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櫛田神社 (福岡市) - Wikipedia

櫛田くした神社じんじゃ (福岡ふくおか)

福岡ふくおか博多はかたにある神社じんじゃ

櫛田くした神社じんじゃ(くしだじんじゃ)は、福岡ふくおかけん福岡ふくおか博多はかた上川端かみかわばたまちにある神社じんじゃきゅう社格しゃかくけんしゃ博多はかたきゅう市街しがい博多はかた)に位置いちしており、地元じもと博多はかた人々ひとびとからは「櫛田くしたさん」と愛称あいしょうばれる。正式せいしき名称めいしょうは、博多はかたそう鎮守ちんじゅ櫛田くしだ神社じんじゃ(はかたそうちんじゅくしだじんじゃ)。

櫛田くした神社じんじゃ
所在地しょざいち 福岡ふくおかけん福岡ふくおか博多はかた上川端かみかわばたまち1-41
位置いち 北緯ほくい3335ふん34.641びょう 東経とうけい13024ふん37.814びょう / 北緯ほくい33.59295583 東経とうけい130.41050389 / 33.59295583; 130.41050389 (櫛田くした神社じんじゃ (福岡ふくおか))座標ざひょう: 北緯ほくい3335ふん34.641びょう 東経とうけい13024ふん37.814びょう / 北緯ほくい33.59295583 東経とうけい130.41050389 / 33.59295583; 130.41050389 (櫛田くした神社じんじゃ (福岡ふくおか))
主祭しゅさいしん 大幡おおはたぬし大神おおがみ櫛田くした大神おおがみ
おつ若子わかこいのち
てんあきらすめらぎ大神だいじん
盞嗚大神おおがみ祇園ぎおん大神だいじん
社格しゃかくひとし けんしゃ別表べっぴょう神社じんじゃ
創建そうけん 天平てんぴょうたから元年がんねん757ねん
例祭れいさい 5月3にち4にち博多はかたどんたく)
7がつ1にち - 15にち博多はかた祇園山ぎおんやまかさ
地図ちず
櫛田神社の位置(福岡市内)
櫛田神社
櫛田くした神社じんじゃ
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概要がいよう

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ふるくより博多はかた氏神うじがみそう鎮守ちんじゅとして信仰しんこうあつめている神社じんじゃである。7がつ博多はかた祇園山ぎおんやまかさ10月博多はかたおくんちなどの祭事さいじをおこなう。5月博多はかたまつ囃子ばやし博多はかたどんたく)は厳密げんみつには櫛田くした神社じんじゃ祭事さいじではないものの、まつ囃子ばやしいちぎょう櫛田くした神社じんじゃから出発しゅっぱつするしきたりになっている[1][2]

祭神さいじん

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祭神さいじん大幡おおはたぬし大神おおがみ櫛田くした大神おおがみ)、てんあきらすめらぎ大神だいじん盞嗚大神だいじん祇園ぎおん大神だいじん)のさんかみで、正殿せいでん大幡おおはたぬし大神だいじんひだり殿どのてんあきらすめらぎ大神だいじんみぎ殿どの盞嗚大神おおがみまつられている。

当社とうしゃ以外いがいにも日本にっぽん全国ぜんこくにいくつかの櫛田くした神社じんじゃがあるが、それらがくし名田なたひめ主祭しゅさいしんとする神社じんじゃであるのにたいし、当社とうしゃではくし名田なたひめまつられていない。ただし、元々もともとくし名田なたひめまつ神社じんじゃであったとするせつもある。

大幡おおはたぬし大神おおがみ櫛田くした大神おおがみ)は伊勢いせこく松坂まつさか櫛田くした神社じんじゃから勧請かんじょうしたかみとされている。別名べつめいだい若子わかこいのちといい、てん御中おんちゅう主神しゅしんの19せい子孫しそんで、北陸ほくりく地方ちほう怪物かいぶつ退治たいじしたとされる。なお、大幡おおはたぬし大神だいじん主祭しゅさいしんとする神社じんじゃ佐渡さどにあり、くし名田なたひめ主祭しゅさいしんとする神社じんじゃ5しゃのうち3しゃ北陸ほくりく地方ちほうにある。

しゃでんでは、天平てんぴょうたから元年がんねん757ねん)、松阪まつさかにあった櫛田くした神社じんじゃ勧請かんじょうしたのにはじまるとされ、松坂まつさか櫛田くした神社じんじゃ祭神さいじん大幡おおはたぬし大神おおがみてんあきら大神だいじんつかえる一族いちぞくかみであったことから、てんあきらすめらぎ大神おおがみ一緒いっしょ勧請かんじょうされたとつたえられる。てんけい4ねん941ねん)、小野おの好古よしふる藤原ふじわらじゅんともらんしずめるために京都きょうと八坂神社やさかじんじゃ祈願きがんし、平定へいていしたのち当社とうしゃ盞嗚しん勧請かんじょうしたとつたえられるが、平安へいあん時代じだい末期まっき平清盛たいらのきよもり所領しょりょう肥前ひぜんこく 神埼かんざき佐賀さがけん神埼かんざき)の櫛田くしたみやを、にちそう貿易ぼうえき拠点きょてんとした博多はかた勧請かんじょうしたというせつさい有力ゆうりょくであり、櫛田くした神社じんじゃ宮司ぐうじらが編纂へんさん1965ねん昭和しょうわ40ねん)に文部省もんぶしょう当時とうじ)に提出ていしゅつした『博多はかたさんかさ記録きろく』や1979ねん昭和しょうわ54ねん)に福岡ふくおか発行はっこうした『福岡ふくおか歴史れきし』でも佐賀さがけん神埼かんざきにある櫛田くしたみや分社ぶんしゃとされている。

