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海上警備隊 - Wikipedia

海上かいじょう警備けいびたい(かいじょうけいびたい、英語えいご: Coastal Safety Force[1])は、1952ねん昭和しょうわ27ねん4がつ26にちから7がつ31にちまで、海上保安庁かいじょうほあんちょううち設置せっちされていた海上かいじょう警備けいび機関きかん英名えいめいはMaritime Guard[2][ちゅう 1]/Maritime Security Force[3]/Maritime Safety Security Force[4]変遷へんせんした。

海上かいじょうにおける人命じんめいしくは財産ざいさん保護ほごまた治安ちあん維持いじのため緊急きんきゅう必要ひつようがある場合ばあいにおいて、海上かいじょう必要ひつよう行動こうどうをするための機関きかん」とされる[5]。ただし海上保安庁かいじょうほあんちょうない機関きかんではあるものの、警備けいび救難きゅうなんかん当時とうじ海上かいじょう保安ほあんかんトップ)の統制とうせいけないなど独立どくりつせいたか組織そしきであった。やく6,000めい定員ていいんのうち、幹部かんぶの99%以上いじょう下士官かしかんの98%以上いじょうきゅう海軍かいぐん軍人ぐんじんであり[3]きゅう海軍かいぐん軍人ぐんじん主導しゅどうもと将来しょうらいてきには海上かいじょう防衛ぼうえいりょく母体ぼたいとして独立どくりつすることを視野しやれた「スモール・ネイビー」として組織そしきされていた[6][4]実際じっさい発足ほっそく同年どうねん8がつ1にちにははやくも保安庁ほあんちょう警備けいびたいとして海上保安庁かいじょうほあんちょうから独立どくりつし、2ねん1954ねん昭和しょうわ29ねん7がつ1にちには、防衛庁ぼうえいちょう現在げんざい防衛ぼうえいしょう海上かいじょう自衛隊じえいたいへと発展はってんしている。

来歴らいれき 編集へんしゅう

1945ねん昭和しょうわ20ねん9月2にちべい戦艦せんかんミズーリ艦上かんじょうおこなわれた日本にっぽん降伏ごうぶく文書ぶんしょ調印ちょういんしきけて、日本にっぽんぐんぜんぐん武装ぶそう解除かいじょ戦闘せんとう停止ていし発動はつどうされた。10月15にちには大日本帝国だいにっぽんていこく海軍かいぐん軍令ぐんれい部門ぶもんである軍令ぐんれいが、11月30にちには軍政ぐんせい部門ぶもんである海軍かいぐんしょう廃止はいしされた。これをけ、12月1にちには、海軍かいぐんしょうになってきた復員ふくいんなどの業務ぎょうむぐためにだい復員ふくいんしょう発足ほっそくしたが、これも復員ふくいん進展しんてんともない、1946ねん昭和しょうわ21ねん6月15にちにはだいいち復員ふくいんしょう陸軍りくぐんしょう)と統合とうごうされ、内閣ないかく外局がいきょくたる復員ふくいんちょうにおいてだい復員ふくいんきょくとなった。1947ねん昭和しょうわ22ねんまつごろより、きゅう海軍かいぐん佐官さかんきゅうどう局員きょくいん中心ちゅうしんに、連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい(GHQ)やアメリカ極東きょくとう海軍かいぐん司令しれい(COMNAVFE)の要員よういん懇親こんしんふかめつつ、海軍かいぐんふくめたさい軍備ぐんび計画けいかくられるようになった[6]

