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八坂神社 - Wikipedia

八坂神社やさかじんじゃ

京都きょうと東山ひがしやまにある神社じんじゃ

八坂神社やさかじんじゃ(やさかじんじゃ)は、京都きょうと京都きょうと東山ひがしやま祇園ぎおんまち北側きたがわにある神社じんじゃじゅうしゃしたはちしゃ)のいちしゃきゅう社格しゃかくかんぬさ大社たいしゃで、現在げんざい神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃ

八坂神社やさかじんじゃ

西にし楼門ろうもん重要じゅうよう文化財ぶんかざい
所在地しょざいち 京都きょうと京都きょうと東山ひがしやま祇園ぎおんまち北側きたがわ625
位置いち 北緯ほくい350ふん13びょう 東経とうけい13546ふん43びょう / 北緯ほくい35.00361 東経とうけい135.77861 / 35.00361; 135.77861 (八坂神社やさかじんじゃ)座標ざひょう: 北緯ほくい350ふん13びょう 東経とうけい13546ふん43びょう / 北緯ほくい35.00361 東経とうけい135.77861 / 35.00361; 135.77861 (八坂神社やさかじんじゃ)
主祭しゅさいしん 戔嗚みこと
くし稲田いなだひめいのち
はちはしら御子みこしん
社格しゃかくひとし じゅうしゃしたはちしゃ
きゅうかんぬさ大社たいしゃ
別表べっぴょう神社じんじゃ
創建そうけん つてひとし明天めいてんすめらぎ2ねん656ねん
本殿ほんでん様式ようしき 祇園ぎおんづくり八坂はっさかづくり
札所ふだしょとう 神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい116ばん京都きょうとだい36ばん
例祭れいさい 6月15にち
おも神事しんじ 祇園祭ぎおんまつり(7がつ
しろうけらさい1がつ1にち
地図ちず
地図
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全国ぜんこくにある八坂神社やさかじんじゃ戔嗚みこと祭神さいじんとする関連かんれん神社じんじゃやく2300しゃ)のそう本社ほんしゃであると主張しゅちょうしている。通称つうしょうとして祇園ぎおんさん八坂やさかさんともばれる。祇園祭ぎおんまつり祇園ぎおんかい)の胴元どうもととしてもられる。

本殿ほんでん国宝こくほう
みなみ楼門ろうもん重要じゅうよう文化財ぶんかざい
絵馬えまどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

社名しゃめいについて

もと祭神さいじんであった牛頭ごず天王てんのう祇園ぎおん精舎しょうじゃ守護神しゅごじんであるとされていたことから、元々もともと祇園ぎおん神社じんじゃ」「祇園ぎおんしゃ」「祇園ぎおんかんかみいん」などとばれていたものが、慶応けいおう4ねん=明治めいじ元年がんねん1868ねん)の神仏しんぶつ分離ぶんりれいにより「八坂神社やさかじんじゃ」と改名かいめいされた。

概要がいよう

京都きょうと盆地ぼんち東部とうぶ四条しじょうどおりひがしはし鎮座ちんざする。境内けいだい東側ひがしがわにはしだれさくら有名ゆうめい円山公園まるやまこうえん隣接りんせつしていることもあって、地元じもと氏神うじがみ産土うぶすな)としての信仰しんこうあつめるとともに観光かんこうとしてもおおくのひとおとずれている。

正月しょうがつさんにち初詣はつもうで参拝さんぱいしゃすう近年きんねんではやく100まんにん京都きょうと府下ふかでは伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃぐ2となっている。また東西とうざい南北なんぼく四方しほうからひと出入でいりが可能かのうなため、楼門ろうもんじられることはなく伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃおなじように夜間やかんでも参拝さんぱいすることが出来できる(防犯ぼうはんのため、監視かんしカメラ設置せっち。また、夜間やかんでも有人ゆうじん警備けいびおこなわれている)。

祭神さいじん

現在げんざい祭神さいじん以下いかとおり。

主祭しゅさいしん
はいしん

明治めいじ時代じだい神仏しんぶつ判然はんぜんれい以前いぜんは、主祭しゅさいしん以下いかの3はしらであった[2]

