保安庁 ほあんちょう 以前 いぜん の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の前史 ぜんし
編集 へんしゅう
1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )5月3日 にち 警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい
1950年 ねん (昭和 しょうわ 25年 ねん )6月25日 にち の朝鮮 ちょうせん 戦争 せんそう に際 さい して、アメリカ軍 ぐん は日本 にっぽん 国内 こくない に駐留 ちゅうりゅう していた部隊 ぶたい は国連 こくれん 軍 ぐん の中核 ちゅうかく 部隊 ぶたい として朝鮮半島 ちょうせんはんとう に出動 しゅつどう させることとなった。そのため、連合 れんごう 国軍 こくぐん 最高 さいこう 司令 しれい 官 かん ダグラス・マッカーサー元帥 げんすい は勃発 ぼっぱつ から間 あいだ もない7月 がつ 8日 にち に吉田 よしだ 茂 しげる 首相 しゅしょう に「日本 にっぽん の警察 けいさつ 力 りょく 増強 ぞうきょう に関 かん する書簡 しょかん 」を送 おく り日本 にっぽん 政府 せいふ に対 たい し治安 ちあん 維持 いじ の強化 きょうか を求 もと めた[14] [15] 。
日本 にっぽん 政府 せいふ に対 たい し、7万 まん 5000名 めい の国家 こっか 警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい の創設 そうせつ と、海上保安庁 かいじょうほあんちょう 定員 ていいん 8000名 めい 増加 ぞうか に必要 ひつよう な措置 そち をとることを許可 きょか する — 警察 けいさつ 力 りょく 増強 ぞうきょう に関 かん するマッカーサー書簡 しょかん
これに対 たい して日本 にっぽん 政府 せいふ は国家 こっか 地方 ちほう 警察 けいさつ (3万 まん 人 にん )自治体 じちたい 警察 けいさつ (9万 まん 5000人 にん )の枠外 わくがい で政府 せいふ に直属 ちょくぞく した組織 そしき 警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい (定員 ていいん 7万 まん 5000名 めい )の新設 しんせつ を決定 けってい した。8月 がつ 10日 とおか 、日本 にっぽん 政府 せいふ はGHQ の指令 しれい に基 もと づくポツダム政令 せいれい 「警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい の設置 せっち に関 かん する政令 せいれい 」を公布 こうふ し、警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい が組織 そしき された。1952年 ねん 8月 がつ 1日 にち 、保安庁 ほあんちょう の新設 しんせつ に伴 ともな い同年 どうねん 10月 がつ 15日 にち 、警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい は保安 ほあん 隊 たい (定員 ていいん 11万 まん 人 にん )に改組 かいそ された[15] 。
保安庁 ほあんちょう 以前 いぜん の海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の前史 ぜんし
編集 へんしゅう
1945年 ねん (昭和 しょうわ 20年 ねん )太平洋戦争 たいへいようせんそう の敗戦 はいせん に伴 ともな い旧 きゅう 海軍 かいぐん は武装 ぶそう 解除 かいじょ されたが、日本 にっぽん 近海 きんかい に敷設 ふせつ された機雷 きらい の掃海 そうかい は引 ひ き続 つづ き実施 じっし することとなった。9月18日 にち 、組織 そしき 的 てき な掃海 そうかい 活動 かつどう のために海軍 かいぐん 省 しょう 軍務 ぐんむ 局 きょく 掃海 そうかい 部 ぶ を設置 せっち し艦船 かんせん 348隻 せき 、1万 まん 名 めい 規模 きぼ での組織 そしき 的 てき な掃海 そうかい 活動 かつどう を始 はじ めた。海軍 かいぐん 省 しょう 、第 だい 二 に 復員 ふくいん 省 しょう 、復員 ふくいん 庁 ちょう 、海上保安庁 かいじょうほあんちょう などの所掌 しょしょう 官庁 かんちょう が変遷 へんせん しながら1950年 ねん には海上保安庁 かいじょうほあんちょう 航路 こうろ 啓 けい 開 ひらけ 本部 ほんぶ が設置 せっち され、1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )6月 がつ 末 まつ には艦船 かんせん 79隻 せき 、1416名 めい 規模 きぼ で日本 にっぽん 近海 きんかい 航路 こうろ の掃海 そうかい 活動 かつどう が行 おこな われていた[16] 。
1951年 ねん 9月8日 にち 、サンフランシスコ平和 へいわ 条約 じょうやく 、日米 にちべい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 条約 じょうやく に調印 ちょういん した吉田 よしだ 茂 しげる 首相 しゅしょう は、連合 れんごう 国軍 こくぐん 最高 さいこう 司令 しれい 官 かん マシュー・リッジウェイ 大将 たいしょう との会談 かいだん において、フリゲ ふりげ ート艦 とかん 18隻 せき 、上陸 じょうりく 支援 しえん 艇 てい 50隻 せき などの貸与 たいよ が提案 ていあん され、吉田 よしだ 茂 しげる はこれを承諾 しょうだく した。これを受 う けて、岡崎 おかざき 勝男 かつお 官房 かんぼう 長官 ちょうかん は元 もと 海軍 かいぐん 省 しょう 軍務 ぐんむ 部長 ぶちょう 山本 やまもと 善雄 よしお に対 たい して、その受 う け入 い れと運用 うんよう 体制 たいせい の確立 かくりつ のための諸 しょ 準備 じゅんび を依頼 いらい した。これによって幕僚監部 ばくりょうかんぶ の組織 そしき 、貸与 たいよ 艦艇 かんてい を中心 ちゅうしん とした部隊 ぶたい 編成 へんせい を行 おこな うY委員 いいん 会 かい が組織 そしき された[15] 。
1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )4月 がつ 26日 にち 、海上保安庁 かいじょうほあんちょう 内 ない に海上 かいじょう 警備 けいび 隊 たい (定員 ていいん 6000名 めい )が創設 そうせつ 、8月 がつ 1日 にち の保安庁 ほあんちょう の新設 しんせつ に伴 ともな い警備 けいび 隊 たい に移管 いかん 、再編 さいへん された[15] 。この際 さい 、海上保安庁 かいじょうほあんちょう 航路 こうろ 啓 けい 開 ひらけ 本部 ほんぶ は保安庁 ほあんちょう に移管 いかん された[16] 。
警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい から保安 ほあん 隊 たい への改組 かいそ
在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん から貸与 たいよ された特車 とくしゃ M24
日米 にちべい 船舶 せんぱく 貸借 たいしゃく 協定 きょうてい で貸与 たいよ された フリゲート船 せん くす型 がた 警備 けいび 船 せん
サンフランシスコ平和 へいわ 条約 じょうやく の発効 はっこう と日米 にちべい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 条約 じょうやく の発効 はっこう に伴 ともな い、駐留 ちゅうりゅう 軍 ぐん の漸減 ぜんげん と日本 にっぽん の防衛 ぼうえい のための即応 そくおう 警備 けいび 力 りょく 増強 ぞうきょう が求 もと められた。そのため、1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )8月 がつ 1日 にち 、警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい を引 ひ き継 つ ぐ保安 ほあん 隊 たい と、海上 かいじょう 警備 けいび 隊 たい を引 ひ き継 つ ぐ警備隊 けいびたい を統合 とうごう して運用 うんよう する保安庁 ほあんちょう が設置 せっち された[17] 。保安庁 ほあんちょう の任務 にんむ は治安 ちあん 維持 いじ を目的 もくてき とした保安 ほあん 隊 たい 及 およ び警備 けいび 隊 たい の基本 きほん 的 てき な性格 せいかく は同 おな じであったが、これまで明文化 めいぶんか されていなかった行動 こうどう や権限 けんげん に関 かん して保安庁 ほあんちょう 法 ほう において明文化 めいぶんか されることとなった[18] 。この、保安庁 ほあんちょう 法 ほう において部隊 ぶたい 行動 こうどう についての詳細 しょうさい の規定 きてい と武器 ぶき の保有 ほゆう 及 およ び使用 しよう についての広 ひろ い権限 けんげん と、文民 ぶんみん 統制 とうせい (シビリアン・コントロール)の原則 げんそく が規定 きてい された。保安庁 ほあんちょう 法 ほう において、保安庁 ほあんちょう の任務 にんむ は「わが国 くに の平和 へいわ と秩序 ちつじょ を維持 いじ し、人命 じんめい 、財産 ざいさん を保護 ほご するため特別 とくべつ の必要 ひつよう がある場合 ばあい に行動 こうどう する」とされ、具体 ぐたい 的 てき な行動 こうどう として、「命令 めいれい 出動 しゅつどう 」「要請 ようせい 出動 しゅつどう 」「海上 かいじょう における警備 けいび 行動 こうどう 」「災害 さいがい 派遣 はけん 」等 とう が規定 きてい された[18] 。
運用 うんよう に関 かん しては、旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん の不 ふ 協和 きょうわ に対 たい する反省 はんせい から、保安 ほあん 隊 たい と警備 けいび 隊 たい は保安庁 ほあんちょう による陸海 りくかい の一元 いちげん 的 てき な統合 とうごう 運営 うんえい が図 はか られることになった[18] 。また、教育 きょういく 機関 きかん についても、1953年 ねん (昭和 しょうわ 28年 ねん )には幹部 かんぶ 教育 きょういく 機関 きかん として、保安 ほあん 大 だい 学校 がっこう を開校 かいこう し、上級 じょうきゅう 幹部 かんぶ の教育 きょういく 機関 きかん として保安 ほあん 研修 けんしゅう 所 しょ を設置 せっち し、陸海 りくかい の幹部 かんぶ 教育 きょういく をいずれも統合 とうごう して行 おこな うこととした。研究 けんきゅう 開発 かいはつ においても、技術 ぎじゅつ 研究所 けんきゅうじょ を設置 せっち し、陸海 りくかい 一体 いったい の基盤 きばん を整備 せいび した[17] [18] 。
装備 そうび 品 ひん の充足 じゅうそく は充分 じゅうぶん ではなく、保安 ほあん 隊 たい においてはGHQを通 つう じ在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん から火砲 かほう 、特車 とくしゃ などの貸与 たいよ の遅延 ちえん やMSA協定 きょうてい の折衝 せっしょう の難航 なんこう などによって、装備 そうび の充足 じゅうそく に支障 ししょう が出 で ていた。警備 けいび 隊 たい では当初 とうしょ 、海上 かいじょう 警備 けいび 隊 たい から引継 ひきつ いだ掃海 そうかい 船 せん 43隻 せき (8900トン)が主体 しゅたい であったが、1952年 ねん (昭和 しょうわ 27年 ねん )12月の日米 にちべい 船舶 せんぱく 貸借 たいしゃく 協定 きょうてい が締結 ていけつ されるとフリゲート船 せん 、上陸 じょうりく 支援 しえん 艇 てい などが引 ひ き渡 わた され、更 さら に新規 しんき 建造 けんぞう 船 せん などによって127隻 せき (3万 まん 5000トン)となった。しかし、広大 こうだい な日本 にっぽん の領海 りょうかい の警備 けいび 力 りょく としては充分 じゅうぶん なものではなく、1953年 ねん (昭和 しょうわ 28年 ねん )には116億 おく 2300万 まん 円 えん の船舶 せんぱく 建造 けんぞう 予算 よさん が計上 けいじょう され逐次 ちくじ 国産 こくさん の船舶 せんぱく によって充足 じゅうそく された[18] 。
保安 ほあん 隊 たい と警備 けいび 隊 たい 双方 そうほう で人員 じんいん の充足 じゅうそく でも問題 もんだい を抱 かか えており、教育 きょういく 機関 きかん 、施設 しせつ の設置 せっち と部隊 ぶたい 訓練 くんれん 、演習 えんしゅう が実施 じっし されるようになった。保安 ほあん 隊 たい においては1952年 ねん の発足 ほっそく 当時 とうじ 、増員 ぞういん 分 ぶん と任期 にんき 満了 まんりょう 者 しゃ で3万 まん 5000人 にん の充員 じゅういん を必要 ひつよう とした。しかし、保安 ほあん 隊 たい においては当初 とうしょ 装備 そうび 品 ひん の充足 じゅうそく が足 た りず、教育 きょういく 訓練 くんれん に過度 かど な制約 せいやく を受 う けた。1952年度 ねんど 末 まつ には装備 そうび が徐々 じょじょ に充足 じゅうそく されるようになり、翌 よく 1953年 ねん 8月 がつ には大隊 だいたい 以下 いか の部隊 ぶたい 訓練 くんれん を完了 かんりょう した。この年 とし には富士 ふじ 山麓 さんろく での戦闘 せんとう 展示 てんじ 演習 えんしゅう などが行 おこな われた。警備 けいび 隊 たい においては急速 きゅうそく な装備 そうび の充実 じゅうじつ に伴 ともな い、発足 ほっそく 時 じ の定員 ていいん 7590名 めい から翌 よく 1953年 ねん (昭和 しょうわ 28年 ねん )には1万 まん 323人 にん へと増員 ぞういん された。米国 べいこく より貸与 たいよ されたフリゲート船 せん によって第 だい 一 いち 船隊 せんたい 群 ぐん を編成 へんせい し、戦後 せんご 初 はじ めての日本 にっぽん 一周 いっしゅう 巡航 じゅんこう を行 おこな うなどの部隊 ぶたい 訓練 くんれん を行 おこな った。また、術 じゅつ 科 か 学校 がっこう を設置 せっち し、術 じゅつ 科 か 教育 きょういく のための教科書 きょうかしょ 、教範 きょうはん 類 るい の整備 せいび を行 おこな った[18] 。
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の創設 そうせつ への経緯 けいい
編集 へんしゅう
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい は陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい ・海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい のように前身 ぜんしん 組織 そしき (保安 ほあん 隊 たい ・警備 けいび 隊 たい )を持 も たず、防衛庁 ぼうえいちょう ・自衛隊 じえいたい の発足 ほっそく に伴 ともな いアメリカ軍 ぐん の協力 きょうりょく によって新設 しんせつ されている。
警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 末期 まっき から航空 こうくう 部隊 ぶたい の創設 そうせつ は考慮 こうりょ されていたが、経済 けいざい 技術 ぎじゅつ 上 じょう の制約 せいやく から1952年 ねん の保安 ほあん 隊 たい 航空 こうくう 学校 がっこう の設置 せっち 、1953年 ねん の警備 けいび 隊 たい 館山 たてやま 航空 こうくう 隊 たい の編成 へんせい を待 ま つことになる。1953年 ねん 11月 がつ 保安庁 ほあんちょう 内 ない で航空 こうくう 部隊 ぶたい 創設 そうせつ のための研究 けんきゅう が開始 かいし された。翌 よく 1954年 ねん 2月 がつ 1日 にち 、航空 こうくう 準備 じゅんび 室 しつ が設置 せっち されることとなり、航空 こうくう 部隊 ぶたい の編制 へんせい 、航空 こうくう 基地 きち の展開 てんかい 、米 べい 軍 ぐん 管理 かんり 飛行場 ひこうじょう の移管 いかん 、要員 よういん 確保 かくほ などの計画 けいかく がなされた。6月1日 にち 、臨時 りんじ 松島 まつしま 派遣 はけん 隊 たい を編成 へんせい し、在日 ざいにち 米 まい 空軍 くうぐん の下 した で編成 へんせい された訓練 くんれん 部隊 ぶたい によって整備 せいび 操縦 そうじゅう 訓練 くんれん が行 おこな われた[18] 。
防衛庁 ぼうえいちょう ・自衛隊 じえいたい の成立 せいりつ (1950 - 60年代 ねんだい )
編集 へんしゅう
制定 せいてい された自衛隊 じえいたい 旗 き (向 む かって左 ひだり )と自衛 じえい 艦 かん 旗 はた (同 どう 右 みぎ )床 ゆか には防衛庁 ぼうえいちょう と防衛大学校 ぼうえいだいがくこう の表札 ひょうさつ
統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ (1954年 ねん )
伊勢湾 いせわん 台風 たいふう での災害 さいがい 派遣 はけん
国力 こくりょく の回復 かいふく と平和 へいわ 条約 じょうやく 締結 ていけつ による国際 こくさい 的 てき 地位 ちい の向上 こうじょう 、冷戦 れいせん の激化 げきか 、駐留 ちゅうりゅう 軍 ぐん の漸減 ぜんげん につれて、より一層 いっそう の防衛 ぼうえい 力 りょく の整備 せいび が必要 ひつよう となった。1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )に成立 せいりつ したMSA協定 きょうてい で日本 にっぽん は自 みずか らの防衛 ぼうえい に責任 せきにん を果 は たすよう義務付 ぎむづ けられ、防衛 ぼうえい 力 りょく の増強 ぞうきょう が求 もと められた。同年 どうねん 6月2日 にち 、防衛 ぼうえい 2法 ほう (防衛庁 ぼうえいちょう 設置 せっち 法 ほう 、自衛隊 じえいたい 法 ほう )が成立 せいりつ した。この成立 せいりつ に際 さい して、参議院 さんぎいん で自衛隊 じえいたい 海外 かいがい 派兵 はへい 禁止 きんし 決議 けつぎ が採択 さいたく された。同年 どうねん 7月 がつ 1日 にち 、防衛 ぼうえい 2法 ほう が施行 しこう され、保安庁 ほあんちょう は防衛庁 ぼうえいちょう に改組 かいそ された。同日 どうじつ 、保安 ほあん 隊 たい は陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい となり、警備 けいび 隊 たい は海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい に改組 かいそ されたほか、新 あら たに空軍 くうぐん に相当 そうとう する航空 こうくう 自衛隊 じえいたい が新設 しんせつ され、自衛隊 じえいたい が成立 せいりつ した[17] [18] 。
保安庁 ほあんちょう においては任務 にんむ は警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 、海上 かいじょう 警備 けいび 隊 たい の任務 にんむ を引継 ひきつ いだものであったが、自衛隊 じえいたい 法 ほう において主 しゅ 任務 にんむ は「直接 ちょくせつ 及 およ び間接 かんせつ の侵略 しんりゃく に対 たい してわが国 くに を防衛 ぼうえい することとし、必要 ひつよう に応 おう じて公共 こうきょう の秩序 ちつじょ の維持 いじ に当 あ たる」とした。この為 ため の行動 こうどう として、「防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう 」「治安 ちあん 出動 しゅつどう 」「海上 かいじょう における警備 けいび 行動 こうどう 」「災害 さいがい 派遣 はけん 」「領空 りょうくう 侵犯 しんぱん に対 たい する措置 そち 」などが定 さだ められ防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう や領空 りょうくう 侵犯 しんぱん に対 たい する措置 そち など防衛 ぼうえい を主眼 しゅがん とした任務 にんむ の性格 せいかく が付与 ふよ された[17] [18] 。
自衛隊 じえいたい は創設 そうせつ 当初 とうしょ 以下 いか のような編成 へんせい であった[18] 。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい :定員 ていいん 18万 まん 人 にん 、方面 ほうめん 隊 たい 1、管区 かんく 隊 たい 6、補給 ほきゅう 処 しょ 8、諸 しょ 学校 がっこう 13、病院 びょういん 2
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい :定員 ていいん 1万 まん 5808人 にん 、自衛 じえい 艦隊 かんたい 1、地方 ちほう 隊 たい 5、諸 しょ 学校 がっこう 1、病院 びょういん 1
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい :定員 ていいん 6738人 にん 、航空 こうくう 教育 きょういく 隊 たい 1、補給 ほきゅう 処 しょ 1、諸 しょ 学校 がっこう 4、直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい 2
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の新設 しんせつ に際 さい して、浜松 はままつ の保安 ほあん 隊 たい 航空 こうくう 学校 がっこう が航空 こうくう 自衛隊 じえいたい に移管 いかん された。自衛隊 じえいたい 内 ない での航空機 こうくうき の配属 はいぞく については、それまで保安 ほあん 隊 たい ではL機 き 、ヘリコプター 、警備 けいび 隊 たい ではT-34 メンター 、ヘリコプターを保有 ほゆう していたが、基本 きほん 的 てき には陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい にはヘリコプターを、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい には対 たい 潜 せん 哨戒 しょうかい 機 き 、ヘリコプターを装備 そうび させることとし、それ以外 いがい の航空 こうくう 関係 かんけい 業務 ぎょうむ は原則 げんそく 的 てき に航空 こうくう 自衛隊 じえいたい が行 おこな うこととした[18] 。
装備 そうび については、防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく において1962年 ねん (昭和 しょうわ 37年 ねん )陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は定員 ていいん 18万 まん 人 にん の充足 じゅうそく 、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい は艦艇 かんてい (12万 まん 4000トン)、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい は航空機 こうくうき 1300機 き を整備 せいび することを目標 もくひょう とした[18] 。
自衛隊 じえいたい は設置 せっち と共 とも に人員 じんいん 的 てき な増強 ぞうきょう だけでなく、機構 きこう 的 てき にも整備 せいび され、内閣 ないかく に国防 こくぼう 会議 かいぎ が防衛庁 ぼうえいちょう 内 ない に統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ が設置 せっち された。また、付属 ふぞく 機関 きかん として建設 けんせつ 本部 ほんぶ と調達 ちょうたつ 実施 じっし 本部 ほんぶ を設置 せっち 、保安 ほあん 大 だい 学校 がっこう を防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 、保安 ほあん 研修 けんしゅう 所 しょ を防衛 ぼうえい 研修 けんしゅう 所 しょ (後 ご の防衛 ぼうえい 研究所 けんきゅうじょ )と改組 かいそ した[17] 。加 くわ えて、諸 しょ 外国 がいこく における予備 よび 役 やく となる予備 よび 自衛 じえい 官 かん 制度 せいど (定員 ていいん 1万 まん 5000人 にん )が整備 せいび された[18] 。
1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )10月25日 にち 、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 航空 こうくう 学校 がっこう 機 き L-21が浜名湖 はまなこ に墜落 ついらく 、2名 めい が死亡 しぼう 。自衛隊 じえいたい 機 き 初 はつ の事故 じこ が起 お こった[19] 。
1959年 ねん (昭和 しょうわ 34年 ねん )9月 がつ 、伊勢湾 いせわん 台風 たいふう の災害 さいがい 救難 きゅうなん に出動 しゅつどう [19] 。
1960年 ねん ごろまでに、自衛隊 じえいたい としての編成 へんせい と基礎 きそ 的 てき な機能 きのう の整備 せいび が行 おこな われた[18] 。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい (1960年 ねん ):人員 じんいん 18万 まん 3480人 にん 、方面 ほうめん 隊 たい 5、管区 かんく 隊 たい 6、混成 こんせい 団 だん 4、補給 ほきゅう 処 しょ 5、学校 がっこう 14、病院 びょういん 4、直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい 19
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい (1960年 ねん ):人員 じんいん 2万 まん 7667人 にん 、自衛 じえい 艦隊 かんたい 、地方 ちほう 隊 たい 5、練習 れんしゅう 隊 たい 群 ぐん 、掃海 そうかい 隊 たい 群 ぐん 、学校 がっこう 4、病院 びょういん 4、直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい 7、保有 ほゆう 艦艇 かんてい 187隻 せき 9万 まん 1208トン
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい (1960年 ねん ):人員 じんいん 3万 まん 3225人 にん 、航空 こうくう 総 そう 隊 たい 、航空 こうくう 方面 ほうめん 隊 たい 2、航空 こうくう 団 だん 4、航空 こうくう 教育 きょういく 隊 たい 2、補給 ほきゅう 処 しょ 2、学校 がっこう 5、直轄 ちょっかつ 部隊 ぶたい 10、F-86戦闘 せんとう 機 き 427機 き を中心 ちゅうしん に航空機 こうくうき 1150機 き
これら以外 いがい にも自衛隊 じえいたい 全体 ぜんたい として自衛隊 じえいたい 中央 ちゅうおう 病院 びょういん 、各 かく 幹部学校 かんぶがっこう の設置 せっち などの組織 そしき 整備 せいび が行 おこな われた[17] [20] 。