一方いっぽう、もともと海軍かいぐんになっていた日本にっぽん周辺しゅうへん海域かいいきにおけるほう秩序ちつじょ維持いじ任務にんむはしばらくちゅうくことになったが、治安ちあん悪化あっか輸入ゆにゅう感染かんせんしょう流行りゅうこうともない、不法ふほう入国にゅうこく船舶せんぱく監視かんし本部ほんぶて、1948ねん昭和しょうわ23ねん)、連合れんごう国軍こくぐん占領せんりょう日本にっぽんにおいて洋上ようじょう警備けいび救難きゅうなんおよび交通こうつう維持いじ担当たんとうする文民ぶんみん組織そしきとして、運輸省うんゆしょう現在げんざい国土こくど交通省こうつうしょう)の外局がいきょくとして海上保安庁かいじょうほあんちょう設立せつりつされることとなった。このとき、だい復員ふくいんきょくから掃海そうかい業務ぎょうむいでいた運輸省うんゆしょう海運かいうん総局そうきょく掃海そうかいかん船部ふなべ掃海そうかい田村たむら久三きゅうぞう課長かちょう)も、保安ほあんきょく掃海そうかいとして海上保安庁かいじょうほあんちょう移管いかんされることとなった。ただし創設そうせつ当時とうじは、武装ぶそうした海上かいじょう保安ほあん機構きこうたいする極東きょくとう委員いいんかいでの反発はんぱつ考慮こうりょしたGHQ民政みんせいきょく指示しじけ、巡視じゅんしせん軍事ぐんじようではないと明示めいじするため、排水はいすいりょう武装ぶそう速力そくりょくきびしい制限せいげんされていた[6]

1950ねん昭和しょうわ25ねん)10がつ吉田よしだしげる内閣ないかく総理そうり大臣だいじん主催しゅさいする会食かいしょく席上せきじょう極東きょくとう海軍かいぐん司令しれいかんC・ターナー・ジョイ中将ちゅうじょうより、野村のむら吉三郎きちさぶろうもと海軍かいぐん大将たいしょうたいして、ソ連それん海軍かいぐんから返却へんきゃくされたあと横須賀よこすかこう係留けいりゅうされているタコマきゅうフリゲート10せき貸与たいよみとめてもよいむね非公式ひこうしき打診だしんがあった。この打診だしんけて、野村のむらもと大将たいしょうは、保科ほしな善四郎ぜんしろうもと中将ちゅうじょうおよび復員ふくいんちょうだい復員ふくいんきょくもと海軍かいぐん軍人ぐんじんとともに海軍かいぐん再興さいこう私的してき検討けんとうはいった。1951ねん昭和しょうわ26ねん)1がつ保科ほしなもと中将ちゅうじょう富岡とみおかじょうしゅんもと少将しょうしょう吉田よしだ英三えいぞうもと大佐たいさたちととも海軍かいぐん再建さいけんあんりまとめ、極東きょくとう海軍かいぐん司令しれい参謀さんぼう副長ふくちょう(DCSTFE)アーレイ・バーク少将しょうしょう提示ていじした。計画けいかくはバーク少将しょうしょう助言じょげんによる修正しゅうせい1952ねん昭和しょうわ27ねん)1がつ受領じゅりょうされ、2がつには吉田よしだ首相しゅしょうにも説明せつめいされた[7]

Y委員いいんかい 編集へんしゅう

1951ねん昭和しょうわ26ねん10月19にち吉田よしだ首相しゅしょう連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかん(SCAP)マシュー・リッジウェイ大将たいしょう会談かいだんにおいて、フリゲート(PF)18せき上陸じょうりく支援しえんてい(LSSL)50せき貸与たいよするとの提案ていあん正式せいしきになされ、吉田よしだ首相しゅしょうはこれをその承諾しょうだくした。よく20にち岡崎おかざき勝男かつお内閣ないかく官房かんぼう長官ちょうかんより柳澤やなぎさわ米吉よねきち海上保安庁かいじょうほあんちょう長官ちょうかんおよび山本やまもと善雄よしおもと海軍かいぐん少将しょうしょうたいし、これらの艦艇かんてい受入うけいれと運用うんよう体制たいせい確立かくりつかんして政府せいふ諮問しもんこたえるための委員いいんかい設立せつりつ要請ようせいされた。これをけて10月31にち組織そしきされたのがY委員いいんかいである[7]

