ公式こうしきサイト(2003ねん過去かこデータ)に記載きさい
  19. ^ a b 久保くぼ利明としあきTwitter”. 2020ねん7がつ15にち閲覧えつらん
  20. ^ 久保くぼ利明としあき棋王きおうが「加古川かこがわ市民しみん栄誉えいよしょう」のはじめての受賞じゅしょうしゃ”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2009ねん5がつ22にち). 2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  21. ^ 久保くぼ棋王きおう市民しみん栄誉えいよしょう 加古川かこがわ”. 神戸こうべ新聞しんぶん (2009ねん5がつ25にち). 2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん[リンク]
  22. ^ 「さばきのアーティスト」の訪問ほうもん平成へいせい21ねん4がつ10日とおか) - 加古川かこがわ”. 加古川かこがわ (2009ねん4がつ10日とおか). 2009ねん7がつ5にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  23. ^ a b 久保くぼ利明としあき王将おうしょう棋王きおうかん意欲いよく水谷みずたにゆたかからも祝電しゅくでん”. スポニチAnnex (2011ねん6がつ3にち). 2012ねん6がつ22にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  24. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ(1999ねん2がつごう近代きんだい将棋しょうぎしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、193ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/6047366/1/97 
  25. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ(1999ねん10がつごう近代きんだい将棋しょうぎしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、171ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/pid/6047374/1/86 
  26. ^ 久保くぼきゅうだん、600しょう(将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)を達成たっせい”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2013ねん1がつ11にち). 2020ねん4がつ4にち閲覧えつらん
  27. ^ 中日ちゅうにち平田ひらた球界きゅうかい将棋しょうぎおう初代しょだいたまおう”に就位しゅうい巨人きょじんまるとの決勝けっしょうせん棋譜きふ公開こうかい”. スポニチアネックス (2020ねん12月23にち). 2021ねん3がつ15にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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