牛頭ごず天王てんのう起源きげんしょう習合しゅうごうしん祇園ぎおん精舎しょうじゃ守護しゅごするとされ、日本にっぽんではもと戔嗚みことどうかみとされていた。頗梨采女うねめ牛頭ごず天王てんのうきさきしんであることからもと戔嗚のきさきであるくし稲田いなだひめいのち同一どういつされた。くし稲田いなだひめいのち方角ほうがく吉方えほう恵方えほう)をつかさど歳徳神としとくじん(としとくしん)と同一どういつなされていたこともありれきしんとしても信仰しんこうされた。八王子はちおうじ牛頭ごず天王てんのうの8にん王子おうじであり、こよみしんはちしょうしん比定ひていされた[3][4][リンク]

 
まい殿どの重要じゅうよう文化財ぶんかざい

また、ひがし御座ぎょざにはしゃでん明確めいかく記述きじゅつへび毒気どくけしん(だどくけのかみ)がまつられている。このかみすな渇羅(さから)龍王りゅうおうむすめこん御前ごぜんだい婦人ふじんのこと)とばれる[5]。または、ヤマタノヲロチ変化へんかしたものともかんがえられている。

歴史れきし

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  祇園ぎおんしゃ - 名所めいしょ図会ずえにちぶんけんホームページ)

しゃでんによれば、2つのせつがあり、さだかん18ねん(876ねん南都なんとそうえん如(えんにょ)が当地とうちにおどう建立こんりゅうし、おなねん天神てんじん祇園ぎおんしん)が東山ひがしやまふもと祇園ぎおんりんったことにはじまるというせつと、ひとし明天めいてんすめらぎ2ねん656ねん)、高句麗こうくり(この時代じだい高句麗こうくり民族みんぞくツングースぞくであるという見方みかた識者しきしゃなかではおおられる)から来日らいにちした調進ちょうしん副使ふくし利之としゆき使つかいぬし(いりしおみ)の創建そうけんとされるせつもあるが、この利之としゆき使つかいぬし創建そうけんせつ現存げんそんする歴史れきし資料しりょうからは根拠こんきょとぼしいものと批判ひはんされている。また度々たびたび八坂神社やさかじんじゃ説明せつめいにて、高句麗こうくりこううらら記載きさいしている場合ばあいがあるが、これは間違まちがいである(一文字ひともじちがいのためか間違まちがわれやすい)。

918ねん高句麗こうくりおう追放ついほうし、建国けんこくしたのが現在げんざい韓国かんこく朝鮮ちょうせんこううららであり、それ以前いぜん高句麗こうくりである。ゆえに、前述ぜんじゅつの656ねんせつ記載きさいする場合ばあいにおいては、高句麗こうくりただしく、高麗こうらい間違まちがいである。

牛頭ごず天王てんのう釈迦しゃか生誕せいたんちな祇園ぎおん精舎しょうじゃ守護神しゅごじんとされるが、実際じっさいにはインド中国ちゅうごく朝鮮ちょうせんにおいて信仰しんこうされた形跡けいせきはなく、日本にっぽん独自どくじかみである。しん牛頭山うしずやま由来ゆらいするのだというせつがあるが、これも定説ていせつにはなっていない。そして山城やましろこく愛宕あたごぐん八坂やさかさとまつり、「八坂はっさかづくり」のせいたまわったのにはじまるとする。

先述せんじゅつとおり、上記じょうき利之としゆき使つかいぬし創建そうけんせつ現存げんそんする歴史れきし資料しりょうからは根拠こんきょとぼしいものと批判ひはんされている。戦後せんごにおける祇園ぎおんしゃそうまつについての先駆せんくてき学術がくじゅつてき研究けんきゅう久保田くぼたおさむの「祇園ぎおんしゃそうまつについて」[6]であり、これは今日きょうにおいても一定いってい支持しじている。久保田くぼたどう論文ろんぶんにおいて史料しりょう詳細しょうさい検討けんとうした結果けっか祇園ぎおんしゃさだかん18ねん876ねんそうえん如がのち神宮寺じんぐうじとなるかん慶寺けいじ建立こんりゅうし、ほどなく祇園ぎおんしん東山ひがしやまふもと祇園ぎおんりんち、垂迹すいじゃくしたものと結論けつろんづけている。なお、中世ちゅうせいにおいて吉田よしだ神道しんとう採用さいようされ、江戸えど時代じだいには通説つうせつしていた播磨はりまこくこうみねからの遷座せんざせつについては、平安へいあん時代じだい史料しりょうまったくあらわれず鎌倉かまくら時代ときよ以降いこうこうみねしゃがわから主張しゅちょうしはじめたとの文献ぶんけん検討けんとう結果けっか、これを否定ひていしている。

祭神さいじん当初とうしょは「祇園ぎおん天神てんじん」または「天神てんじん」とだけ呼称こしょうされており、牛頭ごず天王てんのう(およびそれに習合しゅうごうした戔嗚みこと)の文献ぶんけんじょうてこないことから、最初さいしょ牛頭ごず天王てんのう戔嗚みこととはことなる天神てんじん祭神さいじんであり、やがて(おそくとも鎌倉かまくら時代じだいには)牛頭ごず天王てんのうもと戔嗚みこと相次あいついで習合しゅうごうしたものとかんがえられている。

ふるくからある神社じんじゃであるが、延喜えんぎしきかみめいちょうにはしるされていない。これは神仏しんぶつ習合しゅうごういろあいが当初とうしょ興福寺こうふくじいで延暦寺えんりゃくじ支配しはいけていたことから、神社じんじゃではなくてらとみなされていたためとられるが、じゅうしゃいちしゃにはなっており、神社じんじゃとしてもられていたことがわかる。平安へいあん時代じだい中期ちゅうきごろから一帯いったい産土神うぶすながみとして信仰しんこうされるようになり、朝廷ちょうていからもあつ崇敬すうけいけた。

祇園祭ぎおんまつりは、さだかん11ねん869ねん)に各地かくち疫病えきびょう流行りゅうこうしたさい神泉苑しんせんえんおこなわれた御霊みたまかい起源きげんとするもので、もとけい元年がんねん877ねん)には当社とうしゃおこなわれている。てんろく元年がんねん970ねん)ごろからは当社とうしゃ祭礼さいれいとして毎年まいとしおこなわれるようになった。

うけたまわひらた4ねん934ねん)に慶寺けいじいんとしてかんかみいん建立こんりゅうされると、まもなく立場たちばわってかんかみいん祇園ぎおんしゃ別当寺べつとうじとなり、ますます神仏しんぶつ習合しゅうごうすすんでいき、名称めいしょう祇園ぎおんしゃのほかに祇園ぎおんかんかみいんばれるようになった。また、当社とうしゃながらく法相ほうしょうむね興福寺こうふくじ末社まっしゃであったが、10世紀せいきまつ紛争ふんそうにより天台宗てんだいしゅう延暦寺えんりゃくじ末寺まつじとされた。

延久のべひさ2ねん1070ねん)にはかんかみいん鴨川かもがわ西岸せいがん広大こうだい地域ちいきを「境内けいだい」としてみとめられ、朝廷ちょうてい権力けんりょくからの「不入ふにゅうけん」を承認しょうにんされた[注釈ちゅうしゃく 1]。このころから祇園ぎおんかんかみいんきの一族いちぞく執行しっこうとして世襲せしゅう支配しはいするようになる(たから寿ひさしいん (祇園ぎおんしゃ社家しゃけ)参照さんしょう)。

延久のべひさ4ねん1072ねん)3がつ後三条ごさんじょう天皇てんのう行幸ぎょうこう以降いこう度々どど天皇てんのう上皇じょうこうによる行幸ぎょうこう御幸みゆきおこなわれている。

よしみろく3ねん1227ねん)、延暦寺えんりゃくじ法然ほうねん墓所はかしょげんおんいん)を祇園ぎおんしゃいぬ神人しんじんもうけてやぶ却している(よしみろく法難ほうなん[8][出典しゅってん無効むこう]

至徳しとく元年がんねん1384ねん)に足利あしかが義満よしみつは、祇園ぎおんしゃ比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじから分離ぶんりさせた。だが、それで祇園ぎおんしゃ幕府ばくふ配下はいかとなったわけではなく、以降いこう祇園祭ぎおんまつり経済けいざいてきちからをつけていたきょう町衆まちしゅうによりおこなわれるようになり、現在げんざいいたっている[9]