Y委員いいんかい内閣ないかく直属ちょくぞく秘密ひみつ組織そしきであり、だい1かい会合かいごうは、1951ねん昭和しょうわ26ねん)10がつ31にち午後ごご2より、委員いいん10めい全員ぜんいん出席しゅっせきのもと、かすみせき海上保安庁かいじょうほあんちょう臨時りんじ会議かいぎしつおこなわれた。Y委員いいんかいはその海上かいじょう警備けいびたい発足ほっそく前日ぜんじつにあたる1952ねん昭和しょうわ27ねん)4がつ25にちまで、毎週まいしゅう金曜きんよう、29かいにわたる定例ていれいかいひらき、日本にっぽん海上かいじょう防衛ぼうえいりょく再建さいけんのための計画けいかく策定さくていにあたった[6]

Y委員いいんかい当初とうしょきゅう海軍かいぐん軍人ぐんじん8めい海上かいじょう保安ほあんかん2めいけい10めい委員いいんにより構成こうせいされていたが、人数にんずうがあまりにひらいていたことから、だい2かい会合かいごうより、臨時りんじ委員いいんとして海上かいじょう保安ほあんかん1めい追加ついかされた。きゅう海軍かいぐん軍人ぐんじんのうち、山本やまもともと少将しょうしょうあきしげるもと少将しょうしょう永井ながいもと大佐たいさの3めい以外いがいは、いずれもだい復員ふくいんきょくきゅう海軍かいぐんしょう)の部課ぶかちょうクラスであった[6]

きゅう海軍かいぐんがわは、創設そうせつされるしん機構きこう(海上かいじょう保安ほあん予備よびたいないしは海上かいじょう警備けいびたい[8][ちゅう 2])にかんして、つぎよんてんなどの基本きほん見解けんかいべた。

  1. しん機構きこう人員じんいん特別とくべつしょくとする。
  2. しん機構きこう海軍かいぐん母体ぼたいにする。
  3. 将来しょうらい航空こうくう兵力へいりょく主要しゅようポストをめる。
  4. アメリカ海軍かいぐんからの貸与たいよ艦艇かんてい日本にっぽん政府せいふ運用うんようするものであり、アメリカの傭兵ようへいではない。
— だい復員ふくいんきょくがわ[4]

これにたいして海保かいほがわは「海上かいじょう保安ほあん予備よびたい」について以下いか設置せっち要綱ようこうべた。

  1. 予備よびたい軍政ぐんせい部門ぶもんげん海上保安庁かいじょうほあんちょう組織そしき利用りようすべきである。
  2. 予備よびたいそうたいかん軍令ぐんれいけいとする。
  3. アメリカ海軍かいぐんからの貸与たいよ艦艇かんてい海保かいほの10ヶ所かしょ警備けいび地域ちいき配分はいぶんする。
— 海上保安庁かいじょうほあんちょうがわ[4]

海上保安庁かいじょうほあんちょうがわ(以下いか海保かいほ」とりゃくす)はあくまで海保かいほ強化きょうか目指めざ内容ないようであり、しん海軍かいぐん分離ぶんり目指めざだい復員ふくいんきょくがわ(以下いかふく」とりゃくす)を牽制けんせいした。

海保かいほがわ方針ほうしんたいしてふくがわは「海保かいほあん軍令ぐんれいけいのみで、ふくがわ(きゅう海軍かいぐんがわ)あん軍政ぐんせい軍令ぐんれいりょうあんがあるのがおおきな相違そういである」と反発はんぱつした。これにたいして海保かいほがわは「沿岸えんがん警備けいびりょく増強ぞうきょうためしん機構きこうであるが、国民こくみんたいしてぐん再建さいけん不安ふあんあたえぬ考慮こうりょ必要ひつようである」「予備よびたい実施じっし部隊ぶたいであるが、経理けいり人事じんじあつかうので軍政ぐんせい部門ぶもんもある。したがってふくがわ要綱ようこうにある『実施じっし部隊ぶたい』という用語ようご適当てきとうである」など、当時とうじ反軍はんぐん感情かんじょう言及げんきゅうして反論はんろんした。