自衛隊 じえいたい 創設 そうせつ 当時 とうじ 、陸軍 りくぐん 士官 しかん 学校 がっこう 、海軍兵学校 かいぐんへいがっこう などの旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん の軍 ぐん 学校 がっこう を卒業 そつぎょう した旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん 正規 せいき 将校 しょうこう が幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん として、陸海空 りくかいくう 三 さん 自衛隊 じえいたい の幕僚 ばくりょう 機関 きかん の主流 しゅりゅう を占 し めていたほか、実働 じつどう 部隊 ぶたい の指揮 しき 中枢 ちゅうすう において直接 ちょくせつ 22万 まん 人 にん の自衛隊 じえいたい 員 いん を動 うご かす立場 たちば にあった。これにより、創設 そうせつ 当時 とうじ の自衛隊 じえいたい は旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん 正規 せいき 将校 しょうこう の強 つよ い影響 えいきょう 下 か で戦力 せんりょく を整備 せいび し、隊 たい 風 ふう を育 そだ ててきた[21] 。旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん で大佐 たいさ や中佐 ちゅうさ だった幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん の多 おお くが定年 ていねん 退官 たいかん し、防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 出身 しゅっしん の幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん が年々 ねんねん 増加 ぞうか していた1967年 ねん (昭和 しょうわ 42年 ねん )においても、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい には2288人 にん 、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい には1563人 にん 、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい には1063人 にん の、計 けい 4914人 にん の旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん 正規 せいき 将校 しょうこう が幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん として務 つと めており、自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ 現員 げんいん の15.3%を占 し めていた[21] 。また、1969年 ねん (昭和 しょうわ 44年 ねん )当時 とうじ の自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ における旧 きゅう 陸海 りくかい 軍 ぐん 出身 しゅっしん 者 しゃ の割合 わりあい は、将 はた クラスで80%、1佐 さ で78%、2佐 さ で66%、3佐 さ で21%であった[22] 。
1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )11月25日 にち 、三島 みしま 由紀夫 ゆきお 、森田 もりた 必勝 ひっしょう ほかで成 な る民兵 みんぺい 組織 そしき 「楯 だて の会 かい 」のメンバー5名 めい が市ヶ谷 いちがや 駐屯 ちゅうとん 地 ち 内 ない の東部 とうぶ 方面 ほうめん 総監 そうかん 部 ぶ を訪問 ほうもん し、益田 ますだ 兼 けん 利 り 総 そう 監 かん を拘束 こうそく 。幕僚 ばくりょう らを斬 き りつけた後 のち 、三島 みしま がバルコニーで自衛 じえい 官 かん に決起 けっき の檄 げき を訴 うった え、その後 ご 総監 そうかん 室 しつ で三島 みしま と森田 もりた が割腹 かっぷく 自決 じけつ に至 いた ったクーデター未遂 みすい 事件 じけん 発生 はっせい [19] 。(三島 みしま 事件 じけん )
1971年 ねん (昭和 しょうわ 46年 ねん )7月 がつ 30日 にち 、岩手 いわて 県 けん 雫石 しずくいし 町 まち 上空 じょうくう で自衛隊 じえいたい 練習 れんしゅう 機 き と全日空 ぜんにっくう 機 き が衝突 しょうとつ 、自衛隊 じえいたい 機 き の乗員 じょういん は脱出 だっしゅつ に成功 せいこう したが全日空 ぜんにっくう 機 き の乗員 じょういん 乗客 じょうきゃく 162人 にん 全員 ぜんいん が死亡 しぼう [19] 。(全日空 ぜんにっくう 機 き 雫石 しずくいし 衝突 しょうとつ 事故 じこ )
1976年 ねん (昭和 しょうわ 51年 ねん )9月 がつ 6日 にち 、ソビエト連邦 れんぽう 軍 ぐん (ソ連 それん 防空 ぼうくう 軍 ぐん )の現役 げんえき 将校 しょうこう であるヴィクトル・ベレンコ 中尉 ちゅうい が、MiG-25 (ミグ25)迎撃 げいげき 戦闘 せんとう 機 き で日本 にっぽん の函館 はこだて 空港 くうこう に強行 きょうこう 着陸 ちゃくりく し、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく への亡命 ぼうめい を求 もと めた[19] 。(ベレンコ中尉 ちゅうい 亡命 ぼうめい 事件 じけん )
自衛隊 じえいたい は創設 そうせつ 以来 いらい 、ソビエト連邦 れんぽう の日本 にっぽん 侵攻 しんこう を想定 そうてい してアメリカ軍 ぐん と共同 きょうどう 作戦 さくせん を行 おこな うことを国防 こくぼう の大前提 だいぜんてい としていた。自衛隊 じえいたい の統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ 議長 ぎちょう と在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん 司令 しれい 官 かん が署名 しょめい し、防衛庁 ぼうえいちょう 防衛 ぼうえい 局長 きょくちょう を通 つう じて防衛庁 ぼうえいちょう 長官 ちょうかん に報告 ほうこく されていた「共同 きょうどう 統合 とうごう 作戦 さくせん 計画 けいかく 」のシナリオによれば、ソビエト連邦 れんぽう 軍 ぐん の北海道 ほっかいどう 上陸 じょうりく 侵攻 しんこう に際 さい して、まずは自衛隊 じえいたい が独力 どくりょく で対処 たいしょ し、1週間 しゅうかん から2ヶ月 かげつ かけて数 すう 次 じ に分 わ かれて到着 とうちゃく するアメリカ軍 ぐん の来援 らいえん を待 ま つことになっていた。共同 きょうどう 統合 とうごう 作戦 さくせん 計画 けいかく は毎年 まいとし 改定 かいてい されていたほか、陸海空 りくかいくう 自衛隊 じえいたい は共同 きょうどう 統合 とうごう 作戦 さくせん 計画 けいかく を前提 ぜんてい として、毎 まい 年度 ねんど の日本 にっぽん 防衛 ぼうえい 計画 けいかく である「年度 ねんど 防衛 ぼうえい 警備 けいび 計画 けいかく (年 とし 防 ぼう )」を策定 さくてい していた[23] 。
PKO活動 かつどう 時 じ の部隊 ぶたい 章 あきら
自衛隊 じえいたい は国際 こくさい 社会 しゃかい では事実 じじつ 上 じょう の日本 にっぽん の軍隊 ぐんたい と認識 にんしき されつつも、当初 とうしょ より憲法 けんぽう 第 だい 9条 じょう の制約 せいやく のもと、専守防衛 せんしゅぼうえい のための「必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく 」として整備 せいび が進 すす められた。海外 かいがい 展開 てんかい 能力 のうりょく は、それを超 こ えるものとして忌避 きひ され、1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )6月2日 にち には、参議院 さんぎいん で「自衛隊 じえいたい の海外 かいがい 出動 しゅつどう を為 な さざることに関 かん する決議 けつぎ 」がなされた[17] 。1958年 ねん (昭和 しょうわ 33年 ねん )には、国際 こくさい 連合 れんごう レバノン監視 かんし 団 だん に停戦 ていせん 監視 かんし 要員 よういん として自衛 じえい 官 かん 10人 にん の派遣 はけん を要請 ようせい されるも、自衛隊 じえいたい 法 ほう や防衛庁 ぼうえいちょう 設置 せっち 法 ほう に抵触 ていしょく する恐 おそ れがあるとして要請 ようせい を拒否 きょひ している[24] 。
ペルシャ湾 ぺるしゃわん 派 は 海 うみ 派遣 はけん 部隊 ぶたい 旗艦 きかん 「はやせ 」
しかし、冷戦 れいせん の終結 しゅうけつ や国民 こくみん 意識 いしき の変化 へんか 、1991年 ねん (平成 へいせい 3年 ねん )にはペルシャ湾 ぺるしゃわん への掃海 そうかい 部隊 ぶたい の派遣 はけん の成功 せいこう によりPKO協力 きょうりょく 法 ほう が成立 せいりつ 、国際 こくさい 緊急 きんきゅう 援助 えんじょ 隊 たい の派遣 はけん に関 かん する法律 ほうりつ が改正 かいせい された。以後 いご 、1992年 ねん カンボジア 、1993年 ねん のモザンビーク 、1996年 ねん のゴラン高原 ごらんこうげん などで、武力 ぶりょく 紛争 ふんそう に巻 ま き込 こ まれる恐 おそ れが少 すく ない地域 ちいき を中心 ちゅうしん に、救難 きゅうなん 、輸送 ゆそう 、土木 どぼく 工事 こうじ などの後方 こうほう 支援 しえん (兵站 へいたん )や司令 しれい 部 ぶ 要員 よういん などへ非 ひ 武装 ぶそう ないし軽 けい 武装 ぶそう の要員 よういん ・部隊 ぶたい を派遣 はけん するようになった。
2001年 ねん 9月11日 にち のアメリカ同時 どうじ 多発 たはつ テロ事件 じけん を機 き に、「日米 にちべい 安保 あんぽ のグローバル化 か 」が進行 しんこう し、自衛隊 じえいたい とアメリカ軍 ぐん による日米 にちべい 防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく の領域 りょういき は日本 にっぽん 周辺 しゅうへん や極東 きょくとう 地域 ちいき から、中東 ちゅうとう やインド洋 いんどよう へと拡大 かくだい し、本土 ほんど 防衛 ぼうえい を主 おも 任務 にんむ としてきた自衛隊 じえいたい の任務 にんむ の変容 へんよう も進 すす んでいる。イラク戦争 せんそう においては、アメリカ軍 ぐん 主導 しゅどう の多 た 国籍 こくせき 軍 ぐん の一翼 いちよく を担 にな う形 かたち で、イラク南部 なんぶ のサマーワ に人道 じんどう 復興 ふっこう 支援 しえん 活動 かつどう を目的 もくてき として、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい が派遣 はけん された[25] 。
2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )3月 がつ 27日 にち 、統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 会議 かいぎ 及 およ び同 どう 事務 じむ 局 きょく を廃止 はいし し、統合 とうごう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ が新設 しんせつ された。
2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )1月 がつ 9日 にち 、防衛庁 ぼうえいちょう は防衛 ぼうえい 省 しょう に昇格 しょうかく した。
2015年 ねん (平成 へいせい 27年 ねん )6月 がつ 10日 とおか 、「防衛 ぼうえい 省 しょう 設置 せっち 法 ほう 等 とう の一部 いちぶ を改正 かいせい する法律 ほうりつ (平成 へいせい 27年 ねん 法律 ほうりつ 第 だい 39号 ごう )[26] 」が可決 かけつ ・成立 せいりつ し、背広 せびろ 組 ぐみ (防衛 ぼうえい 官僚 かんりょう )と呼 よ ばれる官房 かんぼう 長 ちょう 、局長 きょくちょう が行 おこな ってきた大臣 だいじん 補佐 ほさ は、制服 せいふく 組 ぐみ (自衛 じえい 官 かん )と呼 よ ばれる統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 、陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 、海上 かいじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 、航空 こうくう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう による大臣 だいじん 補佐 ほさ と相 あい まって行 おこな われることが明記 めいき され、背広 せびろ 組 ぐみ と制服 せいふく 組 ぐみ が対等 たいとう の立場 たちば であることが明確 めいかく にされた[27] 。同年 どうねん 10月 がつ 1日 にち の改正 かいせい 防衛 ぼうえい 省 しょう 設置 せっち 法 ほう 施行 しこう により、内局 ないきょく の運用 うんよう 企画 きかく 局 きょく が廃止 はいし され、部隊 ぶたい 運用 うんよう に関 かん する事務 じむ が統合 とうごう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ へ一本 いっぽん 化 か されたほか、技術 ぎじゅつ 研究 けんきゅう 本部 ほんぶ 及 およ び装備 そうび 施設 しせつ 本部 ほんぶ が廃止 はいし され、新 あら たに防衛 ぼうえい 装備 そうび 庁 ちょう が防衛 ぼうえい 省 しょう の外局 がいきょく として設置 せっち された。
自衛 じえい 官 かん の数 かず と機関 きかん の規模 きぼ (2023.3.31現在 げんざい )[34]
機関 きかん
現員 げんいん (人 ひと )
充足 じゅうそく 率 りつ (%)
定員 ていいん (人 ひと )
陸上 りくじょう 自衛 じえい 官 かん
海上 かいじょう 自衛 じえい 官 かん
航空 こうくう 自衛 じえい 官 かん
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい
15万 まん 500
13万 まん 7024
91.0
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい
4万 まん 5293
4万 まん 3106
95.2
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい
4万 まん 6994
4万 まん 3694
93.0
共同 きょうどう の部隊 ぶたい
4367
1588
4019
92.0
統合 とうごう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ
386
情報 じょうほう 本部 ほんぶ
1936
防衛 ぼうえい 省内 しょうない 部 ぶ 部局 ぶきょく
50
防衛 ぼうえい 装備 そうび 庁 ちょう
407
合計 ごうけい
24万 まん 7154
22万 まん 7442
92.2
各 かく 自衛隊 じえいたい と機関 きかん 、自衛 じえい 官 かん の定員 ていいん は防衛 ぼうえい 省 しょう 設置 せっち 法 ほう 第 だい 6条 じょう で規定 きてい されている。定員 ていいん は、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい で合 あ わせて24万 まん 2787人 にん 、統合 とうごう 幕僚監部 ばくりょうかんぶ などの各 かく 自衛隊 じえいたい の自衛 じえい 官 かん の共同 きょうどう で運営 うんえい される組織 そしき で4367人 にん である[34] 。自衛隊 じえいたい では、戦力 せんりょく 維持 いじ のために若年 じゃくねん 定年 ていねん 退職 たいしょく 制度 せいど を導入 どうにゅう しており、多 おお くの自衛 じえい 官 かん は54~56歳 さい で定年 ていねん 退職 たいしょく する[35] 。
2023年 ねん 3月 がつ 31日 にち 現在 げんざい での総 そう 人員 じんいん は22万 まん 7442人 にん (うち男性 だんせい 20万 まん 7977人 にん 、女性 じょせい 1万 まん 9866人 にん )であり、定員 ていいん に対 たい する充足 じゅうそく 率 りつ は全体 ぜんたい で約 やく 90%程度 ていど となっており定員 ていいん 割 わ れが続 つづ いている[34] 。
定員 ていいん 割 わ れが続 つづ いている一方 いっぽう で、予算 よさん 上 じょう における事実 じじつ 上 じょう の上限 じょうげん 人数 にんずう である実員 じついん がある。これは予算 よさん 配分 はいぶん で確保 かくほ される人件 じんけん ・糧食 りょうしょく 費 ひ 等 とう であり令 れい 和 わ 5年度 ねんど 時点 じてん では23万 まん 5110人 にん であった。この人数 にんずう に対 たい しての充足 じゅうそく 率 りつ は約 やく 95%になる[36] 。これに対 たい して、防衛 ぼうえい 省 しょう は令 れい 和 わ 6年度 ねんど から自衛 じえい 官 かん の増員 ぞういん に向 む けて実員 じついん の枠組 わくぐ みを廃止 はいし し、法律 ほうりつ で定 さだ められた定員 ていいん の確保 かくほ を目指 めざ すとしている[36] 。
定員 ていいん とは他 た に、諸 しょ 外国 がいこく における予備 よび 役 やく にあたる予備 よび 自衛 じえい 官 かん 制度 せいど がある。予備 よび 自衛 じえい 官 かん 制度 せいど は常 つね に維持 いじ する常備 じょうび 自衛 じえい 官 かん の人数 にんずう を抑制 よくせい し、必要 ひつよう 時 じ のみ増員 ぞういん することを目的 もくてき とした制度 せいど である。身分 みぶん は非常勤 ひじょうきん の特別 とくべつ 職 しょく 国家 こっか 公務員 こうむいん で、防衛 ぼうえい 省 しょう 職員 しょくいん の定員 ていいん 外 がい とされている。各 かく 地方 ちほう 協力 きょうりょく 本部 ほんぶ が管理 かんり している。予備 よび 自衛 じえい 官 かん は、任務 にんむ の内容 ないよう や招集 しょうしゅう の義務 ぎむ に応 おう じて即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん 、予備 よび 自衛 じえい 官 かん 、予備 よび 自衛 じえい 官 かん 補 ほ の3種 しゅ を定 さだ めている。招集 しょうしゅう を受 う けて応 おう じなければ登録 とうろく は抹消 まっしょう される。
予備 よび 自衛 じえい 官 かん の数 かず (2023.3.31現在 げんざい )[37]
機関 きかん
即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん (人 ひと )
予備 よび 自衛 じえい 官 かん (人 ひと )
予備 よび 自衛 じえい 官 かん 補 ほ (人 ひと )
法律 ほうりつ 上 じょう の人数 にんずう
現員 げんいん
充足 じゅうそく 率 りつ (%)
法律 ほうりつ 上 じょう の人数 にんずう
現員 げんいん
充足 じゅうそく 率 りつ (%)
法律 ほうりつ 上 じょう の人数 にんずう
現員 げんいん
充足 じゅうそく 率 りつ (%)
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい
7981
4120
51.6
4万 まん 6000
33411
69.8
4600
2529
54.7
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい
1100
21
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい
800
防衛 ぼうえい 費 ひ とその内訳 うちわけ (令 れい 和 わ 5年度 ねんど 当初 とうしょ 予算 よさん )[3]
項目 こうもく
金額 きんがく (円 えん )
割合 わりあい (%)
人件 じんけん ・糧食 りょうしょく 費 ひ
6兆 ちょう 6001億 おく
2兆 ちょう 1969億 おく
32.2
維持 いじ 費 ひ など
1兆 ちょう 8731億 おく
27.5
装備 そうび 品等 ひんとう 購入 こうにゅう 費 ひ
1兆 ちょう 3622億 おく
20.0
基地 きち 対策 たいさく 経費 けいひ
4872億 おく
7.1
施設 しせつ 整備 せいび 経費 けいひ
2465億 おく
3.6
研究 けんきゅう 開発 かいはつ 費 ひ
2201億 おく
3.2
その他 た
2141億 おく
3.1
米 べい 軍 ぐん 再編 さいへん 等 とう
2217億 おく
3.2
計 けい
6兆 ちょう 8217億 おく 円 えん
100
防衛 ぼうえい 力 りょく 整備 せいび 計画 けいかく に従 したが い、初年度 しょねんど となる令 れい 和 わ 5年度 ねんど では防衛 ぼうえい 力 りょく の構築 こうちく に向 む けた必要 ひつよう な経費 けいひ を積 つ み上 あ げた結果 けっか 、防衛 ぼうえい 関係 かんけい 予算 よさん は6兆 ちょう 8217億 おく 円 えん となった。そのうち人件 じんけん ・糧食 りょうしょく 費 ひ が2兆 ちょう 1969億 おく 円 えん (32.2%)、教育 きょういく 訓練 くんれん ・装備 そうび の維持 いじ 費 ひ が1兆 ちょう 8731億 おく 円 えん (27.5%)、新規 しんき 装備 そうび 品 ひん の購入 こうにゅう 費 ひ が1兆 ちょう 3622億 おく 円 えん (20.0%)などである。また、自衛隊 じえいたい 関係 かんけい とは別枠 べつわく として在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん の再編 さいへん 等 とう の予算 よさん として2217億 おく 円 えん (3.2%)が計上 けいじょう されている[3] 。
自衛隊 じえいたい は約 やく 24万 まん 人 にん の総 そう 兵力 へいりょく をもつが、そのうち陸上 りくじょう 兵力 へいりょく を担 にな う陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい は約 やく 14万 まん 人 にん 、同盟 どうめい 国 こく であるアメリカ軍 ぐん は在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん と在 ざい 韓米 かんべい 軍 ぐん 併 あわ せて4万 まん 人 にん 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の同盟 どうめい 国 こく である韓国 かんこく は45万 まん 人 にん である。他方 たほう で周辺 しゅうへん 国 こく では、中国 ちゅうごく 、北朝鮮 きたちょうせん が100万 まん 人 にん 以上 いじょう 、台湾 たいわん が10万 まん 人 にん 、極東 きょくとう ロシア軍 ぐん が8万 まん 人 にん である。他 た の主要 しゅよう 国 こく においては、10万 まん 人 にん 程度 ていど であるのはNATO加盟 かめい 国 こく である欧州 おうしゅう 諸国 しょこく である。
日本 にっぽん は周辺 しゅうへん を海洋 かいよう に囲 かこ まれた島国 しまぐに であり、海上 かいじょう 兵力 へいりょく が重要 じゅうよう である。そのため海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の装備 そうび の拡充 かくじゅう が進 すす められ、総トン数 そうとんすう でみると52万 まん トンと主要 しゅよう 国 こく の中 なか では5番目 ばんめ につけている[34] 。また、横須賀 よこすか が米国 べいこく 第 だい 7艦隊 かんたい (44万 まん トン)の母港 ぼこう となっている。しかし、近年 きんねん は中国 ちゅうごく の海洋 かいよう 進出 しんしゅつ が進 すす んでおり、周辺 しゅうへん 海域 かいいき に展開 てんかい する海上 かいじょう 兵力 へいりょく の総トン数 そうとんすう においては大 おお きく差 さ がある[34] 。
航空 こうくう 兵力 へいりょく では、作戦 さくせん 機 き が370機 き 程度 ていど であり、周辺 しゅうへん 国 こく の中 なか では機 き 数 すう として多 おお いわけではないが、在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん 等 とう を合 あ わせると550機 き 程度 ていど となる[34] 。
国防 こくぼう 費 ひ では、主要 しゅよう 国 こく の中 なか では日本 にっぽん は1%程度 ていど の国防 こくぼう 費 ひ を計上 けいじょう しており、絶対 ぜったい 的 てき には高 たか い水準 すいじゅん である一方 いっぽう で、NATOなどの軍需 ぐんじゅ 同盟 どうめい を持 も つ欧州 おうしゅう と比較 ひかく すると米国 べいこく 以外 いがい に同盟 どうめい 国 こく を持 も たず、また周辺 しゅうへん 国 こく の国防 こくぼう 費 ひ の水準 すいじゅん からすると最低 さいてい 水準 すいじゅん である[34] [38] 。
また、自衛隊 じえいたい が保有 ほゆう する装備 そうび の維持 いじ ・運用 うんよう ・管理 かんり などにおいて他 ほか の西側 にしがわ 諸国 しょこく と同 おな じく日米 にちべい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 条約 じょうやく による同盟 どうめい 国 こく アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく に強 つよ く依存 いぞん している装備 そうび も多 おお く、実戦 じっせん におけるノウハウ習得 しゅうとく や幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん 教育 きょういく 、新型 しんがた 装備 そうび に関 かん する技術 ぎじゅつ 講習 こうしゅう などでも在日 ざいにち 米 まい 軍 ぐん との協力 きょうりょく 関係 かんけい が重要 じゅうよう 視 し されている。 [要 よう 出典 しゅってん ]
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
自衛隊 じえいたい 法 ほう 上 じょう 、自衛隊 じえいたい は国 くに の防衛 ぼうえい を主 しゅ たる任務 にんむ とし、必要 ひつよう に応 おう じ公共 こうきょう の秩序 ちつじょ の維持 いじ にあたるものとされている。この主 しゅ たる任務 にんむ に該当 がいとう する自衛隊 じえいたい の活動 かつどう が「防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう 」であり、公共 こうきょう の秩序 ちつじょ 維持 いじ に関 かん する活動 かつどう として「治安 ちあん 出動 しゅつどう 」「災害 さいがい 派遣 はけん 」等 とう が位置 いち づけられている[29] 。その他 た 、主 しゅ たる任務 にんむ の遂行 すいこう に支障 ししょう を生 しょう じない限度 げんど において、別 べつ に法律 ほうりつ で定 さだ める任務 にんむ を実施 じっし するものとされており、具体 ぐたい 的 てき には重要 じゅうよう 影響 えいきょう 事態 じたい 法 ほう やPKO協力 きょうりょく 法 ほう に基 もと づく海外 かいがい 派遣 はけん がこれに該当 がいとう する。
自衛隊 じえいたい の防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう は自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 76条 じょう によって定 さだ められており、他国 たこく からの武力 ぶりょく 攻撃 こうげき が発生 はっせい した事態 じたい 又 また は武力 ぶりょく 攻撃 こうげき が発生 はっせい する明白 めいはく な危険 きけん が切迫 せっぱく していると認 みと められるに至 いた った事態 じたい 、及 およ び、我 わ が国 くに と密接 みっせつ な関係 かんけい にある他国 たこく に対 たい する武力 ぶりょく 攻撃 こうげき が発生 はっせい し、これにより我 わ が国 くに の存立 そんりつ が脅 おびや かされ、国民 こくみん の生命 せいめい 、自由 じゆう 及 およ び幸福 こうふく 追求 ついきゅう の権利 けんり が根底 こんてい から覆 くつがえ される明白 めいはく な危険 きけん がある事態 じたい に際 さい して、内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん が自衛隊 じえいたい の出動 しゅつどう を命 めい じるものである。出動 しゅつどう にあたっては原則 げんそく として事前 じぜん の国会 こっかい 承認 しょうにん を要 よう する。出動 しゅつどう を命 めい じられた部隊 ぶたい は、日本 にっぽん を防衛 ぼうえい するため、必要 ひつよう な武力 ぶりょく を行使 こうし することができる(自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 88条 じょう )[29] 。実際 じっさい に武力 ぶりょく の行使 こうし を行 おこな うか否 ひ かの判断 はんだん は、自衛隊 じえいたい の最高 さいこう 指揮 しき 監督 かんとく 権 けん を有 ゆう する内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん が行 おこな うものと解 ほぐ されている。これまでに防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう が命 めい じられたことはない。[要 よう 出典 しゅってん ]
