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林内閣 - Wikipedia

林内りんないかく

日本にっぽん内閣ないかく

林内りんないかく(はやしないかく)は、軍事ぐんじ参議さんぎかん予備よびやく陸軍りくぐん大将たいしょうはやしずくじゅうろうだい33だい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん任命にんめいされ、1937ねん昭和しょうわ12ねん2がつ2にちから1937ねん昭和しょうわ12ねん6月4にちまでつづいた日本にっぽん内閣ないかく

林内りんないかく
親任しんにんしき閣僚かくりょう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん だい33だい はやしずくじゅうろう
成立せいりつ年月日ねんがっぴ 1937ねん昭和しょうわ12ねん2がつ2にち
終了しゅうりょう年月日ねんがっぴ 1937ねん昭和しょうわ12ねん6月4にち
与党よとう支持しじ基盤きばん 昭和しょうわかい国民同盟こくみんどうめい閣外かくがい協力きょうりょく
施行しこうした選挙せんきょ だい20かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょ
衆議院しゅうぎいん解散かいさん 1937ねん昭和しょうわ12ねん)3がつ31にち
解散かいさん
内閣ないかく閣僚かくりょう名簿めいぼ首相しゅしょう官邸かんてい
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閣僚かくりょうかおぶれ・人事じんじ

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国務大臣こくむだいじん

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1937ねん昭和しょうわ12ねん)2がつ2にち任命にんめい[1]在職ざいしょく日数にっすう123にち

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん 33 はやしずくじゅうろう   予備よびやく陸軍りくぐん大将たいしょう
りくだい17
外務がいむ文部もんぶ大臣だいじん兼任けんにん
外務がいむ大臣だいじん 47 はやしずくじゅうろう   予備よびやく陸軍りくぐん大将たいしょう
りくだい17
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん
文部もんぶ大臣だいじん兼任けんにん
1937ねん3がつ3にちめんけん[2]
48 佐藤さとう尚武なおたけ   外務省がいむしょう はつ入閣にゅうかく
1937ねん3がつ3にちにん[2]
内務ないむ大臣だいじん 48 河原田かわらだ稼吉   内務省ないむしょう はつ入閣にゅうかく
大蔵おおくら大臣だいじん 36 結城ゆうき豊太郎ほうたろう   民間みんかん[注釈ちゅうしゃく 1]→)
貴族きぞくいん[注釈ちゅうしゃく 2]
無所属むしょぞく
会派かいは
ひらけつとむ大臣だいじん兼任けんにん はつ入閣にゅうかく
陸軍りくぐん大臣だいじん 25 中村なかむら孝太郎こうたろう   陸軍りくぐん中将ちゅうじょう
りくだい21
たいまん事務じむきょく総裁そうさい兼任けんにん はつ入閣にゅうかく
1937ねん2がつ9にちめん[注釈ちゅうしゃく 3][3]
26 杉山すぎやまはじめ   陸軍りくぐん大将たいしょう
りくだい22
たいまん事務じむきょく総裁そうさい兼任けんにん はつ入閣にゅうかく
1937ねん2がつ9にちにん[3]
海軍かいぐん大臣だいじん 19 米内よない光政みつまさ   海軍かいぐん中将ちゅうじょう→)
海軍かいぐん大将たいしょう[注釈ちゅうしゃく 4][4]
うみだい甲種こうしゅ12
はつ入閣にゅうかく
司法しほう大臣だいじん 38 塩野しおの   司法省しほうしょう はつ入閣にゅうかく
文部もんぶ大臣だいじん 46 はやしずくじゅうろう   予備よびやく陸軍りくぐん大将たいしょう
りくだい17
内閣ないかく総理そうり大臣だいじん
外務がいむ大臣だいじん兼任けんにん
農林のうりん大臣だいじん 11 山崎やまざき達之たつゆき   衆議院しゅうぎいん
昭和しょうわかい
逓信ていしん大臣だいじん兼任けんにん
商工しょうこう大臣だいじん 14 どう卓雄たくお   民間みんかん→)
貴族きぞくいん[注釈ちゅうしゃく 5][5]
無所属むしょぞく
退役たいえき海軍かいぐん造兵ぞうへい中将ちゅうじょう
鉄道てつどう大臣だいじん兼任けんにん はつ入閣にゅうかく
逓信ていしん大臣だいじん 40 山崎やまざき達之たつゆき   衆議院しゅうぎいん
昭和しょうわかい
農林のうりん大臣だいじん兼任けんにん
41 兒玉こだま秀雄ひでお   貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
研究けんきゅうかい
伯爵はくしゃく
鉄道てつどう大臣だいじん 14 どう卓雄たくお   民間みんかん→)
貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
退役たいえき海軍かいぐん造兵ぞうへい中将ちゅうじょう
商工しょうこう大臣だいじん兼任けんにん
ひらけつとむ大臣だいじん 10 結城ゆうき豊太郎ほうたろう   民間みんかん→)
貴族きぞくいん
無所属むしょぞく
会派かいは
大蔵おおくら大臣だいじん兼任けんにん
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

