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町人 - Wikipedia

町人ちょうにん

江戸えど時代じだい都市とし居住きょじゅうしていた職人しょくにん商人しょうにん

町人ちょうにん(ちょうにん)は、江戸えど時代じだい城下町じょうかまちなどおおきな都市としんでいた職人しょくにん商人しょうにん総称そうしょうである。または当時とうじ都市とし在住ざいじゅう庶民しょみん階級かいきゅう総称そうしょうであり、むかしながらの農地のうち庶民しょみん階級かいきゅう百姓ひゃくしょう都市とし在住ざいじゅう武士ぶし階級かいきゅう区別くべつしてもちいられた。

江戸えど後期こうき江戸えど深川ふかがわ深川ふかがわ江戸えど資料しりょうかん
商家しょうか室内しつない深川ふかがわ江戸えど資料しりょうかん

略歴りゃくれき概要がいよう

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16世紀せいき後期こうきから17世紀せいき前期ぜんきに、社会しゃかいてき分業ぶんぎょうもとづ身分みぶん制度せいど武士ぶし百姓ひゃくしょう町人ちょうにん)が成立せいりつした。かく大名だいみょう楽市らくいち楽座らくざ政策せいさくおこない、免税めんぜい特権とっけん営業えいぎょう自由じゆう承認しょうにんなどによって商工しょうこう業者ぎょうしゃ城下町じょうかまち誘致ゆうちした。このことにより職業しょくぎょうてき農業のうぎょうとの分離ぶんり促進そくしんされ、より専門せんもんせいたかまった。

すぐれた技術ぎじゅつりょく豊富ほうふ資金しきんりょう武士ぶし圧倒あっとうするめんせ、独自どくじ都市とし文化ぶんか町人ちょうにん文化ぶんか)の形成けいせい発展はってん寄与きよした。

町人ちょうにんとく家屋かおくじき所有しょゆうする家持いえもちそう表通おもてどおりにみせかまえるブルジョワ階級かいきゅうである旦那だんなしゅから、裏通うらどおりの裏店うらだなそう下層かそう町人ちょうにんまで階級かいきゅうてき落差らくさがあり、富裕ふゆう町人ちょうにんまちせい公事こうじにも参加さんかし、町年寄まちどしよりえら選挙せんきょけん被選挙権ひせんきょけんつなど社会しゃかいてき身分みぶん公的こうてき権利けんり義務ぎむっていた。

また富裕ふゆう町人ちょうにんとしての社会しゃかいてき役割やくわりのひとつに、賃貸ちんが長屋ながやち、わずかな店賃たなちん店子たなこ慣習かんしゅうがあった。そして大家たいかやとい、店子たなこからの家賃やちん取立とりたてや諸事しょじ面倒めんどうなど長屋ながや管理かんり運営うんえい差配さはい)をまかせ、その対価たいかとして店賃たなちん免除めんじょなどの優遇ゆうぐうをした。

都市としには富裕ふゆう下層かそう町人ちょうにんのほか没落ぼつらくした都市とし下層かそうみんをはじめとする様々さまざま階層かいそう人間にんげん居住きょじゅうしており、落語らくごなどにてくるはっつぁんくまさんなどは借家しゃくやじんであるため町人ちょうにんにはあたらない[1]徳川とくがわ幕府ばくふ定義ていぎとしては地主じぬし家主やぬし最低さいていでも居宅きょたく自己じこ所有しょゆうしているもののみ、後期こうきはこれに大家たいか差配さはい上記じょうきのとおり家主やぬし代理だいりであり居宅きょたく家主やぬしから無料むりょう貸与たいよされている)までをくわえて町人ちょうにんんだが、いずれにしても町方まちかた人口じんこうの1わりたず、江戸えど庶民しょみん圧倒的あっとうてき多数たすうはこれにぞくしていない。したがって、現代げんだい視点してん時代じだいげきなどでは厳密げんみつ制度せいどじょう用語ようごとはべつに、借家しゃくやじん町人ちょうにん場合ばあいもある。

戦後せんご実証じっしょう主義しゅぎてき歴史れきし研究けんきゅうにおいては町人ちょうにん職人しょくにん商人しょうにんなど近世きんせい社会しゃかい集団しゅうだんかんする研究けんきゅう進展しんてんする。1975ねんには中井なかい信彦のぶひこ町人ちょうにん小学館しょうがくかん日本にっぽん歴史れきし」において体系たいけいてき町人ちょうにんろん展開てんかいされ、1980年代ねんだい以降いこうには中世ちゅうせいふみ分野ぶんやにおける網野あみの善彦よしひこ桜井さくらい英治えいじらのしょう職人しょくにん研究けんきゅうとも相互そうご関係かんけいして、吉田よしだ伸之のぶゆき塚田つかだたかしらの都市とし研究けんきゅう進捗しんちょくともな町人ちょうにん研究けんきゅう進展しんてんした。

女性じょせい

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まち女房にょうぼう(まちにょうぼう)は、江戸えど時代じだい都市とし町方まちかた)、町人ちょうにんいえ町家まちや)に女性じょせい総称そうしょうである[2]

町方まちかたとは、村方むらかた山方やまがた浦方うらかたたいする「都市としせい」、武家ぶけ社寺しゃじたいする「民間みんかんせい」、遊里ゆうりたいする「現世げんせいせい」を意味いみするかたりであり[3]まち女房にょうぼうとはつまり、江戸えど時代じだい都市とし民間みんかん一般いっぱん女性じょせい[2][3]山岸やまぎし荷葉かよう小説しょうせつまち女房にょうぼう』(1906ねん)は、江戸えど時代じだい都市とし生活せいかつ延長線えんちょうせんじょうにある明治めいじ時代じだい都市とし女性じょせいえがいたものである[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 司馬しばりょう太郎たろう1990『このくにのかたちニ』2ぺーじ
  2. ^ a b デジタル大辞泉だいじせんまち女房にょうぼう』 - コトバンク、2012ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 大辞林だいじりん だいさんはん町方まちかた』 - コトバンク、2012ねん8がつ9にち閲覧えつらん
  4. ^ 山岸やまぎし、p.1-2.

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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