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無制限潜水艦作戦 - Wikipedia

制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん

制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん(むせいげんせんすいかんさくせん)とは、戦争せんそう状態じょうたいにおいて、潜水せんすいかんが、敵国てきこく関係かんけいするとおもわれる艦艇かんてい船舶せんぱくたいして目標もくひょう限定げんていせず、警告けいこく攻撃こうげきする作戦さくせんである。

概要がいよう

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潜水せんすいかんによる本格ほんかくてき艦船かんせん攻撃こうげきは、潜水せんすいかん戦争せんそう使つかわれるようになっただいいち世界せかい大戦たいせんからはじめられたが、おおくの場合ばあい戦争せんそう関係かんけいする軍艦ぐんかん目標もくひょうとするものであった。それにたいし、攻撃こうげき範囲はんいひろめ、民需みんじゅよう中立ちゅうりつくに船籍せんせきふくめた商船しょうせんなどについても攻撃こうげき目標もくひょうとする、文字通もじどお攻撃こうげき目標もくひょう無制限むせいげんにするのがこの作戦さくせんである。同時どうじに、乗船じょうせんしゃ避難ひなん猶予ゆうよあたえる事前じぜん警告けいこく省略しょうりゃくするものである。海上かいじょう封鎖ふうさ手段しゅだんとしてもちいられる。潜水せんすいかんにとっては目標もくひょう艦船かんせんへの攻撃こうげき可否かひ判断はんだん容易よういになり、効率こうりつてき攻撃こうげき可能かのうになる。

戦時せんじ国際こくさいほううえでは、軍事ぐんじ目標もくひょう主義しゅぎ原則げんそくから、沿岸えんがんしょう航海こうかいもちいる船舶せんぱく漁業ぎょぎょう船舶せんぱくなどへの攻撃こうげきゆるされない建前たてまえとされていた。また、中立ちゅうりつこく船舶せんぱくへの攻撃こうげき原則げんそくとしてきんじられ、戦時せんじ禁制きんせいひんはことう中立ちゅうりつ違反いはん行為こうい確認かくにんされた場合ばあい拿捕だほなどがゆるされるだけであった。そのため、制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん戦時せんじ国際こくさいほう違反いはん戦争せんそう犯罪はんざいであるとの見解けんかいもあり、制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん指令しれいだい世界せかい大戦たいせんニュルンベルク裁判さいばんでの訴因そいんのひとつにもげられていた。だいいち世界せかい大戦たいせんにおいてアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく参戦さんせんした理由りゆうのひとつとして、ドイツによるこの作戦さくせん影響えいきょうがあげられる。

だいいち世界せかい大戦たいせん

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制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん実施じっししたドイツ海軍かいぐん潜水せんすいかんUボート

ドイツ帝国ていこくによる、連合れんごうこくおよ中立ちゅうりつこく連合れんごうこく艦船かんせん客船きゃくせんふくむ)への攻撃こうげき有名ゆうめいである。ドイツは、1914ねん開戦かいせん当初とうしょは、中立ちゅうりつこく船舶せんぱくへの攻撃こうげき禁止きんしし、攻撃こうげきまえ事前じぜん警告けいこく潜水せんすいかん義務付ぎむづけていた。ドイツ海軍かいぐん制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん最初さいしょ実施じっししたのは1915ねん2がつで、イギリス海軍かいぐん北海ほっかい機雷きらい封鎖ふうさによる事実じじつじょう制限せいげん攻撃こうげきへの不満ふまんや、制限せいげんによる潜水せんすいかん運用うんようなんなどから、イギリスの海上かいじょう封鎖ふうさ周辺しゅうへん海域かいいきでの警告けいこく攻撃こうげき宣言せんげんした。もっとも、ルシタニアごう事件じけんなどの発生はっせいから、わずか半年はんとし中止ちゅうしされた。