それにたいしてふくがわは「海軍かいぐんつくろうというのに文官ぶんかん長官ちょうかんでということはありない」「管理かんりするのは官制かんせいじょう長官ちょうかんであり、総務そうむなどは幕僚ばくりょう機関きかんであるべきだ」と反発はんぱつした[4]。ただし、ふくがわ海保かいほがわではしん機構きこうは「アメリカ海軍かいぐん傭兵ようへいではなく日本にっぽん自主じしゅ独立どくりつ立場たちばつらぬことでは一致いっちした[4]

1952ねん昭和しょうわ27ねん)1がつ10日とおかきゅう海軍かいぐんがわ山本やまもとグループが「しん空海くうかい防衛ぼうえいりょく建設けんせつについて所見しょけん」とだいする報告ほうこくしょをアメリカ極東きょくとう海軍かいぐん司令しれい提出ていしゅつほん報告ほうこくしょは5~6ねんかけてまとめたさい軍備ぐんび実行じっこう計画けいかくあん(別冊べっさつだいいち)と、計画けいかく遂行すいこうを2~3ねん延長えんちょうする事態じたいになった場合ばあい修正しゅうせいあん(別冊べっさつだい)からなり、「今般こんぱん海上保安庁かいじょうほあんちょうから提案ていあんされた船舶せんぱく増勢ぞうせい要求ようきゅうあんたんにCoast Guardの強化きょうかはかるものであって航空こうくうならびに海上かいじょう防衛ぼうえいりょく増強ぞうきょうにはきわめて能率のうりつなものとわねばならぬ」とし、さい軍備ぐんび予算よさんとしてY機構きこうやく56おくえん新規しんき計画けいかくに280おくえん合計ごうけい336おくえん計上けいじょうすること提案ていあんした(「しん空海くうかい防衛ぼうえいりょく建設けんせつについて所見しょけん」1がつ10日とおか)[4]

しんそら海軍かいぐん建設けんせつ概要がいよう
  1. 1951ねん、1952ねん会計かいけい年度ねんどにアメリカから貸与たいよされる艦船かんせん60せきをY委員いいんかい勧告かんこくもとづいて、すみやかに有事ゆうじ即応そくおう可能かのうとなるような戦力せんりょく錬成れんせいはかる、この場合ばあい、Y機構きこう要員よういん計画けいかくやく8000にんとし、機構きこう編成へんせいとうどう委員いいんかい報告ほうこくとおりにする。
  2. 時機じきたならば、Y機構きこう海上保安庁かいじょうほあんちょうから分離ぶんりし、しん国防こくぼう自衛じえいりょく骨幹こっかんたるべき本格ほんかくてきそら海軍かいぐん創設そうせつする。この場合ばあい機構きこう編成へんせい研究けんきゅうちゅうであるが、おおむね野村のむら提督ていとくおよびだい復員ふくいんきょくから司令しれい提出ていしゅつした構想こうそう基盤きばんとする。
  3. ぜん各号かくごうともな軍備ぐんび計画けいかくは、飛行機ひこうき1800艦船かんせん28まんトン、要員よういん10まんにんそら海軍かいぐん兵力へいりょくを8ヶ年かねん整備せいびする。
— きゅう海軍かいぐんがわ[4]

