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謝国明 - Wikipedia

しゃ国明くにあき

鎌倉かまくら時代じだい博多はかた貿易ぼうえき従事じゅうじしたみなみそう貿易ぼうえき商人しょうにん

しゃ国明くにあき(しゃこくめい、きゅう字体じたい:しゃ國明くにあき 生年せいねんしょう - けんちょう5ねん1253ねん)5がつ以前いぜん)は鎌倉かまくら時代ときよ中期ちゅうき貿易ぼうえき商人しょうにんみなみそうひと博多はかたつなくび博多はかた唐房とうぼうみ、ふね所有しょゆうしてにちそう貿易ぼうえき従事じゅうじしたそうじんのこと)。博多はかた伝承でんしょうでは、とうやっとこ日本にっぽんつたえたほか(のち博多はかたやっとこ発展はってん[1]年越としこ蕎麦そば元祖がんそつたえられる。

しゃ国明くにあき
ヒト
性別せいべつ男性だんせい 編集
国籍こくせきみなみそう 編集
仮名がなしゃこくめい 編集
生年月日せいねんがっぴ不明ふめい 編集
死亡しぼう年月日ねんがっぴ不明ふめい 編集
死没しぼつ博多はかた 編集
埋葬まいそうしゃ国明くにあきはか 編集
職業しょくぎょう実業じつぎょう 編集
活動かつどう博多はかた 編集
ビジネスまたはスポーツのパートナー円爾えんに 編集
主要しゅよう作品さくひんうけたまわてんてら 編集

略歴りゃくれき

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臨安杭州こうしゅう)の出身しゅっしん[2]。のち、日本にっぽん帰化きかし、しゃ太郎たろう国明くにあき(くにあき)と名乗なのった[2]つま日本人にっぽんじんで、息子むすこがいた[3]

しゃ国明くにあきは、だいおさむしょう武藤むとうよりゆき[4]のう親子おやこに、出資しゅっし筥崎宮はこざきぐう宗像むなかた神社じんじゃなどの信任しんにんあつそうしょうつなくびであった。

櫛田くした神社じんじゃ周辺しゅうへん私邸していがあった[5]

円爾えんにせいいち国師こくし)に帰依きえし、じん3ねん1242ねん)、円爾えんに開山かいさんとしてうけたまわてんてら建立こんりゅうした[6]禅宗ぜんしゅうをはじめとしたみなみそう文化ぶんか博多はかた紹介しょうかいしている[2]箱崎はこざきみやりょう筑前ちくぜんこく那珂なかぐん野間のま高宮たかみや平原へいげん土地とちい、うけたまわてんてら寄進きしんした。円爾えんにみなみそう修行しゅぎょうしたみちやままん寿ことぶきぜんてら火災かさい焼失しょうしつすると、円爾えんに依頼いらいによりしゃ国明くにあき材木ざいもく1,000いたおくっている[7]。のち、じゅん師範しはんより礼状れいじょう国宝こくほういたわたしの墨蹟ぼくせき」)をおくられた[7][8]

けんちょう4ねん1252ねん)7がつ12にちの『関東かんとう御教書みぎょうしょ』には宗像むなかた大社たいしゃ社領しゃりょうであった小呂島おろのしまかんして、しゃ国明くにあきつま地頭じとう名乗なのって領有りょうゆうけん主張しゅちょうした[9]ことで宗像むなかた大社たいしゃ領地りょうちあらそいになり[10]宗像むなかたしゃざつてのひら鎌倉かまくら幕府ばくふしゃやくたい捍をうったえ、幕府ばくふしゃ国明くにあき戒告かいこく処分しょぶんとしたことが記録きろくされている[11](その宗像むなかた大社たいしゃ小呂島おろのしま所有しょゆう保障ほしょうされている[11])。

弘安ひろやす3ねん1280ねん)、88さい死去しきょしたとされる[2]。ただ、けんちょう5ねん1253ねん)5がつ3にちろく探題たんだい北条ほうじょうちょうしるした『ろくしょ』では「のこりょう」「遺跡いせき」「後家ごけあま」という表現ひょうげん使つかわれており、その時点じてんすで死去しきょしていたものとされる。

うけたまわてんてらひがしやくひゃくメートルにあるはかあとつたえられる場所ばしょにはくすのき大木たいぼくがある。このことから「大楠おおくすさま」とばれている[12][2]

毎年まいとし8がつ21にちには、しゃ国明くにあきしのび、「大楠おおくすさません灯明とうみょうさい」がおこなわれている[2][12]

関連かんれん作品さくひん

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テレビドラマ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ る | はかた伝統でんとう工芸こうげいかん”. はかた伝統でんとう工芸こうげいかん | 伝統でんとうあたらしいがここにある (2021ねん4がつ22にち). 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f 博多はかたまめ知識ちしきvol.66 「にちちゅう友好ゆうこう先駆せんくしゃしゃ国明くにあき”. 福岡ふくおか (2012ねん8がつ1にち). 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  3. ^ No.057 博多はかたつなくびてん博多はかた居住きょじゅう華僑かきょうたち”. 福岡ふくおか博物館はくぶつかん. 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ No.72 博多はかたむねむすびつけた 華僑かきょう しゃ国明くにあき(西日本にしにほんシティ銀行ぎんこう対談たいだん)『[1]2020ねん4がつ25にち確認かくにん』の武野むの要子ようこ教授きょうじゅはなしより。
  5. ^ しゃ国明くにあきはか大楠おおくすさま”. 福岡ふくおか公式こうしきシティガイド よかなび. 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  6. ^ 福岡ふくおかけん総務そうむ 1981, p. 39.
  7. ^ a b しゃ国明くにあきはか”. 福岡ふくおか経済けいざい観光かんこう文化ぶんかきょく. 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  8. ^ 尺牘せきとくいたわたしの墨蹟ぼくせき”. e国宝こくほう. 国立こくりつ文化財ぶんかざい機構きこう. 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  9. ^ 日本にっぽん海事かいじ研究けんきゅう
  10. ^ 高田たかだしげるこうしま史跡しせきめぐり」 西にし地域ちいき振興しんこう事業じぎょう推進すいしん委員いいんかい へん福岡ふくおか西にし区役所くやくしょ 監修かんしゅう福岡ふくおか史跡しせきガイド 西にし歴史れきし博物館はくぶつかん海鳥うみどりしゃ 1995ねん ISBN 4-87415-139-6
  11. ^ a b 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい へん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん40 福岡ふくおかけん角川書店かどかわしょてん ISBN 4-04-001400-6 1988ねん
  12. ^ a b しゃ国明くにあき 国際こくさい都市とし博多はかた活躍かつやくした“大楠おおくすさま”. 博多はかた魅力みりょく. 博多はかた魅力みりょく発信はっしん会議かいぎ. 2023ねん2がつ25にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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