(Translated by https://www.hiragana.jp/)
清浦内閣 - Wikipedia

清浦きようら内閣ないかく

日本にっぽん内閣ないかく

清浦きようら内閣ないかく(きようらないかく)は、子爵ししゃく枢密院すうみついん議長ぎちょう清浦きようら奎吾だい23だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいされ、1924ねん大正たいしょう13ねん1がつ7にちから1924ねん大正たいしょう13ねん6月11にちまでつづいた日本にっぽん内閣ないかく

清浦きようら内閣ないかく
内閣ないかく発足ほっそく閣僚かくりょう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん だい23だい 清浦きようら奎吾
成立せいりつ年月日ねんがっぴ 1924ねん大正たいしょう13ねん1がつ7にち
終了しゅうりょう年月日ねんがっぴ 1924ねん大正たいしょう13ねん6月11にち
与党よとう支持しじ基盤きばん超然ちょうぜんないかく
政友せいゆうほんとう閣外かくがい協力きょうりょく
施行しこうした選挙せんきょ だい15かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ
衆議院しゅうぎいん解散かいさん 1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ31にち
懲罰ちょうばつ解散かいさん
内閣ないかく閣僚かくりょう名簿めいぼ首相しゅしょう官邸かんてい
テンプレートを表示ひょうじ

内閣ないかくかおぶれ・人事じんじ

編集へんしゅう

国務大臣こくむだいじん

編集へんしゅう

1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ7にち任命にんめい[1]在職ざいしょく日数にっすう157にち

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん 23 清浦きようら奎吾   枢密院すうみついん
子爵ししゃく
外務がいむ大臣だいじん 37 松井まつい慶四郎けいしろう   外務省がいむしょう→)
貴族きぞくいん[注釈ちゅうしゃく 1]
男爵だんしゃく
はつ入閣にゅうかく
内務ないむ大臣だいじん 35 水野みずの錬太郎れんたろう   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
交友こうゆう倶楽部くらぶ
帝都ていと復興ふっこういん総裁そうさい
大蔵おおくら大臣だいじん 24 勝田かつた主計かずえ   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
研究けんきゅうかい
陸軍りくぐん大臣だいじん 17 宇垣うがき一成いっせい   陸軍りくぐん中将ちゅうじょう
りくだい14
はつ入閣にゅうかく
海軍かいぐん大臣だいじん 10 村上むらかみかくいち   海軍かいぐん大将たいしょう
海兵かいへい11
はつ入閣にゅうかく
司法しほう大臣だいじん 27 鈴木すずき喜三郎きさぶろう   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
研究けんきゅうかい
はつ入閣にゅうかく
文部もんぶ大臣だいじん 33 江木えぎせんこれ   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
茶話ちゃばなしかい
はつ入閣にゅうかく
のう商務しょうむ大臣だいじん 32 前田まえだ利定としさだ   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
研究けんきゅうかい
子爵ししゃく
逓信ていしん大臣だいじん 28 藤村ふじむら義明よしあき   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
公正こうせいかい
男爵だんしゃく
はつ入閣にゅうかく
鉄道てつどう大臣だいじん 4 小松こまつ謙次郎けんじろう   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
研究けんきゅうかい
はつ入閣にゅうかく
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

内閣ないかく書記官しょきかんちょう法制ほうせいきょく長官ちょうかん

編集へんしゅう

1924ねん大正たいしょう13ねん)1がつ7にち任命にんめい[1]

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく書記官しょきかんちょう 25 小橋こはし一太かずた   衆議院しゅうぎいん
立憲りっけん政友せいゆうかい→)
無所属むしょぞく→)
政友せいゆうほんとう
法制ほうせいきょく長官ちょうかん 21 松本まつもと烝治   民間みんかん[注釈ちゅうしゃく 2] 事務じむ引継ひきつぎ
1924ねん1がつ10日とおかめん[2]
22 佐竹さたけさんわれ   鉄道てつどうしょう→)
貴族きぞくいん[注釈ちゅうしゃく 1]
無所属むしょぞく
研究けんきゅうかい
1924ねん1がつ10日とおかにん[2]
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

勢力せいりょく早見はやみひょう

編集へんしゅう

内閣ないかく発足ほっそく当初とうしょぜん内閣ないかく事務じむ引継ひきつぎのぞく)。

出身しゅっしん 国務大臣こくむだいじん その
きそくいん貴族きぞくいん 7
しゆうきいん衆議院しゅうぎいん 0 内閣ないかく書記官しょきかんちょう
くんふ軍部ぐんぶ 2
かんりよう官僚かんりょう 1 法制ほうせいきょく長官ちょうかん
そのほかその 1
11