自衛隊 じえいたい の災害 さいがい 派遣 はけん は自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 83条 じょう によって定 さだ められており、自然 しぜん 災害 さいがい ・人為 じんい 的 てき 災害 さいがい を問 と わず災害 さいがい 時 じ に各 かく 都道府県 とどうふけん 知事 ちじ などの要請 ようせい によって防衛 ぼうえい 大臣 だいじん 又 また はその指定 してい する者 もの (方面 ほうめん 総監 そうかん 、自衛 じえい 艦隊 かんたい 司令 しれい 官 かん など)が部隊 ぶたい に出動 しゅつどう を命令 めいれい し、救援 きゅうえん 活動 かつどう を行 おこな う[29] 。災害 さいがい に際 さい し、要請 ようせい を待 ま ついとまがない緊急 きんきゅう 事態 じたい と考 かんが えられる場合 ばあい (震度 しんど 5弱 じゃく 以上 いじょう など)は要請 ようせい を待 ま たないで情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう や救助 きゅうじょ のため部隊 ぶたい を派遣 はけん することができる。災害 さいがい 派遣 はけん には大 だい 規模 きぼ 災害 さいがい 派遣 はけん 、原子力 げんしりょく 災害 さいがい 派遣 はけん が含 ふく まれる。災害 さいがい 派遣 はけん は地震 じしん 、台風 たいふう による集中 しゅうちゅう 豪雨 ごうう (大雨 おおあめ )、三宅島 みやけじま や大島 おおしま の火山 かざん 噴火 ふんか の際 さい に実施 じっし されているほか、地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん や日本航空 にほんこうくう 123便 びん 墜落 ついらく 事故 じこ など消防 しょうぼう のみでは対処 たいしょ が困難 こんなん な事件 じけん ・事故 じこ の際 さい にも実施 じっし された。また、離島 りとう からの急患 きゅうかん 輸送 ゆそう や遭難 そうなん 者 しゃ の捜索 そうさく も災害 さいがい 派遣 はけん 扱 あつか いとなる。
上記 じょうき と異 こと なる類型 るいけい の災害 さいがい 派遣 はけん として、「近傍 きんぼう 災害 さいがい 派遣 はけん 」がある。近傍 きんぼう 災害 さいがい 派遣 はけん は自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 83条 じょう 第 だい 3項 こう に定 さだ められており、防衛 ぼうえい 省 しょう 施設 しせつ の近傍 きんぼう において火災 かさい その他 た の災害 さいがい が発生 はっせい した場合 ばあい 、部隊 ぶたい 長 ちょう が必要 ひつよう に応 おう じて部隊 ぶたい の派遣 はけん を行 おこな うことができる[29] 。
災害 さいがい 派遣 はけん の件数 けんすう は毎年 まいとし 約 やく 800回 かい 前後 ぜんこう で、2004年度 ねんど (平成 へいせい 16年度 ねんど )では急患 きゅうかん 輸送 ゆそう が年 とし 616回 かい 、次 つ いで消火 しょうか 支援 しえん が102回 かい (うち近傍 きんぼう 災害 さいがい 派遣 はけん が92件 けん )で、その他 た すべてをあわせ自衛隊 じえいたい 全体 ぜんたい で884回 かい 出動 しゅつどう している。1995年 ねん (平成 へいせい 7年 ねん )の阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい においてはのべ約 やく 225万 まん 人 にん が派遣 はけん され、2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )の東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい では、3月19日 にち [41] から同年 どうねん 5月 がつ 10日 とおか [42] まで、50日間 にちかん 連続 れんぞく して10万 まん 人 にん /日 ひ を超 こ える規模 きぼ の派遣 はけん を行 おこな うなどの災害 さいがい 派遣 はけん が行 おこな われた。
日本 にっぽん の防空 ぼうくう 識別 しきべつ 圏 けん
領空 りょうくう 侵犯 しんぱん に関 かん しては、自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 84条 じょう により防衛 ぼうえい 大臣 だいじん は他国 たこく の航空機 こうくうき が国際 こくさい 法 ほう などに違反 いはん して日本 にっぽん の領空 りょうくう に侵入 しんにゅう した場合 ばあい 、もしくは領空 りょうくう 侵犯 しんぱん の畏 おそ れがある場合 ばあい にこれを阻止 そし する措置 そち を行 おこな うことができる。領空 りょうくう 侵犯 しんぱん に対 たい する措置 そち としては、領空 りょうくう 侵犯 しんぱん 機 き を日本 にっぽん の空港 くうこう に着陸 ちゃくりく させるか、日本 にっぽん の領空 りょうくう から退去 たいきょ させるために必要 ひつよう な無線 むせん による警告 けいこく 、誘導 ゆうどう 、武器 ぶき による警告 けいこく などの措置 そち をとることができる[29] 。
スクランブルは冷戦 れいせん 期 き には最高 さいこう で年 とし 1,000回 かい 近 ちか く行 おこ なわれていたが、冷戦 れいせん 後 ご は比較的 ひかくてき 少 すく なくなり、おおよそ年 とし 100回 かい - 200回 かい 程度 ていど となっている。飛行機 ひこうき は高速 こうそく で移動 いどう するので、単純 たんじゅん に領空 りょうくう 侵犯 しんぱん が行 おこ なわれた時点 じてん でスクランブル発進 はっしん するのではなく、防空 ぼうくう 識別 しきべつ 圏 けん (ADIZ:Air Defense Identification Zone)に入 はい った時点 じてん で発進 はっしん し、実際 じっさい に領空 りょうくう 侵犯 しんぱん が起 お きるのは年 とし 数 すう 回 かい 程度 ていど となる。2008年 ねん 現在 げんざい 、領空 りょうくう 侵犯 しんぱん 機 き に対 たい して警告 けいこく 射撃 しゃげき を行 おこ なったのは1987年 ねん に起 お きた沖縄 おきなわ 本島 ほんとう 上空 じょうくう におけるソ連 それん 機 き 侵犯 しんぱん 事案 じあん の1回 かい のみである。スクランブルは、領空 りょうくう 侵犯 しんぱん の恐 おそ れのある機 き に対 たい する発進 はっしん のほか、ハイジャックなど非常 ひじょう 事態 じたい が起 お こった民間 みんかん 機 き の護衛 ごえい 、誘導 ゆうどう などにも行 おこな われる。 [要 よう 出典 しゅってん ]
日本 にっぽん の排他 はいた 的 てき 経済 けいざい 水域 すいいき 日本 にっぽん 単独 たんどく のEEZ
韓国 かんこく との共同 きょうどう 開発 かいはつ 区域 くいき
周辺 しゅうへん 国 こく との係争 けいそう 区域 くいき
海上 かいじょう 警備 けいび 行動 こうどう は自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 82条 じょう に定 さだ められており、海上 かいじょう における人命 じんめい 、財産 ざいさん 、治安 ちあん の維持 いじ のため特別 とくべつ の必要 ひつよう がある場合 ばあい 、防衛 ぼうえい 大臣 だいじん が自衛隊 じえいたい に必要 ひつよう な行動 こうどう をとるよう命 めい じ、内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の承認 しょうにん を受 う ける[29] 。
海上 かいじょう 警備 けいび 行動 こうどう は1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )3月 がつ 23日 にち から24日 にち にかけて不審 ふしん 船 せん (北朝鮮 きたちょうせん の工作 こうさく 船 せん )が日本 にっぽん の領海 りょうかい 内 ない に侵入 しんにゅう した事件 じけん (能登半島 のとはんとう 沖 おき 不審 ふしん 船 せん 事件 じけん )の際 さい 初 はじ めて発動 はつどう され、この命令 めいれい に基 もと づき威嚇 いかく として護衛 ごえい 艦 かん が計 けい 25回 かい の射撃 しゃげき 、対 たい 潜 せん 哨戒 しょうかい 機 き P-3Cが計 けい 12発 はつ の対 たい 潜 せん 爆 ばく 弾 だん 投下 とうか を実施 じっし した。また2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )11月 がつ 10日 とおか に沖縄 おきなわ 県 けん 先 さき 島 とう 諸島 しょとう 周辺 しゅうへん で中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん の潜水 せんすい 艦 かん が潜航 せんこう 状態 じょうたい で領海 りょうかい 侵犯 しんぱん した事件 じけん (漢 かん 級 きゅう 原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 領海 りょうかい 侵犯 しんぱん 事件 じけん )の際 さい にも発動 はつどう され、哨戒 しょうかい 機 き P-3C、対 たい 潜 せん ヘリSH-60J、護衛 ごえい 艦 かん 「ゆうだち」「くらま」による追跡 ついせき が行 おこな われた。
1996年 ねん (平成 へいせい 8年 ねん )、国連 こくれん 海洋 かいよう 法 ほう 条約 じょうやく の批准 ひじゅん に際 さい し、同年 どうねん 12月 がつ 、自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい が同 どう 条約 じょうやく の定 さだ めるところにより、日本 にっぽん の領海 りょうかい 及 およ び内水 うすい で潜没 せんぼつ 航行 こうこう する潜水 せんすい 艦 かん に対 たい して浮上 ふじょう ・掲旗要求 ようきゅう 、退去 たいきょ 要求 ようきゅう を行 おこな うにあたり、あらかじめ閣議 かくぎ においてその基本 きほん 方針 ほうしん と手順 てじゅん を決定 けってい しておき、個々 ここ の事案 じあん 発生 はっせい 時 じ に、改 あらた めて個別 こべつ の閣議 かくぎ 決定 けってい を経 へ ることなく、内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の判断 はんだん により、自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい が迅速 じんそく に対処 たいしょ し得 え る旨 むね の閣議 かくぎ 決定 けってい (「我 わ が国 くに の領海 りょうかい 及 およ び内水 うすい で潜没 せんぼつ 航行 こうこう する外国 がいこく 潜水 せんすい 艦 かん への対処 たいしょ について」)がなされた。2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )11月10日 にち 早朝 そうちょう 、国籍 こくせき 不明 ふめい の潜水 せんすい 艦 かん が先 さき 島 とう 群島 ぐんとう 周辺 しゅうへん 海域 かいいき の日本 にっぽん の領海 りょうかい 内 ない を南 みなみ から北 きた 方向 ほうこう へ向 む け潜没 せんぼつ 航行 こうこう しているのを海自 かいじ 哨戒 しょうかい 機 き (P-3C)が確認 かくにん したことから、所要 しょよう の措置 そち を講 こう ずるために、同日 どうじつ 、上記 じょうき 閣議 かくぎ 決定 けってい を踏 ふ まえ、1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )の能登半島 のとはんとう 沖 おき 不審 ふしん 船 せん 事案 じあん 以来 いらい 2度目 どめ となる海上 かいじょう 警備 けいび 行動 こうどう が発令 はつれい された[43] 。
2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )12月17日 にち 護衛 ごえい 艦 かん 「こんごう 」からのRIM-161(SM-3)の発射 はっしゃ 弾道 だんどう ミサイル防衛 ぼうえい (BMD)に関 かん する行動 こうどう 類型 るいけい としては、自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 82条 じょう の3に「弾道 だんどう ミサイル等 とう の破壊 はかい 措置 そち 」が定 さだ められている。この条項 じょうこう は2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )に弾道 だんどう ミサイル防衛 ぼうえい システム導入 どうにゅう が決定 けってい されたことを受 う け、2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )の法 ほう 改正 かいせい で整備 せいび された[29] 。
弾道 だんどう ミサイル等 とう の落下 らっか により人命 じんめい または財産 ざいさん に対 たい して重大 じゅうだい な被害 ひがい が生 しょう じると認 みと められる事態 じたい に対 たい して適用 てきよう される条項 じょうこう で、内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の承認 しょうにん を得 え て防衛 ぼうえい 大臣 だいじん が部隊 ぶたい に必要 ひつよう な措置 そち をとることを命 めい ずる。内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の承認 しょうにん を受 う ける暇 ひま がない緊急 きんきゅう の場合 ばあい にはあらかじめ作成 さくせい された緊急 きんきゅう 対処 たいしょ 要領 ようりょう に従 したが って部隊 ぶたい に出動 しゅつどう を命 めい ずる。同 どう 条 じょう による措置 そち がとられた場合 ばあい 、内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん はその結果 けっか を国会 こっかい に報告 ほうこく する必要 ひつよう がある[29] 。
各 かく 自衛隊 じえいたい は弾道 だんどう ミサイル防衛 ぼうえい に関 かん する装備 そうび の整備 せいび を進 すす めており、弾道 だんどう ミサイルの探知 たんち 手段 しゅだん としてイージス艦 かん の改修 かいしゅう と新型 しんがた 地上 ちじょう 配備 はいび 型 がた レーダーの配備 はいび と既存 きそん レーダーの改修 かいしゅう が行 おこな われる。また迎撃 げいげき ミサイルとしてスタンダードミサイル SM-3 とパトリオットミサイル PAC-3 の配備 はいび を決定 けってい している。
2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )3月 がつ 27日 にち 、政府 せいふ は安全 あんぜん 保障 ほしょう 会議 かいぎ を開 ひら き北朝鮮 きたちょうせん が「人工 じんこう 衛星 えいせい 」打 う ち上 あ げ名目 めいもく で発射 はっしゃ した長距離 ちょうきょり 弾道 だんどう ミサイルが日本 にっぽん の領土 りょうど ・領海 りょうかい に落下 らっか する事態 じたい に備 そな え、ミサイル防衛 ぼうえい (MD)システムで迎撃 げいげき する方針 ほうしん を決 き めた。これを受 う け、浜田 はまだ 靖 やすし 一 いち 防衛 ぼうえい 相 しょう が自衛隊 じえいたい 法 ほう 82条 じょう 2の第 だい 3項 こう に基 もと づき「破壊 はかい 措置 そち 命令 めいれい 」を自衛隊 じえいたい に発令 はつれい した。 [要 よう 出典 しゅってん ]
自衛隊 じえいたい の治安 ちあん 出動 しゅつどう は自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 78条 じょう および第 だい 81条 じょう によって定 さだ められており、第 だい 78条 じょう では命令 めいれい による治安 ちあん 維持 いじ を定 さだ めている。内乱 ないらん や騒擾 そうじょう 状態 じょうたい など何 なん らかの理由 りゆう により警察 けいさつ 力 ちから のみでの治安 ちあん 維持 いじ が不可能 ふかのう となった場合 ばあい に内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の命令 めいれい により出動 しゅつどう する。国会 こっかい の承認 しょうにん は命令 めいれい 出動 しゅつどう 後 ご 20日 はつか 以内 いない に付議 ふぎ される[29] 。
第 だい 81条 じょう では都道府県 とどうふけん 知事 ちじ からの要請 ようせい を受 う けた場合 ばあい の治安 ちあん 維持 いじ を定 さだ めており、国会 こっかい の承認 しょうにん は必要 ひつよう なく内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん の命令 めいれい によって出動 しゅつどう を行 おこな う。基本 きほん 的 てき に治安 ちあん 維持 いじ 活動 かつどう の場合 ばあい 警察官 けいさつかん 職務 しょくむ 執行 しっこう 法 ほう を準用 じゅんよう する[29] 。この治安 ちあん 出動 しゅつどう は、1960年代 ねんだい の安保 あんぽ 闘争 とうそう の際 さい に発動 はつどう が検討 けんとう されたが、実際 じっさい には出動 しゅつどう しなかった。これまでに治安 ちあん 出動 しゅつどう が命 めい じられたことはない。 [要 よう 出典 しゅってん ]
2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )に制定 せいてい された国民 こくみん 保護 ほご 法 ほう 並 なら びに自衛隊 じえいたい 法 ほう の一部 いちぶ を改正 かいせい する法律 ほうりつ により、改正 かいせい されたいわゆる改正 かいせい 自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 75条 じょう には、自衛隊 じえいたい の新 あら たな行動 こうどう 類型 るいけい として国民 こくみん 保護 ほご 等 とう 派遣 はけん が加 くわ わることとなった。
武力 ぶりょく 攻撃 こうげき やテロなどが発生 はっせい した際 さい 、都道府県 とどうふけん 知事 ちじ の要請 ようせい に基 もと づき、防衛 ぼうえい 大臣 だいじん の命 いのち で国民 こくみん の保護 ほご のための措置 そち をとることができるとされた。国民 こくみん 保護 ほご 派遣 はけん ではなく、国民 こくみん 保護 ほご 「等 ひとし 」派遣 はけん として規定 きてい されているのは、国民 こくみん 保護 ほご 法 ほう が想定 そうてい する事態 じたい として武力 ぶりょく 攻撃 こうげき のみならず、テロに際 さい しても武力 ぶりょく 攻撃 こうげき 事態 じたい に準 じゅん じた措置 そち がとれるように柔軟 じゅうなん な表現 ひょうげん を採 と ったため[29] 。
この国民 こくみん 保護 ほご 等 とう 派遣 はけん において自衛隊 じえいたい が果 は たす役割 やくわり としては、武力 ぶりょく 攻撃 こうげき 事態 じたい 等 ひとし 又 また は緊急 きんきゅう 対処 たいしょ 事態 じたい において、避難 ひなん 住民 じゅうみん の誘導 ゆうどう 、集合 しゅうごう 場所 ばしょ での人員 じんいん 整理 せいり 、避難 ひなん 状 じょう 況 きょう の把握 はあく などの他 ほか 、避難 ひなん 住民 じゅうみん への食料 しょくりょう 品 ひん 及 およ び飲料 いんりょう 水 すい の供給 きょうきゅう 、物資 ぶっし の供給 きょうきゅう 、医療 いりょう 活動 かつどう 、捜索 そうさく 及 およ び救出 きゅうしゅつ などの活動 かつどう が主 おも に期待 きたい されている。その他 た にも、武力 ぶりょく 攻撃 こうげき 災害 さいがい などへの対処 たいしょ 、被災 ひさい 状 じょう 況 きょう の把握 はあく や人命 じんめい 救助 きゅうじょ 活動 かつどう 、消防 しょうぼう 及 およ び水防 すいぼう 活動 かつどう 、NBC汚染 おせん 対処 たいしょ などが想定 そうてい され、また、武力 ぶりょく 攻撃 こうげき 災害 さいがい などの応急 おうきゅう の復旧 ふっきゅう において危険 きけん な瓦礫 がれき の除去 じょきょ 、施設 しせつ などの応急 おうきゅう 復旧 ふっきゅう 、汚染 おせん の除去 じょきょ なども想定 そうてい されている[29] 。
改正 かいせい 自衛隊 じえいたい 法 ほう では、第 だい 75条 じょう において即応 そくおう 予備 よび 自衛 じえい 官 かん 、予備 よび 自衛 じえい 官 かん の国民 こくみん 保護 ほご 等 とう 派遣 はけん が可能 かのう となる[29] 。
国民 こくみん 保護 ほご 等 とう 派遣 はけん における自衛隊 じえいたい の権限 けんげん は、警察官 けいさつかん 職務 しょくむ 執行 しっこう 法 ほう の避難 ひなん 等 とう の措置 そち 、犯罪 はんざい の予防 よぼう 及 およ び制止 せいし 、立入 たちいり 、武器 ぶき の使用 しよう の権限 けんげん を行使 こうし する警察官 けいさつかん 相当 そうとう の権限 けんげん を行使 こうし できる他 ほか 、市町村 しちょうそん 長 ちょう などがその場 ば にいない場合 ばあい に限 かぎ り、自衛 じえい 官 かん は退避 たいひ の指示 しじ 、応急 おうきゅう 公用 こうよう 負担 ふたん 、警戒 けいかい 区域 くいき の設定 せってい 、住民 じゅうみん などに対 たい する協力 きょうりょく 要請 ようせい などの権限 けんげん を行使 こうし することができるとされている[29] 。
なお、国民 こくみん 保護 ほご 等 とう 派遣 はけん が命 めい ぜられた場合 ばあい のほか、防衛 ぼうえい 出動 しゅつどう 又 また は治安 ちあん 出動 しゅつどう が命 めい ぜられた場合 ばあい 、必要 ひつよう があれば自衛隊 じえいたい は国民 こくみん の保護 ほご のための措置 そち をとることができる[29] 。
2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )3月 がつ 15日 にち インド洋 いんどよう 派遣 はけん で、アメリカ海軍 かいぐん のミサイル駆逐 くちく 艦 かん 「ディケーター 」へ燃料 ねんりょう 補給 ほきゅう を行 おこな う海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の補給 ほきゅう 艦 かん 「ときわ 」
2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )4月 がつ 9日 にち 挨拶 あいさつ を交 か わす笑顔 えがお のイラク 少年 しょうねん と戦争 せんそう 後 ご の復興 ふっこう 支援 しえん をする軽 けい 装甲 そうこう 機動 きどう 車 しゃ の隊員 たいいん 1980年代 ねんだい までは、専守防衛 せんしゅぼうえい 論議 ろんぎ とのからみで、部隊 ぶたい の海外 かいがい 派遣 はけん は行 おこな われなかった。冷戦 れいせん 終結 しゅうけつ に伴 ともな う、国際 こくさい 政治 せいじ 環境 かんきょう の変化 へんか を受 う けて、湾岸 わんがん 戦争 せんそう 後 ご の1991年 ねん (平成 へいせい 3年 ねん )のペルシャ湾 ぺるしゃわん への掃海 そうかい 艇 てい 派遣 はけん (自衛隊 じえいたい ペルシャ湾 ぺるしゃわん 派遣 はけん )を皮切 かわき りに、それ以降 いこう PKO協力 きょうりょく 法 ほう に基 もと づくカンボジア や東 ひがし ティモール などへのPKO 業務 ぎょうむ 、国際 こくさい 緊急 きんきゅう 援助 えんじょ 隊 たい 業務 ぎょうむ を行 おこな っている[24] 。
その他 た に、自衛隊 じえいたい はアメリカ同時 どうじ 多発 たはつ テロ事件 じけん を受 う けテロ対策 たいさく 特別 とくべつ 措置 そち 法 ほう によりインド洋 いんどよう 周辺 しゅうへん にて補給 ほきゅう 艦 かん による他国 たこく の艦船 かんせん への燃料 ねんりょう や物資 ぶっし の補給 ほきゅう や輸送 ゆそう 機 き による物資 ぶっし の輸送 ゆそう を行 おこ なっている。インド洋 いんどよう に派遣 はけん する船舶 せんぱく は補給 ほきゅう 艦 かん 2隻 せき および護衛 ごえい 艦 かん 3隻 せき 以内 いない と定 さだ められている。また輸送 ゆそう 機 き においては輸送 ゆそう を行 おこな う航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい の自衛 じえい 官 かん の数 かず に相応 そうおう する数量 すうりょう の拳銃 けんじゅう 等 ひとし の所持 しょじ が認 みと められている。また、イラク戦争 せんそう 後 ご のイラク 復興 ふっこう 援助 えんじょ のために、イラク復興 ふっこう 支援 しえん 特別 とくべつ 措置 そち 法 ほう に基 もと づき、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい や航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の部隊 ぶたい によるイラク派遣 はけん を行 おこな っていた。
2012年度 ねんど (平成 へいせい 24年度 ねんど )から東 ひがし ティモール やカンボジア で、非 ひ 伝統 でんとう 的 てき 安全 あんぜん 保障 ほしょう 分野 ぶんや における派遣 はけん を開始 かいし した。今後 こんご 、東南 とうなん アジア を中心 ちゅうしん に自衛 じえい 官等 かんとう を派遣 はけん する。自衛隊 じえいたい は、2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )の防衛 ぼうえい 計画 けいかく の大綱 たいこう で、海賊 かいぞく への対処 たいしょ や、地雷 じらい ・不発 ふはつ 弾 だん 処理 しょり 、災害 さいがい 対応 たいおう などの能力 のうりょく 構築 こうちく 支援 しえん (キャパシティ・ビルディング)の推進 すいしん を表明 ひょうめい しており[44] 、インドネシア 、ベトナム 、モンゴル でも実施 じっし している[45] 。
不発 ふはつ 弾 だん 処理 しょり に関 かん しては自衛隊 じえいたい 法 ほう 附則 ふそく 第 だい 4項 こう に記載 きさい されている[29] が、防衛 ぼうえい 大臣 だいじん の命令 めいれい で出動 しゅつどう する旨 むね のみが記載 きさい されているだけで、その他 た の細 こま かい規定 きてい はない。出動 しゅつどう 回数 かいすう は災害 さいがい 派遣 はけん より多 おお く、2003年度 ねんど (平成 へいせい 15年度 ねんど )までに113,703回 かい 出動 しゅつどう し、計 けい 5,444tの不発 ふはつ 弾 だん を処理 しょり している。[要 よう 出典 しゅってん ]
自衛隊 じえいたい 音楽 おんがく 祭 さい での広報 こうほう 活動 かつどう 陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 広報 こうほう センター 、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 佐世保 させぼ 史料 しりょう 館 かん 、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 呉 くれ 史料 しりょう 館 かん 、鹿屋 かのや 航空 こうくう 基地 きち 史料 しりょう 館 かん 、浜松 はままつ 広報 こうほう 館 かん など、各地 かくち に広報 こうほう 用 よう 、観光 かんこう 用 よう の施設 しせつ を設 もう けており、各 かく 自衛隊 じえいたい の装備 そうび 品 ひん や、日本 にっぽん 軍 ぐん の兵器 へいき が展示 てんじ され、また歴史 れきし や活動 かつどう の広報 こうほう が行 おこな われている。