内閣ないかく書記官しょきかんちょう法制ほうせいきょく長官ちょうかん

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1937ねん昭和しょうわ12ねん)2がつ2にち任命にんめい[1]

職名しょくめい だい 氏名しめい 出身しゅっしんとう 特命とくめい事項じこうとう 備考びこう
内閣ないかく書記官しょきかんちょう 38 大橋おおはし八郎はちろう   逓信ていしんしょう
法制ほうせいきょく長官ちょうかん 35 川越かわごえ丈雄たけお   大蔵省おおくらしょう
  1. 辞令じれいのある留任りゅうにん個別こべつだいとして記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん記載きさいしない。
  2. 臨時りんじ代理だいりは、大臣だいじん空位くうい場合ばあいのみ記載きさいし、海外かいがい出張しゅっちょうとう一時いちじ不在ふざい代理だいり記載きさいしない。
  3. 代数だいすうは、臨時りんじ兼任けんにん臨時りんじ代理だいりかぞえず、兼任けんにん兼務けんむかぞえる。

政務次官せいむじかん

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任命にんめいし。

参与さんよかん

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任命にんめいし。

勢力せいりょく早見はやみひょう

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内閣ないかく発足ほっそく当初とうしょぜん内閣ないかく事務じむ引継ひきつぎのぞく)。

出身しゅっしん 国務大臣こくむだいじん 政務次官せいむじかん 参与さんよかん その
しようわかい昭和しょうわかい 1 0 0 国務大臣こくむだいじんのべ2
くんふ軍部ぐんぶ 3 0 0 国務大臣こくむだいじんのべ5
かんりよう官僚かんりょう 2 0 0 内閣ないかく書記官しょきかんちょう法制ほうせいきょく長官ちょうかん
みんかんしん民間みんかん 2 0 0 国務大臣こくむだいじんのべ4
けついん欠員けついん 0 12 12
8 12 12 国務大臣こくむだいじんのべ13