内閣ないかくうご

編集へんしゅう

1922ねん高橋たかはし内閣ないかく与党よとうないこうそうおさめられずにそう辞職じしょくいたったのち後継こうけい首相しゅしょう選任せんにんになった元老げんろう会議かいぎは、当時とうじだい政党せいとう立憲りっけん政友せいゆうかいおよび憲政けんせいかい)のうち一方いっぽう選択せんたくするのをけ、次期じきそう選挙せんきょまでのあいだ政党せいとうじんによる政権せいけん中間ちゅうかん内閣ないかく)をつづけることとし、加藤かとう友三郎ともさぶろう内閣ないかく加藤かとう病死びょうしだい2山本やまもと内閣ないかく組織そしきされる。1923ねん12月27にち虎ノ門とらのもん事件じけんせめって山本やまもと内閣ないかくそう辞職じしょくすると、つぎなる選挙せんきょ管理かんりないかくとして、清浦きようら奎吾枢密院すうみついん議長ぎちょう選任せんにんされる。清浦きようらは、貴族きぞくいんいち大会たいかいである研究けんきゅうかい出身しゅっしんで、政友せいゆうかいとははら高橋たかはし政友せいゆうかい内閣ないかく時代じだいからのいがあったことから、研究けんきゅうかい政友せいゆうかい与党よとうとする算段さんだんであったが、元老げんろう会議かいぎおよび平田東ひらたひがしすけ内大臣ないだいじんより、上述じょうじゅつ経緯けいいから、政党せいとうとは距離きょりをとることを条件じょうけんとされ、やむなく、研究けんきゅうかいをはじめとする貴族きぞくいん各派かくはから閣僚かくりょうをそろえて、1924ねん1がつ7にち発足ほっそくした[3]

しかし、大臣だいじん人選じんせんめぐって、貴族きぞくいん各派かくはなかでも研究けんきゅうかい偏重へんちょうした配分はいぶんであったことから各派かくは反発はんぱつまねき、さら衆議院しゅうぎいん各党かくとうも、中間なかま内閣ないかくさんだいつづいたことにたいして反発はんぱつ、"はん清浦きようら"で連携れんけいをするうごきがつよまる(だい護憲ごけん運動うんどう)。その最中さいちゅう政友せいゆうかい清浦きようら内閣ないかく護憲ごけん運動うんどうとのあいだでの位置いちめぐってぷたつに分裂ぶんれつ清浦きようら支持しじ勢力せいりょく結成けっせいした政友せいゆうほんとうが、政友せいゆうかい残留ざんりゅうぐみとう上回うわまわってだい1とうとなったことから、とりあえず研究けんきゅうかい政友せいゆうほんとう権力けんりょく基盤きばんとして確保かくほした清浦きようら首相しゅしょうたなぼたでの長期ちょうき政権せいけん樹立じゅりつ可能かのうせいにかけ、1がつ31にち衆議院しゅうぎいん解散かいさん[4]

しかしだい15かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ(5がつ10日とおか投開票とうかいひょう定数ていすう464)の結果けっか政友せいゆうほんとうは33議席ぎせきげんの116議席ぎせきとなってだい2とう転落てんらく憲政けんせいかいが48議席ぎせきぞうの151議席ぎせきとなり、だい1とう奪取だっしゅ政友せいゆうかい革新かくしん倶楽部くらぶをあわせた護憲ごけんさん合計ごうけいは281となり過半数かはんすう獲得かくとく清浦きようら首相しゅしょう目論見もくろみ失敗しっぱいわる。結局けっきょく清浦きようら内閣ないかく選挙せんきょ管理かんりないかくとしての当初とうしょ役割やくわりまっとうし、6月11にち内閣ないかくそう辞職じしょく在任ざいにん157にち当時とうじとしては歴代れきだい最短さいたん記録きろくとなった。後継こうけいにはだい1とう党首とうしゅ加藤かとう高明こうめい就任しゅうにんする(加藤かとう高明こうめい内閣ないかく[5]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ a b 1924ねん大正たいしょう13ねん)6がつ8にちみことのりにん
  2. ^ みなみ満州まんしゅう鉄道てつどうふく総裁そうさい

出典しゅってん

編集へんしゅう

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • ますあじじゅん日本にっぽん政治せいじ 3 政党せいとう凋落ちょうらくそう力戦りきせん体制たいせい東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい東京とうきょう文京ぶんきょう、1988ねん7がつ8にちISBN 4-13-033043-8 

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう