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勅任官 - Wikipedia

みことのり任官にんかん

明治めいじ憲法けんぽう官吏かんり区分くぶんで、高等官こうとうかん一種いっしゅ敬称けいしょうかく

みことのりにん(ちょくにん[1])はかんじん官吏かんり任官にんかん手続てつづきの種類しゅるい勅旨ちょくしによって官職かんしょくにんずることまたはその官職かんしょくをいい、とくにその官職かんしょくをいう場合ばあいみことのり任官にんかん(ちょくにんかん[1])という。

みことのり任官にんかん位置いちづけ

みことのり任官にんかんは1886ねん明治めいじ19ねん)から高等官こうとうかん一種いっしゅとなり[2]明治めいじ憲法けんぽうしたもちいられ1946ねん昭和しょうわ21ねん)に廃止はいしされた[3]そう任官にんかん上位じょうい位置いちし、広義こうぎにはおや任官にんかん高等官こうとうかん一等いっとうとうそうじてみことのり任官にんかんんだが、狭義きょうぎには高等官こうとうかん一等いっとうとうのみをみことのり任官にんかんといった。おや任官にんかんみことのり任官にんかんたいしては、敬称けいしょう閣下かっかもちいた。

律令制りつりょうせいにおけるみことのりにん

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律令制りつりょうせいでは勅旨ちょくしによって官職かんしょくにんずることまたはその官職かんしょくみことのりにんといい[4]かんにんずるときは大納言だいなごん以上いじょう左右さゆうだいべんはちしょうきょうまもるとく弾正だんじょういんだいおさむそちみことのりにんとした[5] [6]みことのりにん下位かいそうにんががある[7]

明治めいじ太政官だじょうかんせいにおけるみことのりにん

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1868ねん慶応けいおう4ねんうるう4がつ政体せいたいしょ官等かんとう9とう

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明治めいじ以後いごみことのりにんは、1868ねん7がつ4にち慶応けいおう4ねん明治めいじ元年がんねん5月15にち)にみことのり授官(ちょくじゅかん[1])・そう授官・ばん授官[注釈ちゅうしゃく 1]区別くべつしたことがはじめで、政体せいたいしょ官等かんとうせいだい一等いっとうかんからだいきゅうとうかんまでのうちのさんとうかん以上いじょうみことのり授官とし宣旨せんじ太政官だじょうかんしるしすとした[9]だい一等いっとうかん行政ぎょうせいかん輔相政官せいかんうえきょく議定ぎてい神祇官じんぎかん会計かいけいかん軍務ぐんむかん外国がいこくかん刑法けいほうかんかんごと一等いっとう海陸かいりくぐんしょうとし、だいとうかん政官せいかんうえきょく参与さんよ神祇官じんぎかん会計かいけいかん軍務ぐんむかん外国がいこくかん刑法けいほうかんふくかんごとごととう海陸かいりくぐんしょうとし、だいさんとうかん政官せいかんきょく議長ぎちょう行政ぎょうせいかんべんごと神祇官じんぎかん会計かいけいかん軍務ぐんむかん外国がいこくかん刑法けいほうかん判官ほうがんごとはんごとけん一等いっとうけんごとさんとう海陸かいりくぐんしょうとして、以上いじょうさんとう外国がいこくたいして大臣だいじんしょうした[10]大臣だいじんうやまうため親王しんのう公卿くぎょう諸侯しょこうでなければその一等いっとうかんのぼることができないとし、才能さいのうあるものをとうとぶため藩士はんし・庶人であってもちょう制度せいどもうけてそのとうかんになることができるとした[11]。 また、官等かんとう制度せいどもうけたのはかくそのしょくにんおもいことをえてみずからをけいんじさせないためとした[11]。 このときの俸給ほうきゅう月給げっきゅうとしており、江戸えど開城かいじょうしたのち戊辰戦争ぼしんせんそう継続けいぞくしていたことから関東かんとう平定へいていまでさんとうかん以上いじょう月給げっきゅう半減はんげんすることにしていた[12]

1869ねん明治めいじ2ねん7がつ職員しょくいんれい官位かんい相当そうとうせい

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1869ねん明治めいじ2ねん7がつ)の職員しょくいんれいによる官位かんい相当そうとうせい[13]ではしたがえよん相当そうとう以上いじょうみことのりにんとした[14]したがえいちせい相当そうとう太政官だじょうかんひだり右大臣うだいじんとし、したがえ相当そうとう神祇官じんぎかんはく太政官だじょうかん大納言だいなごん海軍かいぐん陸軍りくぐん大将たいしょうとし、せいさん相当そうとう太政官だじょうかん参議さんぎしょしょうきょうしゅう議院ぎいん長官ちょうかんだい学校がっこう別当べっとう弾正だんじょうだいいん春宮とうぐうぼうでん留守るすかん開拓かいたく使長官ちょうかんとし、したがえさん相当そうとう神祇官じんぎかん大副おおそい太政官だじょうかんだいわきまえしょしょう大輔だいすけあつまり議院ぎいん次官じかんだい学校がっこうだいかん弾正だんじょうだいだい弼、皇太后こうたいごうみやしょく皇后こうごうみやしょく春宮とうぐうぼう大夫たいふだいはん知事ちじ海軍かいぐん陸軍りくぐん中将ちゅうじょう留守るすかん開拓かいたく使次官じかんとし、せいよん相当そうとう神祇官じんぎかんしょうふく太政官だじょうかんなかわきまえしょしょうしょう輔、だい学校がっこうしょうかん弾正だんじょうだいしょう弼、ちゅうはん知事ちじとし、したがえよん相当そうとう神祇官じんぎかんだいゆう太政官だじょうかんしょうわきまえしょしょうだいすすむ刑部おさかべしょうだい判事はんじあつまり議院ぎいん判官ほうがんだい学校がっこうだいすすむ弾正だんじょうだいだいちゅう皇太后こうたいごうみやしょく皇后こうごうみやしょく春宮とうぐうぼうあきらだい参事さんじしょうはんけん知事ちじ海軍かいぐん陸軍りくぐん少将しょうしょう留守るすかん開拓かいたく使判官ほうがんとした[13]。 このときの俸給ほうきゅうであるかんろく石高いしたかしめ官位かんい相当そうとうひょうによってさだめた[15] [16]

1871ねん明治めいじ4ねん7がつ太政官だじょうかんせい官位かんい相当そうとうせい

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1871ねん8がつ29にち明治めいじ4ねん7がつ14にち)の廃藩置県はいはんちけん[17]のち同年どうねん9がつ13にち明治めいじ4ねん7がつ29にち)にしょ官省かんしょう先立さきだって太政官だじょうかん官制かんせい改正かいせいし、従前じゅうぜん官位かんい相当そうとうひょうではしたがえよん以上いじょうみことのりにんとしてきたが、このさいせいよん以上いじょうみことのりにんとしてせいからせいよんまでの5とうわか[18]せい相当そうとう正院しょういん太政大臣だじょうだいじんとし、したがえ相当そうとう正院しょういん納言なごんとし、せいさん相当そうとう正院しょういん参議さんぎひだりいん議長ぎちょうみぎいんしょしょう長官ちょうかんとし、したがえさん相当そうとうひだりいん一等いっとう議員ぎいんみぎいんしょしょう次官じかんとし、せいよん相当そうとう正院しょういん枢密すうみつだい式部しきぶきょくながひだりいんとう議員ぎいんとした[18]

明治めいじ4ねん7がつしょしょうきょうおよ開拓かいたく長官ちょうかん権限けんげん委任いにんする条件じょうけんさだめ、きょうぞく官員かんいん選任せんにんくだきゅう昇級しょうきゅうする場合ばあいは、みことのり任官にんかんうえさいるとしても任官にんかん政事せいじ大典たいてんになるので、天皇てんのううちむねきょう通知つうちきょうはこれを受理じゅりしたのちにこれをにんずることになる[19]

1871ねん明治めいじ4ねん8がつ太政官だじょうかんせい官等かんとう15とう

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1871ねん9月24にち明治めいじ4ねん8がつ10日とおか)に官位かんい相当そうとうせい廃止はいしして官等かんとうを15とうさだめ、文官ぶんかんさんとう以上いじょう武官ぶかんよんとう以上いじょうみことのり任官にんかんとする[20]文官ぶんかん一等いっとうひだりいん議長ぎちょうみぎいんしょしょう長官ちょうかんしょしょうきょう神祇じんぎしょう宣教せんきょう長官ちょうかんとし、とうひだりいんふく議長ぎちょうみぎいんしょしょう次官じかんしょしょう大輔だいすけ神祇じんぎしょう宣教せんきょう次官じかん外務省がいむしょうだい弁務べんむ使文部省もんぶしょうだい博士はかせみや内省ないせいだいてんとし、さんとう正院しょういん大内おおうちひだりいんだいかんしょしょうしょう輔、一等いっとうりょうあたま外務省がいむしょうなか弁務べんむ使文部省もんぶしょうなか博士はかせ司法省しほうしょうだい判事はんじみや内省ないせい侍従じじゅうちょうちゅうてんとした[20]武官ぶかん一等いっとう元帥げんすいとし、とう大将たいしょうとし、さんとう中将ちゅうじょうとし、よんとう少将しょうしょうとした[21]。 なお、当初とうしょ太政大臣だじょうだいじん左右さゆう大臣だいじん参議さんぎさんしょく天皇てんのうを輔翼するじゅうかんでありしょしょう長官ちょうかんうえであることを理由りゆうとうもうけていなかったが[20]1872ねん2がつ28にち明治めいじ5ねん1がつ20日はつか)の官等かんとう改正かいせいさんしょく太政大臣だじょうだいじん左右さゆう大臣だいじん参議さんぎ)の官等かんとう一等いっとうにした[22] [23]官制かんせい等級とうきゅう改定かいていさいかんろく月給げっきゅう改定かいていしたときの対応たいおうによると、官制かんせい等級とうきゅう改定かいていまえしたがえいちせい相当そうとうかんかんろく従前じゅうぜん一等いっとう)は改定かいてい太政大臣だじょうだいじん月給げっきゅう対応たいおうし、したがえ相当そうとうかんかんろく従前じゅうぜんとう)は改定かいていひだり右大臣うだいじん月給げっきゅう対応たいおうし、せいさん相当そうとうかんかんろく従前じゅうぜんさんとう)は改定かいてい参議さんぎならびに官等かんとう一等いっとう月給げっきゅう対応たいおうし、以下いか1とうづつってしたがえよん相当そうとうかんかんろく従前じゅうぜんろくとう)は改定かいてい官等かんとうよんとう月給げっきゅう対応たいおうする[24]

1873ねん明治めいじ6ねん)5がつ8にち陸軍りくぐん海軍かいぐんとも大将たいしょう以下いか少尉しょういまでを1とうづつ繰上くりあ従前じゅうぜんよんとう少将しょうしょうさんとうとして武官ぶかん文官ぶんかん同様どうようさんとう以上いじょうみことのりにんとしたほか、陸軍りくぐん会計かいけい監督かんとくちょう陸軍りくぐん軍医ぐんい軍医ぐんい総監そうかんさんとうみことのりにんとした[25] [26]

陸海りくかい軍資ぐんしのためとして1874ねん明治めいじ7ねん)からいえろくぜい[27] [注釈ちゅうしゃく 2]とともにかんろくぜい[28]もうけており、陸海りくかいぐん武官ぶかんとうのぞいて[29]みことのり任官にんかん月俸げっぽう350えん以上いじょうは10ぶんの1の割合わりあいとした[注釈ちゅうしゃく 3]

1877ねん明治めいじ10ねん)1がつ太政官だじょうかんせい官等かんとう17とう

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1877ねん明治めいじ10ねん)1がつ11にちみことのり任官にんかん以上いじょうろくぜいをすべて2わり増加ぞうかした[30] [注釈ちゅうしゃく 4]。 1878ねん明治めいじ11ねん)12月にかんろくぜい廃止はいしした[31]

1883ねん明治めいじ16ねん)1がつ4にち叙勲じょくん条例じょうれいさだめ、みことのり任官にんかんはつじょくんさんとうとし、みことのり任官にんかん勲一等くんいっとうまですすむことができるが、ただしさんとうかんならびにさんとう相当そうとうかん勲一等くんいっとうにはすすむことができないとし、大臣だいじん参議さんぎしょしょうきょう参事院さんじいん元老げんろういん議長ぎちょう陸海りくかいぐん大将たいしょう勲一等くんいっとうじょするのはこの条例じょうれい進級しんきゅうねんれいによらないとした[32] [注釈ちゅうしゃく 5]

1885ねん明治めいじ18ねん)7がつ28にち叙勲じょくん条例じょうれい改正かいせいし、みことのり任官にんかんはつじょくんさんとうとし、みことのり任官にんかん勲一等くんいっとうまですすむことができるが、ただしさんとうかんならびにその相当そうとうかん勲一等くんいっとうにはすすむことができないした[36]

高等官こうとうかんとしてのみことのり任官にんかん

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1886ねん明治めいじ19ねん)3がつ高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい親任しんにんみことのりにん2とう

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1885ねん明治めいじ18ねん)12月22にち内閣ないかく職権しょっけんさだめて太政官だじょうかんせいから内閣ないかくせい転換てんかんしたのち1886ねん明治めいじ19ねん)2がつ26にち各省かくしょう官制かんせい通則つうそく明治めいじ19ねんみことのりれいだい2ごう)をさだ各省かくしょう大臣だいじん所部ところぶ官吏かんりすべとくそう任官にんかん以上いじょう採用さいよう離職りしょく内閣ないかく総理そうり大臣だいじんてこれを上奏じょうそうするとし、各省かくしょう大臣だいじん閣議かくぎのち裁可さいかるのでなければじょうげんあらたにみことのりそう任官にんかん増加ぞうかすることはできないとした[37]同年どうねん3がつ12にち高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい明治めいじ19ねんみことのりれいだい6ごう)をさだめて高等こうとうかんみことのり任官にんかんそう任官にんかんけて、みことのり任官にんかんのうち親任しんにんしきを以って叙任じょにんするかんさだめる[38]親任しんにんしきを以って叙任じょにんするかんのぞほかみことのり任官にんかんは2とうけ、その辞令じれいしょ御璽ぎょじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじんがこれを奉行ぶぎょうするとした[38]親任しんにんしきを以って叙任じょにんするかんのぞほかみことのり任官にんかんれいとしては、各省かくしょう次官じかんみことのりにんとし[39]会計検査院かいけいけんさいんちょうみことのりにん一等いっとうふく院長いんちょうみことのりにんとうとし[40]侍従じじゅうちょうみことのりにん一等いっとう宮中きゅうちゅう顧問こもんかん宮内みやうち次官じかんみことのりにん一等いっとうまたはみことのりにんとう式部しきぶ長官ちょうかんみことのりにん一等いっとう式部しきぶ次官じかんみことのりにんとう皇太后こうたいごうみや大夫たいふ皇后こうごうみや大夫たいふみことのりにん一等いっとうてのひらてんちょう大膳だいぜん大夫たいふ内蔵ないぞうあたましゅ殿しんがりあたま図書としょあたま内匠たくみあたましゅうまあたま御料ごりょうきょく長官ちょうかん侍医じい華族かぞくきょく長官ちょうかん親王しんのういえ別当べっとうみことのりにんとうとし[41]特命とくめい全権ぜんけん公使こうしみことのりにん一等いっとう弁理べんり公使こうしみことのりにんとうとし[42]控訴こうそいんちょうみことのりにん一等いっとうまたはとう東京とうきょう控訴こうそいんかぎみことのりにんとう評定ひょうじょうかんおよ検事けんじちょうくことができた、大審院だいしんいんちょうみことのりにん大審院だいしんいん局長きょくちょうみことのりにんとう大審院だいしんいん評定ひょうじょうかんみことのりにんとうまたはそうにん一等いっとうからとうまで、大審院だいしんいん検事けんじちょうみことのりにんとうまたはそうにん一等いっとうとし[43] [注釈ちゅうしゃく 6]帝国ていこく大学だいがく総長そうちょうみことのりにん一等いっとうからとうまでとし[45]高等こうとう師範しはん学校がっこう校長こうちょうみことのりにんとうまたはそうにん一等いっとうとし[46]元老げんろういんせいふく議長ぎちょうかん従前じゅうぜんはすべて一等いっとうかん地位ちいとしていたが[33]ふく議長ぎちょうみことのりにん一等いっとうかんみことのりにん一等いっとうまたはみことのりにんとうとし[47] [48]陸海りくかいぐん中将ちゅうじょうみことのりにん一等いっとう少将しょうしょうおよ相当そうとうかんみことのりにんとうとした[49]

高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいでは親任しんにんかんのぞほかみことのりにん文官ぶんかん年俸ねんぽうについては、

  • みことのり任官にんかん一等いっとう
上級じょうきゅう俸は従前じゅうぜん一等いっとうかん月俸げっぽう12かげつぶん従前じゅうぜんとうかん月俸げっぽう12かげつぶんあいだがく
下級かきゅう俸は従前じゅうぜんとうかん月俸げっぽう12かげつぶん従前じゅうぜんさんとうかん月俸げっぽう12かげつぶんあいだがく
  • みことのり任官にんかんとう
上級じょうきゅう俸・下級かきゅう俸はともに従前じゅうぜんさんとうかん月俸げっぽう12かげつぶん従前じゅうぜん四等官しとうかん月俸げっぽう12かげつぶんあいだがく

である[24] [50]内閣ないかくしょうくんきょく総裁そうさいみことのりにん一等いっとうとしたがその年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながくふく総裁そうさいみことのりにんとうとしたがその年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいそう任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながくとした[50] [51]元老げんろういんふく議長ぎちょうみことのりにん一等いっとうとしたがその年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながくみことのりにん一等いっとうかん年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう下級かきゅう俸とおながくみことのりにんとうかん年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいそう任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながくとした[47] [50]

裁判所さいばんしょ官制かんせいにより裁判所さいばんしょちょう局長きょくちょう評定ひょうじょうかん判事はんじおよ判事はんじ試補しほ総称そうしょうして裁判官さいばんかんといい、検事けんじちょう検事けんじおよ検事けんじ試補しほ総称そうしょうして検察官けんさつかんということになり[52]現任げんにん裁判官さいばんかん検察官けんさつかん年俸ねんぽう不利益ふりえき処分しょぶんとならないようにきゅう支給しきゅうしたが、新任しんにんまたは官等かんとうを陛叙する場合ばあいについては、

  • 裁判官さいばんかん検察官けんさつかんみことのりにん
みことのりにん一等いっとうよりもうえみことのりにん大審院だいしんいんちょう)の年俸ねんぽう従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにん一等いっとうかん相当そうとう年俸ねんぽうよりもおおく、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい各省かくしょう大臣だいじん年俸ねんぽうみことのり任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸のあいだがく
  • 裁判官さいばんかん検察官けんさつかんみことのりにん一等いっとう
上級じょうきゅう俸は従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにん一等いっとうかん相当そうとう年俸ねんぽうよりもおおく、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながく
下級かきゅう俸は従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにんとうかん相当そうとう年俸ねんぽうおなじで、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかん一等いっとう下級かきゅう俸とおながく
  • 裁判官さいばんかん検察官けんさつかんみことのりにんとう
上級じょうきゅう俸は従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにんさんとうかん相当そうとう年俸ねんぽうたかいものとひくいもののあいだで、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながく
中級ちゅうきゅう俸は従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにんさんとうかん相当そうとう年俸ねんぽうのうちひくいものとおなじで、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう下級かきゅう俸とおながく
下級かきゅう俸は従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじそうにん四等官しとうかん相当そうとう年俸ねんぽうおなじで、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいそう任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながく

とした[35] [50] [53]

かく府県ふけん知事ちじみことのりにんとうまたはそうにん一等いっとうとして、みことのりにんとう知事ちじ上級じょうきゅう俸は高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかん一等いっとう下級かきゅう俸とおながく下級かきゅう俸は高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながくとし、ただし東京とうきょう府知事ふちじみことのりにん一等いっとうに陛叙することができた[50] [54] [55]

1887ねん明治めいじ20ねん)に位階いかいについて叙位じょい条例じょうれいさだめたときの[56]叙位じょいしんかい内規ないきではみことのり任官にんかんにんぜられたものがあるときはただちにしたがえよんじょし、みことのり任官にんかん一等いっとうしたがえよんへのじょよりまん3ねんしたがえさんじょすとし、親任しんにんかんのぞほかみことのり任官にんかんきょくせいさんとした[57]。なお非職ひしょくみことのり任官にんかんまたみことのりにん待遇たいぐうけるもの叙位じょいしくはすすむかいすることはないとした[58]1888ねん明治めいじ21ねん)に勲章くんしょうについて叙勲じょくん条例じょうれいならびに附則ふそく廃止はいしして文武ぶんぶかん叙勲じょくんないそくさだめたときの規定きていでは、親任しんにんかんのぞほかみことのり任官にんかんはつじょくんさんとうとし勲一等くんいっとうまですすむことができるとした[59]

1888ねん明治めいじ21ねん)に枢密院すうみついん設置せっちして枢密院すうみついん書記官しょきかんちょうみことのりにんとした[60]

1890ねん明治めいじ23ねん)3がつ高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい改正かいせい

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1889ねん明治めいじ22ねん)2がつ11にち大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう発布はっぷすると、同年どうねん12がつ24にち内閣ないかく官制かんせい明治めいじ22ねんみことのりれいだい135ごう)をさだめ、みことのり任官にんかん任命にんめいおよ採用さいよう離職りしょく閣議かくぎることになる[61]。 また、同年どうねん5がつ会計検査院かいけいけんさいんほうさだめて会計検査院かいけいけんさいん院長いんちょうみことのりにん部長ぶちょうみことのりにんまたはそうにんとした[62]

1890ねん明治めいじ23ねん)3がつ24にち高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい改正かいせい追加ついかし、従前じゅうぜんみことのり任官にんかん官等かんとう原則げんそくとして5ねんえるのでなけれは陛敘することができないところ[63]みことのり任官にんかんの陛叙の年限ねんげん廃止はいしした[64]。この改正かいせいおも趣旨しゅしは、定員ていいんかぎりがありことみことのり任官にんかん採用さいよう離職りしょく閣議かくぎるためみだりに陛叙する弊害へいがいはないためとした[65]。 また、同月どうげつ27にちはぶけ官制かんせい通則つうそく改正かいせいし、従前じゅうぜん内閣ないかくおよ各省かくしょうなか局長きょくちょうそうにん一等いっとうまたはとうとしていたところ[66]各局かくきょく局長きょくちょうみことのりにんとうまたはそうにんさんとう以上いじょうとしその官等かんとう各省かくしょう官制かんせいでこれをさだめた[67]

同年どうねん10がつ行政ぎょうせい裁判所さいばんしょもう行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかんみことのりにんとし評定ひょうじょうかんみことのりにんまたはそうにんとした[68]長官ちょうかん年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかん一等いっとう下級かきゅう俸とおながくみことのりにん一等いっとう評定ひょうじょうかん年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう下級かきゅう俸とおながくみことのりにんとう評定ひょうじょうかん年俸ねんぽう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいそう任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながくとした[50] [69]従前じゅうぜんかく府県ふけん知事ちじみことのりにんとうまたはそうにん一等いっとうとしていたが[54]同年どうねん10がつ地方ちほうかん官制かんせい全部ぜんぶ改正かいせいによりかく府県ふけん知事ちじはすべてみことのりにんあらため、さんおよ開港かいこうじょうまたは師団しだん所在しょざいかくけん知事ちじ年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのりにんとう知事ちじ下級かきゅう俸あるいは高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながく、そのしょけん知事ちじ年俸ねんぽう従前じゅうぜんそうにん一等いっとう知事ちじ上級じょうきゅう俸あるいは高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかんとう下級かきゅう俸とおながくとし、ただし東京とうきょう府知事ふちじとく従前じゅうぜんみことのりにんとう知事ちじ上級じょうきゅう俸あるいは高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれいみことのり任官にんかん一等いっとう下級かきゅう俸とおながくきゅうすることができるとした[50] [55] [70] [71]

同年どうねん11がつ裁判所さいばんしょ構成こうせいほう施行しこうして従前じゅうぜん裁判所さいばんしょ官制かんせい裁判官さいばんかん検察官けんさつかん総称そうしょうしてきたしょかんはそれぞれ判事はんじまたは検事けんじとなり[52] [72]判事はんじ検事けんじ官等かんとう年俸ねんぽう従前じゅうぜん裁判官さいばんかん検察官けんさつかん官等かんとう年俸ねんぽうとほぼおな内容ないようのままとした[53] [73]裁判所さいばんしょ構成こうせいほうにより判事はんじ検事けんじかんめいとし大審院だいしんいんちょう検事けんじ総長そうちょうなどをみことのりにん判事はんじみことのりにん検事けんじもっ職名しょくめいとしてこれらの任官にんかん補職ほしょく区別くべつするようになったことから[72]判事はんじ検事けんじかくしょくについて定員ていいん官等かんとう年俸ねんぽう限定げんていし、大審院だいしんいんちょうみことのりにん一等いっとうとしその年俸ねんぽうみことのりにん一等いっとう上級じょうきゅう俸のがくとしたうえで、とくにそれよりもうえみことのりにん年俸ねんぽうがくきゅうすることができるとし、大審院だいしんいん部長ぶちょうみことのりにん一等いっとうとうとしその年俸ねんぽうみことのりにん一等いっとう下級かきゅう俸、みことのりにんとう上級じょうきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん判事はんじみことのりにんとうないしそうにんとうとしその年俸ねんぽうみことのりにんとう中級ちゅうきゅう俸ないしそうにんとう下級かきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん検事けんじきょく検事けんじ総長そうちょうみことのりにん一等いっとうとしその年俸ねんぽうみことのりにん一等いっとう上級じょうきゅう俸ないし下級かきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん検事けんじきょく検事けんじみことのりにんとうないしそうにんとうとしその年俸ねんぽうみことのりにんとう中級ちゅうきゅう俸ないしそうにんとう下級かきゅう俸のがくとし、東京とうきょう大阪おおさか控訴こうそいんちょうみことのりにん一等いっとうとしその年俸ねんぽうみことのりにん一等いっとう下級かきゅう俸のがくとし、その控訴こうそいんちょうみことのりにんとうとしその年俸ねんぽうみことのりにんとう上級じょうきゅう俸・中級ちゅうきゅう俸のがくとし、控訴こうそいん検事けんじきょく検事けんじちょうみことのりにんとうとし東京とうきょう大阪おおさか控訴こうそいん検事けんじきょく検事けんじちょう年俸ねんぽうみことのりにんとう上級じょうきゅう俸、その控訴こうそいん検事けんじきょく検事けんじちょう年俸ねんぽうみことのりにんとう中級ちゅうきゅう俸のがくとした[73]

1891ねん明治めいじ24ねん)7がつ高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい官等かんとう廃止はいし

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1890ねん明治めいじ23ねん)11月29にち施行しこうした大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうもとで、1891ねん明治めいじ24ねん)7がつ24にち高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい明治めいじ24ねんみことのりれいだい82ごう)をさだめて従前じゅうぜん高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい明治めいじ19ねんみことのりれいだい6ごう)を廃止はいしする[74]文武ぶんぶかん官等かんとう廃止はいししているが、高等官こうとうかん任命にんめいについてはみことのり任官にんかんそう任官にんかんけ、みことのり任官にんかんなか親任しんにんしきを以ってにんずるかんがあることは変更へんこうなく辞令じれいしょ手続てつづきも変更へんこうはない[75] [76]

俸給ほうきゅうについては従前じゅうぜん官等かんとうおうじた等級とうきゅう俸から官職かんしょくめいごと年俸ねんぽう指定していするしょくきゅう俸にあらためており、親任しんにんかんのぞほかみことのりにん文官ぶんかん年俸ねんぽうについては、内閣ないかく書記官しょきかんちょう年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのりにんとう下級かきゅう俸とおながくしょうくんきょく総裁そうさい年俸ねんぽう従前じゅうぜんおなじで従前じゅうぜんみことのりにんとう上級じょうきゅう俸とおながくしょうくんきょくふく総裁そうさい年俸ねんぽう従前じゅうぜんおなじで従前じゅうぜんそうにん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながく法制ほうせいきょく長官ちょうかん年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのりにんとう上級じょうきゅう俸とおながく法制ほうせいきょく部長ぶちょう年俸ねんぽう従前じゅうぜんそうにん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながく各省かくしょう次官じかん年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのりにんとう上級じょうきゅう俸とおながく局長きょくちょう高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい明治めいじ24ねんみことのりれいだい82ごう)のいちごうひょう個別こべつ官職かんしょくめいごと指定していされており、各省かくしょう官制かんせいみことのりにんとした局長きょくちょう年俸ねんぽうは、従前じゅうぜんそうにん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながくである[50] [77] [51]

同月どうげつ27にち各省かくしょう官制かんせい通則つうそく改正かいせいして各局かくきょく局長きょくちょうみことのりにんまたはそうにんとし各省かくしょう官制かんせいでこれをさだめた[78]

枢密院すうみついん書記官しょきかんちょう年俸ねんぽう内閣ないかく書記官しょきかんちょうおなじで従前じゅうぜんみことのり任官にんかんとう下級かきゅう俸とおながくとした[50] [79]会計検査院かいけいけんさいん院長いんちょう年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながく部長ぶちょう年俸ねんぽう従前じゅうぜんそう任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながくとした[50] [80]。 このとき行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかんならびに評定ひょうじょうかん年俸ねんぽうげており、行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかん年俸ねんぽう従前じゅうぜん行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかん年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのりにん一等いっとう評定ひょうじょうかん年俸ねんぽうあいだ従前じゅうぜんみことのり任官にんかんとう上級じょうきゅう俸とおながくみことのりにん評定ひょうじょうかん年俸ねんぽう従前じゅうぜんみことのりにんとう評定ひょうじょうかん年俸ねんぽうおなじで従前じゅうぜんそう任官にんかん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながくとした[50] [69] [81]

判事はんじ検事けんじ年俸ねんぽう従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにん一等いっとう上級じょうきゅう俸よりもうえみことのりにん年俸ねんぽう廃止はいしし、判事はんじ検事けんじみことのりにんいちきゅう俸は従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにん一等いっとう上級じょうきゅう俸とおながく判事はんじ検事けんじみことのりにんきゅう俸・さんきゅう俸・よんきゅう俸はそれぞれ従前じゅうぜん判事はんじ検事けんじみことのりにんとう上級じょうきゅう俸・中級ちゅうきゅう俸・下級かきゅう俸とおながくとし、大審院だいしんいんちょうみことのりにんとしその年俸ねんぽうみことのりにんいちきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん部長ぶちょうみことのりにんとしその年俸ねんぽうみことのりにんさんきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん判事はんじみことのりにんおよそうにんとしその年俸ねんぽうみことのりにんよんきゅうおよそうにんいちきゅう俸ないしきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん検事けんじきょく検事けんじ総長そうちょうみことのりにんとしその年俸ねんぽうみことのりにんきゅう俸のがくとし、大審院だいしんいん検事けんじきょく検事けんじみことのりにんおよそうにんとしその年俸ねんぽうみことのりにんよんきゅうおよそうにんいちきゅう俸ないしきゅう俸のがくとし、控訴こうそいんちょうみことのりにんとし東京とうきょう大阪おおさか控訴こうそいんちょう年俸ねんぽうみことのりにんきゅう俸、その控訴こうそいんちょう年俸ねんぽうみことのりにんさんきゅう俸のがくとし、控訴こうそいん検事けんじきょく検事けんじちょうみことのりにんとし東京とうきょう大阪おおさか控訴こうそいん検事けんじきょく検事けんじちょう年俸ねんぽうみことのりにんさんきゅう俸、その控訴こうそいん検事けんじきょく検事けんじちょう年俸ねんぽうみことのりにんよんきゅう俸のがくとした[73] [82]

1891ねん明治めいじ24ねん)11月文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう等級とうきゅう10とう

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同年どうねん11がつ14にち文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう明治めいじ24ねんみことのりれいだい215ごう)をさだめて高等こうとうかん官職かんしょくを10とう等級とうきゅうけ、みことのりにん一等いっとうからさんとうまでとした[83]一等いっとうのうち親任しんにんかんおや補職ほしょくのぞほかみことのり任官にんかんしょく大審院だいしんいんちょう[注釈ちゅうしゃく 7]とし、とう内閣ないかくしょうくんきょく総裁そうさい法制ほうせいきょく長官ちょうかん各省かくしょう次官じかん陸海りくかいぐん中将ちゅうじょう会計検査院かいけいけんさいんちょう行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかん鉄道てつどうちょう長官ちょうかん警視庁けいしちょう警視総監けいしそうかん北海道庁ほっかいどうちょう長官ちょうかん東京とうきょう知事ちじ特命とくめい全権ぜんけん公使こうし検事けんじ総長そうちょう東京とうきょう大阪おおさか控訴こうそ院長いんちょう帝国ていこく大学だいがく総長そうちょうとし、さんとう内閣ないかく書記官しょきかんちょうしょうくんきょくふく総裁そうさい法制ほうせいきょく部長ぶちょう枢密院すうみついん書記官しょきかんちょう各省かくしょう局長きょくちょう[注釈ちゅうしゃく 8]陸海りくかいぐん少将しょうしょうならびに相当そうとうかん陸軍りくぐんしょう理事りじ[注釈ちゅうしゃく 9]海軍かいぐんしょうしゅ[注釈ちゅうしゃく 9]会計検査院かいけいけんさいん部長ぶちょう行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ評定ひょうじょうかん[注釈ちゅうしゃく 10]鉄道てつどうちょう部長ぶちょう府県ふけん知事ちじ貴族きぞくいん書記官しょきかんちょう衆議院しゅうぎいん書記官しょきかんちょう弁理べんり公使こうし大審院だいしんいん部長ぶちょうかく控訴こうそ院長いんちょうかく控訴こうそいん検事けんじちょう裁判所さいばんしょ判事はんじ検事けんじ[注釈ちゅうしゃく 9]帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅ[注釈ちゅうしゃく 11]高等こうとう師範しはん学校がっこうちょう女子じょし高等こうとう師範しはん学校がっこうなが[注釈ちゅうしゃく 12]わざかんとした[83]。 この高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅう叙位じょいしんかいないそくでは叙位じょい規準きじゅんとしてもちいられ、大審院だいしんいんちょう会計検査院かいけいけんさいんちょう行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかんはつじょせいよん相当そうとうとし、とうかんはつじょしたがえよん相当そうとうとし、さんとうかんはつじょせい相当そうとうとし、相当そうとうくらい以上いじょう2かいごくくらいとした[86]。なおみことのり任官にんかん待遇たいぐうまん5ねん以上いじょう勤労きんろうがあるものは、とくしたがえよん以下いかじょせられることもあるとした[87]。 また、叙勲じょくんないそくでも叙勲じょくん規準きじゅんとしてもちいられ、高等官こうとうかん一等いっとう官職かんしょくはつじょくんとうとして勲一等くんいっとうまですすみ、陸海りくかいぐん中将ちゅうじょう文官ぶんかん高等官こうとうかんとうはつじょくんさんとうとして勲一等くんいっとうまですすみ、陸海りくかいぐん少将しょうしょうならびに相当そうとうかん文官ぶんかん高等官こうとうかんさんとうはつじょくんよんとうとしてくんとうまですすむとした[88]。 しかし、高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい明治めいじ24ねんみことのりれいだい82ごう)で官等かんとう廃止はいししたため、等級とうきゅうさだめるにあたっては俸給ほうきゅうだけを基準きじゅんにせざるを本来ほんらい精神せいしんかえってうしなわれることになる[89]

1892ねん明治めいじ25ねん)11月高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい親任しんにん官等かんとう9とう

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1892ねん明治めいじ25ねん)11月12にち高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい明治めいじ25ねんみことのりれいだい96ごう)でふたた官等かんとうさだめて、従前じゅうぜん高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい明治めいじ24ねんみことのりれいだい82ごうおよ文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう明治めいじ24ねんみことのりれいだい215ごう)を廃止はいしした[90]親任しんにんしきを以ってにんずるかんのぞほか高等官こうとうかんを9とうけ、親任しんにんしきを以ってにんずるかんおよ一等いっとうかんとうかんみことのり任官にんかんとし、辞令じれいしょ手続てつづきに変更へんこうはない[91]官等かんとう俸給ほうきゅうとはその基準きじゅんかならずしもおなじではないことから、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい明治めいじ25ねんみことのりれいだい96ごう)では官等かんとう俸給ほうきゅう各自かくじその当然とうぜん基準きじゅんによって発達はったつさせることを目的もくてきとして、俸給ほうきゅういては明治めいじ24ねん制度せいど官等かんとういては明治めいじ24ねん改革かいかく以前いぜん官制かんせい基準きじゅんにした[89]。 これにともない、文武ぶんぶかん叙位じょいしんかいないそく改定かいていして官等かんとう叙位じょい規準きじゅんとし、大審院だいしんいんちょうはつじょせいよんからしたがえさんうつしたこれはじゅんおやでありかんぐんひとしちか会計かいけい検査けんさ院長いんちょうよりおもいと判断はんだんしたためで、会計検査院かいけいけんさいんちょうおよ行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかんかくとう1かいすすめたのは独立どくりつ官庁かんちょう長官ちょうかんであってそのしょくにんおもいためとされ、会計検査院かいけいけんさいんちょう一等いっとう[注釈ちゅうしゃく 13]ならびに行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ長官ちょうかんはつじょせいよん相当そうとうとし、一等いっとうかんならびに会計検査院かいけいけんさいんちょうとう[注釈ちゅうしゃく 13])のはつじょしたがえよん相当そうとうとし、とうかんはつじょせい相当そうとうとし、相当そうとうくらいより昇叙しょうじょ2かいきょくとして、みことのりにん待遇たいぐうさだめはなくなった[92]叙勲じょくんないそく改定かいていして官等かんとう叙勲じょくん規準きじゅんとし、陸海りくかいぐん中将ちゅうじょう一等いっとうかんはつじょくんさんとうとして勲一等くんいっとうまですすむとし、陸海りくかいぐん少将しょうしょうならびに相当そうとうかんとうかんはつじょくんよんとうとしてくんとうまですすむとした[93]

1898ねん明治めいじ31ねん)10がつ22にち各省かくしょう官制かんせい通則つうそく改定かいてい従前じゅうぜん各局かくきょく局長きょくちょうみことのりにんまたはそうにんとしていたところ[94]各局かくきょく局長きょくちょうみことのりにんとした[95]

1900ねん明治めいじ33ねん)に文武ぶんぶかん叙位じょいしんかいないそく改定かいていし、一等いっとうかんはつじょせいきょくせいさんとし、とうかんはつじょおなじくせいきょくしたがえさんとし、またみことのりにん待遇たいぐうしゃ在職ざいしょくまん2ねんのちせいじょまん5ねんて1かいすすむことができるとした[96] [注釈ちゅうしゃく 14]

1945ねん昭和しょうわ20ねん)の敗戦はいせんのち1946ねん昭和しょうわ21ねん)4がつ1にち官吏かんり任用にんようじょきゅうれい昭和しょうわ21ねんみことのりれいだい190ごう[98])を公布こうふ施行しこうしたときに、高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい廃止はいしとうおこなわれ「みことのり任官にんかん」を「いちきゅう官吏かんり」にあらためた[3]

大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうしたにおけるみことのり任官にんかん

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概説がいせつ

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官記かんきには天皇てんのう御璽ぎょじされる。

文官ぶんかんは、中央ちゅうおう省庁しょうちょう本省ほんしょう次官じかん局長きょくちょう府県ふけん知事ちじなどがみことのり任官にんかんであり、現在げんざいえば「指定していしょく」とされる役職やくしょくがこれに相当そうとうする。

武官ぶかんではみことのり任官にんかん一等いっとう中将ちゅうじょうみことのり任官にんかんとう少将しょうしょう階級かいきゅうみことのり任官にんかんとされた。なお、中将ちゅうじょうおや補職ほしょくばれる役職やくしょくに、天皇てんのうから直接ちょくせつ補職ほしょくおや)されることがあった。

高等官こうとうかん一等いっとうれい

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宮内みやうち次官じかんみや内省ないせいてのひらてんちょうおうしょく長官ちょうかん陸軍りくぐん中将ちゅうじょう海軍かいぐん中将ちゅうじょう陸軍りくぐん軍医ぐんい中将ちゅうじょう海軍かいぐん技術ぎじゅつ中将ちゅうじょう

高等官こうとうかん一等いっとうまたはとうれい

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内閣ないかく書記官しょきかんちょう法制ほうせいきょく長官ちょうかんしょうくんきょく総裁そうさい各省かくしょう次官じかん内務省ないむしょうわざかん特命とくめい全権ぜんけん公使こうし枢密院すうみついん書記官しょきかんちょう内大臣ないだいじん秘書官ひしょかんちょう侍従じじゅう次長じちょう帝国ていこく大学だいがく総長そうちょう府県ふけん知事ちじ警視総監けいしそうかん南洋なんようちょう長官ちょうかん

高等官こうとうかんとうれい

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各省かくしょう局長きょくちょう各省かくしょう参与さんよかん陸軍りくぐん少将しょうしょう海軍かいぐん少将しょうしょう陸軍りくぐん軍医ぐんい少将しょうしょう海軍かいぐん技術ぎじゅつ少将しょうしょう

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 任官にんかんについてみことのり授・そう授・ばん授とみことのりにんそうにんばんにんがどちらも使用しようされていたが、1875ねん明治めいじ8ねん)3がつ14にちみことのり授・そう授・ばん授の廃止はいしめた[8]
  2. ^ いえろくぜいについては秩禄処分しょぶん参照さんしょう
  3. ^ 明治めいじろくねん政変せいへんのち、1874ねん明治めいじ7ねん)には佐賀さがらん台湾たいわん出兵しゅっぺいきた。
  4. ^ 1876ねん明治めいじ9ねん)にはかみ風連ふうれんらん秋月しゅうげつらんはぎらんなど士族しぞく反乱はんらんつづき、1877ねん明治めいじ10ねん)1がつには西南せいなん戦争せんそうきた。
  5. ^ 叙勲じょくん条例じょうれい進級しんきゅうねんれいらずに勲一等くんいっとうじょする特例とくれい適用てきようするのは一等いっとうかんかぎられたが、一等いっとうかんであっても元老げんろういんふく議長ぎちょうおよかん[33]ならびに大審院だいしんいんちょうてる一等いっとう判事はんじ[34] [35]には叙勲じょくん条例じょうれい特例とくれい適用てきようしなかった。
  6. ^ 明治めいじ20ねん裁判所さいばんしょ官制かんせい改正かいせいにより控訴こうそいん検事けんじちょうはすべてみことのりにんとうまたはそうにん一等いっとうあらため、大審院だいしんいん検事けんじちょうみことのりにんとうあらためた[44]
  7. ^ 明治めいじ24ねん大審院だいしんいんちょうみことのりにん判事はんじなかより天皇てんのうがこれをすとし[84]じゅんおやなされた[85]
  8. ^ 明治めいじ24ねん各省かくしょう局長きょくちょうさんとうみことのりにん)またはよんとうそうにん)である。
  9. ^ a b c 明治めいじ24ねん陸軍りくぐんしょう理事りじ海軍かいぐんしょうしゅ裁判所さいばんしょ判事はんじ検事けんじさんとうみことのりにん)またはよんとうからきゅうとうまで(そうにん)である。
  10. ^ 明治めいじ24ねん行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ評定ひょうじょうかんさんとうみことのりにん)またはよんとうからななとうまで(そうにん)である。
  11. ^ 明治めいじ24ねん帝国ていこく大学だいがく教授きょうじゅさんとうみことのりにん)またはよんとうからはちとうまで(そうにん)である。
  12. ^ 明治めいじ24ねん高等こうとう師範しはん学校がっこうちょう女子じょし高等こうとう師範しはん学校がっこうちょうさんとうみことのりにん)またはよんとうそうにん)である。
  13. ^ a b 明治めいじ25ねん会計検査院かいけいけんさいんちょう官等かんとう一等いっとうかんまたとうかんとした。
  14. ^ この改正かいせいはそのころ任用にんようじょう結果けっかとして高位こうい濫授のそしりをまぬかれぬものがありこれらのへいはこのうえなくこれを矯正きょうせいしないわけにはいかないため、親任しんにんかん以下いかはつじょ位階いかい更正こうせいするとした[97]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん 2007, p. 213.
  2. ^ 署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうきゅうねんみことのりれいだいろくごう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A03020001000、署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうきゅうねんみことのりれいだいろくごう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  3. ^ a b JACAR:A04017814600だい2画像がぞうからだい3画像がぞうまで、だい7画像がぞう
  4. ^ MinShig (1999ねん5がつ31にち). “任官にんかんしょく等級とうきゅう”. 官制かんせい大観たいかん 律令りつりょう官制かんせい官職かんしょくかかわるリファレンス Ver.0.8. 予備よび知識ちしき. 2023ねん11月26にち閲覧えつらん
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  6. ^ MinShig (2000ねん3がつ26にち). “任官にんかんじょう”. 官制かんせい大観たいかん 律令りつりょう官制かんせい官職かんしょくかかわるリファレンス Ver.0.8. 現代げんだいやく養老ようろう律令りつりょう. 2022ねん11月11にち閲覧えつらん
  7. ^ MinShig (2000ねん3がつ18にち). “身分みぶん等級とうきゅう規定きてい”. 官制かんせい大観たいかん 律令りつりょう官制かんせい官職かんしょくかかわるリファレンス Ver.0.8. 律令りつりょう官制かんせい沿革えんかく. 2023ねん11月26にち閲覧えつらん
  8. ^ 「授任みことのりそうばん区別くべつおのれなながつ両度りょうどたちうちまえぶん廃止はいし国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00229100、件名けんめい番号ばんごう:002、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいななかん制度せいどなな爵位しゃくい
  9. ^ はじめメテみことのりそうばんぶん宣旨せんじ押印おういんせいていム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)JACAR:A15070093800ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいじゅうかん官制かんせい文官ぶんかん職制しょくせいいち国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  10. ^ JACAR:A15070093500だい7画像がぞうからだい8画像がぞうまで)
  11. ^ a b JACAR:A15070093500だい2画像がぞう
  12. ^ 月給げっきゅう規則きそくてい関東かんとう平定へいていマテ其幾ぶん減額げんがくス」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15071154300、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくじゅうきゅうかん理財りざい官給かんきゅういち国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  13. ^ a b 内閣ないかく官報かんぽうきょく へんだい622 職員しょくいんれいなみ官位かんい相当そうとうひょう明治めいじ2ねん7がつ8にち)」『法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじねん内閣ないかく官報かんぽうきょく東京とうきょう、1912ねん10がつ、263ぺーじNDLJP:787949/168 
  14. ^ みことのりそうばんにん区別くべつていばんにんハ其長官ちょうかんヲ授ケ位階いかい太政官だじょうかんたまものフ」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)JACAR:A15070026900ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいかん制度せいど出版しゅっぱん爵位しゃくい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  15. ^ かんろく定則ていそくていム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15071156000、ふとしせいるいてんだいいちへん慶応けいおうさんねん明治めいじよんねんだいひゃくじゅうきゅうかん理財りざい官給かんきゅういち国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
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  20. ^ a b c 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00236100、件名けんめい番号ばんごう:001だい1画像がぞうからだい2画像がぞうまで)
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  22. ^ 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00236100、件名けんめい番号ばんごう:001だい3画像がぞう
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  24. ^ a b 国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00530100、件名けんめい番号ばんごう:002だい1画像がぞうからだい5画像がぞうまで)
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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  • 官制かんせい等級とうきゅう改定かいてい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00236100、件名けんめい番号ばんごう:001、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいじゅうよんかん官制かんせいいち文官ぶんかん職制しょくせいいち
  • かんろく月給げっきゅう改定かいてい定則ていそくたてなみ定則ていそくちゅう改正かいせいじょう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん請求せいきゅう番号ばんごうたい00530100、件名けんめい番号ばんごう:002、ふとしせいるいてんだいへん明治めいじよんねん明治めいじじゅうねんだいさんひゃくななかん理財りざいじゅうなな官給かんきゅういち
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  • 高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれいていム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15112241100、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうへん明治めいじじゅうよんねんだいななかん官職かんしょくさん官制かんせいさん官等かんとう俸給ほうきゅう給与きゅうよいち大蔵省おおくらしょう)(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 文武ぶんぶ高等官こうとうかんしょく等級とうきゅうひょうていム」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15112241300、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうへん明治めいじじゅうよんねんだいななかん官職かんしょくさん官制かんせいさん官等かんとう俸給ほうきゅう給与きゅうよいち大蔵省おおくらしょう)(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 叙位じょいしんかいないそくていメラル」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15112272000、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうへん明治めいじじゅうよんねんだいじゅうさんかんぞく爵・爵位しゃくい勲等くんとうざつ国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 高等官こうとうかんとう俸給ほうきゅうれい」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15112439800、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうろくへん明治めいじじゅうねんだいきゅうかん官職かんしょくさん官制かんせいさん官等かんとう俸給ほうきゅう給与きゅうよいち陸軍りくぐんしょう)(国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 文武ぶんぶかん叙位じょいしんかいないそく改定かいていセラル」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15112451700、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうろくへん明治めいじじゅうねんだいじゅうよんかんぞく爵・族制ぞくせい爵位しゃくい勲等くんとう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 文武ぶんぶかん叙位じょいしんかいないそく改定かいていセラル」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A15113342600、公文こうぶん類聚るいじゅうだいじゅうよんへん明治めいじさんじゅうさんねんだいじゅうかんぞく爵・爵位しゃくい勲等くんとう儀典ぎてん儀礼ぎれいふくせい徽章きしょう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 署名しょめい原本げんぽん昭和しょうわじゅういちねんみことのりれいだいいちきゅうさんごう官吏かんり任用にんようじょきゅうれい施行しこうとうとも高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい廃止はいしとうせきスルけん」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A04017814600、署名しょめい原本げんぽん昭和しょうわじゅういちねんみことのりれいだいいちきゅうさんごう官吏かんり任用にんようじょきゅうれい施行しこうとうとも高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい廃止はいしとうせきスルけん国立こくりつ公文書こうぶんしょかん
  • 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん (2007ねん1がつ). “ヨミガナ辞書じしょ” (PDF). 日本法令にほんほうれい索引さくいん明治めいじ前期ぜんきへん. ヨミガナ辞書じしょ. 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. 2023ねん3がつ26にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  • 署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうきゅうねんみことのりれいだいろくごう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A03020001000、署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうきゅうねんみことのりれいだいろくごう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(JACAR:A03020001000
  • 署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうよんねんみことのりれいだいはちじゅうごう高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい制定せいてい高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい廃止はいし」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A03020101400、署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうよんねんみことのりれいだいはちじゅうごう高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい制定せいてい高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい廃止はいし国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(JACAR:A03020101400
  • 署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうよんねんみことのりれいだいひゃくじゅうごう文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A03020114700、署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうよんねんみことのりれいだいひゃくじゅうごう文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(JACAR:A03020114700
  • 署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうねんみことのりれいだいきゅうじゅうろくごう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい制定せいてい高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう廃止はいし」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A03020130600、署名しょめい原本げんぽん明治めいじじゅうねんみことのりれいだいきゅうじゅうろくごう高等官こうとうかん官等かんとう俸給ほうきゅうれい制定せいてい高等官こうとうかん任命にんめい及俸きゅうれい文武ぶんぶ高等官こうとうかん官職かんしょく等級とうきゅうひょう廃止はいし国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(JACAR:A03020130600
  • 署名しょめい原本げんぽん昭和しょうわじゅういちねんみことのりれいだいいちきゅうごう官吏かんり任用にんようじょきゅうれい」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A04017814300、署名しょめい原本げんぽん昭和しょうわじゅういちねんみことのりれいだいいちきゅうごう官吏かんり任用にんようじょきゅうれい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(JACAR:A04017814300
  • 署名しょめい原本げんぽん昭和しょうわじゅういちねんみことのりれいだいいちきゅういちごうおや任官にんかん及諸かんきゅうべつれい」JACAR(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)Ref.A04017814400、署名しょめい原本げんぽん昭和しょうわじゅういちねんみことのりれいだいいちきゅういちごうおや任官にんかん及諸かんきゅうべつれい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん)(JACAR:A04017814400