1916ねん3がつと8がつ28にちじゅんポルトガルイタリアがドイツへ宣戦せんせんした。戦争せんそう長期ちょうきたドイツは、ふたた無制限むせいげん潜水せんすいかんせん決意けついした。1917ねん2がつ、ドイツは、イギリスとフランスの周辺しゅうへんおよ地中海ちちゅうかい全域ぜんいき対象たいしょうにした、ぜん船舶せんぱく標的ひょうてき警告けいこく攻撃こうげき完全かんぜん制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん実施じっし宣言せんげんした。当時とうじ皇帝こうていヴィルヘルム2せい宰相さいしょうテオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェークは「アメリカの参戦さんせんでドイツにとって不利ふりになる」としてこの作戦さくせん消極しょうきょくてきであったが、エーリヒ・ルーデンドルフ少将しょうしょう軍部ぐんぶ首脳しゅのうじんはアメリカを過小かしょう評価ひょうかしていたこともあって、それらの慎重しんちょう意見いけんって制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん実行じっこううつした。この制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん効果こうかにより、同年どうねん前半ぜんはんにはドイツ潜水せんすいかん部隊ぶたい戦果せんか最高潮さいこうちょうたっした。しかし、同年どうねん後半こうはんには連合れんごうこくがわ対策たいさく充実じゅうじつから、その戦果せんか急速きゅうそく低下ていかした。また、アメリカが連合れんごうこくがわ参戦さんせんする一因いちいんとなった。

なお、日本にっぽん自国じこく船舶せんぱくがドイツに攻撃こうげきされることを危惧きぐした(戦時せんじ船舶せんぱく管理かんりれい)。

だい世界せかい大戦たいせん

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だい世界せかい大戦たいせんでは連合れんごうこくがわ枢軸すうじくこくがわともに制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせん実施じっしした(国際こくさい条約じょうやくにより保護ほごされるべき船舶せんぱくふくむ)。ドイツ海軍かいぐんおよびイタリア海軍かいぐん連合れんごうこく大西おおにしひろし航路こうろたいするもの(大西洋たいせいようたたかい (だい世界せかい大戦たいせん)参照さんしょう)、アメリカ海軍かいぐんによる日本にっぽん南方なんぽう航路こうろたいするものが有名ゆうめいである。バルト海ばるとかいでもドイツ、ソ連それんりょう海軍かいぐんによっておこなわれた。

日本にっぽん海軍かいぐん主力しゅりょくかん以外いがいてき戦艦せんかんらし艦隊かんたい決戦けっせん主力しゅりょくかんすうてき優位ゆうい漸減ぜんげん作戦さくせん思想しそうから、アメリカ西海岸にしかいがんまで進出しんしゅつしてアメリカ海軍かいぐん軍艦ぐんかんたためぐせんがたばれる潜水せんすいかん建造けんぞうしていた。だい世界せかい大戦たいせんへの日本にっぽん参戦さんせんはじまると、1941ねんめぐせんおつがた潜水せんすいかん9せきがアメリカ西海岸にしかいがんにおいて通商つうしょう破壊はかい作戦さくせん実施じっしした。12月中旬ちゅうじゅんごろから翌年よくねん上旬じょうじゅんまでのあいだに、タンカーや貨物かもつせんを5せき撃沈げきちんさらに5せき大破たいはさせ、その総トン数そうとんすうは6まん4669トンにのぼった(アメリカ本土ほんど攻撃こうげき)。さらにこれらの潜水せんすいかん搭載とうさいされていた水上すいじょうによるアメリカ本土ほんど空襲くうしゅうや、アメリカ海軍かいぐん基地きちやカナダぐん施設しせつたいする砲撃ほうげきおこなった。その1943ねん後半こうはんまで南太平洋みなみたいへいようインド洋いんどようでアメリカやえい連邦れんぽう船舶せんぱくたいする通商つうしょう破壊はかいせんおこなわれ、大戦たいせん末期まっきには複数ふくすう航空機こうくうき搭載とうさいできる大型おおがた潜水せんすいかんよんひゃくがた潜水せんすいかん」によってパナマ運河うんが爆撃ばくげきする作戦さくせん計画けいかくされた。

しかし、大艦だいかんきょほう主義しゅぎ海上かいじょう決戦けっせん思想しそう意識いしきつよかった日本にっぽんでは、戦艦せんかんなどの主力しゅりょくかん主役しゅやくであり、潜水せんすいかんは、航空機こうくうきなどと同様どうよう艦隊かんたい決戦けっせん補助ほじょするための存在そんざいとしての認識にんしきつよく、上記じょうきのように緒戦しょせんおこなわれたものの通商つうしょう破壊はかい作戦さくせん重視じゅうしされなかった[1]