1952ねん昭和しょうわ27ねん)2がつ4にち合同ごうどう委員いいんかいひらかれ、しん機構きこうのありかたについてはアメリカ極東きょくとう海軍かいぐん軍事ぐんじ顧問こもんだん裁定さいていゆだねることになり、オフチー参謀さんぼうちょうふくがわあんみとめて「(しん機構きこうを)separate(分離ぶんり)するあんでなければいけない」とべ、しん機構きこう名称めいしょう海保かいほがわ命名めいめいした「海上かいじょう保安ほあん予備よびたい」を却下きゃっかして「ぜひともCoastal Safety Force」にせよとされ[4]、15にちには海上かいじょう警備けいびたい(Maritime Security Force)にたいする次長じちょう警備けいび救難きゅうなんかん指揮しきけんおよばないことが委員いいんかい報告ほうこくされた[3]最終さいしゅうてきには海上かいじょう警備けいびたい(Maritime Safety Security Force)として、いずれしん機構きこう海保かいほから離脱りだつ独立どくりつさせることがまった[4]

国会こっかいでの論議ろんぎ 編集へんしゅう

従来じゅうらい海上保安庁かいじょうほあんちょう機構きこうくわえて、海上かいじょう警備けいびたい新設しんせつすることについてさい軍備ぐんび懸念けねんもあり、発足ほっそくには以下いかのような国会こっかいにおける答弁とうべんがなされた。

昭和しょうわ27ねん3月24にち参議院さんぎいん予算よさん委員いいんかい審議しんぎ

  • 岡本おかもとあいゆう委員いいん
    • 海上かいじょう警備けいびたい出動しゅつどうようするときとかんがえられるれいひとげていただきたいとおもいます。」
  • 大橋おおはし武夫たけお大臣だいじん
    • 密入国みつにゅうこくでありまするとか、あるいは海上かいじょうにおける漁業ぎょぎょうたいする妨害ぼうがいてき行動こうどうというものにたいしまして取締とりしまをし、あるいは漁船ぎょせん保護ほごする、こういうのが警備けいびなのでございまするが、とく相手方あいてがた多数たすう集合しゅうごうしておりまする場合ばあいあるいはまたとく武器ぶき装備そうびしておりまする場合ばあい、そういう場合ばあいにおきましては一般いっぱん警備けいび救難きゅうなん使用しようする船舶せんぱくではこれにたいするに十分じゅうぶんなる能力のうりょくがございませんので、したがいましてとくにそういう場合ばあいにおきましては、しんらしい海上かいじょう警備けいびたい所属しょぞく船舶せんぱく行動こうどうつようにいたしたい、こうかんがえているのであります。」

