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石井進 - Wikipedia

石井いしいすすむ

歴史れきし学者がくしゃ

石井いしい すすむ(いしい すすむ、1931ねん7がつ2にち - 2001ねん10月24にち)は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ東京大学とうきょうだいがく名誉めいよ教授きょうじゅせんもん日本にっぽん中世ちゅうせい文学ぶんがく博士はかせ東京大学とうきょうだいがく、1964ねん)。せいよんくんさんとう旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう

来歴らいれき人物じんぶつ

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東京とうきょう出身しゅっしん東京とうきょう高等こうとう師範しはん学校がっこう附属ふぞく小学校しょうがっこうげん筑波大学つくばだいがく附属ふぞく小学校しょうがっこう)で、のち東大とうだい教授きょうじゅとなる芳賀はがとおる平川ひらかわゆうひろし高階たかしな秀爾ひでじ平田ひらたけんおなじクラス(だい1)だった。

東京教育大学とうきょうきょういくだいがく附属ふぞく中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこうげん筑波大学つくばだいがく附属ふぞく中学校ちゅうがっこう高等こうとう学校がっこう)、東京大学とうきょうだいがく国史こくし学科がっかから大学院だいがくいん東京大学とうきょうだいがく史料しりょう編纂へんさんしょいんとなり『だい日本にっぽん古文書こもんじょ』の編纂へんさん従事じゅうじした。東大とうだい在学ざいがくちゅう佐藤さとう進一しんいち師事しじ東大とうだい文学部ぶんがくぶ教授きょうじゅ史学しがくかい理事りじちょう、1992ねん定年ていねん退官たいかん名誉めいよ教授きょうじゅ

せんもん中世ちゅうせい政治せいじでは、1969ねん12月「史学しがく雑誌ざっし」78へん12ごう発表はっぴょうした『中世ちゅうせい成立せいりつ軍制ぐんせい研究けんきゅういち視点してん国衙こくが中心ちゅうしんとする軍事ぐんじりょく組織そしきについて』(のちに『鎌倉かまくら武士ぶし実像じつぞう』にも収録しゅうろく)において従来じゅうらい武士ぶし在地ざいち領主りょうしゅろんけている側面そくめん武士ぶし職能しょくのうじんろんともえる「武士ぶしがどのように認知にんちされ、国衙こくが機構きこうまれ、ないしは関係かんけいっていたか」を、国司こくしぐんとしての「かんもの」「くにへいども」と「地方ちほう豪族ごうぞくぐん」などの図式ずしき[1]によってしめしたことで有名ゆうめい翌年よくねん発表はっぴょう主著しゅちょ日本にっぽん中世ちゅうせい国家こっか研究けんきゅう』で鎌倉かまくら幕府ばくふ支配しはい構造こうぞうにしめる国衙こくがなど律令りつりょう政治せいじ機構きこう役割やくわり解明かいめいした。なお本来ほんらい専門せんもんしょでありながらもっと入手にゅうしゅしやすい著書ちょしょは、文庫本ぶんこぼんにもなっている前述ぜんじゅつの『鎌倉かまくら武士ぶし実像じつぞう』であり、その研究けんきゅう概要がいようることが出来できる。

1970年代ねんだい、80年代ねんだいには東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ助教授じょきょうじゅ教授きょうじゅとして日本にっぽん中世ちゅうせい研究けんきゅう牽引けんいんし、網野あみの善彦よしひこらとともに「中世ちゅうせいブーム」をもたらした。1983ねん刊行かんこうされた『中世ちゅうせいつみばち』をとも執筆しっぴつした石井いしい網野あみの笠松かさまつひろしいたり勝俣かつまた鎭夫しずおは「よん人組にんぐみ」とばれた[1][2]

民俗みんぞくがくにも造詣ぞうけいふか[3]中世ちゅうせい考古学こうこがくなど隣接りんせつしょ科学かがくにもつよ関心かんしんしめした。うしなわれゆく中世ちゅうせい遺跡いせき保護ほごにも尽力じんりょく中世ちゅうせい都市とし景観けいかん復元ふくげんをめざす『よみがえる中世ちゅうせい3 武士ぶし鎌倉かまくら』など一連いちれん仕事しごとがある。棚田たなだ学会がっかいにも寄与きよした。 『石井いしいすすむ著作ちょさくしゅう』(ぜん10かん岩波書店いわなみしょてん著書ちょしょ多数たすう。また晩年ばんねん客員きゃくいん教授きょうじゅつとめた鶴見大学つるみだいがく石井いしい蔵書ぞうしょ中心ちゅうしんに「石井いしい文庫ぶんこ」がもうけられた。

経歴けいれき

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著書ちょしょ

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たんちょ

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著作ちょさくしゅう

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  • 石井いしいすすむ著作ちょさくしゅうぜん10かん岩波書店いわなみしょてん、2004ねん - 2005ねん
    • (1)日本にっぽん中世ちゅうせい国家こっか研究けんきゅう
    • (2)鎌倉かまくら幕府ばくふろん
    • (3)院政いんせいたいら政権せいけん
    • (4)鎌倉かまくら幕府ばくふ北条ほうじょう
    • (5)鎌倉かまくら武士ぶし実像じつぞう
    • (6)中世ちゅうせい社会しゃかいろん地平ちへい
    • (7)中世ちゅうせい史料しりょうろん現在げんざい
    • (8)荘園しょうえんたびする
    • (9)中世ちゅうせい都市としかた
    • (10)中世ちゅうせい考古学こうこがく民俗みんぞくがく
  • 石井いしいすすむ世界せかいぜん6かん山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、2005ねん - 2006ねん
    • (1)鎌倉かまくら幕府ばくふ
    • (2)中世ちゅうせい武士ぶしだん
    • (3)書物しょもつへのまなざし
    • (4)対話たいわ
    • (5)中世ちゅうせいのひろがり
    • (6)中世ちゅうせいへのいざない