そしててき艦隊かんたい捕捉ほそくするために水上すいじょう速力そくりょく重視じゅうしした日本にっぽん潜水せんすいかんは(工業こうぎょう水準すいじゅんひくさによるかく機構きこう工作こうさく精度せいどひくさによる騒音そうおん振動しんどう多発たはつともあわせて)水中すいちゅう航行こうこうにおける静粛せいしゅくせいき、えいべいたいせん部隊ぶたい餌食えじきとなった。また、このあやまった認識にんしきてき通商つうしょう破壊はかい作戦さくせんたいするたいせん戦術せんじゅつ技術ぎじゅつ開発かいはつ軽視けいしにもつながり、民間みんかん船舶せんぱくどころかたいせん戦術せんじゅつ主役しゅやくである駆逐くちくかんさえも、大戦たいせん末期まっきにおいては連合れんごう国軍こくぐん潜水せんすいかん攻撃こうげきまえには事実じじつじょう無力むりょくとなった。

日本にっぽん海軍かいぐん敵艦てきかんせん予想よそう進路しんろたいして交差こうさする一本いっぽん直線ちょくせんえがくように潜水せんすいかん間隔かんかくけて広範囲こうはんい配置はいちする散開さんかいせん運用うんよう多用たようしたが、前線ぜんせん実情じつじょうわない散開さんかいせん運用うんよう潜水せんすいかん損害そんがい増加ぞうかさせる原因げんいんになった。アメリカ太平洋艦隊たいへいようかんたい司令しれい長官ちょうかんチェスター・ニミッツ元帥げんすいは、日本にっぽん海軍かいぐん潜水せんすいかん運用うんよう方法ほうほうについて「古今ここん東西とうざい戦争せんそうにおいて、主要しゅよう兵器へいきがそのしん潜在せんざい威力いりょく把握はあく理解りかいされずに使用しようされたという希有けうれいもとめるとすれば、それはまさにだい大戦たいせんにおける日本にっぽん潜水せんすいかん場合ばあいであろう」とべている[2]

だい世界せかい大戦たいせん末期まっきにアメリカ海軍かいぐんとイギリス海軍かいぐんによって、日本にっぽん本土ほんどおよび一部いちぶ占領せんりょう地域ちいきでオーストラリアなど連合れんごうこく支援しえんけておこなわれた制限せいげん潜水せんすいかん作戦さくせんおおきな効果こうかてきげ、さらに制空権せいくうけんうしななか戦闘せんとう護衛ごえいするB-24による哨戒しょうかい攻撃こうげきB-29による機雷きらい敷設ふせつ並行へいこうしておこなわれたことで日本にっぽん南方なんぽう航路こうろどころか一部いちぶ区域くいきでは沿岸えんがん航路こうろさえ確保かくほできなくなった。えいべい潜水せんすいかんによる海上かいじょう輸送ゆそう途絶とぜつ日本にっぽん戦争せんそう遂行すいこう能力のうりょくだい打撃だげきあた[3]日本にっぽん降伏ごうぶく一因いちいんとなった。

出典しゅってん

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  1. ^ 青井あおい, 志学しがく中国ちゅうごく潜水せんすいかん脅威きょういべい海軍かいぐん - べい海軍かいぐん中国ちゅうごく潜水せんすいかん脅威きょういをいかに評価ひょうかし、対抗たいこうしているのか -」(PDF)『うみみきこう戦略せんりゃく研究けんきゅうだい3かんだい2ごう、2013ねん12月、45ぺーじ 
  2. ^ 鳥巣とりす建之助けんのすけ日本にっぽん海軍かいぐん潜水せんすいかん物語ものがたり』〈光人みつひとしゃNF文庫ぶんこ〉、97-98ぺーじ 
  3. ^ ニミッツ, チェスター しる実松さねまつゆずる富永とみなが憲吾けんご やく『ニミッツの太平洋たいへいよう海戦かいせん恒文社こうぶんしゃ、1962ねん、392-394ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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