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大膳職 - Wikipedia

大膳だいぜんしょく(だいぜんしき/おおかしわでのつかさ)は、日本にっぽん律令制りつりょうせいにおいてみや内省ないせいぞくするかん朝廷ちょうていにおいて臣下しんかたいする饗膳きょうぜんきょうする機関きかんである。

職掌しょくしょう

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大宝たいほう律令りつりょう以前いぜんぜんしょくというかんであったが、大宝たいほう律令りつりょう制定せいていに、天皇てんのう食事しょくじてのひら内膳ないぜん饗膳きょうぜん食事しょくじてのひら大膳だいぜんしょく分割ぶんかつされた。ただし、主食しゅしょくについては大炊おおいりょうてのひらっており、大膳だいぜんしょく副食ふくしょく調味ちょうみりょうなどの調達ちょうたつ製造せいぞう調理ちょうり供給きょうきゅう部分ぶぶん担当たんとうした。『養老ようろうれい』によれば、ひしおにくさかな塩辛しおからじょうにしたもの)、ひしおひしお(みそ)などの調味ちょうみりょう、菓(くだもの)、ざつもち雑穀ざっこくなどのもち製品せいひん)などを供給きょうきゅうし、管下かんか組織そしきとして菓・もちるいあつかう「菓餅しょ」とひしおひしおあつかう「ひしおいん」が設置せっちされた。『官職かんしょくしょう』や『しょくげん』、『ひゃくりょうくんようしょう』などによると、後世こうせいには長官ちょうかんである大夫たいふ官位かんい相当そうとうよりもたかよんから、ぎゃく次官じかんであるあきら官位かんい相当そうとうよりもひくろくからえらばれるれいおおくなったことしるされている。また、大同だいどう3ねん7がつ26にち808ねん8がつ21にち)のかくによってしょうすすむしょうぞく定員ていいんが1めい増加ぞうかされている。

職員しょくいん

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に、鵜飼うかいこうじん網引あびきひしおなどのざつきょうがあった。

延喜えんぎしきかみめいちょうによれば、延長えんちょう5ねん927ねんごろ大膳だいぜんしょくにはしょく神社じんじゃ雷神らいじんしゃこうばい神社じんじゃの3しゃまつられていた(「宮中きゅうちゅうきょうちゅう式内しきないしゃ一覧いちらん参照さんしょう)。『高橋たかはしぶん逸文いつぶん[1]によれば、上総かずさこく[2]安房あわ大神だいじん現在げんざい安房あわ神社じんじゃ千葉ちばけん館山たてやま)に比定ひてい)がそのしょくしん文中ぶんちゅうではしょくしん表記ひょうき)であるという[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 本朝ほんちょうがつれい』6がつ朔日さくじつ内膳ないぜんきょう飯事ままごとしょ引『高橋たかはしぶん逸文いつぶん神道しんとう神社じんじゃ史料しりょう集成しゅうせい-安房あわすわ神社じんじゃ安房あわこく安房あわぐん参照さんしょうぐんしょ類従るいじゅう だい輯』<国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション>56-57コマ参照さんしょう)。
  2. ^ 安房あわ神社じんじゃは『延喜えんぎしきかみめいちょうにおいて安房あわこく所在しょざいであるが、上総かずさこくとする『高橋たかはしぶん』の記載きさいは、『高橋たかはしぶん』の成立せいりつ当時とうじ安房あわこく上総かずさこくのうちにふくまれていたことによる。
  3. ^ 千葉ちばけん歴史れきし 通史つうしへん 古代こだい2(けんシリーズ2)』 千葉ちばけん、2001ねん、pp. 604-607。

関連かんれん項目こうもく

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