他 た 、自衛隊 じえいたい 地方 ちほう 協力 きょうりょく 本部 ほんぶ や各 かく 基地 きち 、駐屯 ちゅうとん 地 ち などは、地方 ちほう 局 きょく のラジオ などでレギュラー番組 ばんぐみ を持 も っており、毎週 まいしゅう 、自衛隊 じえいたい の情報 じょうほう を発信 はっしん している[46] 。これらの番組 ばんぐみ は自衛 じえい 官 かん が出演 しゅつえん しており、好評 こうひょう を得 え て全国 ぜんこく 放送 ほうそう される番組 ばんぐみ もある[47] 。
外交 がいこう 活動 かつどう
いくつかの国 くに の在外 ざいがい 公館 こうかん には、軍事 ぐんじ に関 かん する情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう を担当 たんとう する防衛 ぼうえい 駐 ちゅう 在官 ざいかん を派遣 はけん している。一 いち 佐 さ もしくは将 はた 補 ほ が派遣 はけん され、軍人 ぐんじん と外交 がいこう 官 かん の身分 みぶん を併 あわ せ持 も ち、軍事 ぐんじ 分野 ぶんや における各国 かっこく の交流 こうりゅう の促進 そくしん と、軍事 ぐんじ 情報 じょうほう の合法 ごうほう 的 てき な収集 しゅうしゅう を実施 じっし する。彼 かれ らが得 え た情報 じょうほう は、外務省 がいむしょう と防衛 ぼうえい 省 しょう が共有 きょうゆう し、活用 かつよう する。
特殊 とくしゅ な事件 じけん への協力 きょうりょく
警察 けいさつ や消防 しょうぼう 、民間 みんかん の医療 いりょう 機関 きかん では対処 たいしょ が難 むずか しい事件 じけん の協力 きょうりょく 。地下鉄 ちかてつ サリン事件 じけん や福島 ふくしま 第 だい 一 いち 原子力 げんしりょく 発電 はつでん 所 しょ 事故 じこ での物質 ぶっしつ 特定 とくてい 、除染 じょせん 作業 さぎょう 、患者 かんじゃ の治療 ちりょう などが挙 あ げられる。また、警察 けいさつ や消防 しょうぼう に対 たい して、対 たい テロ 訓練 くんれん の教育 きょういく ・指導 しどう をしている[48] 。
救助 きゅうじょ 活動 かつどう
登山 とざん 客 きゃく が山 やま で遭難 そうなん したり、海水浴 かいすいよく 客 きゃく や漁民 ぎょみん が海 うみ で遭難 そうなん した時 とき 、消防 しょうぼう や警察 けいさつ 、海上保安庁 かいじょうほあんちょう と共 とも に出動 しゅつどう して救助 きゅうじょ 活動 かつどう に加 くわ わることがある。
急患 きゅうかん 輸送 ゆそう
離島 りとう や山間 さんかん 部 ぶ 、海上 かいじょう の船舶 せんぱく などで急患 きゅうかん が発生 はっせい し、病院 びょういん への輸送 ゆそう 手段 しゅだん がない場合 ばあい 、自衛隊 じえいたい が患者 かんじゃ を輸送 ゆそう することがある。
皇族 こうぞく 、政治 せいじ 家 か など要人 ようじん の輸送 ゆそう
政府 せいふ 専用 せんよう 機 き の運用 うんよう 。詳細 しょうさい は日本国 にっぽんこく 政府 せいふ 専用 せんよう 機 き 及 およ び特別 とくべつ 航空 こうくう 輸送 ゆそう 隊 たい を参照 さんしょう 。
イベントの支援 しえん
さっぽろ雪 ゆき まつり での雪 ゆき 像 ぞう 製作 せいさく やオリンピック 、国民 こくみん 体育 たいいく 大会 たいかい などの協力 きょうりょく 。オリンピック支援 しえん 集団 しゅうだん など参照 さんしょう 。大 だい 規模 きぼ なイベント以外 いがい でも、各地 かくち の祭 まつ りなどに積極 せっきょく 的 てき に協力 きょうりょく しており、音楽 おんがく 隊 たい や、隊員 たいいん のパレードなどでイベントを盛 も り上 あ げる[49] 。
学術 がくじゅつ 分野 ぶんや への協力 きょうりょく
砕氷 さいひょう 艦 かん (南極 なんきょく 観測 かんそく 船 せん )「しらせ 」の運用 うんよう や、南極 なんきょく 地域 ちいき への隊員 たいいん の派遣 はけん など、南極 なんきょく 観測 かんそく への協力 きょうりょく 。
土木 どぼく 工事 こうじ の受託 じゅたく
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の施設 しせつ 科 か などを中心 ちゅうしん に、土木 どぼく 工事 こうじ 等 とう の受託 じゅたく を行 おこな う。
スポーツへの協力 きょうりょく
開幕 かいまく 式 しき での国歌 こっか 君 きみ が代 よ 演奏 えんそう [50] や、戦闘 せんとう 機 き を使 つか っての展示 てんじ 飛行 ひこう [51] などのイベントを実施 じっし する。また、自衛隊 じえいたい 独自 どくじ にチームを結成 けっせい し、社会 しゃかい 人 じん リーグや各地 かくち の試合 しあい に出場 しゅつじょう するなどの活動 かつどう を行 おこ なっている[52] 。
自衛隊 じえいたい 体育 たいいく 学校 がっこう では、「特別 とくべつ 体育 たいいく 課程 かてい 」があり、隊員 たいいん の中 なか でも特 とく に資質 ししつ に優 すぐ れた者 もの を選 えら んでオリンピック 選手 せんしゅ 要員 よういん として養成 ようせい している。円谷 つぶらや 幸吉 こうきち などを始 はじ め、自衛 じえい 官 かん のメダリストも多数 たすう 輩出 はいしゅつ している。
また、日本 にっぽん では銃 じゅう 規制 きせい が厳 きび しく、特 とく に拳銃 けんじゅう は民間 みんかん 人 じん が所持 しょじ するのはほぼ不可能 ふかのう なので、拳銃 けんじゅう による射撃 しゃげき が含 ふく まれる競技 きょうぎ の選手 せんしゅ は、ほとんどが自衛 じえい 官 かん か警察官 けいさつかん である。また、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 朝霞駐屯地 あさかちゅうとんち のように、射撃 しゃげき 競技 きょうぎ の試合 しあい 会場 かいじょう として駐屯 ちゅうとん 地 ち 内 ない の射撃 しゃげき 場 じょう を貸 か し出 だ す場合 ばあい もある[53] 。
メディアへの協力 きょうりょく
映画 えいが やゲーム 、アニメ などで協賛 きょうさん することがある。特 とく に、作中 さくちゅう で戦車 せんしゃ や軍艦 ぐんかん 、戦闘 せんとう 機 き などが登場 とうじょう する場合 ばあい 、これら兵器 へいき の動 うご いているシーンを撮影 さつえい したり、動作 どうさ 音 おん を録音 ろくおん するためには自衛隊 じえいたい の協力 きょうりょく が不可欠 ふかけつ な場合 ばあい が多 おお い。単 たん に撮影 さつえい に協力 きょうりょく する以外 いがい にも、作中 さくちゅう の軍事 ぐんじ 的 てき 知識 ちしき のアドバイスを行 おこな う場合 ばあい もある。
他国 たこく の軍隊 ぐんたい との防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう を図 はか り、防衛 ぼうえい 省 しょう 高官 こうかん の訪問 ほうもん 、世界 せかい 各国 かっこく 国防省 こくぼうしょう 高官 こうかん の招待 しょうたい などを繰 く り返 かえ している。また、自衛 じえい 官 かん と外交 がいこう 官 かん の身分 みぶん を併有 へいゆう し、駐在 ちゅうざい 武官 ぶかん に相当 そうとう する防衛 ぼうえい 駐 ちゅう 在官 ざいかん を関係 かんけい の深 ふか い主要 しゅよう 国 こく に派遣 はけん している。海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の初任 しょにん 幹部 かんぶ を乗 の せた練習 れんしゅう 艦隊 かんたい の派遣 はけん もこれに貢献 こうけん している。
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )3月 がつ 26日 にち 東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい (東北 とうほく 地方 ちほう 太平洋 たいへいよう 沖 おき 地震 じしん )における自衛隊 じえいたい の災害 さいがい 派遣 はけん 活動 かつどう と在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん のトモダチ作戦 さくせん における陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい とアメリカ陸軍 りくぐん ・アメリカ の協力 きょうりょく 。
1997年 ねん (平成 へいせい 9年 ねん )日米 にちべい 両 りょう 政府 せいふ により締結 ていけつ された「SACO合意 ごうい 」(Special Action Committee on Okinawa 、沖縄 おきなわ に関 かん する特別 とくべつ 行動 こうどう 委員 いいん 会 かい )により、日本 にっぽん の国防 こくぼう については日本 にっぽん が主 おも に対処 たいしょ し、米 べい 軍 ぐん は補助 ほじょ であるという原則 げんそく が、文書 ぶんしょ の上 うえ で確認 かくにん された。
連携 れんけい を保 たも つための共同 きょうどう 演習 えんしゅう では、戦闘 せんとう のほか「日米 にちべい 防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく の指針 ししん (ガイドライン)」に基 もと づく非 ひ 戦闘 せんとう 員 いん の救出 きゅうしゅつ ・輸送 ゆそう 訓練 くんれん など、多様 たよう な形態 けいたい の演習 えんしゅう を定期 ていき 的 てき に実施 じっし している[60] 。在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は、約 やく 5万 まん 人 にん である。
在 ざい 日米 にちべい 軍 ぐん は条約 じょうやく に従 したが い日本 にっぽん の領土 りょうど 内 ない に駐留 ちゅうりゅう する唯一 ゆいいつ の外国 がいこく の軍隊 ぐんたい であるが、日米地位協定 にちべいちいきょうてい の第 だい 二 に 条 じょう 第 だい 四 よん 項 こう (b)に基 もと づき、日米 にちべい 合同 ごうどう 委員 いいん 会 かい での合意 ごうい のもと在日 ざいにち 米 まい 軍 ぐん が自衛隊 じえいたい 基地 きち を利用 りよう することが広 ひろ く行 おこな われている[61] [62] [63] 。またエリア567 のように、自衛隊 じえいたい の訓練 くんれん 空域 くういき を米 べい 軍 ぐん が使 つか う例 れい もある。
日本 にっぽん とオーストラリア は、双方 そうほう ともアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく と極 きわ めて緊密 きんみつ な軍事 ぐんじ 関係 かんけい を構築 こうちく しており、その関係 かんけい から防衛 ぼうえい 首脳 しゅのう の会談 かいだん も他国 たこく と比 くら べて頻繁 ひんぱん に行 おこな われている。自衛隊 じえいたい がイラクに派遣 はけん されたときには、サマーワ でオーストラリア軍 ぐん と共 とも に復興 ふっこう 活動 かつどう に従事 じゅうじ した。
オーストラリア軍 ぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は、約 やく 9万 まん 人 にん である。
2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )9月 がつ 、日本国 にっぽんこく 防衛庁 ぼうえいちょう とオーストラリア国防省 こくぼうしょう との間 あいだ の防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう の発展 はってん に関 かん する覚書 おぼえがき に署名 しょめい 。
2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )2月 がつ 15日 にち には、外務 がいむ ・防衛 ぼうえい 当局 とうきょく の審議 しんぎ 官 かん 級 きゅう 協議 きょうぎ が行 おこな われ、自衛隊 じえいたい とオーストラリア国防 こくぼう 軍 ぐん の共同 きょうどう 演習 えんしゅう などを今後 こんご 行 おこな うという方針 ほうしん を確認 かくにん した。同年 どうねん 3月 がつ には、ジョン・ハワード オーストラリア首相 しゅしょう が来日 らいにち し、安倍晋三 あべしんぞう 首相 しゅしょう と「安全 あんぜん 保障 ほしょう 協力 きょうりょく に関 かん する日 にち 豪 ごう 共同 きょうどう 宣言 せんげん (日 にち 豪 ごう 安保 あんぽ 共同 きょうどう 宣言 せんげん )」に署名 しょめい 、PKO の共同 きょうどう 訓練 くんれん 、核 かく ・ミサイル など大量 たいりょう 破壊 はかい 兵器 へいき 遮断 しゃだん とテロ 対策 たいさく 、国境 こっきょう を越 こ えた犯罪 はんざい 予防 よぼう 協力 きょうりょく など9項目 こうもく での協力 きょうりょく が成立 せいりつ した。
両国 りょうこく の外交 がいこう ・防衛 ぼうえい 閣僚 かくりょう による定期 ていき 協議 きょうぎ (2プラス2)の実施 じっし も盛 も り込 こ まれ、これにより日本 にっぽん にとってオーストラリアは米国 べいこく に次 つ いで2番目 ばんめ の安保 あんぽ 分野 ぶんや の協力 きょうりょく 国 こく となった。
2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )12月、日本国 にっぽんこく 防衛庁 ぼうえいちょう とオーストラリア国防省 こくぼうしょう との間 あいだ の防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう の発展 はってん に関 かん する覚書 おぼえがき を改定 かいてい 。
2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )5月19日 にち には、両国 りょうこく は「物品 ぶっぴん 役務 えきむ 相互 そうご 提供 ていきょう 協定 きょうてい (ACSA)」に署名 しょめい した。日本 にっぽん がACSAを結 むす ぶのは、アメリカに続 つづ き2か国 こく 目 め である[65] [66] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )2月 がつ 11日 にち - 24日 にち 、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい は、アメリカ空軍 くうぐん 、オーストラリア空軍 くうぐん と初 はつ の3者 しゃ 共同 きょうどう 訓練 くんれん をアメリカ領 りょう アンダーセン空軍 くうぐん 基地 きち で実施 じっし した。規模 きぼ は空自 くうじ 約 やく 330人 にん 、アメリカ空軍 くうぐん は約 やく 400人 にん 、オーストラリア空軍 くうぐん は約 やく 300人 にん である[67] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )6月 がつ 4日 にち - 5日 にち に日 にち 豪 ごう 共同 きょうどう 訓練 くんれん 、6月6日 にち - 6月8日 にち に日 にち 米 べい 豪 ごう 共同 きょうどう 訓練 くんれん を実施 じっし した。九州 きゅうしゅう 南東 なんとう 方 かた 海域 かいいき で海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい からは護衛 ごえい 艦 かん ・潜水 せんすい 艦 かん 1隻 せき 、航空機 こうくうき 1機 き 。アメリカ海軍 かいぐん はミサイル駆逐 くちく 艦 かん ・原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 1隻 せき 、航空機 こうくうき 1機 き 、オーストラリア海軍 かいぐん は駆逐 くちく 艦 かん 「バララット」、オーストラリア空軍 くうぐん の航空機 こうくうき 1機 き が参加 さんか した。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )5月 がつ 、玄葉 げんば 光一郎 こういちろう 外相 がいしょう とオーストラリアのカー外相 がいしょう が外務省 がいむしょう 飯倉 いいくら 公館 こうかん で会談 かいだん 、情報 じょうほう 保護 ほご 協定 きょうてい を締結 ていけつ した。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )8月 がつ 31日 にち 、南 みなみ スーダン の国連 こくれん 平和 へいわ 維持 いじ 活動 かつどう (PKO)に派遣 はけん している陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の現地 げんち 支援 しえん 調整 ちょうせい 所 しょ に日 にち 豪 ごう 防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく の一環 いっかん で、オーストラリア軍 ぐん の要員 よういん 2人 にん を受 う け入 い れた。オーストラリア軍 ぐん との情報 じょうほう 共有 きょうゆう を進 すす め、現地 げんち 支援 しえん 調整 ちょうせい 所 しょ が担 にな う国連 こくれん やNGOとの連絡 れんらく 調整 ちょうせい の効率 こうりつ 化 か を図 はか る。
2015年 ねん (平成 へいせい 27年 ねん )7月 がつ 、米 べい 豪 ごう 合同 ごうどう 軍事 ぐんじ 演習 えんしゅう 「タリスマン・セーバー」に自衛隊 じえいたい が初 はじ めて参加 さんか し、日 にち 米 べい 豪 ごう で上陸 じょうりく 訓練 くんれん を行 おこな った[68] 。
2022年 ねん (令 れい 和 わ 4年 ねん )1月 がつ 、共同 きょうどう 訓練 くんれん を行 おこな う際 さい などの対応 たいおう をあらかじめ取 と り決 き めておく「日 にち ・豪 ごう 円滑 えんかつ 化 か 協定 きょうてい (英語 えいご 版 ばん ) 」に署名 しょめい 、自衛隊 じえいたい とオーストラリア軍 ぐん が円滑 えんかつ に活動 かつどう できることになる[69] 。
海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の前身 ぜんしん 組織 そしき である大日本帝国 だいにっぽんていこく 海軍 かいぐん は設立 せつりつ 時 じ にイギリス海軍 かいぐん の教官 きょうかん が指導 しどう にあたっており、現代 げんだい でも海軍 かいぐん カレー などの文化 ぶんか が海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい に受 う け継 つ がれている。
2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )10月 がつ 31日 にち 、一川 いちかわ 保夫 やすお 防衛 ぼうえい 相 しょう はフィリップ・ハモンド 英 えい 国防 こくぼう 相 しょう と会談 かいだん し、2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )1月 がつ に署名 しょめい した旧 きゅう 覚書 おぼえがき を発展 はってん させた、両国 りょうこく の防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく についての新 あら たな覚書 おぼえがき の策定 さくてい 作業 さぎょう を開始 かいし することで合意 ごうい した[70] 。
F-35 に敗 やぶ れはしたが、イギリスは航空 こうくう 自衛隊 じえいたい の第 だい 4次 じ F-X計画 けいかく に、ユーロファイター を日本 にっぽん に積極 せっきょく 的 てき に売 う り込 こ んできた。このF-Xでの積極 せっきょく 的 てき な売 う り込 こ みの結果 けっか 、日本 にっぽん とイギリスの間 あいだ に国防 こくぼう 関係 かんけい の交流 こうりゅう が発生 はっせい した。2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )12月の武器 ぶき 輸出 ゆしゅつ 三 さん 原則 げんそく 緩和 かんわ を受 う けて、2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )4月 がつ 10日 とおか 、野田 のだ 佳彦 よしひこ 首相 しゅしょう はイギリスのデーヴィッド・キャメロン 首相 しゅしょう と首脳 しゅのう 会談 かいだん を行 おこな い、防衛 ぼうえい 装備 そうび 品 ひん の共同 きょうどう 開発 かいはつ ・生産 せいさん を早期 そうき に開始 かいし することで合意 ごうい した[71] 。2013年 ねん 3月 がつ 、テロへの対処 たいしょ 能力 のうりょく を向上 こうじょう させるため「化学 かがく 防護 ぼうご 服 ふく 」を共同 きょうどう 開発 かいはつ する方針 ほうしん で調整 ちょうせい していることが判明 はんめい している[72] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )6月 がつ 、「日 にち 英 えい 防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく 覚書 おぼえがき 」を取 と り交 か わす。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )7月 がつ 7日 にち 、イギリスのフェアフォード王立 おうりつ 空軍 くうぐん 基地 きち (RAF Fairford)で開催 かいさい されるロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥー(RIAT)に、初 はじ めて航空 こうくう 自衛隊 じえいたい のKC-767J が参加 さんか した。
2015年 ねん (平成 へいせい 27年 ねん )7月 がつ 14日 にち 、イギリスのフェアフォード王立 おうりつ 空軍 くうぐん 基地 きち でのロイヤル・インターナショナル・エア・タトゥーに海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい のP-1 が2機 き 参加 さんか した。
2017年 ねん (平成 へいせい 29年 ねん )1月 がつ 26日 にち 、ロンドン において両国 りょうこく は「物品 ぶっぴん 役務 えきむ 相互 そうご 提供 ていきょう 協定 きょうてい (ACSA)」に署名 しょめい し、8月 がつ 18日 にち に外交 がいこう 上 じょう の公文 こうぶん を交換 こうかん し発効 はっこう した[73] 。日本 にっぽん がACSAを結 むす ぶのは、アメリカ、オーストラリアに続 つづ き3か国 こく 目 め である。
2018年 ねん 9月 がつ 30日 にち から10月 がつ 12日 にち まで、陸自 りくじ の約 やく 60人 にん と英 えい 陸軍 りくぐん の約 やく 50人 にん が参加 さんか して富士 ふじ 学校 がっこう や北 きた 富士 ふじ 演習 えんしゅう 場 じょう など3カ所 かしょ で行 おこな われる、陸自 りくじ が国内 こくない で米 べい 軍 ぐん 以外 いがい と2国 こく 間 あいだ 訓練 くんれん を行 おこな うのは初 はじ めてだという[74] [75] [76] 。
2021年 ねん 9月 がつ 8日 にち 、イギリス海軍 かいぐん 空母 くうぼ クイーンエリザベス が、横須賀 よこすか に初 はつ 寄港 きこう 。
2023年 ねん 1月 がつ 11日 にち 、ロンドンにおいて円滑 えんかつ 化 か 協定 きょうてい に署名 しょめい [77] 。オーストラリアに続 つづ き2か国 こく 目 め 。
インド海軍 かいぐん 艦艇 かんてい の初 はつ 訪日 ほうにち は1969年 ねん (昭和 しょうわ 44年 ねん )。また、2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )4月 がつ 16日 にち には、日米 にちべい 印 しるし 3ヶ国 かこく 間 あいだ 訓練 くんれん が初 はじ めて実施 じっし された。房総 ぼうそう 南方 みなかた 海域 かいいき で行 おこな われ、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい からは第 だい 1護衛 ごえい 隊 たい 群 ぐん 司令 しれい の指揮 しき する護衛 ごえい 艦 かん 4隻 せき 、米 べい 海軍 かいぐん からは第 だい 5空母 くうぼ 打撃 だげき 群 ぐん 司令 しれい の指揮 しき する駆逐 くちく 艦 かん 2隻 せき 、インド海軍 かいぐん からは東部 とうぶ 方面 ほうめん 艦隊 かんたい 司令 しれい 官 かん であるR・K・ドワン海軍 かいぐん 少将 しょうしょう の指揮 しき する駆逐 くちく 艦 かん 「マイソール」とミサイルコルベット艦 かん 「クタール」、補給 ほきゅう 艦 かん 「ジョティ 」が参加 さんか し、通信 つうしん 訓練 くんれん 、近接 きんせつ 運動 うんどう 、戦術 せんじゅつ 運動 うんどう 等 とう が行 おこな われた。
2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )3月 がつ 、国連 こくれん 平和 へいわ 維持 いじ 活動 かつどう の国際 こくさい 連合 れんごう 兵力 へいりょく 引 ひ き離 はな し監視 かんし 軍 ぐん の派遣 はけん (自衛隊 じえいたい ゴラン高原 ごらんこうげん 派遣 はけん )で、ゴラン高原 ごらんこうげん で同 どう 一 いち 宿営 しゅくえい 地 ち に住居 じゅうきょ し、給食 きゅうしょく 業務 ぎょうむ 等 とう を共同 きょうどう で行 おこ なっている。
2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )10月 がつ には、両国 りょうこく 首脳 しゅのう が日 にち 印 いん 安全 あんぜん 保障 ほしょう 協力 きょうりょく 共同 きょうどう 宣言 せんげん に署名 しょめい し、日本 にっぽん にとって、インドはアメリカ、オーストラリアに次 つ いで、安全 あんぜん 保障 ほしょう 分野 ぶんや で正式 せいしき な協力 きょうりょく 関係 かんけい を結 むす んだ3番目 ばんめ の国 くに となった[78] 。
また、インド は国防 こくぼう の充実 じゅうじつ を図 はか るため、これまで武器 ぶき の輸出 ゆしゅつ を事実 じじつ 上 じょう 禁止 きんし してきた武器 ぶき 輸出 ゆしゅつ 三 さん 原則 げんそく の緩和 かんわ を睨 にら み、防衛 ぼうえい 関連 かんれん 技術 ぎじゅつ に関 かん する協力 きょうりょく 強化 きょうか を求 もと める方針 ほうしん を示唆 しさ している[79] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )には、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい とインド海軍 かいぐん による2国 こく 間 あいだ 演習 えんしゅう を実施 じっし することを決 き めた。中国 ちゅうごく への対抗 たいこう を目的 もくてき としている[80] 。
日本 にっぽん とインドの交流 こうりゅう は、2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )3月 がつ に森 もり 陸 りく 幕 まく 長 ちょう がインドに訪問 ほうもん 、2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )4月 がつ にシン陸軍 りくぐん 参謀 さんぼう 長 ちょう 、2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )8月 がつ にカプール陸軍 りくぐん 参謀 さんぼう 長 ちょう が来日 らいにち 、2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )2月 がつ には火 ひ 箱 ばこ 陸 りく 幕 まく 長 ちょう がインドを訪問 ほうもん した。2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )8月 がつ にはインド陸軍 りくぐん の准 じゅん 将 はた 以下 いか 4人 にん が富士 ふじ 総合 そうごう 火力 かりょく 演習 えんしゅう を研修 けんしゅう し、2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )1月 がつ には富士 ふじ 学校 がっこう の陸自 りくじ 幹部 かんぶ がインドのトプチ火力 かりょく 演習 えんしゅう を研修 けんしゅう している。日本 にっぽん はインドに防衛 ぼうえい 駐 ちゅう 在官 ざいかん を置 お き、インド防 ぼう 軍 ぐん 幕僚 ばくりょう 大学 だいがく に留学生 りゅうがくせい を送 おく っているほか、インド陸軍 りくぐん も陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 幹部 かんぶ 学校 がっこう の指揮 しき 幕僚 ばくりょう 課程 かてい (CGS)多国 たこく 間 あいだ セミナーなどに参加 さんか している。また、ゴラン高原 ごらんこうげん の国連 こくれん 兵力 へいりょく 引 ひ き離 はな し監視 かんし 隊 たい (UNDOF)に派遣 はけん されている陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい ゴラン高原 ごらんこうげん 輸送 ゆそう 隊 たい は、現地 げんち でインド陸軍 りくぐん とともに後方 こうほう 任務 にんむ に当 あ たっている。