内閣ないかくうご

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前任ぜんにん廣田ひろた内閣ないかくは、社会しゃかい革新かくしんともなそう力戦りきせん体制たいせい構築こうちく標榜ひょうぼうして世論せろん支持しじ陸軍りくぐん統制とうせい)の影響えいきょうにあった。しかし、軍事ぐんじ予算よさん大幅おおはば増額ぞうがくだい増税ぞうぜいともなう1937年度ねんど予算よさんあん審議しんぎ最中さいちゅう、いわゆる「腹切はらき問答もんどう」がおこって議会ぎかい対立たいりつ政権せいけん運営うんえい目途もくとたなくなった廣田ひろた内閣ないかくそう辞職じしょくする。後継こうけいには、政党せいとうないかく時代じだいからのぐん重鎮じゅうちんであった宇垣うがき一成いっせいぜん朝鮮ちょうせん総督そうとくされるが、統制とうせいにとって宇垣うがきは、政党せいとう議会ぎかい協調きょうちょうして軍縮ぐんしゅく宇垣うがき軍縮ぐんしゅく)をおこなった過去かこがあり、路線ろせんせい反対はんたいであったことから対立たいりつ二・二六事件ににろくじけん事後じご処理しょりのために制定せいていされた軍部ぐんぶ大臣だいじん現役げんえき武官ぶかんせいたて使つかい、現役げんえき将校しょうこう陸相りくしょう推挙すいきょしないことで、宇垣うがき内閣ないかく不成立ふせいりつ画策かくさくする。宇垣うがきは、天皇てんのう勅命ちょくめいにより自身じしん現役げんえき復帰ふっき陸相りくしょう兼任けんにんすることでろうとするが、湯浅ゆあさくらひらた内大臣ないだいじん宮内くない官僚かんりょうは、ことが失敗しっぱいしたとき陸軍りくぐん報復ほうふくおそれてうごかず頓挫とんざ宇垣うがき大命たいめい辞退じたいまれる。このため、あらためて統制とうせいちょうであったはやしずくじゅうろう陸軍りくぐん大将たいしょう推挙すいきょされて、林内りんないかく成立せいりつする。

組閣そかく人事じんじは、少数しょうすう閣僚かくりょうによる実力じつりょくないかく標榜ひょうぼうし、おおくの国務大臣こくむだいじん閣僚かくりょう兼任けんにんとしたため、発足ほっそく当初とうしょは「二人三脚ににんさんきゃくないかく」とばれた。また、政務次官せいむじかんおよび参与さんよかん弊害へいがい問題もんだいして任用にんようりやめたことにより、議会ぎかいとの連絡れんらくやくみずかってしまったかたちになり、議会ぎかいだい勢力せいりょくであった政友せいゆうかい民政みんせいとう野党やとうまわる。結局けっきょく衆議院しゅうぎいん与党よとうまわったのは昭和しょうわかい国民同盟こくみんどうめい閣外かくがい協力きょうりょくのみで、りょうとうあわせても衆議院しゅうぎいん466議席ぎせきちゅう35議席ぎせきめるにぎなかった。一方いっぽう貴族きぞくいんでは、かろうじて研究けんきゅうかい支持しじける。

おも政策せいさく
  • ぐんざい抱合ほうごう財政ざいせい廣田ひろたぜん内閣ないかくは、馬場ばば鍈一蔵相ぞうしょう主導しゅどうのもと、軍事ぐんじ予算よさん中心ちゅうしんたい前年度ぜんねんど3わりぞうだい規模きぼ予算よさん編成へんせいし、増額ぞうがくぶん増税ぞうぜいまかなうことを目論もくろんでおり、景気けいき悪化あっか懸念けねんされた。予算よさん審議しんぎちゅう廣田ひろた内閣ないかく崩壊ほうかいしたのをに、財界ざいかいおよび高橋たかはし財政ざいせい以来いらい大蔵省おおくらしょう主流しゅりゅうかえしをおこなう。蔵相ぞうしょうには結城ゆうき豊太郎ほうたろう日本にっぽん商工しょうこう会議かいぎしょ会頭かいとう就任しゅうにん高橋たかはし腹心ふくしんであり馬場ばば体制たいせい左遷させんされていたきょうせん石渡いしわた荘太そうたろうがそれぞれ事務次官じむじかんおよび主税局しゅぜいきょくちょう復権ふっけんし、予算よさん削減さくげんおこなわれた[6]。こうしてえられた予算よさんあんさい提出ていしゅつされ、林内りんないかく圧倒的あっとうてき少数しょうすう与党よとう議会ぎかいたいして妥協だきょうかさね、年度ねんどまつぎりぎりに予算よさん成立せいりつする。
  • 企画庁きかくちょう設置せっち革新かくしん官僚かんりょう国策こくさく研究けんきゅうとなっていた内閣ないかく調査ちょうさきょく改組かいそ拡充かくじゅうおこなわれ、1937ねん5がつ14にち企画庁きかくちょう発足ほっそく内閣ないかくへの影響えいきょうりょく一段いちだんつよめられた[7]