昭和しょうわ27ねん3月26にち衆議院しゅうぎいん内閣ないかく委員いいんかい

  • 村上むらかみ義一ぎいち国務大臣こくむだいじん
    • 海上かいじょうにおける天災てんさい、また相当そうとうだい規模きぼ災害さいがいおよ重大じゅうだい秩序ちつじょ攪乱かくらんとうたいしましても、緊急きんきゅう対処たいしょできるようにいたしますためには、集団しゅうだん訓練くんれんほどこした機動きどうちからのある海上かいじょう予備よび勢力せいりょく必要ひつようとなつてまいるのでありまして、これがために海上かいじょう警備けいびたい設置せっちいたしまして、みずからのによつてできかぎりの態勢たいせいととのえ、そうして国家こっかとしての責務せきむはたすことといたしたいのであります。海上かいじょう警備けいびたいは、海上かいじょうにおける人命じんめいおよ財産ざいさん保護ほごならびに治安ちあん確保かくほのための緊急きんきゅう必要ひつようがあります場合ばあいにおいて、海上かいじょうにおいて必要ひつよう行動こうどうおこなうための機関きかんでありまして、その任務にんむは、海上保安庁かいじょうほあんちょう所掌しょしょう事務じむ範囲はんいないにもちろんかぎられる次第しだいであります。
      海上かいじょう警備けいびたいは、そうかんおよ若干じゃっかん地方ちほうかんをもつて組織そしきされますところの海上保安庁かいじょうほあんちょう附属ふぞく機関きかんでありまして、その職員しょくいん定員ていいんをとりあえずろくせんさんじゅうはちめいといたしまして、海上かいじょう警備けいびかんその必要ひつよう職員しょくいんくことといたしたのであります。
      海上かいじょう警備けいびたい職員しょくいんは、一般いっぱん行政ぎょうせい機関きかん勤務きんむします職員しょくいんことなりまして、その職場しょくば海上かいじょうにあるのでございますが、陸上りくじょう勤務きんむしゃにつきましても、原則げんそくとして一定いってい宿舎しゅくしゃ居住きょじゅうして常時じょうじ勤務きんむする態勢たいせいにあるものでありまして、またその職員しょくいん一定いってい年齢ねんれいたっしますれば停年ていねんせいをもつて退職たいしょくしなければならないなど、特殊とくしゅ勤務きんむ條件じょうけんふくするものでありますので、これを国家こっか公務員こうむいんほううえ特別とくべつしょくといたすことによりまして、国家こっか公務員こうむいんほう適用てきよう除外じょがいして、これにかわるべき所要しょよう人事じんじ管理かんりかんする規定きてい本法ほんぽうもうけたいとおもうのであります。
      すなわち海上かいじょう警備けいびたい職員しょくいん任命にんめいけんしゃ欠格けっかく条項じょうこう階級かいきゅう任用にんようじょきゅう分限ぶげん懲戒ちょうかい服務ふくむとうかんする規定きていもうけますとともに、職員しょくいんはんする処分しょぶんたいしましては、公正こうせい審査しんさかいへの審査しんさ請求せいきゅうみちひらきますひとし国家こっか公務員こうむいんほう精神せいしんにのつとりまして、海上かいじょう警備けいびたいにおきます勤務きんむ特殊とくしゅせい適合てきごうしたしょ規定きていもうけんとしておる次第しだいであります。
      また海上かいじょう警備けいびかんたいしましては、海上かいじょうにおきます職務しょくむ執行しっこうじょう必要ひつようせいにかんがみまして、海上かいじょう保安ほあんかんじゅんじて立入検査たちいりけんさけん武器ぶき携帯けいたいおよびその使用しようみとめますとともに、刑事けいじ訴訟そしょうほううえのいわゆる緊急きんきゅう逮捕たいほ権限けんげんあたえまして、職務しょくむ執行しっこう万全ばんぜんしたいとぞんずる次第しだいであります。
      なお海上かいじょう警備けいびかんのうち、部内ぶない秩序ちつじょ維持いじ職務しょくむ従事じゅうじいたしますものたいしましては、必要ひつよう限度げんど司法しほう警察けいさつけんあたえまして、海上かいじょう警備けいびたい内部ないぶ規律きりつ維持いじして、厳正げんせい職務しょくむ執行しっこうすることといたしたいのであります。
      最後さいごに、海上かいじょう警備けいびたい職員しょくいんたいしましては、一般いっぱん国家こっか公務員こうむいんほうれいにならいまして、労働ろうどう関係かんけい法規ほうき適用てきよう除外じょがいいたしますとともに、その船舶せんぱくにつきましては、船舶せんぱく構造こうぞうなり、運航うんこう特殊とくしゅせいから船舶せんぱく安全あんぜんほうまた船舶せんぱく職員しょくいんほう適用てきよう除外じょがいいたしまして、またその移動いどう無線むせんきょくにつきましても、同様どうよう理由りゆうによりまして、電波でんぱほう一部いちぶ適用てきよう除外じょがいいたすことにしたいとおもいます。以上いじょうもうべましたところが海上保安庁かいじょうほあんちょうほう一部いちぶ改正かいせいする法律ほうりつあん提案ていあん理由りゆうのあらましであるのであります。」