共著きょうちょ

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  • 石井いしいすすむひとし) 『詳説しょうせつ日本にっぽんB』 (山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ高等こうとう学校がっこう教科書きょうかしょ、2006ねん
  • 石井いしいすすむひとし)『中世ちゅうせい政治せいじ社会しゃかい思想しそう じょう』 (岩波書店いわなみしょてん、1972ねん
  • 井上いのうえするどおっと)『やまみんかわみん 日本にっぽん中世ちゅうせい生活せいかつ信仰しんこう』 (平凡社へいぼんしゃ、1981ねん
  • 網野あみの善彦よしひこ笠松かさまつひろしいたり勝俣かつまた鎭夫しずお)『中世ちゅうせいつみばち』(東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、1983ねん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2019ねん
  • 網野あみの善彦よしひこ福田ふくだ豊彦とよひこ)『沈黙ちんもく中世ちゅうせい』(平凡社へいぼんしゃ、1990ねん平凡社へいぼんしゃライブラリー、2011ねん
  • 歴史れきしゆめ あたらしい博物館はくぶつかんをめざして 歴博れきはく対談たいだん』 (歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん振興しんこうかい、1997ねん
  • 網野あみの善彦よしひこ)『べい百姓ひゃくしょう天皇てんのう日本にっぽん虚像きょぞうのゆくえ』 (大和やまと書房しょぼう、2000ねんちくま学芸がくげい文庫ぶんこ、2011ねん
  • 網野あみの善彦よしひこ)『きたから見直みなお日本にっぽん上之うえのこく勝山かちやまかんあと夷王山いおうざん墳墓ふんぼぐんからみえるもの』 (大和やまと書房しょぼう、2001ねん

編著へんちょ

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  • 新編しんぺん日本にっぽん研究けんきゅう入門にゅうもん』 (東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、1982ねん
  • 中世ちゅうせいひと政治せいじ』 (吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1988ねん
  • 中世ちゅうせい都市とし墳墓ふんぼ いちたに遺跡いせきをめぐって』 (日本にっぽんエディタースクール出版しゅっぱん、1988ねん
  • 武士ぶし鎌倉かまくら よみがえる中世ちゅうせい3』(共編きょうへん 平凡社へいぼんしゃ、1989ねん
  • 中世ちゅうせい村落そんらく現代げんだい』 (吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1991ねん
  • 考古学こうこがく中世ちゅうせい研究けんきゅう』 (名著めいちょ出版しゅっぱん、1991ねん
  • 中世ちゅうせいをひろげる―あたらしい史料しりょうろんをもとめて』 (吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1991ねん
  • 中世ちゅうせいしろ考古学こうこがく』 (新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1991ねん
  • 長福寺ちょうふくじ文書ぶんしょ研究けんきゅう』 (山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1992ねん
  • ひな中世ちゅうせい』 (吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1992ねん
  • 中世ちゅうせいほう政治せいじ』 (吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1992ねん
  • 鎌倉かまくら仏教ぶっきょう中世ちゅうせい都市とし実像じつぞう』 (有隣堂ゆうりんどう、1992ねん
  • 考古学こうこがく中世ちゅうせい研究けんきゅう〈2〉 中世ちゅうせい都市とし商人しょうにん職人しょくにん』 (名著めいちょ出版しゅっぱん、1992ねん
  • 中世ちゅうせいむら流通りゅうつう』 (吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1992ねん
  • 考古学こうこがく中世ちゅうせい研究けんきゅう〈3〉 中世ちゅうせい社会しゃかい墳墓ふんぼ』 (名著めいちょ出版しゅっぱん、1993ねん
  • 中世ちゅうせい風景ふうけいむ』(ぜん7かん新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1994~1995ねん
  • 中世ちゅうせいのムラ―景観けいかんかたりかける』(東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい、1995ねん
  • 歴史れきし読書どくしょ案内あんない』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1998ねん
  • 『もののふの鎌倉かまくら北条ほうじょう』(新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1999ねん
  • 原城はらのじょう発掘はっくつ西海さいかい王土おうどから殉教じゅんきょう舞台ぶたいへ』(新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2000ねん
  • 千葉ちばけん歴史れきし』(山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、2000ねん
  • 日本にっぽん中世ちゅうせい』(ぜん12かん中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、2002ねん - 2003ねん)。編集へんしゅう代表だいひょう

親族しんぞく

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参考さんこう文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 清水しみず克行かつゆき (2019ねん12月14にち). “なぜ中世ちゅうせい日本人にっぽんじんは「犯罪はんざいしゃいえはらった」のか 日本にっぽん刑罰けいばつかんかす名著めいちょ復刊ふっかん”. 現代げんだいビジネス. 講談社こうだんしゃ. 2023ねん8がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ 本郷ほんごう和人かずと「15ふんかる日本にっぽん中世ちゅうせい」(PDF)『人文じんぶんかいニュース』だい103ごう人文じんぶんかい、2008ねん5がつ、5-13ぺーじ2023ねん8がつ7にち閲覧えつらん 
  3. ^ 民俗みんぞくがく研究所けんきゅうじょ談話だんわかい旧制きゅうせい中学ちゅうがく4年生ねんせいから大学だいがく3年生ねんせいにかけ出席しゅっせきしていたことについては、石井いしい自身じしんかたっている(篠原しのはらとおる & 福田ふくだアジオ 2014)。
  4. ^ 博士はかせろん文書ぶんしょデータベース

外部がいぶリンク

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関連かんれん項目こうもく

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