もとかめ2ねん1571ねん)9がつ織田おだ信長のぶながによっておこなわれた比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ焼亡しょうぼうすると、祇園ぎおんしゃはより延暦寺えんりゃくじ支配しはいからはなれるようになった。

天正てんしょう18ねん1590ねん)には、豊臣とよとみ秀吉ひでよしはは大政所おおまんどころ病気びょうき平癒へいゆ当社とうしゃ祈願きがんし、多宝塔たほうとう再建さいけんして1まんせき寄進きしんしている。

うけたまわおう3ねん1654ねん)には徳川とくがわ家綱いえつなにより本殿ほんでん再建さいけんされたが、多宝塔たほうとう寛政かんせい年間ねんかん1789ねん - 1801ねん)に焼失しょうしつしている。

慶応けいおう4ねん(9がつ8にちに1がつ1にちさかのぼって明治めいじ元年がんねん改元かいげん)の神仏しんぶつ混交こんこう禁止きんし神仏しんぶつ分離ぶんりによりかんかみいん廃寺はいじとされ、本殿ほんでん西にしとなりにあったかん慶寺けいじ薬師堂やくしどうこわされた。なお、薬師堂やくしどうまつられていた祇園ぎおんしゃ本地ほんじふつ薬師やくし如来にょらい立像りつぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)とじゅういちめん観音かんのん立像りつぞう大蓮寺だいれんじに、梵鐘ぼんしょうだいくもいんうつされている。それにともない、名称めいしょうも「祇園ぎおんかんかみいん」「祇園ぎおんしゃ」から「八坂神社やさかじんじゃ」へあらためられた。近代きんだい社格しゃかく制度せいどのもと、1871ねん明治めいじ4ねん)にかんぬさ中社なかやしろれつかくし、1915ねん大正たいしょう4ねん)にかんぬさ大社たいしゃ昇格しょうかくした。

1948ねん昭和しょうわ23ねん)に神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃれつされている。

2020ねんれい2ねん)12月23にちけで本殿ほんでん国宝こくほう[10][11]に、摂社せっしゃ末社まっしゃなど26むね建造けんぞうぶつ重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた[12][13][リンク][14]

境内けいだい

  • 本殿ほんでん国宝こくほう) - うけたまわおう3ねん1654ねん)に徳川とくがわ家綱いえつなにより再建さいけん一般いっぱん神社じんじゃでは別棟べつむねとする本殿ほんでん拝殿はいでんを1つの入母屋いりもや屋根やねおおった独特どくとく建築けんちく様式ようしきである「祇園ぎおんづくり」でてられている。本殿ほんでんしたには平安京へいあんきょうひがししずめであるあおりゅうりゅうあながあるとされているが、漆喰しっくいかためられている。
  • 神饌しんせんしょ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[15]
  • とおるへい(すいべい、重要じゅうよう文化財ぶんかざい[16]
  • まい殿どの(ぶでん、重要じゅうよう文化財ぶんかざい[17]
  • 大国たいこくさまはくうさぎぞう
  • 神馬しんめしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[18]
  • 絵馬えまどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい[19]
  • 西にし手水ちょうずしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[20]
  • 西にし楼門ろうもんつばさろう重要じゅうよう文化財ぶんかざい[21]
  • 西にし楼門ろうもん重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - あかりおう6ねん1497ねん)の再建さいけん創建そうけんねんしょう文献ぶんけんからすくなくとも平安へいあん中期ちゅうき以前いぜんには存在そんざいしたとされる。応仁おうにん元年がんねん罹災りさいあきらおう5ねん(1496ねん)4がつより再建さいけん開始かいしし、翌年よくねん竣工しゅんこうしゃ)。上層じょうそう切妻きりづまづくりそうもんで、下層かそう中央ちゅうおうとおけとし、正面しょうめん左右さゆう金剛こんごうしがらみない随神かんながらぞう安置あんちする。本殿ほんでん西方せいほう四条しじょうどおりたりにつ。西にし大門おおもんともしょうする。
  • 社務しゃむしょ
  • 常磐ときわ新殿にいどの
  • 常磐ときわ殿どの
  • 神輿しんよ(みこしこ、重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 1928ねん昭和しょうわ3ねん再建さいけん[22]
  • 清々せいせいかん
  • ときかん
  • のう舞台ぶたい
  • みなみ手水ちょうずしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[23]
  • みなみ楼門ろうもん重要じゅうよう文化財ぶんかざい[24]
  • いし鳥居とりい重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 正保まさやす3ねん1646ねん建立こんりゅう本殿ほんでん正面しょうめんみなみ楼門ろうもんがある表参道おもてさんどう入口いりくちつ。最初さいしょ木造もくぞうであったが寛永かんえい年間ねんかん焼失しょうしつ再建さいけんののち震災しんさいにて破壊はかいされたため、正保しょうほう3ねん石造せきぞうあらためた。寛文ひろふみ2ねん1662ねん)の地震じしん倒壊とうかい寛文ひろふみ6ねん1666ねん)に補修ほしゅう再建さいけんされた。現在げんざい扁額へんがく八坂神社やさかじんじゃ」は有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのうふで

末社まっしゃ

 
大政所おおまんどころ御旅所おたびしょ
 
御供ごくうしゃまたたびしゃ
 
祇園祭ぎおんまつり還幸かんこうさいてられる御供ごくうしゃのオハケ

摂社せっしゃ

  • 疫神しゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[25] - 祭神さいじん蘇民将来そみんしょうらい
  • 悪王子あくおうじしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[26] - 祭神さいじん戔嗚みことあらたましい京都きょうと下京しもぎょうに「悪王子あくおうじまち」と「元悪王子もとあくおうじまち」があり、かつてはこの町内ちょうないまつられていた。現代げんだいの「あく」とは意味合いみあいがすこちがい、ふるくは「あく強力きょうりょく」と意味合いみあいもあった。1877ねん明治めいじ10ねん)に八坂神社やさかじんじゃまつられるようになった。
  • 冠者かんじゃ殿どのしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい[27] - 祭神さいじん天照大御神あまてらすおおみかみとの誓約せいやく戔嗚みこと

末社まっしゃ

御旅所おたびしょさかいがいしゃ

  • 四条しじょう御旅所おたびしょ重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 下京しもぎょう四条通寺町東入南側所在。東殿ひがしとの[35]天保てんぽう8ねん1837ねん)、西にし殿どの[36]明治めいじ34ねん1901ねん再建さいけん東殿ひがしとの西にし殿どのはさまれる神輿しんよには祇園祭ぎおんまつりの7がつ17にちから24にち神輿しんよ3安置あんちされる。祇園祭ぎおんまつり期間きかん以外いがい神輿しんよきょう土産みやげ販売はんばいする「よんじょうセンター」として営業えいぎょうおこなっている。2013ねん9がつより店名てんめいを「Otabi Kyoto」に改称かいしょう[37]
  • 三条さんじょう御供ごくうしゃ(ごくうしゃ、重要じゅうよう文化財ぶんかざい[38] - またたびしゃともいう。中京ちゅうきょう三条さんじょうどおり黒門くろもん西入にしいり所在しょざい。7月24にち還幸かんこうさいおり神輿しんよ3安置あんちされる。
  • 大政所おおまんどころ御旅所おたびしょ旧跡きゅうせき重要じゅうよう文化財ぶんかざい[39] - 下京しもぎょう烏丸からすまどおりふつこうてらくだ所在しょざい。7月15にち長刀鉾なぎなたぼこ長刀ちょうとうおさめられ、よく16にち神剣しんけんはい戴のおこなわれる。ふるくは「大政所おおまんどころ御旅所おたびしょ」と「少将井しょうしょうい(しょうしょうのい)御旅所おたびしょ」があり、前者ぜんしゃにはもと戔嗚みこと大政所おおまんどころ)と八王子はちおうじかみみゆきし、後者こうしゃにはくし稲田いなだひめいのち少将井しょうしょういみや少将井しょうしょうい天王てんのう)がかみみゆきしていたが、天正てんしょう19ねん(1591ねん)、豊臣とよとみ秀吉ひでよしいのちによって四条しじょう京極きょうごく御旅所おたびしょ統合とうごうされた。大政所おおまんどころ旧跡きゅうせきには小社しょうしゃてられ、現在げんざいでも毎年まいとし7がつ16にちには長刀鉾なぎなたぼこ神剣しんけんはい戴の儀式ぎしきおこなわれ、その周辺しゅうへん大政所おおまんどころまちといわれている。少将井御旅しょうしょういおたびしょ旧跡きゅうせきには天王てんのうしゃてられたが、1877ねん明治めいじ10ねん)、京都きょうと御苑ぎょえん宗像むなかた神社じんじゃ境内けいだいうつされた[40][リンク][41]現在げんざいでは中京ちゅうきょう烏丸からすまとおる竹屋たけやまちくだるに少将井しょうしょういまち[42]中京ちゅうきょう車屋くるまやまちどおり夷川えびすがわのぼるに少将井御旅しょうしょういおたびまち[43]地名ちめいのこされている。