海上かいじょう警備けいびたい発足ほっそく 編集へんしゅう

海上かいじょう警備けいびたい創設そうせつは、1952ねん昭和しょうわ27ねん)2がつ20日はつか海上保安庁かいじょうほあんちょう改正かいせいあん要綱ようこうとして正式せいしき発表はっぴょうされた[6]同年どうねん4がつ26にち正式せいしき海上かいじょう警備けいびたい発足ほっそくし、同日どうじつ海上かいじょう警備けいびたい総監そうかんかすみせききゅう海軍かいぐん省庁しょうちょうしゃ設置せっちされたが、ここでもふく(きゅう海軍かいぐん)と海保かいほあいだはげしい人事じんじ抗争こうそうこり、とくに4がつ26にち海上保安庁かいじょうほあんちょう次長じちょうであった山崎やまざき小五郎こごろう海上かいじょう警備けいびたい総監そうかん内定ないていしたさいは、山本やまもと日記にっきに「今日きょうもっと不愉快ふゆかいかもしれない、いや、もっと不愉快ふゆかいなんにちるだろう」とんでいる。その水面すいめん課長かちょうきゅう人事じんじをめぐってもはげしい人事じんじ抗争こうそうきている[9][ちゅう 3]

1952ねん昭和しょうわ27ねん)5がつ19にち山本やまもときゅう海軍かいぐん大将たいしょうクラスで構成こうせいされていた「大将たいしょうかい[ちゅう 4]海上かいじょう警備けいびたい創設そうせつかんする経緯けいい報告ほうこくおこない、あわせて山梨やまなし勝之かつゆきすすむ野村のむらにより海軍かいぐん大将たいしょう12めいたいして山本やまもとへのさらなる協力きょうりょく要請ようせいおこなわれ、大将たいしょうたちから了承りょうしょうていた。この会合かいごうには初代しょだい海上かいじょう警備けいびたい総監そうかんである山崎やまざき出席しゅっせきして自身じしんへの「大将たいしょうかい」の支援しえん要請ようせいし、これにたいして「大将たいしょうかい」は「一同いちどうしんから」支援しえんすることを了承りょうしょうし、きゅう海軍かいぐん海保かいほあいだ一応いちおうの「手打てうち」がされた[9]

組織そしき 編集へんしゅう

海上かいじょう警備けいびたい発足ほっそく定員ていいんけい6,038めい海上かいじょう警備けいびかん 5,947めい事務じむかん 91めい)、実数じっすうけい1,122めい海上かいじょう警備けいびかん 1,045めい事務じむかん 77めい)とされていた[7]。また外交がいこう政治せいじてき手続てつづきやふねてい整備せいびなどで時間じかんをとられていたためにPFとうせんてい正式せいしき引渡ひきわたしがわず、発足ほっそくにはうん用船ようせんていをもたない陸上りくじょう組織そしきにとどまっていた。その整備せいび完了かんりょうしたふねていとげ保管ほかん引受ひきうけ(借用しゃくよう)が開始かいしされ、だい1じんとしてPF 2せきおよび上陸じょうりく支援しえんてい(LSSL)1せきわたされて、基幹きかん要員よういん教育きょういく訓練くんれんもちいられた[7]

  • 海上かいじょう警備けいびたい
    • そうかん海上かいじょう警備けいびかん
    • ふく総監そうかん海上かいじょう警備けいびかんしょく定数ていすう1にん空席くうせき。)
    • そうかん
      • 総務そうむちょう
      • 警備けいびちょう
      • 経理けいり補給ほきゅうちょう
      • 技術ぎじゅつちょう
    • 横須賀よこすか地方ちほうかんちょう海上かいじょう警備けいびかんしょく実際じっさいには吉田よしだ英三えいぞう海上かいじょう警備けいびかん発令はつれいされる。)
      • 船隊せんたい司令しれい
      • 総務そうむちょう
      • 警備けいびちょう
      • 経理けいり補給ほきゅうちょう
      • 技術ぎじゅつちょう

