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陸軍大臣 - Wikipedia

陸軍りくぐん大臣だいじん

戦前せんぜん日本にっぽん国務大臣こくむだいじん

陸軍りくぐん大臣だいじん(りくぐんだいじん)は、きゅう日本にっぽん陸軍りくぐん軍政ぐんせい管轄かんかつする陸軍りくぐんしょう担当たんとうした日本にっぽん国務大臣こくむだいじん略称りゃくしょうとして、陸相りくしょう(りくしょう)ともばれた。陸軍りくぐんさん長官ちょうかんひとつである。軍部ぐんぶ大臣だいじん武官ぶかんせいにより中将ちゅうじょう階級かいきゅうにあるもの就任しゅうにんすることもあった。閣僚かくりょうとしての大臣だいじんでありおや任官にんかんであるため、ぐん階級かいきゅうでは中将ちゅうじょうであっても、法律ほうりつじょう大将たいしょうたい行政ぎょうせい命令めいれいはっすることが出来でき[1]

日本の旗 日本にっぽん
陸軍りくぐん大臣だいじん
りくぐんだいじん
担当たんとう機関きかん陸軍りくぐんしょう
任命にんめい天皇てんのう
根拠こんきょ法令ほうれい大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう
創設そうせつ1885ねん明治めいじ18ねん
12月22にち
初代しょだい大山おおやまいわお
最後さいご下村しもむらじょう
廃止はいし1945ねん昭和しょうわ20ねん
12月1にち

概要がいよう

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1885ねん明治めいじ18ねん12月22にち内閣ないかく制度せいど発足ほっそく当初とうしょ将官しょうかん陸軍りくぐん大臣だいじんになることが規定きていされた。1890ねん明治めいじ23ねん3月27にちには「職員しょくいん武官ぶかんかぎる」という規定きてい削除さくじょされるも、1900ねん明治めいじ33ねん)の定員ていいんひょう備考びこう陸軍りくぐん大臣だいじん現役げんえき将官しょうかんがなることが規定きていされた(軍部ぐんぶ大臣だいじん現役げんえき武官ぶかんせい)。この制度せいどによって、陸軍りくぐん大臣だいじん反対はんたいをすれば閣議かくぎ決定けっていができず、陸軍りくぐん大臣だいじん推挙すいきょしなければ組閣そかくができなくなる事例じれいて、日本にっぽん政治せいじ陸軍りくぐんによっておおきく左右さゆうされるおそれがてきた。

1913ねん大正たいしょう2ねん6月13にち定員ていいんひょうでは「現役げんえき」の文言もんごん削除さくじょし、任用にんよう資格しかく予備よびやく後備こうびやく退役たいえき将官しょうかんまで拡大かくだいし、組閣そかく苦労くろう軽減けいげんされた。この現役げんえきせいは、1936ねん昭和しょうわ11ねん)の二・二六事件ににろくじけんけて廣田ひろた内閣ないかくとき復活ふっかつ以降いこうふたたび、内閣ないかく進退しんたいたいする陸軍りくぐん意向いこう影響えいきょうおおきくなった。

戦時せんじちゅう内閣ないかく総理そうり大臣だいじん軍人ぐんじんとして陸軍りくぐん大臣だいじん兼任けんにんする場合ばあいもあり、東條とうじょう内閣ないかく東條とうじょう英機ひでき首相しゅしょう)とひがし久邇くに宮内くないかくひがし久邇くにみや稔彦としひこおう首相しゅしょう)のれいがあった。

1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつ終戦しゅうせん。12月に陸軍りくぐんしょうだいいち復員ふくいんしょう改編かいへんされるにともない、陸軍りくぐん大臣だいじん廃止はいしとなった。

なお現在げんざい自衛隊じえいたい(陸上りくじょう海上かいじょう航空こうくう)を管轄かんかつする防衛ぼうえいしょう担当たんとう防衛ぼうえい大臣だいじんきゅう防衛庁ぼうえいちょう長官ちょうかん)は、原則げんそくとして文民ぶんみんである現職げんしょく国会こっかい議員ぎいんつとめる[注釈ちゅうしゃく 1]日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい66じょう2こうおよだい68じょうもとづく)。

歴代れきだい大臣だいじん

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以下いかひょうは、歴代れきだい職員しょくいんひょう[2]もとづく。

だい 氏名しめい 内閣ないかく 就任しゅうにん 退任たいにん 備考びこう
1 大山おおやまいわお
 
だい1伊藤いとう内閣ないかく 1885ねん12月22にち 1888ねん4がつ30にち -
黒田くろだ内閣ないかく 1888ねん4がつ30にち 1889ねん12月24にち 文部もんぶ大臣だいじん臨時りんじ兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 2]
だい1やま縣内けんないかく 1889ねん12月24にち 1891ねん5月6にち
だい1松方まつかた内閣ないかく 1891ねん5がつ6にち 1891ねん5月17にち
2 高島たかしま鞆之すけ
 
1891ねん5がつ17にち 1892ねん8がつ8にち -
3 大山おおやまいわお
 
だい2伊藤いとう内閣ないかく 1892ねん8がつ8にち 1895ねん5月26にち -
だい2松方まつかた内閣ないかく 1895ねん5がつ26にち 1896ねん9がつ20日はつか -
4 高島たかしま鞆之すけ
 
1896ねん9がつ20日はつか 1898ねん1がつ12にち - 拓殖つげつとむ大臣だいじん兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 3]
5 かつら太郎たろう
 
だい3伊藤いとう内閣ないかく 1898ねん1がつ12にち 1898ねん6月30にち -
だい1大隈おおくま内閣ないかく 1898ねん6がつ30にち 1898ねん11月8にち
だい2やま縣内けんないかく 1898ねん11月8にち 1900ねん10月19にち
だい4伊藤いとう内閣ないかく 1900ねん10がつ19にち 1900ねん12月23にち
6 児玉こだま源太郎げんたろう
 
1900ねん12月23にち 1901ねん6月2にち - 台湾たいわん総督そうとく兼任けんにん
だい1かつら内閣ないかく 1901ねん6がつ2にち 1902ねん3月27にち 台湾たいわん総督そうとく兼任けんにん
7 寺内てらうち正毅まさき
 
1902ねん3がつ27にち 1906ねん1がつ7にち -
だい1西園寺さいおんじ内閣ないかく 1906ねん1がつ7にち 1908ねん7がつ14にち
だい2かつら内閣ないかく 1908ねん7がつ14にち 1911ねん8がつ30にち 外務がいむ大臣だいじん臨時りんじ兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 4]
8 石本いしもとしんろく
 
だい2西園寺さいおんじ内閣ないかく 1911ねん8がつ30にち 1912ねん4がつ2にち 陸士りくしきゅう1
9 上原うえはら勇作ゆうさく
 
1912ねん4がつ5にち 1912ねん12月21にち 陸士りくしきゅう3
10 木越きごしやすつな
 
だい3かつら内閣ないかく 1912ねん12月21にち 1913ねん2がつ20日はつか 陸士りくしきゅう1
だい1山本やまもと内閣ないかく 1913ねん2がつ20日はつか 1913ねん6月24にち
11 楠瀬くすのせ幸彦さちひこ
 
1913ねん6がつ24にち 1914ねん4がつ16にち 陸士りくしきゅう3
12 おか市之助いちのすけ
 
だい2大隈おおくま内閣ないかく 1914ねん4がつ16にち 1916ねん3月30にち -
13 大島おおしま健一けんいち
 
1916ねん3がつ30にち 1916ねん10月9にち -
寺内てらうち内閣ないかく 1916ねん10がつ9にち 1918ねん9月29にち
14 田中たなか義一ぎいち
 
原内はらうちかく 1918ねん9がつ29にち 1921ねん6月9にち -
15 山梨やまなしはんづくり
 
1921ねん6がつ9にち 1921ねん11月13にち -
高橋たかはし内閣ないかく 1921ねん11月13にち 1922ねん6月12にち
加藤かとう友三郎ともさぶろう内閣ないかく 1922ねん6がつ12にち 1923ねん9月2にち
16 田中たなか義一ぎいち
 
だい2山本やまもと内閣ないかく 1923ねん9がつ2にち 1924ねん1がつ7にち -
17 宇垣うがき一成いっせい
 
清浦きようら内閣ないかく 1924ねん1がつ7にち 1924ねん6月11にち 1
加藤かとう高明こうめい内閣ないかく 1924ねん6がつ11にち 1926ねん1がつ30にち
だい1若槻わかつき内閣ないかく 1926ねん1がつ30にち 1927ねん4がつ20日はつか
18 白川しらかわ義則よしのり
 
田中たなか義一ぎいち内閣ないかく 1927ねん4がつ20日はつか 1929ねん7がつ2にち 1
19 宇垣うがき一成いっせい
 
濱口はまぐち内閣ないかく 1929ねん7がつ2にち 1931ねん4がつ14にち 1 臨時りんじ代理だいり阿部あべ信行のぶゆき9
 
1930ねん6がつ16にち-
1930ねん12がつ10日とおか
20 みなみ次郎じろう
 
だい2若槻わかつき内閣ないかく 1931ねん4がつ14にち 1931ねん12月13にち 6
21 荒木あらき貞夫さだお
 
いぬやしなえ内閣ないかく 1931ねん12月13にち 1932ねん5月26にち 9
齋藤さいとう内閣ないかく 1932ねん5がつ26にち 1934ねん1がつ23にち
22 はやしずくじゅうろう
 
1934ねん1がつ23にち 1934ねん7がつ8にち 8
岡田おかだ内閣ないかく 1934ねん7がつ8にち 1935ねん9月5にち
23 川島かわしま義之よしゆき
 
1935ねん9がつ5にち 1936ねん3月9にち 10
24 寺内てらうち寿一ひさいち
 
廣田ひろた内閣ないかく 1936ねん3がつ9にち 1937ねん2がつ2にち 11
25 中村なかむら孝太郎こうたろう
 
林内りんないかく 1937ねん2がつ2にち 1937ねん2がつ9にち 13
26 杉山すぎやまはじめ
 
1937ねん2がつ9にち 1937ねん6月4にち 12
だい1近衛このえないかく 1937ねん6がつ4にち 1938ねん6月3にち
27 板垣いたがき征四郎せいしろう
 
1938ねん6がつ3にち 1939ねん1がつ5にち 16
平沼ひらぬま内閣ないかく 1939ねん1がつ5にち 1939ねん8がつ30にち
28 はた俊六しゅんろく
 
阿部あべ内閣ないかく 1939ねん8がつ30にち 1940ねん1がつ16にち 12
べい内内うちうちかく 1940ねん1がつ16にち 1940ねん7がつ22にち
29 東條とうじょう英機ひでき
 
だい2近衛このえないかく 1940ねん7がつ22にち 1941ねん7がつ18にち 17
だい3近衛このえないかく 1941ねん7がつ18にち 1941ねん10月18にち
東條とうじょう内閣ないかく 1941ねん10がつ18にち 1944ねん7がつ22にち 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん
外務がいむ大臣だいじん兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 5]
内務ないむ大臣だいじん兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 6]
文部もんぶ大臣だいじん兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 7]
商工しょうこう大臣だいじん兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 8]
軍需ぐんじゅ大臣だいじん兼任けんにん[注釈ちゅうしゃく 9]
30 杉山すぎやまはじめ
 
小磯こいそ内閣ないかく 1944ねん7がつ22にち 1945ねん4がつ7にち 12
31 阿南あなみ惟幾これちか
 
鈴木すずき貫太郎かんたろう内閣ないかく 1945ねん4がつ7にち 1945ねん8がつ15にち 18
32 ひがし久邇くにみや稔彦としひこおう
 
ひがし久邇くに宮内くないかく 1945ねん8がつ17にち 1945ねん8がつ23にち 20 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん兼任けんにん
33 下村しもむらじょう
 
1945ねん8がつ23にち 1945ねん10月9にち 20
ぬさ原内はらうちかく 1945ねん10がつ9にち 1945ねん12月1にち 陸軍りくぐんしょう廃止はいし

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし、もと航空こうくう自衛じえいかん民間みんかんじんである森本もりもとさとしもと陸上りくじょう自衛じえいかん衆議院しゅうぎいん議員ぎいんである中谷なかたにはじめ就任しゅうにんする事例じれいはある。
  2. ^ 1889ねん2がつ16にちから1889ねん3月22にちまで。
  3. ^ 1897ねん9月2にちまで
  4. ^ 1908ねん8がつ27にちまで
  5. ^ 1942ねん9月1にちから1942ねん9月17にち兼任けんにん
  6. ^ 1942ねん2がつ17にちまで兼任けんにん
  7. ^ 1943ねん4がつ20日はつかから1943ねん4がつ23にち兼任けんにん
  8. ^ 1943ねん10月8にちから1943ねん11月1にち兼任けんにん
  9. ^ 1943ねん11月1にちから兼任けんにん

出典しゅってん

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  1. ^ 奥宮おくのみや正武まさたけ大艦だいかんきょほう主義しゅぎ盛衰せいすい』〈しん戦史せんしシリーズ47〉、朝日あさひソノラマ、1992ねん、318ぺーじ
  2. ^ JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.C13070963800、歴代れきだい職員しょくいんひょう陸軍りくぐん大臣だいじん次官じかん総長そうちょうとう) 明治めいじねん昭和しょうわ16ねん(防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ)

関連かんれん項目こうもく

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