戦国せんごく時代じだい荒廃こうはいした[3]が、1587ねん天正てんしょう15ねん)、豊臣とよとみ秀吉ひでよしによって博多はかた復興ふっこうされるときに現在げんざい社殿しゃでん造営ぞうえいされた。

1868ねん明治めいじ元年がんねん)の神仏しんぶつ分離ぶんりれいよりまえ江戸えど時代じだいまでは東長寺とうちょうじぞくする神護かんごてら櫛田くした神社じんじゃ管理かんりしていた。

1891ねん明治めいじ24ねん)にけんしゃれつした。

福岡ふくおかけん福岡ふくおか博多はかた祇園ぎおんまち名前なまえどう神社じんじゃまつられている祇園ぎおん大神だいじん由来ゆらいするといわれている[4]

博多はかた祇園山ぎおんやまかさかざやま常設じょうせつされている。1960ねん昭和しょうわ35ねん)から『はしれ!やまかさ』を放送ほうそうつづけている九州朝日放送きゅうしゅうあさひほうそう(KBC)が奉納ほうのうしている。

また、境内けいだいくち付近ふきんには「櫛田くした銀杏いちょう(ぎなん)」とばれる樹齢じゅれいやく1000ねん銀杏いちょうがそびえる。「博多はかたいわうた」にもうたわれ、けん天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている。

やまかさ牡丹ぼたんかざられる由来ゆらいとなった松浦まつうらとう波多はた三河みかわまもるおやゆかりの切木きりごのボタン[5]が、2018ねん平成へいせい30ねん)11月に唐津からつ肥前ひぜんまちからかぶけされ、境内けいだい植樹しょくじゅされた[6]

1955ねん昭和しょうわ30ねん)の台風たいふう22ごうでは、境内けいだいエノキたおれるなどの被害ひがい[7]

交通こうつう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 田中たなかきよし松田まつだおさむ大林おおばやし典子のりこ友清ともきよ高志こうし博多はかた旅情りょじょう四季しき行事ぎょうじ 歴史れきしよもやま』八木やぎ英蔵えいぞう、1967ねん4がつ25にち、88ぺーじ 
  2. ^ 井上いのうえ精三せいぞう博多はかた郷土きょうど事典じてん久本ひさもとさん、1987ねん11月1にち、264-266ぺーじ 
  3. ^ 大友おおとも義鎮よししげイエズスかいあたえ、教会堂きょうかいどう司祭しさいかんてさせたのは博多はかた櫛田くした神社じんじゃ場所ばしょだったようで、『フロイス日本にっぽん』には博多はかた祇園山ぎおんやまかさもちいられるやまかさなどの道具どうぐ保管ほかんについて、イエズスかい博多はかた人々ひとびととのあいだきたごと記録きろくされている。『フロイス日本にっぽん10・西にし九州きゅうしゅうへん2』27ぺーじ~31ぺーじ1979ねん昭和しょうわ54ねん9がつ20日はつか発行はっこう 訳者やくしゃ松田まつだ毅一きいち川崎かわさきももふとし 発行はっこうしょ中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ)
  4. ^ 冷泉れいせんのあゆみ1945~2007・冷泉れいせん地区ちく自治じち連合れんごうかい
  5. ^ けん指定してい天然記念物てんねんきねんぶつ 切木きりごのボタン”.唐津からつ.2021ねん4がつ19にち時点じてんオリジナル[リンク]よりアーカイブ
  6. ^ 博多はかた祇園山ぎおんやまかさえん 福岡ふくおか櫛田くした神社じんじゃ切木きりごボタン しゅっさん、感謝かんしゃ株分かぶわけ|まちの話題わだい佐賀さが新聞しんぶんニュース|佐賀さが新聞しんぶんLiVE”. 佐賀さが新聞しんぶんLiVE. 2019ねん12月2にち閲覧えつらん
  7. ^ 櫛田くした神社じんじゃ たおれたエノキ - 西日本にしにほん新聞しんぶんフォトライブラリー”. c.nishinippon.co.jp. 2020ねん4がつ8にち閲覧えつらん

関連かんれん図書としょ

編集へんしゅう
  • やすもと彦・梅田うめだ義彦よしひこ編集へんしゅうけん監修かんしゅうしゃ神道しんとう辞典じてん神社じんじゃ新報しんぽうしゃ1968ねん、26ぺーじ
  • 白井しらい永二えいじ土岐ときあきらくん編集へんしゅう神社じんじゃ辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん1979ねん、123 - 124ぺーじ

外部がいぶリンク

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