おも祭事さいじ

 
祇園祭ぎおんまつり まえさい山鉾やまぼこ 御池みいけどおり巡行じゅんこう(2017ねん7がつ17にち撮影さつえい

そのにも四季しきつうじて祭礼さいれい神事しんじおこなわれている。

文化財ぶんかざい

 
本殿ほんでん国宝こくほう細部さいぶ
 
いし鳥居とりい重要じゅうよう文化財ぶんかざい
 
末社まっしゃ蛭子えびすしゃ社殿しゃでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい

国宝こくほう

  • 本殿ほんでん - 2020ねんれい2ねん)12月23にち国宝こくほう指定してい[44][45]

重要じゅうよう文化財ぶんかざい

建造けんぞうぶつ
  • 八坂神社やさかじんじゃ 29むね
    • 疫神社本しゃもと殿どの(えきじんじゃほんでん)
    • 悪王子あくおうじしゃ本殿ほんでん
    • 蛭子えびす社本しゃもと殿どの
    • 御前ごぜん社本しゃもと殿どの(うつくしごぜんしゃほんでん)
    • だい国主こくしゅ社本しゃもと殿どの
    • たまこう稲荷いなり社本しゃもと殿どの
    • 日吉ひよし社本しゃもと殿どの
    • 太田おおた社本しゃもと殿どの
    • 大年おおとし社本しゃもと殿どの
    • じゅうしゃ本殿ほんでん
    • しゃ本殿ほんでん
    • 冠者かんじゃ殿どのしゃ本殿ほんでん
    • 四条しじょう旅所たびしょ本殿ほんでん(2むね
    • 大政所おおまんどころ社本しゃもと殿どの
    • またたびしゃ本殿ほんでん
    • まい殿どの(ぶでん)
    • 神饌しんせんしょ
    • とおるへい(すいべい)
    • 神馬しんめしゃ(しんめしゃ)
    • 神輿しんよ(みこしこ)
    • 絵馬えまどう
    • 西にし手水ちょうずしゃ
    • みなみ手水ちょうずしゃ
    • 西にし楼門ろうもん
    • 西にし楼門ろうもんつばさろう(2むね
    • みなみ楼門ろうもん
    • いし鳥居とりい

※2020年度ねんどすんで指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい楼門ろうもん西にし楼門ろうもん)」「蛭子えびすしゃ社殿しゃでん」「いし鳥居とりい」に指定してい建造けんぞうぶつ26むね追加ついか指定していして、「八坂神社やさかじんじゃ」1けん29むねとなった[44][46]

美術びじゅつ工芸こうげいひん
  • 木造もくぞう狛犬こまいぬ
  • 太刀たち - めい豊後ぶんごこく行平ゆきひらさく平安へいあん末期まっき豊後ぶんご大分おおいたけん)の刀工とうこう行平ゆきひら(ゆきひら)のさく
  • 太刀たち3くち - かくめい出羽でわだいじょう藤原ふじわらこく金具かなぐ大工だいくからだ阿弥あみ 祇園ぎおんしゃ御太刀みたち うけたまわおう三甲さんこううまねんきゅうがつ吉日きちじつ江戸えど時代じだい刀工とうこう出羽でわだいじょうこく(でわだいじょうくにみち)のさく
  • 鉦鼓しょうこながうけたまわさんねんめい)1くち 鉦鼓しょうこ無銘むめい)1くち
  • かみほん着色ちゃくしょく祇園ぎおんしゃ絵図えず
  • 祇園ぎおん執行しっこう日記にっき9さつつけ 祇園ぎおんしゃとう59さつ
  • 八坂神社やさかじんじゃ文書ぶんしょ(2205つう)89かん、40さつ、1じょう、1つう
  • さんがく - 元禄げんろく4ねん1691ねん長谷川はせがわ鄰完奉納ほうのう絵馬えまどうにて復元ふくげんがく展示てんじ

前後ぜんご札所ふだしょ

神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
115 あおれんいん - 116 八坂神社やさかじんじゃ - 117 清水寺きよみずでら

現地げんち情報じょうほう

所在地しょざいち
交通こうつうアクセス

鉄道てつどう

バス

くるま

  • 駐車ちゅうしゃじょうみなみ楼門ろうもん西側にしがわ有料ゆうりょう駐車ちゅうしゃじょうあり
  • 京都きょうと市営しえい円山まるやま駐車ちゅうしゃじょう」(24あいだ営業えいぎょうくるまだか制限せいげん1.9mあり)から徒歩とほ1ふん
周辺しゅうへん

境内けいだい画像がぞう

脚注きゃくちゅう

注釈ちゅうしゃく

  1. ^ 中世ちゅうせい史家しか伊藤いとう正敏まさとしは、これ(1070ねん以降いこうきょう比叡山ひえいざん経済けいざいてき影響えいきょうつよけた「叡山えいざん門前もんぜまち」となり、また、この1070ねんをもって「中世ちゅうせい開幕かいまく」とすべきと主張しゅちょうしている[7]

出典しゅってん

  1. ^ 祇園ぎおんしゃ解説かいせつ画像がぞう”. 名所めいしょ図会ずえデータベース. 国際こくさい日本にっぽん文化ぶんか研究けんきゅうセンター. 2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ 名所めいしょ図会ずえ1780ねん[1]
  3. ^ 八坂神社やさかじんじゃ歴史れきし”. そうまつ. 八坂神社やさかじんじゃ (2016ねん3がつ5にち). 2024ねん5がつ1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  4. ^ 神社じんじゃ神殿しんでん祇園ぎおんしん習合しゅうごう
  5. ^ 上田うえだほか 1985, p. 128
  6. ^ 久保田くぼた 1962, pp. 404–420
  7. ^ 伊藤いとう 2008, p. [ようページ番号ばんごう]
  8. ^ たて正安まさやす国論こくろん
  9. ^ 伊藤いとうどう掲書伊藤いとう 2008
  10. ^ かくむね情報じょうほう名称めいしょう八坂神社やさかじんじゃ本殿ほんでん”. くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース. 国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ. 2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  11. ^ 八坂神社やさかじんじゃ本殿ほんでん”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン. 文化庁ぶんかちょう. 2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  12. ^ 本殿ほんでん祇園祭ぎおんまつり”. 2021ねん12月1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2021ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  13. ^ 八坂神社やさかじんじゃ本殿ほんでん国宝こくほう指定していおよ摂社せっしゃ末社まっしゃ建造けんぞうぶつ26むね重文じゅうぶん指定していについて八坂神社やさかじんじゃホームページ、2020ねん12月25にち閲覧えつらん
  14. ^ 八坂神社やさかじんじゃ 建造けんぞうぶつ 京都きょうと 重要じゅうよう文化財ぶんかざい検索けんさく結果けっか”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン. 文化庁ぶんかちょう. 2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  15. ^ 八坂神社やさかじんじゃ 神饌しんせんしょ”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン. 文化庁ぶんかちょう. 2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ 八坂神社やさかじんじゃ とおるへい”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン. 文化庁ぶんかちょう. 2024ねん6がつ14にち閲覧えつらん
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参考さんこう文献ぶんけん

本文ほんぶん典拠てんきょおも執筆しっぴつしゃ編者へんしゃじゅん

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