予算よさん可決かけつされると、はやし首相しゅしょうただちにだい政党せいとうへの懲罰ちょうばつてき意図いとめて衆議院しゅうぎいん解散かいさんした(「解散かいさん」)。こうして4がつ20日はつかおこなわれただい20かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは与党よとう勢力せいりょく躍進やくしん期待きたいしたはやし首相しゅしょう思惑おもわくとは裏腹うらはら昭和しょうわかい国民同盟こくみんどうめいはいずれも議席ぎせきらす結果けっかとなった。それでもはやし首相しゅしょう強気つよき姿勢しせいくずさず、再度さいど解散かいさんをちらつかせながら政権せいけん維持いじ明言めいげんしたが、これが倒閣とうかく運動うんどうあぶらそそぐこととなり、結局けっきょく四面楚歌しめんそかとなるなか、5月31にちつい内閣ないかくそう辞職じしょくとなった。

在任ざいにん日数にっすう当時とうじ歴代れきだい最短さいたんの123にちであった[注釈ちゅうしゃく 6]林内りんないかく短命たんめいとくおおきな実績じっせきのこせなかったことから「史上しじょうもっと無意味むいみ内閣ないかく」とひょうされ、のちにははやし首相しゅしょうしたをもじって「なにもせんじゅうろうないかく」とまで皮肉ひにくられるにいたった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 日本にっぽん商工しょうこう会議かいぎしょ会頭かいとう
  2. ^ 1937ねん昭和しょうわ12ねん)5がつ31にち貴族きぞくいんみことのりせん議員ぎいんみことのりにん
  3. ^ 病気びょうき療養りょうようのため辞任じにん就任しゅうにん2にち発熱はつねつちょうチフス発症はっしょう長期ちょうき療養りょうよう必要ひつようとなったことから在任ざいにん8にち大臣だいじん辞任じにん
  4. ^ 1937ねん昭和しょうわ12ねん)4がつ1にちのぼりかん
  5. ^ 1937ねん昭和しょうわ12ねん)5がつ31にち貴族きぞくいん議員ぎいんみことのりにん
  6. ^ やがて1945ねん昭和しょうわ20ねん8がつ17にち就任しゅうにんしたひがし久邇くにみや稔彦としひこおう首相しゅしょうにより成立せいりつしたひがし久邇くに宮内くないかく同年どうねん10月9にちそう辞職じしょくすることで、日本にっぽん歴代れきだいないかく在任ざいにん期間きかんにおいて「54日間にちかん」と史上しじょう最短さいたん記録きろく更新こうしんされ、2021ねんれい3ねん)10がつ4にち就任しゅうにんした岸田きしだ文雄ふみお首相しゅしょうにより成立せいりつしただい1岸田きしだ内閣ないかく同年どうねん11がつ10日とおかそう辞職じしょくしたため、在任ざいにん期間きかんは「38日間にちかん」と史上しじょう最短さいたん記録きろくをこちらが更新こうしんした(ただしそう辞職じしょく直後ちょくご特別とくべつ国会こっかい岸田きしだ首相しゅしょうふたた選出せんしゅつされている)。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 倉山くらやまみつる検証けんしょう 財務省ざいむしょうきん現代げんだい 政治せいじとのたたかい150ねんむ』光文社こうぶんしゃ東京とうきょう文京ぶんきょう光文社こうぶんしゃ新書しんしょ〉、2012ねん3がつ20日はつかISBN 978-4-334-03674-4 
  • はたいくへん日本にっぽん官僚かんりょうせい総合そうごう事典じてん:1868 - 2000』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、2001ねん
  • はたいく彦編『日本にっぽん陸海りくかいぐん総合そうごう事典じてんだい2はん東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2005ねん
  • ますあじじゅん新装しんそうばん 日本にっぽん政党せいとう史論しろん だい6かん 挙国一致きょこくいっち政党せいとう東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい東京とうきょう文京ぶんきょう、2011ねん12月15にちISBN 978-4-13-034276-6 

外部がいぶリンク

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