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行人 - Wikipedia

行人こうじん

夏目なつめ漱石そうせき小説しょうせつ

行人こうじん』(こうじん)は、夏目なつめ漱石そうせき長編ちょうへん小説しょうせつ1912ねん12月6にちから1913ねん11月5にちまで、『朝日新聞あさひしんぶん』に連載れんさいされた。ただし、4がつから9がつまで作者さくしゃ病気びょうき胃潰瘍いかいよう)のため、5ヶ月かげつ中断ちゅうだんがある。1914ねん1がつかん

行人こうじん原稿げんこう一部いちぶ

行人こうじん』は、「友達ともだち」「あに」「かえってから」「塵労じんろう」の4つのへんからっている。男女だんじょについて、近代きんだい知識ちしきじん苦悩くのうえがく。『彼岸ひがんまで』につづき『こゝろ』につながる、後期こうき3さくの2さく

友達ともだち
二郎じろう友人ゆうじん三沢みさわ約束やくそくをして大阪おおさかおとずれた。だが三沢みさわ胃腸いちょうわるくして病院びょういん入院にゅういんしていた。二郎じろう三沢みさわ見舞みまうためになん病院びょういんくうちに、病院びょういんにいたあるおんなしんかれる。二郎じろう三沢みさわ彼女かのじょのことをはなすと、三沢みさわはそのおんな入院にゅういんするまえって一緒いっしょさけんだという。三沢みさわはそのおんな病室びょうしつ見舞みまった。三沢みさわ退院たいいんするだんになって、かれきゅうに、精神せいしんんでおなんでいた「むすめさん」のはなしろうはじめた。そしてにんわかれた。
あに
三沢みさわおくった翌日よくじつ二郎じろうははあに一郎いちろうあによめじき大阪おおさかにやってきた。よんにん観光かんこうのためにしばらく滞在たいざいする。そのおりつましんじきれない一郎いちろう二郎じろうたいして、ひたにんきりでいちばんまり、彼女かのじょ節操せっそうためしてほしいと依頼いらいする。二郎じろう拒否きょひするがとうとうひた二人ふたり旅行りょこうすることとなる。あらしなかにんいちばんごし、一郎いちろうたちのもとへかえった。くわしいはなし東京とうきょうはなすことをやくして、よんにん東京とうきょうかえった。
かえってから
東京とうきょうもどってからしばらくすると、一郎いちろうふたたろうあらしばんのことをはなすようせまる。二郎じろうとくはなすべきことはないとして一郎いちろう追及ついきゅうけたが、一郎いちろう激怒げきどした。以後いごいえ居心地いごこちわるくなった二郎じろうは、下宿げしゅくらすことをめていえた。そのころから、あに様子ようす家族かぞくからてもおかしくなったと、二郎じろう周囲しゅういからかされる。
塵労じんろう
二郎じろう両親りょうしん相談そうだんし、一郎いちろうをその親友しんゆうのHにたのんで、旅行りょこうしてもらう。二郎じろうはHに、旅行りょこうちゅう一郎いちろう様子ようす手紙てがみいておくってくれとたのんだ。一郎いちろうとHが旅行りょこうかけて11にちにHからなが手紙てがみとどいた。そのなかには旅行りょこうちゅうあに苦悩くのうが、Hのとおしてくわしくかれていた。

登場とうじょう人物じんぶつ

編集へんしゅう
長野ながの一郎いちろう
学者がくしゃであり物事ものごとふかげてかんがえる性質せいしつがある。つまじき理解りかいできないとおもい、おとうと二郎じろう彼女かのじょ貞操ていそうためすようたのむ。
長野ながの二郎じろう
一郎いちろうおとうとほんさくかたでもある。じき結婚けっこんまえから彼女かのじょっているが、あに手前てまえ複雑ふくざつ気持きもちになりくるしくもある。
じき
一郎いちろうつま
おも
一郞いちろういもうと
さだ
一郎いちろういえ下女げじょ近々ちかぢか結婚けっこんする。
H
あに友人ゆうじんで、一郎いちろう旅行りょこうす。
三沢みさわ
二郎じろう友人ゆうじん二郎じろう旅行りょこうわせで大阪おおさかたが、体調たいちょうくず入院にゅういんしてしまう。
岡田おかだ
一郎いちろう母方ははかた縁戚えんせき大阪おおさか在住ざいじゅう会社かいしゃいん
けん
岡田おかだつま
佐野さの
さだ結婚けっこん相手あいてがくひろい。

書誌しょし情報じょうほう

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文庫本ぶんこぼん

外部がいぶリンク

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