海上かいじょう警備けいびかん階級かいきゅう 編集へんしゅう

海上保安庁かいじょうほあんちょう海上かいじょう警備けいびたいから保安庁ほあんちょう警備けいびたい海上かいじょう自衛隊じえいたいへとうつわるなかで使用しようされた官職かんしょくめい階級かいきゅう一覧いちらん

官職かんしょくめい階級かいきゅう変遷へんせん
海上かいじょう警備けいびかん 警備けいびかん 海上かいじょう自衛じえいかん
海上かいじょう警備けいびかん だい幕僚ばくりょうちょうたる警備けいびかん
警備けいびかん
うみしょう
海上かいじょう警備けいびかん 警備けいびかん うみしょう
一等いっとう海上かいじょう警備けいびただし 一等いっとう警備けいびただし 1とううみ
とう海上かいじょう警備けいびただし とう警備けいびただし 2とううみ
さんとう海上かいじょう警備けいびただし さんとう警備けいびただし 3とううみ
一等いっとう海上かいじょう警備けいび 一等いっとう警備けいび 1とううみじょう
とう海上かいじょう警備けいび とう警備けいび 2とううみじょう
さんとう海上かいじょう警備けいび さんとう警備けいび 3とううみじょう
一等いっとう海上かいじょう警備けいび 一等いっとう警備けいび 准尉じゅんい海曹かいそうちょう1とう海曹かいそう
とう海上かいじょう警備けいび とう警備けいび 2とう海曹かいそう
さんとう海上かいじょう警備けいび さんとう警備けいび 3とう海曹かいそう
海上かいじょう警備けいびいんちょう 警査ちょう 海士あまおさむ
一等いっとう海上かいじょう警備けいびいん 一等いっとう警査 1とう海士あま
とう海上かいじょう警備けいびいん とう警査 2とう海士あま
さんとう海上かいじょう警備けいびいん さんとう警査 3とう海士あま

年譜ねんぷ 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ Auer 1972では「Maritime Guard"は日本にっぽんがわ計画けいかく使用しようされ・・・バーク提督ていとく手紙てがみにもあらわれる・・・日本語にほんご名称めいしょうとすこしはかけはなれた英語えいごめい翻訳ほんやくされることがしばしば」とべられている
  2. ^ 野村のむらグループは「だい特殊とくしゅ研究けんきゅう資料しりょう」において「海上かいじょう保安ほあん予備よびたい」よりも、おもに「海上かいじょう警備けいびたい」の名称めいしょう本文ほんぶん多用たようしている。日本にっぽんがわ公式こうしき資料しりょう海上かいじょう警備けいびたい名称めいしょう使用しようされたのはこれが最初さいしょである。なお増田ますだ 2004では「日米にちべい海軍かいぐん当局とうきょくしゃによる日本にっぽん海軍かいぐんさい軍備ぐんび構想こうそう・・・野村のむら機関きかんだい特殊とくしゅ研究けんきゅう資料しりょう・・・ほん機構きこうを「海上かいじょう保安ほあん予備よびたい」と呼称こしょうする。昭和しょうわ26ねん4がつ10日とおか」と記載きさいしている
  3. ^ その海上かいじょう警備けいびたい課長かちょうきゅう人事じんじきゅう海軍かいぐん出身しゅっしんしゃかためられることになり、山崎やまざき同意どういしている。
  4. ^ その海上かいじょう警備けいびたい後身こうしん組織そしきである警備隊けいびたい海上かいじょう自衛隊じえいたいでも人事じんじなどで影響えいきょうりょく発揮はっきした。現在げんざいうみまくちょう経験けいけんしゃなどによる同様どうよう組織そしきがある。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ 武居たけい 2008.
  2. ^ Auer 1972, pp. 171–181.
  3. ^ a b c d e NHK報道局ほうどうきょく自衛隊じえいたい取材しゅざいはん 2003, pp. 259–260.
  4. ^ a b c d e f g h i j 増田ますだ 2004, pp. 130–136.
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参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう