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天皇誕生日 - Wikipedia

天皇誕生日てんのうたんじょうび

日本にっぽん国民こくみん祝日しゅくじつ

天皇誕生日てんのうたんじょうび(てんのうたんじょうび)は、日本にっぽん国民こくみん祝日しゅくじつひとつである。旧称きゅうしょうは、天長節てんちょうせつ(てんちょうせつ)。法律ほうりつうえさだめはないが、外交がいこうじょうでは国家こっか(ナショナル・デー)としてあつかわれている[1]

2019ねんれい元年がんねん5月1にちより在位ざいいちゅうしん天皇てんのうであるとくひとしは、1960ねん昭和しょうわ35ねん2がつ23にちまれ(64さい)。

日付ひづけは、だい126だい天皇てんのうとくひとし誕生たんじょうである2がつ23にち2020ねんれい2ねん以降いこう)。

概要がいよう

編集へんしゅう
宮中きゅうちゅう祭祀さいし主要しゅよう祭儀さいぎ一覧いちらん
四方拝しほうはい歳旦さいたんさい
元始げんしさい
そう事始ことはじめ
昭和しょうわ天皇てんのうまつり先帝せんていさい
孝明天皇こうめいてんのう例祭れいさい先帝せんてい以前いぜんさんだい例祭れいさい
祈年祭としごいのまつり
てんちょうさい天長節てんちょうせつさい
春季しゅんき皇霊こうれいさい春季しゅんき神殿しんでんさい
神武じんむ天皇てんのうさい皇霊こうれい殿どの御神楽みかぐら
こうじゅん皇后こうごう例祭れいさいさききさき例祭れいさい
ふしおり大祓おおはらい
明治天皇めいじてんのう例祭れいさい先帝せんてい以前いぜんさんだい例祭れいさい
秋季しゅうき皇霊こうれいさい秋季しゅうき神殿しんでんさい
神嘗祭かんなめさい
新嘗祭にいなめさい
賢所かしこどころ御神楽みかぐら
大正天皇たいしょうてんのう例祭れいさい先帝せんてい以前いぜんさんだい例祭れいさい
ふしおり大祓おおはらい

天皇誕生日てんのうたんじょうびは、1948ねん制定せいてい国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ祝日しゅくじつほう昭和しょうわ23ねん7がつ20日はつか法律ほうりつだい178ごうだい2じょうによれば、「天皇てんのう誕生たんじょういわう。」ことを趣旨しゅしとしている。

昭和しょうわ23ねん1948ねん)までは、天長節てんちょうせつ(てんちょうせつ)とばれ、「休日きゅうじつせきスルけん」(昭和しょうわ2ねんみことのりれいだい25ごう)にもとづく祝日しゅくじつだった。昭和しょうわ23ねん昭和しょうわ天皇てんのう誕生たんじょうである4がつ29にち天長節てんちょうせつのち、7がつ20日はつか祝日しゅくじつほう施行しこうされた。

天皇誕生日てんのうたんじょうび日付ひづけは、昭和しょうわ63ねん1988ねん)までは昭和しょうわ天皇てんのうだい124だい天皇てんのう)の誕生たんじょうである4がつ29にち平成へいせい元年がんねん1989ねん)から平成へいせい30ねん2018ねん)までは明仁あきひとだい125だい天皇てんのうげん上皇じょうこう)の誕生たんじょうである12月23にちであった。れい元年がんねん2019ねん)は、天皇誕生日てんのうたんじょうび存在そんざいしなかったが、5月1にち天皇てんのう即位そくいとして祝日しゅくじつとされ、その前後ぜんご祝日しゅくじつはさまれて国民こくみん休日きゅうじつとなった。

天皇誕生日てんのうたんじょうびさいしては以下いか行事ぎょうじおこなう。

一方いっぽうで、皇后こうごう誕生たんじょう(こうごうたんじょうび)は地久節ちきゅうせつ(ちきゅうせつ)とばれるが(詳細しょうさい後述こうじゅつ)、だい世界せかい大戦たいせんまえから祝祭日しゅくさいじつではなく、現在げんざい国民こくみん祝日しゅくじつにはなっていない。

ヨーロッパなどでは在位ざいいちゅう君主くんしゅ実際じっさい誕生たんじょうとはべつ祝日しゅくじつとすることがあるが[ちゅう 1]天皇誕生日てんのうたんじょうび祝日しゅくじつ大正天皇たいしょうてんのうれいのぞいて実際じっさい誕生たんじょうおなじであり、天皇てんのう即位そくいわせて祝日しゅくじつ移動いどうする。

古代こだい中世ちゅうせい

編集へんしゅう

天長節てんちょうせつふるく、とう皇帝こうていげんむね誕生たんじょう天長節てんちょうせついわったこと由来ゆらいする。中国ちゅうごくれきひらきもと17ねん天平てんぺいもと729ねん)に「千秋ちあきたかし」とあらためられたが、19ねん天宝てんぽう7ねん天平てんぴょうかちたから元年がんねん748ねん)に「天長節てんちょうせつ」とあらためられた。「てんちょう」は老子ろうしの「天長地久てんちょうちきゅう」よりられている[2]

日本にっぽんではひかりじん天皇てんのう時代じだいたからひさし6ねん775ねん10月13にち11月10にち)に天長節てんちょうせつおこなわれ、臣下しんか天皇てんのう好物こうぶつさけ献上けんじょうしてうたげたまわった。

てん長大ちょうだい群臣ぐんしんけんじ翫好酒食しゅしょくえん畢賜ろくゆう

(これに先立さきだ9月11にち10がつ10日とおか)に

じゅうがつじゅうさんにちちんせい日毎ひごといたり此辰けいけんしゅうむべれいしょてら僧尼そうに毎年まいとしうたてけい行道ぎょうどう海内かいだい諸国しょこくなみむべだんほふ内外ないがい百官ひゃっかんたまもの酺宴いちにち仍名此日ため天長節てんちょうせつ庶使まわり功徳くどくけんたてまつせん慈以此慶じょうひろし天下てんか

みことのりくだされた)、と宝亀ほうき10ねん779ねん)の記録きろくにもられるなど平安へいあん時代じだいすでおこなわれ、室町むろまち時代ときよ記録きろくとして『御湯おゆ殿上てんじょう日記にっき』に記述きじゅつがある。

近代きんだい現代げんだい

編集へんしゅう
 
開化かいか廿にじゅうよんこう 天長節てんちょうせつはた」、豊原とよはら 国周くにちか明治めいじ時代じだい

明治めいじ元年がんねん8がつ26にち1868ねん10月11にち)に太政官だじょうかん布告ふこくで「きゅうがつじゅうにちきよし󠄁かみ誕󠄂たつ相當そうとうづけ每年まいとし此辰ヲ以テ群臣ぐんしんニ酺宴ヲたまもの天長節てんちょうせつ󠄁執行しっこうしょうなり天下でんかノ𠛬戮被とまこうへん󠄁ニしゅ庶ト慶福けいふく󠄁ヲどもゆう󠄁こう思召おぼしめしこうあいだ於󠄁庶民しょみん一同いちどうよしみぶし󠄁ヲ奉祝ほうしゅく󠄀こうさまおおせこうごと」と布達ふたつされ、9月22にち(1868ねん11月6にち)に天長節てんちょうせつ国家こっか祝日しゅくじつとしてしゅくした。9月22にち明治天皇めいじてんのう東京とうきょう行幸ぎょうこうへの最中さいちゅうで、当日とうじつ宿所しゅくしょとなった近江おうみこく土山つちやま宿やど最初さいしょ天長節てんちょうせつ祝賀しゅくが儀式ぎしきおこなった[ちゅう 2]明治めいじ2ねん1869ねん)は各国かっこく公使こうしのべりょうかんせてさけ饌をたまい、明治めいじ3ねん1870ねん)はしょ官員かんいん職員しょくいん華族かぞくなどが拝賀はいがし、みことのり任官にんかん禁中きんちゅうで、そう任官にんかん以下いかかく官省かんしょうで酺宴(ほえん)をたまい、しょ軍艦ぐんかん祝砲しゅくほうたれた。天長節てんちょうせつ儀礼ぎれいととのったのは明治めいじ5ねん1872ねん)で、同年どうねん天長節てんちょうせつ勅語ちょくご

茲ニちん󠄂カ誕󠄂たつかた群臣ぐんしん會同かいどうシ酺宴ヲちょう舞樂ぶがくそうセシムなんじ群臣ぐんしんちん󠄂カ偕ニらくシムノ󠄁ヲからだシ其ノのうク歡ヲつきセヨ

せんした。ついでそう任官にんかん以上いじょう総代そうだいとして太政大臣だじょうだいじん三条さんじょう実美みみが、華族かぞく総代そうだいとしてしたがえいち中山なかやま忠能ただやすがそれぞれ奉答ほうとうした。明治めいじ6ねん1873ねん)の太陽暦たいようれき採用さいよう11月3にち変更へんこうし、10月14にち太政官だじょうかん布告ふこく国家こっか祝日しゅくじつ規定きていされた。

後年こうねん即位そくいした天皇てんのう誕生たんじょうにあわせて天長節てんちょうせつ(てんちょうせつ)がさだめられた。昭和しょうわ23ねん1948ねん)までは、年中ねんじゅう祭日さいじつ祝日しゅくじつ休暇きゅうかてい休日きゅうじつせきスルけんなど太政官だじょうかん布告ふこくみことのりれい具体ぐたいてき日付ひづけ規定きていされた。戦前せんぜん新年しんねん現在げんざい元日がんじつ1がつ1にち)・紀元節きげんせつ現在げんざい建国けんこく記念きねん2がつ11にち)・明治めいじぶし現在げんざい文化ぶんか11月3にち)ともに四大しだいぶしひとつとして、盛大せいだい奉祝ほうしゅくされた。

7がつ30にち明治天皇めいじてんのう崩御ほうぎょ大正天皇たいしょうてんのう践祚せんそとなった明治めいじ45ねん大正たいしょう元年がんねん1912ねん)は、11月3にち明治めいじ天皇誕生日てんのうたんじょうび)に予定よていしていた天長節てんちょうせつ8がつ31にち大正たいしょう天皇誕生日てんのうたんじょうび)へ変更へんこうする、あらたな休日きゅうじつほう休日きゅうじつせきスルけん)の施行しこう9月4にちになり、天長節てんちょうせつのないとしとなった。

大正天皇たいしょうてんのう誕生たんじょう盛暑せいしょ各種かくしゅ式典しきてんときぎょう困難こんなんであることから、翌年よくねん以降いこうは2かげつ10月31にち[ちゅう 3]天長節てんちょうせつ祝日しゅくじつとして本来ほんらい誕生たんじょうけた。休日きゅうじつとしても大正たいしょう2ねん1913ねん)に休日きゅうじつせきスルけん改正かいせいされ、天長節てんちょうせつ祝日しゅくじつ制定せいていされた。8月31にち行事ぎょうじもよおさないが休日きゅうじつであり、休日きゅうじつとし2かいとなった。

だい世界せかい大戦たいせん昭和しょうわ23ねん(1948ねん)は祝日しゅくじつほう制定せいていされ、昭和しょうわ24ねん1949ねん以降いこう天皇誕生日てんのうたんじょうび(てんのうたんじょうび)として国民こくみん祝日しゅくじつさだめられて現在げんざいいたる。祝日しゅくじつほう制定せいてい先立さきだっておこなわれた「希望きぼうする祝日しゅくじつ」の政府せいふ世論せろん調査ちょうさは、「新年しんねんもと」にいで「天皇陛下てんのうへいかのおまれになった」がだい2であった。

2019ねん平成へいせい31ねん4がつ30にちに、日本国にっぽんこく憲法けんぽうおよ天皇てんのう退位たいい特例とくれいほう規定きていによりだい125だい天皇てんのう明仁あきひと退位たいい上皇じょうこうとなったため、2019ねんは1912ねん以来いらい2かい現行げんこう祝日しゅくじつほうでははじめての天皇誕生日てんのうたんじょうびのないとしとなった[3]。ただし、とくひとし即位そくい継承けいしょうとして5月1にちがこのとし限定げんてい祝日しゅくじつとして指定していされ、事実じじつじょう天皇誕生日てんのうたんじょうび代替だいたいとなった[4]。また、明仁あきひと誕生たんじょう12月23にちは、法律ほうりつにより、2019ねんから「平成へいせい」は制定せいていせず、平日へいじつもどった。12月は31ねんぶりに国民こくみん祝日しゅくじつのないつきになった。

2020ねんれい2ねん2がつ23にちとくひとし即位そくいこうはつ天皇誕生日てんのうたんじょうび皇居こうきょでの一般いっぱん参賀さんがは、新型しんがたコロナウイルス感染かんせん拡大かくだい影響えいきょうにより中止ちゅうしされた。翌年よくねん2021ねんれい3ねん)と翌々年よくよくねん2022ねんれい4ねん同日どうじつ一般いっぱん参賀さんが同様どうよう理由りゆう中止ちゅうしされて、2023ねんれい5ねん)から改元かいげんそして即位そくいでははじめて一般いっぱん参賀さんが実施じっしされるようになった。

近代きんだい現代げんだい史上しじょうでの歴代れきだい天皇てんのう天長節てんちょうせつ天皇誕生日てんのうたんじょうび

編集へんしゅう
歴代れきだい天皇てんのう天長節てんちょうせつ天皇誕生日てんのうたんじょうび
時期じき 在位ざいい天皇てんのう 誕生たんじょう 法定ほうてい祝日しゅくじつ 根拠こんきょほう
慶応けいおう4ねん8がつ26にち1868ねん10月11にち
- 明治めいじ6ねん1873ねん7がつ20日はつか
明治天皇めいじてんのう 11月3にち
旧暦きゅうれき9がつ22にち
旧暦きゅうれき9がつ22にち天長節てんちょうせつ 明治めいじ6ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい258ごうによる改正かいせいまえ明治めいじ元年がんねん行政ぎょうせいかん布告ふこくだい679ごう
明治めいじ6ねん(1873ねん7がつ20日はつか[5]
- 10月14にち
11月3にち天長節てんちょうせつ 明治めいじ6ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい258ごう
明治めいじ6ねん(1873ねん)10がつ14にち
- 明治めいじ45ねん1912ねん7がつ30にち
休日きゅうじつせきスルけん大正たいしょう元年がんねんみことのりれいだい19ごう)による廃止はいしまえ明治めいじ6ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい344ごう
明治めいじ45ねん(1912ねん)7がつ30にち
- 大正たいしょう元年がんねん(1912ねん9月4にち
大正天皇たいしょうてんのう 8がつ31にち
大正たいしょう元年がんねん(1912ねん)9がつ4にち
- 大正たいしょう2ねん1913ねん7がつ16にち
8がつ31にち天長節てんちょうせつ 大正たいしょう元年がんねんみことのりれいだいじゅうきゅうごうちゅう改正かいせいけん大正たいしょう2ねんみことのりれいだい259ごう)による改正かいせいまえ休日きゅうじつせきスルけん大正たいしょう元年がんねんみことのりれいだい19ごう
大正たいしょう2ねん(1913ねん)7がつ16にち
- 大正たいしょう15ねん1926ねん12月25にち
8がつ31にち天長節てんちょうせつ
10月31にち天長節てんちょうせつ祝日しゅくじつ
大正たいしょう元年がんねんみことのりれいだいじゅうきゅうごう休日きゅうじつせきスルけん改正かいせいけん昭和しょうわ2ねんみことのりれいだい25ごう)による全部ぜんぶ改正かいせいまえ休日きゅうじつせきスルけん大正たいしょう元年がんねんみことのりれいだい19ごう
大正たいしょう15ねん(1926ねん)12月25にち
- 昭和しょうわ2ねん1927ねん3月4にち
昭和しょうわ天皇てんのう 4がつ29にち
昭和しょうわ2ねん(1927ねん)3がつ4にち
- 昭和しょうわ23ねん1948ねん7がつ20日はつか
4がつ29にち天長節てんちょうせつ 国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ昭和しょうわ23ねん法律ほうりつだい178ごう附則ふそくだい2こうによる廃止はいしまえ休日きゅうじつせきスルけん昭和しょうわ2ねんみことのりれいだい25ごう
昭和しょうわ23ねん(1948ねん)7がつ20日はつか
- 昭和しょうわ64ねん1989ねん1がつ7にち
4がつ29にち天皇誕生日てんのうたんじょうび 国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ一部いちぶ改正かいせいする法律ほうりつ平成へいせい元年がんねん法律ほうりつだい5ごう)による改正かいせいまえ国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ昭和しょうわ23ねん法律ほうりつだい178ごう
昭和しょうわ64ねん(1989ねん)1がつ7にち
- 平成へいせい元年がんねん(1989ねん2がつ17にち
明仁あきひと 12月23にち
平成へいせい元年がんねん(1989ねん)2がつ17にち
- 平成へいせい31ねん(2019ねん4がつ30にち
12月23にち天皇誕生日てんのうたんじょうび 天皇てんのう退位たいいとうかんする皇室こうしつ典範てんぱん特例とくれいほう附則ふそくだい10じょう平成へいせい29ねん法律ほうりつだい63ごう)による改正かいせいまえ国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ昭和しょうわ23ねん法律ほうりつだい178ごう
れい元年がんねん(2019ねん5月1にち
- 在位ざいいちゅう
とくひとし 2がつ23にち 2がつ23にち天皇誕生日てんのうたんじょうび 国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ昭和しょうわ23ねん法律ほうりつだい178ごう

天皇誕生日てんのうたんじょうび天長節てんちょうせつ)による休日きゅうじつは、昭和しょうわ23ねん(1948ねん)7がつ19にち以前いぜん年中ねんじゅう祭日さいじつ祝日しゅくじつ休暇きゅうかてい休日きゅうじつせきスルけんなどの太政官だじょうかん布告ふこくみことのりれい規定きていされていたが、昭和しょうわ23ねん(1948ねん)7がつ20にち以降いこう国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ規定きていされている。天皇誕生日てんのうたんじょうび皇位こうい継承けいしょうによって自動的じどうてき移動いどう変更へんこうされるわけではなく、ほう改正かいせいしてあらたに天皇誕生日てんのうたんじょうび規定きていする必要ひつようがある。

明治めいじ45ねん大正たいしょう元年がんねん(1912ねん)は先帝せんてい崩御ほうぎょ(7がつ30にち) - 新帝しんてい誕生たんじょう(8がつ31にち) - 新法しんぽう施行しこう(9がつ4にち) - 先帝せんてい誕生たんじょう(11月3にち)のじゅんとなり、平成へいせい31ねんれい元年がんねん(2019ねん)は、新帝しんてい誕生たんじょう(2がつ23にち) - 譲位じょうい(4がつ30にち・5月1にち) - 先帝せんてい誕生たんじょう(12月23にち)のじゅんとなったため、天皇誕生日てんのうたんじょうびによる休日きゅうじつがないとしとなった。

一世一元いっせいいちげんせい制定せいてい以降いこう天皇てんのう崩御ほうぎょ退位たいい誕生たんじょうあつか

編集へんしゅう

休日きゅうじつせきスルけん国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつともに、天皇誕生日てんのうたんじょうびによる休日きゅうじつ先帝せんてい崩御ほうぎょ退位たいい新帝しんてい践祚せんそともな移動いどうする。休日きゅうじつせきスルけんでは先帝せんてい崩御ほうぎょ先帝せんていさいとなっていたが、国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつ原則げんそくとして先帝せんていさい相当そうとうする休日きゅうじつもうけていない。ただし、明治めいじ以降いこう先帝せんてい誕生たんじょう休日きゅうじつになった事例じれいが2かいある(明治めいじぶしおよび昭和しょうわ)。

明治天皇めいじてんのう誕生たんじょう11月3にち
明治天皇めいじてんのう誕生たんじょうである11月3にち崩御ほうぎょ平日へいじつとされたが、崩御ほうぎょから15ねん昭和しょうわ2ねん1927ねん)に明治めいじぶしとして休日きゅうじつとされた。休日きゅうじつせきスルけん時代じだいに、国民こくみん帝国ていこく議会ぎかいへの請願せいがんけてもうけられた唯一ゆいいつ休日きゅうじつである。
だい世界せかい大戦たいせん以前いぜんは、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうしたきゅう陸海りくかいぐん大元帥だいげんすいとされた天皇てんのうによる観兵かんぺいしきおこなわれ、宮中きゅうちゅう席次せきじだいいちかいないしだいさんかいだいじゅうななものならびに勲一等くんいっとうやとい外国がいこくじんおよびはく男爵だんしゃくならびに大日本帝国だいにっぽんていこくちゅう各国かっこく大使たいし公使こうしらが宮中きゅうちゅうされて豊明とよあき殿どの宴会えんかいもよおされ、天皇てんのう出席しゅっせきして勅語ちょくごはっし、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん大使たいし公使こうし首席しゅせき奉答ほうとうべて聖寿せいじゅ疆をしゅくした。
昭和しょうわ21ねん1946ねん)11月3にち日本国にっぽんこく憲法けんぽう公布こうふされて、国民こくみん祝日しゅくじつ文化ぶんか」となった。当時とうじ首相しゅしょう吉田よしだしげる憲法けんぽう制定せいていを、当初とうしょ8がつ11にち公布こうふ2がつ11にち紀元節きげんせつ施行しこうとしたが、わずに11月3にち明治めいじぶし公布こうふ5月3にち施行しこうとし、意図いとてきにそれまでの四大しだいぶし日程にっていわせた。
大正天皇たいしょうてんのう誕生たんじょう8がつ31にち
大正天皇たいしょうてんのう誕生たんじょうである8がつ31にちと、その誕生たんじょう盛暑せいしょであることを理由りゆうとした10月31にち天長節てんちょうせつ祝日しゅくじつは、崩御ほうぎょふたた祝日しゅくじつにはなっていない。大正たいしょう限定げんてい天長節てんちょうせつ祝日しゅくじつは、のちの休日きゅうじつ増加ぞうか端緒たんしょとなり、昭和しょうわ明治めいじぶし制定せいていして休日きゅうじつ減少げんしょう回避かいひした。
昭和しょうわ天皇てんのう誕生たんじょう4がつ29にち
昭和しょうわ天皇てんのう誕生たんじょうである4がつ29にちは、昭和しょうわ64ねん1989ねん1がつ7にち崩御ほうぎょ直後ちょくご祝日しゅくじつほう改正かいせいで「みどりの」として国民こくみん祝日しゅくじつとされた[ちゅう 4]平成へいせい19ねん2007ねん)からは「昭和しょうわ」とさだめられた。同時どうじに「みどりの」は5月4にち変更へんこうされた。
明仁あきひと誕生たんじょう12月23にち
平成へいせい時代じだい1989ねん - 2019ねん)において国民こくみん祝日しゅくじつであっただい125だい天皇てんのう明仁あきひと誕生たんじょう12月23にちは、退位たいい国民こくみん祝日しゅくじつかんする法律ほうりつにより2019ねんれい元年がんねん)より平日へいじつとなった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ イギリスえい連邦れんぽう王国おうこく一部いちぶ国王こくおう公式こうしき誕生たんじょう)、ルクセンブルク大公たいこう公式こうしき誕生たんじょう英語えいごばん
  2. ^ これにだいった井上いのうえ円了えんりょう掛軸かけじく石碑せきひ同地どうち現存げんそんする。なお、当時とうじ旧暦きゅうれき太陰暦たいいんれき)を使用しようしたために同日どうじつ天長節てんちょうせつさだめられたが、新暦しんれき同年どうねん11がつ3にち東京とうきょう行幸ぎょうこう出発しゅっぱつ前日ぜんじつで、明治天皇めいじてんのう京都きょうと滞在たいざいしていた。
  3. ^ 月遅つきおくれではなくふた月遅つきおくれとなっているのは、9月31にち存在そんざいしないため。
  4. ^ これは4がつ29にちゴールデンウィーク一角いっかく構成こうせいする祝日しゅくじつのため、平日へいじつもどすと国民こくみん生活せいかつ悪影響あくえいきょう懸念けねんされたことから、祝日しゅくじつめい変更へんこうして存続そんぞくさせたことによる。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん矢山ややま有作ゆうさくくん提出ていしゅつ天皇誕生日てんのうたんじょうび日本にっぽんのナショナル・デーとしていることにかんする質問しつもんたいする答弁とうべんしょ”. 2023ねん2がつ20日はつか閲覧えつらん
  2. ^ 年中ねんじゅう行事ぎょうじ事典じてん』p512 昭和しょうわ33ねん(1958ねん)5がつ23にち初版しょはん発行はっこう 西にし角井かくいただしけいへん 東京とうきょうどう出版しゅっぱん
  3. ^ はじめて天皇誕生日てんのうたんじょうびなし 政府せいふが19ねん祝日しゅくじつ発表はっぴょう (日本語にほんご). 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん 電子でんしばん. https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26424440R00C18A2PP8000/ 2018ねん11月20にち閲覧えつらん 
  4. ^ 平成へいせい31ねん(2019ねん)の国民こくみん祝日しゅくじつ休日きゅうじつ追加ついかについて首相しゅしょう官邸かんてい
  5. ^ 文部省もんぶしょう文化ぶんかきょく宗務しゅうむ監修かんしゅう明治めいじ以後いご宗教しゅうきょう関係かんけい法令ほうれい類纂るいさん』(第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1968ねん)p.500

外部がいぶリンク

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