2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )には、インドの防衛 ぼうえい 駐 ちゅう 在官 ざいかん を陸海空 りくかいくう の3人 にん に強化 きょうか する方針 ほうしん を決 き めた。3人 にん 体制 たいせい は米 べい 中 なか 韓 かん ロ に続 つづ く5カ国 かこく 目 め であり、近隣 きんりん 諸国 しょこく や同盟 どうめい 国 こく 以外 いがい では初 はじ めてとなる[81] 。
2020年 ねん (平成 へいせい 2年 ねん )9月 がつ 9日 にち 、ニューデリーにおいて両国 りょうこく は「物品 ぶっぴん 役務 えきむ 相互 そうご 提供 ていきょう 協定 きょうてい (ACSA)」に署名 しょめい し、2021年 ねん 6月 がつ 11日 にち に外交 がいこう 上 じょう の公文 こうぶん を交換 こうかん し7月 がつ 11日 にち 発効 はっこう した[82] 。日本 にっぽん がACSAを結 むす ぶのは、アメリカ、オーストラリア、イギリス、フランス、カナダに続 つづ き6か国 こく 目 め である。
日本 にっぽん とドイツ は、2024年 ねん (令 れい 和 わ 6年 ねん )1月 がつ 、日 にち ・独 どく 物品 ぶっぴん 役務 えきむ 相互 そうご 提供 ていきょう 協定 きょうてい (日 にち 独 どく ACSA)への署名 しょめい を実施 じっし した[83] 。
日本 にっぽん とフィリピン は、2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )6月 がつ に日比 ひび 防衛 ぼうえい 首脳 しゅのう 会談 かいだん を行 おこな うなど、定期 ていき 的 てき に防衛 ぼうえい 首脳 しゅのう 、次官 じかん 級 きゅう の交流 こうりゅう を行 おこ なっている[84] 。2012年 ねん 3月 がつ から4月 がつ にかけて行 おこな われるアメリカとフィリピンの合同 ごうどう 演習 えんしゅう に自衛隊 じえいたい が参加 さんか することが決定 けってい した[85] 。また、フィリピン軍 ぐん の基地 きち や訓練 くんれん 施設 しせつ を、自衛隊 じえいたい が共同 きょうどう 使用 しよう することも検討 けんとう されている[86] 。
2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )には、フィリピンを襲 おそ った台風 たいふう ヨランダ の甚大 じんだい な被害 ひがい を救援 きゅうえん するため、フィリピン政府 せいふ に要請 ようせい に基 もと づき、過去 かこ 最大 さいだい の1180人 にん からなる海外 かいがい 派遣 はけん が行 おこな われた[87] 。
2016年 ねん (平成 へいせい 28年 ねん )5月 がつ 、日本 にっぽん から最大 さいだい 5機 き のTC-90 をフィリピン海軍 かいぐん へ有償 ゆうしょう 貸与 たいよ する事 こと が両国 りょうこく 間 あいだ で合意 ごうい した。自衛隊 じえいたい 装備 そうび の他国 たこく 供与 きょうよ 第 だい 一 いち 号 ごう となる。南シナ海 みなみしなかい での監視 かんし 能力 のうりょく 強化 きょうか を図 はか りたいフィリピンはP-3C 対 たい 潜 せん 哨戒 しょうかい 機 き を希望 きぼう していたが、高度 こうど な運用 うんよう 能力 のうりょく を要 よう するP-3Cに代 か わり、より扱 あつか い易 やす いTC-90の移転 いてん が前年 ぜんねん から検討 けんとう されていた[88] 。
専用 せんよう の哨戒 しょうかい 装備 そうび を持 も たないTC-90であっても、フィリピン海軍 かいぐん 現有 げんゆう のBN-2 に比 くら べて大幅 おおはば な能力 のうりょく 向上 こうじょう が見込 みこ める。
防衛 ぼうえい 省 しょう においては、人道 じんどう 支援 しえん ・災害 さいがい 救援 きゅうえん での能力 のうりょく 向上 こうじょう を挙 あ げている[89] 。
2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )10月 がつ 24日 にち 、ベトナム のフン・クアン・タイン 国防 こくぼう 相 しょう が来日 らいにち し、防衛 ぼうえい 省 しょう で「日 にち 越 えつ 防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく ・交流 こうりゅう に関 かん する覚書 おぼえがき 」を交 か わし、海上 かいじょう 安保 あんぽ における協力 きょうりょく 関係 かんけい を確認 かくにん した[90] 。防衛大学校 ぼうえいだいがくこう ではベトナム軍 ぐん 少尉 しょうい 候補 こうほ 生 せい の交換 こうかん 留学 りゅうがく の受 う け入 い れを継続 けいぞく 的 てき に行 い っている。
2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )5月 がつ には、外 そと 薗 その 健一朗 けんいちろう 航空 こうくう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう がフランス を訪問 ほうもん し、同年 どうねん 9月 がつ にはピエール・フランソワ・フォリシェフランス海軍 かいぐん 参謀 さんぼう 長 ちょう が来日 らいにち するなど、日本 にっぽん とフランスは友好 ゆうこう 的 てき な交流 こうりゅう を続 つづ けている[91] 。
2011年 ねん (平成 へいせい 23年 ねん )10月 がつ に、「日 にち 仏 ふつ 情報 じょうほう 保護 ほご 協定 きょうてい 」を締結 ていけつ した。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )2月 がつ 22日 にち には、ヴァンデミエール が佐世保 させぼ 港 こう へ入港 にゅうこう [92] 。2月27日 にち 、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい およびアメリカ海軍 かいぐん と共同 きょうどう 訓練 くんれん をおこなった[93] 。また、武器 ぶき 輸出 ゆしゅつ 三 さん 原則 げんそく 緩和 かんわ を受 う けて、武器 ぶき や防衛 ぼうえい 装備 そうび 品 ひん の共同 きょうどう 開発 かいはつ ・生産 せいさん を進 すす める方向 ほうこう で調整 ちょうせい されている[94] 。
2017年 ねん (平成 へいせい 29年 ねん )6月 がつ 19日 にち 、 パリ航空 こうくう ショーにP-1哨戒 しょうかい 機 き 1機 き が地上 ちじょう 展示 てんじ された。
2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )7月 がつ 13日 にち パリにおいて両国 りょうこく は「物品 ぶっぴん 役務 えきむ 相互 そうご 提供 ていきょう 協定 きょうてい (ACSA)」に署名 しょめい し、2019年 ねん 5月 がつ 27日 にち に外交 がいこう 上 じょう の公文 こうぶん の交換 こうかん を完了 かんりょう 、6月26日 にち 発効 はっこう した[95] 。日本 にっぽん がACSAを結 むす ぶのは、アメリカ、オーストラリア、イギリスに続 つづ き4か国 こく 目 め である。
2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )11月、カナダ と「日 にち 加 か 政治 せいじ ・平和 へいわ 安保 あんぽ 共同 きょうどう 宣言 せんげん 」を発表 はっぴょう 。
2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )4月 がつ 21日 にち トロントにおいて両国 りょうこく は「物品 ぶっぴん 役務 えきむ 相互 そうご 提供 ていきょう 協定 きょうてい (ACSA)」に署名 しょめい し、2019年 ねん 6月 がつ 18日 にち に外交 がいこう 上 じょう の公文 こうぶん を交換 こうかん 、7月 がつ 18日 にち 発効 はっこう した[96] 。日本 にっぽん がACSAを結 むす ぶのは、アメリカ、オーストラリア、イギリス、フランスに続 つづ き5か国 こく 目 め である。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )6月 がつ 、イタリア と「日 にち 伊 い 防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう ・協力 きょうりょく の意図 いと 表明 ひょうめい 文書 ぶんしょ 」に署名 しょめい した。
2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )12月、シンガポール は日本 にっぽん にとって東南 とうなん アジア で最初 さいしょ の防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく ・交流 こうりゅう の覚書 おぼえがき を締結 ていけつ した国 くに である。拡大 かくだい ASEAN 国防 こくぼう 相 しょう 会議 かいぎ で防衛 ぼうえい 医学 いがく 分野 ぶんや の専門 せんもん 家 か 会合 かいごう の共催 きょうさい 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )1月 がつ 、「日 にち モンゴル防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく ・交流 こうりゅう の覚書 おぼえがき 」を署名 しょめい した。また、モンゴル が主催 しゅさい したPKO多国 たこく 間 あいだ 訓練 くんれん 「カーン・クエスト」に自衛隊 じえいたい が参加 さんか している[97] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )4月 がつ 、バーレーン と「日 にち バーレーン防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう に関 かん する覚書 おぼえがき 」を署名 しょめい した。
2024年 ねん (令 れい 和 わ 6年 ねん )2月 がつ 、ケニア と「日 にち ケニア防衛 ぼうえい 協力 きょうりょく ・交流 こうりゅう に関 かん する意図 いと 表明 ひょうめい 文書 ぶんしょ 」を署名 しょめい した[98] 。
2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )6月 がつ に北大西洋 きたたいせいよう 条約 じょうやく 機構 きこう (NATO)と「日 にち ・NATO情報 じょうほう 保護 ほご 協定 きょうてい 」を締結 ていけつ している[99] 。
アフリカ ・ジブチ には自衛隊 じえいたい 初 はつ の海外 かいがい 活動 かつどう 拠点 きょてん がある。ジブチ国際 こくさい 空港 くうこう の北側 きたがわ の土地 とち 約 やく 12ヘクタールを借 か り上 あ げて、司令 しれい 部 ぶ 庁舎 ちょうしゃ ・隊舎 たいしゃ ・P3C哨戒 しょうかい 機 き の整備 せいび 用 よう 格納庫 かくのうこ ・体育館 たいいくかん などがある。
2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )11月6日 にち 漢 かん 級 きゅう 原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 領海 りょうかい 侵犯 しんぱん 事件 じけん では、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい のP-3C哨戒 しょうかい 機 き が海上 かいじょう 警備 けいび 行動 こうどう に基 もと づき、アクティブソノブイなどを投下 とうか して中国 ちゅうごく の潜水 せんすい 艦 かん を追跡 ついせき した。 この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
日本 にっぽん 政府 せいふ は尖閣諸島 せんかくしょとう は日本 にっぽん 固有 こゆう の領土 りょうど であり、領有 りょうゆう 権 けん 問題 もんだい は存在 そんざい しないとしているが、1971年 ねん (昭和 しょうわ 46年 ねん )に地下 ちか 資源 しげん 埋蔵 まいぞう の可能 かのう 性 せい が確認 かくにん されて以降 いこう 、中国 ちゅうごく 政府 せいふ は尖閣諸島 せんかくしょとう の領有 りょうゆう 権 けん を主張 しゅちょう し、日本 にっぽん が沖ノ鳥島 おきのとりしま に排他 はいた 的 てき 経済 けいざい 水域 すいいき を設定 せってい していることに異議 いぎ を唱 とな えている。吉林 きつりん 省 しょう と新疆 しんきょう ウイグル自治 じち 区 く はミサイル基地 きち が存在 そんざい し、通常 つうじょう 弾頭 だんとう 、核弾頭 かくだんとう 双方 そうほう の中距離 ちゅうきょり 弾道 だんどう ミサイル約 やく 25基 き の照準 しょうじゅん を日本 にっぽん の主要 しゅよう 都市 とし や在 ざい 沖縄 おきなわ 米 べい 軍 ぐん 基地 きち へ向 む けている可能 かのう 性 せい が指摘 してき されており[100] 、アメリカ海軍 かいぐん の空母 くうぼ 機動 きどう 部隊 ぶたい の軍事 ぐんじ プレゼンスを排除 はいじょ する目的 もくてき で、対 たい 艦 かん 弾道 だんどう ミサイル の能力 のうりょく 向上 こうじょう と配備 はいび を推進 すいしん している。また、日本 にっぽん 領海 りょうかい 内 ない を潜水 せんすい 航行 こうこう する原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん を海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい が追跡 ついせき した漢 かん 級 きゅう 原子力 げんしりょく 潜水 せんすい 艦 かん 領海 りょうかい 侵犯 しんぱん 事件 じけん の事例 じれい がある。中国 ちゅうごく 人民 じんみん 解放 かいほう 軍 ぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は約 やく 230万 まん 人 にん である。
2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )11月、中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん のミサイル駆逐 くちく 艦 かん 「深 ふか 圳 」が中国 ちゅうごく 艦艇 かんてい では戦後 せんご 初 はじ めて日本 にっぽん に親善 しんぜん 入港 にゅうこう した[101] 。
2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )に発生 はっせい した四川 しせん 大 だい 地震 じしん では海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の護衛 ごえい 艦 かん が海南 かいなん 島 とう に援助 えんじょ 物資 ぶっし を緊急 きんきゅう 輸送 ゆそう した。
2009年 ねん (平成 へいせい 21年 ねん )11月、中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん の練習 れんしゅう 艦 かん 「鄭 てい 和 かず 」が江田島 えたじま と呉 ご に入港 にゅうこう した[102] 。
2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )4月 がつ 、東シナ海 ひがししなかい で中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん の軍事 ぐんじ 訓練 くんれん を監視 かんし 中 ちゅう の護衛 ごえい 艦 かん あさゆき に中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん の哨戒 しょうかい ヘリが異常 いじょう 接近 せっきん する威嚇 いかく 行為 こうい 事件 じけん が発生 はっせい した。
2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )1月 がつ 、東シナ海 ひがししなかい で中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん フリゲートが護衛 ごえい 艦 かん ゆうだちを射撃 しゃげき 管制 かんせい レーダーでロックオンする中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん レーダー照射 しょうしゃ 事件 じけん が発生 はっせい した。
2019年 ねん (令 れい 和 わ 元年 がんねん )10月 がつ 、令 れい 和 わ 初 はつ の国際 こくさい 観艦式 かんかんしき に招待 しょうたい されて初 はつ 参加 さんか した中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん の艦艇 かんてい が日本 にっぽん に寄港 きこう するも令 れい 和 わ 元年 がんねん 東日本 ひがしにっぽん 台風 たいふう (台風 たいふう 19号 ごう )で観艦式 かんかんしき は中止 ちゅうし となり[103] 、8年 ねん ぶりかつ日本 にっぽん 近海 きんかい で初 はつ の共同 きょうどう 訓練 くんれん を海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい と行 おこな った[104] 。
2021年 ねん (令 れい 和 わ 3年 ねん )10月 がつ 、中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん とロシア海軍 かいぐん の軍艦 ぐんかん 10隻 せき が、対馬海峡 つしまかいきょう 、津軽海峡 つがるかいきょう 、大隅海峡 おおすみかいきょう を航行 こうこう した。
2022年 ねん (令 れい 和 わ 4年 ねん )8月 がつ 、中国 ちゅうごく 軍 ぐん が、台湾 たいわん 周辺 しゅうへん での軍事 ぐんじ 作戦 さくせん を実施 じっし した。
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
ロシア は日本 にっぽん と北方領土 ほっぽうりょうど 問題 もんだい を有 ゆう している。歴史 れきし 的 てき には日 にち ソ中立 ちゅうりつ 条約 じょうやく の背信 はいしん 行為 こうい やシベリア抑留 よくりゅう などが禍根 かこん となっている。不定期 ふていき に電子 でんし 戦機 せんき や爆 ばく 撃 げき 機 き を日本 にっぽん 領空 りょうくう 付近 ふきん まで進出 しんしゅつ させ、電子 でんし 情報 じょうほう の収集 しゅうしゅう などを行 おこ なっており、この場合 ばあい は、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい によるスクランブル を受 う ける。また、情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう 艦 かん を日本 にっぽん 近海 きんかい に配置 はいち して海上 かいじょう からも電子 でんし 情報 じょうほう の収集 しゅうしゅう および潜水艦 せんすいかん を展開 てんかい するための海洋 かいよう 観測 かんそく をおこない、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい による監視 かんし の対象 たいしょう となっている。ロシア軍 ぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は約 やく 100万 まん 人 にん である。
1970年 ねん (昭和 しょうわ 45年 ねん )陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 第 だい 11戦車 せんしゃ 大隊 だいたい は、占 うらない 守 もり 島 とう の戦 たたか い で赤軍 せきぐん (ソ連 それん 陸軍 りくぐん )の侵攻 しんこう を撃砕 げきさい した日本 にっぽん 陸軍 りくぐん の士魂 しこん 精神 せいしん を受 う け継 つ ぎ「士魂 しこん 戦車 せんしゃ 大隊 だいたい 」と命名 めいめい された。
1996年 ねん (平成 へいせい 8年 ねん )に海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 艦艇 かんてい がウラジオストク を訪問 ほうもん して以来 いらい 、毎年 まいとし 艦艇 かんてい の相互 そうご 訪問 ほうもん を行 おこな っている。1998年 ねん (平成 へいせい 10年 ねん )以降 いこう は捜索 そうさく ・救難 きゅうなん 共同 きょうどう 訓練 くんれん を行 おこな っている。「日 にち 露 ろ 海上 かいじょう 事故 じこ 防止 ぼうし 協定 きょうてい 」も結 むす んでいる。
1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )に「日 にち 露 ろ 防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう に関 かん する覚書 おぼえがき 」を締結 ていけつ した。
2002年 ねん (平成 へいせい 14年 ねん )10月 がつ には、海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 50周年 しゅうねん を記念 きねん した国際 こくさい 観艦式 かんかんしき に招待 しょうたい されソ連 それん 海軍 かいぐん 時代 じだい を含 ふく めて初 はじ めてロシア海軍 かいぐん の潜水 せんすい 艦 かん の日本 にっぽん 寄港 きこう があった。
2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )に「日 にち 露 ろ 防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう に関 かん する覚書 おぼえがき 」を改定 かいてい した。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )に「日 にち 露 ろ 防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう に関 かん する覚書 おぼえがき 」を改定 かいてい した。安全 あんぜん 保障 ほしょう 分野 ぶんや で日 にち 露 ろ 両 りょう 政府 せいふ の協力 きょうりょく 関係 かんけい を拡大 かくだい する。
2021年 ねん (令 れい 和 わ 3年 ねん )10月 がつ 、中国 ちゅうごく 海軍 かいぐん とロシア海軍 かいぐん の軍艦 ぐんかん 10隻 せき が、対馬海峡 つしまかいきょう 、津軽海峡 つがるかいきょう 、大隅海峡 おおすみかいきょう を航行 こうこう した。
2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )の北朝鮮 きたちょうせん のミサイル発射 はっしゃ 実験 じっけん によって、テポドン2号 ごう が着弾 ちゃくだん したと推測 すいそく される海域 かいいき (青色 あおいろ ) この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
北朝鮮 きたちょうせん は韓国 かんこく およびアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく (国連 こくれん 軍 ぐん )と休戦 きゅうせん 中 なか であり、準 じゅん 戦時 せんじ 状態 じょうたい を維持 いじ していることから、事実 じじつ 上 じょう の軍事 ぐんじ 同盟 どうめい 国 こく である日本 にっぽん も敵視 てきし している。また、北朝鮮 きたちょうせん の工作 こうさく 員 いん による日本人 にっぽんじん の拉致 らち が行 おこな われている。
また、北朝鮮 きたちょうせん は、国際 こくさい 的 てき に非難 ひなん を浴 あ びた度重 たびかさ なる核 かく 実験 じっけん の強行 きょうこう と、度重 たびかさ なる北朝鮮 きたちょうせん によるミサイル発射 はっしゃ 実験 じっけん により、日本 にっぽん と高 たか い軍事 ぐんじ 的 てき 緊張 きんちょう 状態 じょうたい にある。日本 にっぽん は北朝鮮 きたちょうせん の船 ふね の入港 にゅうこう 禁止 きんし 、および輸出入 ゆしゅつにゅう の全面 ぜんめん 禁止 きんし という経済 けいざい 制裁 せいさい を実施 じっし しており、事実 じじつ 上 じょう 、北朝鮮 きたちょうせん とは断交 だんこう 状態 じょうたい にある[105] 。
防衛 ぼうえい 白書 はくしょ では北朝鮮 きたちょうせん による核兵器 かくへいき や、化学 かがく 兵器 へいき 、生物 せいぶつ 兵器 へいき などの保有 ほゆう を「重大 じゅうだい な脅威 きょうい 」と公式 こうしき 表明 ひょうめい し、自衛隊 じえいたい は朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん を特 とく に強 つよ く警戒 けいかい している。
朝鮮人民軍 ちょうせんじんみんぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は約 やく 190万 まん 人 にん である。
2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )5月 がつ 31日 にち 、人民 じんみん 軍 ぐん 上層 じょうそう 部 ぶ が「日本 にっぽん の反動 はんどう 勢力 せいりょく は、日本 にっぽん 列島 れっとう がわが革命 かくめい 的 てき 武装 ぶそう 力 りょく の容赦 ようしゃ ない打撃 だげき 圏内 けんない にあるということをひとときも忘 わす れてはならない」と警告 けいこく し敵対 てきたい 姿勢 しせい を改 あらた めて鮮明 せんめい にしている。
日本 にっぽん 国内 こくない には、北朝鮮 きたちょうせん のミサイル攻撃 こうげき への抑止 よくし 力 りょく となる反撃 はんげき 能力 のうりょく と有事 ゆうじ 法 ほう の整備 せいび を求 もと める世論 せろん がある。
2014年 ねん (平成 へいせい 26年 ねん )現在 げんざい 、北朝鮮 きたちょうせん は核弾頭 かくだんとう の小型 こがた 化 か に成功 せいこう し、多数 たすう のノドンミサイル で日本 にっぽん を核 かく 攻撃 こうげき できる能力 のうりょく を既 すで に備 そな えていることが米 べい 韓 かん 当局 とうきょく から確実視 かくじつし されており、更 さら に日 にち 韓 かん 両国 りょうこく を黄海 こうかい 上 うえ から核 かく 攻撃 こうげき できる潜水艦 せんすいかん 発射 はっしゃ 弾道 だんどう ミサイル (SLBM)の開発 かいはつ もかなり進展 しんてん しているとされ[106] 、日 にち 朝 ちょう の軍事 ぐんじ 関係 かんけい は緊張 きんちょう が高 たか まっている。
日 にち 韓 かん 海軍 かいぐん 捜索 そうさく ・救助 きゅうじょ 訓練 くんれん この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
日本 にっぽん と韓国 かんこく とは竹島 たけしま (韓国 かんこく 名 めい :独島 どくと )の領有 りょうゆう 権 けん 問題 もんだい を抱 かか えている。一方 いっぽう 、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく を介 かい した間接 かんせつ 的 てき な協力 きょうりょく 関係 かんけい にもある。中曽根 なかそね 内閣 ないかく 時代 じだい に日 にち 米 べい 韓 かん 関係 かんけい の強化 きょうか が図 はか られ、合同 ごうどう 訓練 くんれん 、武官 ぶかん の交換 こうかん や学生 がくせい の留学 りゅうがく 、艦艇 かんてい の派遣 はけん や音楽 おんがく 隊 たい の派遣 はけん ・招致 しょうち など防衛 ぼうえい 交流 こうりゅう がある。
大韓民国 だいかんみんこく 国軍 こくぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は約 やく 62万 まん 人 にん である。
1994年 ねん (平成 へいせい 6年 ねん )から海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい と韓国 かんこく 海軍 かいぐん との間 あいだ で艦艇 かんてい の相互 そうご 訪問 ほうもん が開始 かいし された。
1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )には初 はつ の捜索 そうさく ・救難 きゅうなん 共同 きょうどう 訓練 くんれん を行 おこな った。
2013年 ねん (平成 へいせい 25年 ねん )日本 にっぽん 政府 せいふ 及 およ び自衛隊 じえいたい は国際 こくさい 連合 れんごう 、韓国 かんこく 軍 ぐん からの要請 ようせい により韓国 かんこく 軍 ぐん 南 みなみ スーダンPKO部隊 ぶたい に弾薬 だんやく 1万 まん 発 はつ を供与 きょうよ した。
2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )韓国 かんこく 国際 こくさい 観艦式 かんかんしき に海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい の護衛 ごえい 艦 かん の参加 さんか を要請 ようせい されたが、参加 さんか 条件 じょうけん として自衛 じえい 艦 かん 旗 はた の掲揚 けいよう を自粛 じしゅく するよう韓国 かんこく 政府 せいふ から求 もと められたため、日本 にっぽん 政府 せいふ は韓国 かんこく 国際 こくさい 観艦式 かんかんしき に参加 さんか することを中止 ちゅうし した[107] 。また、2018年 ねん 12月 がつ 20日 はつか には
能登半島 のとはんとう 沖 おき で韓国 かんこく 海軍 かいぐん 「クァンゲト・デワン 」級 きゅう 駆逐 くちく 艦 かん から厚木 あつぎ 基地 きち の海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 第 だい 4航空 こうくう 群 ぐん 所属 しょぞく P-1 が火器 かき 管制 かんせい レーダーを照射 しょうしゃ された韓国 かんこく 海軍 かいぐん レーダー照射 しょうしゃ 問題 もんだい が発生 はっせい した[108] 。
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
国交 こっこう のない台湾 たいわん (中華民国 ちゅうかみんこく )とは、具体 ぐたい 的 てき な軍事 ぐんじ 的 てき 交流 こうりゅう もない。台湾 たいわん も尖閣諸島 せんかくしょとう の領有 りょうゆう を主張 しゅちょう していて、日本 にっぽん との領有 りょうゆう 権 けん に関 かん する問題 もんだい があり、民間 みんかん 船舶 せんぱく の他 ほか 、海 うみ 巡 じゅん 署 しょ の巡視 じゅんし 船 せん がしばしば領海 りょうかい 侵犯 しんぱん を起 お こしている。台湾 たいわん の航空機 こうくうき が、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい によるスクランブル の対象 たいしょう になる事案 じあん は、ロシア、中国 ちゅうごく についで三 さん 番目 ばんめ に多 おお い[109] 。
2008年 ねん (平成 へいせい 20年 ねん )3月13日 にち 、防衛 ぼうえい 省 しょう の高見沢 たかみざわ 将 すすむ 林 りん 防衛 ぼうえい 政策 せいさく 局長 きょくちょう は、「台湾 たいわん 有事 ゆうじ は日本 にっぽん の問題 もんだい 」であり、周辺 しゅうへん 事態 じたい 法 ほう の適用 てきよう 可能 かのう 性 せい もあると語 かた り、自衛隊 じえいたい にとって台湾 たいわん の政治 せいじ 事情 じじょう は重要 じゅうよう である認識 にんしき を示 しめ した[110] 。
また、アメリカの沖縄 おきなわ 占領 せんりょう 時 じ にアメリカ空軍 くうぐん が設定 せってい していた防空 ぼうくう 識別 しきべつ 圏 けん を、日本 にっぽん はそのまま引 ひ き継 つ いだため、与那国島 よなぐにじま の西側 にしがわ 2/3は台湾 たいわん の防空 ぼうくう 識別 しきべつ 圏 けん として扱 あつか われるようになった。日本 にっぽん と台湾 たいわん に重要 じゅうよう な懸案 けんあん が無 な かったため、このことは長年 ながねん 、重大 じゅうだい な問題 もんだい にはならなかったものの、与那国島 よなぐにじま の島民 とうみん を含 ふく む沖縄 おきなわ 県 けん では、自分 じぶん たちの空 そら の一部 いちぶ を外国 がいこく の軍 ぐん が管理 かんり するという現状 げんじょう に不安 ふあん を持 も っていた[111] 。台湾 たいわん 軍 ぐん の全 ぜん 兵力 へいりょく は、約 やく 30万 まん 人 にん である。
2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )5月 がつ 26日 にち 、防衛 ぼうえい 省 しょう は長年 ながねん 放置 ほうち されていたこの問題 もんだい を解消 かいしょう するため、防空 ぼうくう 識別 しきべつ 圏 けん の見直 みなお しを検討 けんとう する方針 ほうしん を示 しめ し、台湾 たいわん 側 がわ にも通知 つうち した[112] 。台湾 たいわん 外交 がいこう 部 ぶ は遺憾 いかん の意 い を表明 ひょうめい し、認 みと めないことを明言 めいげん している[113] 。
防衛 ぼうえい 省 しょう は2010年 ねん (平成 へいせい 22年 ねん )6月 がつ 24日 にち 、防空 ぼうくう 識別 しきべつ 圏 けん 見直 みなお しについての防衛 ぼうえい 省 しょう 訓令 くんれい を翌 よく 6月 がつ 25日 にち から実施 じっし することを発表 はっぴょう した[114] 。
ジブチ
自衛隊 じえいたい はアフリカのジブチ に自衛隊 じえいたい 拠点 きょてん (基地 きち ) を保有 ほゆう している。国際 こくさい 法 ほう では日本 にっぽん の軍事 ぐんじ 基地 きち (在日 ざいにち 米 まい 軍 ぐん のようなもの)に相当 そうとう しており、約 やく 400人 にん ほどがいる。ソマリア 沖 おき ・アデン湾 わん において当時 とうじ 頻発 ひんぱつ していた海賊 かいぞく 被害 ひがい に対応 たいおう するため、2011年 ねん 7月 がつ に開所 かいしょ [115] された。
平成 へいせい 25年度 ねんど 自衛隊 じえいたい 音楽 おんがく まつり
平成 へいせい 25年度 ねんど 自衛隊 じえいたい 音楽 おんがく まつりこの節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
防衛 ぼうえい 省 しょう 各 かく 自衛隊 じえいたい は、公式 こうしき の行進曲 こうしんきょく 、隊 たい 歌 か を制定 せいてい している。またそれぞれの部隊 ぶたい が独自 どくじ に部隊 ぶたい 歌 か を作曲 さっきょく 、制定 せいてい (部隊 ぶたい 制定 せいてい )している場合 ばあい もある。防衛大学校 ぼうえいだいがくこう は、将来 しょうらい の陸海空 りくかいくう 幹部 かんぶ 自衛 じえい 官 かん を養成 ようせい する防衛 ぼうえい 省 しょう の機関 きかん の為 ため 、陸海空 りくかいくう いずれもの行進曲 こうしんきょく を使用 しよう する場合 ばあい もある。
陸軍 りくぐん 分列 ぶんれつ 行進曲 こうしんきょく
大日本帝国 だいにっぽんていこく 陸軍 りくぐん の行進曲 こうしんきょく として作曲 さっきょく ・制定 せいてい され、陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 、日本 にっぽん の警察 けいさつ の行進曲 こうしんきょく として使用 しよう されている日本 にっぽん の儀礼 ぎれい 曲 きょく 。
陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい の前身 ぜんしん に当 あ たる、1951年 ねん (昭和 しょうわ 26年 ねん )8月 がつ 10日 とおか に行 おこな われた警察 けいさつ 予備 よび 隊 たい 発足 ほっそく 1周年 しゅうねん 記念 きねん 観閲 かんえつ 式 しき の為 ため に、中央 ちゅうおう 音楽 おんがく 隊 たい 初代 しょだい 隊長 たいちょう ・須摩洋 よう 朔 ついたち が作曲 さっきょく 。2010年度 ねんど (平成 へいせい 22年度 ねんど )の中央 ちゅうおう 観閲 かんえつ 式 しき では、中央 ちゅうおう 病院 びょういん 高等看護学院 こうとうかんごがくいん 学生 がくせい 隊 たい (男性 だんせい 隊員 たいいん を含 ふく む)並 なら びに陸海空 りくかいくう 女性 じょせい 自衛 じえい 官 かん 部隊 ぶたい の観閲 かんえつ 行進 こうしん 時 じ に奏楽 そうがく された。
1886年 ねん (明治 めいじ 19年 ねん )作曲 さっきょく の観兵 かんぺい 式 しき 分列 ぶんれつ 行進曲 こうしんきょく (陸軍 りくぐん 省 しょう 制定 せいてい )を再 さい 制定 せいてい したもの。観閲 かんえつ 式 しき において普通 ふつう 科 か (徒歩 とほ 行進 こうしん )部隊 ぶたい の観閲 かんえつ 行進 こうしん 時 じ に奏楽 そうがく されるのが普通 ふつう である。2010年度 ねんど (平成 へいせい 22年度 ねんど )の自衛隊 じえいたい 観閲 かんえつ 式 しき では、観閲 かんえつ 部隊 ぶたい 指揮 しき 官 かん (並 なら びに幕僚 ばくりょう )、部隊 ぶたい 用 よう 国旗 こっき (旗手 きしゅ 、旗 はた 衛 まもる 手 しゅ )、防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 学生 がくせい 隊 たい 、防衛医科大 ぼうえいいかだい 学校 がっこう 学生 がくせい 隊 たい 、高等 こうとう 工科 こうか 学校 がっこう 生徒 せいと 隊 たい 、普通 ふつう 科 か 部隊 ぶたい 、空挺 くうてい 部隊 ぶたい の観閲 かんえつ 行進 こうしん の時 とき に奏楽 そうがく された。曲名 きょくめい 「扶桑 ふそう 歌 か 」の扶桑 ふそう とは日本 にっぽん の異称 いしょう で、陸軍 りくぐん の観兵 かんぺい 式 しき (中 ちゅう 分列 ぶんれつ 式 しき )のために作曲 さっきょく ・制定 せいてい された曲 きょく であることから「陸軍 りくぐん 分列 ぶんれつ 行進曲 こうしんきょく (分列 ぶんれつ 行進曲 こうしんきょく )」や「分列 ぶんれつ 式 しき 行進曲 こうしんきょく 」などとも呼 よ ばれる、(平成 へいせい 19年度 ねんど 自衛隊 じえいたい 観閲 かんえつ 式 しき からは同 どう 曲 きょく を「陸軍 りくぐん …」の名称 めいしょう で紹介 しょうかい しているが、音楽 おんがく 隊 たい では"行進曲 こうしんきょく 「扶桑 ふそう 歌 か 」"の譜 ふ が使 つか われている。また、陸軍 りくぐん 省 しょう とほぼ同時 どうじ に同 どう 曲 きょく を制定 せいてい した警察庁 けいさつちょう も「扶桑 ふそう 歌 か 」の名称 めいしょう で現在 げんざい まで使用 しよう している。「陸軍 りくぐん …」の名称 めいしょう は戦前 せんぜん には見 み られない。戦 せん 後 こう いつ「陸軍 りくぐん …」の名称 めいしょう が使 つか われ始 はじ めたか、経緯 けいい も含 ふく めて不明 ふめい )。
1897年 ねん (明治 めいじ 30年 ねん )作曲 さっきょく の海軍 かいぐん 省 しょう 制定 せいてい 行進曲 こうしんきょく を再 さい 制定 せいてい したもの。観閲 かんえつ 式 しき において海上 かいじょう 自衛隊 じえいたい 部隊 ぶたい の行進 こうしん 時 じ に奏楽 そうがく される他 ほか 、進水 しんすい 式 しき などの儀式 ぎしき で奏楽 そうがく される。課業 かぎょう 行進曲 こうしんきょく や会報 かいほう などに録音 ろくおん した物 もの (主 おも にCD収録 しゅうろく 音源 おんげん )が使 つか われることもある。
航空 こうくう 自衛隊 じえいたい は発足 ほっそく より長 なが らく米国 べいこく の行進曲 こうしんきょく 「ブラビューラ」を行進曲 こうしんきょく として使用 しよう してきたが、1992年 ねん (平成 へいせい 4年 ねん )、航空 こうくう 自衛隊 じえいたい 創設 そうせつ 40周年 しゅうねん の折 おり に「空 そら の精鋭 せいえい 」を作曲 さっきょく 、公式 こうしき 行進曲 こうしんきょく として制定 せいてい した。観閲 かんえつ 式 しき において航空 こうくう 自衛隊 じえいたい 部隊 ぶたい の行進 こうしん 時 じ に奏楽 そうがく される。
2002年 ねん (平成 へいせい 14年 ねん )に防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 創立 そうりつ 50周年 しゅうねん 記念 きねん 行事 ぎょうじ の一環 いっかん として防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 同窓会 どうそうかい より寄贈 きぞう された。「防衛大学校 ぼうえいだいがくこう への入校 にゅうこう とともに、今 いま まで生活 せいかつ とはおよそかけ離 はな れた厳 きび しい規律 きりつ や訓練 くんれん の中 なか に身 み を置 お き、卒業 そつぎょう 時 じ には帽章 ぼうしょう の鳩 ばと のごとくたくましく、力強 ちからづよ く羽 は ばたいていく防 ぼう 大 だい 生 せい の姿 すがた をイメージ」して作曲 さっきょく された。作曲 さっきょく 者 しゃ の神明 しんめい は陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 中央 ちゅうおう 音楽 おんがく 隊 たい 勤務 きんむ 。課業 かぎょう 行進曲 こうしんきょく としても使用 しよう されている。
防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 同窓会 どうそうかい から防衛大学校 ぼうえいだいがくこう に寄贈 きぞう された新 しん 行進曲 こうしんきょく 。
「祝典 しゅくてん ギャロップ」:須摩洋 よう 朔 ついたち
中央 ちゅうおう 音楽 おんがく 隊 たい 初代 しょだい 隊長 たいちょう ・須摩洋 よう 朔 ついたち が、昭和 しょうわ 28年度 ねんど 自衛隊 じえいたい 観閲 かんえつ 式 しき の車両 しゃりょう 行進曲 こうしんきょく として作曲 さっきょく 。観閲 かんえつ 式 しき に於 お ける、車両 しゃりょう 部隊 ぶたい の行進 こうしん 時 じ に奏楽 そうがく される。
平成 へいせい 30年度 ねんど 自衛隊 じえいたい 観閲 かんえつ 式 しき で初 はつ 演奏 えんそう された「祝典 しゅくてん ギャロップ」に代 か わる新車 しんしゃ 両 りょう 行進曲 こうしんきょく 。
2004年 ねん (平成 へいせい 16年 ねん )の陸上 りくじょう 自衛隊 じえいたい 創設 そうせつ 50周年 しゅうねん 記念 きねん 行進曲 こうしんきょく として中央 ちゅうおう 音楽 おんがく 隊 たい ファゴット奏者 そうしゃ ・堀 ほり 滝 たき 比呂 ひろ が作曲 さっきょく 。中央 ちゅうおう 観閲 かんえつ 式 しき における、音楽 おんがく 隊 たい (陸海空 りくかいくう 合同 ごうどう )の観閲 かんえつ 行進 こうしん (入場 にゅうじょう )時 じ に奏楽 そうがく される。
海軍 かいぐん 軍楽 ぐんがく 生 せい ・吉本 よしもと 光藏 みつぞう 作曲 さっきょく の行進曲 こうしんきょく で作曲 さっきょく 年 ねん は不明 ふめい 。トリオ部 ぶ に使 つか われている軍歌 ぐんか 「皇国 こうこく の守 まも り」は、文学 ぶんがく 博士 はかせ ・外山 とやま 正一 しょういち の詩 し に伊沢 いさわ 修二 しゅうじ が作曲 さっきょく 。
平和 へいわ 主義 しゅぎ を標榜 ひょうぼう する日本 にっぽん では、自衛隊 じえいたい の存在 そんざい や運用 うんよう に関 かん して多 おお くの議論 ぎろん がなされている。
2015年 ねん 6月 がつ 下旬 げじゅん に朝日新聞 あさひしんぶん が行 おこな った憲法 けんぽう 学者 がくしゃ へのアンケートによれば、自衛隊 じえいたい の存在 そんざい が「憲法 けんぽう 違反 いはん にあたる」と答 こた えたのは回答 かいとう した憲法 けんぽう 学者 がくしゃ 122人 にん のうち50人 にん (41%)で、「憲法 けんぽう 違反 いはん の可能 かのう 性 せい がある」と答 こた えたのは27人 にん (22%)であった。「憲法 けんぽう 違反 いはん にはあたらない可能 かのう 性 せい がある」と答 こた えたのは13人 にん (11%)で、「憲法 けんぽう 違反 いはん にはあたらない」と答 こた えたのは28人 にん (23%)、4人 にん (3%)は無 む 回答 かいとう だった[120] 。安倍晋三 あべしんぞう 首相 しゅしょう は2017年 ねん 9月25日 にち に「朝日新聞 あさひしんぶん の調査 ちょうさ で憲法 けんぽう 学者 がくしゃ の7割 わり 以上 いじょう が憲法 けんぽう 違反 いはん だと言 い っている」と発言 はつげん したが、朝日新聞 あさひしんぶん はファクトチェック (事実 じじつ 検証 けんしょう )で2015年 ねん のアンケートの結果 けっか と異 こと なる点 てん を指摘 してき し、「7割 わり 以上 いじょう 」という数字 すうじ は1991年 ねん 10月から11月 がつ にかけて憲法 けんぽう 学者 がくしゃ を対象 たいしょう に行 い ったアンケートの結果 けっか であり、「調査 ちょうさ から26年 ねん が経過 けいか しており、現在 げんざい の憲法 けんぽう 学者 がくしゃ の見解 けんかい を説明 せつめい するために用 もち いるデータとしては適切 てきせつ とは言 い えない」と指摘 してき した[121] 。なお、1991年 ねん に憲法 けんぽう 学者 がくしゃ を対象 たいしょう に行 おこな われた朝日新聞 あさひしんぶん のアンケートでは、「9条 じょう に照 て らして、自衛隊 じえいたい はそもそも違憲 いけん 」と答 こた えたのが78%、「9条 じょう は「自衛 じえい のための必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく 」の保持 ほじ は認 みと めているが、現在 げんざい の自衛隊 じえいたい はこの限度 げんど を超 こ えているため違憲 いけん 」と答 こた えたのが6%、「9条 じょう は「自衛 じえい のための必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく 」の保持 ほじ を認 みと めており、現在 げんざい の自衛隊 じえいたい はこの範囲 はんい 内 ない だから合憲 ごうけん 」と答 こた えたのが9%、「9条 じょう に照 て らしても、自衛隊 じえいたい は無 む 限定 げんてい に合憲 ごうけん 」と答 こた えたのが2%だった[122] 。
戦後 せんご の社会党 しゃかいとう を中心 ちゅうしん とした左派 さは 政党 せいとう など護憲 ごけん 派 は や市民 しみん 団体 だんたい は、自衛隊 じえいたい は日米 にちべい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 条約 じょうやく と共 とも に違憲 いけん だと主張 しゅちょう してきた。「戦後 せんご の再 さい 軍備 ぐんび 自体 じたい が想定 そうてい されていなかった日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう が出来 でき た時 とき の解釈 かいしゃく からすれば明確 めいかく に違憲 いけん どころかそれ以前 いぜん の問題 もんだい であった」といった主張 しゅちょう である(新党 しんとう 憲法 けんぽう 9条 じょう [123] )。非 ひ 武装 ぶそう 中立 ちゅうりつ を志向 しこう する政党 せいとう 、団体 だんたい 、人々 ひとびと からは日本 にっぽん 政府 せいふ が日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう を専守防衛 せんしゅぼうえい の自衛隊 じえいたい は戦後 せんご 史 し の中 なか で日本 にっぽん 国民 こくみん に定着 ていちゃく した事実 じじつ 上 じょう の合憲 ごうけん 的 てき 存在 そんざい であるとの解釈 かいしゃく していることを批判 ひはん している[123] 。
自民党 じみんとう と連立 れんりつ することで、村山 むらやま 政権 せいけん が発足 ほっそく した後 のち に従来 じゅうらい は非 ひ 武装 ぶそう 中立 ちゅうりつ を主張 しゅちょう していた野党 やとう 第 だい 一 いち 党 とう 日本 にっぽん 社会党 しゃかいとう (後 のち に社民党 しゃみんとう と民主党 みんしゅとう に党員 とういん が分裂 ぶんれつ )は1994年 ねん 9月 がつ の第 だい 61回 かい 臨時 りんじ 全国 ぜんこく 大会 たいかい において、「『非 ひ 武装 ぶそう 』は党是 とうぜ を超 こ える人類 じんるい の理想 りそう 」としつつ「自衛 じえい のための必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく 組織 そしき である自衛隊 じえいたい を認 みと める」、とそれまで野党 やとう で自衛隊 じえいたい を合憲 ごうけん としてきた公明党 こうめいとう 、民社党 みんしゃとう に対 たい しての従来 じゅうらい の主張 しゅちょう だった「自衛隊 じえいたい 違憲 いけん 論 ろん 」から「自衛隊 じえいたい 合憲 ごうけん 論 ろん 」へと転換 てんかん した。しかし、社民党 しゃみんとう は2006年 ねん 2月 がつ に「現状 げんじょう 、明 あき らかに違憲 いけん 状態 じょうたい にある自衛隊 じえいたい は縮小 しゅくしょう を図 はか り、国境 こっきょう 警備 けいび ・災害 さいがい 救助 きゅうじょ ・国際 こくさい 協力 きょうりょく などの任務 にんむ 別 べつ 組織 そしき に改編 かいへん ・解消 かいしょう して非 ひ 武装 ぶそう の日本 にっぽん を目指 めざ します」と社会 しゃかい 民主党 みんしゅとう 宣言 せんげん を出 だ して以前 いぜん の非 ひ 武装 ぶそう 中立 ちゅうりつ 路線 ろせん へと再 さい 転換 てんかん した。社民党 しゃみんとう の照屋 てるや 寛 ひろし 徳 とく 参議院 さんぎいん 議員 ぎいん (第 だい 61回 かい 臨時 りんじ 全国 ぜんこく 大会 たいかい 当時 とうじ は社会党 しゃかいとう 員 いん )は1994年 ねん 当時 とうじ も2013年 ねん にも自衛隊 じえいたい は“違憲 いけん 状態 じょうたい [124] ”を超 こ えて「違憲 いけん な存在 そんざい 」と考 かんが えていることを表明 ひょうめい している[125] 。日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう も同様 どうよう に自衛隊 じえいたい を違憲 いけん と主張 しゅちょう して、自衛隊 じえいたい による訓練 くんれん や地方自治体 ちほうじちたい イベントへの参加 さんか に対 たい して抗議 こうぎ 活動 かつどう をしている。2018年 ねん にも地方自治体 ちほうじちたい が主催 しゅさい ・共催 きょうさい ・後援 こうえん する災害 さいがい 救助 きゅうじょ 等 とう の行事 ぎょうじ 等 とう への自衛隊 じえいたい 員 いん が参加 さんか することにも日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう は反対 はんたい し、「自衛隊 じえいたい を参加 さんか させないで、消防 しょうぼう や警察 けいさつ のみにしてください。」 と主張 しゅちょう して抗議 こうぎ している[126] [127] 。
濱田 はまだ 浩 ひろし 一郎 いちろう によれば、日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう は1968年 ねん に「アジア侵略 しんりゃく の従属 じゅうぞく 軍隊 ぐんたい であるとともに、軍国 ぐんこく 主義 しゅぎ 復活 ふっかつ の先頭 せんとう にたっている人民 じんみん 弾圧 だんあつ の軍隊 ぐんたい であり、憲法 けんぽう 九 きゅう 条 じょう をじゅうりんしてつくられた非合法 ひごうほう の軍隊 ぐんたい である」と自衛隊 じえいたい を定義 ていぎ した。阪神 はんしん 淡路 あわじ 大震災 だいしんさい の時 とき に自衛隊 じえいたい の必要 ひつよう 性 せい が国民 こくみん 的 てき に強 つよ く理解 りかい されるまで、保守 ほしゅ 系 けい 言論 げんろん を除 のぞ く日本 にっぽん のマスコミ、日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう 、日本 にっぽん 社会党 しゃかいとう 、日教組 にっきょうそ 、自治労 じちろう など左派 さは 労組 ろうそ 、その党員 とういん や支持 しじ 者 しゃ は自衛隊 じえいたい を「反 はん 社会 しゃかい 的 てき 存在 そんざい 」として糾弾 きゅうだん していた。日本 にっぽん の一般 いっぱん 世論 せろん は当時 とうじ は左派 さは 市民 しみん 団体 だんたい による自衛隊 じえいたい への批判 ひはん 活動 かつどう に無 む 関心 かんしん で、一部 いちぶ は自衛隊 じえいたい を違憲 いけん で解体 かいたい すべきだとの主張 しゅちょう に同調 どうちょう していた。「自衛隊 じえいたい いじめ」 は社会 しゃかい のいたるところにあり、成人 せいじん した19から20歳 さい の自衛 じえい 官 かん が成人 せいじん 式 しき に参加 さんか する際 さい に集団 しゅうだん で押 お し掛 か けて妨害 ぼうがい して帰 かえ らせる事件 じけん が革新 かくしん が強 つよ い地域 ちいき で頻発 ひんぱつ した。父親 ちちおや が自衛 じえい 官 かん だった大野 おおの 敏明 としあき は安保 あんぽ 闘争 とうそう 翌年 よくねん の1961年 ねん の様子 ようす を「小学生 しょうがくせい も安保 あんぽ 反対 はんたい デモのまねをしていた」と語 かた っている。小学校 しょうがっこう 4年生 ねんせい だった大野 おおの は社会 しゃかい 科 か の授業 じゅぎょう 中 ちゅう に担任 たんにん の女性 じょせい 教師 きょうし から「大野 おおの 君 くん のお父 とう さんは自衛 じえい 官 かん 、自衛隊 じえいたい は人 ひと を殺 ころ すのが仕事 しごと で憲法 けんぽう 違反 いはん の集団 しゅうだん 。」「みんな、大 おお きくなっても大野 おおの 君 くん のお父 とう さんのようにならないようにしましょう。先生 せんせい たちは自衛隊 じえいたい や(日米 にちべい )安保 あんぽ をなくすために闘 たたか っている。」と言 い われた。大野 おおの は同級生 どうきゅうせい から除 の け者 もの にされ、教室 きょうしつ の隅 すみ での給食 きゅうしょく 、上履 うわば き窃盗 せっとう 、ランドセルの中身 なかみ を捨 す てられたり、下校 げこう 途中 とちゅう に投 な げられた石 いし で負傷 ふしょう した。大野 おおの は、親 おや に説得 せっとく されるまで登校 とうこう を拒否 きょひ した。濱田 はまだ は公私 こうし を分 わ けない教師 きょうし の発言 はつげん を批判 ひはん し、当時 とうじ の大野 おおの の心 しん や「説得 せっとく 」した自衛 じえい 官 かん の父 ちち の気持 きも ちを思 おも うと胸 むね が痛 いた むと述 の べている。大野 おおの は転勤 てんきん の多 おお い自衛 じえい 官 かん の子弟 してい が多数 たすう 在籍 ざいせき していた都立 とりつ の全寮 ぜんりょう 制 せい 高校 こうこう に進学 しんがく した際 さい に自分 じぶん だけが特殊 とくしゅ な経験 けいけん をしたのではなかったと知 し ったと述 の べている。他 た の子弟 してい も小学校 しょうがっこう や中学 ちゅうがく 教師 きょうし に「自衛 じえい 官 かん は人殺 ひとごろ し」「鉄砲 てっぽう もって喜 よろこ んでいる」と皆 みな の前 まえ で言 い われたために、同級生 どうきゅうせい にも「人殺 ひとごろ しの子供 こども 」と罵 ののし られた経験 けいけん 者 しゃ や親 おや や兄弟 きょうだい 、親族 しんぞく を馬鹿 ばか にした日教組 にっきょうそ の教師 きょうし に反発 はんぱつ したために内申 ないしん 書 しょ の評価 ひょうか を下 さ げられる被害 ひがい を受 う けた。日教組 にっきょうそ や自治労 じちろう など熱心 ねっしん な活動 かつどう をする組合 くみあい 員 いん 、専従 せんじゅう 組合 くみあい 員 いん を中心 ちゅうしん に自衛隊 じえいたい 員 いん 子弟 してい の入学 にゅうがく 反対 はんたい 運動 うんどう や子弟 してい の目 め の前 まえ で授業 じゅぎょう 中 ちゅう に自衛隊 じえいたい を憲法 けんぽう 違反 いはん で解体 かいたい されるべきなどして吊 つる し上 あ げていた。このような表 ひょう だっての言動 げんどう や活動 かつどう は「自衛隊 じえいたい が必要 ひつよう 」との意見 いけん への支持 しじ とこのような活動 かつどう への嫌悪 けんお が国民 こくみん 的 てき に広 ひろ まると激減 げきげん した。濱田 はまだ は自衛隊 じえいたい 違憲 いけん 論 ろん による未 いま だ残 のこ る市民 しみん 団体 だんたい や革新 かくしん 政党 せいとう による自衛隊 じえいたい 員 いん やその家族 かぞく への攻撃 こうげき が、護憲 ごけん 運動 うんどう への批判 ひはん と総評 そうひょう 系 けい を中心 ちゅうしん に労働 ろうどう 組合 くみあい への嫌悪 けんお 感 かん を強 つよ める結果 けっか になって支持 しじ 層 そう を減 へ らしたと評 ひょう している[128] [129] 。
2000年代 ねんだい に入 はい ると左派 さは にも変化 へんか が見 み られるようになり、日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう は第 だい 22回 かい 大会 たいかい において「段階 だんかい 的 てき 解消 かいしょう 」という主張 しゅちょう はそのままに「違憲 いけん だが有事 ゆうじ の際 さい には活用 かつよう する」という「自衛隊 じえいたい 活用 かつよう 論 ろん 」を表明 ひょうめい した[130] 。これに対 たい し河野 こうの 克俊 かつとし は自衛隊 じえいたい が国民 こくみん に信頼 しんらい されるようになった現代 げんだい では、護憲 ごけん 派 は も旧来 きゅうらい の主張 しゅちょう では賛同 さんどう が得 え られないと気 き がついたための方策 ほうさく だが、矛盾 むじゅん した主張 しゅちょう だと指摘 してき している[131] 。一方 いっぽう で保守 ほしゅ 派 は の「自衛 じえい のための必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく 」という合憲 ごうけん 解釈 かいしゃく も、装備 そうび が貧弱 ひんじゃく であった発足 ほっそく 当初 とうしょ では通用 つうよう したが最新 さいしん 装備 そうび を導入 どうにゅう している現代 げんだい では無理 むり があり、違憲 いけん 論 ろん ・合憲 ごうけん 論 ろん は共 とも に破綻 はたん しているとした[131] 。また9条 じょう 改正 かいせい の議論 ぎろん が進 すす まない理由 りゆう として、改正 かいせい に反対 はんたい する立憲 りっけん 民主党 みんしゅとう や日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう よりも、改憲 かいけん を党是 とうぜ としている自民党 じみんとう に多 おお い「自衛隊 じえいたい は既成 きせい 事実 じじつ 化 か しているため苦労 くろう してまで改憲 かいけん しなくていい」という『まあいいんじゃない保守 ほしゅ 』の議員 ぎいん が問題 もんだい としている[131] 。河野 こうの は現在 げんざい の「いい加減 かげん な憲法 けんぽう 」を改正 かいせい し、他国 たこく の軍隊 ぐんたい と同 おな じく、禁止 きんし 事項 じこう を定 さだ めるネガティブ・リスト方式 ほうしき の国防 こくぼう 軍法 ぐんぽう を制定 せいてい すべきと主張 しゅちょう している[131] 。
憲法 けんぽう 9条 じょう に関 かん する学説 がくせつ には、憲法 けんぽう 9条 じょう 第 だい 1項 こう において全 すべ ての戦力 せんりょく が放棄 ほうき されたとする立場 たちば (峻別 しゅんべつ 不能 ふのう 説 せつ )[132] 、憲法 けんぽう 9条 じょう 第 だい 1項 こう の規定 きてい では自衛 じえい 戦争 せんそう は放棄 ほうき されていないが、第 だい 1項 こう の趣旨 しゅし を受 う けて憲法 けんぽう 9条 じょう 第 だい 2項 こう に戦力 せんりょく の不 ふ 保持 ほじ と交戦 こうせん 権 けん の否認 ひにん が定 さだ められた結果 けっか として全 すべ ての戦争 せんそう が放棄 ほうき されたとする立場 たちば (遂行 すいこう 不能 ふのう 説 せつ )[133] 、「前項 ぜんこう の目的 もくてき 」とは「国際 こくさい 紛争 ふんそう を解決 かいけつ する手段 しゅだん 」としての戦争 せんそう 放棄 ほうき を指 さ すのであり自衛 じえい 戦争 せんそう 及 およ び自衛 じえい のための戦力 せんりょく は放棄 ほうき されていないとする立場 たちば (限定 げんてい 放棄 ほうき 説 せつ )[134] がある[注釈 ちゅうしゃく 10] 。政府 せいふ 見解 けんかい は憲法 けんぽう 制定 せいてい 時 じ より憲法 けんぽう 9条 じょう 第 だい 1項 こう では自衛 じえい 戦争 せんそう は放棄 ほうき されていないが、第 だい 2項 こう の戦力 せんりょく 不 ふ 保持 ほじ と交戦 こうせん 権 けん の否認 ひにん の結果 けっか として全 すべ ての戦争 せんそう が放棄 ほうき されているとする遂行 すいこう 不能 ふのう 説 せつ に立 た ちつつ[135] [136] 、冷戦 れいせん 構造 こうぞう の深 ふか まりの中 なか でこのような枠組 わくぐ みを維持 いじ しながら、交戦 こうせん 権 けん を伴 ともな う自衛 じえい 戦争 せんそう と自衛 じえい 権 けん の行使 こうし としての必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の自衛 じえい 行動 こうどう とは異 こと なるものであり後者 こうしゃ については憲法 けんぽう 上 じょう 許容 きょよう されていると解釈 かいしゃく するに至 いた っている[137] 。ただ、自衛 じえい 行動 こうどう の範囲 はんい について、鈴木 すずき 善幸 ぜんこう 内閣 ないかく の政府 せいふ 答弁 とうべん 書 しょ は、集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん については国際 こくさい 法 ほう 上 じょう これを有 ゆう してはいるものの憲法 けんぽう 上 じょう 行使 こうし は許 ゆる されないと解釈 かいしゃく していた。これについて1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )の参議院 さんぎいん 予算 よさん 委員 いいん 会 かい において大森 おおもり 政 まさし 輔内閣 ないかく 法制 ほうせい 局 きょく 長官 ちょうかん (当時 とうじ )は「個別 こべつ 的 てき 自衛 じえい 権 けん に基 もと づく我 わ が国 くに を防衛 ぼうえい するために必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の自衛 じえい 行動 こうどう というものは憲法 けんぽう が否定 ひてい していないということを申 もう し上 あ げたのでございまして、いわゆる戦争 せんそう の三 さん 分類 ぶんるい による自衛 じえい 戦争 せんそう ができるんだということを申 もう し上 あ げたわけではないと。自衛 じえい 戦争 せんそう という場合 ばあい には当然 とうぜん 交戦 こうせん 権 けん が伴 ともな うんでしょうけれども、先 さき ほど我 わ が国 くに がなし得 え ると申 もう し上 あ げましたのは、自衛 じえい 戦争 せんそう という意味 いみ よりももう少 すこ し縮減 しゅくげん された、あるいは次元 じげん の異 こと なる個別 こべつ 的 てき 自衛 じえい 権 けん に基 もと づく自衛 じえい 行動 こうどう というふうにおき取 きと りいただきたいと思 おも います」[138] と述 の べた。また、1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )の参議院 さんぎいん 外交 がいこう 防衛 ぼうえい 委員 いいん 会 かい において秋山 あきやま 收 おさむ 内閣 ないかく 法制 ほうせい 局 きょく 第 だい 一 いち 部長 ぶちょう (当時 とうじ )は「自衛 じえい 戦争 せんそう の際 さい の交戦 こうせん 権 けん というのも、自衛 じえい 戦争 せんそう におけるこのような意味 いみ の交戦 こうせん 権 けん というふうに考 かんが えています。このような交戦 こうせん 権 けん は、憲法 けんぽう 九 きゅう 条 じょう 二 に 項 こう で認 みと めないものと書 か かれているところでございます。一方 いっぽう 、自衛 じえい 行動 こうどう と申 もう しますのは、我 わ が国 くに が憲法 けんぽう 九 きゅう 条 じょう のもとで許容 きょよう される自衛 じえい 権 けん の行使 こうし として行 おこな う武力 ぶりょく の行使 こうし をその内容 ないよう とするものでございまして、これは外国 がいこく からの急迫 きゅうはく 不正 ふせい の武力 ぶりょく 攻撃 こうげき に対 たい して、ほかに有効 ゆうこう 、適切 てきせつ な手段 しゅだん がない場合 ばあい に、これを排除 はいじょ するために必要 ひつよう 最小限 さいしょうげん の範囲 はんい 内 ない で行 おこな われる実力 じつりょく 行使 こうし でございます」と述 の べている[139] 。しかし、自衛 じえい 行動 こうどう の範囲 はんい について、政府 せいふ 見解 けんかい は、その後 ご 、2014年 ねん (平成 へいせい 26年 ねん )の閣議 かくぎ 決定 けってい により集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん についても密接 みっせつ な関係 かんけい にある他国 たこく への攻撃 こうげき であり、国民 こくみん の生命 せいめい 、自由 じゆう 及 およ び幸福 こうふく 追求 ついきゅう の権利 けんり が根底 こんてい から覆 くつがえ される明白 めいはく な危険 きけん がある場合 ばあい などに限 かぎ って必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の範囲 はんい で行使 こうし 可能 かのう とする憲法 けんぽう 解釈 かいしゃく の見直 みなお しが行 おこな われた[140] [141] 。
この問題 もんだい に関 かん する最高裁判所 さいこうさいばんしょ の判断 はんだん はまだ行 おこな われておらず[注釈 ちゅうしゃく 11] 、自衛隊 じえいたい 自体 じたい が合憲 ごうけん であるか違憲 いけん であるかの憲法 けんぽう 判断 はんだん は下 くだ されていない。ただし、砂川 すなかわ 事件 じけん の上告 じょうこく 審 しん で最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ は自衛 じえい 権 けん の存在 そんざい については「わが国 くに が主権 しゅけん 国 こく として持 も つ固有 こゆう の自衛 じえい 権 けん は何 なん ら否定 ひてい されたものではなく、わが憲法 けんぽう の平和 へいわ 主義 しゅぎ は決 けっ して無 む 防備 ぼうび 、無抵抗 むていこう を定 さだ めたものではない」とし「わが国 くに が、自国 じこく の平和 へいわ と安全 あんぜん を維持 いじ しその存立 そんりつ を全 まっと うするために必要 ひつよう な自衛 じえい のための措置 そち をとりうることは、国家 こっか 固有 こゆう の権能 けんのう の行使 こうし として当然 とうぜん のことといわなければならない。」と判示 はんじ した[142] 。ただし、この最高裁 さいこうさい の判例 はんれい は駐留 ちゅうりゅう 米 まい 軍 ぐん の合憲 ごうけん 性 せい についての判例 はんれい である[143] 。
日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 第 だい 9条 じょう 2項 こう 前段 ぜんだん は戦力 せんりょく の不 ふ 保持 ほじ について規定 きてい する。限定 げんてい 放棄 ほうき 説 せつ の立場 たちば からは一般 いっぱん に自衛 じえい のための戦力 せんりょく は保持 ほじ しうると解釈 かいしゃく するのに対 たい し[144] 、峻別 しゅんべつ 不能 ふのう 説 せつ や遂行 すいこう 不能 ふのう 説 せつ の立場 たちば からは戦力 せんりょく は一切 いっさい 保持 ほじ できないと解釈 かいしゃく する[145] [146] 。このうち遂行 すいこう 不能 ふのう 説 せつ においては憲法 けんぽう 9条 じょう 第 だい 1項 こう の趣旨 しゅし を受 う けて同 どう 条 じょう 第 だい 2項 こう により「戦力 せんりょく 」の不 ふ 保持 ほじ が定 さだ められている結果 けっか として全 すべ ての戦争 せんそう が放棄 ほうき されていると解釈 かいしゃく するため、この立場 たちば をとる場合 ばあい には憲法 けんぽう 9条 じょう 2項 こう によって保持 ほじ できないとされている「戦力 せんりょく 」がどの程度 ていど の実力 じつりょく 組織 そしき を指 さ すとみるべきかという点 てん が特 とく に重要 じゅうよう となる [要 よう 出典 しゅってん ] 。
自衛隊 じえいたい が日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 第 だい 9条 じょう にてその保持 ほじ が禁 きん じられている「陸海空 りくかいくう 軍 ぐん その他 た の戦力 せんりょく 」に当 あ たるか否 ひ かに関 かん しては長 なが らく議論 ぎろん が交 か わされてきた。現在 げんざい の通説 つうせつ では戦力 せんりょく を“軍隊 ぐんたい および有事 ゆうじ の際 さい にそれに転化 てんか しうる程度 ていど の実力 じつりょく 部隊 ぶたい ”と解釈 かいしゃく し、目的 もくてき と実体 じったい の二 ふた つの側面 そくめん から「軍隊 ぐんたい 」と「警察 けいさつ 力 りょく 」を区別 くべつ する。後者 こうしゃ を越 こ えるものが「戦力 せんりょく 」に該当 がいとう すると考 かんが える者 もの もいる。現在 げんざい 自衛隊 じえいたい が保持 ほじ している戦闘 せんとう 艦 かん や戦車 せんしゃ 、ミサイルなどの武力 ぶりょく を考 かんが えれば、有事 ゆうじ の際 さい に軍隊 ぐんたい に転化 てんか しうる戦力 せんりょく に該当 がいとう するといわざるを得 え ず、自衛隊 じえいたい は日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 9条 じょう 2項 こう の戦力 せんりょく に該当 がいとう し、違憲 いけん であると主張 しゅちょう する者 もの もいる[誰 だれ によって? ] 。
政府 せいふ 見解 けんかい は憲法 けんぽう 9条 じょう 第 だい 2項 こう は「戦力 せんりょく 」の保持 ほじ を禁止 きんし しているという解釈 かいしゃく のもと、これは自衛 じえい のための必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく を保持 ほじ することを禁止 きんし する趣旨 しゅし のものではなく、これを超 こ える実力 じつりょく を保持 ほじ することを禁止 きんし する趣旨 しゅし であるとし[147] [148] [149] 、自衛隊 じえいたい のような自衛 じえい のための任務 にんむ を有 ゆう し、その目的 もくてき において必要 ひつよう 相当 そうとう な範囲 はんい の実力 じつりょく 部隊 ぶたい を設 もう けることは憲法 けんぽう に違反 いはん するものではないとしている[150] 。
これに関連 かんれん して、政府 せいふ 見解 けんかい は交戦 こうせん 権 けん を伴 ともな う自衛 じえい 戦争 せんそう と自衛 じえい 権 けん に基 もと づく自衛 じえい 行動 こうどう とは異 こと なるものであるとし[注釈 ちゅうしゃく 12] 、憲法 けんぽう 上 じょう 自衛 じえい 権 けん は否定 ひてい されておらず、国際 こくさい 法 ほう 上 じょう 、我 わ が国 くに を防衛 ぼうえい するため必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく を行使 こうし すること(自衛 じえい 行動 こうどう 権 けん )は当然 とうぜん に認 みと められているとの立場 たちば をとっている[151] [152] 。ただ、自衛 じえい 行動 こうどう の範囲 はんい については、2014年 ねん (平成 へいせい 26年 ねん )7月 がつ の閣議 かくぎ 決定 けってい により集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん についても密接 みっせつ な関係 かんけい にある他国 たこく への攻撃 こうげき であり、国民 こくみん の生命 せいめい 、自由 じゆう 及 およ び幸福 こうふく 追求 ついきゅう の権利 けんり が根底 こんてい から覆 くつがえ される明白 めいはく な危険 きけん がある場合 ばあい などに限 かぎ って必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の範囲 はんい で行使 こうし 可能 かのう とする憲法 けんぽう 解釈 かいしゃく の見直 みなお しが行 おこな われている[141] 。
日本 にっぽん 政府 せいふ の見解 けんかい は一貫 いっかん して「自衛隊 じえいたい は、憲法 けんぽう 上 じょう 必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど を超 こ える実力 じつりょく を保持 ほじ し得 え ない等 ひとし の制約 せいやく を課 か せられており、通常 つうじょう の観念 かんねん で考 かんが えられる軍隊 ぐんたい とは異 こと なるものと考 かんが える。 また、自衛隊 じえいたい が国際 こくさい 法 ほう 上 じょう 『軍隊 ぐんたい 』として取 と り扱 あつか われるか否 ひ かは、個々 ここ の国際 こくさい 法 ほう の趣旨 しゅし に照 て らして判断 はんだん されるべきものであると考 かんが える[153] 」となっている。
「国際 こくさい 法 ほう 上 じょう の軍隊 ぐんたい 」として取 と り扱 あつか われるか否 ひ かについては、中山 なかやま 太郎 たろう 外務 がいむ 大臣 だいじん の国会 こっかい 答弁 とうべん において、「自衛隊 じえいたい は、憲法 けんぽう 上 じょう 必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど を超 こ える実力 じつりょく を保持 ほじ し得 え ない等 ひとし の厳 きび しい制約 せいやく を課 か せられております。通常 つうじょう の観念 かんねん で考 かんが えられます軍隊 ぐんたい ではありませんが、国際 こくさい 法 ほう 上 じょう は軍隊 ぐんたい として取 と り扱 あつか われておりまして、自衛 じえい 官 かん は軍隊 ぐんたい の構成 こうせい 員 いん に該当 がいとう いたします[154] 」と述 の べた。「軍隊 ぐんたい 」という語 かたり は多義 たぎ 的 てき で、防衛庁 ぼうえいちょう 長官 ちょうかん の国会 こっかい 答弁 とうべん においても、「近代 きんだい 戦 せん を有効 ゆうこう に遂行 すいこう し得 え る意味 いみ の軍隊 ぐんたい ではないのでございます。ただ、防衛 ぼうえい 的 てき の、防衛 ぼうえい 力 りょく を発揮 はっき できるという意味 いみ におきまして、もし軍隊 ぐんたい とおっしゃるならば、おっしゃってもよろしいというのが従来 じゅうらい の防衛庁 ぼうえいちょう 、政府 せいふ の発言 はつげん でございます[注釈 ちゅうしゃく 13] 」と述 の べ、「自衛隊 じえいたい は軍隊 ぐんたい か」という問題 もんだい は、軍隊 ぐんたい の定義 ていぎ 如何 いか の問題 もんだい に帰結 きけつ するのであって重要 じゅうよう な問題 もんだい ではないとしている。
日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 9条 じょう 2項 こう 後段 こうだん は交戦 こうせん 権 けん の否認 ひにん について規定 きてい する。政府 せいふ 見解 けんかい では同 どう 項 こう の「交戦 こうせん 権 けん 」とは「交戦 こうせん 国 こく が国際 こくさい 法 ほう 上 じょう 有 ゆう する種々 しゅじゅ の権利 けんり の総称 そうしょう 」を意味 いみ するもので、このような意味 いみ の交戦 こうせん 権 けん が同 どう 項 こう によって否認 ひにん されていると解 かい しており[151] 、一方 いっぽう で自衛 じえい 権 けん の行使 こうし に当 あ たっては、国際 こくさい 法 ほう 上 じょう 、我 わ が国 くに を防衛 ぼうえい するため必要 ひつよう 最小 さいしょう 限度 げんど の実力 じつりょく を行使 こうし すること(自衛 じえい 行動 こうどう 権 けん )が当然 とうぜん に認 みと められているのであって、その行使 こうし は交戦 こうせん 権 けん の行使 こうし とは別 べつ のものとして憲法 けんぽう 上 じょう 許容 きょよう されているという立場 たちば をとっている[151] [152] 。
この点 てん について、1969年 ねん (昭和 しょうわ 44年 ねん )の参議院 さんぎいん 予算 よさん 委員 いいん 会 かい において高辻 たかつじ 正 ただし 己 おのれ 内閣 ないかく 法制 ほうせい 局 きょく 長官 ちょうかん (当時 とうじ )は「あくまでも憲法 けんぽう の第 だい 九 きゅう 条 じょう 二 に 項 こう が否認 ひにん をしている交戦 こうせん 権 けん 、これは絶対 ぜったい に持 も てない。しかし、自衛 じえい 権 けん の行使 こうし に伴 ともな って生 しょう ずる自衛 じえい 行動 こうどう 、これを有効 ゆうこう 適切 てきせつ に行 おこ なわれるそれぞれの現実 げんじつ 具体 ぐたい 的 てき な根拠 こんきょ としての自衛 じえい 行動 こうどう 権 けん 、これは交戦 こうせん 権 けん と違 ちが って認 みと められないわけではなかろうということを申 もう し上 あ げた趣旨 しゅし でございますので、不明 ふめい な点 てん がありましたら、そのように御 ご 了解 りょうかい を願 ねが いたいと思 おも います」と述 の べている[155] 。
自衛隊 じえいたい の身分 みぶん がこうした「憲法 けんぽう の解釈 かいしゃく 」によって保証 ほしょう されているという曖昧 あいまい な状態 じょうたい に対 たい し、憲法 けんぽう を改正 かいせい して自衛隊 じえいたい 保持 ほじ を明記 めいき すべきという意見 いけん もある(憲法 けんぽう 改正 かいせい 論議 ろんぎ )。
用語 ようご については、独特 どくとく の用語 ようご を用 もち いて、軍事 ぐんじ 色 しょく を薄 うす めているものがある(自衛隊 じえいたい 用語 ようご )。
各 かく 政党 せいとう の自衛隊 じえいたい に対 たい する見解 けんかい
編集 へんしゅう
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "自衛隊 じえいたい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2024年 ねん 1月 がつ )
自由民主党 じゆうみんしゅとう
党内 とうない の意見 いけん は様々 さまざま で、「憲法 けんぽう 9条 じょう を改正 かいせい して自衛隊 じえいたい を軍隊 ぐんたい と位置 いち づけ自衛 じえい 軍 ぐん とするべき」と主張 しゅちょう している者 もの もいる。野党 やとう 時代 じだい (民 みん 国 こく 連立 れんりつ 政権 せいけん 下 した )の2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )4月 がつ 27日 にち に決定 けってい した日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう 改正 かいせい 草案 そうあん では「国防 こくぼう 軍 ぐん 」と明記 めいき された[156] ほか、同年 どうねん 12月 がつ に施行 しこう され政権 せいけん 復帰 ふっき を果 は たした第 だい 46回 かい 衆議院 しゅうぎいん 議員 ぎいん 総 そう 選挙 せんきょ の政権 せいけん 公約 こうやく においても「国防 こくぼう 軍 ぐん と位置 いち づける」と明記 めいき していた[157] 。
2018年 ねん (平成 へいせい 30年 ねん )3月26日 にち に自由民主党 じゆうみんしゅとう 憲法 けんぽう 改正 かいせい 推進 すいしん 本部 ほんぶ (現 げん :憲法 けんぽう 改正 かいせい 実現 じつげん 本部 ほんぶ )が公表 こうひょう した「憲法 けんぽう 改正 かいせい に関 かん する議論 ぎろん の状況 じょうきょう について」においては、現行 げんこう の9条 じょう 1項 こう ・2項 こう 及 およ びその解釈 かいしゃく を維持 いじ した上 うえ で、「自衛隊 じえいたい 」を明記 めいき するとともに「自衛 じえい の措置 そち (自衛 じえい 権 けん )」についても言及 げんきゅう すべきとしている[158] 。
立憲 りっけん 民主党 みんしゅとう
党内 とうない の意見 いけん は様々 さまざま であるが、いわゆる「自衛隊 じえいたい 加 か 憲 けん 論 ろん 」には以下 いか の理由 りゆう により反対 はんたい している[159] 。
1. 「後 こう 法 ほう は前 ぜん 法 ほう に優越 ゆうえつ する」という法 ほう 解釈 かいしゃく の基本 きほん 原則 げんそく により、9条 じょう 1項 こう 2項 こう の規定 きてい が空文 くうぶん 化 か する(注 ちゅう 1)。この場合 ばあい 、自衛隊 じえいたい の権限 けんげん は法律 ほうりつ に委 ゆだ ねられ、憲法 けんぽう 上 じょう は、いわゆるフルスペックの集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん 行使 こうし が可能 かのう となりかねない。これでは、専守防衛 せんしゅぼうえい を旨 むね とした平和 へいわ 主義 しゅぎ という日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう の基本 きほん 原理 げんり が覆 くつがえ る。
2. 現在 げんざい の安全 あんぜん 保障 ほしょう 法制 ほうせい を前提 ぜんてい に自衛隊 じえいたい を明記 めいき すれば、少 すく なくとも集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん の一部 いちぶ 行使 こうし 容認 ようにん を追認 ついにん することになる。集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん の行使 こうし 要件 ようけん (注 ちゅう 2)は、広範 こうはん かつ曖昧 あいまい であり、専守防衛 せんしゅぼうえい を旨 むね とした平和 へいわ 主義 しゅぎ という日本国 にっぽんこく 憲法 けんぽう の基本 きほん 原理 げんり に反 はん する。
3. 権力 けんりょく が立憲 りっけん 主義 しゅぎ に反 はん しても、事後 じご 的 てき に追認 ついにん することで正当 せいとう 化 か される前例 ぜんれい となり、権力 けんりょく を拘束 こうそく するという立憲 りっけん 主義 しゅぎ そのものが空洞 くうどう 化 か する。
(注 ちゅう 1:従前 じゅうぜん の解釈 かいしゃく を維持 いじ しようとするならば、明確 めいかく かつ詳細 しょうさい にそれを明記 めいき する必要 ひつよう がある。これは相当 そうとう 大部 おおぶ かつ厳格 げんかく な規定 きてい が必要 ひつよう となる。また、その際 さい には、集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん 一部 いちぶ 行使 こうし 容認 ようにん という立憲 りっけん 主義 しゅぎ 違反 いはん について、容認 ようにん する規定 きてい とするのか、否定 ひてい する規定 きてい とするのか、明確 めいかく にされなければならない。)
(注 ちゅう 2:わが国 くに に対 たい する武力 ぶりょく 攻撃 こうげき が発生 はっせい していないにもかかわらず、「我 わ が国 くに と密接 みっせつ な関係 かんけい にある他国 たこく に対 たい する武力 ぶりょく 攻撃 こうげき が発生 はっせい し、これにより我 わ が国 くに の存立 そんりつ が脅 おびや かされ、国民 こくみん の生命 せいめい 、自由 じゆう 及 およ び幸福 こうふく 追求 ついきゅう の権利 けんり が根底 こんてい から覆 くつがえ される明白 めいはく な危険 きけん があること」という要件 ようけん 。この要件 ようけん は、いわゆる昭和 しょうわ 47年 ねん (1972年 ねん )見解 けんかい が日本 にっぽん に対 たい する武力 ぶりょく 攻撃 こうげき を念頭 ねんとう に置 お いていたのに対 たい し、新 あら たに「同盟 どうめい 国 こく 等 とう に対 たい する武力 ぶりょく 攻撃 こうげき 」を含 ふく むとする解釈 かいしゃく を「基本 きほん 的 てき な論理 ろんり 」(7月 がつ 1日 にち 閣議 かくぎ 決定 けってい )に基 もと づくと称 しょう する点 てん で便宜 べんぎ 的 てき ・恣意 しい 的 てき な解釈 かいしゃく 変更 へんこう といわざるを得 え ない。)
公明党 こうめいとう
かつては自衛隊 じえいたい を憲法 けんぽう 違反 いはん として廃止 はいし を主張 しゅちょう 、現在 げんざい は自公 じこう 連立 れんりつ 政権 せいけん 下 した において自民党 じみんとう とほぼ同 おな じ主張 しゅちょう をしている。ただし、海外 かいがい 派遣 はけん や防衛 ぼうえい 費 ひ 増額 ぞうがく 、憲法 けんぽう での自衛隊 じえいたい の存在 そんざい 明記 めいき あるいは改憲 かいけん による軍隊 ぐんたい への位置 いち づけなどについては、自民党 じみんとう に比 くら べ消極 しょうきょく 的 てき となっている。
2022年 ねん 参院 さんいん 選 せん の公約 こうやく では、自衛隊 じえいたい の憲法 けんぽう への明記 めいき について「引 ひ き続 つづ き検討 けんとう を進 すす めていく」との表現 ひょうげん を盛 も り込 こ み、「引 ひ き続 つづ き慎重 しんちょう に議論 ぎろん していく」としていた2021年 ねん (令 れい 和 わ 3年 ねん )の第 だい 49回 かい 衆議院 しゅうぎいん 議員 ぎいん 総 そう 選挙 せんきょ より踏 ふ み込 こ んだ。一方 いっぽう で憲法 けんぽう 9条 じょう は、「今後 こんご とも堅持 けんじ する」と強調 きょうちょう した[161] 。
国民 こくみん 民主党 みんしゅとう
9条 じょう について、自衛隊 じえいたい を保持 ほじ する「現実 げんじつ 」との乖離 かいり を埋 う めるため、「政府 せいふ 解釈 かいしゃく 」の積 つ み重 かさ ねと変更 へんこう を繰 く り返 かえ してきた結果 けっか 、「現実 げんじつ 」を規律 きりつ ・統制 とうせい する力 ちから が失 うしな われていると指摘 してき し、速 すみ やかに解決 かいけつ 策 さく を見 み つけ出 だ すべきだとし、制約 せいやく された「自衛 じえい 権 けん の行使 こうし 」と「自衛隊 じえいたい の保持 ほじ 」を憲法 けんぽう に規定 きてい するべきとしている[162] 。
社会 しゃかい 民主党 みんしゅとう
自衛隊 じえいたい の存在 そんざい 自体 じたい は合憲 ごうけん であるが、海外 かいがい 派遣 はけん などは「違憲 いけん である」と主張 しゅちょう している。自衛隊 じえいたい は縮小 しゅくしょう を図 はか り、国境 こっきょう 警備 けいび 、災害 さいがい 救助 きゅうじょ 、国際 こくさい 協力 きょうりょく などの任務 にんむ 別 べつ 組織 そしき に改編 かいへん ・解消 かいしょう して日本 にっぽん は非 ひ 武装 ぶそう であるべきとしている。「9条 じょう への自衛隊 じえいたい の明記 めいき 」については、「『戦争 せんそう を放棄 ほうき し、戦力 せんりょく を保持 ほじ しない』とした憲法 けんぽう を変 か え、自衛隊 じえいたい が何 なに をやっても違憲 いけん と言 い えなくなり、戦争 せんそう のできる国 くに にする『改悪 かいあく 』だ」と反対 はんたい している[163] 。
日本 にっぽん 共産党 きょうさんとう
自衛隊 じえいたい の存在 そんざい は憲法 けんぽう 違反 いはん であるとし、9条 じょう への自衛隊 じえいたい の明記 めいき については日本 にっぽん の平和 へいわ と民主 みんしゅ 主義 しゅぎ にとって危険 きけん であり、「戦力 せんりょく を持 も たない」「交戦 こうせん 権 けん を否認 ひにん する」という9条 じょう の根本 こんぽん を空洞 くうどう 化 か させ、海外 かいがい での無 む 制限 せいげん の武力 ぶりょく 行使 こうし を可能 かのう にするものだとして反対 はんたい している。日米 にちべい 安全 あんぜん 保障 ほしょう 条約 じょうやく の解消 かいしょう を目指 めざ しながら、解消 かいしょう 前 まえ は可能 かのう な限 かぎ り自衛隊 じえいたい を縮小 しゅくしょう し、日米 にちべい 安保 あんぽ 条約 じょうやく 解消 かいしょう 後 ご も国民 こくみん が要望 ようぼう すれば存続 そんぞく し、国民 こくみん が国際 こくさい 情勢 じょうせい などから問題 もんだい ないと判断 はんだん すれば、憲法 けんぽう 9条 じょう の完全 かんぜん 実施 じっし を実現 じつげん するため自衛隊 じえいたい を解消 かいしょう させていくという『段階 だんかい 的 てき 解消 かいしょう 論 ろん 』に立 た っている。ただし、大 だい 規模 きぼ 災害 さいがい や急迫 きゅうはく 不正 ふせい の国家 こっか 主権 しゅけん 侵害 しんがい など必要 ひつよう な場合 ばあい においては活用 かつよう すべきとの立場 たちば をとる[164] [165] 。
みんなでつくる党 とう (旧 きゅう :NHK党 とう 、政治 せいじ 家 か 女子 じょし 48党 とう )
「憲法 けんぽう 9条 じょう への自衛隊 じえいたい の明記 めいき 」については、「『戦力 せんりょく の不 ふ 保持 ほじ 』を定 さだ めた9条 じょう 2項 こう と、自衛隊 じえいたい の存在 そんざい は明 あき らかに矛盾 むじゅん がある」として、「9条 じょう 2項 こう の削除 さくじょ も検討 けんとう すべき」としている。その上 うえ で、憲法 けんぽう に自衛隊 じえいたい を明記 めいき することも検討 けんとう すべきだとしている[166] 。
自衛隊 じえいたい 関係 かんけい 者 しゃ への人権 じんけん 侵害 しんがい や運用 うんよう 面 めん での阻害 そがい
編集 へんしゅう
また、自衛隊 じえいたい の運用 うんよう について次 つぎ のような妨害 ぼうがい を受 う けることがある。
自衛隊 じえいたい の公共 こうきょう 施設 しせつ 使用 しよう に対 たい する、法的 ほうてき 根拠 こんきょ のない妨害 ぼうがい や抗議 こうぎ 。例 れい :自衛隊 じえいたい 音楽 おんがく 会 かい で市民 しみん 会館 かいかん を使用 しよう しようとしたところ市民 しみん 団体 だんたい 「九 きゅう 条 じょう の会 かい 」から抗議 こうぎ を受 う けた[170] 。
ベレンコ中尉 ちゅうい 亡命 ぼうめい 事件 じけん (1976年 ねん )では、現場 げんば を北海道 ほっかいどう 警察 けいさつ が封鎖 ふうさ し、自衛隊 じえいたい には情報 じょうほう 収集 しゅうしゅう が許 ゆる されなかった。ただこのようなケースは俗 ぞく に言 い う「縄張 なわば り争 あらそ い」ともいえる。
災害 さいがい 派遣 はけん において派遣 はけん 先 さき 自治体 じちたい の対応 たいおう が遅 おく れた事例 じれい について、自治体 じちたい 首長 しゅちょう のイデオロギー のために自衛隊 じえいたい を活用 かつよう する気 き がなかったのではないか、と批判 ひはん されることがある。例 れい としては1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )6月 がつ 23日 にち から7月 がつ 3日 にち まで九州 きゅうしゅう から東北 とうほく 南部 なんぶ までを襲 おそ った集中 しゅうちゅう 豪雨 ごうう 災害 さいがい があるが、この時 とき 広島 ひろしま 市長 しちょう (当時 とうじ )の秋葉 あきば 忠利 ただとし は広島 ひろしま 市内 しない で死者 ししゃ ・行方 ゆくえ 不明 ふめい 者 しゃ が多発 たはつ しても災害 さいがい 派遣 はけん 要請 ようせい を行 おこな わなかった[注釈 ちゅうしゃく 16] 。阪神 はんしん ・淡路 あわじ 大震災 だいしんさい でも、当時 とうじ の神戸 こうべ 市 し 長 ちょう の行動 こうどう が批判 ひはん されることがある。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか の軍国 ぐんこく 主義 しゅぎ への反発 はんぱつ 、戦後 せんご の連合 れんごう 国軍 こくぐん 占領 せんりょう 下 か でのアメリカによる思想 しそう 操作 そうさ 、また憲法 けんぽう 9条 じょう 2項 こう に基 もと づく解釈 かいしゃく から、軍事 ぐんじ 的 てき 武力 ぶりょく 組織 そしき である自衛隊 じえいたい は違憲 いけん の存在 そんざい として扱 あつか われてきた。吉田 よしだ 茂 しげる は首相 しゅしょう 辞任 じにん 後 ご の1957年 ねん (昭和 しょうわ 32年 ねん )2月 がつ 初旬 しょじゅん 頃 ごろ 、吉田 よしだ 邸 てい を訪 たず ねた卒業 そつぎょう 間近 まぢか の防衛大学校 ぼうえいだいがくこう 第 だい 一 いち 期生 きせい の学生 がくせい 3人 にん に対 たい して「君 きみ たちは、自衛隊 じえいたい 在職 ざいしょく 中 ちゅう 、決 けっ して国民 こくみん から感謝 かんしゃ されたり、歓迎 かんげい されたりすることなく自衛隊 じえいたい を終 お わるかも知 し れない。非難 ひなん とか誹謗 ひぼう ばかりの一生 いっしょう かもしれない。ご苦労 くろう なことだと思 おも う。しかし、自衛隊 じえいたい が国民 こくみん から歓迎 かんげい され、ちやほやされる事態 じたい とは、外国 がいこく から攻撃 こうげき されて国家 こっか 存亡 そんぼう の危機 きき にある時 とき とか、災害 さいがい 派遣 はけん の時 とき とか、国民 こくみん が困窮 こんきゅう しているときだけなのだ。言葉 ことば を変 か えれば、君 きみ たちが日蔭 ひかげ 者 しゃ であるときのほうが、国民 こくみん や日本 にっぽん は幸 しあわ せなのだ。一生 いっしょう ご苦労 くろう なことだと思 おも うが、国家 こっか のために忍 しの び堪 こた えて貰 もら いたい。自衛隊 じえいたい の将来 しょうらい は君 きみ たちの双肩 そうけん にかかっている。しっかり頼 たの むよ。」と語 かた ったと、3人 にん の内 うち の一人 ひとり である平間 ひらま 洋一 よういち は証言 しょうげん している[174] 。
日本 にっぽん 政府 せいふ が2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )に行 い った世論 せろん 調査 ちょうさ では、回答 かいとう 者 しゃ の84.9%が自衛隊 じえいたい に対 たい する印象 いんしょう が「良 よ い」(「良 よ い印象 いんしょう を持 も っている」37.9%、「悪 わる い印象 いんしょう は持 も っていない」47.0%)とし、過去 かこ 最高 さいこう を記録 きろく した[175] 。また、内閣 ないかく 府 ふ 所管 しょかん の世論 せろん 調査 ちょうさ 機関 きかん である中央 ちゅうおう 調査 ちょうさ 社 しゃ が2008年 ねん 8月 がつ に行 い った調査 ちょうさ [176] によれば、自衛隊 じえいたい は調査 ちょうさ 対象 たいしょう となった組織 そしき のうち、医療 いりょう 機関 きかん と並 なら んで最 もっと も信頼 しんらい 度 ど が高 たか かった[176] [177] 。
さらに、2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )1月 がつ の世論 せろん 調査 ちょうさ では、「良 よ い印象 いんしょう を持 も っている」とする者 もの の割合 わりあい が91.7%(「良 よ い印象 いんしょう を持 も っている」37.5%+「どちらかといえば良 よ い印象 いんしょう を持 も っている」54.2%)、「悪 わる い印象 いんしょう を持 も っている」とする者 もの の割合 わりあい が5.3%(「どちらかといえば悪 わる い印象 いんしょう を持 も っている」4.5%+「悪 わる い印象 いんしょう を持 も っている」0.8%)となっていて、前回 ぜんかい の調査 ちょうさ 結果 けっか と比較 ひかく して見 み ると、「良 よ い印象 いんしょう を持 も っている」(80.9%→91.7%)とする者 もの の割合 わりあい が上昇 じょうしょう している[178] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )3月 がつ 10日 とおか 、内閣 ないかく 府 ふ が公開 こうかい した「自衛隊 じえいたい ・防衛 ぼうえい 問題 もんだい に関 かん する世論 せろん 調査 ちょうさ 」では、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい (東北 とうほく 地方 ちほう 太平洋 たいへいよう 沖 おき 地震 じしん )での自衛隊 じえいたい の活動 かつどう を評価 ひょうか するとした回答 かいとう は97.7%、自衛隊 じえいたい に好 こう 印象 いんしょう を持 も つという回答 かいとう も91.7%で、過去 かこ 最高 さいこう を記録 きろく した。災害 さいがい 派遣 はけん 活動 かつどう を「全 まった く評価 ひょうか しない」とした回答 かいとう はゼロであり、東日本 ひがしにっぽん 大震災 だいしんさい における自衛隊 じえいたい の活動 かつどう が多 おお くの国民 こくみん に認知 にんち された形 かたち となった。他 た 、自衛隊 じえいたい の存在 そんざい 目的 もくてき では、中国 ちゅうごく 軍 ぐん の軍備 ぐんび 増強 ぞうきょう による影響 えいきょう で「外国 がいこく からの侵略 しんりゃく 防止 ぼうし 」が78.6%となり、前年 ぜんねん 比 ひ 8%増加 ぞうか した[179] 。
2012年 ねん (平成 へいせい 24年 ねん )4月 がつ 30日 にち 、FNN は世論 せろん 調査 ちょうさ を行 おこな い、憲法 けんぽう 改正 かいせい をした場合 ばあい 、「自衛隊 じえいたい の位置 いち づけを明確 めいかく にするべきだ」と「思 おも う」は71.7%、「集団 しゅうだん 的 てき 自衛 じえい 権 けん を認 みと め、明文化 めいぶんか するべきだ」と「思 おも う」は62.1%だった[180] 。同年 どうねん 6月 がつ 5日 にち にアメリカの世論 せろん 調査 ちょうさ 機関 きかん ピュー・リサーチ・センターが発表 はっぴょう した調査 ちょうさ によると、「日本 にっぽん 国民 こくみん の約 やく 89%が自衛隊 じえいたい は国 くに の方向 ほうこう 性 せい に良 よ い影響 えいきょう を与 あた えている」と回答 かいとう した[181] 。
^ 航空 こうくう 自衛隊 じえいたい は、2027年 ねん までに"「航空 こうくう 宇宙 うちゅう 自衛隊 じえいたい 」に改称 かいしょう される。
^ 栗栖 くりす 弘 ひろし 臣 しん は、2000年 ねん に上梓 じょうし した『日本 にっぽん 国防 こくぼう 軍 ぐん を創設 そうせつ せよ』中 ちゅう でこう述 の べた――「国民 こくみん の生命 せいめい 、身体 しんたい 、財産 ざいさん を守 まも るのは警察 けいさつ の使命 しめい (警察 けいさつ 法 ほう )であって、武装 ぶそう 集団 しゅうだん たる自衛隊 じえいたい の任務 にんむ ではない。自衛隊 じえいたい は『国 くに の独立 どくりつ と平和 へいわ を守 まも る』(自衛隊 じえいたい 法 ほう )のである。『国 くに 』とは、わが国 くに の歴史 れきし 、伝統 でんとう に基 もと づく固有 こゆう の文化 ぶんか 、長 なが い年月 としつき の間 あいだ に醸成 じょうせい された国柄 くにがら 、天皇 てんのう 制 せい を中心 ちゅうしん とする一体 いったい 感 かん を享受 きょうじゅ する民族 みんぞく 、家族 かぞく 意識 いしき である。決 けっ して個々 ここ の国民 こくみん を意味 いみ しない」。
^ 防衛 ぼうえい 省 しょう 職員 しょくいん は自衛 じえい 官 かん のほか事務 じむ 官 かん 等 ひとし (防衛 ぼうえい 書記官 しょきかん 、防衛 ぼうえい 部員 ぶいん など)から構成 こうせい されているが、そのほとんどは同時 どうじ に自衛隊 じえいたい 員 いん でもある。
^ 「自衛隊 じえいたい 」の定義 ていぎ について規定 きてい する自衛隊 じえいたい 法 ほう 第 だい 2条 じょう 第 だい 1項 こう には「政令 せいれい で定 さだ める合議 ごうぎ 制 せい の機関 きかん 並 なら びに防衛 ぼうえい 省 しょう 設置 せっち 法 ほう (昭和 しょうわ 二 に 十 じゅう 九 きゅう 年 ねん 法律 ほうりつ 第 だい 百 ひゃく 六 ろく 十 じゅう 四 よん 号 ごう )第 だい 四 よん 条 じょう 第 だい 二 に 十 じゅう 四 よん 号 ごう 又 また は第 だい 二 に 十 じゅう 五 ご 号 ごう に掲 かか げる事務 じむ をつかさどる部局 ぶきょく 及 およ び職 しょく で政令 せいれい で定 さだ めるものを除 のぞ く」との除外 じょがい 規定 きてい が含 ふく まれており、防衛 ぼうえい 省 しょう に属 ぞく する機関 きかん のうち独立 どくりつ 行政 ぎょうせい 法人 ほうじん 評価 ひょうか 委員 いいん 会 かい 、防衛 ぼうえい 人事 じんじ 審議 しんぎ 会 かい 、自衛隊 じえいたい 員 いん 倫理 りんり 審査 しんさ 会 かい 、防衛 ぼうえい 調達 ちょうたつ 審議 しんぎ 会 かい 、防衛 ぼうえい 施設 しせつ 中央 ちゅうおう 審議 しんぎ 会 かい 、防衛 ぼうえい 施設 しせつ 地方 ちほう 審議 しんぎ 会 かい 、捕虜 ほりょ 資格 しかく 認定 にんてい 等 とう 審査 しんさ 会 かい 、防衛 ぼうえい 省 しょう 地方 ちほう 協力 きょうりょく 局 きょく 労務 ろうむ 管理 かんり 課 か については「自衛隊 じえいたい 」の範囲 はんい から除外 じょがい されている(自衛隊 じえいたい 法 ほう 施行 しこう 令 れい 第 だい 1条 じょう 第 だい 1項 こう ・第 だい 2項 こう )。従 したが って、「自衛隊 じえいたい 」と「防衛 ぼうえい 省 しょう 」とでは組織 そしき の範囲 はんい が完全 かんぜん に一致 いっち するわけではない。
^ ごく稀 まれ に、自衛隊 じえいたい そのものも自 みずか らを「軍 ぐん 」と呼称 こしょう することがある。例 れい : modchannel - 昭和 しょうわ 36年 ねん 防衛庁 ぼうえいちょう 記録 きろく (1分 ふん 17秒 びょう からの統幕 とうばく 会議 かいぎ に関 かん する説明 せつめい において)
^ 方面 ほうめん 総監 そうかん 旗 き 、師団 しだん 長旗 ながはた 、旅団 りょだん 長旗 ながはた 、団長 だんちょう 旗 き 、海 うみ 将 はた 旗 はた 、海 うみ 将 しょう 補 ほ 旗 き 、代将 だいしょう 旗 き 、隊 たい 司令 しれい 旗 き (甲 かぶと )、隊 たい 司令 しれい 旗 き (乙 おつ )、長旗 ながはた 、先任 せんにん 旗 き 、航空 こうくう 総 そう 隊 たい 司令 しれい 官 かん 旗 はた 、航空 こうくう 方面 ほうめん 隊 たい 司令 しれい 官 かん 旗 はた 、航空 こうくう 混成 こんせい 団 だん 司令 しれい 旗 き 、航空 こうくう 支援 しえん 集団 しゅうだん 司令 しれい 官 かん 旗 はた 、航空 こうくう 教育 きょういく 集団 しゅうだん 司令 しれい 官 かん 旗 はた 、航空 こうくう 開発 かいはつ 実験 じっけん 集団 しゅうだん 司令 しれい 官 かん 旗 はた 、航空 こうくう 団 だん 司令 しれい 旗 き 、第 だい 83航空 こうくう 隊 たい 司令 しれい 旗 き 、航空 こうくう 警戒 けいかい 管制 かんせい 団 だん 司令 しれい 旗 き 、航空 こうくう 救難 きゅうなん 団 だん 司令 しれい 旗 き 、飛行 ひこう 開発 かいはつ 実験 じっけん 団 だん 司令 しれい 旗 き 、航空 こうくう 医学 いがく 実験 じっけん 隊 たい 司令 しれい 旗 はた 及 およ び航空 こうくう 安全 あんぜん 管理 かんり 隊 たい 司令 しれい 旗 き 。
^ 1999年 ねん の第 だい 13旅団 りょだん が編成 へんせい されるまでは、桜 さくら 星 ぼし は階級 かいきゅう では無 な く部隊 ぶたい 規模 きぼ を示 しめ していた。例 れい としては、桜 さくら 星 ぼし 3個 こ が方面 ほうめん 総監 そうかん ・2個 こ が師団 しだん ・1個 いっこ が団 だん 及 およ び将 はた 補 ほ が指定 してい 階級 かいきゅう の部隊 ぶたい 長等 ながら となっていた
^ 統合 とうごう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう ・陸上 りくじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう ・海上 かいじょう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう ・航空 こうくう 幕僚 ばくりょう 長 ちょう 。
^ 但 ただ し、かつては桜 さくら 星 ぼし 1個 いっこ の団 だん 旗 き も存在 そんざい していた。北 きた 恵庭 えにわ 駐屯 ちゅうとん 地 ち 資料 しりょう 館 かん に帽章 ぼうしょう に桜 さくら 星 ぼし 1個 いっこ の戦車 せんしゃ 団 だん 旗 はた として現存 げんそん 、詳細 しょうさい は東 ひがし 長崎 ながさき 機関 きかん を参照 さんしょう
^ 学説 がくせつ については野中 のなか 俊彦 としひこ ・高橋 たかはし 和之 かずゆき ・中村 なかむら 睦男 むつお ・高見 たかみ 勝利 かつとし 『憲法 けんぽう (1)第 だい 4版 はん 』(2006年 ねん )有斐閣 ゆうひかく 、164-166頁 ぺーじ も参照 さんしょう のこと。
^ 違憲 いけん 判決 はんけつ として、2009年 ねん 現在 げんざい 、1973年 ねん の長沼 ながぬま ナイキ事件 じけん の札幌 さっぽろ 地方裁判所 ちほうさいばんしょ 判決 はんけつ 、2008年 ねん 4月 がつ 17日 にち のイラク派遣 はけん 事件 じけん の名古屋 なごや 高等 こうとう 裁判所 さいばんしょ 判決 はんけつ 、の2例 れい があるが、いずれも下級 かきゅう 審 しん の判決 はんけつ である。
^ 1999年 ねん (平成 へいせい 11年 ねん )9月 がつ 13日 にち 、参議院 さんぎいん 予算 よさん 委員 いいん 会 かい における大森 おおもり 内閣 ないかく 法制 ほうせい 局 きょく 長官 ちょうかん の答弁 とうべん を参照 さんしょう
^ 1967年 ねん (昭和 しょうわ 42年 ねん )3月 がつ 31日 にち 参議院 さんぎいん 予算 よさん 委員 いいん 会 かい における増田 ますだ 甲子 きのえね 七 なな 国務大臣 こくむだいじん の答弁 とうべん 。これは、1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )4月 がつ 1日 にち 衆議院 しゅうぎいん 内閣 ないかく 委員 いいん 会 かい における木村 きむら 篤太郎 とくたろう 国務大臣 こくむだいじん の発言 はつげん 等 とう を前提 ぜんてい としたもの。
^ 佐々淳行 さっさあつゆき の次男 じなん が通 かよ っていた小学校 しょうがっこう の日教組 にっきょうそ 組合 くみあい 員 いん の女 おんな 教師 きょうし が、父親 ちちおや が警察官 けいさつかん ・自衛 じえい 官 かん である生徒 せいと を立 た たせて「この子 こ 達 たち の親 おや は悪人 あくにん です!」と吊 つる し上 あ げた。佐々 ささ は激怒 げきど し、教師 きょうし は家庭 かてい 訪問 ほうもん を行 おこな ったが、その席 せき で反省 はんせい の弁 べん は無 な く、自民党 じみんとう や自衛隊 じえいたい 、警察 けいさつ を口汚 くちぎたな く罵 ののし るばかりであったが、教育 きょういく 委員 いいん 会 かい に訴 うった え出 で て免職 めんしょく させると佐々 ささ が言 い うと、教師 きょうし は一転 いってん して土下座 どげざ して謝罪 しゃざい しはじめた。この際 さい 、この教師 きょうし は「日教組 にっきょうそ の組織 そしき をあげて戦 たたか う」と発言 はつげん したという[168] 。
^ 産経新聞 さんけいしんぶん 社会 しゃかい 部 ぶ 次長 じちょう 大野 おおの 敏明 としあき は、1996年 ねん 2月 がつ 2日 にち 付 づけ 産経新聞 さんけいしんぶん 東京 とうきょう 夕刊 ゆうかん において、「自衛隊 じえいたい 員 いん の息子 むすこ として教師 きょうし から虐 いじ めを受 う け、登校 とうこう 拒否 きょひ になった」「同 おな じく自衛 じえい 官 かん の息子 むすこ だった友人 ゆうじん は内申 ないしん 書 しょ の評価 ひょうか を下 さ げられた、親 おや の職業 しょくぎょう を言 い いたがらない者 もの もいた」と述 の べている。
^ 最 もっと も被害 ひがい の大 おお きかった広島 ひろしま 県 けん では、土砂崩 どしゃくず れや土石流 どせきりゅう が多発 たはつ して死者 ししゃ ・行方 ゆくえ 不明 ふめい 者 しゃ が31人 にん に上 のぼ った。6月29日 にち の夕方 ゆうがた から被害 ひがい が拡大 かくだい しはじめ、死者 ししゃ ・行方 ゆくえ 不明 ふめい 者 しゃ が続々 ぞくぞく と確認 かくにん される中 なか 、20時 じ の時点 じてん で自衛隊 じえいたい から広島 ひろしま 県 けん に対 たい して災害 さいがい 派遣 はけん 要請 ようせい の必要 ひつよう 性 せい の確認 かくにん が行 おこな われた。これを受 う け広島 ひろしま 県 けん は広島 ひろしま 市 し の意向 いこう を確認 かくにん したが、広島 ひろしま 市 し は自衛隊 じえいたい の派遣 はけん は必要 ひつよう ないとして断 ことわ っている。一夜 いちや 明 あ けた30日 にち 、被害 ひがい はさらに拡大 かくだい 。結果 けっか 、6月30日 にち 午前 ごぜん 4時 じ の時点 じてん で広島 ひろしま 市 し は県 けん へ災害 さいがい 派遣 はけん 要請 ようせい を行 おこな った。産経新聞 さんけいしんぶん は1999年 ねん 7月 がつ 1日 にち の記事 きじ で『秋葉 あきば 忠利 ただとし ・広島 ひろしま 市長 しちょう は「何 なに かできなかったかという思 おも いはある。教訓 きょうくん として生 い かしたい」と述 の べたそうだが、冗談 じょうだん ではない。その能力 のうりょく を十分 じゅうぶん に持 も っている自衛隊 じえいたい を活用 かつよう する気 き がなかったとしか思 おも えない。自分 じぶん のイデオロギー のために広島 ひろしま 市民 しみん の生命 せいめい をないがしろにした、重大 じゅうだい なる「人災 じんさい 」と言 い っても過言 かごん ではないだろう』と批判 ひはん した。この件 けん では、広島 ひろしま 市 し が対策 たいさく に忙殺 ぼうさつ されており、広島 ひろしま 県 けん も災害 さいがい 対策 たいさく 本部 ほんぶ の設置 せっち が遅 おく れ、情報 じょうほう を消防庁 しょうぼうちょう に送 おく ることが遅滞 ちたい していたため、国土庁 こくどちょう や総理 そうり 大臣 だいじん 官邸 かんてい に連絡 れんらく することが出来 でき ないまま時間 じかん が経過 けいか していた。災害 さいがい 派遣 はけん 要請 ようせい の決 き め手 て となる被害 ひがい 地域 ちいき の航空 こうくう 写真 しゃしん が広島 ひろしま 市 し 消防局 しょうぼうきょく 長 ちょう の手元 てもと に届 とど いたのは30日 にち 午前 ごぜん 零 れい 時 じ であり、その4時 じ 間 あいだ 後 ご には広島 ひろしま 県知事 けんちじ に対 たい して自衛隊 じえいたい 派遣 はけん 要請 ようせい が行 おこな われている[171] [172] [173] 。
ウィキメディア・コモンズには、
自衛隊 じえいたい に
関連 かんれん するカテゴリがあります。