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博多松囃子 - Wikipedia

博多はかたまつ囃子ばやし(はかたまつばやし)は、福岡ふくおか5月3にち5月4にち開催かいさいされるまつりである。まつ囃子ばやしの1つであり、福神ふくじん恵比須えびす大黒だいこくさん福神ふくじんならびに稚児ちごが、福岡ふくおか博多はかたのほうぼうを訪問ほうもんして祝賀しゅくがするまつり同日どうじつおこなわれる博多はかたどんたく起源きげんであり中核ちゅうかくえるが、現在げんざいでは博多はかたどんたくのイベントの1つに包摂ほうせつされている。博多はかたまつばやし名称めいしょう記録きろく作成さくせいとう措置そちこうずべき無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい選択せんたく無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい)に選択せんたくされている。2020ねんにはくに重要じゅうよう無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していされた[1][2]

まつ囃子ばやし大黒天だいこくてん(2005ねん

概要がいよう

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博多はかたどんたくの参加さんかしゃである「どんたくたい」は市内しない各地かくち演舞えんぶだいでパフォーマンスをひろげる。それにたいして博多はかたまつ囃子ばやしいちぎょう演舞えんぶだいでの式典しきてんよりもむしろ、福岡ふくおかけん庁舎ちょうしゃ福岡ふくおか市庁舎しちょうしゃ警察けいさつしょ県知事けんちじ公舎こうしゃ官公庁かんこうちょう、ホテルなどの企業きぎょう商家しょうか、ならびに市内しない神社じんじゃ仏閣ぶっかくなどすうおおくの場所ばしょいわめぐることが主要しゅよう目的もくてきである。

さん福神ふくじんはそれぞれめん衣装いしょうけた姿すがたうまり、随伴ずいはん子供こどもたちが「いいたて」(祝言しゅうげん)をうたう。稚児ちごてんかんむりまいころも姿すがた少女しょうじょ太鼓たいこかねふえうたいにわせていを披露ひろうする。いわわれたがわ返礼へんれい杉原すぎはらの1たば(10じょう)とおうぎ1ほんわせた「いちたば一本いっぽん」をさんぽうせておくるとともに、祝儀しゅうぎさけ紅白こうはく蒲鉾かまぼこ乾物かんぶつなどでもてなす。

貝原かいばら益軒えきけんの『筑前ちくぜんこくぞく風土記ふどき』において古老ころうつたえとして、博多はかたまつ囃子ばやし1179ねんうけたまわ3ねん)に病没びょうぼつした平重盛たいらのしげもり恩恵おんけいしゃすためにはじまったとされている。またもとにちぶしかい博多はかた人々ひとびと発展はってんさせたものとも、室町むろまち時代ときよまつ囃子ばやし習慣しゅうかん博多はかた伝播でんぱしたものともかんがえられている。

博多はかた豪商ごうしょう神屋かみやそうじんの『そうじん日記にっき』には、1595ねんぶんろく4ねん10月29にち筑前ちくぜん領主りょうしゅ小早川こばやかわ秀秋ひであき居城きょじょうであった名島なじまじょう現在げんざいひがし名島なじま)へ博多はかた人々ひとびとまつ囃子ばやし仕立したてて年賀ねんがいわいをおこなったとしるされている。

1599ねん慶長けいちょう4ねん)、小早川こばやかわ秀秋ひであき肥後ひご加藤かとう清正きよまさ年賀ねんが使者ししゃつかわしたとき、使者ししゃ鉢合はちあわせしたまつ囃子ばやしいちぎょう口論こうろんとなり、まつ囃子ばやしものさむらい一人ひとり馬上もうえからきずりおろして撲殺ぼくさつする事件じけん発生はっせい。これによりまつ囃子ばやし中止ちゅうしされる。

筑前ちくぜん福岡ふくおかはんだい2だい藩主はんしゅ黒田くろだ忠之ただゆきいのちにより、中止ちゅうしされていた博多はかたまつ囃子ばやし1642ねん寛永かんえい19ねん)に再興さいこうされ、それより博多はかたまつ囃子ばやし福岡ふくおかじょう福岡ふくおかはん藩主はんしゅ表敬ひょうけいするため正月しょうがつ15にちおもむ年賀ねんが行事ぎょうじとしておこなわれた。まつ囃子ばやしいちぎょう福岡ふくおかじょう表敬ひょうけいしたのち博多はかたもどって神社じんじゃ仏閣ぶっかくとし行司ぎょうじたく年寄としより町内ちょうない有力ゆうりょくしゃたくいわった。またまつ囃子ばやしいちぎょう後続こうぞくした趣向しゅこうらしたちやものは「とおりもん」とばれ、これが現在げんざい博多はかたどんたくにつながる。

明治維新めいじいしん1872ねん明治めいじ5ねん)までは福岡ふくおかはんごと黒田くろだちょう有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう年始ねんし表敬ひょうけいおこなっていた。しかし「金銭きんせん浪費ろうひし、かつ文明開化ぶんめいかいかにそぐわない」という理由りゆう同年どうねん11がつ福岡ふくおかけんからの通達つうたつによりやまかさ盆踊ぼんおどとともに正月しょうがつまつ囃子ばやし禁止きんしされたが、どう通達つうたつには天長節てんちょうせつなどをいわうようにとあり、1878ねん明治めいじ11ねん)にさん福神ふくじん紀元節きげんせついわいにし、よく1879ねん明治めいじ12ねん)にはさん福神ふくじん稚児ちご、そしてぶくはくかくまちとおりもんが紀元節きげんせつしゅくしたことが資料しりょうのこっている。明治めいじ30年代ねんだいからは鎮魂ちんこんさい招魂しょうこんさい)にし、そのほか1906ねん明治めいじ39ねん3月9にち東公園ひがしこうえんもよおされた軍人ぐんじん歓迎かんげい招待しょうたいかいや、1915ねん大正たいしょう4ねん11月10にち大正天皇たいしょうてんのう即位そくい大典たいてんならびに1928ねん昭和しょうわ3ねん11月6にち昭和しょうわ天皇てんのう即位そくい大典たいてんといったくに祝事いわいごとにちなんで参加さんかした。

 
戦前せんぜんまつ囃子ばやし参加さんかしゃ傘鉾かさぼこ

昭和しょうわになり戦時せんじしょくつよまるなか1938ねん昭和しょうわ13ねん)をもってまつ囃子ばやしまたしても中止ちゅうしとなる。太平洋戦争たいへいようせんそう終結しゅうけつ1946ねん昭和しょうわ21ねん)5がつに「博多はかた復興ふっこうさい」として空襲くうしゅう被災ひさい瓦礫がれきなか子供こどもやまかさとともにまつ囃子ばやしとどんたくがおこなわれた。よく1947ねん昭和しょうわ22ねん)には5月24にち・25にち開催かいさい1949ねん昭和しょうわ24ねん)からは前年ぜんねん制定せいていされた憲法記念日けんぽうきねんびわせて5がつ3にちよく4にち開催かいさいとした。博多はかたどんたくはさらに翌日よくじつの5にちこどものにもおこなったりしたが、博多はかたまつ囃子ばやしは5にち参加さんかすることはなかった。

博多はかたどんたくがパレード主体しゅたいとなるなか博多はかたまつ囃子ばやし伝統でんとう保持ほじする目的もくてきで「博多はかたまつばやしかい」が1953ねん昭和しょうわ28ねん)1がつ結成けっせい同年どうねん5がつには名称めいしょうを「博多はかたまつばやし保存ほぞんかい」とする。よく1954ねん昭和しょうわ29ねん)には福岡ふくおかけん無形むけい文化財ぶんかざい指定していされ、また1969ねん昭和しょうわ44ねん)には福岡ふくおかけん民俗みんぞく資料しりょう指定していされる。そして1976ねん昭和しょうわ51ねん)には「博多はかたまつばやし」の名称めいしょうくに選択せんたく無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい選択せんたくされた。現在げんざいは「博多はかたまつ囃子ばやし振興しんこうかい」が組織そしきされ活動かつどうしている。

まつ囃子ばやし構成こうせい

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太鼓たいこらしながらいいたてをうたう(大黒だいこく

博多はかたまつ囃子ばやし福神ふくじん恵比須えびす大黒おおくろ稚児ちごの4つのグループから構成こうせいされており、それぞれ豊臣とよとみ秀吉ひでよし博多はかた復興ふっこう太閤たいこうまちり)以来いらい博多はかた自治じち組織そしきであるながれ(ながれ)によって当番とうばんつとめられている。福神ふくじん福神ふくじんりゅうが、恵比須えびす恵比須えびすりゅうが、大黒だいこく大黒だいこくりゅうが、そして稚児ちご稚児ちごひがしりゅう稚児ちご西にしりゅうつ。

福神ふくじん

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福神ふくじんぶくろく寿ことぶき)の装束しょうぞくは、つらぬきのながあたま福神ふくじんめん茶色ちゃいろ打掛うちかけ水色みずいろはかまとう団扇うちわってうままたがる。太鼓たいこたたいて福神ふくじんの「いいたて」をうたいながら子供こどもたちがさきあるき、肩衣かたぎぬたっ(たっつけ)はかましろ足袋たび下駄げた男性だんせい一団いちだん随行ずいこうし、さんほんかさぼこつ。

恵比須えびす

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男女だんじょたい夫婦ふうふ恵比須えびすからなり、とも馬上もうえおとこ恵比須えびす装束しょうぞくは、烏帽子えぼしめんひだりわきだいたいかかえ、右手みぎてたいいた竿ざおち、緞子どんすふくむらさきはかまおんな恵比須えびす装束しょうぞくは、てんかんむりめん袖無そでなし羽織はおり檜扇ひおうぎち、かねたまかかえ、はかま太鼓たいこたたいて恵比須えびすの「いいたて」をうたいながら子供こどもたちがさきあるき、肩衣かたぎぬたっ(たっつけ)はかましろ足袋たび下駄げた男性だんせい一団いちだん随行ずいこうし、さんほんかさぼこつ。

大黒だいこく

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大黒だいこく装束しょうぞくは、きぬ頭巾ずきん漆黒しっこくめん緞子どんすふく、「だい」のきの紺色こんいろはかま金襴きんらんすなきんぶくろ背負せおい、には小槌こづち騎乗きじょうするうまにはべいたわらが2つけられる。太鼓たいこたたいて大黒だいこくの「いいたて」をうたいながら子供こどもたちがさきあるき、肩衣かたぎぬたっ(たっつけ)はかましろ足袋たび下駄げた男性だんせい一団いちだん随行ずいこうし、さんほんかさぼこつ。

稚児ちごてんかんむりまいころも中啓ちゅうけいおうぎはかま姿すがた少女しょうじょたちで、これに烏帽子えぼし直垂ひたたれ太刀たちした少年しょうねんたちがともなってまいのときにはふえつづみ四拍子しびょうしかなでる。随伴ずいはんする男性だんせいらは肩衣かたぎぬ・かるさん・しろ足袋たび下駄げたで、「」のえがいた黄色おうしょく頭巾ずきんこうむり、うたいをうたう。稚児ちごりゅうさん福神ふくじんとはべつ行程こうてい福岡ふくおか博多はかためぐる。またひがしりゅう西にしりゅうが2ねんごとに交代こうたい稚児ちごりゅう当番とうばんする。

かさぼこ

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かさぼこは、かみだいとなる「だし」をいただきに、かさには6まいの「れ」をげる。 「れ」には羽二重はぶたえもちい、水墨すいぼくとう揮毫きごうされる。 近年きんねんは「りゅう」で1ほん当番とうばんまちで1ほん博多はかたまつ囃子ばやし振興しんこうかい製作せいさくした古式こしきかさぼこ1ほん合計ごうけい3ほんかさぼこ奉納ほうのうしている。かさぼこをくぐると病気びょうきにかからないとわれている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 文化ぶんか審議しんぎかい答申とうしん重要じゅうよう有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していとう)」文化庁ぶんかちょうサイト、2020ねん1がつ17にち発表はっぴょう
  2. ^ れい2ねん3がつ16にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい29ごう

外部がいぶリンク

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