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盛期ルネサンス - Wikipedia

盛期せいきルネサンス(せいきルネサンス、英語えいごHigh Renaissance)は、美術びじゅつにおいて、イタリアルネサンス芸術げいじゅつ最盛さいせい1450ねん1527ねん)を言葉ことばである。前期ぜんきメディチ支配しはいするフィレンツェによるフィレンツェ後期こうきローマ教皇きょうこうユリウス2せいによる芸術げいじゅつたちをパトロンとした時期じきで、活動かつどう中心ちゅうしんは、それまでのフィレンツェからローマうつった。このユリウス2せいや、のメディチ出身しゅっしん教皇きょうこうレオ10せいなどはルネサンス教皇きょうこうばれる。

ミケランジェロ『アダムの創造そうぞう』システィーナ礼拝れいはいどう

一般いっぱんに、盛期せいきルネサンス絵画かいがは1490年代ねんだい後半こうはんあらわれたとされている。レオナルド・ダ・ヴィンチミラノで『最後さいご晩餐ばんさん』をえがいていた時期じきである。

その頂点ちょうてんは、絵画かいがにおいては、ミケランジェロラファエロバチカンえがいた絵画かいがとされる。建築けんちくでは、1502ねん古代こだいローマ建築けんちく本格ほんかくてき復古ふっこげるテンピエットドナト・ブラマンテてたこと。彫刻ちょうこくでは、せい力学りきがく運動うんどう理想りそうのバランスを特徴とくちょうとする、ミケランジェロの『ピエタ』、『ダビデぞう』がげられる。またヴェネツィアでは、ジョルジョーネわかティツィアーノの、いた雰囲気ふんいきあざやかな色彩しきさい盛期せいきルネサンスの好例こうれいとされる。

広義こうぎにとらえるなら、盛期せいきルネサンスは創造そうぞうせいゆたかな天才てんさいだい爆発ばくはつえるだろう。ちょう一流いちりゅうとはえないかもれないが、おおくの画家がかたちがこの時期じき活動かつどうした。たとえば、フラ・バルトロメオマリオット・アルベルティネッリは、かれらの絵画かいが技法ぎほう完全かんぜん調和ちょうわ全体ぜんたい抑制よくせい注目ちゅうもくあたいする作品さくひんぐん制作せいさくした。また、後期こうきのミケランジェロやアンドレア・デル・サルトコレッジョ作品さくひんられる、ながびたプロポーションと誇張こちょうされたポーズは、美術びじゅつにおいて後期こうきルネサンスとなされるマニエリスム到来とうらい予感よかんさせるものである。

その盛期せいきルネサンスも、1520ねんのラファエロの1527ねんローマ略奪りゃくだつによって終焉しゅうえんをもたらされた。16世紀せいきイタリアでは、イタリア戦争せんそうがこの時代じだい頂点ちょうてんたっし、盛期せいきルネサンスはイタリアでの活力かつりょくうしなわれ、同時どうじにヨーロッパ諸国しょこくへと拡散かくさんしていったのである。

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